スワスティカ 印度文学館 スワスティカ

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屍衣

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 プレームチャンド(1880-1936)。ヒンディー・ウルドゥー文学の巨匠。生涯に18の長編小説と400余の短篇小説を発表。ガーンディー主義に傾倒し、農民、労働者、ダリト(不可触民)、女性など、社会的弱者の視点に立った作品を書き続ける。ヒンディー語版からの翻訳。「屍衣(Kafan)」は1936年作の短編小説で、最晩年に書かれた作品。プレームチャンド文学の最高傑作に必ず数えられる。

第1章

 掘っ立て小屋の戸口で、父と息子が、くすぶった焚き火の前で黙って座っていた。家の中では息子の若妻ブディヤーが陣痛で悶え苦しんでいた。彼女の口からは、2人の心臓を握りつぶすような、心痛の声が断続的に漏れていた。厳寒の夜であった。自然は沈黙の中に沈み、村全体は漆黒の闇の中で横たわっていた。

 ギースーは言った。「助かりそうもねぇな。1日あっという間に過ぎちまった。おい、行って見て来いよ。」

 マーダヴは腹を立てて言った。「死ぬなら早く死ねばいいのになぁ。でも、見て何するってんだ?」

 「おめぇは冷てぇなぁ。1年間連れ添った相手をそんな風に突き放すのか?」

 「それだからこそ、あいつのあんな苦しんでジタバタしてるのを見てられないんだよ。」

 チャマール(皮革業カースト、不可触民)のこの親子は、村の嫌われ者だった。ギースーは1日仕事をすると3日休んでいた。マーダヴに至っては、半時間仕事をすると何時間もチラム(煙管)を吸うという怠け者であった。だから彼らはどこからも仕事がもらえなかった。飢えが数日間続くと、ギースーは木に登って枝を折り、マーダヴがそれを市場で売っていた。そして金がある内は2人ともあちらこちらブラブラして過ごしていた。村には仕事の不足がなかった。農民の村であり、勤勉な者はいくらでも仕事を見つけられた。だが、この2人が呼ばれるのは、2人で1人分の仕事しか終わらなくても満足する他ないようなときぐらいであった。もし2人がサードゥ(行者)を志したら、心の平安を得るために特別な修行は必要なかったであろう。それは彼らの生まれもった性格であった。彼らの人生は特異であった。家にはいくつかの土壺の他に財産と呼べるものはなかった。破れたぼろきれで裸体を覆い、過ごしていた。俗世間の悩みとは完全に無縁であった。多額の借金を抱えていた。罵声を浴びせかけられたり、殴り飛ばされたりしたが、ちっとも悲しくなかった。返って来ないことが分かっていても金を貸す者がいるほど彼らは貧しかった。豆や芋の収穫期には他人の畑から豆や芋を盗って来ては炒めて食い、サトウキビの収穫期には数本のサトウキビを盗って来ては夜中に吸っていた。ギースーはこのようなその日暮らしで60年間過ごして来たが、マーダヴも親孝行の息子のように父親の辿った道をそのまま歩んで来ていた。そればかりでなく、父親の名前をさらに高めてもいた。このときも2人は焚き火の前で、誰かの畑から盗んで来た芋を炙っていた。ギースーの妻はとっくの昔に亡くなっていた。マーダヴは昨年結婚した。嫁が来てから、この家に初めて規律というものが生まれ、彼女がこの2人の恥知らずの面倒を見ていた。嫁が来てからというものの、2人はさらに怠け者になってしまった。それだけでなく、威張りくさるようにもなった。誰かが仕事に呼ぶと、まるで誰にも何の借りもないかのように、2倍の賃金を要求するのだった。その嫁が今、陣痛で苦しんでいた。そしてこの2人はおそらく、あいつが死ねばゆっくり眠れると考えながら彼女の死を待っていたのだった。

 ギースーは芋を取り出し、皮を剥きながら言った。「行ってどんな様子か見て来いよ。どうせ魔女か何かにやられたんだろう。ここじゃあ呪術師も1ルピー取りやがるからなぁ。」

 マーダヴは、部屋に見に行ったらギースーが芋のほとんどを平らげてしまうのではないかと恐れていた。マーダヴは言った。「あそこに行くのが怖いんだよ。」

 「何を怖がってるんだ、俺がここにいるだろ。」

 「じゃあ、おっ父が行けばいいだろ。」

 「おめぇのおっ母が死んだときゃ、3日間そばから動かなかったもんだぜ。それに俺に恥をかかせる気か?今まで一度もあいつの顔を見たことねぇんだ、今日みたいな日になって、あいつのやつれた身体をなぜ見なきゃいかん!服も乱れて意識も感覚もねぇだろうよ?俺を見ても、手足を動かすこともできねぇだろう!」

 「もし、もしもだぜ、子供が生まれでもしたらどうしよう?出産祝いのためのショウガも黒砂糖も油も家には何もねぇからなぁ。」

 「全部手に入るさ。神様のおかげでな。1パイサーすら出さなかった奴らが、明日には何ルピーもくれるだろうよ。俺には9人の子供が生まれたが、家に何かあった試しがねぇ。でも神様は何とかして筏を向こう岸まで渡してくれたよ。」

 昼夜勤勉に働く者の生活状況が、この2人のような怠け者の生活状況と大して変わらないような社会、もしくは農民たちの弱みにつけ込むことを知っている2人のような者が農民たちより裕福であるような社会において、このような考え方が生まれることは別段驚くべき話ではない。ギースーは農民たちよりも遙かに賢かったため、農民たちから成る烏合の衆には加わらず、その代わりに、長話しか脳のない下衆たちから成る集団に加わったのだ、と言える。だが、彼には、その下衆たちの間の規則を遵守する力がなかった。だから、その集団に属する他の者たちは村長になったり村議員になったりしていたが、彼は村の爪弾き者でしかなかった。それでも、たとえ落ちぶれていたとしても、農民のように命を削る重労働をしなくて済むし、誰かが彼の貧しさや無力さに無意味につけ込むこともない、と考えると慰めになるのだった。2人は芋を取り出し、熱いまま頬張った。昨日から何も食べておらず、芋が冷めるまで待つほどの忍耐力は残っていなかった。舌を火傷しそうになっても食べるのを止めなかった。皮を剥いているとき、芋の外側はそれほど熱く感じないものだが、噛むと高熱を持った中身が舌や喉や口蓋を焼いた。だから、この火の塊を口の中にいつまでも置いておくより、すぐに飲み込んでしまう方が楽であった。一度飲み込んでしまえば、そこにはそれを冷ますための器官があった。だから2人は急いで飲み込んだ。そしてそうすることで、2人の目からは涙がにじみ出て来るのであった。

 ギースーはそのとき、20年前に行った地主の結婚式を思い出した。その祝宴は、記憶に留めるに値するほど満足のいくもので、事実彼はそのときのことを今でもはっきりと覚えていた。ギースーは言った。「あのときのごちそうは忘れられねぇ。あのとき以来、あんなごちそうたらふく食べられたことなんてなかった。花嫁の家族はみんなにプーリーを腹一杯食べさせたんだ、みんなに!金持ちも貧乏人もみんなプーリーを食べたんだ、本物のギー(純油)の!チャトニー・ラーイター(ヨーグルト・サラダ)、3種類の野菜ドライカレー、1種類の汁カレー、ダヒー(ヨーグルト)、チャトニー(ソース)、お菓子、あのうまさをどうやって話したらいいか、止めようとする奴は誰もいなかった。だから、何でも欲しいものを注文できたし、好きなだけ食べられた。みんな、水も飲めないほど腹一杯食べたんだ、水も飲めないくらい!でも、配膳係は出来たての丸いカチャウリー(スナックの一種)を皿に盛って行くんだ。もういい、いらないって言っても、皿を手で覆っても、無理矢理盛って行くんだ。そして皆が口をすすぐと、今度は口直しのパーンとカルダモンが出て来た。しかしパーンなんてもう食べられるかって?立つことさえできなかったんだ。すぐさま帰って毛布にくるまって寝たよ。あの地主はこんなに心の広い人間だったのさ。」

 その話を聞いたマーダヴは、心の中でよだれを垂らしながら言った。「今じゃあ俺たちにそんなごちそうしてくれるような奴はいねぇなぁ。」

 「今時誰がごちそうなんかしてくれる?時代が変わったのさ。今は誰もが節約しか考えてねぇ。結婚式に浪費するな、葬式に無駄な出費をするな。貧乏人から金をかき集めてどうするつもりか、聞いてみたいもんだな。それでもかき集めるだけかき集めるのさ。それも節約しながらな!」

 「プーリー20枚は食っただろう?」

 「20枚以上は食ったな。」

 「俺だったら50枚は食ったのにな。」

 「俺は50枚以上食っただろうよ。体格も良かったしな。お前なんかあのときの俺の半分でもねぇな。」

 芋を食べた2人は水を飲み、焚き火の前で布を広げて、うずくまって眠った。まるで2匹の大きなニシキヘビがとぐろを巻いて横たわっているようであった。

 そしてブディヤーは依然として苦痛に喘いでいた。

第2章

 翌朝、マーダヴが部屋へ行って見ると、妻の身体は冷たくなっていた。彼女の顔にはハエがたかっていた。目はひきつり、白目を剥いていた。全身は埃まみれになっていた。お腹の胎児も死んでいた。

 マーダヴは走ってギースーのところへ行った。そして2人は胸を叩きながら大声で泣き出した。泣き声を聞きつけた近所の人々は走ってやって来て、古い慣習に従って遺族たちを慰めた。

 しかし、のんびり泣いている時間はなかった。屍衣と薪の心配をしなければならなかった。家には、まるでトビの巣の中に肉がないように、金がなかった。

 親子は泣きながら村の地主のところへ行った。地主は、顔も見たくないほどこの2人を嫌っていた。自らの手で殴りつけたことが何度もあった。泥棒をしたり、約束した仕事に来なかったりしたからだ。地主は言った。「どうした、ギースー、なんで泣いてる?最近お前はどこにも顔を出してなかったじゃないか。この村に住みたくないみたいだな。」

 ギースーは地面に頭を打ち付け、目から涙を溢れさせて言った。「旦那様!大変なことになりました。マーダヴの家内が夜中に死んじまったんです。夜の間ずっともがき苦しんでました、旦那様!私たちは2人であいつの枕元にずっと座って看病してました。出来る限りの薬を飲ましたんですが、無駄に終わりました。もう料理をしてくれる者は一人もいません、旦那。もうおしまいです。家は荒れ果ててしまいました。私たちはあなたの奴隷です、もはやあなた以外に誰が嫁の葬儀をしてくれるでしょう。我々の手元にあったお金は全て、薬を買うために使ってしまいました。旦那様のご慈悲さえあれば、あいつの弔いもできるでしょう。あなた以外の誰の戸口へ行きましょう。」

 地主は慈悲深い人間だった。しかし、ギースーに慈悲を投げかけるのは、黒い毛布に色を塗るようなものであった。心の中で彼はよっぽど、「やい、ここから出て行け。いつもは呼んでも来ないくせに、今日不幸があったら俺のお世辞を並べ立てやがるんだな。この恥知らずの悪党め!」という言葉が浮かんで来たが、今は叱責のときではなかった。心の中ではイライラしながらも、2ルピーを取り出して放り投げた。だが、慰めの言葉はひとつも口から出なかった。ギースーの方を見もしなかった。まるで頭の荷物を下ろしたかのようだった。

 地主が2ルピーを出した後に、村の商人や高利貸しの中でそれを断る勇気のある者がどうしていようか?しかもギースーは地主の名前をうまく利用する方法をしっかり心得ていた。ある者は2アーナー(16分の1ルピー)、ある者は4アーナーを出した。1時間の内にギースーの手元には5ルピーもの大金が集まった。しかも、あるところからは穀物がもらえ、また別のところからは薪も手に入った。昼にはギースーとマーダヴは市場へ屍衣を買いに出掛けた。一方、村人たちは葬儀に必要な竹を切り始めた。

 村の心優しい女性たちは、やって来ては遺体を一目し、この薄幸な女性の身の上に涙を流しては去って行った。

第3章

 市場に着くとギースーは言った。「薪は火葬するのに十分なくらい手に入ったな、マーダヴ!」

 マーダヴは言った。「そうだな、薪はもういいや、屍衣を買わなきゃいけねぇ。」

 「おう、ならよ、適当に薄い屍衣を買って帰ろうぜ。」

 「そりゃそうさ!遺体が運ばれるのは夜中になるだろう。夜に誰も屍衣なんて見ねぇしな。」

 「それにしてもよくねぇ習慣だな、生きてる間は身体を覆うのにぼろ布すら持ってなかったのに、死んだら新しい服が必要だって言うんだからな。」

 「屍衣は遺体と一緒に燃えちまうしな。」

 「それに皮肉だよな、この5ルピーがもっと早く手に入ってれば、薬を買ってやることもできたのによ。」

 2人はお互いの心を探り合っていた。そして市場をあちこち徘徊していた。こちらの仕立て屋へ行ったり、あちらの店を物色したりしていた。いろいろな服や、絹衣、綿衣を見たが、品定めはしなかった。そうこうしている内に夕方になってしまった。すると、2人は何らかの不可思議な力に引き寄せられたのか、酒場の前に来ていた。そして、まるで予め決まっていたかのように中に入った。そこで2人はしばらく戸惑いながら立っていた。やがてギースーはレジの前へ行って言った。「親父、1本頼む。」

 その後、つまみが来て、揚げ魚が来た。2人はベランダに座って静かに酒を飲み出した。

 続けざまに数杯飲み干すと、2人には酔いが回って来た。

 ギースーは言った。「屍衣を着てどうなる?結局は燃えちまうじゃねぇか。嫁は何も持って行けねぇ。」

 マーダヴは空を見上げ、まるで神様たちを自分の無実を証言する証人に仕立て上げているかのような調子で言った。「世間の習わしって奴さ、でなけりゃ誰がブラーフマンに何千ルピーも出す?あの世で何が得られるか、誰も見て来た奴はいねぇのによ。」

 「お偉方は金を持ってるんだ、いくらでも出せばいい。俺たちのところに何がある?」

 「でもよ、みんなになんて言う?みんな聞いて来るだろうよ、屍衣はどこだって?」

 ギースーは笑った。「馬鹿野郎、金を落っことしちまった、あちこち探したけど見つからなかったって言えばいいさ。あいつら信じねぇかもしれねぇけどよ、また同じだけ金をくれるだろう。」

 マーダヴも笑った、この思いがけない幸運に。そして言った。「いい女だったなぁ!たらふく飲み食いさせてくれたし!」

 瓶の半分以上が空になった。ギースーは1セール(約1kg)のプーリーを注文した。チャトニー(ソース)、アチャール(漬け物)、カレージー(砂肝)も。酒場の前に食堂があった。マーダヴは急いで2枚の皿に全ての食べ物を盛って戻って来た。1.5ルピーが消し飛んでしまった。あとは数パイサーが残るのみだった。

 2人はこのとき、まるで森の中で虎が自分の獲物をむさぼっているかのように、ふんぞり返ってプーリーを食べていた。返答に窮することも恐れていなかったし、汚名に対する不安もなかった。彼らはこれらの感情をかなり前に克服していたのであった。

 ギースーは哲学者のような調子で言った。「俺たちの魂が平安を得られたなら、あいつにとっても善行になっていいだろうよ?」

 マーダヴは神妙な様子でうなずき、それを認めた。「もちろん、もちろん。神様、あなたは全てお見通しです。彼女を天国に送って下さい。我々2人は心から祝福を与えます。それにしても、今日のこんなごちそうは、生まれて初めてだ。」

 ふと、マーダヴの心の中に疑問が生じた。マーナヴは言った。「おっ父、俺たちもいつかはあの世へ行くんだろ?」

 ギースーはこの無邪気な質問に対して何の返答もしなかった。あの世のことを考えて、今現在のこの幸福感を害されたくなかったのである。

 「あいつがあの世で俺たちに、何で屍衣をくれなかったんだって聞いて来たらどうしよう?」

 「そんなの知るもんか。」

 「絶対に聞かれるって。」

 「おめぇ、どうしてあいつが屍衣をもらえないなんて言うんだ?おめぇは俺を馬鹿にしてるのか?この60年間、棒に振って生きて来たって思ってるのか?あいつは屍衣がもらえるし、上等の屍衣がもらえる、絶対にだ。」

 にわかには信じられないマーダヴは言った。「誰がくれるんだ?金はおっ父が全部平らげちまったし。あいつは俺に聞いて来るだろう。あいつと結婚したのは俺なんだからな。」

 ギースーは怒って言った。「俺が言ってるだろ、あいつは屍衣がもらえるって、どうして信用しねぇんだ?」

 「じゃあ誰がくれるのか、なんで教えてくれねぇんだ?」

 「この金をくれた奴らがまたくれるんだって。まあ、今度もらえる金は俺たちの懐には入らねぇがな。」

 暗闇の濃さが増し、星の輝きが増すほど、酒場の賑わいは増して行った。歌い出す者、ほら話を始める者、同席者に抱きつく者、友人の顔に杯を投げつける者など様々だった。

 酒場の雰囲気に酔いがあり、空気に酔いがあった。何人もの人がここに来て1杯飲んだだけで酔っぱらっていた。酒よりもここの空気が彼らを酔わしていたのだ。人生の苦難が人々をここに引き寄せ、彼らは少しの間だけ、自分が生きているのか死んでいるのか、または生きていないのか死んでいないのか、忘れることができた。

 そしてこの2人の父子は依然として楽しそうに酒をすすっていた。皆の視線は彼らに集中していた。あの2人はなんて果報者だろう!まだ1瓶残ってるなんて!

 腹一杯食べたマーダヴは、残っていたプーリーの皿を乞食にやった。その乞食はさっきからずっと飢えた表情で彼らの方を見ていたのだった。マーダヴは、喜捨の喜びと楽しみを人生で初めて感じていた。

 ギースーは言った。「持ってけ、たらふく食って祝福を与えてけ!死んだ人間の稼ぎさ。でも、お前の祝福はきっとあいつまで届くだろう。全身で祝福をしろよ、汗水たらして稼いだ金だからな。」

 マーダヴは再び空を見上げて言った。「おっ父、あいつは天国へ行くだろうなぁ、天国の女王になるだろう。」

 ギースーは立ち上がり、まるで歓喜の波の中を泳いでいるかのように言った。「そうさ、天国へ行くだろうさ。誰も悲しませなかったし、誰も困らせなかった。死にながら、俺たちの一番大きな望みも叶えてくれた。あいつが天国へ行けなかったら、貧乏人から金を巻き上げ、罪を償うためにガンガーで沐浴しお寺で聖水を捧げるお偉方が行くってか?」

 信心深さはすぐに消え去った。これこそ不安定な酔いの特徴であった。代わって悲しみと絶望の波が襲って来た。

 マーダヴは言った。「でもおっ父、あいつはかなり不幸な人生を送ったよな。どんなに苦しんで死んだことだろう。」

 マーダヴは両手で顔を覆って泣き叫び出した。

 ギースーは慰めた。「なんで泣くんだ、あいつはこのまやかしの世から解放され、呪縛を断ち切ったんだ、喜ばなくちゃいけねぇ。こんなに早く迷妄の束縛から離れられたんだから、果報者さ。」

 そして2人は立ち上がって歌い出した。

 「迷妄の女神よ、そうして目を光らせるのか!迷妄の女神よ!」

 酒飲みたちの注目を浴びた2人は、酔っぱらって歌い続けた。そして2人は踊り出した。さらに飛び跳ね出した。転んだり、千鳥足で歩き回ったりもした。身振り手振りで寸劇を演じたりもした。そして最後に酔いが頂点まで達し、その場に倒れ込んでしまった。


−完−

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