昔々、正義と悪のバランスが崩れ、地上に悪魔の王がはこびっていたことがあった。特にカンサという王は暴虐の限りを尽くしていた。神々はヴィシュヌ神のもとへ行き、助けを求めた。ヴィシュヌ神はアナンタと共に地上へ降臨することを決め、カンサ王の大臣ヴァスデーヴァとカンサ王の従姉妹デーヴァキーの子供として生まれることになった。

 その頃、ヴァスデーヴァとデーヴァキーの結婚式が行われていた。ところがカンサ王は「デーヴァキーの第8番目の息子に汝は殺されるであろう」という予言を聞き、デーヴァキーを殺そうとした。ヴァスデーヴァは何とかカンサ王を説得し、「生まれてくる子供は殺してもいい」という条件で、デーヴァキーの命を助けてもらった。カンサ王はヴァスデーヴァとデーヴァキーを牢獄へ閉じ込め、生まれてくる子供を次々と殺した。

 デーヴァキーの子供は6人生まれ、6人ともカンサ王に殺されてしまった。アナンタは第7番目の子供として胎内に入り、ヴァスデーヴァの別の妻、ローヒニーの胎内に移って無事生まれた。この子供はバララーマと名付けられた。ローヒニーはナンダの統治するゴーラク村にいた。
 その後、ついにヴィシュヌ神が第8番目の子供としてデーヴァキーの胎内に入り、真夜中に生まれた。この子供がクリシュナである。
 クリシュナは生まれるとすぐにヴァスデーヴァに言った。「今夜、ゴーラク村の王ナンダの妻ヤショーダーにも一人の娘が生まれた。今からゴーラク村へ行き、その娘と私を交換せよ。」
 その晩は不思議と牢の守衛も眠りこけ、手錠も外れていた。ヴァスデーヴァはこっそり牢獄から抜け出し、ヤムナー河を渡ってゴーラク村へ赴き、ヤショーダーの娘と交換して牢獄に戻った。
 デーヴァキーの8番目の子供が生まれたと聞き、カンサ王が牢獄へ駆けつけたのはヴァスデーヴァがゴーラク村から帰った後だった。カンサ王はその女の子を取り上げ、地面に叩きつけた。ところが、その女の子は女神の姿となり、「お前の死をもたらす者は別の場所で生まれている」と告げた後、姿を消した。
 そこでカンサは全ての街や村の幼児を皆殺しにする命令を出した。カンサの手下の悪魔たちは各地に赴き、幼児を虐殺し始めた。
 ゴーラク村は牛飼いの村落だった。ヤショーダーは自分の子供がすりかえられたのに気付かず、クリシュナを自分の子供と信じて疑わなかった。盛大な誕生祝いの祝賀会が開かれ、出席していたあるバラモンはクリシュナを見てこう予言した。
「この者は悪魔を退治し、牛飼い女の主と呼ばれるようになるだろう。」
 クリシュナは同じ村に生まれた兄のバララーマと共に育てられた。
 とうとう悪魔がゴーラク村にもやってきた。プータナーという女の悪魔だった。プータナーは美しい女性に化けて村にやって来た。プータナーはクリシュナを見ると、「この子にお乳をあげたい」と申し出た。プータナーの乳首には猛毒が塗られていたのだ。ところが、その毒はクリシュナには効果がなく、逆に乳だけでなくプータナーの命そのものを吸い出してしまった。プータナーは絶命し、醜い正体を表して倒れた。ヤショーダーは急いでクリシュナを抱き上げた。
 次にやって来たのはサクトという悪魔だった。サクトは手押し車の下にクリシュナが寝かされているのを見ると、車ごと押しつぶそうとその上に舞い降りた。ところがクリシュナは手押し車を蹴り上げてサクトに当て、逆にサクトを押しつぶしてしまった。周りの人々はこんな小さな子供が手押し車を蹴り上げるだけの力があることをどうしても信じられなかった。
 さらにトリナーヴァルタという悪魔がやって来た。トリナーヴァルタは風に化けて埃を巻き上げ、ヤショーダーが何も見えなくなっている隙にクリシュナを誘拐し、空へ飛び立ってしまった。ところがクリシュナは次第に重くなり、トリナーヴァルタはその重みに耐えられなくなって墜落して死んだ。クリシュナは無事だった。
 成長するにつれてクリシュナは悪戯を覚え、兄のバララーマとバターを盗んで食べたり、泥団子を食べて皆を驚かせたりした。しかしクリシュナはとても愛くるしい子供だったので、誰もクリシュナのことを悪く思う者はいなかった。
 ところが、クリシュナの悪戯にとうとうヤショーダーの堪忍袋の緒が切れたこともあった。ヤショーダーは懲らしめるために巨大な乳鉢にクリシュナを紐で縛りつけようとした。ところがいくら紐を継ぎ足してもなぜかクリシュナを縛ることができなかった。神を紐で縛りつけることは何人にもできないのだ。しかし、困っているヤショーダーを見てクリシュナは可哀想になり、自ら紐に縛られてあげたのだった。
 乳鉢に縛られてあげたクリシュナだったが、じきにじっとしていられなくなり、乳鉢を引きずって歩き始めた。庭を歩いていると乳鉢が2本の樹の間に挟まってしまったが、クリシュナは怪力でその樹を引っこ抜いてしまった。すると、その2本の樹は2人のガンダルヴァ(精霊)となった。実は2人は呪いによって樹に姿を変えられており、クリシュナが引っこ抜くことによって呪いが解けたのだった。2人はクリシュナに感謝して消えた。
 ゴーラク村の住民は、ヤムナー河河畔にあるヴリンダーヴァナの森へ引越しをすることになった。ヴリンダーヴァナはゴーヴァルダナ山の麓にあった。
 ヴリンダーヴァナに移ったクリシュナたちであったが、魔物たちの襲撃は続いた。あるときはバカという巨鳥がクリシュナを飲み込んでしまったことがあった。クリシュナは身体を火のように熱くしてバカの喉を焼き、クチバシをつかんで真っ二つに裂いてしまった。
 アガという大蛇がクリシュナを飲み込んだこともあった。今度はクリシュナは身体を膨張させてアガを破裂させてしまった。
 ブラフマー神がクリシュナをからかったこともあった。クリシュナは他の牧童たちと共に牛を連れて歩いていたのだが、ブラフマー神がクリシュナ以外の牧童と牛を隠してしまったのだ。しかし、クリシュナはすぐに誰の仕業かを理解し、逆にブラフマー神をからかい返すことにした。
 クリシュナは多くの分身を造り出すと、隠されてしまった牧童や牛そっくりの姿に変身させ、そのまま家に帰らせたのだった。
 1年後、ブラフマー神は様子を見に戻って来た。すると、隠したはずの牧童や牛がちゃんと生活していた。驚いたブラフマー神は隠し場所を確認してみたが、その中にはちゃんと牧童や牛がいた。ブラフマー神はクリシュナが至高の存在であることに気付き、牧童と牛を返してクリシュナに謝った。クリシュナは分身と本物を入れ替えたが、この1年間何があったか気付いた者は、牧童の中にも親たちの中にも、牛たちの中にもいなかった。
 ある日、クリシュナと牧童たちがいつものように牛を連れて散歩をしていた。ヤムナー河の河畔に来たが、その水を飲んだ牧童たちが皆死んでしまった。クリシュナはすぐに牧童を生き返らせると、ヤムナー河の中に飛び込んだ。ヤムナー河にはカーリヤという毒蛇が住み着いており、その蛇の出す毒のせいで牧童たちは死んでしまったのだった。カーリヤはクリシュナを見つけるとすぐに襲い掛かり、巻きついてしめつけた。
 ところがクリシュナは身体を膨張させたので、カーリヤの胴体がちぎれそうになった。カーリヤは耐えられなくなってクリシュナを放し、今度は毒を吹きかけようとしたが、クリシュナはヒラリとかわしてカーリヤの頭の上に乗るとダンスを始めた。カーリヤはその重さに耐えられなくなり、死にそうになったが、カーリヤの4人の妻が現れて謝ったので、命だけは助かった。クリシュナはカーリヤに、ヤムナー河から去るように命じた。
 ナンダはクリシュナの助言に従って、今まで祀っていたインドラ神をやめ、ゴーヴァルダナ山を信仰の対象とした。これに怒ったインドラ神は、ヴリンダーヴァナに大雨を降らした。ところが、クリシュナはゴーヴァルダナ山を引き抜いて、左手の小指で支え、傘にして村人たちを水害から守った。インドラ神は7日間雨を降らせ続けたが、ヴリンダーヴァナの村に被害を与えることはできなかった。驚いたインドラ神は天から降りてきてクリシュナに謝った。
 ある日クリシュナは礼拝の後に裸になってヤムナー河で水浴している牧女たちを見つけた。女性が夫以外の前で裸になることははしたないとされている。クリシュナは牧女たちを懲らしめるために服を盗んで木の上に登った。牧女たちは「服を返して」と嘆願したが、裸でクリシュナの前に出て謝らなければ服を返してもらえなかった。恥かしい思いをしたのだが、牧女たちはクリシュナと共に時間が過ごせたので満足だった。
 村の牧女たちは皆クリシュナと結婚することを願ったが、クリシュナのお気に入りの牧女はラーダーだった。
 ある晩、ラーダーはクリシュナの笛に誘い出されて森の中を一緒に散歩した。ところがラーダーは自分が最も愛されていることに奢ってしまったため、クリシュナは姿を消してしまった。他の牧女たちと共にクリシュナを捜したがどこにも見当たらなかった。そこで牧女たちは強くクリシュナを心に念じると、クリシュナはやっと皆の前に姿を現したのだった。
 クリシュナは姿を現すと、牧女たちと踊り始めた。クリシュナの幻術によって全ての牧女は「自分がクリシュナと踊っているのだ」と思い込んだ。牧女たちは欲望に狂い、6ヶ月間踊り続け、悦びをむさぼった。そして最後にヤムナー河で水浴し、家に帰ったが、誰一人として6ヶ月もの間家を空けていたことに気付いた者はいなかった。
 この愛の踊りはクリシュナの青春のクライマックスであり、青春時代の終わりを告げるものだった。
 カンサ王は度々悪魔を送り込んでクリシュナを殺そうとしたが、全て失敗に終わった。そこで、クリシュナをマトゥラーの都へ誘い出して殺す計画を立てた。
 カンサ王は都でチャーパプージャーという大犠牲祭を行うことにして、クリシュナの元に使者を送り、この祭に招待した。ところが、その使者はクリシュナにカンサ王の計画を明かし、カンサ王を殺して欲しいと嘆願した。クリシュナとバララーマはマトゥラーへ赴くことを決めた。
 ヤーダヴァ族の都マトゥラーに到着したクリシュナとバララーマは、街の市民から歓迎を受けた。クリシュナはマトゥラーでも数々の奇跡を行い、人々を驚かせた。祭典に出席するための衣服を整えると、いよいよ会場へ向かった。そこでは弓供養が行われていた。クリシュナはその強弓を取り上げるとやすやすとへし折ってしまい、襲い掛かってきた警備員たちを皆殺しにした。
 翌日はレスリングの競技会が行われた。カンサ王は競技にかこつけてクリシュナたちを殺そうとした。
 クリシュナたちが競技場に到着すると、まずは巨象が襲って来た。クリシュナとバララーマは簡単に巨象を殺すと、その牙を折り、片方ずつ手に持って競技場へ入場した。
 競技場ではチャーヌーラとムシュティカという巨漢が待ち構えていた。観客は、クリシュナやバララーマのような華奢な少年が、山のように大きな2人のレスラーと戦うのは不公平だと心配した。観客の中には、クリシュナの育ての親であるナンダ、ヤショーダーと、実の両親であるヴァスデーヴァ、デーヴァキーもおり、カンサ王ももちろん観戦していた。クリシュナはチャーヌーラと、バララーマはムシュティカと戦い、難なく殺してしまった。
 その後も多くのレスラーが2人に挑戦したが、ことごとく打ち負かされた。2人の小さな英雄の活躍に観客は拍手喝采を送ったが、全てのレスラーが殺されてしまったのを見たカンサ王は激怒し、ヴァスデーヴァとデーヴァキーを殺すことを命じた。しかしそれを聞いたクリシュナはカンサ王の玉座まで飛び上がると、髪をつかんで競技場へ引きずり下ろし、飛び乗って殺してしまった。こうしてかつての予言は成就し、マトゥラーの人々は悪王から解放されたのだった。
 クリシュナとバララーマはマトゥラーに留まり、教育を受けた。ところが、カンサ王のいなくなったマトゥラーは、今度は近隣に住む暴君ジャラーサンダーの脅威にさらされることになった。ジャラーサンダーは18回に渡ってマトゥラーに攻め込んで来たが、クリシュナたちによって撃退された。しかしクリシュナはマトゥラーに住むヤーダヴァ族が安心して暮らせるように、都を移すことにした。新都はドヴァーラカーと呼ばれ、山と湖に囲まれた天然の要塞だった。
 ヴィダルバ国の姫ルクミニーはクリシュナの噂を聞き、クリシュナと結婚することを夢見ていたが、兄のルクミンはクリシュナを嫌い、チェーディー国のシシュパーラーに嫁がせようとした。ルクミニーはクリシュナに使者を送って助けを求めた。クリシュナは一夜の内にヴィダルバ国へ赴くと、ルクミニーを奪い去って帰った。ルクミンはクリシュナを追撃したが打ち負かされた。ルクミニーの嘆願で命だけは助けられた。こうして、クリシュナとルクミニーは結婚した。
 クル族の同族間での戦争が避けられなくなると、クリシュナはパーンダヴァのアルジュナの御者となり、非戦闘員として参加することになった。
 アルジュナは開戦を前にして、親類同士で争わなければならないことを嘆く。しかしクリシュナはアルジュナを励まし、戦士として生まれたからには、戦士としての仕事を全うするべきであると説いた。こうして、カウラヴァ軍とパーンダヴァ軍の戦いが始まった。
 戦争中、クリシュナは自ら武器をとって戦うことはなかったけれども、パーンダヴァの戦士たちに助言を与えて戦争を有利に運んだ。
 ただし、興奮したクリシュナが敵方の主将ビーシュマに武器をとって襲い掛かったことが1回だけあった。アルジュナは必死にクリシュナを止め、武器をとって戦わないと宣言した誓いを破ってはいけないと説得した。
 戦争は18日間に渡って行われた。両軍の戦士が次々と倒れる中、10日目にビーシュマが倒れ、カウラヴァ軍の劣勢が濃厚となった。18日目にはこの戦争の元凶となったドゥリヨーダナが打ち倒され、パーンダヴァ軍の勝利で終わるかと思われたが、その夜に生き残ったカウラヴァの戦士による夜襲が行われて、パーンダヴァ軍も壊滅した。
 戦争後、クリシュナはドヴァーラカに戻って36年間統治した。しかしヤーダヴァ族の人々は繁栄に奢って堕落し、やがて酒に酔って仲間割れを始め、お互いに殺しあい、全滅してしまった。バララーマも天に帰り、クリシュナも猟師に誤ってアキレス腱を撃たれて死んでしまった。ドヴァーラカは海に沈み、こうしてクリシュナの奇跡に満ちた生涯は幕を閉じた。

ー完ー

全部立ち読みして
読んでしまいました。

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