スワスティカ 印度文学館 スワスティカ

装飾上



装飾下

 2002年に公開された映画「Devdas」の原作の日本語訳。原作はベンガリー語だが、そのヒンディー語訳版からの翻訳した。著者はベンガルの作家シャラトチャンドラ・チャットーパディヤーイ(1876-1938)。

第1章


 ヴァイシャーク月(4-5月)の暑い昼下がりだった。日光は容赦なく照りつけ、灼熱の暑さだった。ムカルジー家のデーヴダースは、村の学校の教室の隅に敷かれている破れかけたチャターイー(ゴザの一種)に石版(田舎の学校では石版がノートになる)を抱えながら足を伸ばして座っていた。彼は両腕を上に伸ばしながら、非常にやるせなく感じていた。こんな天気のいい日に広場で凧揚げをすることもできずに、狭い教室に閉じこもっていることを非常に退屈に感じた。と、そのとき彼は大変面白いことを考え付き、石版を持って立ち上がった。

 学校は今昼休みだった。子供たちの一団が、大声を上げながらピーパルの木の下でグッリー・ダンダー(野球やクリケットに似た遊び)を遊び始めた。デーヴダースは遊んでいる子供たちの方を見た。デーヴダースには昼休みがなかった。なぜなら彼の教師であるゴーヴィンド先生は、昼休みにもしデーヴダースが学校の外に出てしまったら、二度と戻ってこないことを知っていたからである。だからデーヴダースの父親の命令により、昼休みには外出を禁止され、彼は学級委員のボールーの監視の下、学校の中に残らなければならなかった。

 部屋の中ではゴーヴィンド先生が、疲れているのか目を閉じて眠っていた。もう一方の隅では、学級委員のボールーがベンチにドッカリと腰を下ろしており、時々無関心そうに、外で遊んでいる子供たちの方と、デーヴダースとパールヴァティーの方を代わる代わる見ていた。パールヴァティーは1ヶ月前に学校に入ってきた女の子だった。先生はすぐに彼女を気に入り、安心して眠ってしまったのだった。彼女はそのとき教科書の最後のページに、先生の絵を描いていた。まるで熟達した画家のように真剣に観察しており、鏡に映ったかのようにそっくりな似顔絵を描こうと努力していた。そこまでそっくりにならなかったとしても、彼女は絵を描くことによって十分な喜びと満足感を得ていたのだった。

 石版を持って立ち上がったデーヴダースは、ボールーに聞こえるように独り言を言った。「どうも問題が解けないんだよな〜。」

 ボールーがいぶかしげに言った。「何の問題?」

 「これだよ。」

 「見せて。」

 彼は必ず石版を使って勉強をしていた。デーヴダースは石版をボールーに手渡すと、近くに立った。ボールーは解説しながら、そこに書き込み始めた。「1マン(重さの単位)の油の値段が14ルピー9アーンナー3パーイー(全て貨幣の単位)だとすると・・・」

 そのときアクシデントが起こった。学級委員ボールーは3年間いつも同じ席に座っていた。その席の裏には石灰の大きな山があった。昔、先生が安く買ってきたもので、いつかそれで新しい家を作ろうと思っていたのだった。彼はその白い石灰を非常に大事にしていた。世の中のことに無知で、計画性のない乱暴な少年たちに、少しでもその石灰の山を崩されないよう注意しなければならなかった。だからお気に入りの生徒であり、高学年のボーラーナート(ボールー)が、この警備を仰せつかっていたのだった。彼はベンチに座ってずっとそれを守っていた。

 ボーラーナートは「1マンの油の値段が14ルピー9アーンナー3パーイーだとすると・・・」と書いていると「うわ〜!」と急に大声を上げた。その瞬間、パールヴァティーは腹を抱えて笑い出した。居眠りしていたゴーヴィンド先生は驚いて目を覚まし、とっさに立ち上がった。眠気で赤くなった目で彼が凝視すると、表の木の下で男の子たちが列になって一緒にホーホー言いながら走っているところだった。と同時に、倒れたベンチの上に2本の足がバタバタと動いており、石灰の中では火山の噴火のようになっていた。混乱した先生は大声で叫んだ。「どうした?一体何が起こったんだ?」

 しかしそこには誰も答えれる者がいなかった。パールヴァティーがいたが、彼女は床の上で笑い転げていた。先生の質問は怒号に変わった。「一体何が起こったんだ?」

 石灰の山の中からボーラーナートの白い姿が現れた。怒りで震えた先生が尋ねた。「何てことだ、お前が中にいたのか?」

 「エ〜ン、エ〜ン・・・」

 「おい?」

 「デーヴァー(デーヴダース)の奴が僕を押して・・・」

 「それで?」

 しかし、すぐに先生は全てを理解し、チャターイーに座って尋ねた。「デーヴァーがお前を押して石灰の中に突き落とし、逃げ去ったんだな?」

 ボールーはさらに泣き出した。先生は彼の石灰を少しはたいたが、白と黒がまだらになって学級委員はオバケのようになってしまった。それを知って彼はさらに激しく泣き出した。

 「デーヴァーはお前を突き飛ばして逃げ去ったんだな?」

 ボールーは「エ〜ン、エ〜ン」と泣くだけだった。

 先生は尋ねた。「他の生徒はどこだ?」

 生徒たちが赤い顔をし、息せき切って入ってきて言った。「僕たちはデーヴァーを捕まえることができませんでした。あいつはレンガを投げて来るんです。」

 「捕まえられなかったのか?」

 生徒たちは先に言ったことを繰り返した。「あいつはレンガを持ち上げて・・・。」

 「もういい、黙れ。」

 生徒は黙って隅に座った。怒りで震えていた先生は、まずパールヴァティーを叱りつけた。そしてボーラーナートの手を掴んで言った。「行くぞ。一度地主の邸宅で話してくる。」

 地主のムカルジーのところで、彼の息子の振る舞いについて文句を言うのが目的だった。

 3時になった。地主のナーラーヤン・ムカルジーは、外に座って水タバコを吸っていた。1人の召使いが手に団扇を持って扇いでいた。生徒と共に先生が突然やって来たことに驚いて彼は言った。「ゴーヴィンド先生?」

 ゴーヴィンドはカーヤスト・カースト(官僚・書記の家系)の者で、慇懃に挨拶をしてボールーを見せ、全てを説明した。ムカルジーは絶望して言った。「もうデーヴダースは手に負えない・・・。」

 「何をおっしゃいます。今こそあなたが何とかしてくださいませ。」

 地主は水タバコを置いて言った。「あいつはどこに行った?」

 「全く分かりません。デーヴァーは、追いかける少年たちにレンガを投げつけて、追い払ったんです。」

 2人はしばらく黙っていた。その沈黙をナーラーヤンは破って言った。「よし、あいつが戻ってきたら、然るべきことをする。」

 ゴーヴィンド先生はボールーの手を握って学校に戻って来て、学校の子供たちの前で大声で知らせた。「デーヴダースの父親はこの村の地主だけれども、私は学校の教師だ。金輪際一切デーヴァーを学校に入れないことにする。」

 その日、学校はいつもより早く終わった。家に帰る途中、子供たちはあれこれ話し合いながら歩いた。

 ある男の子が言った。「まったく、デーヴァーはなんて命知らずなんだ。」

 すると別の男の子は言った。「ボールーの奴によく一泡吹かせてやったもんだな。」

 「それにしてもレンガを投げてくるとはな。」

 ある男の子はボールーに味方して言った。「ボールーはこの復讐をするだろうね、きっと。」

 「ヘッ!復讐をするって言っても、あいつはもう学校には来ないだろうよ。」

 生徒たちがこのように話し合って歩いている一方で、パールヴァティーも石版と教科書を抱えながら家に帰っていた。近くの男の子の手を掴んで質問した。「マニ、先生は本当にデーヴダースを学校に入れさせないの?」

 マニは答えた。「そうさ、絶対に入れさせないだろうね。」

 パールヴァティーは足早に立ち去った。彼女はそんな話など聞きたくなかった。パールヴァティーの父親の名前はニールカント・チャクラヴァルティーという。チャクラヴァルティーは地主の家の隣に住んでいた。ムカルジーの大邸宅の隣に、彼の小さな古いレンガ造りの家があった。12ビーガー(面積単位)ほどの土地と数人の召使いを持っており、地主のところからも彼はいくらかもらっていた。パールヴァティーは彼の唯一の子供だった。彼の家族は幸せに暮らしていた。

 パールヴァティーは、デーヴダースの家の召使い、ダルムダースに会った。彼は、デーヴダースが1歳のときから8歳になった現在まで、彼の養育係りを務めていた。毎日ダルムダースはデーヴダースを学校まで送り迎えしており、今日もそのために学校に向かっていた。パールヴァティーを見て彼は聞いた。「パーロー(パールヴァティーの愛称)、デーヴ坊ちゃんはどこ?」

 「逃げちゃったわよ。」

 ダルムダースはびっくりして尋ねた。「逃げた・・・?なぜ?」

 パールヴァティーはボーラーナートの憐れな姿をまた思い出して笑い出した。「あのね、ダルムおじさん、デーヴは、ハハハ、いきなりボールーを石灰の山に、ハハハ、突き落としたの・・・ボールーの頭は石灰の中に、足は上に・・・。」

 ダルムダースは全てを理解し切れなかったが、笑っている姿を見てちょっと釣られて笑ってしまい、すぐに笑いをこらえて言った。「何て言ってるんだい?何が起こったんだい?」

 「デーヴダースがボールーを突き飛ばして石灰の山に・・・ハハハ!」

 ダルムダースはやっと理解し、とても心配になった。「パーロー、デーヴ坊ちゃんは今どこにいるんだい?君なら知ってるだろ?」

 「私は知らないわよ。」

 「知ってるはずだよ、教えてくれないか。そうそう、きっと腹をすかしてるだろうから。」

 「お腹すかしてるでしょうね、でも私は教えないわよ。」

 「なんで教えてくれないの?」

 「教えたら私はすっごくぶたれるわ。そうね、いいこと考えた。私がデーヴに何か食べ物をあげてくるわ。」

 ダルムダースは幾分安心した。「そうかい。じゃあデーヴ坊ちゃんに食べ物をあげて来ておくれ、そして暗くなる前に家に帰ってくるように伝えておいてくれないかい?」

 「分かったわ。」と言ってパールヴァティーは自分の家に戻った。家に着いてみると、今日学校でデーヴダースのしたことが、彼女の母親とデーヴダースの母親両方に知れ渡っていることが分かった。母親にもいろいろ質問された。すると彼女はまた笑いながら起こった出来事を話した。全てを話し終えると、彼女はショールの端にいくつかのパルヒー(スナックの一種)をくるんで、地主のムカルジーの家にある庭へ行った。この庭は両家の間にあり、その一角に竹林があった。彼女は、デーヴダースが隠れてタバコを吸うために、その中に空間を作って隠れ家にしていたことを知っていた。パールヴァティーの他に誰もこの場所を知らなかった。

 パールヴァティーがその隠れ家に着いて中を覗いてみると、デーヴダースが竹林の中で小さな水タバコを持って座っており、大人のようにタバコを吸っているのを見つけた。表情は厳しく、不機嫌そうな顔をしていた。パールヴァティーを見てデーヴダースは嬉しくなったが、顔には出さなかった。タバコを吸いながら言った。「こっちに来い。」

 パールヴァティーはデーヴダースのそばに座った。デーヴダースはパールヴァティーのショールの端にくるんであるパルヒーに目が行った。何も言わずに彼はショールを開いてパルヒーを食べ始め、言った。「先生は何て言ってた?」

 「先生はおじさんに全部知らせちゃったわよ。」

 デーヴダースは水タバコを地面に置いて驚いて言った。「父さんに?」

 「うん。」

 「で?それからどうなった?」

 「先生はもう二度とデーヴを学校に入れさせないって。」

 「俺だって学校なんか行きたくないよ。」

 パルヒーを全て食べ尽くしてしまったデーヴダースは、パールヴァティーの方を見て言った。「サンデーシュ(お菓子の一種)ちょうだい。」

 「サンデーシュは持って来てないわ。」

 「そうか。なら水ちょうだい。」

 「どこにも水なんてないわ」

 デーヴダースは怒って言った。「何にも持って来てないんだったら、一体何のために来たのさ?さあ、行って水を持って来いよ。」

 パールヴァティーはデーヴダースの言い方が気に食わなかった。彼女は言った。「今私は行けないわ。デーヴが自分で行って飲んでくれば。」

 「え?今オレが外を出歩けるわけないだろ?」

 「じゃあ、ずっとここに隠れてるの?」

 「今のところはここにいるよ。その後どっかに逃げるさ。」

 デーヴダースの話を聞いてパールヴァティーは悲しくなった。彼女は言った。「デーヴ、私も一緒に行くわ。」

 「どこに行くんだよ?オレと一緒に?そんなことできるわけないだろ?」

 パールヴァティーは頭を横に振って言った。「絶対に行くわ。」

 「駄目だ、お前が来る必要はないよ。行ってまずは水を持って来てくれ。」

 パールヴァティーはまた頭を振って言った。「私も行く!」

 「まずは水を持って来てくれ。」

 「いやよ。私は行かないわ。デーヴは私に隠れてまたどこかへ行っちゃうんでしょ。」

 「そんなことないって。オレは逃げないよ。」

 しかし、パールヴァティーは彼の話を信じていなかった。だからそのまま座っていた。デーヴダースは再び指図した。「行けって言ってるだろ!」

 「私は行かないから。」

 デーヴダースは怒ってパールヴァティーの髪の毛を引っ張って脅した。「行けって言ってるんだ。」

 パールヴァティーは黙った。デーヴダースはパールヴァティーの背中を拳で殴って言った。「行かないのか?」

 パールヴァティーは泣き出して言った。「私は絶対に行かないわ。」

 デーヴダースは突然立ち上がって外へ走り出た。パールヴァティーも泣きながら立ち上がり、デーヴダースの父親のところへ行った。ナーラーヤン・ムカルジーはパールヴァティーをとても愛していた。彼は優しい声で彼女に尋ねた。「どうした、パーロー?なんで泣いているんだい?」

 「デーヴが私を叩いたの。」

 「デーヴはどこだ?」

 「あそこ、竹林の中で座ってタバコを吸ってたわ。」

 教師が来たときからイライラして座っていたナーヤーヤンは、そのことを聞いて怒りを爆発させて言った。「デーヴァーはタバコも吸っているのか?」

 「うん。ずっと吸ってるわ。竹林の中に水タバコを隠してあるの。」

 「そうか、お前はなぜもっと早くそのことを教えてくれなかったんだ?」

 「教えたらデーヴにひどく殴られるわ。」

 しかしそれは本当の理由ではなかった。もしそのことがばれたら、デーヴはこっぴどくお仕置きを受けることを知っていたから、このことを教えなかったのだった。今日はあまりに頭に来たから教えてしまったのだった。このとき彼女の年齢はまだ8歳だった。だが、彼女は非常に賢い子だった。彼女は自分の家に帰り、ベッドに横になった。そして夜遅くまで泣いた後、眠ってしまった。その夜、彼女は何も食べなかった。

第2章

 家に帰った途端、デーヴダースはひどくお仕置きをされた。一日中彼は家に閉じ込められた。母親が泣いて懇願したため、やっとのことで彼は謹慎を解かれた。早朝、彼は家から抜け出てパールヴァティーの部屋の窓の下に行って叫んだ。「パーロー!おい、パーロー!」

 パールヴァティーは窓を開けて言った。「デーヴ!」

 デーヴダースは手招きして言った。「急いで下に来い!」

 パールヴァティーが下に降りてくると、デーヴダースは質問した。「お前なんでタバコのこと話したんだ?」

 「どうして私を殴ったりしたの?」

 「なんで水を持って来なかったんだ?」

 パールヴァティーは黙ってしまった。

 デーヴダースは言った。「お前はバカだよ、パールヴァティー!よし、いいか、今日から絶対に誰にもばらすなよ。」

 「分かったわ。」パールヴァティーは頭を振って(Yesの意)答えた。

 「よし、行こう。竹林から一本竹を切って、竿を作って魚釣りでもしよう。」デーヴダースは言った。

 竹林の近くに小さい木があった。デーヴダースはその上に登った。苦労して彼は一本の竹の先を引っ張って折り曲げ、パールヴァティーにそれを掴むように指示した。そして、もしその竹の先を手放したら、自分が下に落ちてしまうことも付け加えて注意を促した。

 パールヴァティーは力いっぱい竹の一方を掴んだ。デーヴダースは木の枝に足を置いて竹を切り始めた。下からパールヴァティーは質問した。「デーヴ、学校は行かないの?」

 「絶対に行くもんか。」

 「おじさんはあなたを学校に行かせると思うわ。」

 「父さんがオレに言ったんだよ、もう学校へ行かなくてもいいってね。先生が家に教えに来るみたいだよ。」デーヴダースは言った。

 パールヴァティーは心配になり、考えながら言った。「デーヴ、暑くなったから、明日から学校は午前中で終わりになるみたいよ。じゃあ私は行くわ。」

 デーヴダースは上から急いで言った。「駄目だ、行っちゃ駄目だ。」

 このときパールヴァティーは気をそらしてしまった。竹が彼女の手から離れて上に上がり、同時にデーヴダースは下に落ちてしまった。木はそれほど高くはなかったので、大怪我こそしなかったものの、体のあちこちの皮がむけてしまった。デーヴダースは非常に怒った。地面に落ちていた棒を拾ってパールヴァティーの腰や頬、腕や足などあちこちをぶって、叫んで言った。「どっかへ行っちまえ!」

 パールヴァティーは自分の不注意を非常に申し訳なく思ったが、デーヴダースにひどくぶたれたことにより、怒りと涙がこみ上げた。目を赤くしてデーヴダースの方を見て言った。「今からおじさんのところに行って、デーヴが私を棒で殴ったことを言いつけてやるから!」

 デーヴダースは怒ってもう一度ひっぱたいて言った。「行けよ、世界中に言いふらせよ!オレは気にしないぜ。」

 パールヴァティーは泣きながら歩いて行った。パールヴァティーが遠くに行ってしまうと、デーヴダースは叫んだ。「パーロー!」しかし、パールヴァティーは無視して急ぎ足で歩いて行った。デーヴダースは再び大声で叫んだ。「おい、パーロー!ちょっと聞けよ!」

 パールヴァティーは答えなかった。デーヴダースは諦めて1人でつぶやいた。「死んじまえ!」

 パールヴァティーは去って行ってしまった。デーヴダースは何とかして2、3の竿を作った。彼は機嫌が悪くなってしまった。パールヴァティーは泣きながら家に戻った。庭に立っていた彼女の祖母が、パールヴァティーの頬に出来ていた青いアザを見て叫んだ。「あれ、誰がこんなひどいことをしたんだい?」

 「先生が・・・」パールヴァティーが涙を拭いながら答えた。

 祖母は彼女を抱き上げて、怒って言った。「私は今からナーラーヤンのところへお前を連れて行くよ。おやまあ、まるで鬼のようだね、あの教師は!女の子を容赦なく叩くなんて!」

 パールヴァティーは祖母に抱きついて言った。「行こ!」

 ナーラーヤン・ムカルジーのところに到着すると、祖母はその教師の先祖の悪口を並べ立て、先生自身をも罵りながら言った。「ちょっと奴のしでかしたことを見てみなよ、ナーラーヤン!シュードラのようになって、ブラーフマンの女の子に手を上げたんだよ!しかもこんなにひどく!」祖母はパールヴァティーの頬のアザを指差した。

 ナーラーヤン・ムカルジーは質問した。「誰が叩いたんだ、パーロー?」

 パールヴァティーは黙った。祖母は叫んで言った。「他に誰が叩くっていうんだい?あのヘボ教師の他に!」

 「なんでぶったんだ、先生は?」

 パールヴァティーは何も答えなかった。ナーラーヤンは何かいけないことをしたからぶたれたんだと思ったが、こんなにひどくぶつのはよくないと感じた。パールヴァティーは自分の背中を開けて言った。「ここも殴ったの!」

 背中にはさらに大きなひどいアザがあった。それを見た2人は怒り心頭に達した。「教師を呼んで、なんでこんなことをしたのか、聞いてみることにする!」ナーラーヤンはそう言った後、考え直し、「そんな残酷な教師のもとに自分の子供を送るのはよくない」と言った。

 それを聞いて祖母は非常に喜んだが、パールヴァティーはさらに喜んだ。彼女は微笑みながら祖母に抱かれて家に戻った。

 家に着くと彼女の母親が質問した。「先生はなんで叩いたの?」

 「えっと、嘘をついたから!」パールヴァティーは答えた。

 「誰かに嘘をついたのかい?」パールヴァティーの母は彼女の耳を引っ張って言った。

 パールヴァティーの祖母は中に入ろうとしていたが、入り口で止まって言った。「母親になってもあんたは嘘をつくことぐらいあるでしょ。あのヘボ教師が体罰したのをどうやって責めるっていうんだい。」

 「私は嘘をついたことなんてないわよ。この子が何もしてないのにあの先生が殴ったていうの?」母は言った。

 「そうかい、分かったよ、パーローが何か悪戯したんだろうね。」祖母は厳しい声で言った。「でも今日から私はこの子を学校に行かせないよ。」

 母親は絶句して言った。「なぜ?この子が勉強できなくなっちゃうじゃない?」

 「勉強ができてどうなるって言うんだい?」祖母は怒った。「この子が判事や弁護士になるのかい?誰かに手紙を書くことができて、少しラーマーヤナやマハーバーラタが読めれば十分だよ。」と言いながら彼女は中に入って行った。

 パーローの母親は黙ってしまった。姑にはどうやっても口で適わないものだ。

 その日の夕方、デーヴダースは恐る恐る家に戻った。デーヴダースは、絶対に出掛けている間にパールヴァティーが全てをばらしてしまったと信じていた。そして今日はボコボコに殴られるだろうと思っていた。しかしそんな様子は全くなく、代わりに彼は母親から、ゴーヴィンド先生がパールヴァティーの頬と背中をひどくぶったという話を聞いた。そして彼女ももう学校に行かないと知った。それを聞いて彼は嬉しさのあまりろくに食べ物も食べられないほどだった。お腹の中に適当に食べ物を詰め込んで、パールヴァティーのところへすっ飛んで行って尋ねた。「お前はもう学校に行かないのか?」

 「行かないわ。」

 「どうして?」

 「先生が私をひどくぶったって言ってやったの。」

 「よくやった!」デーヴダースは笑いながら言った。「パーロー、お前みたいな賢い女はこの世に2人といないぜ。」そしてパールヴァティーの頬のアザに気付き、ため息をついた。

 パールヴァティーは少し微笑んで彼の顔を見て言った。「なに?」

 「ひどい怪我だな・・・」

 パールヴァティーは首を振って答えた。「そうよ!」

 「いいか、もうあんなことするなよ。オレは頭に来てたんだ。だからお前を殴っちまったんだ。」デーヴダースの声には自責の念が込められていた。

 パールヴァティーの目に涙があふれ出て来た。彼女は何も言いたいことを言えなかった。

 優しく彼女の頭に手を置いてデーヴダースは言った。「いいか、これからあんなことはもうするなよ!いいか?」

 「しないわ。」パールヴァティーは首を横に振って答えた。

 デーヴダースは再び彼女を褒めて付け加えた。「オレもこれからお前を殴ったりしないからな!」

第3章

 1日また1日と過ぎて行った。2人の喜びは限りなかった。1日中2人はあちこち遊び回って、夕方になって家に戻ると説教を受けた。そして翌朝になるとまたすぐに家を飛び出し、夜には再び叱られた。毎晩遊び疲れてぐっすり眠ってしまうのだが、また朝になると外へ飛び出して元気一杯遊び回った。2人には他に友達がいなかったし、その必要もなかった。村には遊ぶ場所がたくさんあった。

 ある日、日が昇ると同時に2人は池に行った。昼になるまで必死になって池中を引っ掻き回し、合計15匹の魚を競争して捕まえ、2人で山分けして持って帰った。ところがパールヴァティーの母親は彼女をさんざん叱って家の中に閉じ込めてしまった。パールヴァティーは部屋の中で泣いていた。ちょうど2時か2時半くらいの頃だった。デーヴダースは窓の下に来て、声をひそめて呼んだ。「パーロー、おいパーロー!」パールヴァティーはその声を聞いたのだが、無視していた。すると、彼は近くにあったチャンパーの木の下に座ってずっとパールヴァティーが顔を出すのを待っていた。夕方になってダルムダースがやって来て、彼をどうにかこうにか説得してやっと家に連れ帰った。

 次の日、パールヴァティーは早朝からデーヴのことを心配していた。しかしデーヴダースはやって来なかった。実は彼は父親と共に隣村へ行っていたのだった。デーヴダースが来なかったので、パールヴァティーはがっかりして外に出た。昨日池に入る前に、デーヴダースはパールヴァティーのショールの端に3ルピーを結んだ。彼女はそのショールを振ってブラブラ歩きながら時間を潰した。そのときはまだ午前中で、皆学校に行っていたので、誰にも友達に会わなかった。パールヴァティーは隣の村へ行った。そこにはマノールマーの家があった。マノールマーはパールヴァティーよりも少し年上の女の子だった。でも2人はとても仲良しだった。2人は長い間会っておらず、今日は久しぶりの訪問だった。パールヴァティーは彼女の家へ行って呼んだ。「マノー、いる〜?」

 「パーロー?」

 「うん、マノーはどこ?」

 「あの子は今学校に行ってるよ。お前は行ってないのかい?」

 「私は行かないわ。デーヴも行ってないの。」

 マノールマーの母親は笑って言った。「そうかい、お前もデーヴも学校に行ってないのかい。」

 「うん、私たちはどこにも行ってないの。」

 「そうかいそうかい、でもマノーは学校に行ってるのよ。」

 母親は座るように言ったが、パールヴァティーはそのまま帰ってしまった。道端の雑貨屋のそばに、ヴィシュヌ派のティラクを額に付け、カンジュリー(タンバリンの一種)を持った女の乞食が3人座っていた。パールヴァティーはその乞食に向かって言った。「ねえ、あなたは歌を歌えるの?」

 1人が振り返って言った。「歌えるとも。それがどうかしたかい?」

 「じゃあ歌って!」3人が立ち上がると、1人が言った。「歌を聞くには施しが必要だよ。さあ、お前の家へ行って歌おうじゃないか。」

 「駄目、ここで歌って。」

 「パイサー(貨幣の単位)をくれなきゃ歌わないよ。」

 パールヴァティーはショールの端の結び目を開いて言った。「パイサーじゃなくてルピーがあるわよ。」

 ショールの端にくるまっていたルピーのコインを見た乞食たちは、店から少し離れて座った。そして3人はカンジュリーを叩き、声を合わせて歌った。何を歌ったか、どんな意味の歌だったか、パールヴァティーには全く分からなかった。歌に思いを託すことすら彼女は理解していなかった。しかしその間、彼女の心はデーヴの元へ行っていた。

 歌が終わると、乞食たちは言った。「さあ、お金をおくれ。」

 パールヴァティーはショールをほどいて彼女たちに3ルピーを与えた。3人は驚いて彼女の顔をしばらく顔を見合わせていた。

 1人が言った。「誰のお金だい、これは?」

 「デーヴのよ。」

 「こんなことして、坊ちゃんはお前をぶたないかい?」

 パールヴァティーは少し考えてから言った。「ううん、ぶたないわ。」

 1人が言った。「ありがとうよ。」

 パールヴァティーは笑って言った。「3ルピーあれば、3人で分けるのにちょうどいいでしょう?」

 3人は首を振って言った。「そうだね。ラーダー姫のご加護がありますように。」彼女たちは心の中でこの気前の良い小さな女の子に誰も危害を加えないように祈った。パールヴァティーはその日は早く家に戻った。

 次の日の早朝、パールヴァティーはデーヴダースに会った。彼はマンジャー(凧糸を巻いた芯)は持っていたが凧がなかったので、今から買いに行くところだった。デーヴダースはパールヴァティーに言った。「パーロー、この前のお金返して!」

 パールヴァティーは首を傾けて言った。「ないわ。」

 「どうした?」

 「乞食にあげちゃったの。歌を歌ってくれたから。」

 「全部あげちゃったのか?」

 「うん。3ルピー全部あげちゃったわ。」

 「バカ野郎!なんで全部あげちゃったんだ?」

 「だって、3人いたのよ。3ルピーあげなきゃ3人でうまく分けれないでしょ?」

 デーヴダースは真剣な表情になって言った。「オレがいたら2ルピーより多くは絶対にあげなかったのに。」彼はマンジャーで土の上に計算式を書きながら言った。「そうすれば、1人につき10アーンナー13ガンダー1カウリーの分け前になるな。」

 パールヴァティーは少し考えてから言った。「あの乞食たちがデーヴみたいに割り算できるわけないでしょ。」

 デーヴダースはそのくらいの算数は学校で習っていた。パールヴァティーの言葉を聞いて笑って言った。「そうだな。」

 パールヴァティーはデーヴダースの手を掴んで言った。「あなたにまたぶたれるんじゃないかって思ってたわ。」

 デーヴダースは驚いて言った。「ぶつ?どうして?」

 「乞食の人たちが言ったの。あなたが私をぶつだろうって。」

 それを聞いてデーヴダースは大笑いして、パールヴァティーの肩に寄りかかって言った。「オレがそんな乱暴者だと思ってたのか?」

 デーヴダースはこう考えていた――3ルピーならちょうど3人で分け合うことができるから、パールヴァティーのしたことは間違っていないだろう。特にその乞食たちは学校で算数を習っていなかったので、3ルピーの代わりに2ルピーをあげたらケンカの元になっていただろう。

 デーヴダースはパールヴァティーの手を握ると、小さい市場の方へ凧を買いに向かった。マンジャーを茂みの中に隠して・・・。

第4章

 1年が過ぎてしまった。これ以上息子を無為に過ごさせたくなかった母親は、大声を上げて夫を呼んで言った。「まったくデーヴァーはただの木偶の坊になってしまったわ。早く何とかしてください。」

 ナーラーヤン・ムカルジーは考えて言った。「デーヴァーをカルカッタに行かせよう。ナゲーンドラの家に住まわせれば、しっかりと勉強することができるだろう。」

 ナゲーンドラはデーヴダースの叔父だった。その話はすぐに皆に広まった。パールヴァティーもそれを聞いて不安になった。1人でいたデーヴダースを見つけて彼の手を握ると、揺すりながら尋ねた。「デーヴ、カルカッタに行っちゃうの?」

 「誰がそんなこと言ったんだ?」

 「おじさんが言ってたわ。」

 「いやだよ、オレは絶対に行くもんか。」

 「もし無理矢理行かせられたら?」

 「無理矢理?」

 そのときのデーヴダースの顔を見て、パールヴァティーは誰も彼に何かを強制することはできないことがよく分かった。彼女もそうであって欲しかった。とりあえず安心したパールヴァティーは、もう一度彼の手を力いっぱい揺さぶって彼の顔を見て言った。「ねえ、どこにも行っちゃだめよ、デーヴ!」

 「どこにも行かないさ。」

 しかし彼の宣言はもろくも崩れ去った。両親は彼をどなり散らし、はたき倒して、ダルムダースと共にカルカッタへ送ることを決めてしまった。出発の日、デーヴダースは非常に落ち込んでいた。少しも新しい場所へ行く気にはなれなかった。パールヴァティーはその日、何としてでも彼に行って欲しくなかった。しかしどんなに泣き喚いても、誰も彼女の言うことに耳を貸さなかった。

 すっかりいじけてしまったパールヴァティーは、ずっとデーヴダースと口を利こうとしなかったのだが、別れの間際にデーヴダースは彼女を呼んで話しかけた。「パーロー、オレはすぐ帰ってくるよ。もし帰してもらえなくても、逃げてくるさ。」そのときパールヴァティーは自分の心に次から次へと沸き起こってくる気持ちを一気にデーヴダースに話した。その後、デーヴダースは馬車に乗って、旅行カバンを持ち、別れを惜しむ母親の祝福を受け、去って行ってしまった。そのときパールヴァティーはどうしようもなく悲しくなって、目からあふれ出る涙はいつまでも止まらなかった。悲しみで心が裂けてしまいそうだった。

 その後数日間、パールヴァティーはずっとそんな状態だった。しかし、ある日朝早く起きて彼女は考えた――毎日何もやることがない。学校に行くのをやめてしまって以来、朝から晩まで無駄に遊んで過ごしてしまった。勉強しなければいけなかったのに、時間がなかった。でも今なら他に何もすることがないから、時間が有り余っている。

 ある日、朝からパールヴァティーは手紙を書いていた。母親はずっと部屋に閉じこもっているパールヴァティーを叱ったが、祖母はそれを聞いて言った。「ほっといてあげなさい。朝からアチコチ走りまわるよりは、勉強してる方がマシじゃない。」

 デーヴダースから手紙が来た日は、パールヴァティーにとってとても幸せな日だった。階段に座って、1日中その手紙を何度も何度も読み返していた。このようにして2ヶ月が過ぎた。手紙の行き来も次第に途絶えがちになり、熱意もなくなっていった。

 ある日の早朝、パールヴァティーは母親に言った。「お母さん、また学校に行きたいわ。」

 「なぜ?」

 パールヴァティーは最初少し驚いたが、首を振って言った。「絶対に行くわ。」

 「なら行きなさい。私はお前が学校に行くのを止めたことは一度もないよ。」

 その日の昼、パールヴァティーは久しぶりに石版と鉛筆を探し出して、使用人と一緒に外に出て学校へ向かった。そして自分の席に静かに行って座った。

 その使用人は言った。「先生、パーローをもうぶたないでくださいよ。この子は自分からまた勉強しに来たんです。この子が勉強したくなくなったら、また家に帰るでしょう。」

 先生は心の中で「そうなればいい!」とつぶやいたが、実際には「分かりました」と言った。

 先生は、パールヴァティーをどうしてカルカッタに行かせないのか聞いてみようと思ったが、聞かなかった。パールヴァティーが見ると、同じ場所の同じベンチに学級委員のボールーが座っていた。パールヴァティーは彼を見て少し笑いが込み上げたが、すぐに目に涙が溢れて来た。そしてボールーに対して怒りがこみ上げた。心の中でパールヴァティーは考えた――こいつがデーヴダースを家から追い出したんだ。

 その後、幾日にちも過ぎて行った。

 久しぶりにデーヴダースが家に戻ってきた。彼はすぐにパールヴァティーのところへ行った。そしていろんなことをしゃべった。彼は昔はそんなにおしゃべりではなかった。しゃべろうとしても、そんなに一度に話すことができなかった。しかしデーヴダースは多くの話をした。ほとんど全部カルカッタの話だった。夏休みが終わると、またデーヴダースはカルカッタへ戻った。このときも涙の別れになったが、前ほどひどくはなかった。

 このようにして4年の歳月が流れた。この間にデーヴダースの心は変わってしまった。その変わり様にパールヴァティーは何度も密かに涙を流したほどだった。以前のデーヴダースは田舎のわんぱく坊主だったが、街に住み始めてからというものの、全く遠い存在になってしまった。彼は靴を履き、立派なコートやパンツ、杖、金の鎖と時計、金縁のメガネを常に身に付けるようになっていた。村の川岸をブラブラするなんてことはしなくなった。その代わり、銃を持って狩りを楽しむようになった。小さい魚を捕まえるよりも、大きな魚を捕まえようとするようになった。社会の動向、政治談義、組織や集会、クリケットやサッカーのことについてばかり考えるようになった。パールヴァティーのことも、2人の池のことも、ソーナープル村のことも、少年時代の思い出は浮かんでこなくなってしまったのだ。全くそれらのことを忘れてしまったわけでもないが、忙しい毎日を送る中で、それらが思い出されてくる暇はなかったのだ。

 再び夏休みになった。去年の夏休みにデーヴダースは外国旅行へ行ってしまっており、家には戻って来なかった。今回は両親がうるさく戻ってくるように催促したのと、たくさんの手紙を送ってよこしたことにより、デーヴダースはしぶしぶ旅の準備をし、ソーナープル村へ向かうためハーウラー駅(カルカッタの駅)に来ていた。

 家に到着した日は気分が悪かったので外には出なかった。次の日、彼はパールヴァティーの家まで来て呼んだ。「おばさん!」

 パールヴァティーの母親が恭しく言った。「いらっしゃい、こっちに来て座りなさい。」

 母親としばらく話をした後、彼は聞いた。「パーローはどこですか?」

 「2階にいるわよ。」

 デーヴダースが上に行って見ると、パールヴァティーが祈りを捧げているところだった。デーヴダースは呼んだ。「パーロー!」

 最初パールヴァティーは驚いたが、彼に挨拶をしてすぐに奥へ隠れてしまった。

 「どうしたんだよ、パーロー?」

 何も答える必要はなかった。だからパールヴァティーは黙っていた。

 デーヴダースは恥ずかしがりながら言った。「オレはもう行くよ。もう日も暮れたし、体の調子がよくないんだよ。」

 デーヴダースは去って行った。

第5章

 女の子というのは13歳になると急に変身を遂げるものだ。家族はある日突然驚く。「あれ、あんなに小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなって!」そして両親は娘の花婿を探し始めるのだ。

 パールヴァティーの祖母は、何度も息子のニールカント・チャクラヴァルティーに、パールヴァティーのためにそろそろいい花婿を探すように言っていた。しかし彼女の結婚について一番気を揉んでいたのは母親だった。

 彼らは決して上流階級ではなかったが、パールヴァティーの世にも稀な美しさにだけは絶対の自信があった。もし外見によって人の価値が決まるとしたら、パールヴァティーは何の心配もないと言っても過言ではなかった。それに、チャクラヴァルティー一族は、娘の結婚のためにはお金の心配もする必要がなかった。代わりに息子の結婚のために心配をしなくてはならなかった。なぜなら、娘の結婚のときにダウリー(結納金)を受け取り、息子の結婚のときにはダウリーを渡して花嫁を家に連れてくることになっていたのだ(インドの一般的な習慣とは逆)。しかし、ニールカントはこの風習を嫌悪していた。彼は娘を売って金を稼ぐようなことは絶対にしたくないと思っていた。

 パールヴァティーの母親はそのことを知っていたから、娘の結婚について夫に折に触れて催促していたのだった。最初からパールヴァティーの母親の心には、何とかデーヴダースと娘を結婚させたいという願望があった。彼女は自分のこの願いが間違っていようとは、夢にも思っていなかった。デーヴダースを可愛がることで、その希望は自然と叶うと信じていた。

 多分同じようなことを考えつつ、ある日パールヴァティーの祖母はデーヴダースの母親にこのように話をした。「それにしても、デーヴダースと私のパーローの仲睦まじさと言ったら、ちょっと珍しいぐらいだね。」

 デーヴダースの母親は言った。「あの2人は子供の頃からまるで兄妹のように育って来たんですよ。何の不思議もありませんわ。」

 「そうだね。そういえば、デーヴダースがカルカッタに行ってしまったとき、パーローはまだ8歳だったね。あのときはあの子ったらデーヴダースのことを心配しすぎてすっかり元気がなくなってしまって・・・。デーヴダースから手紙が来たときなんかは、大喜びして朝から晩まで何度も何度も読んでいたっけ。懐かしいねぇ。」

 デーヴダースの母親は心の中で全てを理解していた。そして少し微笑んだ。その微笑みの陰には底知れない不快感が隠されていた。彼女はパールヴァティーの家族が何を考えているか、何から何まで分かっていた。彼女はパールヴァティーのことを愛してもいた。しかしパールヴァティーは女の子を売り買いする家の子供だった。しかも隣人だった。このような家族と婚姻関係になるのはよくなかった。彼女は言った。「でもね、うちの主人はまだ若い息子に結婚はさせないでしょう。特にあの子はまだ学生なんだし。そうそう、前に主人は私に言ってたわ――長男のドイジダースを若い内に結婚させたら、勉学の支障になってしまった――って。」

 パールヴァティーの祖母はそれを聞いてがっかりした。しかしさらに続けて言った。「それはそうでしょうとも、私の話も聞いておくれな。パーローはもう大きくなったんだよ。あの子は背も高いし、もしナーラーヤンがこの話を・・・。」

 デーヴダースの母親は口を挟んで言った。「駄目ですわ、そんな話、私は主人に言えません。一体どうやったらそんなことが言えるか、教えてくださいな。」

 そこで話は終わってしまった。しかし女性はいつでも噂好きな生き物だ。ナーラーヤン・ムカルジーが夕食を食べているとき、デーヴダースの母親は言った。「パールヴァティーのお祖母さんが、彼女の結婚について話をしてましたよ。」

 ナーラーヤンは顔を上げて言った。「そうか、パールヴァティーももうそんな年齢になったか。そうだな、今が結婚させるのにちょうどいい時期だろう。」

 「今日はこんなことも言ってましたよ、もしデーヴダースと彼女の・・・」

 ナーラーヤンは顔をしかめて言った。「で、お前は何て言った?」

 「私ですか?確かに2人は仲良しです。でも、どうして女の子を売り買いするチャクラヴァルティー家の娘を嫁にできましょうか?それに隣に住んでる家族ですよ、まったく・・・。」

 ナーラーヤンは安心して言った。「その通りだ。そんなことになったら一族の恥さらしだ。そんな話に耳を貸すなよ。」

 彼女は鼻でせせら笑って言った。「当然でしょ。そんな話、全く興味ないわ。でも、あなたもそれを忘れないでよ。」

 ナーラーヤンは真剣な表情でご飯を掴んで言った。「もしそんなことになったら、我が一家はおしまいだ。」

 デーヴダースとパールヴァティーの結婚の話が拒否されたという話をニールカントが聞いたとき、彼は妻を呼んで怒って言った。「お前はなんでそんなことを話したんだ?」

 母親は黙ってしまった。ニールカントは言った。「娘の結婚のために我々は誰にも懇願したりはしない。花婿の家族が我々に懇願するのだ。私の娘は醜女じゃないぞ!いいか、1週間以内に縁談をまとめるぞ。パールヴァティーの結婚について、お前は何も考えなくてよい!」

 そのときパールヴァティーは扉の裏で、全ての話を聞いていた。彼女は父親の話を聞いてショックを受けた。子供の頃からデーヴダースは自分だけのものだと思っていた。誰がそう決めたかは問題ではなかった。昔は自分でもそのことをよく分かっていなかった。分からないままに心の中でその気持ちは次第に膨らんで行き、やがてそれが揺るぎないものになってしまっていた。デーヴダースが自分のものにならないと考えただけで、恐れのあまり彼女はどうすることもできなくなって、心の中が荒れ狂ってしまった。

 一方、デーヴダースはそうではなかった。少年時代にはパールヴァティーを自分のものだと考えており、散々利用したものだった。ところがカルカッタへ行って、都会の雑踏と様々な娯楽に身を埋めている内に、彼はパールヴァティーのことを忘れがちになってしまっていた。彼は、パールヴァティーが1日も欠かさず彼のことを想っていたことを知らなかった。一方で、子供の頃から自分のものだと信じていて、喜びも悲しみも分け合って来た彼女が、青春時代の入り口で別々の道を歩み始めるとは夢にも思っていなかった。デーヴダースにとって、結婚は全くの他人事だった。村において男女の仲は、結婚という形なしには永遠に続かないことなど、少しも知らなかった。一方で、そのことを自然と感じ取っていたパールヴァティーは、デーヴダースの両親が結婚に反対していることを知り、心の中が不安でいっぱいになってしまったのだった。

 デーヴダースは早朝は勉強して過ごした。昼には非常に暑くなるので、家から外に出るのは難しくなる。夕方になって気が向くと、彼は涼むために外へ出た。

 ある日、彼はドーティー(腰布)とクルター(上着)、それに上質の靴を身につけて、手にはステッキを持って散歩に出掛けた。途中で彼はチャクラヴァルティーの家のそばを通った。パールヴァティーは上から涙を流しながら見ていた。どんなに多くの感情が彼女の心に生じただろうか。心の中で彼女は考えた――私たちは大きくなってしまった。長い間離れ離れになっていて、私たちはお互いにお互いを恥ずかしがるようになってしまった。デーヴダースはこの前、恥ずかしがって言いたいことも言えずに去って行ってしまった――パールヴァティーの考えたことは間違っていなかった。

 デーヴダースもほとんど同じように考えていた。時々彼女と話したり、彼女を見たりしたいと思っていたが、それと同時にためらいを感じるようになっていた。

 ここにカルカッタの雑踏はないし、娯楽、映画館、コンサートなどもない。だから彼は少年時代の頃のことを思い出していた。「本当にあれはあのパールヴァティーだろうか?」彼は不思議に思えてきた。一方で、パールヴァティーも「本当にあれはあのデーヴダースだろうか?」と考えていた。

 ある日、デーヴダースはチャクラヴァルティーの家の方へ行き、庭に立って呼んだ。「おばさん、元気ですか?」

 パールヴァティーの叔母は答えた。「こっちに来なさいな。」

 デーヴダースは言った。「いえ、このままで結構です。僕は散歩してるだけですから。」

 このときパールヴァティーは2階の自分の部屋にいたのだが、ちょうど下に降りていこうとしていた。しかし彼が叔母と話しているのを見ると、少し立ち止まって、また上に上って行ってしまった。

 夜になり、デーヴダースの家に灯りが燈ると、風を通すために開け放たれていた窓から、パールヴァティーは長い間彼の家の方を見ていた。しかし、灯火の他に何も見えなかった。

 パールヴァティーは昔からプライドの高い女の子だった。苦しみを顔にすら表さない子だった。誰かに相談したとしても何の得になろうか?同情されても仕方ないし、非難されるのがオチだ。それよりは死んだ方がマシである。彼女はこのようにいつも考えていた。

 去年、マノールマーが結婚した。しかし彼女は花婿の家に行かなかった。だから時々パールヴァティーに会いに来ていた。以前の2人は何の隠し事もなく、何でも話し合っていたが、今ではそういうわけにはいかなくなった。パールヴァティーはマノールマーに以前ほど心を開けなくなっていた。そういう話題になると彼女は黙ってしまうか、話を逸らしたりしていた。

 パールヴァティーの父親は昨夜家に戻って来た。数日間に渡って彼はパールヴァティーの花婿を探しに出掛けていたのだった。そして首尾よく結婚の話を全てまとめて帰って来た。相手は20-25コース(約65-80キロ)離れたバルドワーン地方のハーティーポーター村の地主だった。名前はブヴァン・チャウドリーと言い、けっこうな富豪で、年齢は40歳弱だった。去年、妻を亡くしてしまい、再婚相手を探していたのだった。この話を聞いてチャクラヴァルティー家で喜ぶ者は一人もいなかったが、先方から合計2-3,000ルピーのダウリーをもらえることから、文句を言う者もいなかった。

 ある日の昼下がり、デーヴダースが庭で食事をとっていると、母親が近くに座って言った。「パーローが結婚するそうよ。」

 デーヴダースは立ち上がって言った。「いつ?」

 「今月中に。昨日花婿が来て花嫁を見て行ったそうよ。」

 デーヴダースは驚いて言った。「そんな、オレは何も知らなかったぞ!」

 「なんでお前が知らなきゃいけないの?相手は再婚で、年齢がちょっと上だけど、金持ちだそうよ。パーローは生活に困らなくていいでしょう。」

 デーヴダースは下を向いて再び食事をし始めた。彼の母親はさらに言葉を続けた。「あの家族は私たちの家と結婚することを望んでたのよ。」

 デーヴダースは顔を上げて言った。「それで?」

 母親は言った。「何言っているの?そんなことできるはずないでしょ?あの一家は女の子を売り買いしている家柄なのよ。それにすぐ隣に住んでるんだし。何よりあんな下賎な家と結婚なんて!考えただけでも虫唾が走るわ。」母親は顔をしかめた。デーヴダースもその様子を見た。

 しばらく黙っていた母親は、再び口を開いた。「お前の父さんにも私が言ったんだよ。」

 デーヴダースは質問した。「父さんは何て言ったの?」

 「別に。ただ、伝統ある我が家の栄誉を傷つけるつもりはない、とだけ言ってたわ。」

 デーヴダースはもう何も聞かなかった。

 その日の昼にパールヴァティーはマノールマーに会った。パールヴァティーの目に涙があふれているのを見て、マノールマーも泣けて来てしまった。マノールマーは涙を流しながら聞いた。「どう、大丈夫、パーロー?」

 パールヴァティーも泣きながら答えた。「大丈夫じゃないわ・・・。マノーは、好きな人と結婚したの?」

 「私の場合は別よ。好きでもなかったけど、嫌いでもなかったわ。だから特に何も感じなかったわ。でも、パーローは自分でお婿さんを選んでいたものね・・・。」

 パールヴァティーは何も答えずに心の中で何かを考えていた。

 マノールマーは気を取り直して質問した。「パーロー、花婿の年齢はいくつなの?」

 「誰の花婿の?」

 「パーローの!」

 パールヴァティーは急に笑って言った。「19歳ぐらいよ。」

 マノールマーは驚いて言った。「え、でも私は確か40歳って聞いたわ!」

 このときもパールヴァティーは笑って言った。「マノー、40歳なんてそんな人いるわけないわ。私はそんな多く数え切れないもの。私は知ってるの。私の花婿の年は19か20よ。」

 マノールマーはパールヴァティーの顔を見て聞いた。「名前は?」

 「マノーも知ってるはずよ。」

 「知ってるはずないでしょ!」

 「知らないの?そう、じゃあ教えてあげるわ。耳貸して。」パールヴァティーはちょっと笑って真剣な表情になり、マノールマーの耳に口を当てて言った。「デーヴダースよ!」

 マノールマーは一瞬目を丸くし、軽く突付いて言った。「冗談はよしてよ。さあ名前を教えてよ。教えてくれないと・・・。」

 「私はちゃんと言ったわ。」

 マノールマーは怒って聞いた。「もしデーヴダースがお婿さんだったら、どうしてそんなに泣く必要があるの?」

 パールヴァティーは急に顔を上げ、しばらくの間考えてから言った。「そうね、その通り。もう泣かないわ。」

 「パーロー!」

 「何?」

 「なんで本当のこと教えてくれないの?私には何が何だか分からないわ。」

 パールヴァティーは言った。「言うべきことは全部言ったわ。」

 「でも全く理解できないわ。」

 「分からないでしょうね。」そう言ってパールヴァティーは顔を逸らした。

 マノールマーは、パールヴァティーは何か秘密を隠していて、それを言いたくないんだと考えた。それに怒りがこみ上げるのと同時に悲しくなり、言った。「パーロー、あなたの悲しみは私の悲しみなのよ。パーローが幸せになることが私の願いなの。もしパーローが誰にも何も言いたくないんなら、言わなくてもいいわ。でもこんな風に冗談を言うのはよくないわ。」

 パールヴァティーも悲しくなって言った。「冗談じゃないわ。私が知ってることを話しただけ。私の夫の名前はデーヴダースだし、年は19か20なの。マノーに言った通りよ。」

 「でも、私は誰か他の人と結婚が決まったってお祖母ちゃんから聞いたわ。」

 「お祖母ちゃんが今更誰かと結婚するわけじゃあるまいし。私の結婚なのよ。私は誰からも何も聞いてないから。」

 マノールマーは聞いたことをパールヴァティーに話し始めた。パールヴァティーは遮って言った。「その話は私も聞いたわ。」

 「じゃあデーヴダースはパーローを・・・」

 「私を?」

 マノールマーはふざけて言った。「分かったわ!スワヤンバル(花嫁が花婿を公衆の面前で選ぶ古代インドの儀式)ね!2人で内緒で全部決めちゃったんでしょ!」

 「何にも決まったりしてないわ。」

 マノールマーは困った声で言った。「何言ってるの、パーロー、全く訳が分からないわ!」

 パールヴァティーは言った。「じゃあデーヴダースに聞いてから教えてあげるわ。」

 「何を聞くの?デーヴダースがあなたと結婚するかどうかってことを?」

 パールヴァティーは頭を振って答えた。「そうよ。」

 マノールマーは非常に驚いて聞いた。「何言ってるの、パーロー、自分から聞くの?」

 「別に何も悪いことはないわ。」

 マノールマーは呆れ返って言った。「正気なの?自分から?」

 「そうよ。自分で聞かなかったら、私に誰が聞いてくれるの?」

 「恥ずかしくないの?」

 「全然。ほら、今だって全然恥ずかしくないわ。」

 「私は女の子よ、あなたの友達よ、でもデーヴダースは男の子よ、パーロー!」

 そのときパールヴァティーは笑って言った。「マノーは友達だし、親友よ。でもデーヴだってそうだわ。マノーに言えたならデーヴにだって言えるわ。」

 マノールマーは絶句してしまい、彼女の顔をじっと見つめた。

 パールヴァティーは笑って言った。「マノー、あなたは嘘のスィンドゥール(頭に付ける赤い印。既婚の女性が付ける)を付けてるんだわ。それに誰が自分の夫かも分かってないわ。デーヴダースはたとえ私の夫にならなくても私の立派な夫だわ。デーヴにこのことを聞かなかったら一生後悔すると思うの。今にも死にそうなおじさんのことなんか興味ないわ。デーヴに何も恥らうことないんだし!」

 マノールマーは彼女の顔を見つめ続けた。そしてしばらくして尋ねた。「何て言うつもりなの?あなたの足の間に私のための場所を下さい、とか?」

 パールヴァティーは頭を振って言った。「それいいわね。」

 「もし断られたら?」

 このときパールヴァティーはしばらく黙り込み、そして言った。「そのときのことは知らないわ。」

 家に帰るとき、マノールマーは心の中で考えた――なんというパールヴァティーの勇気!なんという愛の力!私は口が裂けてもあんなことを言うことはできない。

 パールヴァティーの言ったことは正しかった。女性たちは何の意味もなく額にスィンドゥールを、手首にチューリー(手首輪:既婚女性の印)を付けているのだ!

第6章

 深夜の1時になろうとしていた。月は夜空に包まれてくぐもった光を放っていた。パールヴァティーはショールで頭から足までをすっぽり覆い隠し、忍び足で階段を降りた。目を見開いて四方を見渡すと、誰も起きている者はいなかった。彼女はドアを開けて外に出た。村の道はまるで時が止まったかのように物音ひとつしなかった。誰に会う心配もなかった。彼女はそのまま地主の家の前まで行った。入り口には年老いた門番クリシュナ・スィンがベッドの上でトゥルスィーダースのラーマーヤナを読んでいた。彼は誰かが中に入ろうとしているのを見て顔を上げずに質問した。「誰じゃ?」

 パールヴァティーは答えた。「私。」

 門番は、それが女性であると分かった。おそらく召使いの女だろうと考え、それ以上何の質問もせずにラーマーヤナを再び読み始めた。パールヴァティーは中に入った。酷暑期だったので、庭には何人かの使用人たちが寝ていた。深い眠りに入っていた者もいれば、まだ眠りが浅かった者もいた。1人2人が寝ぼけながらパールヴァティーの姿を見たが、召使いの女だと思って誰も彼女を止めなかった。パールヴァティーはいとも簡単に階段を上がって2階にある部屋へ行くことができた。彼女はこの家のどこに何があるが、全て知っていた。デーヴダースの部屋を見つけることなど朝飯前だった。ドアは開けっぱなしになっており、中には灯りが灯されていた。パールヴァティーが中に入って見ると、デーヴダースはベッドに横になっていた。頭のそばに一冊の本が開きっぱなしになって置いてあったので、彼はもう寝てしまっていることが分かった。彼女は灯りの炎を強くし、静かにデーヴダースの足のそばに座った。壁にかかった時計がカチコチと音を立てていた他は、全てが静まり返っていた。パールヴァティーは彼の足の上に手を置いて、静かに言った。「デーヴ、デーヴ・・・!」

 デーヴダースは半分眠りながらも誰かが自分を呼んでいることに気が付いた。彼は横になって目を閉じたまま答えた。「うん?」

 「デーヴ!」

 デーヴダースは目を閉じたまま起き上がって座った。パールヴァティーはショールを顔にかけていなかった。灯りが明るくなっていたので、デーヴダースはだんだんとそれが誰か理解し始めた。しかし、それでもまだ信じられなかった。「なんだ、パーローか?」

 デーヴダースは時計の方を見て驚いた。「こんな夜中に!」

 パールヴァティーは何も答えなかった。彼女はうつむいて座っていた。デーヴダースは再び質問した。「こんな夜中に1人で家に来たのか?」

 パールヴァティーは言った。「そうよ。」

 デーヴダースは急に不安になって聞いた。「夜道を歩くのが怖くないのか?」

 パールヴァティーは軽く笑って言った。「私はオバケなんて怖くないわ。」

 「オバケは怖くないとしても、人は怖いだろ。どうして来たんだ?」

 パールヴァティーは何も答えなかったが、心の中で、今は何も怖くない、とつぶやいた。

 「どうやって家の中に入ったんだ?誰にも見られなかったのか?」

 「門番に見られたわ。」

 デーヴダースは目を見開いて言った。「門番に見られたのか?他には?」

 「庭で使用人が数人寝ていたわ。誰かが私を見たかもしれないわね。」

 デーヴダースはベッドから飛び降りてドアを閉めた。「誰かがお前だってことに気付いたのか?」パールヴァティーは何の感情も表情に表さず、静かに答えた。「ここの人はみんな私のことを知ってるわ。誰かが気付いてもおかしくないわ。」

 「何言ってるんだ?何でこんなことしたんだ、パーロー?」

 パールヴァティーは心の中で、あなたに何が分かるだろうと思ったが、実際には何も言わなかった。ただうつむいて座っていた。

 「こんな夜中に・・・信じられないよ!明日お前は誰にも合わせる顔がなくなるぞ!」

 パールヴァティーはうつむきながら言った。「私は何も恥じてないわ。」

 デーヴダースは怒らなかったが、とても困った声で言った。「なんてことだ!お前は本当に女か?こんな風にここに来て、何の羞恥心もないのか?」

 パールヴァティーは頭を振って言った。「全然ないわ。」

 「明日このことがみんなに知れ渡ったとしても、お前は恥ずかしくないのか?」

 こう聞かれてパールヴァティーは凛とした、しかし穏やかな表情でデーヴダースの顔をしばらく見て、怖れることなく言った。「私はデーヴのことを信じてるわ。デーヴは誰にもこのことを言いふらしたりしないもの、恥じる必要なんてないわ。」

 デーヴダースは驚嘆し、落胆して言った。「オレが?でもオレに変な噂が立ったら、オレはどんな顔すればいいんだよ?」

 パールヴァティーは同じように静かに言った。「デーヴが?でもあなたがどうなるっていうの?」少しの間黙った後、彼女は再び口を開いた。「あなたは男だわ!今日明日の内にあなたの不名誉なんてみんな忘れてしまうでしょう。2日後には、いつの夜か憐れなパールヴァティーが自暴自棄になってあなたのところに全てを捧げに来たなんてことは、誰も気にしなくなるわ。」

 「どういうことだ、パーロー?」

 「そして私は?」

 「そしてお前は?」

 「私の不名誉のこと?いいえ、私は何の咎めも受けないわ。もしあなたのところに人目を忍んで来たことが不名誉というなら、それは不名誉にはならないわ。」

 「パーロー、泣いてるのか?」

 「デーヴ、河には水がいっぱい溢れてるわ!その中に身を投げれば、私の不名誉も浄化されるでしょ?」

 突然デーヴダースはパールヴァティーの両手を掴んで言った。「パールヴァティー!」

 パールヴァティーはデーヴダースの足の上に頭を置き、声を詰まらせて言った。「ここに少しでいいから私の場所をちょうだい、デーヴ!」

 その後、2人は黙ってしまった。デーヴダースの足の上から流れ落ちた涙がシーツを濡らし始めた。

 どのくらい時間が経っただろうか、デーヴダースはパールヴァティーの頭を持ち上げて言った。「パーロー、オレじゃなきゃ駄目なのか?」

 パールヴァティーは何も言わなかった。そのまま足の上に頭を乗せてうつ伏していた。静寂の中にただ彼女の嗚咽だけが聞こえていた。時計が2時を打った。デーヴダースは言った。「パーロー!」

 パールヴァティーはしわがれた声で言った。「何?」

 「父さんも母さんも、その話には賛成しなかったんだ。知ってるだろ?」

 パールヴァティーは頭を振って答えた。「知ってるわ。」

 再び2人は沈黙してしまった。長い沈黙の後、デーヴダースは長いため息と共に言った。「それで?」

 溺れている人が地面を掴み、なんとしてでも離すまいとするように、パールヴァティーはデーヴダースの両足をしっかりと掴んでいた。彼の顔を見てパールヴァティーは言った。「私は何も知りたくないわ、デーヴ!」

 「パーロー、親に逆らうつもりなのか?」

 「何も間違っていないわ!」

 「住む場所がなくなるぞ!」

 パールヴァティーは泣きながら言った。「あなたの足の間に住むわ!」

 また2人は黙ってしまった。時計は4時を打った。酷暑期の夜だった。もうすぐ夜が明けることを知っていたデーヴダースは、パールヴァティーの手を取って言った。「いくぞ、お前の家まで送っていくよ。」

 「一緒に来てくれるの?」

 「ああ。もし誰かにこのことがばれても、何か解決法はあるさ。」

 「じゃあ行きましょ!」

 2人は静かに外に出た。

第7章

 次の日、デーヴダースはパールヴァティーのことについて、父親と話をした。父親は言った。「お前はいつもワシを困らせてばかりいる!ワシが死ぬまで困らせ続けるつもりだろう?だからお前がそんな話をしても何も驚かんぞ!」

 デーヴダースは黙ってうつむいて座っていた。

 父親は言った。「ワシはそのことについて何も関係ない。もし話がしたいんだったら、母さんとしろ!」

 デーヴダースの母親はそのことを聞き、彼を叩きながら言った。「何言ってんだか、この子は!私はお前の育て方を間違ったよ!」

 その日、デーヴダースは荷物をまとめてカルカッタへ去って行ってしまった。パールヴァティーは、デーヴダースがカルカッタへ行ってしまったことを聞いて非常に傷ついたが、何も感情を表さず、ただ笑みを浮かべていた。昨夜のことは誰にも言わなかった。昼頃、マノールマーが来て言った。「パーロー、デーヴダースが行っちゃったんだって?」

 「うん。別に不思議じゃないわ。デーヴは勉強しに戻っただけ。」

 「不思議じゃないにしても、困ってるんじゃないの?」

 「どうして?」

 「これからどうするの?」

 これからどうすればいいのか、それはパールヴァティー自身も知らなかった。何日間もそのことについてずっと考え続けたが、どのくらい希望が持てるのか、どのくらい絶望すべきなのかも分からなかった。しかし人間はこのような希望と絶望の入り混じった状態のときには、どんなに心の中に恐怖が満ちていても、最後まで希望を信じるものだ。パールヴァティーはほんの少しでも自分の中にある幸運を信じていた。自分の願う未来の方向だけを見ていた。パールヴァティーは、昨夜自分が行ったことは絶対に間違っていないと考えていた。年頃の女の子がそんなことをしたらどうなるか、などということは全く眼中になかった。だからパールヴァティーは、デーヴダースが再び戻ってくることを信じていた。そして彼は自分を呼んで言うのだ――パーロー、オレは絶対に他の男に、お前の髪の毛一本触らせないさ――と。しかし2日後に彼女は以下のような手紙を受け取った。

 パールヴァティー、オレは2日間ずっとお前のことを考えていた。オレの両親は、オレたちの結婚を全然望んでいない。お前を幸せにしようとしても、オレの両親はお前を想像を絶する方法で痛めつけるだろう。それに両親に歯向かうなんて、オレにはできないことだ。これ以上お前に手紙を書くことはないだろうから、この手紙の中にオレの気持ちを全部書こうと思う。

 お前の家系は卑しい。少女を売買する家系の女を、母さんは絶対に家に入れようとしないだろう。お前の家族はオレの家の隣に住んでいる。これも両親にとって気の食わないことだ。父さんが言ったことはお前も全部知ってるだろう。あの夜のことを考えると、オレはとても悲しくなる。なぜなら、お前のようなプライドの高い女が、どんなに辛い思いであんなことをしたか、オレはよく知っているからだ。

 それともうひとつ。お前はオレのことを愛していてくれたそうだが、オレは少しもお前のことを愛したことはなかった。今日もお前のために心を悩ますのようなことはない。ただ、お前がオレのために苦悩していることだけが悲しい。オレを忘れる努力をしろ。それがうまくいくことを祈る。これがオレの別れの言葉だ。
デーヴダース

 デーヴダースは手紙を郵便局に出すまで、ただひとつのことを考えていた。しかし手紙を出した後、他のことを考え出した。この手紙は、まるでパールヴァティーに石を投げつけるようなものだった。デーヴダースはその石の飛ぶ方向をじっと見つめ、モヤモヤとした恐怖感が彼の心をだんだんと覆ってくるのを感じた――この石は彼女の頭に当たって、どうなるだろうか?強くぶつかってしまうだろうか?もしかして命を奪ってしまうこともあるだろうか?あの夜、彼女はオレの足に頭を乗せて、あんなに泣いていたじゃないか・・・。

 郵便局から寮に帰る間、デーヴダースの心には、自分のしたことはよくなかったのだろうか、という後悔の念が生じてきた。デーヴダースは、もしパールヴァティー自身に非がないなら、両親はどうして彼女との結婚を拒否するのだろうか、ということを真剣に考え始めた。デーヴダースは、成長するに従い、またカルカッタで生活するに従って、ただ見栄を張るためだけに、家族の尊厳と悪意に従って、意味も無く命を奪うことはよくないことであると学んだ。もしパールヴァティーが心の中の炎を鎮めるために水の中に身を投げたとしたら、それこそ大きな汚名とならないだろうか?

 寮に着くと、デーヴダースは自分のベッドに横になった。最近彼はある寮に住んでいた。叔父の家は居心地が悪かったので、ずっと前に引き払っていたのだった。

 夕方になると、使用人が彼のドアをノックした。デーヴダースは起き上がってドアを開けた。使用人は火を灯して去って行った。デーヴダースはまたドアを閉めてベッドに横になった。

 夜になると寮には他の寮生たちが1人また1人と帰ってきた。それまで静まり返っていた寮は、まるで生き返ったかのようだった。数人が食事をしに外へ出るとき、デーヴダースの部屋に灯りが灯っているのを見て、彼も食事に誘おうとした。しかしデーヴダースは行かなかった。「きっともう食べちゃったんだろう」と言って彼らは外へ出て行った。

 真夜中になった。しかしデーヴダースには少しも眠気が訪れなかった。寮の他の住人は、既に深い眠りに陥ってた。

 そのとき、部屋の外の廊下で、誰かの足音がした。そしてその足音はデーヴダースのドアの外で止まった。「あれ、こんな時間に起きているのか、デーヴダース?」

 それはチュンニーラールの声だった。彼の部屋はデーヴダースの隣だった。彼はもう今年で9年もここに滞在し続けていた。彼がそれだけ長い間カルカッタに住んでいるのは、B.A.コース(文学部)を卒業するためだった。昼間は大学へ行き、食堂で友人とコーヒーを飲み、あれこれ話をして、夕方に寮に戻って来る。夜になると上物の服を着て夜遊びに出掛け、次の日の早朝に戻って来る。これが彼の日課だった。こんな毎日を9年間も送っていたのだった。

 今日は真夜中寮を出てすぐに帰って来たので、デーヴダースは驚いた。彼はベッドから起き上がって言った。「どうしたんだ、チュンニー!今日はやけに早かったじゃないか?」

 「ああ、今日は体調が悪くてな」と言いつつチュンニーラールは自分の部屋に入って行った。

 それから間もなく、チュンニーラールはデーヴダースの部屋のドアをノックしながら言った。「おい、デーヴダース、ちょっと開けてくれないか?」

 「ああ、待ってろ。」デーヴダースはドアを開いて聞いた。「どうしたんだ、チュンニー?」

 部屋の中に入りながらチュンニーラールは言った。「タバコ持ってないかと思ってな。」そして彼はイスに座った。

 デーヴダースは、隅の机に置いてあったタバコのケースを取ってチュンニーラールに渡した。「ほら、これ。」

 キセルを準備しながらチュンニーラールは言った。「今日はなんでこんな遅くまで起きてるんだ?」

 「毎日眠くなるとは限らないだろ?眠れない夜もたまにはあるさ。」

 笑いながらチュンニーラールは言った。「オレは今までこう考えてたよ。お前のような良家のお坊ちゃんは、早く寝るようにできてて、夜中まで起きてられないってな!でも今日はいい勉強になったよ。それが間違いだったってことが分かったからな。」

 デーヴダースは何も言わなかった。キセルをプッとひと吹きしてチュンニーラールは言った。「実家から帰って来たから、お前はずっと心が晴れない顔してるよな。何か困ったことでもあるのか?」

 デーヴダースは黙ったままだった。と、急に思いついたようにチュンニーラールに質問した。「君は何も困ってないのか?」

 笑いながらチュンニーラールは答えた。「全然。オレの辞書に苦悩という言葉はないんだ。」

 「本当のこと教えてくれよ、チュンニー!人生の中で全く落ち込んだことはないのか?」

 「なんでそんなこと聞くんだよ、デーヴダース?」

 「君の体験からオレも何か教訓を得れたらいいと思ってな。」

 「分かった。いつかお前に全部教えようじゃないか。」

 「そうか。じゃあこれだけは今すぐ教えてくれ。」

 「何だ?」

 「あ君は毎晩寮に戻って来ないけど、一体何してるんだ?」

 チュンニーラールはニヤニヤしながらデーヴダースの方を見て言った。「お前は本当に知らないのか?それともオレをからかってるのか?」

 「あちこちから断片的に話は聞いてるけど、詳しくは知らないよ。あんたの口から直接聞くのが一番だと思ってね。」

 チュンニーラールの顔が急に輝き出した。

 長い間よくないことをし続けると、それに対する罪悪感は消え去ってしまう。それだけでなく、時には自分の悪癖を誇りに思うようになってしまう。チュンニーラールは、にやつきながら言った。「デーヴダース、詳しく知りたければお前もオレみたいにならなきゃいけないぜ。オレと一緒に来なければ、絶対に分からないだろうな。」

 「聞くところによると、あんたが行ってるところは何やらすごい楽しいところらしいな。嫌なことを全部忘れさせてくれるような。」

 「そうそう、その通りだ、デーヴダース!」

 「もしそうなら、今度オレも一緒に連れて行ってくれよ。」

 「よし、そうと決まったら早速明日行くぜ。さあ、お前は今から少しでも寝ておけよ。もうすぐ夜が明けるぞ。」

 チュンニーラールは立ち上がり、自分の部屋に行ってしまった。デーヴダースは部屋の扉を閉め、灯りを消してベッドの上に横になった。いつの間にか彼は眠ってしまった。

 次の日の夕方、チュンニーラールがデーヴダースの部屋に来て見ると、デーヴダースはまるでどこかに旅行に行くかのように荷造りをしていた。チュンニーラールは驚いて言った。「なんだ、今日はオレと一緒に行くんじゃなかったのか?なんで荷造りなんかしてるんだ?」

 デーヴダースは荷造りをしながら言った。「ああ、チュンニー、今行く準備をしてるところさ。」

 チュンニーラールは笑いながら言った。「お前は部屋の荷物全部持って行くつもりなのか?」

 「そうさ、そうじゃなかったら、一体誰のところにこの荷物を置いていけばいいのさ?」

 チュンニーラールは全く状況が掴めなかった。「何バカなことやってるんだよ?オレは毎日行ってるんだぜ、全部荷物を置いてな!」

 デーヴダースは突然顔を上げ、恥ずかしそうに言った。「チュンニー、今日オレは村に帰るよ。」

 「は?なぜ?いつ戻ってくるんだ?」

 デーヴダースは頭を振って言った。「オレはもう戻って来ないよ。」

 チュンニーラールは驚いてデーヴダースの方をじっと見ていた。デーヴダースは財布からお金を取り出し、彼に差し出しながら言った。「もし何かオレ宛てに請求が来たら、この金で払っておいてくれ。もし余ったら、寮の使用人たちに渡しておいてくれ。オレはもう二度とカルカッタに帰って来ないだろうから。」

 デーヴダースは、カルカッタに来てからというのもの、多くのものを失ってしまったと思い始めていた。村に残してきたかけがえのない宝物は、カルカッタ全体よりも遥かに美しく輝き、そして価値のあるものだった。

 「チュンニー、勉強も教育も知恵も知識も学歴も、全て人生の幸せを得るためのものだよ。幸せを得るためじゃなかったら、何の意味もないことだ。」

 チュンニーラールは言葉を遮って言った。「それじゃあもう大学を辞めちまうのか?」

 「そうさ、勉強はオレにとって損失以外の何物でもなかったよ。もし勉強するのにこんなに金がかかるのを前もって知ってたら、オレはカルカッタに来ることもなかっただろうな。」

 「全く訳が分かんねぇよ!いったいどうなっちまったんだ、デーヴダース?」

 デーヴダースはしばらく考えてから言った。「もしいつか再会できたら、そのときに全部話すよ、チュンニー。」

 夜の9時頃、デーヴダースが全ての荷物をまとめ、寮を引き払って馬車に乗って去っていくのを、チュンニーラールをはじめとする寮生たちは唖然としながら見送った。そのときチュンニーラールは怒って他の寮生に向かって言った。「あんな気まぐれな奴だとは知らなかったぜ!」 

第8章

 賢者は自分の意見をすぐには述べず、物事の一面だけを見て意見せず、物事の一面だけを見て自分の考えを固めたりもしない。物事を多角的に捉え、客観的な視点から検証し、初めて自分の慎重な意見を述べるものだ。一方、別のタイプの人もいる。彼らはある物事について深く考えることができず、突然思い立って行動してしまう。ひとつのことに没頭して考えることを嫌い、一度信じた方向に突き進む。この後者のタイプの人たちはこの世界において何も仕事ができないかというと、そうでもない。ときには前者に比べて多くのことを成し遂げる。神様の助けがあれば、この後者のタイプの人々はしばしば何かの先駆者となる。もし神様の助けがなければ、出口のない迷路に迷い込み、一生涯、立ち上がることも座り込むことも、太陽の方向を見ることもできなくなる。動かず、死んだ火の如く横たわり続ける。デーヴダースも後者のようなタイプの人間だった。

 次の日の早朝、彼は家に到着した。母親は彼が荷物を持って家に帰って来たの見て驚いて言った。「なんだい、もう大学が休みになってしまったのかい?」

 デーヴダースは「そうだよ」と言い、心ここにあらずといった感じで家の中に入った。父親が同じことを聞いたが、やはり適当に答えてどこかへ行ってしまった。父親はよく理解できずに妻に聞いた。デーヴダースの母親は思いついたことを答えた。「きっとまだ暑さが引いてないから、また休みになっちゃったんでしょう。」

 2日間デーヴダースはパールヴァティーを探してあちこち歩き廻っていた。しかし彼は人気のない場所でパールヴァティーと会うことができなかった。2日後、パールヴァティーの母はデーヴダースを見て言った。「もしこっちに帰って来たなら、パールヴァティーの結婚が済むまで滞在してきなさいな。」

 「そうします、おばさん。」デーヴダースは言った。

 パールヴァティーは昼過ぎ、いつもダムに水を汲みに行っていた。脇に真鍮の水壺を抱えながら、今日もガート(沐浴場)に来ていた。見ると、近くのナツメの木の陰で、デーヴダースが釣り糸を垂れながら座っていた。パールヴァティーは一瞬引き返そうと思ったが、黙って水を汲んで行くことにした。しかしうまい具合にはいかなかった。水壺をガートに置いたときに音がしてしまったため、デーヴダースの視線がパールヴァテイーの方へ向いてしまった。彼はパールヴァティーを見て手招きして呼んだ。「パーロー、聞いてくれ!」

 パールヴァティーはゆっくり彼の近くへ行って立った。デーヴダースは顔を上げ、そしてしばらく河の方をボーッと眺めていた。パールヴァティーは言った。「デーヴ、何か用?」

 デーヴダースはそのまま視線を動かさずに言った。「ああ、座って。」

 パールヴァティーは座らずに、うつむいて立っていた。しかし、しばらくの間沈黙が流れると、パールヴァティーはゆっくりとガートの方向へ歩き出した。デーヴダースは頭を上げて彼女の方を見、また河の方を見て言った。「聞けよ!」

 パールヴァティーは戻って来た。しかし、またデーヴダースは黙ったままだった。それを見て彼女はまた戻った。デーヴダースは身動きせずに座っていた。少し後に彼はまた顔を上げると、パールヴァティーは水を汲み終わって家に戻ろうとしているところだった。それを見てデーヴダースは釣竿を持ちながらガートの方へ走り寄って言った。「帰って来たぞ。」

 パールヴァティーは頭に乗せていた水壺を下ろして地面に置いたが、何も言わなかった。パールヴァティーはずっと黙っていたが、やがて静かな声で聞いた。「なぜ?」

 「お前に手紙を送っただろ。覚えてないのか?」

 「知らないわ。」

 「どうしてだ、パーロー!あの夜のことを忘れたのか?」

 「覚えてるわ。でもその話を今頃して何になるの?」

 彼女の声には冷めきった響きがあった。デーヴダースは彼女の心が分からないまま言った。「オレを許してくれ、オレはあのときよく分かっていなかったんだ・・・。」

 「何も言わないで。私は何も聞きたくないわ。」

 「オレは父さん母さんが満足することをするんだ。もしお前が・・・!」

 パールヴァティーはデーヴダースの顔を鋭い目つきで睨んで言った。「あなたの両親だけなの?私の両親は?私のお父さんとお母さんの考えは関係ないの?」

 デーヴダースは慌てて言った。「どうしてだよ、パーロー、お前の両親が望んでるんだ、ただパーローが・・・!」

 「なんで私の両親が望んでるなんて分かるの?私のお父さんもお母さんも全然望んでないわ。」

 デーヴダースは無理に笑って言った。「そんなことないさ、あの2人は望んでいるさ。オレはよく知ってるんだ。ただお前が・・・!」

 パールヴァティーは言葉を遮って強い口調で言った。「ただ私があなたと結婚?フン!」

 突然デーヴダースに怒りが込み上げて来た。彼は抑えた声で言った。「パールヴァティー、お前はオレを忘れたのか?」

 最初はパールヴァティーも動揺したが、すぐに落ち着き、低い声で答えた。「忘れるはずないわ。子供の頃からあなたを見て来ているのよ。物心ついたときからあなたを恐れていたわ。私のこの恐怖心をあなたは知ってた?あなたの方こそ私を忘れてしまったようね。」彼女はじっと虚空を見つめながら立っていた。

 最初デーヴダースは何も返す言葉が見つからなかったが、やがて口を開いた。「いつもオレのこと怖がっていたのか・・・他には?」

 パールヴァティーは厳しい口調で言った。「ないわ。他に何も。」

 「本当のことか?」

 「ええ、本当よ。私はあなたのことを全然信用してないわ。私の結婚相手はお金持ちで、頭もよくて、穏やかな人だわ。そして信心深いわ。私のお父さんは私のことを大事に思ってくれてるから、あなたのような無教養で移り気で乱暴な人に私の手を委ねたくなかったの。さあ、どいてよ。」

 デーヴダースはパールヴァティーの行く先を遮り、怒って言った。「偉そうに言いやがって!」

 パールヴァティーは言った。「なぜ?あなたはいつも偉そうにしてるくせに、私はしちゃいけないの?あなたは外見はいいかもしれないけど、内面は醜いわ。私は外見も内面もいいの。あなたの家は立派かもしれないけど、私のお父さんだって乞食じゃないわ。とにかく、私はあなたたちにひざまずいて一生過ごしたくないの!」

 デーヴダースは返す言葉がなかった。パールヴァティーはさらに言葉を続けた。「私の結婚の邪魔しようと考えてるんでしょ。そうしたかったらそうすればいいわ。多少は邪魔できるでしょうね。さあ、道を開けて。」

 デーヴダースは落胆して言った。「どうやって邪魔するって言うんだ?」

 パールヴァティーは即座に答えた。「私の噂を言いふらせばいいでしょ。」

 それを聞いてデーヴダースは開いた口がふさがらなくなり、ただこれしか言うことができなかった。「言いふらす?オレが?」

 パールヴァティーは冷笑して言った。「今からみんなのところへ行って、私を淫乱な女だって言いふらせばいいわ。あの夜、私はあなたを1人で訪ねたわ。その話を村中に言いふらせばいいじゃない。そうすればスッキリするんでしょ。」パールヴァティーの震えた唇は止まった。

 しかしデーヴダースの腹の中は、怒りで火山のように煮えたぎっていた。彼はかすれた声で言った。「オレのこと、お前に嘘の汚名を着せて腹いせするような男だと思ってるんだな。」そして釣竿を動かしながら大声で言った。「いいか、パールヴァティー、お前は確かに美人になったけどな、傲慢にもなったぞ。」そう言った後、少し声を和らげて言った。「月はあんなにきれいだ、だから黒い斑点があるんだ。蓮の花はあんなにきれいだ、だから黒いハチが止まっているんだ。こっちに来い、オレがお前の顔にも印を付けてやる。」

 デーヴダースは我慢の限界に来ていた。彼は釣竿を強く握ると、パールヴァティーの顔を力いっぱい打った。と同時にパールヴァティーの頭から左睫毛までが切れてしまった。一瞬で彼女の顔は血まみれになってしまった。

 パールヴァティーは両手で頭を押さえ、地面に突っ伏して言った。「デーヴ、何するの?」

 デーヴダースは釣竿を折って河に捨てると、答えた。「どうってことないさ、ちょっと切れただけだ。」

 パールヴァティーは困惑した声で言った。「ああ、なんてこと、デーヴ!」

 デーヴダースは自分のシャツの裾を裂いて水につけ、それをパールヴァティーの頭に巻きながら言った。「心配するな、パーロー、こんな小さな傷、すぐによくなるさ。ただ痕が残るだけだ。もし誰かがこの傷について聞いたら、適当に答えておけ。そうでなかったらあの夜のことを言うんだな。」

 「そんな、デーヴ!」

 「フン!騒ぐな、パーロー!別れの最後の日を記念するために印を残してやっただけだ。自分のきれいな顔を鏡で時々見るんだろ?その度にオレのこと思い出すだろ?」答えを待たずしてデーヴダースは家の方へ歩き始めた。

 パールヴァティーは動揺して泣きながら言った。「ああ、デーヴ!」

 デーヴダースは戻って来た。彼の目も潤んでいた。とても優しい声で言った。「どうした、パーロー?」

 「このことは誰にも言わないで!」

 デーヴダースは立ったまま首を振り、パールヴァティーの髪を掴んで持ち上げると、唇に指を触れて言った。「おい、何言ってるんだ?全部忘れちまったのか?子供の頃からお前が間違ったことしたら、オレがお前を殴ってただろ。」

 「デーヴ、私を許して!」

 「そんなこと言うなよ、お前は本当に何もかも忘れちまったのか、パーロー?オレはいつだってお前を許して来たじゃないか?」

 「デーヴ!」

 「パールヴァティー、お前が知ってるように、オレは話すのは苦手なんだ。よく考えて行動することができないんだよ。思いついたらすぐに行動しちまうんだ。」デーヴダースはパールヴァティーの頭に手を置いて祝福を与えつつ言った。「お前の選んだ道は正しいよ。オレの家に嫁に来たとしても、多分お前は幸せになれなかっただろう。でもお前のデーヴはきっとこの上ない幸せを得れただろうけどな・・・。」

 そのとき対岸から誰かが来ていた。パールヴァティーはその場を去るためにゆっくりと立ち上がった。デーヴダースは既に去って行ってしまった。パールヴァティーが家に戻ったときには日が沈んでいた。祖母は彼女を見て言った。「パーロー、池の水を汲んで来たかい?」

 しかし彼女の顔を見て驚いて言った。「ああ、なんてこと、どうしたんだい?」

 傷口からはまだ血が流れていた。布の切れ端はほとんど血で赤く染まっていた。祖母は泣きながら言った。「ああ、ああ、お前の結婚式だって言うのに、パーロー!」

 パールヴァティーは落ち着き払って水壺を下に降ろした。母親も来て泣きながら問いただした。「この傷はどうしたんだい?」

 パールヴァティーは普段の調子で答えた。「ガートで足が滑って、頭をレンガにぶつけてしまったの。だからちょっと怪我しちゃったわ。」

 その後みんなで集まってパールヴァティーの治療をした。デーヴダースの言ったとおり、4、5日の内に傷はよくなった。このようにして10日が経った。ある夜、ハーティーポーター村の地主ブヴァン・チャウドリーが花婿の姿をして結婚しにやって来た。パレードはそれほど盛大には行われなかった。ブヴァンは分別のある人だった。このような年齢になって、しかも二度目の結婚をするというときに、若い花婿のように騒ぐのはよくないと考えていた。

 花婿の年齢は40歳ではなく、実際はもっと上だった。彼は白い肌に太った体をしていた。白髪混じりのヒゲを生やし、頭のてっぺんは禿げ上がっていた。花婿を見て、ある者は笑い、ある者は黙ってしまった。ブヴァンは静かな厳しい面持ちで、罪人のように結婚式場の入り口に来て立った。これほど賢く、真面目な人間に対して笑うような勇気を持っていた者はいなかったため、女性たちは皆黙り込んでいた。対面のとき、パールヴァティーは歯を食いしばって彼の顔を見ていた。口元にはかすかに笑いさえ浮かんでいた。ブヴァンは小さな子供のようにうつむいてしまった。村の女性たちは大声を上げて笑った。花嫁の父親のチャクラヴァルティーはあちこち走り回っていた。地主のナーラーヤン・ムカルジーは、本日の花嫁側の取り仕切り役だった。彼は全ての手配を完璧にこなし、何の間違いも起こらなかった。結婚式は無事に終わった。

 次の日の早朝、チャウドリーは箱からアクセサリーを取り出した。このアクセサリーはパールヴァティーの体で一層輝きを増した。母親はそれを見てサーリーの端で涙を拭った。傍にいた地主の妻は、優しく叱って言った。「今日は涙を流して結婚式を台無しにしないようにしなさいな!」

 日が沈む前、マノールマーがパールヴァティーをある廃屋に連れて行って祝福を与え、言った。「これでよかったのよ。ほら、前に比べてパーローはとっても幸せそうに見えるわよ!」

 パールヴァティーは少し笑って言った。「そうね、幸せになるわ。昨日は死神にちょっと会えたしね!」

 「何言ってるの?」

 「時が来れば分かるでしょう。」

 マノールマーは話題を変えて言った。「もしよかったら、一度デーヴダースにこの金のアクセサリーを持って行って見せようか?」

 パールヴァティーの顔が輝いた。「持ってってくれるの?そうだ、ね、お願い、一度彼を呼んで来てくれない?」

 マノールマーは声を震わせて言った。「え、なぜ、パーロー?」

 パールヴァティーは手首のバングルを回しながらぼんやりして言った。「一度デーヴの足の埃を頭に付けたいの(尊敬を表す仕草)。今日私は行っちゃうからね!」

 マノールマーはパールヴァティーを抱擁し、2人は長い間泣いていた。日が沈み、辺りを闇が覆ってきた。祖母は廃屋の扉を押しながら外から言った。「パーロー、マノー、出ておいで!」

 その夜、パールヴァティーは夫のもとへ去って行った。

第9章

 一方、パールヴァティーの結婚式があったその日、デーヴダースはカルカッタのエデン・ガーデンにあるベンチに一晩中座っていた。彼は激しい苦悩と心の苦痛で苦しんでいたわけではない。彼の心の中には、一種の虚脱感が次第に生じ始めていた。まどろみの中で突然体の一部が脈打ち、眠気から覚めた。すると、デーヴダースは、まるでその体が自分のものでないように感覚になっていることに気付いた。彼の生涯の同胞であり、常に信頼を置いていた身体の一部は、彼の呼び声に何の応答もしなかった。だから彼の動揺し、麻痺した心も機能しなかった。

 次第に理解できて来た。もうそれは自分のものではないのだ。あるとき突然脈動が起き、それらは永遠に離れ離れになってしまったことが、デーヴダースにも理解できて来た。もはや怒りに任せてそれに手を出すこともできなくなってしまった。かつて自分のものだったことすら、その内忘れてしまうだろう。

 ちょうど日が昇る時刻だった。デーヴダースは立ち上がり、これからどこへ行こうか考えた。突然、カルカッタのあの寮の、チュンニーラールのところが思い浮かんだ。デーヴダースはその方向に向かった。しかしすぐに思い直して別の方向へ歩き出した。フラフラと歩いていたので、途中で2回人にぶつかってしまった。そのため指が血まみれになってしまった。ぶつかって人の体に寄りかかったが、その人は「この酔っ払いめ!」とデーヴダースを突き飛ばした。このようにあちこちをグルグル廻りながら、夕方には結局寮の扉の前まで来て立っていた。

 そのときちょうどチュンニーラールは着飾って外出しようとしていたところだった。「おい、どうした、デーヴダース?」

 デーヴダースは黙って見ていた。

 「いつ来たんだ?」チュンニーラールは嬉しくなって言った。「水浴びも食事もしてないのか?」

 デーヴダースは路上に座り込んだ。チュンニーラールは彼の手を掴んで中に連れ込んだ。自分のベッドに座らすと、落ち着いて聞いた。「一体どうしたんだ、デーヴダース?」

 「昨日家から来たんだ。」

 「じゃあ昨日は一日中どこにいたんだ?どこに泊まったんだ?」

 「エデン・ガーデン。」

 「お前、頭がおかしくなっちまったのか?どうしたんだよ?」

 「聞いてどうするんだよ?」

 「まあいいさ、とにかく何か食べろよ。で、お前の荷物はどこだ?」

 「何も持って来てない。」

 「気にするな、さあどっか行って何か食べようや。」

 チュンニーラールは無理にデーヴダースの口に食べ物を押し込み、自分のベッドに寝かせ、ドアを閉めながら言った。「とりあえず少し眠るように努力しろ。オレは夜になったら帰ってくるから。」彼は去って行ってしまった。

 夜の10時に彼は帰ってきて見ると、デーヴダースは彼のベッドでグッスリと眠っていた。彼は起こさず、毛布をそっと掛け、床のマットの上に寝た。一晩中デーヴダースは眠り続け、朝になっても目を覚まさなかった。

 朝の10時にやっとデーヴダースは起き上がり、ベッドの上に座って聞いた。「チュンニー、いつ帰ってきたんだ?」

 「今来たよ。」

 「迷惑じゃなかったかな?」

 「全然、気にするなよ。」

 デーヴダースは彼の顔をしばらくじっと見つめて言った。「チュンニー、オレは何も持ってないんだ。オレを居候させてくれないか?」

 チュンニーラールは笑った。デーヴダースの父親は大金持ちであることを彼は知っていた。だから笑って言った。「居候?いいさ、好きなだけここに住めよ。オレは何の問題もないぜ。」

 「チュンニー、君の収入はいくらなんだ?」

 「オレの収入は多くもなく、少なくもなく、さ。オレは少し土地を持っててな、今は兄貴に貸してここに住んでるんだ。毎月兄貴が70ルピーを送ってくれてる。それだけあれば、オレとお前が生活する分には十分さ。」

 「なんで自宅に戻らないんだ?」

 チュンニーラールは顔を背けて言った。「お前には関係ないだろ。」

 デーヴダースはそれ以上は聞かなかった。そのとき食事時を告げる呼び声がした。2人は水浴びをし、食事をして、再び部屋に戻って座った。チュンニーラールは聞いた。「デーヴダース、親父とケンカでもしたのか?」

 「いや。」

 「じゃあ誰と?」

 デーヴダースは同じように返事をした。「いや。」

 その後チュンニーラールは突然別の話題を思いついた。「ああ、お前はまだ独身だったな。」

 デーヴダースは別の方向を向いて横たわっていた。少し後にチュンニーラールが見ると、デーヴダースは眠ってしまっていた。

 このようにゴロゴロしている内に2日が経ってしまった。3日目の朝、デーヴダースの体の調子もよくなり、起き上がって座っていた。彼の表情はまるで心を覆っていた深い闇が晴れたようだった。チュンニーラールは聞いた。「今日は調子はどうだ?」

 「前よりだいぶよくなったよ。ところでチュンニー、君はまだ夜にどっかへ行ってるのかい?」チュンニーラールははにかみながら言った。「ああ、行ってるよ。でも話すようなことじゃないさ。で、今日は大学へ行くだろ?」

 「いや、オレはもう勉強は辞めたんだ。」

 「おいおい、2ヵ月後に試験があるんだぜ!お前の成績は悪くなかっただろ。今年の試験だけでも受けろよ!」

 「辞めたと言ったら辞めたんだ。」

 チュンニーラールは黙ってしまった。デーヴダースは再び聞いた。「夜どこ行ってるんだよ、教えてくれよ。君と一緒に行くからさ。」

 チュンニーラールはデーヴダースの顔を見て言った。「それを知ってどうするっていうんだ?別にそんないいところへ行ってるわけじゃないさ。」

 デーヴダースにとってそれがいいところであろうと悪いところであろうと関係なかった。彼は言った。「チュンニー、オレを連れて行ってくれるのか、くれないのか、はっきりしてくれ!」

 「連れて行くことはできるけどな、行くべきじゃないぜ。」

 「いや、オレは行くぞ。もし気に入らなかったら、もう2度と行かないだろうしな。でも君は楽しくてしょうがないから毎日通ってるんだろ。それならオレは絶対に行くよ。」

 チュンニーラールは顔を背け、なんてこった、と心の中で舌打ちしながらも「よし、じゃあ一緒に行くか」と言った。

 日が沈む少し前、ダルムダースがデーヴダースの荷物を持って寮までやって来た。デーヴダースを見て泣きながら言った。「デーヴ坊ちゃん、今日で3、4日経ちます、奥様が泣いてらっしゃいますよ。」

 「なんで泣いてるんだ?」

 「何も言わずにいきなり立ち去ってしまうからです。」一通の手紙を取り出しながら言った。「奥様からの手紙です。」

 チュンニーラールは部屋の中で状況を掴もうと聞き耳を立てていた。デーヴダースは手紙を読んで、机の上に置いた。母親は家に戻ってくるように長々と懇願の文章を書き綴っていた。家族の中でただ母親だけが、デーヴダースの心の苦悩を慮ることができた。多額のお金をダルムダースを介して送ってよこしてくれていた。ダルムダースはそれを全額デーヴダースに手渡して言った。「デーヴ坊ちゃん、家に帰りましょう。」

 「オレは帰らない。お前が1人で帰ってくれ!」

 夜になった。デーヴダースとチュンニーラールは着飾って外に出た。そういう格好はデーヴダースの趣味ではなかったが、チュンニーラールは普段着を着て外出することをよしとしなかった。

 夜の9時に馬車はチトプルのとある2階建ての建物の前で止まった。チュンニーラールはデーヴダースの手を掴んで中に連れて入った。そこの女主人の名前はチャンドラムキーといった。彼女は2人の前で慇懃に挨拶をした。そのとき、デーヴダースの全身に怒りが込み上げた。彼はカルカッタに来てからというものの、知らず知らずの内に女性の体に対する嫌悪感を持ち始めていた。チャンドラムキーを見るや否や、心の中の憎悪が野に放たれた火の如く燃え上がった。チュンニーラールの顔を見て、顔をしかめて言った。「チュンニーラール、なんてひどい場所に連れ込んでくれたんだ?」

 デーヴダースの怒った声と目を見て、チャンドラムキーとチュンニーラールは当惑してしまった。しかしすぐにチュンニーラールは気を取り直してデーヴダースの片手を取って優しい声で言った。「さあ、中に入って座れよ。」

 デーヴダースは何も言わずに部屋の中に行き、ベッドの上に不機嫌そうに座った。そばにチャンドラムキーも黙って座った。召使いの女が銀製の水キセルを持って来た。デーヴダースは触ろうともしなかった。チュンニーラールは厳しい顔で座っていた。召使いはどうしたらいいのか分からず困惑していた。とうとうチャンドラムキーに水キセルを渡して召使いは去って行った。2、3回彼女が水タバコを吸うと、デーヴダースは彼女の顔を見て突然嫌悪感をあらわにして言った。「なんて無礼で恥知らずな女だ!」

 これまでチャンドラムキーを口論で負かした者はいなかった。彼女に恥をかかすのは簡単なことではなかった。デーヴダースの内面の嫌悪感から発せられたこの短く厳しい言葉によって、彼女はカチンと来た。しかしすぐに彼女は平静を保った。だが、チャンドラムキーの口から煙は出なかった。彼女はチュンニーラールに水キセルを渡し、デーヴダースの方を向いて、何もしゃべらずに座っていた。3人はそのまま身動きせずにいた。ただ時々、水タバコのグルグルという音が、間の悪そうに鳴っていた。友人の間で議論しているときに、突然つまらない口論に発展することがある。そんなとき、お互いに心の中でイライラし、興奮しながら「さてと!」と言っているものだ。このように、3人は心の中で「さて、どうしたものか?」と言っていた。

 とにかく、3人とも気まずい雰囲気だった。チュンニーラールは水タバコを置くと、下に行ってしまった。多分彼は他に何もやることがなかったのだ。だから部屋の中にはただ2人が残っていた。デーヴダースは顔を上げて聞いた。「お前は金を取ってるんだよな?」

 チャンドラムキーはすぐには何も答えなかった。そのとき彼女の年齢は26歳だった。この9年間で彼女は数え切れないほどの男と出会ってきた。しかしこのような変な男と会ったのは初めてだった。少し当惑しながらも言った。「あなたの足の埃がある限り・・・」

 デーヴダースは彼女の言葉を遮って言った。「足の埃の話じゃない、金の話だよ。」

 「それを頂きませんことに、私どもの仕事がどうして成り立ちましょう?」

 「ただそれが聞きたかっただけだ。」彼はポケットから紙幣を取り出してチャンドラムキーに手渡し、出て行こうとした。いくら渡したかも数えずに。

 チャンドラムキーは丁寧な声で言った。「もうお帰りですか?」

 デーヴダースは何も言わず、バルコニーに黙って立った。

 チャンドラムキーはお金を返そうと思ったが、躊躇して返すことができなかった。おそらく彼女の心に恐怖心が芽生えたのだろう。それを除けば、彼女は汚名も罵声も侮蔑も我慢できる性格だった。だから何も言わず、少しも動かずにドアのそばに立った。デーヴダースは階段を降りて1階へ行った。

 階段でチュンニーラールに会った。彼は驚いて聞いた。「どこへ行くんだ?」

 「寮に帰るよ。」

 「なぜ?」

 デーヴダースはもう2、3段降りた。

 チュンニーラールは言った。「オレも帰るよ。」彼はデーヴダースに近寄り、手を取って言った。「行こう、ちょっとここで待っていてくれ、オレは上へ行って来るから。」

 「いや、オレはもう行く。君は後で来いよ。」デーヴダースは去って行ってしまった。

 チュンニーラールは上へ行って見ると、チャンドラムキーはそのまま部屋の入り口に立っていた。チュンニーラールを見て聞いた。「あの方は帰ってしまわれたの?」

 「ああ。」

 チャンドラムキーは手に持った紙幣を見せて言った。「これを、あなたのお友達にお返しくださいな。」

 チュンニーラールは言った。「あいつが自分から渡したんだろ?オレは返せないよ。」

 チャンドラムキーは少し笑みを浮かべたが、その笑みの中に喜びは見られなかった。彼女は言った。「あの方は渡したくて渡したのではないわ。私がお金を取ることに怒って渡したの。ところで、チュンニー様、あの方は気違いなの?」

 「違うさ。近頃あいつは何か心配事でもあるみたいなんだ。」

 「何の心配事ですか?あなたは何か知ってらっしゃるの?」

 「オレは何も知らないよ。多分家庭内の揉め事か何かだろう。」

 「では、どうしてここに連れて来られたのですか?」

 「オレが連れて来たんじゃないさ、あいつが自分で無理矢理ついて来たんだ。」

 チャンドラムキーは本当に驚いて言った。「自分で無理矢理来たの?ここがどういうところか知ってるのに?」

 チュンニーラールは少し考えて言った。「知らなかったら来ないだろ?あいつは全部知ってるんだ。オレが何もかも忘れさせて連れて来たわけじゃあるまいし。」

 チャンドラムキーはしばらく黙っていたが、何を思ったのか話し出した。「チュンニー様、お頼みしたいことがあるんですけど。」

 「何だ?」

 「あなたのお友達はどこにお住まいなのですか?」

 「オレと一緒に住んでるぜ。」

 「いつかあの方をもう一度連れて来てはくれませんか?」

 「それは無理だな。あいつは今までこんなところに来たことがなかったし、これからも来ることはないだろうよ。しかし、なんでまたそんなこと頼むんだ?」

 チャンドラムキーは妖艶な笑みを浮かべながら言った。「チュンニー様、もしそうなら、もう一度あの方をお連れして下さいませ。」

 チュンニーラールは微笑み、ウインクして言った。「大声でどなられて愛が芽生えたとか?」

 チャンドラムキーも微笑んで言った。「いえ、見てください、あの方はお金を下さいました。その分のことをまだしておりません。」

 チャンドラムキーの性格をよく知っていたチュンニーラールは、頭を振って言った。「いやいやいや、金の話じゃないだろ、お前はそういう女じゃない。本当のこと言えよ!」

 チャンドラムキーは言った。「あの方に心を惹かれてしました。それが本当の理由です。」

 チュンニーラールは信じなかった。笑って言った。「こんな一瞬で?」

 今度はチャンドラムキーも笑って言った。「そういうことにしておいて下さいな。あの方の気分が晴れたら、もう一度ここに連れて来て下さい。そのときじっくり見てみましょう。連れてきて下さいますよね?」

 「約束はできないな。」

 「どうかお願いします。」

 「ま、努力はしてみるぜ。」

第10章

 パールヴァティーが夫の家に来て見てみると、その家は非常に大きな邸宅であった。新しい様式の家ではなく、古い伝統的な様式の家だった。本殿、副殿、礼拝用ホール、劇場、ダルムシャーラー(宿泊所)、書斎、倉庫や多くの使用人たちを見て、パールヴァティーは言葉を失ってしまった。彼女は、自分の夫が大地主であることは聞いていたが、これほどまでとは想像だにしていなかった。唯一不足していたものは家族だった。これほど大きなザナーナー(女性用の建物)に誰も住む者がいなかった。パールヴァティーは新妻だったが、突然家の女主人となってしまった。彼女を家に迎え入れたのは年老いた叔母だけで、後は使用人たちが全員一列に並んでいただけだった。

 日が沈む少し前、1人の美しい若者が挨拶をしてパールヴァティーの傍に来た。「お母さん、僕が長男です。」

 パールヴァティーは頭を覆ったヴェールの下からチラッと見たが、何も言わなかった。彼はもう一度挨拶をして言った。「お母さん、僕があなたの長男です。よろしくお願いします。」

 パールヴァティーはヴェールを頭の上に上げ、優しい声で言った。「こっちに来て。」

 少年の名前はマヘーンドラと言った。彼はしばらくパールヴァティーの顔を驚いた様子で見ていた。その後、彼女のそばに座って礼儀正しい口調で言った。「今日で2年が経ちます、僕のお母さんが亡くなってしまってから。この2年間、僕たちは悲しみと苦しみの中で過ごして来ました。今日、あなたが来てくれました。どうかこれから幸せに過ごせるように祝福を下さい。」

 パールヴァティーは心を開き、落ち着いた様子で話し始めた。なぜなら一旦女主人となってしまったからには、多くのことを知らなければならないし、多くの人々と話をしなければならないと考えたからだ。これは一見すると不自然だが、パールヴァティーの性格をよく知る者なら、環境の変化によって彼女は年齢の割に物分りのいい女性に様変わりしたことをすぐに理解するだろう。彼女は過度の奥ゆかしさも、無意味な虚脱感も、行き過ぎた恥じらいもなかった。彼女は聞いた。「他の子はどこ?」

 マヘーンドラはちょっと笑って言った。「あなたの長女、つまり僕の妹は自分の夫の家にいます。僕は彼女に手紙を書いたんですが、ヤショーダーは何かの用事があって来れませんでした。」

 パールヴァティーは悲しくなって言った。「来ることができなかったの?それとも来たくなかったのかしら?」

 マヘーンドラは恥ずかしそうに言った。「よく分かりません、お母さん。」

 しかし彼の口調と表情から、ヤショーダーは怒って来なかったのだと理解した。パールヴァティーは言った。「次男はどこ?」

 マヘーンドラは言った。「あいつはすぐに来ます。カルカッタにいます。試験を受けてから来るようです。」

 チャウドリーは自分で土地を管理していた。その他、彼は毎日豊作のために祈りを捧げ、断食を定期的に行い、ダルムシャーラーに滞在しているサードゥ(遊行者)たちの世話をしていた。これらの仕事を朝から晩まで行っていた。再婚をしたことによる喜びの色は彼の顔には見えなかった。夜になっても彼はパールヴァティーのところへ時々来るだけだった。来たとしても、ごく普通の話をするだけだった。ベッドに横になり、枕に頭を乗せ、目を閉じて寝てしまうのだった。

 2人の間で交わされる会話は専らこんな感じだった。ブヴァンは言う。「いいか、お前は家の女主人だ。全てをよく見て、聞いて、その後よく考えてから行動しなさい。」

 パールヴァティーは頭を振って言う。「分かりました!」

 ブヴァンは言う。「それから、あの子供たち・・・そう、子供たちは私たち2人のものだ。」

 夫が恥ずかしがっているのを見て、パールヴァティーは微笑んだ。ブヴァンも少し笑って言う。「そうだ、それと、マヘーンドラはお前の長男だ。先日B.A.コースを卒業してな。あんなにいい子で、あんなにかわいらしい子で、それと・・・!」

 パールヴァティーは笑いをこらえて言う。「ええ、分かってます。あの子は私の長男です。」

 「お前に何が分かる?あんな優れた子はどこにもいないだろう。それとヤショーマティー(ヤショーダー)のことだが、あの子は女の子じゃない。まるでラクシュミー女神の生き写しのようで・・・。あいつは絶対に来てくれるさ。年老いた父親に会いに来ないはずがないだろう?あの子が来たら・・・」

 パールヴァティーはそばに寄り、柔らかい手を彼の剥げた頭に乗せて、優しい声で言う。「あなたは何の心配をする必要もありません。ヤショーダーを呼ぶために私が誰かを送ってよこします。そうでなかったら、マヘーンドラが自分で行くでしょう。」

 「ああ、行くだろう!そうだな、もうしばらく会っていない。お前が誰かを送るのか?」

 「ええ、必ず送ります。私の使用人を送りましょうか?」

 ブヴァンはこのとき興奮していた。夫婦という関係を忘れ、パールヴァティーの頭に手を置いて祝福して言った。「神様がお前を幸せにするように!」

 その後、年老いたブヴァンの頭にどんな考えが浮かんだか分からないが、ベッドの上で目を閉じ、心の中で言った。「ああ!彼女は私をとても愛していた!」

 そのとき、白髪混じりのヒゲの近くを涙が流れ、枕を濡らしていた。それはパールヴァティーの涙だった。ときどき彼女は心の中で言っていた。「ああ!子供たちが戻って来れば、この家がもう一度活気付くでしょう!ああ!以前はどんなに騒々しかったでしょう。男の子、女の子、家にはみんないて、毎日がお祭り騒ぎだったでしょう。それがいつの間にか終わってしまったのね。息子はカルカッタへ行き、ヤショーダーは夫の家へ、そして闇が・・・お葬式・・・。」

 このときヒゲの両側から涙が流れて枕を濡らし始めた。パールヴァティーは涙を流しながらしゃべり始めた。「マヘーンドラは結婚しないんですか?」

 ブヴァンは言う。「ああ、どうやったらあいつの幸せな姿を見ることができるのか!もちろん考えているさ。しかしあいつの心を誰が知っていよう?あいつは頑固者で、どうやっても結婚しようとしないんだ。だから家を少しでも明るくするためにお前と結婚したんだ。しかしうまく行かなかった。お前と私はこんなに年の差があるし・・・。」

 それを聞いてパールヴァティーはとても悲しくなった。同情に満ちた声で、笑いと共に頭を振って言う。「あなたが年老いるよりも早く、私は年を取るでしょう。女性は年を取るのが遅いとお考えですか?」

 ブヴァン・チャウドリーは起き上がって座った。片手を彼女の頬にあて、黙って彼女の顔の方をずっと見ていた。まるで彫刻家が自分の作品を飾り立て、頭に冠をかぶせ、右に左に回しつつ長い間見つめ、少しのプライドと多くの愛情が心に沸き起こるように、ブヴァンはパールヴァティーを誇らしく、愛らしく思った。

 ある日、彼は顔を曇らせながら外へ出て言った。「ああ!失敗した!」

 「何が失敗したんですか?」

 「私はお前の美に釣り合う夫でないと考えていたんだ。」

 パールヴァティーは笑って言った。「あなたはハンサムですよ。それに私たちの間で、美しいとか醜いとか、そんな話は意味ありませんよ。」

 ブヴァンは横になって心の中で言った。「分かっている、分かっている。お前に神様のご加護がありますように。」

 このように1ヶ月が過ぎた。その間、一度チャクラヴァルティーが娘を少しだけ連れ帰りに来たことがあった。パールヴァティーは帰ろうとせず、父親に言った。「お父さん、まだ家のことでゴタゴタしてるから、それが全部落ち着いてから行くわ。」

 父親は心の中で微笑みつつ考えた――女ってのはいつもこうだ。

 彼は帰ってしまった。パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで言った。「お前に、私の長女を呼んで来て欲しいんだけど。」

 マヘーンドラはためらった。彼は、ヤショーダーがどうやっても帰って来ないことを知っていた。彼は言った。「一度父さんが行った方がいいと思います。」

 「それのどこがいいの?それより母親と息子が一緒に行って連れて来る方がいいでしょう。」

 マヘーンドラは驚いて言った。「お母さんが行くんですか?」

 「別に何の問題もないわ。私は恥ずかしくもないし。私が行くことでもしヤショーダーが来てくれるなら、そして彼女の怒りが収まるなら、私は喜んで行くわ。」

 結局マヘーンドラが次の日にヤショーダーを連れに出掛けた。彼がそこでどんな方法を使ったかは知らないが、4日後ヤショーダーはやって来た。その日、パールヴァティーは全身に新しく、特別で、非常に高価なアクセサリーを身に付けていた。数日前にブヴァンがカルカッタから取り寄せたものだった。パールヴァティーはその日その全てのアクセサリーを身に付けていたのだった。道の途中、ヤショーダーの怒りとプライドは2倍になっていた。新しい母親を見た瞬間、彼女は全く言葉を失ってしまった。敵対感情は彼女の心に起こらなかった。ただかすれた声で言った。「これが?」

 パールヴァティーはヤショーダーの手を取って家の中に迎え入れた。近くに座って団扇を片手に持って言った。「ヤショーダー、お母さんにどれだけ怒ってるの?」

 ヤショーダーの顔は恥じらいで赤くなった。パールヴァティーは自分の体の装飾品をひとつひとつヤショーダーの体に着け始めた。ヤショーダーは驚いて言った。「これは何?」

 「何でもないわ。ただお母さんがしたいことをしてるだけ。」

 アクセサリーを身に付けたヤショーダーの体は輝いた。全てを身に付け終わると、彼女の口元に微笑みが浮かんだ。全身の宝石を着せたパールヴァティーは言った。「ヤショーダー、お母さんに腹を立てる必要はあるの?」

 「ないわ。なぜ腹を立てなきゃいけないの?誰に?」

 「いい、ヤショーダー、これはあなたのお父さんの家よ。こんなに大きな家にどれだけ使用人が必要かしら?お母さんも使用人の1人だわ。たった1人の使用人にそんなに怒って嬉しいの?」

 ヤショーダーの年齢はパールヴァティーよりも上だった。しかし、話をするときはまるで年下のようだった。彼女は狼狽してしまった。団扇を扇ぎつつ、パールヴァティーは言った。「可哀想な少女が、あなたたちのお情けのおかげでここに少しばかりの住む場所を与えてもらったの。あなたちのおかげで、憐れな私も安全に毎日暮らすことができているわ。私も使用人の1人なのよ・・・。」

 ヤショーダーはうなだれて全てを聞いてた。そして突然我を忘れて音を立てて足のそばに倒れこみ、足を触れて言った。「あなたの足を触ります(尊敬を表す言葉)、お母さん。」

 次の日、マヘーンドラはヤショーダーを呼んで言った。「どうだ?怒りは収まったか?」

 ヤショーダーは兄の足に手を置いて言った。「お兄ちゃん、怒って私が口にしたこと、誰にも言わないでね!」

 マヘーンドラは笑い出した。ヤショーダーは言った。「それにしても、あんな立派な継母っている?」

 2日後、ヤショーダーは父親のところへ来て言った。「お父さん、あっちの家に手紙を書いてくれないかしら。私はもう2ヶ月こっちにいるわ。」

 ブヴァンは驚いて言った。「どうしてだ?」

 ヤショーダーは言った。「体の調子がよくないの。だからお母さんのところにいるわ。」

 喜びでブヴァンの目に涙が溢れてきた。夕方、パールヴァティーを呼んで言った。「お前は私を恥辱から解放してくれた。ありがとう、ありがとう!」

 パールヴァティーは言った。「何ですか、いきなり?」

 「お前には理解できないだろう。ナーラーヤン(神様)は今日、私をどれだけ救済してくれたことか。」

 日没後の暗闇の中でパールヴァティーは自分の夫の両目から涙が流れているのが見えなかった。さらに嬉しいことに、ブヴァンの次男が試験を終えて家に戻って来て、しばらく滞在することになったのだった。

第11章

 2、3日の間、デーヴダースは狂人のようにあちこちフラフラしながら過ごした。ダルムダースが注意しに行くと、デーヴダースは目を真っ赤にして怒鳴り散らし、彼を追い払った。彼の変わり果ててしまった姿を見て、チュンニーラールにさえ声を掛ける勇気が起こらなかった。ダルムダースは泣いて言った。「チュンニー様、デーヴ坊ちゃんはどうしてこんな風になってしまったんですか?」

 チュンニーラールは言った。「いったいデーヴダースに何が起こったんだ、ダルムダース?」

 盲人が盲人に道を聞いても何も分からないように、その問いは意味をなしていなかった。ダルムダースは涙を拭いながら言った。「チュンニー様、どんな方法を使ってもいいですから、デーヴ坊ちゃんを母上様のところへ送ってくださいませ。もしもう勉強をしていないのでしたら、ここにいる必要はないはずです。」

 それは本当だった。チュンニーラールは考え始めた。4、5日後、ある日の夕方にチュンニーラールは外へ出掛けようとしていた。デーヴダースがどこかから帰って来て、彼の手を掴んで言った。「チュンニー、あそこへ行くのか?」

 チュンニーラールはおどおどした声で言った。「ああ、行くなと言われれば行かないが。」

 デーヴダースは言った。「いや、オレは止めてないさ。でもこれだけは教えてくれ。君は何を求めてそこへ行ってるんだ?」

 「別に何も。ただ楽しむためさ。」

 「楽しむため?オレは楽しくなかったぞ。オレも楽しみたいぜ。」

 チュンニーはしばらく彼の顔を見つめていた。おそらく彼の表情から彼の心を理解しようと努力していたのだろう。そして言った。「デーヴダース、お前に何が起こったのか、はっきり言ってくれないか?」

 「何も起こってないよ。」

 「言わないつもりか?」

 チュンニーラールはうつむいて言った。「デーヴダース、ひとつオレの頼みを聞いてくれないか?」

 「何だ?」

 「あそこにお前をもう一度連れて来るように言われているんだ。オレは約束しちまってな。」

 「あの日行ったところか?」

 「ああ。」

 「フン!あそこは気に入らなかったよ。」

 「あのときよりはマシだよ。オレが何とかするからさ。」

 デーヴダースは虚ろな表情でしばらくの間考えた後、言った。「よし、行こう。」

+++

 チュンニーラールは階段を降りてどこかへ行ってしまった。デーヴダースは1人チャンドラムキーの家の2階の部屋に座って酒を飲んでいた。そばでチャンドラムキーは悲しい顔をして座って見ていた。彼女は言った。「デーヴダース、もう飲むのはおよしなさい。」

 デーヴダースは酒の入ったグラスを下に置き、顔をしかめつつ言った。「なぜ?」

 「お酒を飲み始めてまだ数日しか経ってないのでしょう?我慢して無理して飲むのはよくないですよ。」

 「オレは我慢するために飲んでるんじゃ〜ないんだ〜!オレは〜ここにいるために酒を飲んでるんだ〜!」

 その言葉をチャンドラムキーは何度も聞いていた。どこかで壁にぶつかって、彼が血を流して死んでしまうようなことがないだろうか、彼女はとても心配していた。彼女はデーヴダースを愛していた。デーヴダースは酒のグラスを持ち上げて投げた。グラスは粉々に砕け散った。そして枕の上に頭を乗せて寝転ぶと、呂律の回らない口調で言った。「オレは〜起き上がる力がない〜、だからここに寝てるんだ〜、何も知らないんだ〜、だからお前の顔を見て話してるんだ〜、チャンド・・・ラ・・・いや、全く知らないことはない、少しは知ってるぞ〜。オレを触るなよ〜、お前のことなんか大嫌いだからな〜!」

 チャンドラムキーは涙を拭いつつ静かに言った。「デーヴダース、ここには幾人もの男性が訪れます。でも彼らはお酒に触りもしませんよ。」

 デーヴダースはチャンドラムキーをにらみつつ起き上がった。手をあちこちにブンブン振りつつ言った。「触りもしない?オレが銃を持ってたら、そいつらにぶっ放してやるぞ!奴らはオレよりもさらに罪深いな、チャンドラムキー!」

 少しの間黙り込み、何か考えた後、再びしゃべり出した。「もしいつか酒を飲むのをやめたら、いや、やめなくても、もう2度とここには来ないぞ!オレは方法を知ってるんだ、でも奴らはどうなるってんだ?」

 再び黙り込み、またしゃべり始めた。「悲しくて悲しくて、やってられなくなって酒を飲み始めたんだ。オレの不幸と悲運の友よ!もうお前を手放さないぞ!」デーヴダースは枕に顔を押し付け出した。チャンドラムキーはすぐにそばに来て顔を持ち上げた。デーヴダースは顔をしかめて言った。「おい!オレに触るなと言っただろ!チャンドラムキー、お前は知らないだろうが、オレは知ってるんだ。オレだけ知ってるんだ、オレがお前のこと嫌ってるってな!いつまでも嫌い続けるだろう!それでもオレは来るぞ、座るぞ、そして話をするぞ!それしか方法がないんだ。お前には分からないだろうな!ハ、ハ!人は暗闇の中で罪を犯し、オレはここで酒を飲み続ける。こんなに最適な場所は他にないぜ!そしてお前たち・・・」

 デーヴダースは表情を和らげて少しの間彼女の悲しげな顔を見つめ、言った。「ああ!我慢ばかりだ!不名誉、罵詈雑言、犯罪、障害、この全てを女は我慢できるんだ。お前がそのいい例だよ!」

 そして仰向けに横になって、静かにしゃべり始めた。「チャンドラムキーはオレのことをとても愛していると言っている。オレはそんなことは望んでいない。望んでいない、望んでいないんだ。人は演技をしてるんだ。顔の中にライムとススを覆い隠しているんだ。懇願し、王になり、愛し、どれだけ愛の話をしていることか、どれだけ泣いているか、まるで全て本当のことのように!チャンドラムキーは演技をしているんだ、見てやろうじゃないか。でも記憶にある彼女は、一瞬の内に全てになってしまった。彼女はどこへ行ってしまったのか、どの道からオレは来たのか?今、生涯をかけた泥酔劇が始まったんだ、1人のひどい酒飲みと、そしてここにもう1人、放っておいてくれよ!関係ないだろ!希望はないけど信じてるさ、幸せもなく、希望もない、ああ!上出来だ!」

 その後、デーヴダースは寝返りをしてブツクサ言い始めた。チャンドラムキーは何を言っているか理解できなかった。すぐにデーヴダースは寝てしまった。チャンドラムキーは彼のそばに座った。毛布を掛け、彼の目の涙を拭った。そして濡れてしまった枕を変えた。団扇を持って来てしばらく彼に扇ぎながら、うつむいて座っていた。夜の1時になると、彼女は明かりを消して扉を閉め、別の部屋へ行ってしまった。

第12章

 ナーラーヤン・ムカルジーが死んでしまった。

 デーヴダースは知らせを聞くや否や村へ戻った。大勢の村民が葬式に参列した。長男のドイジダースは大声を上げて子供のように泣き喚いており、5、6人がかかっても取り押さえられないくらいだった。しかしデーヴダースはいたって平静な様子で、井戸のそばに座っていた。彼の口には何の言葉もなく、彼の目には涙一滴見当たらなかった。彼のもとには誰も弔問に訪れなかった。ただ、マドゥスーダン・ゴーシュだけが、一回彼のそばへ来てこう言った。「こればっかりは、神様の思し召しだからな・・・。それで・・・」

 デーヴダースはドイジダースの方を指差して言った。「あっち・・・。」

 ゴーシュは間の悪そうに言った。「ああ、彼はよっぽど悲しかったんだろう・・・。」そう言いながら去って行ってしまった。他には誰も彼のところへ来なかった。

 昼になると、デーヴダースは気が抜けてしまっている母親の足のそばに行って座った。そこには多くの女性が彼女を囲んで座っていた。パールヴァティーの祖母もそこに座っていた。彼女は未亡人にかすれた声で言った。「あんた、ほら、デーヴーダースが来たよ。デーヴダースが来たんだよ。」

 デーヴダースは言った。「母さん!」

 母親は彼の方を見て言った。「デーヴダース!」すぐに目から涙が溢れてきた。周りの女性たちも泣き始めた。デーヴダースはしばらくの間、母親の足の間に顔を埋めていたが、やがて立ち上がり、父親の遺体が安置された部屋へ行った。そして下に敷かれた敷物の上に座った。外からは平静に見えたが、彼の心は悲しみで動揺していた。彼は年がら年中自らの身体を痛めつけ、それと同じくらい周囲に罵声を浴びせかけていた。彼は醜くなっていた。父親の死の悲しみと罪悪感は、彼の顔をさらに変わり果てたものにしてしまっていた。

 しばらくして、彼を探していたパールヴァティーの母親が、扉を開けて中に入ってきた。「デーヴダース!」

 「何ですか、おばさん?」

 「そんなことしても、何にもならないわよ。」

 デーヴダースは彼女の顔を見て言った。「オレが何をしましたか?」

 彼女は彼が何をしているか、全て理解していた。しかし何も言うことができなかった。デーヴダースの頭を撫でながら言った。「ああ、神様!」

 「え?」

 「神様・・・」

 このときデーヴダースは彼女の胸の中に頭を埋め、目からは熱い熱い涙が流れ落ちた。

 他の遺族たちもこのような感じで1日を過ごした。規則通りに行われ、大声を上げて泣く人は非常に少なかった。ドイジダースは次第に落ち着いてきた。彼の母親も少し気を持ち直していた。目を拭いつつ雑事に追われていた。2日後、ドイジダースはデーヴダースを呼んで言った。「デーヴダース、父親のシュラーッド(供養の儀式)のために、いくらぐらい使ったらいいかな?」

 デーヴダースは兄の顔を見て言った。「好きなようにしてください。」

 「いや、オレだけの考えでやるのはよくない。もうお前は大きくなったんだから、お前の意見を聞く必要もある。」

 デーヴダースは聞いた。「現金でいくらあるんですか?」

 「父さんの遺産は合計15万ルピーある。オレの考えでは、1万ルピー使えば十分だと思うんだ。どう思う?」

 「オレの相続金はいくらですか?」

 ドイジダースは少し考えて言った。「お前も半分もらえるだろう。1万ルピー使えば、お前の分は’万ルピー、オレも7万ルピー手に入る。」

 「母さんの元には何が?」

 「母さんが現金をもらって何するって言うんだ?母さんは家の主人になるんだ。オレたちが母さんの家計を助けなければな。」

 デーヴダースは考えて言った。「オレの考えでは、父さんのシュラーッドに3万ルピー使うのがいいと思います。まず兄さんとオレで半分ずつ分けて、7万5千ルピーずつ。その中から兄さんがシュラーッドのために5千ルピー出して、オレは2万5千ルピー出します。オレの残りの金の中から2万5千ルピーは母さんに譲渡します。オレは2万5千ルピーだけもらえればいいです。」

 ドイジュダースは狼狽しつつも言った。「それはいい考えだな・・・お前も知ってるだろう、オレには妻や子供がいる。彼らの聖紐式や結婚式のために莫大な支出をしなければならない。だからその考えはいい。」そして少し黙ってから言った。「で、一応念のために契約書でも作っておこうか。」

 「契約書なんて必要ないです!それはよくないことです。オレは今、金の話はしたくありません。今度にしましょう。」

 「お前の言いたいことは分かるが、早いうちに金の話をしなきゃならんだろう!」

 「それじゃあオレが書きます。」その日、デーヴダースは契約書を作った。

 次の日の昼頃、デーヴダースは階段を降りていた。途中でパールヴァティーを見て足を止めた。パールヴァティーはデーヴダースの方を見た。見てすぐに、彼は今イライラしていると分かった。デーヴダースは厳しい表情で彼女の方へ来て言った。「いつ来た、パールヴァティー?」

 その声を聞いたのは3年振りだった。うつむいてパールヴァティーは言った。「今日の朝来たの。」

 「久しぶりだな。元気か?」

 パールヴァティーはうつむいたままだった。

 「チャウドリーは元気か?子供たちは?」

 「みんな元気よ。」パールヴァティーは一度彼の顔を見たが、彼に「元気?」と聞くことができなかったし、「何をしてるの?」と聞くこともできなかった。

 デーヴダースは聞いた。「ここに何日かいるんだろ?」

 「ええ。」

 「それじゃ」と言ってデーヴダースは去って行ってしまった。

 シュラーッドが終わった。その様子を描写すると非常に長くなってしまうから、その必要はないだろう。シュラーッドの2日目、パールヴァティーはダルムダースを1人呼び、彼の手に金のネックレスを握らせて言った。「ダルム、娘さんにこれをあげて。」

 ダルムダースは彼女の顔を見て、今にも泣き出しそうな声で言った。「ああ!本当に久しぶりだ、お元気でしたか?」

 「ええ、みんな元気です。あなたの子供たちはどう?」

 「はい、パーロー、みんな元気です。」

 「あなたはどう?」

 ダルムダースは長いため息をして言った。「どうしたもこうしたもないですよ。人生お先真っ暗です。ご主人様が亡くなってしまわれたし・・・私も死んでしまいたいくらいです。」ダルムダースはさらに身の不幸を並べ立てようとしたが、パールヴァティーが遮った。それらの話を聞くためにネックレスをあげたわけではなかった。

 パールヴァティーは言った。「ねえ、ダルムダース、お前が死んでしまったら、デーヴの世話は誰がするの?」

 ダルムダースは言った。「まだ子供だった頃は世話する必要もありましたが、今はそんな必要ありません。」

 パールヴァティーはさらに詰め寄って言った。「ダルム、ひとつ本当のことを教えてくれる?」

 「ええ、もちろんですよ、パーロー。」

 「じゃあ本当のことを言って。デーヴダースは今何してるの?」

 「私を養ってくれてます。」

 「ダルムダース、どうしてはっきり教えてくれないの?」

 ダルムダースは熱を込めて言った。「はっきり言ってどうなるって言うんですか?これだけは言っておきます。ご主人様もいなくなって、デーヴ坊ちゃんに多くのお金が手に入りました。今の坊ちゃんを誰が止められるでしょう?」

 パールヴァティーの顔が突然ゆがんだ。彼女は嫌な予感が的中し、悲しくなって言った。「何言ってるの、ダルムダース?」彼女はマノールマーからの手紙でいくつかの知らせを聞いていたが、全然信じていなかった。ダルムダースはうつむいてしゃべり始めた。「食べもせず、飲みもせず、寝もせず、ただ酒酒酒の毎日・・・3日、4日、どこかへ行って戻って来ないし、全く訳が分かりません。どれだけのお金を使い果たしたことでしょう。聞くところによると数千ルピーの装飾品を作らせたそうです。」

 パールヴァティーは全身震えたった。「ダルムダース、それは全部本当のことなの?」

 ダルムダースはパールヴァティーの言うことを聞かずにしゃべり続けた。「お前の他に坊ちゃんを説得することはできない。一度坊ちゃんを説得してくれないか?多分お前の話なら聞くだろう。見てみなよ、坊ちゃんの美しい体がどんな状態になってしまったことか?こんな自暴自棄の生活をして、あと何日生きていられよう?自分の体を痛めつけるのを止めさせてくれ。この話は他の誰にもできないから、お前に頼んでいるんだよ。誰にこの話をしよう?奥様、旦那様、お兄さんにはこんな話はとてもじゃないができない・・・。」ダルムダースは黙った。彼の目からは涙が流れ落ちた。その後再び言った。「全部本当のことなんだよ、パーロー、ああ、いっそのこと毒を飲んで死んでしまいたいよ、パーロー、もうこの先生きてく自信がない。」

 パールヴァティーはしばらく呆然と座っていたが、やっとのことで立ち上がって自分の家へ去って行った。彼女はデーヴダースの父親が死んだという知らせを聞き、デーヴダースと彼の母親を慰めるために帰って来たのだった。しかし、ここに来てダルムダースと話をしてから、彼女の心はバラバラになってしまった。デーヴダースを慰める代わりに、デーヴダースに対して怒りを覚え始めた。そしてそれの何千倍もの責苦をパールヴァティーは自分自身に対して感じ始めた。これは全てあれが原因なのだ、彼女は考えた。最初、パールヴァティーは傲慢になって自らの足に斧を振り下ろした。ところがその斧はひるがえって、彼女の頭を直撃したのだった。あれが原因となってデーヴダースは自分の人生を滅茶苦茶にしているのだ。彼は他人の世話ばかりをして、自分のことは何も考えていない。彼を心配し、世話する人がいないから、彼は破滅に向かっている。彼は見知らぬ他人に食物を分け与え、自分自身は腹をすかせている。パールヴァティーは、今日デーヴダースの足元に自分の頭をぶつけて、自分の命を捧げる決心をした。

 夕方になる少し前だった。パールヴァティーはデーヴダースの部屋に入った。デーヴダースはベッドの上に座って遺産の契約書を見ていた。パールヴァティーは静かにドアを閉めて絨毯の上に座った。デーヴダースは顔を上げ、微笑みながら彼女の方を見た。彼の顔は悲しげだったが、穏やかだった。突然デーヴダースは質問した。「もし今日、お前の悪い噂を言いふらしたら?」

 パールヴァティーは恥じらいを浮かべ、黒い両目で一度彼の方を見て、目を伏せた。デーヴダースの言葉は、あの出来事が彼の心に永遠に刻み込まれていることを示していた。パールヴァティーはデーヴダースにいろいろな話をするために来ていたが、全てを忘れてしまい、ひとつも言い出すことができなかった。デーヴダースはもう一度笑って言った。「分かってるよ、分かってるよ!恥ずかしいんだろ?」このときもパールヴァティーは何も言うことができなかった。デーヴダースは言った。「恥ずかしがる必要なんてないさ。オレたちはガキの頃から一緒に過ごして来たんだ。一緒に目を覚まし、一緒に座り、一緒に遊んで・・・。ただひとつ間違いが起きちまったんだ。怒りのあまり、お前は思ったことをそのまま言ってしまった。そしてオレはお前の顔に傷跡を付けてしまった。どうなった、あの傷は?」

 デーヴダースの言葉に裏表は少しもなかった。ただ笑いながら過去の悲しい出来事を話していた。パールヴァティーの心も、だんだん打ち解けてきた。口をショールで隠し、深く息を吸って、心の中で言った――デーヴ、この傷跡だけが私の心の支えよ、ただこれだけが私の仲間だわ。あなたは私を愛していたから、思いやってくれて、私たちの思い出をこの形で、この線で、刻んでくれたんだわ。だから私は少しも恥じていないわ。罪悪感もないわ。これは私の栄誉の印だわ。

 「パーロー!」

 口からショールを外さずにパールヴァティーは言った。「何?」

 「オレはお前に対してすごく怒ってるんだぞ!」

 このときデーヴダースの声は豹変した。「父さんは死んでしまった。今日はオレにとって災難な日だ。でもお前がここにいても何の問題もない!義姉さんのことは知ってるだろ?兄さんの性格も全部分かってるだろう。それに母さんのために何をしたらいいか、何が起こるのか、オレには何も分からないんだ。お前がいてくれれば、オレはお前に全部任せることができる。違うか、パーロー?」

 パールヴァティーは突然泣き出した。デーヴダースは言った。「なんで泣いてるんだ?もう何も言わないから!」

 パールヴァティーは涙を拭いながら言った。「うんん、言って!」

 デーヴダースは咳払いをして言った。「パーロー、お前はもう立派な女主人になったことだろう?」

 パールヴァティーはショールの中で唇を噛みしめ、心の中で言った――女主人なんてとんでもない!まるで石になってしまったようだわ!

 デーヴダースは笑いながら言った。「おかしい話だな!お前、あんなに貧乏だったのに、もうこんなに大物になっちまって!大きな家、偉い地主、優秀な子供たち、それに一番すごいのはチャウドリーさんだよ。そうだろ?」

 チャウドリーはパールヴァティーにとって笑いの種だった。彼の名前が出てくるだけで彼女は笑いが込み上げて来た。こんな状態のときにすら、笑いが込み上げた。デーヴダースは無理に真面目になって言った。「ひとつ頼みごとしていいか?」

 パールヴァティーは顔を上げて言った。「何?」

 「お前の村に、誰かいい女の子いないかな?」

 パールヴァティーはむせながら言った。「いい女の子?どうするの?」

 「もしいたら、その娘と結婚するよ。一度家庭を持ってみたいと思ってるんだ。」

 パールヴァティーも真剣になって言った。「とっても美人がいいんでしょ?」

 「ああ、お前みたいな!」

 「それで、とってもおしとやかで?」

 「いや、おしとやかじゃあ駄目だ。ちょっとお転婆なぐらいがいいな、お前のように。オレとケンカするぐらい!」

 パールヴァティーは心の中で「それは無理な話だわ、デーヴ、なぜなら私と同じだけの愛が必要だから・・・」と言ったが、口に出した言葉は違った。「私みたいな女の子だったら何千といるわ。」

 デーヴダースはふざけて笑って言った。「それじゃあその中から1人連れて来てくれるかい?」

 「デーヴ、本当に結婚するつもりなの?」

 「ああ、言った通りだ。」しかしデーヴダースはこれだけは正直に言わなかった。パールヴァティーを除いて、他の誰も彼の伴侶になることはできないのだ。

 「デーヴダース、ひとつ教えてくれる?」

 「何だ?」

 パールヴァティーは深呼吸して言った。「あなたはお酒をどこで覚えたの?」

 デーヴダースは笑って言った。「酒を飲むのに、学ぶ必要があるのか?」

 「そういうことじゃなくて、どうして始めたの?」

 「誰が言った?ダルムダースか?」

 「誰でもいいから、で、その話は本当なの?」

 デーヴダースは隠さずに言った。「まあその通りだ。」

 パールヴァティーはしばらく考えた後、質問した。「誰かに何千ルピーのアクセサリーをあげたの?」

 デーヴダースは真剣になって言った。「あげてないさ。作らせておいただけだ。お前、欲しいか?」

 パールヴァティーは手を広げて言った。「ちょうだい。ほら、私は何のアクセサリーも着けてないでしょ。」

 「チャウドリーさんからもらえないのか?」

 「くれたわ。でも全部彼の長女にあげちゃったわ。」

 「それじゃあお前は必要ないんだろ。」

 パールヴァティーは頭を振ってうつむいた。デーヴダースの目から涙があふれ出た。デーヴダースは心の中で「普通女は悲しみから自分の装飾品を他人にあげたりしないだろう」と考えた。しかし、目からあふれ出る涙を止めて、静かに言った。「全部嘘だよ。オレはどの女にも恋をしたことない。誰にもアクセサリーをあげたことはない。」

 パールヴァティーは長いため息をして、心の中で「私もそう信じてるわ」と言った。

 しばらく2人は黙っていた。そしてパールヴァティーが言った。「とにかく、もうお酒を飲まないって約束して。」

 「それは無理だよ。お前はオレを忘れるって約束することができるのか?」

 パールヴァティーは何も言わなかった。そのとき外から夕方を告げるほら貝の音がした。デーヴダースは窓から外を見て言った。「日が沈んだな。もう家に帰れよ、パーロー!」

 「あなたが約束するまで帰らないわ。」

 「なぜだ?オレはそんなことできないって。」

 「なんでできないの?」

 「みんながみんな、全てのことをできるはずないだろ?」

 「そう願えば絶対にできるはずだわ。」

 「お前は今夜オレと一緒に逃げることができるのか?」

 パールヴァティーの心臓が急に止まった。無意識に声が口から出た。「そんなこと、どうやって・・・?」

 デーヴダースはベッドの上に座りなおして言った。「パールヴァティー、ドアを開けてくれ。」

 デーヴダースは立ち上がってゆっくりと言った。「パーロー、大声を張り上げて約束を強要するのはよくないぜ。それで何の得になるって言うんだ?今日約束しても、それが守れることはないだろう。オレに嘘つきになって欲しいのか?」

 その後しばらくの間黙っていた。そのときどこかの家から時計を打つ音が聞こえてきた。既に9時になっていた。デーヴダースはせかして言った。「パーロー、扉を開けろ!」

 パールヴァティーは何も言わなかった。

 「行けよ、パーロー!」

 「私は絶対に行かないわ!」パールヴァティーは突然仰向けになって寝転んだ。しばらくの間、パールヴァティーは嗚咽しながら泣いていた。そのとき部屋中を深い闇が覆っており、何も見えなかった。デーヴダースは、パールヴァティーはただ床の上に倒れて泣いているのだと思っていた。彼は静かに彼女を呼んだ。「パーロー!」

 パールヴァティーは泣きながら答えた。「デーヴ、私、とっても苦しいの・・・。」

 デーヴダースは近寄った。彼の目にも涙が溢れていた。しかし普通の声で言った。「どうした、オレは何も分からないぞ、パーロー!」

 「デーヴ、私はあなたのために生きることができなかったわ!それが私の生涯の望みだったのに・・・!私は死んでしまいそうだわ!」

 暗闇の中で涙を拭いつつ、デーヴダースは言った。「しようと思えばできるさ。」

 「じゃあ私と一緒に行こ!誰もあなたを世話をしてないわ。」

 「お前の家に行ったら、ちゃんとオレの世話をしてくれるか?」

 「それが子供のときからの私の望みだったわ。ああ、神様!私のこの望みを叶えてちょうだい!その後たとえ死んでしまったとしても悲しくはないわ!」

 このときデーヴダースの目は涙で一杯になっていた。パールヴァティーは再び言った。「デーヴダース、私のところへ来て!」

 デーヴダースは涙を拭って言った。「分かった、行こう。」

 「私の頭に手を置いて誓って!」

 デーヴダースは手探りでパールヴァティーの足を触って言った。「このことはオレは絶対に忘れないよ。もしオレが行くことでお前の悲しみが和らぐなら、オレは絶対に行くさ。死ぬ前までオレはこのことを忘れはしないよ。」

第13章

 父の死の後、いつの間にか6ヶ月が過ぎてしまった。デーヴダースは家の生活に退屈してしまっていた。楽しくもないし、落ち着きもしない。人生の道からすっかり外れてしまっていた。しかも、パールヴァティーのことが気掛かりで、心はさらに不安定だった。最近では、彼女のひとつひとつの仕草や表情のイメージが常に目の前でちらついていた。その上、兄夫婦の冷淡な振る舞いが、デーヴダースの苦悩をさらに増大させていた。

 母親の状態もデーヴダースのようだった。夫の死と共に彼女の全ての幸せは消滅してしまった。女主人としてこの家に住み続けるのがだんだん苦痛となって来た。ここ数日間、彼女はカーシー(ヴァーラーナスィー)へ移り住むことを考えていた。ただデーヴダースがまだ独身であることから思いとどまっていたのだった。折に触れて彼女は言っていた。「デーヴダース、そろそろお前も結婚して、私を安心させておくれ。」しかしそれは不可能な話だった!ひとつの理由は父の一周忌が済んでいなかったこと。もうひとつは結婚したい女性が見つかっていないことだ。だから、デーヴダースの母親は、あのときパールヴァティーと結婚させておけばよかったと、最近時々後悔するようになった。

 ある日、彼女はデーヴダースを呼んで言った。「もう私はここに住むことはできないわ。近いうちにカーシーへ行って住もうと思ってるわ。」

 デーヴダースは賛成して言った。「オレは別に反対はしないよ。半年経ったら帰って来てよ。」

 「それじゃあこうしておくれ。私が再び戻って来て、父さんの一周忌が済んだ後は、お前を結婚させて、ちゃんと家庭を持たせてから、私はまた家を出てカーシーに住むことにするよ。」

 デーヴダースは首を振って言った。「分かった。オレが手配するよ。」

+++

 2、3日後、デーヴダースは母親と共にカーシーへ旅立った。そこで母親の生活に必要な手はずを整え、1週間後、カルカッタに立ち寄った。寮に行ってみると、チュンニーラールは寮を出てどこかへ去って行ってしまったことを知った。数日間デーヴダースはチュンニーラールの消息を探し回ったが、彼の行方を知る者はいなかった。

 突然、デーヴダースはチャンドラムキーのことを思い出した。一度彼女に会ってみよう、彼はそう考え出した。カルカッタにいながら、今まで彼女に会わなかったことに後ろめたさすら覚えた。

 その日の夕方、彼は馬車を雇ってチャンドラムキーの家を訪れた。家はしんと静まり返っていた。物音ひとつ、中からしなかった。

 デーヴダースは何度も呼んでみたが、返答はなかった。もう一度大声を上げ、もう帰ろうとしたところ、中から女の声が聞こえてきた。「彼女はもうここにはいないわよ。」

 向かいにガス燈があった。その柱のそばへ行って、デーヴダースは大声で言った。「彼女がどこへ行ったか知ってるか?」

 窓が開き、1人の女が外を覗いた。しばらくデーヴダースを灯りの中で見た後、その女は質問した。「あなたはデーヴダース?」

 「そうだ、オレがデーヴダースだ。」

 「ちょっと待って!今ドアを開けるから。」

 女は階段を降りて下の階へやって来た。そしてドアを開けながら言った。「来なさい、中に入りなさい!」

 デーヴダースは、その女の声に聞き覚えがあった。しかし彼は思い出せなかった。彼女の顔がよく見えないほど、中は真っ暗だった。

 デーヴダースは玄関に立っていた。中には入らなかった。そこから言った。「チャンドラムキーがどこにいるか、教えてくれないか?」

 女は微笑み、言った。「ええ、教えてあげますわ。上に行きましょう!」

 近くに立っている女を注意深く見たデーヴダースは言った。「あれ、チャンドラムキー、お前!」

 「ええ、私よ。」チャンドラムキーは笑って言った。「デーヴダース、あなたは私のことをすっかり忘れてしまったのね。」

 心の中でデーヴダースは、「忘れてしまったならどうして会いに来たんだ?」と思ったが、何も言わず、ただ「さあ、上へ行こう」と言った。

 デーヴダースはこれらの出来事に非常に驚いてしまったが、それは上の階へ行ったときの驚きの比ではなかった。彼は見た――チャンドラムキーはいたって普通の黒いドーティーを着ており、彼女自身にも輝きがなかった。手にはただ金属製のバングルしかなかった。それを除いて、彼女の身体にはひとつも装飾品がなかった。髪の毛はボサボサだった。長い間髪の手入れをしていないように思えた。驚き呆れてしまったデーヴダースは言った。「いったいお前はどうなってしまったんだ、チャンドラムキー?お前はどうして自分をこんな状態にしてるんだ?しかも痩せてしまったように見えるぞ!病気なのか?」

 チャンドラムキーは笑って言った。「いいえ、身体はいたって健康ですよ。心配しないでください。さあ、座って!」

 ベッドに座りながらデーヴダースは部屋を見回した――部屋中驚くほど変わり果ててしまっていた。部屋の中にも装飾品が何もなかった。壁にかかっていた絵や鏡は、全て取り去られてしまっていた。部屋の中にひとつも机、椅子、家具はなかった。ただひとつベッドが置いてあった。隅でチクタクチクタク音を立てていた時計は、今でもそこにあった。だが、針は動いていなかった。もう長い間、ぜんまいを巻いていないのだろう。四方では蜘蛛が巣をはっていた。片隅で油灯がか弱い光を発していた。その弱々しい光の中で、部屋の中は余計に寒々しく感じられた。

 デーヴダースは非常に悲しくなって言った。「チャンドラムキー、いったいどうしてこんな不幸な生活を送ってるんだ?」

 けだるい笑みを浮かべてチャンドラムキーは言った。「これのどこが不幸なの?私の人生はバラ色になったわ!」

 デーヴダースは全く理解ができなかった。

 彼女の頭からつま先まで眺めながらデーヴダースは質問した。「お前の身体のアクセサリーはどこに行った?」

 「売ってしまったわ。」

 「家具は?」

 「それも売ったわ。」

 「部屋の飾りは?絵、カーテン、鏡、全部売っちまったのか?」

 笑いながらチャンドラムキーは向かいの家の方を指差して言った。「いいえ、それは全部向かいの家の人にあげてしまったわ。」

 デーヴダースは黙って彼女の顔を見ていた。そして、ハッと思い付いて言った。「チュンニーの奴はどこにいる?」

 「知らないわ。2ヶ月前に私とケンカして出て行ってしまったわ。その後来てないわ。」

 デーヴダースはとても驚いて、質問を続けた。「どうしてケンカしたんだ?」

 チャンドラムキーは黙ってしまった。

 「教えろよ!あいつとどうしてケンカしたんだ?」

 「斡旋するために来たの。だから私は家から出て行くように言ったの。」

 「なんの斡旋だ?」

 チャンドラムキーは急に大笑いし出した。「あなたは分からないの?この市場で斡旋と言ったらひとつしかないでしょう?」しかしデーヴダースが不可解な顔をしているのを見て、チャンドラムキーは詳しく説明した。「ある大金持ちを連れて来たの。私に、彼の愛人になって住むように・・・1月200ルピーで・・・多くのアクセサリーと、1人の警備員も付けて・・・もう分かった?それともまだ分からないの?」

 話を理解し、デーヴダースも笑いながら言った。「ああ、やっと分かったよ。でも、ここでそんなことがあるようには見えないけどな。」

 「どうして見えるでしょう?私はあのとき彼らに大声を上げて追い払ったのよ。」

 「でも、その人たちは別に何の罪もないだろう。」

 「ええ、彼らに何の罪もないわ。でも、私は気に入らなかったの。」

 デーヴダースは考え込んで言った。「で、それ以来誰もここに来なくなったのか?」

 「いいえ。」チャンドラムキーは厳しい口調で言った。そして考えながら話し始めた。「本当は、あなたがここから去ってから、誰もここには来てないの。時々チュンニー様が来てくれたわ、でも2ヶ月前から彼も来なくなったのよ!」

 デーヴダースはベッドに横になった。そして静かに言った。「ということは、お前は自分の店をたたんでしまったわけか。」

 「ええ、破産してしまったわ!」

 「しかしチャンドラムキー、お前はこれからどうやって生きてくつもりなんだ?家賃、食べ物、衣服!」

 「さっきあなたに言ったように、持っていたアクセサリー全部売り払ってしまったわ!」

 「この半年間、かなり金を使っただろう?」

 「ええ、使ったわ。でも今でも少しは残ってるわ。」

 「いくら?」

 「多くはないわ。8、900ルピーぐらいかしら。知り合いのバニヤー(高利貸)のところに置いてあるわ。毎月彼から20ルピーもらってるの。」

 「昔のお前の生活費は20ルピーで足りてなかったんじゃないか?」

 「今でも足りてないわ。3ヶ月分の家賃を踏み倒してるの。だから考えていたところよ、この両手のバングルを売って、そのお金で家賃を払って、どこかへ行ってしまおうかって。」

 「どこへ行く気だ?」

 チャンドラムキーは考え込んでしまった。しばらく後に言った。「どこへ行くかは今まで考えてなかったわ。そうね、どこか田舎の方に行こうかしら、1月20ルピーで生活できるところに。」

 「じゃあ、どうしてもっと前に立ち去ってしまわなかったんだ?何を考えてここに住んでいたんだ?意味もなく無駄遣いしてたことになるぞ!」

 チャンドラムキーはうつむいて考え出した。人生で初めて、彼女は真実を話すことに恥じらいを感じた。

 デーヴダースは言った。「どうした、どうして黙ってるんだ?」

 チャンドラムキーは恥じらいながら、ゆっくりとベッドの隅に腰掛けて、小さな声で言った。「怒らないでください。心の中で希望を持ち続けて暮らしていたんです。ここから永遠に立ち去ってしまう前に、あなたにもう一度会うことができると思って・・・。どうしてあなたがもう一度必ず来るなんていうことを信じていたか分かりません。今日、あなたが来てくれました。私は明日、ここから立ち去る準備をします。でも教えてください、私はどこへ行ったらいいの?」

 デーヴダースは驚いて立ち上がり、言った。「ただオレに一度会うためだけにここに留まっていたのか?でもなぜ?」

 「あなたは私をとても嫌っていたわ、多分だから私の心の中に、あなたにもう一度会いたい気持ちがあったんだと思うわ。デーヴダース、人生の中で、あなたほど私を嫌った人はいないわ。あなたが、私たちの初めて会った日のことを覚えているか分からないけれど、でも私はとてもよく覚えているわ。あなたが初めてここに来た日、私はあなたに魅了されてしまったの。あなたがどこかのお金持ちの家の子息であることは分かったけれど、お金に惹かれた訳ではないわ。あなたが来る前にも、どれだけ多くのお金持ちがここへやって来たでしょう、でも、あなたほど魅力を感じた人は他にいなかったわ。それに、あなたは来た途端、私を罵ったわ!私に対して冷淡なそっけない態度をとったわ!私を嫌って、私の方に顔を向けようともしなかったわ。そして帰るとき、大げさに私に何かをくれたわ・・・あのときのこと覚えてる?」

 デーヴダースの少し顔を赤らめた。彼は黙ってしまった。

 チャンドラムキーはさらに話し始めた。「そのとき、私の心にあなたが住むようになったの。でも、愛情からではないわ、嫌悪からでもない。何か新しいものを見ると、それが心から離れなくなって、何度も何度も思い出されて来るでしょ、それと同じで、あなたのことが何度も何度も思い出されるようになったの。私はどうしてもあなたを忘れることができなかったわ。あなたが来ていたときは、私は他の何も必要なかったわ。その後、どうしてか知らないけど、困ってしまったわ!私は世界のこの仕事を、多くのことを、他の角度から見るようになったわ。昔の『私』は変わってしまった――昔の『私』が少しも残らないほど変わってしまったわ。そしてあなたはお酒を飲み始めた。本当のこと言うと、私はお酒は大嫌いよ。誰かがお酒を飲んで酔っ払うと、私はその人に対してすごく怒りを感じるわ。でも、あなたがお酒を飲んで酔っ払っても、怒りは込み上げて来なかったわ。ただ、とても悲しかった。私は心の中でこの上なく苦しんでいたわ。」

 チャンドラムキーの目には涙が浮かんでいた。デーヴダースの足に手を置いて彼女は言った。「私はとても下賤で卑しい女だわ。あなたは私の罪を気にしないで!あなたはどれだけ多くのひどいことを言っていたでしょう。どれほど怒って私を突き飛ばしていたでしょう。でも、私はあなたのそばに少しでも近付きたかったの。あなたが疲れて眠っていたとき、私は・・・いいえ、忘れてください、じゃないとまたあなたは怒るでしょうから。」

 デーヴダースは一言もしゃべらなかった。チャンドラムキーのこのような話は、彼の心に深く突き刺さっていた。

 顔を覆い隠して涙をぬぐって言った。「あなたは一度こんなことを言ったわ。私たち女は忍耐の生き物だ、って。汚名、軽蔑、傲慢、不正・・・その日から私は自分に誇りを持ったわ。その日から私は何もかも辞めてしまったわ。」

 しばらく考え込んでいたデーヴダースは質問した。「チャンドラムキー、お前はこれから人生どうするつもりなんだ?」

 「それはもうあなたに言ったわ。」

 「いいか、もしそのバニヤーがお前を騙して、お前の金全部を・・・」

 チャンドラムキーは笑った。そして穏やかな声で言った。「私は少しも驚かないわ。私はそのことももう考えたわ。」

 「何を考えたんだ?」

 「そんなことが起こったら、私はあなたからお金をもらうわ。」

 「ああ、もらえばいいさ。さあ、お前はどこか他のところへ行く準備をしろ。」

 「あなたと会うことができたからもう十分。明日このバングルを売って、バニヤーと話をするわ。」

 デーヴダースはポケットから100ルピー札を5枚取り出して枕の下に置き、チャンドラムキーに言った。「バングルは売るんじゃない!バニヤーには必ず会って、自分の金を返してもらえ。でも、お前はどこへ行くんだ?どこかの巡礼地か?」

 「私のような運命を背負った者が、どこの巡礼地へ行けばいいって言うの?」

 「どこかの家庭でメイドでもするのか?」

 チャンドラムキーの目には再び涙が溢れてきた。チャンドラムキーは言った。「いいえ、そんなことするつもりはないわ。私は自由に暮らすの。私は殴られたり叩かれたりするのは我慢できないの。もし体罰を受けたら、多分私の身体はどうかなってしまうでしょう。」

 デーヴダースは味気のない笑みを浮かべて言った。「でも、街のそばに住んでいると、また何かの誘惑に負けてしまうことも有り得るぞ。人間の心は信用できないからな。」

 チャンドラムキーも笑って言った。「そうね、人間の心は信用できないのは本当だわ。でも、私は今、誘惑には負けないわ。なぜなら、他の人が誘惑に負ける原因を、私は自分の希望で遠ざけたんだから。私はよく考えた上でそうしたの。一時的な思いつきからじゃないの。だから、私は絶対に何にも誘惑されることはないわ。」

 デーヴダースは頭を振りながら言った。「女心と秋の空と言うだろう!女の心は変わりやすいからな!」

 チャンドラムキーはデーヴダースのそばに座り、彼の手を取って言った。「デーヴダース!」

 デーヴダースは驚いて彼女の顔を見た。彼女は手を離さず、何も口にしなかった。

 愛情に満ちた表情でデーヴダースの方を見ながら、チャンドラムキーは彼の両手を自分の胸に持って来て、震えた声で言った。「今日が最後の日よ。あなたは怒らないで。私はずっと前からひとつ聞きたいことがあったの。聞いていいかしら?」

 「いいぞ。」

 デーヴダースの顔をじっと見つめて、チャンドラムキーは質問した。「パールヴァティーはあなたをひどく傷つけたの?」

 デーヴダースの眉間にしわが寄った。「なんでそんなこと聞くんだ?」

 静かな声でチャンドラムキーは言った。「なぜなら、私にとってそのことはどうしても知らなくてはいけないことだからよ。あなたに言ったでしょう、あなたが悲しいと、私もとても傷つくの。しかも、私はあなたのことをとてもよく知ってるわ。酔っ払っているとき、あなたは自分からその話をしたわ。あなたの言葉を聞いて、私はパールヴァティーがあなたを騙したことを信じていないわ。私はこう思うわ、デーヴダース、あなたは自分で自分を騙したんだわ。デーヴダース、私はあなたより年上だわ。私はあなたより多くのことを見て来たし、体験して来たわ。何度も考えた結果、やっと理解できたわ。間違いはあなたの方にあるって。女の心が変わりやすいという考え方はよくないわ、間違ってる。その考えは、あなたたち男が広めたのよ。あなたたちは機嫌の悪いときには女に罵声を浴びせ、機嫌のいいときは女を誉めそやしているわ。女はあなたのように、思ったことをそのまま口に出すようなことはできない。女はそんなことできない。たとえ女が思ったことをしゃべり始めたとしても、誰もそれを理解できないわ。なぜなら、女の考えは曖昧で、あなたたち男によって押さえつけられてしまうから。そしてこの世に残るのは、女の不名誉と、女に対する罵詈雑言のみ。」

 少し呼吸を整えて、再びチャンドラムキーはしゃべり始めた。「私は人生の中で多くの時間を愛の仕事に費やしたわ、でも実際に私が恋をしたのはただ一度だけ、そしてその愛の価値は計り知れないわ。私は人生で多くのことを学んだわ。愛情と肉欲――このふたつは別のもの。あなたたち男はこれらに違いを見出すことができないわ。だから何も気にせず生きて行けるんだわ。あなたたちには身体的な欲求が強いわ。私たち女にもあるけど、そんなに強くはない。だから、私たちは恋愛で、あなたたちのように愛に狂うことはないわ。あなたたち男は、自分の愛を表に出すとき、私たち女はその人を受け入れることができなくても、恥じらいから『私はあなたを愛せない』と言うことができないの。私たちは黙っているの。そしてその演技が明らかになって、数日後に終わってしまうと、あなたたちは怒りに任せて敵意を露にして言うんだわ、『あいつはオレを裏切った!』って。周囲の人々はそれを聞いて、それを信じるの。そのときでさえ、私たち女は黙っているわ。心の中で果てしない苦痛を感じているけど、それでも私たちは黙り続けているわ!」

 少しの間黙った後、チャンドラムキーはまた話を続けた。「だから、デーヴダース、本当に誰かを愛している人は、心の中にそういう耐え忍ぶ力があるの。我慢することができるの。愛によってどれだけ幸せが得られるか知っている人は、とても穏やかで、満ち足りているわ。自分の人生や生活の中に、意味のない悲しみや怒りを持ち込むことを望んでいないわ。だから、私は何の疑いもなく話しているわ、デーヴダース、パールヴァティーはあなたを騙したりはしてない、あなたを裏切ったりはしてない。あなたが自分で自分を騙したんだわ。きっと今日あなたはこのことを理解できないでしょう。でも、いつか、チャンドラムキーがあの夜言っていたことは全く正しかった、って思う日が必ず来るでしょう。」

 デーヴダースの目には涙が溢れて来た。彼はチャンドラムキーの話は全く本当だと感じた。チャンドラムキーはデーヴダースの涙を見たが、彼女はその涙を拭おうとしなかった。彼女は心の中で言った――私はあなたが何を考えているか知ってるわ。あなたは普通の男のように、自ら愛を打ち明けることはできないでしょう。外見と美は誰も魅惑することができないわ!でも、あなたはただ外見の美を見て女の価値を決めるような男ではないわ。パールヴァティーは類稀な美人かもしれない、でも、彼女が初めてあなたが愛し、あなたが愛を打ち明けた女性なのでしょう――

 チャンドラムキーは心の中でこれらのことを言っていたが、最後の言葉がつい口に出てしまった。「パールヴァティーはどれだけあなたを愛していたことでしょう!」

 デーヴダースはびっくりして言った。「今何て言ったんだ?」

 「何でもないわ。」チャンドラムキーは言った。「私が言ったのは、パールヴァティーはあなたの外見に惹かれたのではないってこと。あなたの顔がハンサムなのは疑いないことだけど、誰もあなたの容姿を見て恋に狂うことはないわ。それに、あなたの美しさは全ての人に見えるわけじゃない。でも、一度見たら、二度と目をそらすことができないわ。」

 チャンドラムキーは大きく息を吸って言った。「あなたを一度でも愛した人は誰でも知ってるわ、あなたがどんなに魅力的かってことを!その魅力を破壊して、この地上に戻って来れる女なんていないでしょう。」

 デーヴダースの顔をじっと見つめながらチャンドラムキーは話し続けた。「あなたの美しさは目で見ることはできないわ。心の奥の奥に、その影だけが横たわっているの。一生が終わったとき、それは火と共に燃えて灰となるんだわ。」

 デーヴダースは動揺を浮かべながらチャンドラムキーの顔を見て言った。「今日お前はいったい何を言っているんだ?」

 チャンドラムキーは微笑んで言った。「デーヴダース、愛していない人に愛の話を聞かせられることほど、辛いことはないわ。でも、デーヴダース、本当に私はパールヴァティーの弁護をしているだけよ、自分のじゃないわ。」

 デーヴダースは立ち上がって言った。「オレはもう行くよ。」

 「もう少し座って行ってくださいな。私は今まで一度もシラフのあなたとこんな風に話せたことはなかったわ。あなたの両手を掴んで話をすることはできなかった。ああ、なんて幸せでしょう!」しゃべりながら、彼女は突然笑い出した。

 少し驚いてデーヴダースは聞いた。「どうした、なんで笑ったんだ?」

 「それはね、過去のある出来事が思い出されたの。10年程前の話よ。私はある人との恋に狂って、自分の家族を捨てて彼と一緒にこの街に来たの。そのとき私は、彼をすごく愛していると思ってたわ。彼のためなら命すら捧げることができるくらい。でも、ある日アクセサリーを買うとか買わないとか、そんな些細なことから大喧嘩をして、それ以来彼とは二度と顔を合わせていないの。そのとき私は自分で自分に言い聞かせたわ、彼は私のこと全然愛していなかったんだって。もし愛してたら、私にアクセサリーぐらいくれるでしょ?」

 チャンドラムキーは再び笑い出した。そして突然真剣な顔になって話し始めた。「アクセサリーなんてくそくらえよ。そのときどうして知っていたでしょう、頭痛を抑える代わりに、これに命まで与えなければならなかったなんて。そのとき私には、スィーターとダマヤンティー(共に神話上の女性)の苦痛を理解するほどの知恵がなかったわ。ねえ、デーヴダース、この世で不可能なことなんてないわよね?」

 デーヴダースは彼女の話を少しも理解できなかった。だから彼は言った。「さてと、オレは帰るよ。」

 「どうしたの、何を怖がってるの?もう少し座って行って。私はあなたをここに座らせて誘惑しようなんて思ってないわ。そんな日々はもう終わったの!今はあなたが私を嫌っていたのと同じくらい、私は私自身を嫌っているわ。でも、デーヴダース、あなたはどうして独身のままなの?」

 しばらくの沈黙の後、デーヴダースは息を吸い込んで言った。「多分結婚するだろうな、でもなぜか知らないけど、結婚したいと思わないんだ。」

 「結婚したいと思わなくても結婚しなさいな。子供の顔を見れば、心が落ち着くわ。あなたの結婚は私のためにもなるわ。あなたの家に召使いとして住んで、残りの人生を暮らすことができるもの。」

 デーヴダースは笑って言った。「そうか、もしそうなったら、お前を呼ぶよ。」

 チャンドラムキーは彼の笑顔を見ずに言った。「あなたにもうひとつだけ聞きたいことがあるわ。」

 「ああ、なんだ?」

 「あなたはこんなに長く私とどうして話をしてくれたの?」

 「なぜ?何かいけないことでも?」

 「私は知らないわ、でも、こんなこと私にとって初めてなの。今まであなたはお酒を飲んで酔っ払ってからじゃないと、私の顔を見もしてくれなかったわ!」

 デーヴダースはチャンドラムキーに何の答えも返すことができなかった。そして彼ははっきりと言った。「オレはもう酒は止めたよ。父さんが死んだんだ。」

 チャンドラムキーは同情に満ちた顔で彼の顔を見て言った。「もうお酒は飲まないの?」

 「う〜ん、どうかな。」

 チャンドラムキーは彼の両手を自分の方へさらに強く引いて、心配そうな声で言った。「もしできるなら、これからずっと飲まないでいて。いい、無闇にあなたのこの美しい心と、美しい体を傷つけないで。」

 デーヴダースは手を引きながら言った。「オレはもう行く。お前がどこへ行っても、オレに手紙を送るんだぞ。それと、何か必要があったら、いつでもオレに手紙を送ってくれ!遠慮しなくていい。」

 チャンドラムキーはプラナーム(相手の足に手を触れて敬意を表する)をして言った。「私が幸せになれるように祝福をください。もうひとつ、どうか神様、彼にこの召使いが必要になるようなことがありませんように。もし必要になったら、必ず私のこと思い出してください。」

 「分かった」とデーヴダースは言って、階段を降りて行った。

 扉を閉めて、チャンドラムキーは両手を合わせて祈った。「神様、どうか彼にもう一度会えますように!」

第14章


 2年が過ぎ去った。

 パールヴァティーはマヘーンドラをなんとか説得して結婚させ、大分肩の荷が下りた気分だった。マヘーンドラの妻ジャラドバーラーは飲み込みが早く、仕事のできる女だった。以前はパールヴァティーがしていた多くの家事を、今はジャラドバーラーがしていた。パールヴァティーは他のことを考えるようになった。これだけの歳月が流れたにも関わらず、彼女には子供がいなかった。そのため、彼女の母性愛は、他の、愛情を必要とする子供たちに注がれ始めた。同時に、彼女は小作人たちの世話と経済的援助も始めた。自分の夫に頼んで、宿泊施設を造らせた。そこには家のない者や身寄りのない者も住むことができ、食べ物も支給された。さらに、困窮して彼女の元を訪れた人々を、いろいろな方法で手助けしてあげた。

 パールヴァティーのこの行動によって家の者が困るようなことはなかったが、使用人たちは、こんな無意味な仕事のためにいくらの金が浪費されているのかと、影でささやき合った。使用人たちのこの話は、マヘーンドラの妻のジャラドバーラーの耳にも届いた。数日間は黙っていた。もう我慢できなくなったとき、ある晩彼女は自分の夫に言った。「聞いてくださいな、あなたはこの家で何をやってるの?」

 マヘーンドラは何のことか理解できずに言った。「何のことだ?」

 「使用人たちまでこの話をしているのに、あなたは全く気付いていないわ。お父様は新妻への愛情にどっぷり浸かってらっしゃるから、何も言えないでしょう。でも、あなたも何も言えないの?」

 「何の話をしてるんだ?」マヘーンドラは、自分の妻が何について話しているのか皆目見当がつかなかった。彼は聞いた。「誰に何を言えばいいんだ?」

 妻は天を仰いで言った。「ほら、あなたの継母はお金を湯水のごとく使って自分の来世を飾り立てているでしょ、そりゃあ義母さんのためにはとってもいいわ、なぜってあの人には子供がいないんだし。でも、あなたに子供ができたとき、その子たちに何を食べさせればいいでしょう?それまでにあなたの継母が全て使い果たしてしまうでしょう。あなたの子供が乞食をする羽目になってもいいの?」

 マヘーンドラはベッドから起き上がり、怒って言った。「お前は母さんの悪口を言っているのか?」

 ジャラドバーラーも怒って言った。「私は誰の悪口も言っていないわ。あなたに家で起こっていることを話しているだけよ。後で私を責めないでよ。」

 マヘーンドラは逆上して言った。「お前の父親の家は、満足に一日2食も食べれないだろう。お前に地主の家のことがどうして分かる?」

 「あらそう!それじゃあ教えてよ、あなたの継母のお父さんの家は、いくつの宿を建てたかしら?」

 マヘーンドラは苛立ってしまった。寝返りを何度も打ちながら何とか夜を過ごした。朝になるとすぐに彼はパールヴァティーのところへ行って言った。「母さん、あなたはどこの地獄に私を突き落としてくれたんですか?あの女と一緒に生活することはできません。僕はカルカッタへ行きます。」

 パールヴァティーは絶句してしまった。恐る恐る彼女は質問した。「どうしてそんなこと言うの?」

 「あの女はあなたのひどい悪口を言うんです。僕はそれを聞くに堪えません。」

 パールヴァティーはここ数日間、ジャラドバーラーの異変に気が付いていた。感情を抑えつつ、パールヴァティーは無理に笑って言った。「そんなこと口に出すものじゃないわ!お前のお嫁さんはとてもいい娘よ。」

 そしてジャラドバーラーだけを呼んで彼女に聞いた。「どうしたの、マヘーンドラと喧嘩でもしたの?」

 ジャラドバーラーはマヘーンドラの沈黙と、カルカッタへ行く準備を見て心の中で動揺していた。姑の言葉を聞いて彼女は泣き出して言った。「義母さん、間違いは私にあるの。でもどうすればいいの?召使いたちは1日中あれこれ話をしてるわ、最近支出が急増したって!」

 パールヴァティーは全ての話を注意深く聞いた。恥ずかしくなって、彼女はジャラドバーラーの涙を拭いながら言った。「あなたは正しいわ。でも、いい?私は賢い女じゃないの。だから支出のことに全く無頓着なの。」

 そして彼女はマヘーンドラを呼んで言った。「マヘーンドラ、お前は怒らないで。ジャラドバーラーに責任はないわ。お前の妻はお前の幸せのことだけを考えて、その話をしたのよ、それはいいことだわ。妻は夫の未来のことを考えなければならないものなのよ。」

 そしてこの事件は一件落着となった。

 しかしその日以来、パールヴァティーは浪費するのを止めるようになった。

 やがて宿泊所は閉鎖してしまった。多くの身寄りのない人々がそれでもやって来たが、宿泊所が閉まっているのを見て、落胆して去って行った。

 チャウドリー氏はその話を聞くと、笑ってパールヴァティーに言った。「どうした、ラクシュミー女神の家は終わってしまったのか?」

 パールヴァティーは笑って言った。「いいえ、そうじゃないわ、でも、与えてばかりじゃうまくいかないわ。お金を貯めることも考えなくてはいけないわ。知らない内に、どれだけ浪費してしまったことでしょう!」

 「好きなだけ使えばいいさ!私に残された日があとどれだけあることか!残った余生、出来る限り善行を積むことができればそれでいい!」

 「まあ、なんて自分勝手な意見でしょう!」パールヴァティーは笑って言った。「あなたは自分のことだけ考えていて、子供たちのことは考えていないんですか?子供たちのために何も残してあげない積もりですか?しばらくはこのままにしておいてください。その後、また新しい計画を立ち上げようと思います。」

 チャウドリーは首を振って黙った。

+++

 パールヴァティーが担当していた仕事が少なくなると、彼女の心配は増大した。以前、彼女にはたくさんの仕事があり、考える暇さえなかった。ところが今は朝から晩まで休みである。彼女は腰掛けると、多くの忘れかけていた思い出が心に浮かんできた。そして悲しみに満ちた心はあちこちさまよいながら、タールソーナープル村の学校、マンゴー畑、竹林や湖に辿り着くのだった。同時に目から涙がポトポトと落ち、プージャー(礼拝)のために置いてあった灯りの火と混じり合うのだった。このように、パールヴァティーは見た目は穏やかだったが、その穏やかさの中で多くの悲しみが何度も沸き起こってきた。

 2、3日前からパールヴァティーは落ち込んでいた。故郷から彼女の元に、マノールマーの手紙が届いた。そこには家庭内の嬉しい知らせの後にこう書いてあった。
 しばらく私たちはお互いに手紙を書いていなかったわ、パーロー!この責任は私たち2人にあるわ、でも私は年上よ、だから私の方からあなたに頭を下げて謝るわ。あなたも怒らないで、急いで私に手紙を送ってね。1ヶ月前から私はここにいるわ。村は何も変わってなくて、全てがあのままよ。特筆するような出来事は何もないわ。それでもこのことだけはあなたに教えるわ。最初このことをあなたに教えるのはよそうと思っていたけど、私はどうしても我慢ができなかったわ。なぜならその知らせはデーヴダースに関係があるから。だから私には、これを読んであなたが必ず悲しむだろうことが分かるわ。でも、同時に、あなたを守った神様にも果てしない感謝の気持ち持つでしょう。あなたのようなプライドの高い人がもしデーヴダースと結婚していたら、あなたは今頃ガンガー河に身を投げていたか、そうでなかったら毒を飲んで死んでいたでしょう。デーヴダースの評判は地の底まで落ちているわ。彼自身が何も恥じていないなら、人々にどうやって秘密にできるでしょう!しかも世界中が彼のことを知ってしまったら、あなたにどうやって隠せばいいでしょう?私から聞かなくても、2日後に誰かから耳にしてしまうでしょう、そう考えて、私はあなたに書いているわ。

 デーヴダースが村に帰ってきてから6、7日が経ったわ。あなたも知ってると思うけど、彼のお母さんはカーシーへ行ってしまって、デーヴダースはカルカッタに住み始めたわ。お金がなくなると、彼はお兄さんと喧嘩するために、そしてお金を無心するために村に戻って来るわ。お金が手に入るまでは、村に滞在してるの。お金が手に入るや否やカルカッタに去って行ってしまうわ。

 地主様の逝去から2年から2年半ぐらい過ぎたわ。その間に、彼は自分の財産の半分を使い果たしたそうよ。彼のお兄さんのドイジダースはお金をしっかりと管理しているから、彼の財産は今まで守られてるみたい。もしドイジダースが気を遣っていなかったら、とっくに人にお金を搾取されていたでしょう。でも、デーヴダースに関しては全く逆だわ!彼は財産を守る代わりに、それを使い果たそうとしているわ。酒と女に溺れる者には、死神でさえも手助けはできないわ。彼の破滅は確実だわ。そう遠くもないでしょう。彼が誰とも結婚していないことだけが、神様の慈悲でしょう。彼は1人で自滅するでしょう。

 パーロー、彼を見て怒りが込み上げてくるけど、でも悲しみも同じくらい込み上げてくるわ。彼の容姿、男前の顔、全て台無しになってしまったわ。頭髪はボサボサで風に揺られてるし、目は窪んでしまったわ。彼を一目見ただけで嫌悪と恐怖を感じるくらい、彼は醜くなってしまったわ。1日中彼は川の堤防に座って、銃で小鳥を殺しているの。日中はベールの木の下で、瓶に口を付けて酒を飲んで、うなだれて座っているわ。夕方になると、家に帰るわ。夜は一体どうしてるんでしょう?寝ているのか寝てないのか、それとも夜通しお酒を飲んでいるのか、神様だけが知ってるわ!

 あなたに伝えたい出来事があるの。2、3日前の夕方、水を汲むために湖に行ったわ。そのとき、デーヴダースが片手に銃を持ってやって来るのを見たの。とても不機嫌そうな顔をしていたわ。私は怖くなったの。デーヴダースは私に気付くと、そばに来て立った。私はもう全身の血が凍りついたわ。周りに誰もいなかったわ。でも、神様が私を助けてくれたの。デーヴダースは特に何もしなかったわ。とても穏やかな声で、愛情を込めて私に聞いたの。「どうした、マノー、元気か?」

 私は恐る恐る頭を振って言ったわ。「ええ!」

 デーヴダースは大きく息を吸って言ったわ。「お前が常に幸せでいるように!お前たちが幸せなのを見ると、オレも嬉しくなるよ!」そして空を見上げてゆっくりと去って行ったわ。

 信じて、パーロー、そのとき私の全身の力が一気に抜けたわ。歩こうと思ったら足が動かなかったくらいよ。なんとか私はそこから家の方へ走ったわ!彼が私の手か何かを掴んだりしなくて、本当によかったわ!神様が守ってくれたんだわ!ところで、もうこれ以上デーヴダースについて書くのは止めるわ。書こうと思ったら、この手紙に書き切れないくらいあるからね。

 パーロー、私のこの手紙によって、あなたを悲しませることになったでしょうね!もし今日まで彼のことを忘れることができなかったなら、本当に苦痛でしょう。でも、どうすることもできないことよ。もし私がしたことが間違いだったら、あなたの愛するこのマノーを許してちょうだい。

+++

 次の日の朝、パールヴァティーはマヘーンドラを呼んだ。マヘーンドラが来ると彼女は言った。「2挺の輿と、数人の担ぎ人を用意して、マヘーンドラ!私はすぐにタールソーナープルへ行くわ。」

 マヘーンドラは驚いて自分の母親の顔を見て言った。「輿と担ぎ人の用意なら僕がしますけど、お義母さん、でも2挺の輿なんて必要ですか?」

 「お前も一緒に来るんですよ、マヘーンドラ!」とパールヴァティーは答えた。「もし道中で私が息絶えるようなことがあったら、私の遺体に火をつけるために長男が必要でしょ!」

 その後、マヘーンドラは一言もしゃべらなかった。準備をするために彼は立ち去った。

 輿と担ぎ人の準備ができると、パールヴァティーはマヘーンドラと一緒にタールソーナープルへ向けて旅立った。

 チャウドリー氏はその知らせを聞いて困惑してしまった。使用人たちに聞いたが、彼らは何も知らなかった。熟慮した結果、彼はあと数人の使用人たちに後を追わせることに決めた。チャウドリー氏は彼らを送り出すときに言った。「お前たちは私の妻らと同行し、途中で困難がないように取り計らうこと。」

 日が沈んだ後、2挺の輿がタールソーナープルに到着した。しかしデーヴダースに会うことはできなかった。彼は村にはいなかった。その日の昼にカルカッタに去って行ってしまっていた。

 パールヴァティーは自分の額に手を当てて言った。「なんてこと!」

 そして彼女はマノールマーに会いに行った。マノールマーは彼女を見て驚いて言った。「デーヴダースに会いに来たの?」

 「違うわ。」パールヴァティーは言った。「デーヴを私と一緒に連れ帰るために来たの。ここには彼のためになる人が誰もいないわ。」

 マノールマーは仰天してしまい、焦って言った。「何言ってるの、パーロー?あなたは恥ずかしくないの?」

 するとパールヴァティーも驚いて言った。「恥?何の恥?私のものを私自身が、私のもとへ連れて行くの。なんで恥ずかしがる必要があるの?」

 「いい、パーロー、そんなこともう二度と言わないで!あなたと彼の間にはもう何の関係もないのよ!」

 パールヴァティーは苦笑して言った。「マノー、物心ついたときから私の心の中にあった考えが、時々口から滑り出してしまうの。あなたは私のお姉さんよ、だからあなたはこのことを聞いたんだわ!」

 自分の両親に会った後、翌朝パールヴァティーは輿に乗って帰った。

第15章


 チャンドラムキーがアシャトジューリー村に1軒の小さな庵を構えて2年が経っていた。村のそばには小さな川があった。丘の上に彼女は自分のために2部屋の土でできた家を造らせて、ワラで屋根を覆った。正面には土でならした小ぎれいな庭があり、その隅に牝牛をつないでいた。四方はトウゴマの森だった。庭の片側にはベールの木が、もう片側にはトゥルシーの木が植えてあった。向かいに流れている川岸はガート(階段)になっていた。チャンドラムキーの他に、そのガートを使う者はいなかった。

 その村の人口はとても少なかった。牛飼いや農夫が大半で、カルワール(ヤシ酒屋)や靴屋が少し住んでいた。

 この家を造るとき、チャンドラムキーはデーヴダースに手紙を送って知らせた。デーヴダースはいくらかのお金を送ってよこした。何か困ったことがあると、村人はチャンドラムキーのところへやって来た。チャンドラムキーは困っている人々にお金を貸してあげた。彼女は決して利子を取らなかった。利子の代わりに、村人たちは自らやって来て、チャンドラムキーに食べ物、バナナ、苗や種などを寄進した。チャンドラムキーはどんなに必要とされていたことか!彼女は満ち足りた生活を送っており、お金を催促したりはしなかった。作物の不作で首が回らなくなり、泣く泣くお金を乞いにやって来る人がいると、彼女は笑いながら、「もうこれが最後よ、これからあなたにお金を貸さないわ」と言ってお金を渡すのだった。心の中で彼女は笑いながら言うのだった。「彼が幸せになりますように。私はお金の心配なんてないのだから。」

 しかし先月からデーヴダースの手紙が来なくなった。彼女の手紙の返事が来なくなってしまった。書留で手紙を送ると、それは戻って来てしまった。チャンドラムキーは心配になった。

 近くにバイラヴという名の1人の牛飼いの家があった。彼のためにチャンドラムキーは田畑と番の牛を買ってあげていた。そして彼の息子の結婚の際には、いくらかお金もあげていた。彼の家族はチャンドラムキーをとても敬っており、彼女の世話をしていた。

 ある日の朝、チャンドラムキーは牛飼いバイラヴを呼んで彼に聞いた。「ちょっと、バイラヴ、タールソーナプル村はここからどのくらい遠いの?」

 バイラヴは考えながら答えた。「2、3の平野を越えれば、そこの地主の領土になりますだ。」

 チャンドラムキーは聞いた。「誰か地主が住んでいるでしょう?」

 「地主様は2、3年前に亡くなってしまわれただ。地主様には2人の息子がおられるだ。長男が土地の管理を引き継いでいるだ。」

 「お前、そこまで私を連れて行ってくれる?」

 「おう、もちろんですだ、奥さん!」とバイラヴは言った。「いつでも行きますだ。」

 子供ように笑いながらチャンドラムキーは言った。「じゃあ、バイラヴ、今日出発しますよ。」

 バイラヴは少し驚いて言った。「今日で?」そして言い始めた。「分かりましただ、奥さん。もうすぐ昼になりますだ。あんたは台所仕事をしていてくれろ。オイラはちょっと弁当を用意するだ。」

 チャンドラムキーは言った。「いいえ、バイラヴ、私は今までお祈りなんてしたことないの。台所仕事もしないわ。お前は自分の食べ物を用意しなさい。」

 すぐにバイラヴは布の切れ端に砂糖やチャンナ豆をくるんで手には一本の棒を持って現れた。「さあ、行きますだ、奥さん。」

 バイラヴは道を指差しながらチャンドラムキーの前に立って歩き始めた。畑の畦道に足を乗せながらチャンドラムキーは彼の後を歩き始めた。彼女はでこぼこの道を裸足で歩くのに慣れていなかったため、うまく歩けなかった。日光のせいで彼女の顔は赤くなり、全身から汗が噴き出していた。

 チャンドラムキーは赤い端の、一般的なドーティーを着ていた。顔の半分はサーリーの端で覆っており、身体には厚手の布を身に纏っていた。

+++

 チャンドラムキーたちがタールソーナープル村へ辿り着いたとき、太陽はもう沈みかけていた。チャンドラムキーは笑いながらバイラヴに言った。「バイラヴ、2、3の平野はもう終わったの?」

 バイラヴはチャンドラムキーの冗談を理解できなかった。彼は真っ正直に言った。「やっと到着しましただ、奥さん!でも、あんたは今日中に帰るおつもりですかい?」

 心の中でチャンドラムキーは「今日帰るなんて誰が言ったでしょう、私は明日も徒歩でこの道を帰ることはできないでしょう」と言った。そしてバイラヴに話し始めた。「いいえ、バイラヴ、私はもう歩けないわ。どこかに牛車はないかしら?」

 「ないわけないですだ、奥さん。オイラが見つけて来るだよ。」

 「そうして、お願い!徒歩で行くのはとてもつらいわ!」

 頭を振ってバイラヴは牛車を調達するため村へ行った。そしてチャンドラムキーは地主の邸宅へ入った。

 上階のベランダには、今日の地主であるドイジダースの妻が座っていた。ある召使いがチャンドラムキーを彼女の元へ案内した。

 チャンドラムキーは女主人にプラナームした。女主人はアクセサリーで着飾っていた。顔には尊厳が表れ、口にはキセルをくわえていた。身体は丸々太っており、肌の色は黒かった。とても大きな眼と丸い顔をしていた。黒いサーリーと高価なブラウスを着ていた。

 頭を上げて彼女はチャンドラムキーを見た。そしてじっと見つめていた。彼女より年齢は上だったが、チャンドラムキーの美しさは劣っていなかった。心の中で女主人は、この村でパールヴァティーを除いてこれほど美しい女性はいないことを認めた。

 チャンドラムキーの美しさに眼を奪われながら、妻は聞いた。「あなたは誰ですか?」

 チャンドラムキーは手を合わせて答えた。「あなたの領土の住人です。年貢の払い残しがありましたので、それを払いに来ました。」

 妻はおかしくなって言った。「ならどうしてここに来たの?事務所へ行きなさい。」

 笑ってチャンドラムキーは言った。「奥様、私たちはとても貧しいのです。全ての年貢を払うことができません。村人の話によると、あなたの心はとても慈愛に満ちているとのことです。だからあなたのところへ年貢を免除してくださるよう頼みに来たのです。」

 ドイジダースの妻は、人生で初めて慈悲深いと言われた上に、自分が年貢を免除することができることを知った。だから急に彼女はチャンドラムキーに好感を持った。いかにも慈悲深いよう装って彼女は言った。「いいかい、私は1日中人々に同情して、いったいいくらのお金をあげなければいけないのでしょう。困ったことに私は断ることができない性分なのよ。だから主人は私にとても腹を立てているのよ。まあいいわ、いったいお前はいくらの年貢を納め残しているの?」

 「多くはありません、ご主人様、ただ2ルピー残っているだけです。それでも私にとってその額は山のようです。今日1日かけて私はここにやって来たのです。」チャンドラムキーは同情を誘う声で言った。

 「ああ!お前のような貧しい人々には同情せざるを得ないでしょう。ビンドゥマティー!ちょっとこっちにおいで!この人を外へ連れて行って、秘書官に伝えなさい、この人の2ルピーを免除するようにって。そうそう、お前の土地はどこだい?」

 「あなたの領土、アシャトジューリー村です。そういえばご主人様、聞きましたところでは、あなたの領土には地主が2人いるとか?」

 女主人は嬉しそうに言った。「他の地主なんているもんですか。2日後には全て私たちのものになるでしょう。主人の弟の全ての財産は私たちの担保になっているのですから。」

 「それはまたどうしてですか?弟様の土地がどうしてあなたの担保となっているのですか?」

 彼女は冷笑を浮かべながら言った。「当然でしょう。何の仕事もせずに朝から晩まで酒を飲んで娼館に入り浸っている男などにお金の必要なんてあって?それにそのお金はどこから出て来たの?自分の土地を私たちの元に担保にしてお金を借りているのよ。そのお金も10日の内に使い果たしてしまうのよ!」

 チャンドラムキーはうつむいて少し黙った後、言った。「ご主人様、弟様はどうして家に戻って来ないんですか?」

 「なぜ戻って来ないかですって?」ドイジュダースの妻は言った。「お金が必要になれば戻って来るわ。土地を担保に出してお金を借りて、またカルカッタへ行ってしまうわ。2、3ヶ月前に来たわね。そのときも土地を担保にして1万2千ルピー持って行ったわ。彼が助かる見込みは全くないわ。全身何かひどい病気に罹っているみたい。全く!」

 チャンドラムキーの全身の血液が凍り付いてしまった。呆然とした声で言った。「彼はカルカッタのどこに住んでいますか?」

 女主人は全身を揺らして大笑いし出した。笑いながら彼女は言った。「そんな駄目男に家があって?酔っ払って娼館に寝そべっているでしょう。食べ物ならどこかの食堂で手に入るでしょうし。」

 チャンドラムキーはもうこれ以上その場にいることができなくなった。彼女は立ち上がって言った。「それでは、ご主人様、プラナーム!私はもう行きます。」

 女主人は驚いて言った。「もう行くのかい?なら秘書官と会いなさい。これ、ビンドゥマティーや!」

 「結構です、ご主人様!私は自分で事務所まで行きますから。」と言いながらチャンドラムキーは頭を下げて外へ出た。

 邸宅の外ではバイラヴが1台の牛車を用意して待っていた。車に座ると、彼女はその日の夜に自分の家に戻った。

 次の日の朝、彼女はバイラヴを再び呼んで言った。「バイラヴ、私はカルカッタへ行きます。お前は行くことができないでしょうから、お前の息子を連れて行こうと思います。いいですか?」

 「しかしいったいどうして突然カルカッタなんて行きなさるので、奥さん?何か急用でもできたんですかい?」バイラヴは驚いた声で質問した。

 「そうです、バイラヴ!ひとつ急用ができました。」

 「で、奥さん、いつ戻って来るですだ?」

 「まだ分からないわ、バイラヴ!多分すぐに帰ってくるわ。でも、時間がかかる可能性もあるわ。そしてもし私がいつまでたっても戻って来なかったら、この家も家具も全てお前のものです。」

 バイラヴの目から涙が流れて来た。「何を言ってますだ、奥さん?もしあんたが戻って来なかったら、この村のみんなはどうやって暮らして行けばいいんですだ?」

 チャンドラムキーも目に涙を溜めながら言った。「バイラヴ、私は2年の間だけここに住んでいました。私が来る前からお前たちはここで暮らしていたでしょう!」

 バイラヴは何も答えることができなかった。

 チャンドラムキーがいくつかの荷物を車に乗せてバイラヴの息子ケーヴァルと共にカルカッタへ出発するとき、村の全ての人々が見送りに来た。皆の目には涙が溢れていた。チャンドラムキー自身の目も涙で濡れていた。もしデーヴダースがいなかったとしたら、カルカッタで女王になれたとしても彼女はこれらの愛すべき人々を後に残して行くことはなかったであろう。

+++

 次の日、彼女はクシェートルマニの家に到着した。その家に彼女は住んでいたのだが、その後別の人が住んでいた。

 チャンドラムキーを目の前にして、クシェートルマニは自分の目を疑った。驚いて彼は言った。「今までいったいどこに住んでいたんだ?」

 「イラーハーバード!」チャンドラムキーは笑って言った。

 クシェートルマニは彼女を頭から足の先まで眺め渡して言った。「それに、お前のアクセサリーやその他はどこへ行ったんだ?」

 「全部安全なところに置いてあるわ。」チャンドラムキーは笑い続けて言った。

 同じ日、彼女はバニヤーのダヤールと会った。彼に尋ねた。「ねえ、ダヤール、今私のお金はどれだけ残ってる?」

 ダヤールは困って、頭を掻きながら言った。「今6、70ルピーありますが。今日なかったら2、3日後には手渡せますよ。」

 「別にそれを今返してもらう必要はないわ。ただ、あなたに頼みたいことがあるの。」

 「どんなことです?」

 「私たちの地域に私のために家を探してもらいたいの。素敵な家をね。素敵なベッド、素敵な絵、カーテン、枕、シーツ、机、椅子、全部素敵なものをお願い。どうかしら?」

 「ええ、分かりました。」ダヤールは笑って言った。

 「それと、化粧用の鏡もね。」そして少し考えて言った。「2、3着のカラフルなサーリーが欲しいわ。どこで手に入るかしら?」

 ダヤールは場所を教えた。

 考えながらチャンドラムキーは言った。「それと金メッキのアクセサリーも一式買っておかないと。私はあなたと一緒に行って選ぶわ。」再び笑いながら言った。「私たちのこと、あなたは全部知っているでしょう。1人召使いの女も置かなければならないわ。」

 頭を振りながらダヤールは聞いた。「いつまでですか?」

 「できるだけ早くお願い。2、3日の内に全部準備できたらいいわ。」ダヤールの手に100ルピー札を渡しながらチャンドラムキーは言った。「いい、全部上質のものを選んでね。ケチって安物を買わないようにしてちょうだい!」

+++

 家が見つかると、チャンドラムキーは2、3日の内に新しい家へ引っ越した。

 1日中彼女は化粧をして過ごした。パウダー、アールター、パーン、カラフルなサーリー、そしてアクセサリー。額にビンディーを付けるとき、彼女は鏡で自分の顔を見て心の中で自分自身に笑いかけて言った。「あれまあ、なんてキレイなこと!お前には他に何が必要かしらね!」

 村の純朴な青年ケーヴァルラームは、着飾ったチャンドラムキーを見て驚いてしまった。彼は恐る恐る質問した。「これは・・・何ですか?」

 笑いながらチャンドラムキーは言った。「ケーヴァル!今日私の花婿は来るかしら?」

 ケーヴァルラームは全く理解できずにチャンドラムキーの顔をキョトンと見つめていた。

 夕方、クシェートルマニは彼女に会いに彼女の家に来た。ニヤニヤしながら彼は質問した。「これは一体どうしたんですか?」

 微笑みながらチャンドラムキーは答えた。「また必要なのよ。」

 クシェートルマニは硬直して彼女をじっと眺め、言った。「あなたは年を取ったはずなのに、あなたの美しさは前にも増しましたよ・・・!」

 チャンドラムキーは笑い出した。

 久しぶりにチャンドラムキーは以前していたように窓のそばに座った。彼女の視線は常に道へ投げかけられていた。一度、誰かある男が扉をノックしたが、ケーヴァルラームはとても小さな声で「ここじゃありません」と言って彼を帰した。それはチャンドラムキーが指示したことだった。

 2、3度、旧知の人間が訪ねて来たこともあった。チャンドラムキーはその人を歓迎した。笑って上手に彼と話をして、話の中でそれとなくデーヴダースのことについて質問した。デーヴダースのことについて何も情報が得られないと知ると、彼女は笑いながらその人を帰した。

 何度か夜に彼女はデーヴダースを探しに外へ出た。その地区の全ての閉まった扉に耳をつけて、デーヴダースの声が聞こえないか、部屋の中の会話に耳を傾けた。しかし、何も手掛かりは掴めなかった。デーヴダースはどの家にもいなかった。

 昼には彼女は旧知の友人を訪ねに行った。話の中で彼女は聞いた。「ねえ、デーヴダースはここに来てない?」

 ほぼ全員この質問を返してきた。「デーヴダースって誰?」

 「あれ!デーヴダースを知らないの!色白で、ちぢれっ毛で・・・」チャンドラムキーはとても熱心にデーヴダースについて話し始める。「頭の左側に何かの傷痕があって、とても金持ちの家の人なのよ。見ればすぐに見分けがつくわ。とてもたくさんのお金を使っているのよ。」

 しかし、そのような人はここには来ていないと、皆口を揃えて言うのだった。

 落胆したチャンドラムキーは家に戻り、夜には例のごとく窓際に座って、道の往来をじっと見つめるのだった。

+++

 日は過ぎて行った。しかしデーヴダースに会うことはできなかったばかりか、彼の消息の手掛かりも掴めなかった。ケーヴァルラームはとても退屈してしまっていた。チャンドラムキー自身も退屈してしまった。しかし彼女の心のどこかに、おそらくデーヴダースに会えるだろうという希望があった。だから彼女はいつか幸運の神様が幸福を与えてくれるようにと祈りながら、1日1日地獄の日々を過ごしていたのだった。

 そしてある夜、幸運の神様が彼女に幸福を与えた。

 夜の11時になっていた。デーヴダースをあちこち探した後、気落ちしてチャンドラムキーは家に戻るところだった。と、彼女は道の片側の家の扉の前で、口髭を垂らした1人の男がぶつぶつ言っているのを見た。

 チャンドラムキーの心臓は高鳴った。その声は彼女には一瞬の内に聞き分けられた。そこはちょうど暗くなっていた。チャンドラムキーはその方向へ駆けて行った。その男は酒を飲んで酔っ払っていた。仰向けに寝転んでいたその男を抱き起こしながらチャンドラムキーは言った。「ちょっと、あなた、あなたは誰?ここにこんな風に寝ているのはなぜ?」

 その男は何かの歌の歌詞を呟いた。「聞け、友よ、心の海は乾き、心の歌と合わさるだろう・・・」

 もはやチャンドラムキーの心に何の疑いもなかった。高鳴る心臓と共に彼女は言った。「デーヴダース!」

 デーヴダースは彼女の方に寄りかかりながら言った。「ああ。」

 「ここにどうして寝てるの?家に行きましょ!」

 「駄目だ、ここでいい!」

 「少しお酒飲む?」

 「ああ、飲む!」と言ってデーヴダースは真っ直ぐになろうとしたが、再びチャンドラムキーの首に手を置いて言った。「兄ちゃん、オレの親友よ、お前は誰だ?」

 チャンドラムキーの目に涙が溢れてきた。彼女はデーヴダースを助けながら立ち上がらせた。デーヴダースは何とかチャンドラムキーの肩に掴まって立ち、チャンドラムキーの顔の方を見て言った。「あれ、なんて上玉だ、こりゃ!」

 この悲しみの中でもチャンドラムキーは笑いが込み上げてきた。「ええ、上玉でしょ?じゃあ私と一緒に行きましょ!私の肩に掴まって立てるでしょ?そこで馬車をつかまえましょう。」

 よろめきながらデーヴダースは立ち、チャンドラムキーをほとんど振り回しながら前に歩き始めた。歩きながらかすれ声で言った。「おい、可愛い子ちゃん、お前はオレを知ってるのか?」

 「ええ、知ってるわ。」チャンドラムキーは言った。

 デーヴダースは再び忘れかけていた歌の歌詞を思い出し、口ずさみ出した。「世界の全てを忘れてしまった、幸運はここにある、オレは知ってるさ・・・」

 前に来た馬車を止めて、チャンドラムキーは馬丁の助けを借りてデーヴダースを車の中に寝かせ、何とか彼を家へ連れて行った。扉のそばでデーヴダースは自分のポケットに手を入れ、空の手を外に出して振りながら言った。「オレを道端から連れて来たがな、可愛い子ちゃん、でもオレのポケットには1ルピーもないぜ!」

 彼の手を掴んでチャンドラムキーは彼を部屋の中に引っ張り込んだ。そして彼をベッドの上に寝かせて言った。「さあ、あなたはもう寝て。」

 デーヴダースは彼女の方を向いて、酔っ払った声で言った。「お前は何か訳があってオレを連れて来たんだろうな!でもオレは言った通り、オレのポケットは全く空っぽなんだぜ。オレから何も取るようなもんはないぜ!」

 「いいですとも。明日下さいな。」チャンドラムキーはデーヴダースを刺激しないように、それ以上話をしなかった。

 「駄目だ、駄目だ。」デーヴダースはおしゃべりになって来た。「知らない人間をそんなに信用しちゃいけない。よし、お前は何が欲しいんだ?はっきり言え!」

 「明日言うわ。今日はあなたはもう寝てください。」デーヴダースに布団をかけて、チャンドラムキーは他の部屋へ行ってしまった。

+++

 日が高く昇ってからデーヴダースの目は覚めた。部屋には誰もいなかった。

 チャンドラムキーは沐浴とプージャー(礼拝)を済ませた後、台所仕事をしに下へ下りていた。デーヴダースはあちこち見回した。彼は全く見知らぬ部屋にいた。この家のどの部分にも記憶がなかった。昨夜何が起こったか、全く覚えていなかった。じっくりと考えを巡らせた結果、誰かが親切にここに連れて来てくれて、ベッドに寝かせてどこかへ去って行ってしまったことを思い出した。

 そのときチャンドラムキーが部屋の中に入って来た。家事をし終え、彼女はシンプルな服を着て、薄化粧をしていた。しかしアクセサリーはきちんと身に付けていた。

 彼女を見てデーヴダースは笑って言った。「どこからオレを連れ去って来たんだ?」

 「連れ去った訳じゃないわ。あなたが道端で寝ていたのを見たのよ。ただ抱きかかえて連れて来ただけ。」チャンドラムキーは微笑んで言った。

 デーヴダースは真面目になって言った。「まあ、それはそれでいいとして、しかしお前はまたこの仕事を始めたのか?そんなたくさんのアクセサリーを付けて!誰からもらった?」

 チャンドラムキーは鋭い視線をデーヴダースに投げかけて言った。「また?」

 「いやいや、そういう意味じゃないんだ。」デーヴダースは笑って言った。「冗談ぐらい分かってくれよ。それで、お前、いつ来たんだ?」

 「1、2ヶ月前よ。」

 デーヴダースは心の中で数えてから言った。「ということは、村のオレの家に来てからすぐにここに来たってわけか。」

 チャンドラムキーは驚いて質問した。「どうしてそのこと知ってるの?」

 「え?」

 「私があなたの村、あなたの家に行ったこと、どうして知ってるの?」

 「お前が村に行った後、すぐにオレも村に行ったんだ。お前を義姉さんのところへ連れて行った召使いが、お前のことを教えてくれたんだ。アシャトジューリー村から1人の美しい女が訪ねて来たってな。オレはすぐに分かったよ、お前以外にそれはいないって。それにしても、お前、そんなたくさんのアクセサリー、どうして作らせたんだ?」

 「どこにも作らせてないわ。」チャンドラムキーはちょっとした悲しみ、そして怒りと共に言った。「全部金メッキよ。カルカッタに来てから買ったの。全く、あなたのために私は無駄な浪費をしてしまったわ!その上、昨夜あなたは私を私だと気付いてくれなかったわ!」

 デーヴダースは真剣な顔になって考えながら言った。「ああ、気付かなかったな、でもお前がしてくれたことは覚えてるよ。何度も何度も考えたよ、オレのチャンドラムキー以外にこんな心のこもった世話をしてくれる女はいないだろうって。」

 チャンドラムキーの目に涙が溢れて来た。涙を拭いながら彼女は言った。「デーヴダース、もうあなたは私を嫌っていないの?」

 デーヴダースは優しい声で言った。「いや、今オレはお前のことを愛しているよ。」

 チャンドラムキーはこれ以上座っていると嬉しさのあまり泣き出してしまうだろうと思った。彼女は立ち上がって下に下りて行った。

+++

 デーヴダースに沐浴用のお湯をあげるときに、チャンドラムキーは彼の腹に厚手の布の切れ端が貼られているのを見つけた。チャンドラムキーは怖くなって言った。「この切れ端、どうして貼っているの?」

 「ここのところずっと腹痛がするんだ。」デーヴダースはケロリとした表情で言った。「でもどうしてお前はそんなこと気にするんだ?」

 チャンドラムキーの顔には不安な表情が浮かんでいた。沈んだ声で言った。「どこか肝臓に異常はない?」

 頭を振りながらデーヴダースは言った。「多分そんなところだろうな。ひどく痛むんだ。」

 チャンドラムキーはすぐに医者を呼んだ。

 精密に検査をした後、医者も肝臓の病気だと言った。いくつかの薬の名前を書いた後、もし安静にしておかないと最悪の場合も有り得ると警告した。チャンドラムキーとデーヴダースは2人とも理解した、「最悪の場合」とは何かということを!チャンドラムキーはケーヴァルラームを寮に送って、ダルムダースを呼んだ。彼に状況を説明して、彼に薬を買って来させた。

 2、3日そのように過ぎて行った。

 その後、デーヴダースに熱が出た。

 熱にうなされながらデーヴダースはチャンドラムキーに言った。「お前はちょうどいいときに来たよ。そうでなかったらもう二度と会えなかっただろう。」

 チャンドラムキーは泣きながら別の部屋へ行って、神像の前で手を合わせて言った。「彼のこんな大事なときに世話をすることができるなんて、夢にも思っていませんでした。今はただ、彼を健康にしてください、神様!」

 デーヴダースは1ヶ月間ベッドに寝たきりだった。次第に快方に向かって来た。幸い病気は進行しなかった。

 ある日、デーヴダースは言った。「チャンドラムキー!お前の名前は長すぎるよ。呼ぶときに面倒だ。だから省略して呼ぼうと思う。」

 「いいですよ!」チャンドラムキーは同意した。

 「それじゃあ、今日からオレはお前を『バフー(嫁)』って呼ぶよ。」

 チャンドラムキーは笑って言った。「ええ、是非!でも、何事にも意味が必要だわ。その言葉の意味は何?」

 「何事にも意味が必要だって?」デーヴダースは質問したが、自分で答えを見つけて言った。「いや、必要ない。ただそう呼びたいだけさ!」

 「もし本当にそうしたいのだったら、是非そうしてください。でも、これだけは教えてくださいな、どうしてそんな考えが浮かんだの?」

 「いや、教えることはできない。そしてお前ももう聞くんじゃない。」

 「分かったわ、もう聞かないことにするわ。」チャンドラムキーは頭を振って言った。

 しばらく2人は黙っていた。デーヴダースは何かを考えていた。そしてとても真剣な表情で彼は質問した。「それじゃあ、バフー、オレは、心からオレの世話をしてくれているお前の何なんだ?」

 チャンドラムキーはデーヴダースをじっと見つめ、静かに、そして愛情に満ちた声で言った。「あなたはまだ分かってないの?あなたは私の全てなのよ。」

 デーヴダースは壁の方に視線を移した。そして優しい声で言った。「それはオレも知ってるさ。でも、なぜか、それだけじゃオレは満足できないんだ。いいか、オレはパールヴァティーをどんなに愛していることか、彼女もオレを愛しているんだ。でも、オレたちは2人とも不幸だ。この不幸を見てオレは決めたよ。オレはもう絶対に誰にも恋に落ちないってな。自分から誰かを愛すこともしない。でも、お前はどうしてオレにこんなことをしたんだ?お前は強引にオレを愛の道に引きずり込んだんだ、バフー。いいか、お前も多分パールヴァティーのように不幸になるだろうよ。」

 チャンドラムキーは自分の顔を布で覆いながら、ベッドの隅に黙って座っていた。

 穏やかな表情で、デーヴダースは優しく話し続けた。「お前とパールヴァティーの間にどれだけ違いがあることか!それでいてどれだけ似ていることか!1人は傲慢で頑固な女、もう1人は静かで傲慢な女!1人は絶対に我慢することができないけど、お前はどれだけ我慢できることか!恥辱に、嫌悪に!あいつの名に汚点のひとつもないが、お前の名には汚名が塗りつけられている!みんなあいつを愛しているが、誰もお前を愛していない・・・それでもオレはお前を愛しているんだ、ああ、愛しているんだ!」

 そして息を吸い込んでデーヴダースは言った。「占い師の連中が何を言うのかオレは知らないけど、これだけはオレは言えるよ。もし死後に出会うことができるとしたら、オレはお前のそばにずっといたい。」

 ショールの中に顔を覆い隠しながら、チャンドラムキーは何もしゃべらずに泣き出した。彼女は心の中で神様に祈っていた。「ああ、神様!もし私の前世の罪の償いを済ますことができたなら、彼の言った祝福を私に下さい!」

+++

 2ヶ月が過ぎ去った。デーヴダースの病気は快復したが、彼の身体は弱ったままだった。医者は環境を変えるよう助言した。デーヴダースはダルムダースと共に西の方へ行く決意をした。

 チャンドラムキーは言った。「あなたには女の召使いも必要だわ!私も一緒に連れてって!」

 「いや、バフー!他のことはできるが、そんな恥知らずなことはできない。」デーヴダースは言った。

 チャンドラムキーは黙ってしまった。彼と共に住むことで、デーヴダースは幸せになり、平安も得られるだろうが、同時にデーヴダースの名誉にならないことを彼女は理解した。涙を拭いながら彼女は質問した。「じゃあ、いつ会うことができるの?」

 「何も言うことはできない、バフー!」デーヴダースは考えながら言った。「でも、もし生きている間、オレはお前のことを1秒たりとも忘れないよ。お前に再会したい気持ちは絶対に消えたりしない。」

 足に触れ、プラナームをして、チャンドラムキーは後ろに下がりながら言った。「私にはその言葉だけで十分だわ。私はそれ以上のことを望んでいません。」

 別れ際にデーヴダースは2千ルピーをチャンドラムキーに手渡して言った。「これを持っておけ。人間の身体は、いつ何が起こるか分からない。オレはお前を困らせたくない。」

 チャンドラムキーは彼の話を理解した。彼女はお金を受け取って言った。「分かったわ、身体に気をつけて。あなたの身体は健康じゃないのよ。あまり無理しないでね。」

 デーヴダースは笑った。何もしゃべらなかった。

 チャンドラムキーは再び言った。「あとひとつだけお願いします。もしあなたの身体に少しでも異常が起こったら、すぐに私に知らせてください!」

 「ああ、絶対にそうするよ、バフー!」デーヴダースは彼女の顔を見ながら言った。

 もう一度プラナームしてチャンドラムキーは泣きながら別の部屋へ去って行ってしまった。

第16章


 デーヴダースはカルカッタからイラーハーバードへ行った。しばらくの間そこに滞在した。彼はチャンドラムキーに1通の手紙を出した。「バフー、オレはもう2度と恋をしないと考えていた。愛をするとオレは全てを失ってしまう。それほど有害なものだからだ。それに誰かを自分のものにして愛する努力をすることより辛いことは、この世の中に存在しないからだ。」

 チャンドラムキーはこの手紙にどう返事をしたかは分からない。しかしこれを読んで悲しい気持ちになったのは確かだろう。

 「もしチャンドラムキーがもう1度やって来たらどうなるだろうか?」ここのところ、デーヴダースは何度もそれを考えていた。

 しかしすぐに彼はその考えに対して恐怖を覚えるのだった。彼は考え出した。「もしパールヴァティーにこのことが知れたら?」そして彼は心の中で考えを改めるのだった。「チャンドラムキーが来ない方がいいだろう!」

 最近デーヴダースの心の中で、パールヴァティーとチャンドラムキーが次第に等しい存在に思えて来ていた。何度も2人の姿が彼の心の中で、まるで同一人物であるかのように重なってきたのだった。

 しかし何度も2人の姿が、まるで彼から遥か遠くへ去って行ってしまったかのように、彼の心から消え去ってしまうのだった。そして彼の心を、彼自身が恐怖を覚えるほどの虚無感が覆うのだった。その虚無感はまるで彼を呑み込むために大きな口を開けて迫ってくるかのようだった。そしてデーヴダースは恐れをなしてそこから逃げようとするのだった。

 この状態にこれ以上耐えられなくなったとき、彼はダルムダースに、荷造りするように言った。風の噂で、チュンニーラールがラホールで何か仕事をしているという話を聞いた。デーヴダースはチュンニーに会うためにラホールへ向かった。

+++

 数年振りに再会した2人の親友は、再会を喜ぶと共に恥じらいさえ感じた。デーヴダースは酒を止めていた。しかしチュンニーラールと出会ったことにより、彼は再び酒を飲み始めた。だが、飲んでいる最中でさえ、彼はチャンドラムキーが飲酒を禁止していることを忘れなかった。彼の健康は再び悪化しだした。再び腹部が痛み出した。2晩チュンニーラールのところで過ごし、自分の宿に戻った頃には、デーヴダースは発熱していた。帰るや否や、彼はベッドに横になった。

 ダルムダースは額を叩いて動揺し、医者を呼んだ。デーヴダースの治療が行われた。健康状態が少しよくなると、ダルムダースは恐る恐る言った。「坊ちゃん、カーシーの母上様に知らせましょうか?」

 「チッ!」デーヴダースは自分の手でダルムダースの口を覆い、彼の話を遮って言った。「おいおい、オレは母さんにどうやって顔を合わせることができるんだ?」

 「坊ちゃん、病気は誰でもなるものです。何を恥じる必要がありましょうか?不幸なときに母上様に顔を隠す必要なんてありましょうか?さあ、カーシーへ行きましょう。」

 デーヴダースは顔を背けて言った。「いや、ダルムダース、オレはこの状態のまま母さんのところには行かない。よくなった後に行くよ。」

 ダルムダースは、チャンドラムキーの名前を出そうかと考えた。しかしダルムダースは彼女のことを考えただけで黙り込んでしまうくらい、彼女のことを嫌っていた。

 デーヴダース自身、チャンドラムキーのことが頭に浮かんでいた。しかし彼も自分で病気のことを話す気にはならなかった。だからチャンドラムキーの元に何の知らせも行かなかった。

 ゆっくりとデーヴダースの健康は快復して来た。歩けるようになると、彼はチュンニーラールに別れを告げて、ダルムダースと共にイラーハーバードへ帰って来た。彼の健康状態は至って良好だった。デーヴダースは退屈し出すと、ダルムダースに言った。「どこか行ったことのないところへ行ってみたいな。オレはまだボンベイに行ったことがない。ボンベイへ行こう。」

 嫌々ながらも、ダルムダースはデーヴダースの熱意を妨げることができず、荷物をまとめてボンベイへ旅立った。

 デーヴダースはムンバイーをとても気に入り、彼の健康も順調に快復した。彼はダルムダースに言った。「ここはいいところだ。しばらくここに住もうじゃないか。」

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 1年後、雨季のある朝、デーヴダースはボンベイのある病院から退院し、ダルムダースの肩を借りながら自分の住居に戻った。

 ダルムダースは言った。「坊ちゃん、私の話を聞いてください。今こそ、母上様のところへ行くべきです。」

 デーヴダースの目から涙が流れた。病院に寝ていた間、ただ自分の母親を思い出していたのだった。彼はずっと考えていた――この世に大切な人はたくさんいる――母、兄、妹よりも近い存在のパールヴァティー、チャンドラムキー――みんな彼のものである。しかし彼は誰のものでもない。

 ダルムダースの目にも涙が溢れた。泣きながら彼は言った。「それなら坊ちゃん、母上様のところへ行く準備をしましょうか?」

 デーヴダースは顔を背けて涙を拭った後、言った。「いや、ダルムダース、オレは母さんに会うつもりはない。まだそのときじゃないような気がするんだ。」

 しかし2人は、そのときが来たことを感じ始めていた。デーヴダースの健康は本当に酷い状態になっていた。肝臓が膨れ上がっていた。全身骨と皮だけになっていた。両目は窪み、腹は膨れていた。頭髪は抜け落ちていた。

 駅に着くと、ダルムダースは質問した。「坊ちゃん、どこ行きのチケットを買いましょうか?」

 しばらく考えて、デーヴダースは言った。「じゃあまずは家へ行こう。その後また考えよう。」

 ハーウラー行きのチケットを買って、彼は列車に乗り込んだ。ダルムダースも一緒だった。夕方になる前、デーヴダースはひどい熱が出た。彼の目は見開いた。彼はダルムダースに言った。「家に帰るのは難しいかもしれない、ダルムダース!」

 恐る恐るダルムダースは聞いた。「どうしてですか、デーヴ坊ちゃん?」

 デーヴダースは作り笑いをしながら言った。「また熱が出て来たんだ。」

 一晩中デーヴダースは高熱のために意識を失っていた。列車はカーシーを通り過ごしてしまった。デーヴダースに意識が戻ったとき、列車はパトナーの近くを走っていた。デーヴダースは言った。「おい、ダルムダース、言った通り、母さんのところへ辿り着けなかったぞ。まあいいさ、家に戻ろう。」

 列車がパーンドゥアー駅に着いたとき、ちょうど夜明けだった。一晩中雨が降っていたが、そのときは止んでいた。デーヴダースは苦労しながらベッドから起き上がった。客室の床では、ダルムダースが敷物を敷いて寝ていた。デーヴダースは彼の額を触って起こそうとしたが、溜まった疲労のためダルムダースは深い眠りの中にいた。ショールで身体を覆って、デーヴダースは客室の扉を開けた。そしてゆっくりと列車からプラットフォームへ降りた。

 列車は眠っているダルムダースを乗せて走り出してしまった。

 デーヴダースは震えながら駅の外へ出た。そして馬車使いに言った。「おい、ハーティーポーター村へ行けるか?」

 馬車使いは頭を振りながら答えた。「道が最悪でさぁ、旦那、こんな雨の日に馬車であそこへ行くことはできませんでさぁ。」

 落胆してデーヴダースは聞いた。「担い籠はあるか?」

 「この時間じゃあ見つかりませんでさぁ。」

 デーヴダースは突然地面に座り込んだ。彼の足にはもう立つ力が残っていなかった。彼は「もうあそこへ行くことはできないのか?」と考えた。

 デーヴダースの顔の悲しい表情を見て、馬車使いは憐れに思った。彼は質問した。「旦那、牛車を用意しましょうか?」

 「ハーティーポーター村にはいつ頃着くだろうか?」

 「道がよくないんでさぁ、旦那。多分2日はかかりまさぁ。」

 デーヴダースは心の中で数え始めた――あと2日も生きていられるだろうか?何があろうとも、パールヴァティーのところへ絶対に行かなくてはならない。人生の中で彼はどれだけ嘘を言い、約束を破って来たことか。デーヴダースには、それらひとつひとつが思い浮かんできた。しかし、人生の最期において、その約束だけは破ることはできなかった。それだけは必ず守り通すのだ――例えどんな状態であったとしても。しかしもう手遅れになってしまった。人生が終わろうとしているときに、その約束を守れないことだけが最大の心残りだった。

+++

 デーヴダースが牛車に乗ったとき、彼には突然母親のことを思い出されて来た。そのとき、もうひとつ愛情に満ちた顔が彼の目の前に浮かんで来た。その顔はチャンドラムキーだった。彼女を常に軽蔑し憎んで来たが、今日彼は自分の聖なる母親の隣に彼女の姿を思い浮かべていた。そしてデーヴダースはそれに少しの疑問も感じなかった。現世ではもう彼女に会うことはできないだろう。おそらく長い間、彼女は知らせを受けることができないだろう。少なくとも、パールヴァティーと交わした約束は絶対に果たさなくてはならない。彼女のところへ行かなくてはならない。

 雨のせいで道は最悪の状態だった。道は泥沼と化しており、ところどころ道が水の流れのせいでなくなっていた。牛車は非常にゆっくりと進んでいた。時々牛車使いが下に降りて、自ら車輪を穴から外へ抜け出させないといけなかった。雨のせいで強い風が吹き始めた。

 夕方になると、デーヴダースを再び高熱が襲った。震えながら彼は牛車使いに言った。「おい、バイヤー(兄ちゃん)、あとどれだけかかる?」

 「あと25-30kmくらいでさぁ。」

 「急いでくれ、バイヤー!金は弾むから。」ポケットから100ルピー札を取り出してデーヴダースは言った。「100ルピーやるぞ。だからとにかく急いでくれ!」

 高熱のせいでデーヴダースはどうやって夜を過ごしたのか全く記憶になかった。朝になり意識を取り戻すと彼は聞いた。「あとどれくらいだ?」

 「あと20kmくらいでさぁ。」

 デーヴダースは大きく息を吸い込んで言った。「早くしてくれ、バイヤー!時間がないんだ。」

 牛車使いは全く理解できなかった。彼は牛に罵声を浴びせかけて棒で叩き、道を急ぎ始めた。車はガタガタ揺れながら進んでいた。中に座っていたデーヴダースは焦っていた。「到着できるだろうか?会えるだろうか?」彼はただこれだけを考えていた。

 夕方になり、熱と同時にデーヴダースの鼻から血が滴り落ち始めた。彼は力一杯鼻を押さえた。まるで息が止まってしまうほどだった。息も絶え絶えになりつつ彼は牛車使いに聞いた。「あと・・・あとどのくらいだ?」

 「あと6kmくらいでさぁ。夜11時までには着きますでさぁ。」牛車使いは適当に答えた。

 デーヴダースは力を振り絞って頭を起こし、道を見ながら言った。「ああ、神様!」

 「旦那、どうなさったんでさぁ?」牛車使いは聞いた。

 デーヴダースは何も答えることができなかった。

 車は進み続けた。

 夜12時頃、牛車はハーティーポーター村の地主の邸宅の前の、ピーパルの木の下に停まった。

 牛車使いはデーヴダースを呼んだ。「旦那、起きて下さい!」

 何の反応もなかった。

 牛車使いは怖くなってしまった。ランタンをデーヴダースの顔に近付けて言った。「旦那、寝てるんですかい?」

 デーヴダースの唇が震えた。しかし何の言葉も出てこなかった。彼は自分の手を上げようとしたが、手を上げることはできなかった。デーヴダースは何とかしてポケットの中から100ルピー札を取り出し、牛車使いに手渡した。牛車使いは自分のショールの端にそれをくるんだ。そしてありったけの知恵を振り絞って、ピーパルの木の下に藁のベッドを用意して、そこにデーヴダースを寝かせ、ショールを覆いかぶせた。

+++

 朝になると、地主の邸宅から人々が外に出て来た。彼らはどこかの金持ちが木の下に瀕死の状態で横たわっているのを見つけた。高価なショール、手には指輪、そしてピカピカの靴。

 次第にたくさんの野次馬が集まってきて、お互いに話を始めた。

 ブヴァン氏のところまでその知らせは届いた。彼は使用人に医者を呼びに行かせ、自分で見にやって来た。

 デーヴダースは目の前に立っている全ての人を見た。しかし、彼の喉はもう動かなかった。話す力はもう残されていなかった。彼の目から涙が流れていた。牛車使いは知っていることを全て人々に話したが、この乗客が誰の家に行きたかったのかは分からなかった。

 医者がやって来た。彼は検査をした後言った。「もう余命はあと少しだろう。」

 全員の口からため息がこぼれた。「はぁ、なんてこと!」

 上の階に座っていたパールヴァティーにもその知らせが届いた。彼女の口からも同じ言葉がこぼれた。「はぁ、可哀想に!」

 1人の男が憐れに思ってデーヴダースの口に少しガンガーの水を含ませた。デーヴダースは悲しそうな目つきで彼の方を見て目を閉じ、2度と目を開けなかった。

 ブヴァン氏は近くの警察署に知らせた。

 警察官が調査のためにやって来た。医者は肝臓の病気から死んだことを伝えた。死人のポケットから2通の手紙が出て来た。1通の手紙は、タールソーナープルのドイジダース・ムカルジーが、ボンベイのデーヴダースに送ったもので、「もうこれ以上金は送らない」と書かれていた。

 もうひとつの手紙には、カーシーのハリマティー・デーヴィーがデーヴダース・ムカルジーに送ったもので、「最近のお前の身体の調子はどうですか?」と書かれていた。

 左手に「D」の文字が刻まれていた。慎重に調査した後、警察官は言った。「分かったぞ、この死人の名前はデーヴダースに違いない。」

 サファイヤの指輪と現金約150ルピーも警察の調査書に記録された。200ルピーのショールも記録され、警察によって持って行かれた。ブヴァン氏と共にマヘーンドラも立っていた。タールソーナープル村の名前を聞いてマヘーンドラは言った。「これは母さんの家の人でしょう。もし母さんが見れば・・・。」

 非常に不機嫌になってブヴァン氏は言った。「馬鹿なことを言うな!母さんに死人の識別をさせるつもりか?」

 ブラーフマンはいたのだが、村にはデーヴダースの死体を焼いて河に流す準備をしようとする者はいなかった。よって警察がドーム(火葬屋カースト)に命令して、干上がった池のそばで死体を焼かせた。ドームも死体を半焼きにしたまま立ち去ってしまった。

 この話を聞いて悲しい気持ちにならない者はいなかった。使用人たちはお互いに話をし始めた。「あぁ!金持ちの男にどんな不幸が起こったんだろう!とても高価なショールだった。サファイアの指輪も身に付けていた。警察がそれらを自分のものにしてしまった。少なくとも彼の火葬はキチンとなされるべきだった!」

 パールヴァティーはその悲しい知らせを朝になって聞いた。しかしそれほど気に留めはしなかった。だが、召使いたちが低い声でその話をし始めた途端、彼女は居ても立ってもいられなくなった。彼女は1人の召使い女に質問した。「何が起こったの?誰が死んだって?」

 召使い女は涙ぐみながら言った。「奥様、それは誰も知りません。前世であの男はこの土地の土を買ったんでしょう、だからここにただ死ぬためにやって来たんでしょう。一晩中寒さに震えながらピーパルの木の下で寝ていたんです。今日の朝9時に死んでしまって!」

 パールヴァティーは悲しくなって言った。「なんて可哀想なこと!それが誰だったか全く分からないの?」

 召使い女は言った。「多分マヘーンドラ様が知っていると思います。」

 パールヴァティーはマヘーンドラを呼んで質問した。マヘーンドラは悲しい声で言った。「母さんの村のデーヴダース・ムカルジーです。」

 パールヴァティーの心臓は急激に高鳴った。マヘーンドラのそばに寄って、真剣な表情で彼を見ながら言った。「何て言ったの?あのデーヴなの?どうやって知ったの?」

 「ポケットの中から2通の手紙が出て来たんです。ひとつはドイジダース・ムカルジーが書いて・・・。」

 「ええ、それは彼のお兄さんだわ!」パールヴァティーは早口で言った。

 「で、もうひとつの手紙はカーシーのハリマティー・デーヴィーの・・・。」

 「ええ、彼のお母さんだわ・・・。」

 「手に『D』の文字が刻まれていました。」

 「ええ、初めてカルカッタに行ったときに刻ませたものだわ。」

 「サファイヤの指輪が・・・。」

 「それはジャネーウー(成人の儀式)のときに叔父さんが彼にあげたものよ。」

 混乱したマヘーンドラは母親を追いかけながら言った。「どこへ行くんですか、母さん?」

 「デーヴのところよ!」

 「母さん、もういませんよ!ドームが持って行ってしまいました。」

 「あぁ、なんてこと!」と言いながらパールヴァティーは泣き始め、下の階に走り出した。

 マヘーンドラは急いで彼女の前まで走って行って彼女を止めながら言った。「頭がおかしくなったんですか、母さん?どこへ行くんですか?」

 パールヴァティーはマヘーンドラの方を怒った表情で見て、厳しい口調で言った。「マヘーンドラ、お前は私のことを本当に気違いだと思ってるの?道を空けなさい!」

 パールヴァティーの強い口調にマヘーンドラは驚いてしまった。彼は道を空けた。パールヴァティーは急いで下に降り、邸宅の主門の方へ走り出した。マヘーンドラは彼女を追いかけた。

 下ではナーヤブ(代議士)とグマーシュター(事務官)が仕事をしていた。ブヴァン氏も一緒にいた。彼は彼女の様子を見て質問した。「誰が出掛けるんだ?」

 「母さんです。」マヘーンドラが言った。

 「どこへ?」ブヴァン氏は驚いて聞いた。

 「デーヴダースを見に!」マヘーンドラは言った。

 ブヴァン氏は叫んだ。「おい!お前たち皆、気違いになったのか?おい、捕まえろ、止めろ・・・あいつを止めろ!マヘーンドラ、急げ!おい、お前、聞いてるのか、あいつを止めろ!」

 全ての召使いたちや親戚たちが全速力で走ってパールヴァティーを捕まえた。パールヴァティーは意識を失って地面に倒れこんだ。

 召使いたちは意識を失ったパールヴァティーを抱き起こして、ベッドに寝かせた。

 次の日、パールヴァティーの意識が戻った。彼女は何も言わなかった。じっと四方を見つめていた。そして近くに立っていた使用人に言った。「夜に来たんですね?一晩中外に寝ていたんですね?」

 そしてパールヴァティーは口をつぐんだ。

+++

 その後パールヴァティーがどうなったのか、私は知らない。知りたいとも思わない。ただデーヴダースのために心が憐憫の情で満ちてしまう。あなたたち読者も、私と同じく憐憫を感じたことだろう。もしデーヴダースと同じく不運、不幸に襲われた人を知っているのなら、彼のために祈ってほしい――何があろうとも、デーヴダースのような最期を迎えることがないように。死という不幸は誰にでも訪れるが、しかしそのとき愛する人の腕の中で、その人の悲しい表情を見ながら人生の最期を迎えられるように。さもなくば、死ぬときに誰かの両目から流れ落ちる涙を見ながら、安らかに眠れるように。


−完−

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