ギーター・サールの思い出 |
先日、ヴィシュヌの街のある民家に、ギーター・サールを置きました。ギーター・サールとは何ぞやという方に説明しますと、『マハーバーラタ』の中に収められているヒンドゥー教徒の聖典『バガヴァッド・ギーター』の要約のようなものです。主人公のアルジュナがクル族同士の決戦を前に、敵方に身内が多いことを嘆き、戦意を喪失してしまうシーンがあります。そこでアルジュナの戦車の御者をしていたクリシュナは、アルジュナに「結果を考えず、自分の本分を果たすことこそ解脱への道」と説き、勇気を奮い起こさせます。このクリシュナが語った言葉が『バガヴァッド・ギーター』に他なりません。
クリシュナがアルジュナに『バガヴァッド・ギーター』を説いている場面を描いた神様ポスターは多く存在します。ただ単にクリシュナがアルジュナの御者をしているだけだったり、アルジュナがクリシュナの前にひざまずいて手を合わせている絵柄だったり、クリシュナが一切形相(ヴィシュヴァルーパ)と呼ばれる姿を表しているものもあります。クリシュナに人気があるのも、ただ単にベイビー・クリシュナが可愛かったり、青年のクリシュナがかっこいいからだけではなく、この『バガヴァッド・ギーター』を説いてインド人の道徳理念の礎を形作っていることが大きいのです。
ところで、僕にはギーター・サールについて、あるひとつの思い出があります。それはフィジーでの出来事です。フィジーについてはまた回を改めてお話しようと思いますが、実はフィジーの人口の約半分はインド人が占めるのです。そして僕は2000年の夏、フィジーのあるタミル人の家庭にホームステイをし、2週間過ごさせてもらったことがありました。フィジーの主島であるビチレブ島の北部にある、バ市校外のナボリ村というところです。
当時のフィジーは大変な状況下にありました。フィジーではフィジー人とインド人の抗争が絶えないのですが、そのときはちょうどフィジー人ジョージ・スペイトがクーデターを起こしてインド人首相を海外追放してしまうという大事件の真っ最中だったのです。フィジーに住むインド人たちはフィジー人の暴行に怯え、不穏な生活を余儀なくさせられていました。しかし、時はお祭シーズン(日本のお盆と同じです)だったので、普段よりは明るいムードが漂っていました。
僕がホームステイさせてもらった家は、バ市唯一のホテル、バ・ホテルのレセプションをしていた青年に紹介してもらいました。その青年の親戚のおばさんの家にあたるそうです。リビング・寝室・台所の3部屋しかない家でしたが、洗濯機・テレビ・冷蔵庫・ステレオなど一通りの電化製品は揃っていました。フィジーのインド人は土地所有を認められていないため、収入をこうしたものに費やすことが多く、インド本国のインド人と比べるとおそらく見かけは文明的な生活をしているように見えます。
その家のリビングの壁に懸かっていたのがギーター・サールでした。僕はその頃、ヒンディー語を読むことができ、意味もある程度なら理解できるぐらいでしたが、その文はあまりに単純な形すぎてちょっと意味をとることができませんでした。そこで、その家のお母さんに意味を尋ねてみたら、英語で解説してくれました。
Whatever happened, it was good, whatever is happening, it is good, whatever will happen, it will be good...
その内容は仏教の無常観にも通づるものがあり、日本人の僕にもすんなり理解できるものでした。魂は不滅であり、物体はいずれ消滅するものなのだから、死ぬことを、失うことを、何も恐れる必要はない、何も嘆く必要はない。過去を後悔することも、未来を憂う必要もない。今は今なのだから・・・。今日自分のものであったものでも、昨日は他人のものであり、明日にはさらにまた他人のものになってしまうのだから、それに固執することは愚かである。・・・そんな内容でした。そして僕はちょっとジョークみたいなものを言ってみました。
「もしこの文をジョージ・スペイトが読めたら、クーデターなんか起こさなかっただろうにね。」
そうしたら、そのお母さんは「Yes! Yes!」とやたら納得してくれて、それ以後非常に好意的に接してくれました。おそらく『バガヴァッド・ギーター』の教えは、インド人にとってとてつもなく大きいものであり、誇り高いものであり、それを少しでも僕が理解したことに感動してくれたんだと思います。僕にとっても、ギーター・サールは特別な一節となりました。
そして、神聖インド帝国の中に、ギーター・サールの解説をちょっと入れてみようと思い立って作ったものがそれなのです。ただ、かなり意訳をした部分があるので、もしかしたら間違っているかもしれません。でも、あのときフィジーでインド人から実際に教わった感動をそのまま伝えたくて訳してみました。きっとインド人が続く限り、『バガヴァッド・ギーター』の教えは語り継がれていくのでしょう・・・。