スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2008年2月

装飾下

|| 目次 ||
散歩■1日(金)パラーンテーワーリー・ガリー
文学■4日(月)The Japanese Wife
言語■6日(水)現代女性のヒンディー語の男性化
映評■8日(金)Mithya
映評■12日(火)Super Star
映評■15日(金)Jodhaa Akbar
分析■18日(月)2007年ボリウッド映画界を振り返る
分析■23日(土)フィルムフェア賞発表
分析■25日(月)デリーのガス、水、道
文学■28日(木)大詩人ラールー


2月1日(金) パラーンテーワーリー・ガリー

 今やボリウッドのスーパースターと呼んでも反論する人がいなくなったアクシャイ・クマール。2007年は彼にとって当たり年となり、「Namastey London」、「Heyy Babby」、「Bhool Bhulaiyaa」、「Welcome」と、出る映画出る映画ヒットを記録した。今年も彼の主演作が目白押しで、引き続き大活躍しそうだ。成功の波に乗ったアクシャイ・クマールは、実は苦労人でもある。映画スターとして成功する前に、バンコクに渡ってコックをしたり、マーシャルアーツのインストラクターをしたりしていた変わった経歴を持っている。そして彼のルーツは意外にもオールドデリーにある。アクシャイ・クマールは、チャーンドニー・チャウクのパラーンテーワーリー・ガリーで生まれ育った。18人家族という大所帯だが、2部屋のみの小さな家で暮らしていたと言う(もっとも、オールドデリーでは普通のことだ)。また、子供の頃は毎朝5時半に父親と共にグルドワーラー・シーシュ・ガンジに詣でていたらしい。アクシャイ・クマールの本名はラージーヴ・ハリオーム・バティヤー。名字から察するに家系はパンジャーブのラージプート。なぜ彼の過去が今になって取り沙汰されるかというと、現在制作中のアクシャイ・クマール主演映画「Chandni Chowk to China」が、アクシャイ・クマールの自伝的映画であるからだ。チャーンドニー・チャウク生まれの男がシェフとして中国に渡るという筋書きのコメディー映画らしい。

 アクシャイ・クマールとオールドデリーの組み合わせは最初意外な気がした。だが、オールドデリーの光景を思い浮かべると、徐々にそのつながりが見えて来た。オールドデリーに住む子供たちは家が狭いためか路地を遊び場にしており、バーザールでも子供が単独でうろついているのをよく見かける。オールドデリーでは親のみが子供の監督者ではない。近所の人々、道行く人々皆が自然に子供の面倒を見ており、それが何か理想的な社会を作り上げている。アクシャイ・クマールの人懐っこい笑顔は、もしかしたらオールドデリーの人情の賜物なのかもしれない。


オールドデリーの子供
ムハッラム時に撮影

 オールドデリーの申し子アクシャイ・クマールに捧げて、今回はパラーンテーワーリー・ガリーを取り上げたい。

 北インド人に人気の食べ物にパラーンターまたはパラーターがある。元々はパンジャーブ地方のヴェジタリアン料理だが、今ではインド全国で食べられている。パラーンターは、小麦粉の生地を平たく伸ばし、油を引いた鉄鍋で焼いて作る。このままの状態のパラーンターを特にプレイン・パラーンターと呼び、アチャール(漬物)やダヒー(ヨーグルト)と共に食べたりする。だが、パラーンターの中にはジャガイモやカリフラワーなどの野菜を入れることも多く、その場合は中に入った野菜に従って、アールー・パラーンター(ジャガイモのパラーンター)、ゴービー・パラーンター(カリフラワーのパラーンター)などと呼ばれる。朝食や軽食に適した食べ物だ。北インド料理レストランなら必ずパラーンターがメニューにある。

 パラーンテーワーリー・ガリー(パラーンター屋の路地)は、狭い路地にパラーンター専門店が密集する、デリーでも有名なグルメスポットである。

 オールドデリーで目的地に辿り着くのはしばしば至難の業なのだが、パラーンテーワーリー・ガリーも例に漏れず分かりにくい場所にある。チャーンドニー・チャウクの南側に伸びている狭い路地の中のどれかなのだが、分かりやすいランドマークを使って説明すれば、グルドワーラー・シーシュ・ガンジとタウンホールの間とでも言おうか?EICHER「Delhi City Map」ではP58のH3になるが、路地の名前は記載されていない。チャーンドニー・チャウクに軒を連ねる店の人に道を尋ねつつ探せば見つかるだろう。路地に入ってまっすぐ進むと路地はすぐに右に折れ、またすぐに左に折れる。その先のT字路までの短いエリアがパラーンテーワーリー・ガリーである。


パラーンテーワーリー・ガリー

 名前の通り、この通りには小さなパラーンター専門店がいくつも並んでいる。これらの多くはムガル朝の時代から続いていると言う。ムガル朝の皇族や貴族はノンヴェジタリアンで、毎日豪勢な宮廷料理を食べていたが、肉料理に飽きるとこのパラーンテーワーリー・ガリーに来て、純菜食料理のパラーンターに舌鼓を打っていたそうだ。かつてはこの路地にパラーンター屋だけしかなかったような時代もあるらしいが、次第にパラーンター屋以外の商売を始める人も出て来てた。それでも、10軒ほどのパラーンター屋が今でも元気に営業している。

 各パラーンター屋はとても小さい。客は机と椅子に挟まるようにして座り、パラーンターを食べている。おいしそうな匂いが各店から放出されており、どこに入ろうか迷ってしまう。パラーンテーワーリー・ガリーで衣料品店を構えている人にこっそりどこが一番おいしいか聞いてみたら、「バーブーラーム・パラーンテーワーレー」の名前が挙がったので、迷わずその店に入った。ちょうど席が空いていたのもこの店を選んだ理由である。どうやら、老舗バーブーラーム・デーヴィーダヤール・パラーンテーワーレーから最近独立した、パラーンテーワーレー・ガリーでは最も新しいパラーンター屋のようだが、開店と同時に繁盛しているそうだ。パラーンテーワーリー・ガリーのパラーンター屋の数は減少傾向にあったのだが、バーブーラーム・パラーンテーワーレーが開店したことで、他の店も俄然刺激を受けていると言う。

 さて、机の上にはメニューが置かれていたのだが、その品目は上から下までパラーンター一色。いろいろな種類がある。ゴービー・パラーンター、マタル(豆)・パラーンター、ムーリー(大根)・パラーンター、アールー・パラーンター、タマータル(トマト)・パラーンターなどの比較的ポピュラーな野菜系パラーンターから始まり、パーパル(スナック)・パラーンター、パラト・パラーンター(重なったパラーンター)、チーニー(砂糖)・パラーンター、ラブリー(加糖練乳)・パラーンターなどちょっと想像力の限界を越えるものや、ケーラー(バナナ)・パラーンター、キシュミシュ(干しブドウ)・パラーンターのようなフルーツ系のパラーンターまで、そのバラエティーにはただただ圧倒されてしまう。パラーンターの値段は1枚12~30ルピーである。一方、パラーンター以外の品目は、パーパル、ダヒー、ミネラルウォーターぐらいしかない。

 敢えて奇をてらったパラーンターを注文してもよかったのだが、普段食べ慣れたパラーンターを食べて味を比較したかったため、手堅くアールー・パラーンターを頼んだ。

 パラーンターを頼むとまずは中型のターリー(皿)が出される。そこにはアチャール、チャトニー(チャツネ)、サブジー(野菜のカレー)が載っている。しばらく待っていると、出来立てのパラーンターが運ばれて来る。


パラーンター

 普通のレストランや食堂で出て来るパラーンターとは外見が違い、ちょっと驚いた。どちらかというとプーリーのようである。だが、味は素晴らしい。まるで油が骨に染み渡るようだ。パラーンテーワーリー・ガリーは顕在である。今度はいろいろな種類のパラーンターにトライしてみたい。


パラーンター調理場

 ちなみに、パラーンターは何人で食べてもOKだが、1グループ2枚以上注文するのがこの店の決まりであるらしい。どの店も小さいので大人数で行くのには適していないが、いろいろな味のパラーンターを楽しむには、3、4人ぐらいのグループで行くとちょうどいいのではないかと思う。

2月4日(月) The Japanese Wife

 2月2日からデリーのプラガティ・マイダーンでワールド・ブック・フェアが開催中だ。初日から行って本を買い漁った。しばらく読書に没頭しそうだ。

 まず読んでみたのは、ハーパー・コリンズから出版されたばかりのクナール・バス著「The Japanese Wife」。12編の短編小説が収録されているが、最大の売りは同名の短編小説。既にアパルナー・セーン監督が映画化しており、年内公開予定である。題名から容易に推測できるように、この短編小説はインド人男性と日本人女性の国際結婚がテーマになっている。だが、読んでみるともっと奥の深い作品だった。以下、かなり核心に触れることを書くので、小説/映画の内容を暴かれたくなかったら、これ以上読み進まないでいただきたい。


クナール・バス著「The Japanese Wife」

 「The Japanese Wife」は、文通婚という稀な夫婦関係を描いた作品であった。

 主人公スネーハモイ・チャクラバルティーは、故郷ショナイ村の小学校の教師だった。彼はカルカッタに下宿している間に、日本に住む日本人女性ミヤゲと文通を始める。スネーハモイの両親は既に亡くなっており、叔母に育てられていた。叔母はスネーハモイを知り合いの女性とお見合い結婚させようとする。スネーハモイがそのことをミヤゲに相談したところ、ミヤゲは彼に「私はあなたの妻になりたい」とプロポーズする。スネーハモイもそれを受け入れる。2人は結婚し、20年が過ぎ去った。20年間、2人は手紙を送り合い、贈り物を贈り合った。だが、2人は一度も顔を合わせなかった。もちろん、2人の間で実際に会うことが話題になったことは何度もあったが、常にそれは先延ばしされた。スネーハモイはこの文通婚という形態に何の疑問も抱いていなかった。そして叔母もいつしかその特殊な状況を自然に受け入れるようになっていた。村の人々は彼のことを「日本人」または「日本人妻の夫」と呼んでいた。

 ある日、ミヤゲからたくさんの凧が入った箱が送られて来る。それと時を同じくして、スネーハモイの家には2人の人間が新たに住み始める。それは、かつてスネーハモイがお見合いする予定だった女性と、その息子だった。彼女は、スネーハモイにお見合いを拒絶された後、他の男性と結婚して一子をもうけたが、最近その男性は死んでしまった。夫の家で急に肩身が狭くなり困っていたところに、叔母が救いの手を差し伸べたのだった。スネーハモイはそのことをミヤゲに伝えようか迷ったが、どうせ彼女たちはすぐに帰ってしまうだろうと考え、とりあえず何も言わないことに決めた。

 村では日本から送られて来た凧揚げのお披露目が盛大に行われた。スネーハモイと、未亡人の息子は、協力して日本の様々なデザインの凧を揚げ、村人たちを楽しませた。スネーハモイと未亡人の息子はこれを機にとても仲良くなる。スネーハモイは、まるでミヤゲが全てを見透かして凧を送ってくれたように思い、誇りを感じていた。だが、凧揚げの日に来た手紙には、衝撃的なことが書かれていた。ミヤゲは重病を患っていることを打ち明け、もしかしたら長くないかもしれないと書いていたのである。しかも、自分が死んだときに読んで欲しいと、遺書まで同封してあった。彼は遂に日本に行くときが来たと感じる。だが、それでもなかなか踏ん切りが付かなかった。

 当初スネーハモイは未亡人と全く会話をしなかった。だが、子供のウプナヤン(聖紐ジャネーウーを結ぶヒンドゥー教の通過儀礼)のために彼女はお金が必要になり、手持ちの金製品を町まで売りに行くことになり、スネーハモイも同行した。このとき初めて会話を交わし、スネーハモイの気持ちに変化が表れる。その夜、スネーハモイは彼女の嗚咽を聞いて彼女の寝所を訪れ、そっと抱き寄せる。

 翌朝、スネーハモイは罪悪感に駆られていた。このことをミヤゲに伝えるべきか否か迷った挙句、何とか手紙を書き上げ、送った。彼は、今後ミヤゲから手紙は送られて来ないだろうと考える。彼にとって、ミヤゲからの手紙が途絶えたときが、ミヤゲの死のときであった。スネーハモイはミヤゲの最後の手紙となるであろう遺書を開け、それを読む・・・。

 その年の冬、スネーハモイはマラリアで死んでしまう。叔母は学校の校長に頼んで、日本人の妻にそのことを伝える手紙を書いてもらう。しばらして、村には、ヒンドゥー教徒の未亡人のように、頭を剃り上げ、白い服を着た日本人女性がやって来た。彼女は村でリクシャーに、「日本人の妻がいる先生の家まで」と伝えた。

 インド人主人公の側から立って見ると、純粋で神秘的なラブストーリーと言える。主人公は、顔も見たことのない外国人女性と文通のみで結婚し、そのまま20年間、顔も合わせずに文通婚生活を送る。もし愛を肉体から離れた完全に精神的な事象と定義するならば、お互いの顔も見ず、ただ手紙のみを通して愛し合うのは、愛の究極の形と言ってもいいかもしれない。それは容易にスーフィズムやバクティズムに昇華されうる。だが、同時に、文通によって出会い、文通によって心を通わし合ったために、実際に顔を合わせることに恐怖を抱いていたこともあるのだろう。2人は実際に会うことを拒んでいた訳ではない。むしろ、会いたいと強く思っていたはずである。だが、その出会いが自分たちの仲を永遠に変えてしまうかもしれないという恐怖の方が勝り、まだそのときではない、という言い訳が2人を20年間遠ざけて来た。そういう意味ではとても人間的な恋愛である。14ページの短い物語の中に、崇高な愛と人間らしい臆病さの葛藤が美しく織り込まれていた。

 情景描写も素晴らしかった。毎年の河の氾濫に悩まされながらものどかに暮らすベンガル地方の田舎の村の風景、凧が町の郵便局から村まで届けられるまでの風景、その凧が一斉に大空に舞う風景など、映画にすると非常に美しいシーンになりそうな部分が多かった。

 作品の中で最も劇的なのは、主人公スネーハモイが日本人妻ミヤゲの遺書を読むシーンであろう。浮気をしてしまったスネーハモイはそのことを正直にミヤゲに書く。なぜなら彼にとって、真実を手紙に書かないことは、20年間の文通を無に帰すことに等しかったからだ。だが、それによって彼はミヤゲを失ってしまうことも知っていた。また、重病を患うミヤゲはいつ死んでしまうか分からなかった。彼はミヤゲの死を、手紙が途絶えることによってのみ知ることができた。手紙が途絶えることはミヤゲの死を意味した。だから、浮気を告白した手紙を送った後、彼はミヤゲから送られて来た遺書を開けるのであった。間違いなく作品中もっとも切ない場面である。

 だが、もどかしい部分もあった。もっとももどかしいのは、ミヤゲが書いた遺書の内容が明かされていないことだ。書かれているのは「親愛なるスネーハモイ、あなたがこれを読むときは私はもうこの世にいないでしょう・・・」との冒頭の一節のみで、残りは読者の想像に委ねられてしまっている。また、その遺書を読んだ年にスネーハモイはマラリアにかかって突然死んでしまうが、まるでエピローグのようにさらりと書かれているだけで、彼の死は本当にマラリアによる死なのか、それとも別の理由によるものなのか、いまいち判然としない。

 ミヤゲの病気を知り、日本行きを決断しながら、やっぱり日本に行かないスネーハモイの行動ももどかしい。もちろん、そこで日本に行っていたら全く違ったストーリーになってしまい、おそらく二束三文の小説になっていただろう。だから彼は日本に行かなくてよかったのだが、その代わり、どうしても日本に行けない理由をもう少し丁寧に描写すべきだったのではないかと感じた。また、スネーハモイとミヤゲはお互いの顔を見たこともないようだが、写真を送り合うぐらいのことはしなかったのかとも突っ込みたくなる。

 しかしながら、スネーハモイの立場に立ったとき、「The Japanese Wife」はシンプルだが奥の深いラブストーリーだと言える。アパルナー・セーンは、「これは、実際にありえないが、忘れがたいほど美しいストーリーだ。その純粋さはほとんど超現実の域にある。私は即座に、これこそ私が映画化すべき作品だと感じた」と絶賛している。

 しかし、日本人なので、どうしても日本人女性ミヤゲの立場に立ってもこの小説を理解しようとしてしまう。そうした場合、この作品はよく理解できないものになる。ミヤゲはおそらく一度もインドに来たことがない日本人女性である。その彼女が、雑誌のペンフレンド募集に応募し、インド人男性の文通相手を見つけ、文通を始める。ここまでは分かる。作品の中では時代設定は明らかにされていないが、文通が交流の唯一の手段であるのを見ると、20世紀の第3四半期くらいの話だと思われる。だからそれを念頭にミヤゲ像をイメージして行くのだが、顔も見たことがない相手に結婚を申し込むような日本人女性像は容易に想像できない。想像しようとするとどうしても精神的な病気を患っている人なのではないかと思えてしまう。それだけではない、結婚後一度もインドを訪れようとしない日本人女性、夫の死の後にヒンドゥー教徒の未亡人の格好をしてインドにやって来る日本人女性、全ておかしなイメージになってしまう。結局、作者は日本人女性を何か勘違いしているのではないかとの結論に達せざるをえない。きっと、世界の国々の中で日本の女性がもっとも、インド人の抱く「神秘」のイメージに近かったのではないかと感じられる。日本人の多くが今でもインドに「神秘の国」のイメージを抱いているのと比べると面白い。

 しかし、作者は日本のことにけっこう詳しいようにも思えた。日本の凧のデザインをかなり正確に描写していたことに加えて、北斎や和紙などの日本文化用語も登場していた。また、ミヤゲの名の意味も正確に「gift」と書いていた。もっとも、あまり一般的な名前ではないが。さらに、ミヤゲが日本のどこに住んでいるのかを特定することもできそうだ。その手掛かりは、ミヤゲが手紙で書いていた川の名である。ミヤゲの家の近くには、「Nakanokuchi」という名の川が流れている。どうもこれは新潟県の中ノ口川のことのようだ。つまり、ミヤゲは新潟在住の可能性が高い。ここまで具体的だと、何らかの実体験や実話、もしくは実在の人物に基づいた小説のように思えて来る。

 とは言え、原作を読むと分かるが、「The Japanese Wife」は最初から最後まで西ベンガル州南部スンダルバンスの村が舞台になっており、題名とは裏腹に日本のシーンは全く登場しない。だが、アパルナー・セーン監督は桜咲く4月に日本ロケを行ったようなので、きっと原作にはないアレンジがされるのだろう。ミヤゲがスネーハモイに送った手紙の情景描写に日本ロケのシーンが使われる可能性がもっとも高い。また、原作ではミヤゲが実際に登場するのは最後の最後のシーンのみである。ミヤゲ役は高久ちぐさという日本人女性が演じるようだが、どのくらい登場機会が与えられるのであろうか?

 「The Japanese Wife」はインド英語文学だが、著者のクナール・バスはベンガル人であり、その舞台もベンガル地方である。昔からベンガル地方は、ラヴィーンドラナート・タゴールと岡倉天心の親交からも分かるように、日本とつながりが深い。特に文学交流においては他の追従を許さない。僕も、インドの文学の中ではベンガリー語文学がもっとも日本人の琴線に触れやすい作品に恵まれていると思う。「The Japanese Wife」は、日本とベンガルの文学交流史に足跡を残した作品のリストに名を連ねそうである。

 ちなみに、映画「The Japanese Wife」は英語、ベンガリー語、日本語の三言語で制作中のようで、日本公開も十分ありうるだろう。(追記:映画は2010年4月9日にインド一般公開。映画評も参照のこと。)

2月6日(水) 現代女性のヒンディー語の男性化

 日本語には、文法上の性の区別がない代わりに、男言葉と女言葉があり、男性の話し方と女性の話し方は区別されている。一方、ヒンディー語には文法性があり、主語の性によって述語が変化する。よって、男性と女性が一人称で同じ内容を話したとき、いくつかの例外を除き、その文の形は異なって来る。よって、例えば「私はあなたを愛している」とヒンディー語で言うと、「私」の性によって文の形は違う。
【男性】
मैं तुमसे प्यार करता हूँ।
main tumse pyār kartā hūn
マェン トゥムセ ピャール カルター フーン

【女性】
मैं तुमसे प्यार करती हूँ।
main tumse pyār kartī hūn
マェン トゥムセ ピャール カルティー フーン
 日本で女性の男性化が指摘されて久しい。メディアが極端な例を取り上げて煽っているだけかもしれないし、実際に男性化が進んでいるのかもしれない。だが、女性の男性化をはっきりと識別することができるひとつの指標として言語がある。女性が男言葉を使い始めると、それは女性の男性化とされる。「お前」「食う」「うまい」など、日本語でかつて男言葉とされていたものが、現在では若い女性を中心に普通に使われるようになっている。しかも、かつて女言葉とされていたものの多くが、今ではほぼオカマ専用の言葉になっているようである。

 日本ではどうも「男らしさ」「女らしさ」を死語にしたい勢力が強いようで、それの影響が出て来ているように思われる。だが、インドは違う。一概には言えないが、一般に言って今でもインド社会において男女の間の垣根は高く、男性は「男らしさ」を、女性は「女らしさ」を求められる。そして、女性は男性の男らしさに惹かれ、男性は女性の女らしさに惹かれるという健全なサイクルが残っている。それを反映するように、ヒンディー語も男性と女性を厳密に分ける言語であり、言語のみによって、男性らしい男らしさ、女性らしい女らしさが表現できる。

 以上のように考えていたわけだが、2月6日付けのヒンドゥスターン紙リミックスに、個人的に衝撃的な記事が載っていた。題名は「बदल रही है लड़कियों की जुबान(変わりつつある女性の言語)」。都市部の女性たちを中心に、ヒンディー語の女性形にも変化が表れつつあるらしい。具体的には、男性形の言い方をする女性が増えて来たというのだ。

 まず、誤解を避けるために、ヒンディー語において元々あった女性の男性化らしきものの例を2つ挙げておこうと思う。ひとつめは方言などによる文法性の欠如。東部ヒンディー語に分類されるボージプリー、マガヒー、マイティリーなどの方言には文法性がなく、文法上は女性も男性と同じ話し方になる。彼らが話す標準ヒンディー語も、時として文法性の区別がなくなる。また、ベンガリー語、オリヤー語など、文法性のない言語を母語とする人々もヒンディー語を話す際に文法性の区別を苦手とし、女性でも男性形で話してしまうことがある。もうひとつは、敬語の一種である男性化。ある女性を主語にした二人称または三人称の文で、敢えて男性複数形を使用することにより、最大限の尊敬を示していることになる。また、自分の娘や年下の女性に対して「बेटा(betā;息子よ)」または「बेटे(betī;息子よ)」と呼び掛けることも最大限の親愛の表示になる。なぜか?それは、インドでは女性よりも男性の方が地位が高いからである。それと関連して、伝統的に女児よりも男児の方が歓迎されるし、愛情を注がれる。よって、第三者の女性を敢えて男性扱いすることは尊敬につながるし、娘や年下の女性を、娘としてではなく息子として扱うことも親愛の印となるのである。

 当然、ヒンディー語の最近の変化は上の2つの例とは別のものである。

 記事には、9年生(日本の中学3年生)のミーシャーの使う言葉が例として載っていた。「मैं जा रहा हूँ」「बड़ा होकर मैं खूब पैसे कमाऊँगा」「मैं किसी से नहीं डरता」などである。もしこれらが男性によって発せられた言葉で特に何の文脈もないなら、普通に「私はもう行きます」「大きくなったらたくさんお金を稼ぎます」「私は何も恐れません」と中立的に訳すところだが、女性が発した男言葉の文章なので、敢えて「俺、もう行くよ」「大きくなったら金を稼ぎまくるぜ」「俺は何も怖くねぇよ」と訳さざるをえない。学生だけでなく、オフィスで働く女性の間にも、男性形を使って話す女性の数が増えているという。

 ただ、どのような状況で男言葉を使うのかについては、人によって異なるようだ。女性同士で話している間は普通に女言葉で話すのに、男性の前では見くびられないように男言葉を使う、という女性もいれば、女性同士で話しているときまでも男言葉を使うという女性もいる。しかし僕は今までそのような女性とは会ったことがない。少なくとも今まで気付かなかった。だが、周囲の友人に聞いてみたら、「そういう人を知っている」という人がいた。新聞の記事はどうやら全くのデタラメではなさそうだ。

 確かにヒンディー語の女性形には、小さくてかわいらしいイメージが付きまとう。例えば「蟻」という意味の「चींटा(chīntā)」と「चींटी(chīntī)」という単語がある。語の構造はほとんど同じで、意味もほとんど同じだが、語末が「ā」なのか「ī」なのかで、名詞の性とニュアンスが変わってくる。前者は男性名詞、後者は女性名詞であるが、男性名詞の方は「大きい蟻」であり、女性名詞の方は「小さい蟻」になる。語末の「ī」は、ヒンディー語文法では女性性を示す重要な要素で、動詞や形容詞の性変化でも出て来る。上でミーシャーが話す男言葉の文章を女性形に直すと、以下のようになる。
मैं जा रहा हूँ। → मैं जा रही हूँ।
main jā rahā hūn → main jā rahī hūn
マェン ジャー ラハー フーン → マェン ジャー ラヒー フーン

बड़ा होकर मैं खूब पैसे कमाऊँगा। → बड़ी होकर मैं खूब पैसे कमाऊँगी।
barā hokar main khūb paise kamāūngā → barī hokar main khūb paise kamāūngī
バラー ホーカル マェン クーブ パイセー カマーウーンガー → バリー ホーカル マェン クーブ パイセー カマーウーンギー

मैं किसी से नहीं डरता। → मैं किसी से नहीं डरती।
main kisī se nahīn dartā →  main kisī se nahīn dartī
マェン キスィー セ ナヒーン ダルター → マェン キスィー セ ナヒーン ダルティー
 進行形を表す助動詞「रहा(rahā)」が「रही(rahī)」に、「大きい」という意味の形容詞「बड़ा(barā)」が「बड़ी(barī)」に、「稼ぐ」という意味の動詞「कमाऊँगा(kamāūngā)」が「कमाऊँगी(kamāūngī)」に、「恐れる」という意味の動詞「डरता(dartā)」が「डरती(dartī)」になる。きっとヒンディー語話者の心理の中で、「イー、イー」と女性形を使うことで自分が小さく見えてしまうような感覚があるのだろう。女性が敢えて男性形を使うのは、男性と同等またはそれ以上の仕事をすることができるという自信の表れや、男性社会に対する挑戦と受け取ることができる。記事ではその理由について、「女性は自分を男性だと証明したいのだろうか、それとも、女性であることの重荷から解放されたいと思っているのだろうか?マーケットのプレッシャーによるものと言うべきか、それとも、モダンさの見せびらかしだろうか?」と推測を並べ、最後に「現代の女性は、男女同権を獲得するためのどんな機会も見逃さないようにしている。だから彼女たちの言語も変わっている」と結論付けている。

 もちろん、女性の社会進出や地位向上が、女性が女性形を使ってしゃべることを避ける最大の要因なのだろうが、もうひとつ考えられるのは英語の影響である。英語は文法性がほとんどない言語だ。男女間で単語の微妙な使い分けはあるようだが、文法的に男女の区別が示されるのは、三人称単数代名詞「he」と「she」とその格変化形ぐらいである。脳の中で言語を司る部分を言語野と言うが、幼い頃から英語教育を受けてくると、言語野の男女の文法性を区別する部分が発達しなくなるのではないかと思われる。それは冗談だとしても、母語以外の言語を学び過ぎると、その言語の特徴が母語を話しているときも出てしまうことはよくある。例えば、日本語は二人称をあまり使わない言語だと思うが、英語のように主語を明示する言語が頭にこびりつくと、日本語でも二人称を多用するようになってしまうような気がする。また、ヒンディー語は、英語の関係代名詞「that」と似た用法の「कि(ki)」(ウルドゥー語だと「کہ(ke)」)がいろいろな形で使えてとても便利な言語だと思うのだが、これを使い慣れると、日本語を話しているときに前置きが多い話し方になるような気がする。都市部の英語教育を受けて来た女性たちが、英語の文法に影響され、または英文法の男女平等の考え方そのものに影響を受け、女性形を否定して男性形で話し始めていると考えられなくもない。日本で女性が男言葉を使うようになった理由に英語の直接的な影響を挙げることはできないが、英語が日常生活に浸透しているインドの都市部なら、それは十分ありうる。

 その他、ウィキペディアの若者言葉の項に、以下のようなことが書いてあって興味深かった。
 その他にも最近の若者女性は、おすぎ、ピーコ、KABAちゃん、山咲トオル、坂本ちゃん、ピーター、美川憲一、など、テレビに男性同性愛者(またはそれに準じた、いわゆるオネエキャラクターも含む)タレントの出る機会が増えたので、従来の女性語を「これはオネエ言葉だ」と考えてしまう女子が増えたようでもある。
 つまり、日本で女性が男言葉を使うようになった一因として、オカマ芸能人が女っぽさを出すために好んで大袈裟な女言葉を使うようになり、本当の女性がそれらの言葉を敬遠するようになったというのである。そういえばインドの映画界・TV界でもオカマであることを売り物にした俳優やタレントをよく目にするようになった。昔から映画にオカマ役はあったが、大体の場合コメディアンがオカマを演じていた。だが、最近は本物のオカマがオカマ役として登場するようになっている。それがインド人女性のヒンディー語に影響を与えているとしたら面白い。

 今までのヒンディー語の実用的用法における、尊敬や親愛の情を示すために女性を敢えて男性扱いする現象は、男尊女卑社会の反映に他ならなかった。だが、どうやら現代ヒンディー語の男性化現象は、男女同権時代の幕開けを示すものと言ってよさそうだ。もちろん、正規の文法では女性形は残って行くだろうが、口語で女性が一人称で女性形を用いているのを聞く機会は徐々に減って行くのかもしれない。

2月8日(金) Mithya

 2008年もはや1ヶ月が過ぎ去った。1月最終週に公開されたコメディー映画「Sunday」がそこそこ健闘しそうだが、今年のヒンディー語映画でヒットの評価が与えられている映画はまだない。その代わり、昨年末に公開された「Taare Zameen Par」と「Welcome」が大ヒットとなっており、まだ上映が続いている。今週は2本の新作映画が公開された。「Mithya」と「Super Star」である。今日は前評判の高い「Mithya」を見に行った。



題名:Mithya
読み:ミッティヤー
意味:嘘の
邦題:フー・アム・アイ?

監督:ラジャト・カプール
制作:アリンダム・チャウドリー
音楽:サーガル・デーサーイー
出演:ランヴィール・シャウリー、ネーハー・ドゥーピヤー、ナスィールッディーン・シャー、ヴィナイ・パータク、サウラヴ・シュクラ
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

左から、ナスィールッディーン・シャー、
ランヴィール・シャウリー、ヴィナイ・パータク

あらすじ
 映画俳優になることを夢見てデリーからムンバイーで出て来たVK(ランヴィール・シャウリー)は、なかなか成功を掴むことができず、苦悶の毎日を送っていた。ある日、彼は偶然ライバルマフィア同士の銃撃戦現場に居合わせてしまう。VKは目撃者として警察署へ行くが、マフィアによってマークされ、やがて拉致されてしまう。VKは海に沈められるところだったが、思わぬ特徴が彼の命を救う。それは、彼の顔が、ライバルマフィアのドン、ラージュー(ランヴィール・シャウリー)にそっくりなことだった。

 ラージューを追い落としてムンバイーの全権を掌握することを望むマフィア(ナスィールッディーン・シャー、ヴィナイ・パータク、サウラヴ・シュクラなど)は、VKを訓練して言動までラージューの真似をさせる。また、マフィアの愛人ソーナム(ネーハー・ドゥーピヤー)はVKの世話をする内に彼と心を通わすようになる。

 決行の日が来た。彼らは予めライバルマフィアに送り込んでいた内偵の力を借りてラージューを暗殺し、VKをラージューの代わりにする。ラージューの部下たちや家族はドンが入れ替わったことに気付かなかった。だが、VKは次第に演技力の限界を感じ始める。

 そんなとき、VKは事故で高所から落ち、頭を強く打って記憶喪失になってしまう。次第に記憶が戻って来たが、VKは自分のことをラージューと思い込むようになる。VKを送り込んだマフィアは、VKから連絡がないことに焦り始め、頻繁にVKを呼び出す。だが、VKは自分のマフィアに裏切り者がいると考え、彼を殺してしまう。VKを送り込んだマフィアは怒って、ラージューの死体を掘り起こし、ライバルマフィアへ送りつける。既にラージューは死に、現在ラージューを演じているのはただの俳優であることが分かると、ラージューの部下たちはVKをリンチして放り出す。VKは何が何だか分からないままムンバイーの街を放浪する。

 ソーナムはVKを見つけ出し、彼に本当のことを話す。だが、VKはなかなかその話を信じることができなかった。彼にはソーナムの名前も記憶になかった。ソーナムも敢えて彼に自分の名前を教えない。

 VKは最後にラージューの子供たちと会ってムンバイーを去ろうとする。だが、ライバルマフィアたちはVKがラージューの子供を誘拐したと考え、報復に出る。VKを送り込んだマフィアも、ソーナムの裏切りを知って彼女を探し始める。VKとソーナムは一緒にいるところをマフィアに見つけられるが、その内の1人を殺し、逃げ出す。だが、最後には捕まり、2人とも殺されてしまう。しかし、死ぬ直前、VKはソーナムの名前を思い出し、彼女の名前を叫んで絶命する。

 マフィアのドンをそっくりさんと入れ替えるというプロットは、言うまでもなく大ヒット娯楽映画「Don」(1978/2006)を想起させるが、入れ替わってからは主人公は本当に記憶喪失となってしまい、そこから異なる展開を見せる。しかし、それが必ずしも映画を面白くしていたわけではなく、そこそこの映画にまとまっていただけであった。ラジャト・カプール、ランヴィール・シャウリー、ナスィールッディーン・シャーなど、才能ある顔ぶれが揃っているだけに、どうしても最高の作品を求めてしまう。その期待には残念ながら応えることができないだろう。

 この映画の最大の見所は、偽者のドンが記憶喪失をきっかけにして自分を本物だと勘違いするというアイデンティティーの混乱だろう。俳優VKとしての自分と、マフィアのドン、ラージューとしての自分のどちらを本当の自分として受け入れたらいいのか分からなくなる苦悩が映画の核だ。VKにはソーナムという恋人がおり、ラージューにはかわいい子供たちがいる。ソーナムから真実を聞かされても、彼はどうしても子供たちを手放すことができない。それが結局命取りとなり、最後にVKもソーナムも殺されてしまう。インド映画には珍しいアンハッピーエンドの作品である。しかし、最後にソーナムの名前を思い出したことで、ラブストーリーとしてはかろうじて後味が悪くならないようにされていた。だが、その展開は容易に予想できたものであり、むしろそのような陳腐な形で終わってしまったことを残念に思った。

 面白かったのは、全体的にダークな展開ながら、コメディーのスパイスが散りばめられていたことである。大爆笑とはいかないまでも、かみ殺した笑いを漏らしたくなるようなブラックジョークが多く、悲劇と喜劇のバランスが保たれていた。それはこの映画の成功した点だと言える。

 主演のランヴィール・シャウリーは演技力のある男優だが、マフィアのドンのようなシリアスな役向きではない。それでも、実際のマフィアのドンとしての登場シーンは少なく、VKがなりすますラージューのシーンばかりだったので、何とか演技力でカバーできていたと思う。ナスィールッディーン・シャーは案外出番が限られていたが、要所要所で渋い演技を見せていた。むしろヴィナイ・パータクの見事なマフィア振りの方が目立ち、彼の演技の幅の広さを思い知らされた。

 ヒロインのネーハー・ドゥーピヤーは、2002年のミス・インディアだが、女優としては伸び悩んでいる。「Mithya」の中の彼女は頑張った部類に入るが、彼女のキャリアのターニングポイントとなるだけのインパクトはない。まだ下積みの時代が続きそうだ。一度思い切って完全な娯楽路線に走った方がいいのではないかと感じる。

 「Mithya」は、監督や俳優に才能ある名前が見られるが、内容は高い期待には応えられない程度のものである。無理に見る必要はない。

2月12日(火) Super Star

 ボリウッドでは時々起こることなのだが、どうも全く同日に似たような映画が公開されてしまったようである。「Mithya」と「Super Star」だ。狙ってやっているのか、それとも完全な偶然なのかは分からないが、その味付けや結末は全く異なる。先日は「Mithya」を見たが、今日は「Super Star」を見た。



題名:Super Star
読み:スーパー・スター
意味:スーパースター
邦題:スーパースター

監督:ローヒト・ジュグラージ
制作:シュリー・アシュタヴィナーヤク・シネ・ヴィジョン
音楽:シャミール・タンダン
作詞:シャッビール・アハマド
出演:クナール・ケームー、チューリップ・ジョーシー、オーシマー・サーニー、リーマー・ラーグー、シャラト・サクセーナー、ヴラジェーシュ・ヒジュリー、ダルシャン・ジャリーワーラー、サンジャイ・ダット(特別出演)
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

クナール・ケームー(左)とチューリップ・ジョーシー(右)

あらすじ
 クナール(クナール・ケームー)はスーパースターを夢見るジュニア・アーティストだった。父親(シャラト・サクセーナー)の説教に耐え、母親(リーマー・ラーグー)の愛情に励まされ、映画でエキストラとして戦ったり踊ったりしていた。クナールと同じマンションに住むマウサム(チューリップ・ジョーシー)とは幼馴染みで、お互い好意を持っていたが、2人とも思いを打ち明けたことはなかった。マウサムもクナールの夢を応援していた。

 ある日、クナールの写真が「未来のスーパースター」として新聞に掲載される。家族、隣人、友人は大興奮するが、クナールはそんな写真を撮った覚えがなく、プロダクションに確かめに行く。プロダクションの社長ミシュラー(ヴラジェーシュ・ヒジュリー)によると、新聞に載っているのは大プロデューサー、サクセーナー(ダルシャン・ジャリーワーラー)の息子で、この度大々的にデビューする新人男優カラン・サクセーナー(クナール・ケームー)であった。カランとクナールは全くの瓜二つであった。ミシュラーはクナールに物真似俳優になることを勧めるが、スーパースターになることを夢見ていたクナールにとってそれは受け入れがたいことであった。

 カラン主演の映画「Star」の撮影が開始された。共演のヒロインはバルカー(オーシマー・サーニー)という名で、早速2人は密接な関係となる。だが、カランには全く演技力がなく、真面目に演技に取り組もうともしなかった。サクセーナーは頭を抱える。それを見たミシュラーは、カランとそっくりの顔をしたクナールを代役として起用することを提案する。クナールはカランの代役としてほとんどのシーンで演技を行う。

 映画のロケがタイで行われることになり、クナールも行くことになった。最初はカランに対してそっけない態度を取っていたクナールであったが、タイで彼と話をする内に友情を感じ始める。カランも悪い人間ではなかった。ところが、カランとクナールがドライブをしていたときに大事故に遭ってしまう。クナールは何とか生き残ったが、カランは死んでしまう。

 サクセーナーは自身の資金に加えて投資家からの投資を受けて映画を制作していたため、今更映画制作を中止することはできなかった。サクセーナーはクナールに対し、映画が完成するまでカランを演じるように頼む。クナールも、カランの気持ちを尊重し、それを受け入れる。公には、クナールが死に、カランが生き残ったと発表された。

 ところが、クナールは次第にカランを演じることに苦痛を感じ始める。一度はサクセーナーにそのことを伝えるが、サクセーナーはクナールを脅迫し、カランを演じ続けることを強制する。だが、カランと恋仲にあったバルカーは、生き残ったのはカランではなくクナールであることを見抜いていた。バルカーは彼に、マウサムへの愛情を思い出させる。だが、サクセーナーは映画が完成した後もクナールにカランを演じ続けさせ、大儲けしようと企む。また、既にジャーナリストがカランの秘密を嗅ぎ付けていた。

 「Star」プレミア試写会の日。上映が終わった後、クナールは観客の前で、自分がカランではないことを明かし、嘘を付いて来たことを謝る。そして会場に来ていた両親と抱き合う。だが、複雑な感情に襲われたマウサムは逃げ出してしまう。クナールはマウサムを追いかけ、彼女に愛の告白をする。

 古典的「王様と乞食」のラインの映画だが、心に響くシーンや台詞で彩られ、後味のスッキリした娯楽映画に収まっていた。佳作と言える。レビューを見ると「Mithya」の方が一様に高い評価を得ているが、僕は「Super Star」の方が優れた映画に思えた。若手男優のクナール・ケームーがひとつ大きな階段を上った映画としても意義深い。

 ボリウッドでは、スター俳優や名の知れた脇役俳優以外で銀幕に登場する人々(エキストラ、バックダンサー、スタントマンなど)を総称してジュニア・アーティストと呼んでいる。2007年の大ヒット映画「Om Shanti Om」でシャールク・カーンが演じていたのもジュニア・アーティストであった。「Super Star」の主人公も、スーパースターを夢見るジュニア・アーティストであり、その点では「Om Shanti Om」と非常に似通っている。

 また、ボリウッドでは、1人の俳優が2人の役を演じることをダブルロールと呼ぶ。時にはダブルロールだけでなく、トリプルロールやそれ以上の数の役を1人の俳優が演じることもある。ダブルロールは、ボリウッドで俳優が一人前として認められる上で必ず通らなければならない道だと言われている。「Om Shanti Om」では、輪廻転生の概念を導入し、生まれ変わる前と後の役をシャールク・カーンがダブルロールで演じた。「Super Star」でも主演のクナール・ケームーがダブルロールに挑戦している。しかし、こちらは輪廻転生の結果生じたそっくりさんではなく、偶然のそっくりさんである。そういう意味では、「Don」(1978年/2006年)に近い。

 映画の感動は、主人公が夢と愛の板ばさみになることから来る。主な感動ポイントは2つ。まずは両親との再会のシーン。カランとしてタイから帰って来たクナールは、耐え切れなくなって自分の家に戻り、両親と再会する。両親はクナールは死んだと思っており、カラン(クナール)に対してクナールの思い出を語り始める。特に父親はいつもクナールに対して厳しい態度を取っていたが、カラン(クナール)の前で初めて息子への愛情を吐露する。クナールは耐え切れなくなって本当のことを明かそうとするが、タイミングが悪く、それは実現せずに終わる。ふたつめの感動ポイントはラストのシーンである。たとえ一度だけであっても、虚構であっても、スーパースターになるという夢を叶えることができたクナールは、主演映画のプレミア上映後、自ら正体を明かす。そのときのスピーチの内容はとても素晴らしいものであった。

 「Super Star」では、80年代から90年代にかけてのボリウッドの人気映画のパロディーや引用が多用されており、その頃のヒンディー語映画が好きな人はネタ元を探る楽しみ方のある映画でもあった。アミターブ・バッチャン、シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンなどの若い頃の映像が使われていた。

 主演のクナール・ケームーは元々子役として映画界に入り、「Kalyug」(2005年)で本格デビューした若手男優である。「Kalyug」の頃はまだ子役の雰囲気が抜けなかったが、「Traffic Signal」(2007年)で異色のヒーローを演じて人々に強い印象を焼き付けた。「Super Star」ではダブルロールもこなし、かなり風格が出て来た。1980年代生まれの若手男優の中では、着実にキャリアを積んでいる部類に含まれるだろう(他にはザイド・カーンやシャーヒド・カプールなど)。

 「Super Star」にはヒロインが2人出て来た。チューリップ・ジョーシーとオーシマー・サーニーである。2人ともミスコン落選という共通の過去を持っている上に、映画界でもあまりブレイク出来ていないという共通の悩める現在に直面している。スクリーン映りではチューリップの方がよかったが、演技力はオーシマーの方があった。だが、どちらも女優としても成功しなさそうだ。ヒロインがもっとオーラのある女優だったら、「Super Star」はもっとよくなっていたかもしれない。

 脇役では、ダルシャン・ジャリーワーラーやシャラト・サクセーナーなどが熱演しており、問題なかった。サンジャイ・ダットが突然、特別出演するので注目である。

 「Super Star」はヒロインも弱かったが、音楽も弱かった。映画界が舞台になっているので、自然と豪華絢爛なミュージカル・シーンを頻繁に挿入する口実も生まれるものだが、希薄な音楽と質素なダンスしか見せられず、欲求不満であった。

 「Super Star」は、「Om Shanti Om」と「Don」を足して2で割ったような映画と表現すれば安っぽいが、実際に見てみると、涙が流れるほど感動できるシーンがいくつかある佳作だということが分かるだろう。昔のボリウッド映画のパロディーを見るのも面白い。いくつか弱点はあるものの、見て損はない映画だと感じた。興行的に成功する可能性は低そうだが、今年のアルカカット賞(全然話題にならなかったが優れた作品)の候補としてマークしておきたい。

2月15日(金) Jodhaa Akbar

 2008年最初の期待作は何と言っても歴史ロマンス「Jodhaa Akbar」であった。当初は2007年公開予定だったが、度々公開日が延期され、結局ヴァレンタインデー・シーズンに全世界一斉公開されることになった。26ヶ国1500スクリーン一斉公開はインド映画史上最大の規模とのことである。ただし、ラージャスターン州のラージプート団体が映画制作者に対し、「歴史の歪曲がある」と抗議を続けている影響で、ラージャスターン州での公開は見送られた。映画が一般の人々の歴史認識に及ぼす影響は大きいが、映画と歴史を混同する人々が未だに多いのは残念なことである。



題名:Jodhaa Akbar
読み:ジョーダー・アクバル
意味:ジョーダーとアクバル(ともに人名)
邦題:ジョーダー・アクバル

監督:アーシュトーシュ・ゴーワーリーカル
制作:ロニー・スクリューワーラー、アーシュトーシュ・ゴーワーリーカル
音楽:ARレヘマーン
作詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:チンニー・プラカーシュ、レーカー・プラカーシュ、ラージュー・カーン
衣装:ニーター・ルッラー
出演:リティク・ローシャン、アイシュワリヤー・ラーイ、クルブーシャン・カルバンダー、スハースィニー・ムーレー、イーラー・アルン、ソーヌー・スード、ディグヴィジャイ・プローヒト、シャージー・チャウドリー、ニキティン・ディール、プーナムSスィナー(特別出演)、アミターブ・バッチャン(ナレーション)
備考:PVRベンガルールで鑑賞。

リティク・ローシャン(左)とアイシュワリヤー・ラーイ(右)

あらすじ
 ムガル朝第2代皇帝フマーユーンの死後、1556年に即位したジャラールッディーンは13歳だった。将軍バイラム・カーンの庇護の下、ジャラールッディーンは混乱に乗じてデリーとアーグラーを占領したへームーを第二次パーニーパトの戦いで破る。以後、ジャラールッディーンとバイラム・カーンは戦役を重ね、支配領域を拡大して行く。立派な若者に成長したジャラールッディーン(リティク・ローシャン)はムガル朝の事実上の支配者であったバイラム・カーンを追放し、皇帝として自立を始めるが、乳母マーハム・アンガー(イーラー・アルン)やその息子アドハム・カーン(シャージー・チャウドリー)には逆らえず、まだ完全に実権を掌握していなかった。

 ムガル朝の勢力拡大により、ラージプーターナー(≒現ラージャスターン州)のラージプート諸侯の間では危機感が募っていた。アーメール王国のマハーラージャー、バールマル(クルブーシャン・カルバンダー)は、ムガル朝と手を結ぶことを考える。だが、他の諸侯はそれに反対する。バールマルの娘ジョーダー(アイシュワリヤー・ラーイ)の結婚は、アジャブガル王国の王子ラタン・スィンと決まっていたが、ムガル朝との同盟が原因で破談になってしまう。代わりにバールマルはジャラールッディーンに会い、ジョーダーと結婚するように要請する。ジャラールッディーンもそれを承諾する。

 ジャラールッディーンとジョーダーの結婚式が行われた。だが、ジョーダーはこの政略結婚を認めていなかった。ジョーダーはジャラールッディーンに、結婚のために2つの条件を出す。ひとつは、結婚後も改宗を強要されないこと、もうひとつは、宮殿にクリシュナ寺院を作ることであった。ジャラールッディーンは2つの条件を快諾する。だが、それでもジョーダーはジャラールッディーンを受け入れようとせず、2人が一緒に寝ることはなかった。

 ジョーダーはアーグラー城に入城した。早速マーハム・アンガーからのいじめに遭うが、徐々にジャラールッディーンとの信頼関係を築いて行く。マーハム・アンガーの策略によって一度は実家に帰されてしまうが、間違いに気付いたジャラールッディーンは彼女を迎えにアーメールまで訪れる。ジョーダーはすぐには帰ろうとしなかったが、ジャラールッディーンはいずれ帰って来てくれることを確信し、アーグラーへ帰る。また、この頃、宰相アトガー・カーンを暗殺し、ハーレムで狼藉を働いたアドハム・カーンをジャラールッディーンは殺し、実権を完全に掌握する。それだけでなく、身分を隠して市場を散歩し、ヒンドゥーの民がムガルを外来の支配者としか考えていないことに気付く。ジャラールッディーンはヒンドゥー教徒巡礼者に課せられる税を免除し、彼らの心も勝ち取る。すぐにジョーダーもアーグラーに戻って来る。ジャラールッディーンは民から「アクバル」の称号を得る。

 しかし、アクバルは暗殺者によって毒矢を射掛けられ、瀕死の重傷を負う。一命を取り留めたアクバルは、ジョーダーに改めて愛の告白をする。

 暗殺者は、実はアクバルの妹の夫シャリーフッディーン・フサイン(ニキティン・ディール)によって送り込まれた者だった。シャリーフッディーンはインドの支配者になることを望んでおり、アクバルを暗殺しようとしたのだった。シャリーフッディーンは、アーメールの王位を追われたスージャーマル王子と共にアーメールへ進撃する。だが、アクバルも迅速に軍を動かし、シャリーフッディーンと対峙する。スージャーマル王子はシャリーフッディーンがアクバルにまたも刺客を送り込んだばかりか、自分をも暗殺しようとしていることを知り、アクバル側に寝返るが、その際に矢を受け、瀕死の状態となる。スージャーマルはアクバルに刺客のことを伝え、刺客は取り押さえられるが、スージャーマルは絶命してしまう。その場にはジョーダーも駆けつける。ジョーダーとスージャーマルは従兄妹の関係にあり、お互い親しみ合っていた仲であった。

 いよいよ決戦のときが来る。アクバルは内輪もめによる兵力の疲弊を嫌い、講和を呼び掛ける。それに対しシャリーフッディーンは一騎打ちによる決着を申し出る。アクバルとシャリーフッディーンは両軍が見守る中死闘を繰り広げる。最後にアクバルがシャリーフッディーンを圧倒するが、命までは取らず、反乱を起こしたことを許す。

 アーグラーに戻ったアクバルは、ジョーダーがインドの王妃であることを改めて宣言し、ヒンドゥーとムスリムの調和を国家の政策として打ち出す。

 3時間20分の大作。モダンな風貌のリティク・ローシャンがアクバルを演じ切れるかどうか、美貌先行型のアイシュワリヤー・ラーイが勇猛果敢なラージプートの姫に適しているかどうか、どこまで歴史にフィクションを持ち込めるか、音楽がパワー不足なのではないかなど、多くの疑問を持ちながらの鑑賞だったが、全体として十分楽しめる作品に仕上がっていて安心した。前半は退屈なシーンも散見されるのだが、後半の盛り上がりはそれを補って余りある。同じくアクバルを主人公に据えた伝説的傑作「Mughal-e-Azam」(1960年)には到底及ばず、インド映画史の不朽の名作に数えられるまでには至らないだろうが、2008年を代表するボリウッド映画の1本になることは確実だろう。

 アーシュトーシュ・ゴーワーリーカル監督も明言しているが、「Jodhaa Akbar」は歴史を忠実になぞった映画ではない。歴史を題材にした空想のロマンス映画である。まずはこの点を理解しておかなければならない。「Mughal-e-Azam」にもサリーム王子の母親としてジョーダーは出て来るが、ジョーダーは実在の人物ではない。アクバルがアーメール王国の姫と結婚したのは事実だが、彼女の名前がジョーダーだという証拠はなく、むしろ事実誤認だと言える(ちなみにジャハーンギールの妻の名はジョーダーである)。アクバルが結婚したラージプートの姫の名前に関しては諸説あり、それは映画の冒頭にも表示される。どうしてジョーダーという名がアクバルの王妃として通用し始めたのか、それははっきりしない。だが、「Mughal-e-Azam」の影響なのか、民話として遥か昔から語り継がれているのか、だが、既に人々の心の中にジョーダーという存在がアクバルの妻として根付いているのは確かだ。「Jodhaa Akbar」はその国民的な記憶に基づいた映画だと言うことが出来る。

 「Mughal-e-Azam」はアクバルの晩年を描いた作品だが、「Jodhaa Akbar」はアクバルが即位したばかりの青年期を描いた作品である。弱冠13歳で即位したアクバルはまだ実権を掌握しておらず、ムガル朝の創始者バーバルや第2代皇帝フマーユーンの時代から付き従っていた重臣たち――バイラム・カーン、マーハム・アンガー、アドハム・カーン、アトガー・カーンなど――が実質的な支配者であった。だが、1560年から62年にかけて彼らが次々に死亡または失脚したことにより、アクバルは19歳にして帝国の全権掌握を成し遂げる。「Jodhaa Akbar」のストーリーは、このアクバル台頭の時代と重なっている。言わば、ジャラールッディーン(アクバルの本名)からアクバル(「偉大」という意味の称号)へ脱皮する期間の物語である。この辺の歴史をあらかじめ予習しておくと、映画にスッと入って行けるだろう。デリーにあるアドハム・カーンとアトガー・カーンの廟を取り上げた日記も参照していただきたい。

 だが、映画が最も丹念に描写していたのは、アクバルの政治家としての側面や歴史上実在の人物としての側面ではなく、1人の女性かつ妻であるジョーダーとの関係によって紡ぎ出される人間としての側面であった。つまりは恋愛である。アクバルとジョーダーが本当に心を通い合わせるまでの過程がじっくりと時間をかけて描写されており、とても好感が持てた。歴史映画は時として、「何年に何が起こった、何年に誰が死んだ」などと言った教科書的映画になってしまうことが多いのだが、そのような説明は序盤のみで、物語が軌道に乗った後は極力史実から離れ、2人の関係をクローズアップしていた。

 また、インド人も大好きな嫁姑ドラマの要素もあり、その点はとても分かりやすい。一応補足しておくと、アクバルの実の母親はハミーダー・バーヌーだが、フマーユーンがペルシアで亡命生活を送っていた期間、アクバルは両親とは離れ離れになり、乳母マーハム・アンガーによって育てられた。そのため、マーハム・アンガーはアクバルに対して実の母親以上の独占欲を持っており、アクバルも乳母には逆らえなかった。ハミーダー・バーヌーが嫁のジョーダーに対して優しく接するのに対し、マーハム・アンガーは姑として厳しく当たる。

 とは言っても、恋愛や嫁いじめのみを追及したただのロマンス映画ではない。ジョーダーとアクバルとの関係は、政治家アクバルに見事に反映されていた。アクバルは、なかなか心を開かないジョーダーに「あなたは勝つことは知っているが治めることは知らない」と言われ、ジョーダーの心を勝ち取るだけでなく、愛情と信頼を注ぐことに腐心する。それだけでなく、それをインドの統治にも当てはめ、彼は人民の本心を理解しようと試みる。その瞬間から、ジャラールッディーンはアクバルへと脱皮したのだった。

 また、イスラーム教徒のアクバルと、ヒンドゥー教徒のジョーダーの結婚は、そのまま宗教調和のメッセージである。ヒンドゥー教とイスラーム教の調和だけでなく、インドに生まれた者はインドが侵害されることに無言でいてはならず、インドのために団結して生きなければならないという国家統合のメッセージにもなっていた。

 リティク・ローシャンの演技は最高点を与えられるべきであろう。時代劇は言葉が難しく、モダンな役を演じることの多いリティクに務まるか不安だったが、その不安は見事に吹き飛ばされた。どうもデビュー作「Kaho Na... Pyaar Hai」(2000年)の頃からウルドゥー語の発音を訓練していたようで、「Jodha Akbar」でも綺麗で力強い台詞を話していた。得意のダンスを披露することはさすがになかったが(さもなくば日本公開時に「踊るムガル皇帝」と副題を付けられてしまう・・・!)、惜し気もなく肉体美を見せびらかしており、現代のボリウッドで最も完成した男優であることを無言で主張していた。象との格闘シーンが特に見所である。

 ヒロインのアイシュワリヤー・ラーイは、この映画の最大の懸念だったと言っていい。アイシュワリヤーは作品によってかなり雰囲気が変わるので、今回の彼女がどのように作品に作用するか、見ものであった。だが、勇猛果敢なラージプートの姫の役を気丈に演じ切っていた。リティクと剣を交えるシーンは、スリリングだったし、とても美しかった。また、一回実家に戻され、アクバルが謝りに来たときの夜、カーテンの向こうでアクバルの説得を無視して眠った振りをするジョーダーが見せる一瞬の笑み――笑みの寸前の笑みと表現しようか、笑みとも言えない笑みと言おうか――その表現が非常にうまかった。時々アイシュワリヤーの演技力を疑問視する人がいるのだが、あのような微妙な表情を作れるのは演技力がある証拠である。

 ほとんどリティクとアイシュワリヤーの独壇場であったが、脇役陣も重厚な演技をしており、映画を盛り上げていた。「Lagaan」(2001年)にも出演していたクルブーシャン・カルバンダーやスハースィニー・ムーレー以外、あまり聞いたことがない俳優が多かったものの、実力派揃いだと感じた。

 ハリウッド映画に比べると戦争シーンの迫力や臨場感は劣る。アーグラー城のセット(実地ロケではない)も安っぽい感じがした。だが、宮殿の内装は豪華絢爛で美しかった。ラージプート諸侯の城は実物が使われていた。リティク、アイシュワリヤーやその他の登場人物が着ていた衣装も節度を守った豪華さで素晴らしかった。数年前に公開されたムガル朝映画「Taj Mahal」(2005年)の衣装は奇抜すぎて「スターウォーズ」状態になっていたが、「Jodhaa Akbar」の衣装はより現実的だった。デザイナーはニーター・ルッラーである。

 音楽はARレヘマーンだが、「Jodhaa Akbar」の弱点のひとつに音楽が挙げられるだろう。「Azeem-o-Shaan Shahenshah」は行進曲風の勇壮な楽曲で素晴らしいが、それ以外のものは映画の雰囲気にそぐわなかった。敢えて一言言うならば、アジメールのチシュティー廟と関連した曲「Khwaja Mere Khwaja」をもっとカッワーリーっぽくして欲しかった。どうもレヘマーンは歴史映画ではなくロマンス映画というコンセプトで作曲したような感じがする。

 言語は難解である。アクバルをはじめとしたムガルはアラビア語・ペルシア語の語彙を多用しており、ジョーダーをはじめとしたラージプートはサンスクリット語の語彙を多用している。ヒンディー語の学習者はムガルの台詞を理解するのに苦労するはずだし、ウルドゥー語の学習者はラージプートの台詞に頭を悩ますだろう。同様の意味のことが両者の間で全く別の単語で表現されていたりした。ここまではっきりと語彙を分けてしまうことにも疑問を感じるが、ヒンディー語/ウルドゥー語の語彙の広がりを感じるにはいい映画だと思う。

 鳴り物入りで公開された歴史スペクタクル「Jodhaa Akbar」。3時間を越える上映時間、歴史の簡単な予習の必要性、難解な言語など、この映画を完全に楽しむにはいくつかハードルがあるが、もっとも重点が置かれているのは永遠のテーマ「恋愛」であり、万人が楽しめる娯楽大作になっている。特に後半の盛り上がりに期待である。

2月18日(月) 2007年ボリウッド映画界を振り返る

 いつの間にかフィルムフェア賞ノミネート作品が発表されていた。「これでインディア」では毎年この時期にノミネート作品を見ながら前年のボリウッドを概観する習慣になっている。一応受賞作品の予想もしているのだが、必ずしも優れた作品、優れた人物が受賞する訳でもなく、当たる可能性は低い。だが、めげずに受賞作の個人的な予想も添えながら、2007年のボリウッド映画界を振り返ってみよう。

 まずは2007年のまとめを自分の言葉でしたいと思う。ボリウッドの2007年は末広がりの年であった。上半期は失敗作が目立ったが、下半期にはヒット作に恵まれた。2007年公開のヒンディー語映画(英語映画とヒングリッシュ映画を除く)の中から、平均以上の興行収入を上げたものをリストアップした(参考:Boxofficeindia.com)。ヒットの度合いは、ブロックバスター>スーパーヒット>ヒット>セミヒット>平均以上>平均となる。

映画名 ステータス
1月 Guru ヒット
2月 Honeymoon Travels Pvt Ltd. 平均
3月 Namastey London ヒット
4月 Ta Ra Rum Pum セミヒット
5月 Life In A... Metro セミヒット
Cheeni Kum 平均以上
Shootout at Lokhandwala セミヒット
6月 Aap Kaa Surroor ヒット
Apne セミヒット
7月 Partner ブロックバスター
8月 Chak De! India ブロックバスター
Heyy Babyy スーパーヒット
9月 Dhamaal セミヒット
Dhol 平均
10月 Bhool Bhulaiyaa スーパーヒット
Jab We Met スーパーヒット
11月 Om Shanti Om ブロックバスター
12月 Taare Zameen Par スーパーヒット
Welcome ブロックバスター

 2007年のブロックバスター&スーパーヒット作品は8本。全て7月以降公開の作品であり、それだけでも下半期の潤いが分かる。ジャンル別に見ると、もっとも元気だったのはコメディー映画。「Partner」、「Heyy Babyy」、「Dhamaal」、「Dhol」、「Bhool Bhulaiyaa」、「Welcome」など、ヒットチャートを専有している。この中では「Partner」を特に推したい。ゴーヴィンダーから目が離せない傑作コメディー映画である。

 2007年のヒンディー語映画で特徴的だったのは、スポーツを題材にした映画が多かったことである。しかも面白いことに、クリケット王国のインドにおいて、クリケット以外のスポーツ映画が脚光を浴びた。モーターレースの「Ta Ra Rum Pum」、ボクシングの「Apne」、女子ホッケーの「Chak De! India」、サッカーの「Dhan Dhana Dhan Goal」などである。特に「Chak De! India」の「Chak De!(頑張れ!)」は、2007年のインドの合言葉となった。もちろん、クリケットを直接的・間接的に題材にした映画も、3月~4月に開催されたクリケットのワールドカップに合わせて数本公開されたが、インド代表の屈辱的予選落ちとシンクロするように、低予算ヒングリッシュ映画「Bheja Fry」以外は全てフロップに終わった。インド代表が早々に散ってしまったため、手持ち無沙汰になったインド人たちが、同時期に上映されていた愛国的ラブコメ映画「Namastey London」に流れ、意外なヒットを生み出したのも面白い現象であった。

 アニメ、実写をひっくるめて、子供向け映画が多かったのも2007年のボリウッドの特徴だと言える。「Chain Kulii Ki Main Kulii」、「My Friend Ganesha」、「Blue Umbrella」、「Bal Ganesh」、「Nanhe Jaisalmer」、「Return of Hanuman」などがその例だ。だが、子供向け映画の潮流は、失読症の子供を題材にした全年齢向け映画「Taare Zameen Par」でクライマックスを迎えた。

 「Blue Umbrella」はラスキン・ボンド原作だが、著名な作家の作品を原作にした映画が多かったのも2007年の特徴だ。ウラジミール・ナボコフ著「Lolita」原作の「Nishabd」、ジュンパー・ラーヒリー著同名作品原作の「The Namesake」、ドストエフスキー著「白夜」原作の「Saawariya」などである。

 これは2007年に始まったことではないが、オムニバス形式の映画が多かったのもひとつの特徴と言える。独立したストーリーを複数集めた作品から、いわゆるグランドホテル様式と言われる作品まで、試行錯誤が見られた。その中で最高の輝きを放っていたのは「Life In A... Metro」。「Honeymoon Travels Pvt Ltd.」も低予算だったのが幸いし、利益を上げた。他の「Salaam-e-Ishq」、「Life Mein Kabhie Kabhiee」、「Dus Kahaniyaan」などは失敗に終わった。

 逆にこれは2007年の後半に入って始まった傾向だが、ボリウッドがボリウッドそのものを映画の題材とするのが流行しつつある。「Om Shanti Om」や「Khoya Khoya Chand」がその例で、2008年に入っても「Super Star」にその傾向が見られる。このような映画は、昔のボリウッド映画をよく見ていると十二分に楽しめる。

 2007年には過去のヒット作のリメイクも数本あった。最も期待されていたのは「Ram Gopal Varma Ki Aag」だが、これは2007年最大の失敗作となってしまった。他に「Victoria No.203」や、1957年の「Naya Daur」のカラー化作品などが公開された。

 実際に起こった事件の真相に迫った映画も数本公開された。2002年のグジャラート暴動を題材にした「Parzania」、1993年のムンバイー同時爆破テロを題材にした「Black Friday」などである。また、家庭内暴力を扱った「Provoked」、寡婦問題を扱った「Water」、ガーンディーの息子の悲劇的人生を扱った「Gandhi My Fater」、知的障害児を扱った「Apna Asmaan」など、シリアスな映画でも佳作が目立った。

 俳優別に見てもいくつか面白い事実が浮かび上がる。まず、2007年に株を上げた俳優を見てみよう。シャールク・カーンは「Chak De! India」と「Om Shanti Om」の2本に主演し、「Heyy Babyy」に特別出演したが、3本とも大ヒットを記録し、キング・カーンの地位を改めて不動のものとした。アクシャイ・クマールも、「Namastey London」、「Heyy Babyy」、「Bhool Bhulaiyaa」、「Welcome」と主演作4本を大ヒットさせ、ボリウッドのスーパースターの地位に躍り出た。女優では、「Partner」と「Namastey London」に出演したカトリーナ・カイフ、「Guru」、「Heyy Babyy」、「Bhool Bhulaiyaa」に出演したヴィディヤー・バーランなどの若手女優の台頭の年となった。

 一方、大御所と呼ばれる俳優の多くにとって、2007年は外れ年だった。最も付いていなかったのはアミターブ・バッチャン。「Eklavya」、「Nishabd」、「Jhoom Barabar Jhoom」、「Ram Gopal Varma Ki Aag」など、出る映画出る映画失敗に終わった。プリーティ・ズィンターやラーニー・ムカルジーもパッとしなかった。サルマーン・カーンは「Partner」を大ヒットさせたものの、英語映画デビュー作「Marigold」は大失敗に終わった。

 2007年のボリウッド最大のゴシップと言えば、アビシェーク・バッチャンとアイシュワリヤー・ラーイの結婚であろう。2人の共演作は2006年後半に2本続けて公開されたが、どちらも問題があり、きれいに受け入れられなかった。だが、2007年に入って公開された「Guru」は文句なしのヒットとなり、その直後に結婚が正式に発表された。アイシュワリヤー主演の英語映画「Provoked」も話題になった。結婚するカップルもいれば別れるカップルもいるわけで、2007年最大のブレイクアップは、シャーヒド・カプールとカリーナー・カプールとなった。皮肉なことに、2人が共演し、キスシーンまで披露した「Jab We Met」は大ヒットとなっている。シャーヒドと別れたカリーナーは現在サイフ・アリー・カーンと付き合っている。

 2007年は数々の新人俳優がデビューした年でもあった。「I See You」のヴィパーシャー・アガルワール、「Nishabd」のジヤー・カーン、「Johnny Gaddar」のニール・ムケーシュ、「Om Shanti Om」のディーピカー・パードゥコーン、「Saawariya」のランビール・カプールとソーナム・カプールなどである。だが、新人賞はディーピカー・パードゥコーンが最有力だ。

 2007年はカムバックの年でもあった。政界入りして以来、俳優としてのキャリアに急ブレーキがかかったゴーヴィンダーであったが、「Partner」の大ヒットで再び自信を取り戻した。往年の名優ダルメーンドラも「Apne」のヒットによって完全にカムバックを果たした。だが、何と言っても最大の話題となったのは、「Aaja Nachle」で5年振りにカムバックしたマードゥリー・ディークシトであろう。だが、結婚した女優の宿命か、同作品は観客に受け入れられなかった。

 では、ノミネート作品を見ていこう。

Best Fim
作品賞
Chak De! India
Guru
Jab We Met
Om Shanti Om
Taare Zameen Par

 非常に順当な結果である。この5本を見ておけば、とりあえず2007年のボリウッドを押さえたことになるだろう。受賞作品の予想は困難だが、娯楽映画としては「Om Shanti Om」が強く、メッセージ性のある映画としては、「Taare Zameen Par」と「Chak De! India」が強い。シャールク・カーンとアーミル・カーンの戦いとなるだろう。

Best Director
監督賞
アーミル・カーン Taare Zameen Par
アヌラーグ・バス Life In A... Metro
ファラー・カーン Om Shanti Om
イムティヤーズ・アリー Jab We Met
マニ・ラトナム Guru
シーミト・アミーン Chak De! India

 作品賞にノミネートされた5本の映画に「Life In A... Metro」が加わった。同作品も2007年の傑作の1本であった。監督賞では、マニ・ラトナムも有力だ。アーミル・カーンか、ファラー・カーンか、マニ・ラトナム。三つ巴の戦いとなるのは必至である。作品賞とは別の作品が監督賞を受賞し、バランスが取られそうだ。

Best Actor
男優賞
アビシェーク・バッチャン Guru
アクシャイ・クマール Namastey London
ダルシール・サファーリー Taare Zameen Par
シャールク・カーン Chak De! India
シャールク・カーン Om Shanti Om
シャーヒド・カプール Jab We Met

 注目は「Taare Zameen Par」の子役ダルシール・サファーリーがノミネートされていること。彼が受賞することはないだろうが、ノミネートされて然るべき名演であった。シャールク・カーンは2作品でノミネート。特に「Chak De! India」のシャールクが主演男優賞最有力候補である。大穴はアビシェーク・バッチャン。「Guru」で1人の人間の青年期から老年期を演じ切ったことは高く評価されるべきだ。

Best Actress
女優賞
アイシュワリヤー・ラーイ Guru
ディーピカー・パードゥコーン Om Shanti Om
カリーナー・カプール Jab We Met
マードゥリー・ディークシト Aaja Nachle
ラーニー・ムカルジー Laaga Chunari Mein Daag
ヴィディヤー・バーラン Bhool Bhulaiyaa

 「Guru」のアイシュワリヤー・ラーイが最有力。「Om Shanti Om」でデビューしたディーピカー・パードゥコーンが早くもノミネートされているのは驚きだが、突然主演女優賞を受賞することはなさそうだ。「Jab We Met」のカリーナー・カプールは素晴らしかったが、受賞に至るような種類の演技ではなかった。マードゥリー・ディークシト、ラーニー・ムカルジー、ヴィディヤー・バーランも同様の理由で賞には適していない。やはりアイシュワリヤーになるのではないだろうか?

Best Actor In A Supporting Role
助演男優賞
アーミル・カーン Taare Zameen Par
アニル・カプール Welcome
イルファーン・カーン Life In A... Metro
ミトゥン・チャクラボルティー Guru
シュレーヤス・タルパデー Om Shanti Om

 真っ先に「Welcome」のアニル・カプールは外れるだろう。「Life In A... Metro」のイルファーン・カーンや「Guru」のミトゥン・チャクラボルティーも外れそうだ。そうなると、「Taare Zameen Par」のアーミル・カーンか、「Om Shanti Om」のシュレーヤス・タルパデーになるが、アーミル・カーンが貫禄勝ちしそうである。

Best Actress In A Supporting Role
助演女優賞
コーンコナー・セーンシャルマー Life In A... Metro
コーンコナー・セーンシャルマー Laaga Chunari Mein Daag
ラーニー・ムカルジー Saawariya
シルパー・シュクラ Chak De! India
ティスコ・チョープラー Taare Zameen Par

 コーンコナー・セーンシャルマーが「Life In A... Metro」と「Laaga Chunari Mein Daag」の2作品でダブルノミネート。強力なライバルがいないので、彼女が受賞しそうだ。「Life In A... Metro」で受賞する可能性が高い。「Saawariya」のラーニー・ムカルジーは特に傑出していたわけではなかった。シルパー・シュクラは「Chak De! India」でキャプテンを務めていた女の子である。ティスコ・チョープラーは「Taare Zameen Par」でお母さん役を演じていた女優だ。

 毎年他の候補と同時に発表されているコメディアン賞と悪役賞のノミネートのリストは手に入らなかった。

Best Music Director
音楽監督賞
ARレヘマーン Guru
モンティー・シャルマー Saawariya
プリータム Jab We Met
プリータム Life In A... Metro
ヴィシャール・シェーカル Om Shanti Om

 振り返ってみると2007年の映画音楽は傑作揃いであった。ノミネート5作品を見ると、名前を見ただけでメロディーが口から溢れ出てくるものばかりである。これらのサントラは買いだ。プリータムが「Jab We Met」と「Life In A... Metro」の2作品でノミネートされているが、最有力候補は「Guru」のARレヘマーンだろう。だが、「Saawariya」も「Om Shanti Om」も捨てがたい。誰が受賞してもおかしくなさそうだ。

Best Lyricist
作詞賞
グルザール Tere Bina(Guru)
ジャーヴェード・アクタル Main Agar Kahoon(Om Shanti Om)
プラスーン・ジョーシー Maa(Tare Zameen Par)
サミール Jab Se Tere Naina(Saawariya)
ヴィシャール・ダードラーニー Ajab Si(Om Shanti Om)

 例年、作詞家賞はグルザールとジャーヴェード・アクタルの寡占状態なのだが、今年はバラエティーに富んでいる。全ていい曲なので甲乙付けがたいのだが、有力なのはやっぱりこの2人になるだろうか。

Best Playback Singer(Male)
プレイバック・シンガー賞(男性)
ARレヘマーン Tere Bina(Guru)
KK Ajab Si(Om Shanti Om)
シャーン Jab Se Tere Naina(Saawariya)
ソーヌー・ニガム Main Agar Kahoon(Om Shanti Om)
スクヴィンダル・スィン Chak De(Chak De! India)

 面白いことに、プレイバック・シンガー賞(男性)にノミネートされているのは、作詞家賞にノミネートされている曲ばかりである。唯一、「Chak De! India」からスクヴィンダル・スィンの歌う「Chak De」が入って来ている。やはり誰が受賞してもおかしくない。

Best Playback Singer(Female)
プレイバック・シンガー賞(女性)
アリーシャー・チノイ It's Rocking(Kya Love Story Hai)
シュレーヤー・ゴーシャール Barso Re(Guru)
シュレーヤー・ゴーシャール Yeh Ishq Hai(Jab We Met)
スニディ・チャウハーン Sajanji Vaari Vaari(Honeymoon Travels Pvt Ltd.)
スニディ・チャウハーン Aaja Nachle(Aaja Nachle)

 3人の女性歌手が歌う5曲がノミネートされているが、実質的には3曲の争いである。アリーシャー・チノイの「It's Rocking」、シュレーヤー・ゴーシャールの「Barso Re」、スニディ・チャウハーンの「Sajanji Vaari Vaari」だ。3曲とも好きな曲なのだが、一般の人気から見ると「It's Rokcing」が最有力と言える。

 フィルムフェア賞の発表と同時に、毎年アルカカット賞なる勝手な賞の発表も行っている。アルカカット賞とは、全然話題にならなかったが、光るもののある映画に与えられる賞である。ノミネート作品やヒット作品に挙がっていない映画から選択することになる。今年のアルカカット賞ノミネート作品は以下の4作である。

アルカカット賞
Traffic Signal
Dharm
Johnny Gaddaar
Dil Dosti Etc

 信号待ちの自動車に群がる乞食や物売りの実態に迫った異色作「Traffic Signal」、宗教問題を父子の愛情を通して描き出した「Dharm」、70年代テイストとスリリングな展開が売りの「Johnny Gaddaar」、退廃的な哲学映画「Dil Dosti Etc」の4本を、アルカカット賞候補として推したい。どれもメジャーな作品ではないが、それぞれに深い映画であり、DVDを買っても損はないだろう。

 フィルムフェア賞の発表は2月23日。結果発表と同時にアルカカット賞も発表しようと思う(次の日記参照)。

2月23日(土) フィルムフェア賞発表

 本日、第53回フィルムフェア賞が発表された。受賞作品、受賞者は以下の通りである。
■主要賞

作品賞:Taare Zameen Par
監督賞:アーミル・カーン(Taare Zameen Par)
男優賞:シャールク・カーン(Chak De! India)
女優賞:カリーナー・カプール(Jab We Met)
助演男優賞:イルファーン・カーン(Life In A... Metro)
助演女優賞:コーンコナー・セーンシャルマー(Life In A... Metro)
音楽賞:ARレヘマーン(Guru)
作詞賞:プラスーン・ジョーシー(Maa - Taare Zameen Par)
プレイバックシンガー賞(男性):シャーン(Jab Se Tere Naina - Saawariya)
プレイバックシンガー賞(女性):シュレーヤー・ゴーシャール(Barso Re - Guru)

■技術賞

アクション賞:ロブ・ミラー(Chak De! India)
美術賞:サミール・チャンダー(Guru)
BGM賞:ARレヘマーン(Guru)
振付賞:サロージ・カーン(Barso Re - Guru)
撮影賞:スディープ・チャタルジー(Chak De! India)
衣装賞:スジャーター・シャルマー・ヴィルク(Gandhi My Father)
台詞賞:イムティヤーズ・アリー(Jab We Met)
編集賞:アミターブ・シュクラ(Chak De! India)
脚本賞:アヌラーグ・バス(Life In A... Metro)
音響賞:ドワーラク・ウォーリアー、マドゥ・アプサラー、レズリー・フェルナンデス(Johnny Gaddar)
特撮賞:レッド・チリVFX(Om Shanti Om)
ストーリー賞:アモール・グプテー(Taare Zameen Par)

■批評家賞

作品賞:シーミト・アミーン(Chak De! India)
男優賞:ダルシール・サファーリー(Taare Zameen Par)
女優賞:タッブー(Cheeni Kum)
新人男優賞:ランビール・カプール(Saawariya)
新人女優賞:ディーピカー・パードゥコーン(Om Shanti Om)
生涯貢献賞:リシ・カプール
パワー賞:ヤシュ・チョープラー、アーディティヤー・チョープラー
RDブルマン賞:モンティー・シャルマー(Saawariya)
今年の顔賞:ディーピカー・パードゥコーン
 大体が予想通りだったと言っていいだろう。非常にバランスのいい配分になっていると思う。唯一、カリーナー・カプールが「Jab We Met」で主演女優賞を獲得したことがサプライズであった。映画カースト、カプール家の末娘として鳴り物入りで2000年にデビューし、しばらく破竹の進撃を続けていたカリーナーだが、いろいろな種類の映画に手を出した結果、自己を見失っていたところがあり、ここのところ寡作になっていた。だが、「Jab We Met」の彼女は、デビュー当初の勢いと、こなれて来た頃の演技力がうまく噛み合っており、非常に魅力的な女優に成長した姿を見ることが出来た。この作品が興行的にも批評的にも成功を収めたことで、第二のキャリアを歩み出しそうだ。

 毎年、コメディアン賞と悪役賞を楽しみにしていたのだが、どうやら今年から廃止されてしまったようである。

 作品ごとの受賞数を見てみよう(太字は主要賞)。

作品名 内訳
Taare Zameen Par 作品賞監督賞作詞賞、ストーリー賞、批評家男優賞
Guru 音楽賞プレイバックシンガー賞(女性)、美術賞、BGM賞、振付賞
Chak De! India 男優賞、アクション賞、撮影賞、編集賞、批評家作品賞
Life In A... Metro 助演男優賞助演女優賞、脚本賞
Jab We Met 女優賞、台詞賞、
Saawariya プレイバックシンガー賞(男性)、新人男優賞
Om Shanti Om 特撮賞、新人女優賞
Gandhi My Father 衣装賞
Johnny Gaddar 音響賞
Cheeni Kum 批評家女優賞

 「Taare Zameen Par」、「Guru」、「Chak De! India」の3作品が5つずつ賞を分け合っている。どれも2007年を代表する作品であり、順当な結果と言える。受賞数3の「Life In A... Metro」、受賞数2の「Jab We Met」もよく出来た作品である。2007年最大のブロックバスターのひとつ「Om Shanti Om」は完全な娯楽作品であったが、何とか2賞を受賞し、賞レースでも存在感を示した。また、「Om Shanti Om」と同日に公開された「Saawariya」は興行的には失敗したが、やはり2賞を受賞している。技術賞、批評家賞などでかろうじて1賞を受賞した「Gandhi My Father」、「Johnny Gaddar」、「Cheeni Kum」も面白い映画だ。

 さて、アルカカット賞の発表であるが、あらかじめノミネートした4作品の内、「Johnny Gaddar」は音響賞を受賞してしまったので、候補から外そうと思う。そうすると、残るは「Traffic Signal」、「Dharm」、「Dil Dosti Etc」の3作品となる。この中で2007年のアルカカット賞に選ばれたのは、プラカーシュ・ジャー制作、マニーシュ・ティワーリー監督の「Dil Dosti Etc」である。映画評を読んでいただければ、これが隠れた名作であることが分かっていただけるであろう。

 総じて、2007年のボリウッドは、「Om Shanti Om」のような完全な娯楽作品から、「Taare Zameen Par」のような完成されたクロスオーバー映画まで、非常にバランスのいい年だったと言える。フロップ続きの上半期はどうなることかと思ったが、終わってみれば2006年に引き続き前進の年であった。

2月25日(月) デリーのガス、水、道

 ヒンディー語の全国紙ヒンドゥスターンでここ最近、デリーの様々な問題が取り上げられている。その中でとりあえず興味深かったデリーのガス、水道、運転免許の問題をここで簡単に見てみようと思う。

■ガス (2月11日)

 インドでは都市ガスが普及していないため、シリンダーで調理用のガスを供給している。ガスは市場で簡単に買えるような代物ではない。政府公認のガス会社から権利を取得し、シリンダーを購入し、ブッキングをして、ガス配達人から供給を受けなければならない。だが、ガス権利の取得は外国人には困難であり、多くの場合、大家さんが持っている権利を使ってガスを購入・交換するようになっている。また、ガスがなくなってシリンダーの交換を頼んでも、ガス配達人はなかなかタイミングよく家に来てくれない。よって、ガスがなくなったときのために電気コンロを用意したり、あらかじめシリンダーを2つ購入したり、自分でガス会社へシリンダーを持って行って交換してもらったりと、いろいろ苦労しなければならない。

 デリーでは恒常的にガスが欠乏している。だが、デリー州政府石油省によると、欠乏しているのはガス自体ではなく、ガスを供給するためのシリンダーだと言う。デリーでは1日に15万本のシリンダーの需要があるが、それだけのシリンダーはデリーには存在しない。よって、どうしても欲しいときにガスが届かない状況が生まれてしまう。

 だが、問題はそれだけではない。ガスの欠乏をいいことに違法な金儲けに手を染める人々がいることが、問題をさらに大きくしている。例えば、レストランの経営者はガス会社と裏でつながっており、高い金を払って、家庭用にブッキングされたガスを横取りする形でレストランに回させている。家庭でガスがなくなり、チャーイも作れなくなることはよくあるが、レストランがガス不足で閉店を余儀なくされることがないのはこのためである。

 ガス権利を持った村人たちの名前を使ってガスを入手し、それを都市のブラックマーケットで300ルピー上乗せして売る業者も存在する。村人たちは今でもチューラー(伝統的な釜戸)を使って料理をしているので、ガスがなくても問題はない。むしろ、ガスの権利を業者に売ることで収入が得られて助かるのだろう。

 さらに大きな問題は、ガスの違法なリフィリングである。ローカル市場でよく、小型シリンダーに入ったガスが売られているのをよく見掛ける。屋台で調理をしている人たちもその小型シリンダーに入ったガスを使っていることが多い。だが、あの小型シリンダーこそが違法リフィリングの賜物なのである。インドではガスは政府公認のガス会社だけが定められたサイズのシリンダーによってのみ供給することになっており、あのサイズのシリンダーが民間の店舗で販売されていること自体がおかしいのである。では、あのシリンダーに入ったガスはどこから来ているのか?正規のシリンダーからこっそり抜かれているのである。デリーや周辺部は、この違法リフィリングの中心地となっており、各地でこのリフィリングが行われている。リフィリングの方法はこうである。ガスを注入するシリンダーを下に置き、ガスを抜くシリンダーをその上に乗せ、両シリンダーの口をゴムのパイプでつなぐ。そうすると、ガスは上のシリンダーから下のシリンダーへ移動する。このような違法行為が行われているため、家庭に届けられるシリンダーには、規定の量のガスが入っていないことがほとんどである。賢い消費者は届けられたガスの重さをちゃんと量るが、悪徳業者のずる賢さはさらに上を行き、シリンダーに水を入れたりして重さに変化がないようにしてあったりする。ガス会社や警察がこの違法行為に加担している。

 しかし、ガス問題解決の見込みはある。現在インドでは、新型シリンダーの試用が始まっている。新型シリンダーはファイバーグラス製で従来のシリンダーよりも50%も軽く、爆発の危険性もない。しかも透明で中身を確認することができ、ガスを抜いたり異物を混ぜたりする違法行為を止めることが可能である。また、新型シリンダーはブッキングの必要がなく、オープンマーケットで購入が可能になるとのことである。従来のシリンダーよりもセキュリティー(敷金)として支払う金額は増えるようだが、これが普及したら非常に便利そうだ。現在、ムンバイー、プネー、バンガロールで試験的に運用されており、デリーでも導入が検討中である。

■水道 (2月22日)

 世界中の都市に比べ、デリーは上水道の豊富な都市である、ということを聞いたら、おそらくデリーに住む人々は驚くだろう。だが、これは真実である。デリーの1人あたりの1日の上水道供給量は327リットル。シンガポール、香港、ミュンヘン、コペンハーゲンなどの1人あたりの1日の上水道供給量が200リットル以下であることを考えれば、これはとても恵まれた数字である。また、デリーで1人が1日に必要とする上水道の量は160リットルであり、その2倍以上の十分な量の水が供給されていることになる。では、なぜこれほど頻繁に水不足が発生するのであろうか?

 その原因は端的に言えば配水の問題なのだが、大きく分けると2つになる。まずひとつめは、平等な配水が出来ていないことである。実はデリーは世界でもっとも水の分配に不平等がある都市になっている。地区ごとに供給される上水道の量に大きな開きがあるのである。

地区名 1人あたりの1日の
上水道供給量(リットル)
デリーカント地区 509
ニューデリー地区 462
カロールバーグ地区 337
オールドデリー地区 277
ローヒニー地区 214
シャーダラー地区 130
ヴァサントクンジ地区 74
ナジャフガル地区 74
ナレーラー地区 31
メヘラウリー地区 29

 5つ星ホテルでは各部屋ごとに毎日1,000リットルの水が消費され、VIPのバンガローでは洗車や庭の手入れのために毎日何千リットルもの水が使われているにも関わらず、ナレーラーやメヘラウリーのようなエリアでは生活に困るほど水に困窮している。

 ふたつめの原因は、配水時の水のロスである。ここでロスと言った場合、漏水と盗水(盗電という言葉があるのだから盗水もありだろう)の両者を指す。デリーの水道を管理するデリー・ジャル・ボードは、配水時のロス(漏水と盗水)により、40~50%が失われていると報告している。

 まず漏水についてだが、デリーの配水管の多くは英領時代に敷設されたものであり、既にボロボロである。至る所から水が漏れ出ており、多大なロスを生んでいる。もちろん、デリー・ジャル・ボードは頻繁に配水管の交換工事を行っているが、一度に全ての古い配水管を交換するだけの予算はなく、漏水は完全に止められていないのが現状である。

 盗水については、一般に、スラム住民がその大半を行っていると言われている。デリー・ジャル・ボードも盗水の責任をスラムに押し付ける傾向にある。だが、それは全ての場合において正しくない。なぜならデリー・ジャル・ボードの配水管が近くまで来ていないスラムもたくさん存在するからである。また、住民の盗水に対して当局はなかなか強く出れないのも弱みとなっている。なぜなら電気やガスと違って水は人間の生活に不可欠なものであり、盗水を行った人への水の供給を停止することは人権上不可能だからだ。

 デリーでは給水車も活躍している。配水管のない地域や、何らかの理由で水の供給が止まった地域に水を運ぶための設備である。当然、給水車はデリー・ジャル・ボードの管理下に置かれている。だが、水のロスには給水車も加担しているようだ。給水車のドライバーが、指示された地域に行かずに、ノイダのような裕福な地域に行って、コミッション目当てで水を配ったりするのはまだ序の口で、近くの川に水を流し、あたかも指定地域で給水を行ったように見せかけて、そこまでのガソリン代を騙し取り、差額を懐に入れるような行為が横行していると言う。結果として、デリー・ジャル・ボード自体が盗水を行っていることになる。それら全ての盗水の1年間の被害額を合計すると、10億ルピーに相当する。

 結局、デリーで必要とされる上水道の量は950MGD(百万ガロン/日)だが、実際に供給されるのは750MGDであり、毎日2億ガロン足りない計算になる。

■運転免許証 (2月12日)

 デリーでは急ピッチで道路インフラが整備されつつある。各地にフライオーバーが建設され、近隣都市を結ぶ高速道路が整備され、道路の拡張工事も行われている。だが、それを上回る勢いで車両の数が増えており、なかなか快適な交通は実現されていない。そしてさらに大きな問題となっているのは、多くの未熟な運転手が自動車を走らせていることである。無免許運転は論外であるが、デリーには運転免許証を持っていながら、全く交通ルールを理解していない運転手が多過ぎる。その原因の多くは、地域交通局(RTO)で暗躍するブローカーたちである。

 運転免許証の取得を望む人は、最寄りのRTOへ行って申請を行う。デリーには9つのRTOがあるが、それについてはミッションRC再発行で触れたので、ここでは触れないことにする。RTOへ行くとすぐに分かるのだが、まずとんでもない人だかりが目に入り、これはちょっとやそっとでは手続きを完了させることは出来ないだろうと悟る。だが、よく見るとその人だかりの周辺には怪しげな男たちが手持ち無沙汰にぶらついており、そこら辺の人々に親切そうに声を掛けている。もちろん、本当に親切な人がこんなところでうろついているはずがない。彼らはコミッション目当てのブローカーなのである。運転免許証の取得の困難さにかこつけて、彼らは人々の運転免許証取得を不法に手助けし、手数料として実際の費用の2倍をせしめるのである。彼らはRTOの役人とツーカーの仲であり、自分の顧客に試験なしで運転免許証を発行させるだけのコネを持っているのである。ある統計によると、ブローカーを通して申請した人のたった23%のみが正式な実技試験を受けている。一方、ブローカーを通さずに申請した人の90%は実技試験を受けなければならない。また、ブローカーを通して運転免許証を取得した人々の53%が、後日調査団体の行った実技試験に落ちている。一方、ブローカーを通さずに運転免許証を取得した人が調査団体の実技試験に落ちる確率は25%である。

 もっとも、これが他の事柄だったら、まだブローカーの存在はありがたいと言える。インドのいろいろな手続きは困難が伴い、手助けしてくれる人がいるのといないのとでは大変さが大きく異なる。少し高いお金を払ってでも、そういう人たちを通して楽して手続きを済ましたいと思うのは人情である。だが、ここは自動車を運転する資格のある人に運転免許証を発行する役所である。自動車は自分の命も他人の命も危険にさらす道具であり、ちゃんとした能力を持ち、ちゃんとした訓練を受けた人に免許証を発行してもらわないと、道路はカオスとなってしまう。実際、それがデリーの路上で起こっているのである。

 しかし、ここまでブローカーが暗躍しているのは、役人もグルになっているからに他ならない。ブローカーと裏でつながり、コミッションの一部を受け取っているのもその原因だが、さらに大きな問題は、ブローカーなしには手続きが済まないような面倒くさいシステムを構築してしまっていることである。ブローカーの助けを借りずに運転免許証を申請しようとする人々の前にはいくつもの障壁が立ちはだかる。彼らは何時間も待たされ、いろいろな役所をたらい回しにされ、そして担当の役人1人1人を喜ばせなければならない。最初はブローカーを介することを拒否していた人々も、このような数々の障壁を目の当たりにし、遂には諦めてブローカーに頼み込むことになるのである。ブローカーを通せば運転免許証は1日で発行されるが、ブローカーを通さないと何日かかるか分からない状態だ。よって、運転免許証申請者の実に71%がブローカーを通して申請を行っていると言う。また、デリーには運転教習所もあるが、彼らもブローカーと同じような仕事をしており、講習生の運転免許証を簡単に発行させてしまう。だが、まだ彼らは運転の教習を行っているだけマシだと言えるだろう。

 デリーでは毎年35万人に運転免許証が発行されている。以上のことを踏まえると、この内の4割近く、数にするとおよそ15万人が、ちゃんとした運転能力を持っていない「キラー・ドライバー」ということになる。

2月28日(木) 大詩人ラールー

 2月26日に鉄道予算が発表された。ビハール州の名物政治家ラールー・プラサード・ヤーダヴが鉄道大臣に就任して以来、国営のインド鉄道は劇的な変革を遂げ、万年大赤字財政から一転して黒字を拠出するようになった。現在インド鉄道は効率的な運営のために16ゾーンに分割されているが、それらの剰余金を合計した現会計年の黒字額は2,506億5,000万ルピーで、フォーチュン500にリストアップされている世界の優良企業の多くに勝っている。

 ラールー・プラサードは様々な意味で、インドでもっとも面白い政治家なのだが、鉄道大臣に就任して以来、鉄道予算発表時に彼が毎回していることがある。それは、業績と改革の内容を詩の形式で発表すること。各メディアもこぞって「大詩人」ラールーの詩を引用し、鉄道予算の特集をしていた。ここでインド鉄道のことを細かく書いても大部分の日本人には関係ないことなので、敢えてラールー・プラサード大臣の詩の解説に終始したいと思う。

 ラールー・プラサード大臣は、鉄道予算発表のしょっぱなから4行の詩によって、年々急成長するインド鉄道の勢いを表現した。
सब कह रहे हैं, हमने गजब काम किया है,
करोड़ों का मुनफ़ा हर एक शाम दिया है।
फल सालों से अब देगा, पौधा जो लगाया है,
सेवा का, समर्पण का, हर फ़र्ज़ निभाया है।

皆が賞賛している、我々は素晴らしい仕事をしたと
何千万ルピーもの利益を、毎日出した
植えられた木々は、何年も果実を実らすだろう
奉仕の、献身の、義務を果たした
 インド鉄道の成功を時事ネタに絡めるのもラールー・プラサードにとってはお手の物である。
गोल पर गोल दाग़ रहे हैं हम हर मैच में,
देश का बच्चा-बच्चा बोले, चक दे रेलवे।

毎試合毎試合、ゴールに次ぐゴール
国中の子供たちは叫ぶ、「チャク・デー・レールウェイ」
 言うまでもなく、2007年の大ヒット映画「Chak De! India」を念頭に置いて詠んだ詩だ。「チャク・デー」とは「頑張れ!」「それいけ!」みたいな意味の合言葉である。
नई कथनी, नई करनी, नई एक सोच लाए हैं,
तरक़्क़ी की नई पारसमणि हम खोज लाए हैं।

新しい言葉、新しい行動、新しい考えを持ち込んだ
発展の新しい賢者の石を、我々は見つけ出した
 ラールー・プラサード大臣の前に鉄道大臣をしていたのは、現ビハール州首相で統一人民党(JDU)の政治家ニーティーシュ・クマールで、ラールーの政敵に当たる。ニーティーシュ・クマールは1998-99年、2001-04年と2度に渡って鉄道大臣を担当している。また、歴代の鉄道大臣を見てみると、人民力党(LJP)の党首ラームヴィラース・パースワーンの名も見える(1996-98年)。彼もビハール州を拠点とする有力政治家で、ラールーにとっては政敵になる。つまり、ラールーにとって、慢性的な大赤字に陥っていたインド鉄道の黒字化は、地元の政敵たちの能力不足を公衆の面前にさらけ出すことを意味した。ラールー・プラサード大臣は、インド鉄道の業績好転を自分のおかげだと主張しようとしている元鉄道大臣たちのために、強烈な皮肉を込めた詩を詠んだ。
उजड़ा चमन जो छोड़ गए थे हमारे दोस्त
बात कर रहे हैं अब फसल-ए-बहार की।

荒れ果てた庭園を残して立ち去った我々の友人たちは
今になって春の収穫の話をしている
 ラールー・プラサード大臣は、鉄道分野における公共セクターと民間セクターの協力を進めるため、数々の新事業を打ち出している。それについて、以下のような詩を詠んだ。
लेकर चला हूँ सबको तरक़्क़ी की राह पर
एक नींव साझेदारी की मैंने रखी नई।

皆が発展できる道を進んでいる
協力関係のための新しい礎石を私は置いた
 今回打ち出された施策の中でもっとも大きく取り上げられているのは、正式なライセンスを持ったポーターたちを公務員として採用すること。今までは彼らは公務員扱いではなかった。インドでは公務員は様々な福祉を享受できるため、これはポーターたちに大歓迎で迎えられた。それについて一句。
मुसाफ़िर और कुली का साथ बरसों से निरंतर है,
उसे सम्मान दें जो रात-दिन में तत्पर है।

ポーターは旅人の長年の友
昼夜働く者たちをねぎらおう
 ポーターだけではない、鉄道サービスに関わる全ての人々に対し、優しい言葉を投げ掛けるのをラールー・プラサードは忘れなかった。
समर्पित जिसका जीवन राष्ट्र सेवा में हमेशा है,
कड़ी मेहनत करे जो वह सिपाही रेलकर्मी है।

人生を常に国のために捧げて来た人々
勤勉な鉄道職員たちは兵士にも等しい
 ラールー・プラサード鉄道大臣のすごいところは、運賃値上げをせずに黒字化を成功させたことである。前予算のときは、実質値上げされていた部分もあるのだが、今回は完全に値上げなし、むしろこのインフレーションの時代に値下げを実施という驚きの一手である。ラールーは、去年の予算を「子供だましの手品だった」とし、今年の予算を「完璧な魔法」と表現して、自分が成し遂げた業績をアピールした。
जादू और टोना, हमने दिखाया था पिछले साल,
इस बार पूरा इंद्रजाल देख लीजिए।

去年我々は手品をお見せした
今回は完璧な魔法をご覧あれ
 発表の最後も、当然のことながらラールー・プラサード鉄道大臣は詩で閉めた。
मैं नतमस्तक हूँ सबका, शुक्रिया भी हूँ अदा करता,
मेरी कोशिश में शामिल हैं सभी, और कामयाबी में।

皆さんの前で頭を垂れ、感謝の気持ちを示したい
私の計画に参加し、成功に貢献してくれた皆さんのために
 ラールー・プラサード鉄道大臣のユニークな鉄道予算が発表されている間、国会議事堂ではあちこちから笑い声が上がり、和やかな雰囲気になったと言う。誰でも知っていることだが、ラールーが本当に狙っている椅子はインド首相。アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー元首相も詩人であったが、ラールーが首相になったら、毎回面白い詩を披露してくれそうだ。


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