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装飾上

2006年7月

装飾下

|| 目次 ||
人物■2日(日)バルトロメウス・ジーゲンバルグ
映評■7日(金)Corporate
分析■9日(日)ボリウッド2006年上半期のまとめ
映評■17日(月)Strings
映評■18日(火)Golmaal


7月2日(日) バルトロメウス・ジーゲンバルグ

 明日7月3日から1週間に渡って、ドイツ人宣教師バルトロメウス・ジーゲンバルグのインド到来300周年を祝う式典がタミル・ナードゥ州で開催されるという。ジーゲンバルグは、1706年7月9日に当時デンマーク領だったトランキバール(現タミル・ナードゥ州タランガムバーディ)にやって来たルター派のドイツ人宣教師である。しかしなぜこの宣教師のインド到来が祝われるのだろうか?それを知るには、トランキバールの歴史とインドの活字印刷の歴史に触れなければならない。7月2日付けのマガジン(ザ・ヒンドゥー紙折込版)の記事と、ジーゲンバルグ到来300周年記念式典のウェブサイトを参考にまとめてみた。

 1620年、デンマーク東インド会社はタンジョール王国の王様からベンガル湾沿いの65平方kmの土地を授与された。カーヴェーリー河河口近くにあるその土地は地元の人々からはタランガムバーディと呼ばれていたが、デンマーク人はトランキバール(Tranquebar)と呼んだ。デンマーク東インド会社はダーンスボルグ城を建設し、トランキバールを拠点にインド貿易を始めた。一時は英国東インド会社を凌ぐ量の茶を輸入していたという。しかもその茶を英国に密輸して荒稼ぎしていたらしい。

 デンマークの国王フレデリック4世専属の牧師は、トランキバールにルター派の牧師を置くべきだと主張した。だが、デンマーク東インド会社は、デンマーク人牧師が来るのを嫌がった。そこで妥協として、ドイツ東部ハレ出身の2人のルター派牧師がトランキバールに送られることになった。その内の1人がバルトロメウス・ジーゲンバルグであった。当時ジーゲンバルグは23歳、1706年7月9日にトランキバールに上陸する。

 トランキバールに到着したジーゲンバルグは、当時湾岸地域のリングア・フランカとなっていたポルトガル語と、ポルトガル人が「マラーバル語」と呼んでいた地元言語タミル語の習得の必要性を実感する。彼はまず数ヶ月かけてポルトガル語を習得し、ポルトガル語を頼りに今度はタミル語を勉強し始めた。その勉強方法は伝統的なもので、砂浜にタミル文字を書いて教わる形式だったという。

 数ヶ月の内にタミル語も習得したジーゲンバルグは、布教のために「マラーバル語」の本を用意する必要性を感じ、1708年から新約聖書のタミル語翻訳を始め、1711年に完成させる。また彼は1709年に、本国に印刷機を注文する。デンマークはキリスト教知識普及委員会(SPCK)に助力を求め、SPCKは1712年にトランキバール宣教師団に対し、印刷機、紙、インク、活字を送付した。この印刷機により、トランキバール宣教師団の最初の出版物が出版された。言語はポルトガル語であった。

 ジーゲンバルグのこだわりはやはりタミル語にあった。彼はハレにタミル文字のスケッチを送り、タミル文字の活字を作るよう要請する。このタミル活字がマドラスに届いたのが1713年6月29日であった。活字と共に、3人のドイツ人印刷技師がインド入りした。その代表がヨハン・ゴットリーブ・アドラーであった。彼らは同年8月末にトランキバールに到着し、トランキバール宣教師団の印刷所で、タミル語出版物の印刷を開始した。

 実は、タミル文字の活字印刷が始まったのはこれが初めてではない。インドの活字印刷導入の歴史は3期に分断されており、ジーゲンバルグによるタミル語活字印刷開始はその第2期にあたる。第1期は、ポルトガル人が1556年にゴアに持ち込んだ1台の印刷機から始まる。ポルトガル人は、ラテン語、ポルトガル語の他、タミル語やコンカニー語の印刷物も発行していた。だが、この時代にインドに存在した印刷機は全てポルトガルか教会の所有物で、外に広まることはなかった。さらに、ポルトガル人による印刷は徐々に途絶えてしまう。記録によると、この時期に発行された最後のタミル語の印刷物は1612年のものである。また、ゴアにおいてラテン語とポルトガル語の印刷物が最後に発行されたのは1674年だった。よって、タミル語活字印刷は、トランキバール宣教師団印刷所によって約100年振りに再開されたということになる。

 しかしながら、ハレで製造されたタミル活字は大きすぎて紙を大量に消費してしまうという欠点があった。当時はまだ紙は貴重品であった。そこでヨハン・アドラーはより小型のタミル活字を開発する。この活字を使い、彼は1715年7月にタミル語の新約聖書の出版を成功させる。アドラーはトランキバール郊外に続けて活字製造工場、製紙工場、インク工場を建設した。これら3つは全て、インド初の印刷材料製造工場であった。これらの工場のおかげでトランキバール宣教師団印刷所は自給自足の印刷を行うことができ、以後100年間活動を続けた。1817年までトランキバールで印刷が行われていたとされている。トランキバールの印刷が終わってしまった理由はよく分からないが、おそらくトランキバールの重要性が衰えたことと関係あるのだろう。1801年にトランキバールは一度英国領になっており、1814年に再びデンマーク領となったものの、1845年には英国に買収されてしまう。

 このトランキバールの印刷技術は、カルカッタ近くのデンマーク領セランポールにも伝わった。当時、英国東インド会社は領内での宣教師の布教活動を快く思っておらず、その関係で1800年に英国人バプティスト派宣教師たちはカルカッタからセランポールに保護を求めてやって来た。その内の1人、ウィリアム・ケアリーはセランポールを拠点に印刷活動を行い、以後35年間に渡って33のインド諸語を含む40言語の出版物を発行して、インドの文化や社会に大きな影響を与えた。このセランポールの印刷所がインドの活字印刷導入の第3期となる。

 こういうわけで、インドで活字印刷が開始されたのは16世紀のゴアからだが、現代の活字印刷と直接関係しているのは、トランキバール宣教師団が始めた印刷である。よって、それが始まるきっかけを作ったバルトロメウス・ジーゲンバルグは「インドにおける近代活字印刷の父」として知られている。

 それだけでなく、ジーゲンバルグはタミル語、タミル文学の発展や、インドとドイツの友好関係に大きく寄与したことでも知られている。彼は、タミル語文献目録、インド初の年鑑、キリスト教関係のタミル語翻訳書籍、タミル地方の文化に関する論文など、数々の本を著した。彼はドイツを初めとしたヨーロッパにタミル地方を紹介することに貢献した他、平易な散文体のタミル語を書いたため、「近代タミル語散文の父」とも言われている。もちろん、ジーゲンバルグの本職は宣教師であるので、社会的に抑圧され続けて来た人々の間にキリスト教を広め、新しい価値観を植えつけることにも貢献した。彼が1710年に設立した女学校は特筆すべきである。しかしながら、ジーゲンバルグは1719年に36歳という若さで死んでしまう。


タランガムバーディ(トランキバール)にある
バルトロメウス・ジーゲンバルグの胸像

 というわけで、ジーゲンバルグはインド、と言うよりもタミル地方の発展に密接に関わった人物である。7月3日から始まる式典は、ジーゲンバルグのトランキバール来訪300周年を機に彼のタミルへの功績を再評価して、タミルの素晴らしさを世に知らしめようではないか、という意図なのであろう。

7月7日(金) Corporate

 マドゥル・バンダールカル監督と言えば、「Chandni Bar」(2001年)や「Page 3」(2005年)など、社会システムの裏を暴く映画を作る映画監督である。そのバンダールカル監督の最新作「Corporate」が本日より公開された。今回バンダールカル監督が選んだテーマは企業の裏側。PVRアヌパムで鑑賞した。

 前述の通り、監督はマドゥル・バンダールカル、音楽はシャミール・タンダン。キャストは、ビパーシャー・バス、ケー・ケー・メーナン、ミニーシャー・ラーンバー、ラジャト・カプール、ラージ・バッバル、リレット・ドゥベー、サミール・ダッターニー、パーヤル・ローハトギー、ハルシュ・チャーヤー、ジャーヴェード・アクタル(特別出演)、ヴァスンダラー・ダース(特別出演)、カイラーシュ・ケール(特別出演)、アトゥル・クルカルニー(ナレーション)など。

Corporate
 ムンバイーを拠点とする、セヘガル・グループ・インダストリーズ(SGI)とマールワー・インターナショナル(MI)は、食品業界のライバル企業であり、激しいシェア争いを行っていた。先の選挙でSGIの支持した政治家が州政府の政権に就き、SGIのヴィナイ・セヘガル社長(ラジャト・カプール)は大喜びをしていた。早速、政治家の恩恵によりインド進出を狙っていた米国の国際的企業フリスコンとの提携を結ぶことに成功し、今やSGIは飛ぶ鳥を落とす勢いであった。ニシー(ビパーシャー・バス)はSGIで働くキャリア・ウーマンであった。二シーは、ヴィナイの妻の弟で、SGIの副社長に就任したリテーシュ(ケー・ケー・メーナン)と恋仲にあった。【写真は左から、ラージ・バッバル、ラジャト・カプール、ビパーシャー・バス、ケー・ケー・メーナン、サミール・ダッターニー、ミニーシャー・ラーンバー】

 マハーラーシュトラ州政府は、州営のマハーラーシュトラ・ボトラーズ社の民営化を発表した。その入札にはSGIとMIも参加し、お互いを牽制し合っていた。SGIは政治家との癒着を深めると共に、他の入札希望企業にも手を回し、入札を確実なものとした。しかし、MIは政治家にSGIよりも多くの賄賂を提案し、一発逆転で入札に勝利する。また、MIのダルメーシュ・マールワー(ラージ・バッバル)社長は、ヴィナイを出し抜いて「ビジネスマン・オブ・ザ・イヤー」にも選出される。

 だが、二シーはMIがミント風味のソフトドリンクの発売を計画しているという情報をキャッチする。日頃から彼女をヘッドハンティングしようと狙っていたMIの幹部パルヴィーンを誘惑して、うまくその詳細情報を盗み出したニシーは、リテーシュと共にヴィナイの前でプレゼンテーションし、MIがそのソフトドリンクを発売する前に、自社で同じようなソフトドリンクを発売し、一気にマーケット・シェアを確立することを提案する。社長もそれも承認する。ただし、時間は3ヶ月しかなかった。

 SGIは、ミント風味ソフトドリンク「ジャスト・チル」の発売を発表し、その準備を始める。一方、MIのマールワー社長は社内に内通者がいることに勘付き、ニシーと連絡を取っていた女性社員とパルヴィーンはクビになる。

 ところが発売直前になって「ジャスト・チル」の中に殺虫剤が混入していることが発覚し、食品衛生局から発売許可が下りないというトラブルに直面する。工場が吸い上げていた水の中に、周辺部の農地で使用されている殺虫剤が染み込んでいたのだった。ヴィナイの右腕として11年間仕えて来たナヴィーンは、発売を2ヶ月遅らせて代替の水を準備することを提案する。だが、体裁にこだわるヴィナイは、食品衛生局の局員を買収し、発売を強行することを命令する。ナヴィーンはそれに不満を持って会社を辞めてしまった。今や、「ジャスト・チル」の成功はリテーシュとニシーの肩にかかっていた。

 「ジャスト・チル」は大ヒットとなり、60%以上のシェアを獲得した。だが、マールワーは「ジャスト・チル」の秘密をかぎ付け、州政府に通告する。すぐに州政府は「ジャスト・チル」の検査を行い、殺虫剤混入が公となる。扇動された民衆は、SGIのビルの前で連日抗議運動を始めた。マールワーは、SGIの株価が急落したのを見て買収に乗り出す。ヴィナイは最大のピンチに陥った。

 このピンチを切り抜けるには、誰かをスケープゴートにするしかなかった。それはニシーしかいなかった。リテーシュは反対するが、ニシーは「自分たちの将来は会社の将来にかかっている」と説得し、スケープゴートになることを受け容れる。ニシーは逮捕されてしまう。

 だが、SGIの不祥事に最も怒っていたのは、SGIと提携したばかりの米企業フリスコンであった。フリスコンの社長は中央政府財務大臣に、今すぐ何とかしないと全ての資本を引き揚げると脅す。財務大臣はSGIとMIを仲裁し、問題を丸く収めさせる。しかし、ニシーだけはそのまま捨て駒とされた。それに怒ったリテーシュは、ヴィナイに詰め寄って、48時間以内にニシーを解放させなければ全ての秘密をマスコミの前で暴露すると脅す。しかもニシーは妊娠していた。だが、ヴィナイは暗殺者を送り込んでリテーシュを抹殺する。世間ではリテーシュは自殺したことになった。

 こうして2年が過ぎ去った。SGIもMIも残り、以前のようにシェア争いを行っていた。消費者も殺虫剤が混入されていることをすっかり忘れて「ジャスト・チル」を飲み続けた。ただニシーだけが子供を抱えて今でも裁判所に通わなければならなかった。

 いかに企業はモラルのない闘争を繰り広げているか、企業のために尽くして来た人々を「企業のため」という言葉でもって捨て駒としているか、いかに権力と癒着しているか、利益を優先するあまり、いかに消費者を軽視しているか、その実態とシステムが赤裸々に描かれていた。日本では企業を舞台にした映画や漫画はそれほど目新しいことではなく、日本人の目にはそれほど目新しく映らないかもしれないが、このような試みの映画は今までインドにはなかった。またひとつ、バンダールカル監督は新たなテーマに切り込んだ映画を作り上げたと言える。

 企業の裏側を暴くと同時に、「Corporate」で題材となっていたのは、ペプシやコカ・コーラなどの炭酸飲料やミネラルウォーターへの殺虫剤混入疑惑スキャンダルである。それが問題になったのは2003年のことだった。殺虫剤が混入していることを知りながら黙っていた企業に対する糾弾や、その裏で政府が行ったであろう取引と妥協の暗示が描写されていたが、それよりも印象的だったのは、最後に流れた、殺虫剤が混入されている「ジャスト・チル」を飲み続ける一般の消費者たちの映像である。あの頃はみんな、日頃飲んでいる飲料に殺虫剤が混入されているというニュースに敏感だったのだが、今では全く気にせずペプシやコーラを飲んでいる。結局、政府や企業の横暴を助長させているのは、消費者の問題意識の欠如であることが示されていた。・・・しかし、コーラやペプシを飲みながら映画を見ている人も多いだろうから、そういう人たちにとっては嫌な指摘だったかもしれない。

 また、物語の本質ではなかったが、企業という男性社会における女性の地位に関しても少しだけ触れられていた。ビパーシャー・バスはその点を強調したかったようだが、残念ながら他のもっとパワフルな要素に呑み込まれてしまっていたと言っていいだろう。他にも、ボリウッド女優が高級娼婦のような仕事をしている様子、米国の一企業に財務大臣が屈する様子、不倫が横行する上流階級の乱れ振り、宗教への妄信の滑稽な描写など、バンダールカル監督らしい視点が盛りだくさんだった。

 元々主人公ニシーの役はアイシュワリヤー・ラーイにオファーされていたという。だが、スケジュールの問題からアイシュワリヤーは拒否し、それに伴ってビパーシャー・バスが主演を演じることになった。髪型やスーツが何となく似合っていなかったが、スッピンでの演技もあり、かなり体当たりで望んだと思われる。「Corporate」は、ビパーシャーのキャリアにとってひとつの大きな転換点となる映画かもしれない。

 個人的に注目している男優の1人、ケー・ケー・メーナンもいい演技をしていた。特にニシーをスケープゴートにする決断をするシーンや、ヴィナイに裏切られたと知って彼の家に殴りこむシーンなどは見せ場だった。いい役者である。

 他にも多くの俳優が映画に出演した。「Yahaan」(2005年)でデビューしたミニーシャー・ラーンバーは、準ヒロイン的役柄とは言え、ほとんど出番なし。抗争を繰り広げる両企業の社長を演じたラジャト・カプールとラージ・バッバルは文句ない演技。なぜか詩人ジャーヴェード・アクタルが登場しているのが笑えた。アトゥル・クルカルニーがナレーションを担当していたが、ナレーションで詳しく解説し過ぎな部分が少しあったのは残念だった。映画なので、やはり映像で説明することを優先すべきだ。

 ボリウッド映画の法則に則り、ミュージカル・シーンもいくつか挿入されていたが、映画の進行に特に必要と思われるものはなかった。カイラーシュ・ケールとヴァスンダラー・ダースが特別出演する「O Sikandar」だけは見る価値がある。

 「Corporate」は、テーマがテーマなだけに、大人向けのヒンディー語映画だと言える。脳みそを家に置いて見に行ったのではよく理解できないだろう。「Chandni Bar」、「Page 3」に続き、バンダールカル監督の傑作のひとつに数えてよい。興行面での成功も期待できそうだ。

7月9日(日) ボリウッド2006年上半期のまとめ

 まだ2006年も半分しか経っていないが、既に今年はボリウッド大豊作の年と言われている。優れた作品が多いだけでなく、映画業界はしっかりと収益を上げている。7月9日付けのサンデー・タイムズ・オブ・インディア紙がボリウッド好調の秘密を分析する特集を掲載していたので、それをまとめてみた。

 まず、今年のこれまでの5大ヒット作と予算、今現在の興行収入(国内と国外の合計)は以下の通りである(単位は億ルピー)。

映画名 予算 収益
1. Krrish 5.0 9.0
2. Fanaa 3.5 8.5
3. Rang De Basanti 2.5 8.0
4. Phir Hera Pheri 2.5 6.0
5. Malamaal Weekly 0.7 2.6

 リティク・ローシャン主演の「Krrish」は、先月末に公開されたばかりなのにも関わらず既に今年最大のヒット作となっている。現在も多くの映画館で上映が続けられており、さらに興行収入は増えるだろう。アーミル・カーン主演の2作品(「Fanaa」と「Rang De Basanti」)が2位と3位を独占。寡作だが完璧主義者として知られるアーミルの面目躍如だ。4位と5位はどちらもコメディー映画。「Phir Hera Pheri」は、プリヤダルシャン監督の「Hera Pheri」(2000年)の続編で、彼の弟子に当たる人物が監督している。「Malamaal Weekly」はプリヤダルシャン監督自身の作品。プリヤダルシャン監督は名実共に「コメディーの帝王」であることを証明したと言ってよい。また、「Phir Hera Pheri」と「Malamaal Weekly」、どちらにも出演しているインド最高のコメディアン俳優、パレーシュ・ラーワルの功績にも注目すべきだろう。

 これらのビッグ・ヒットの他、2006年上半期は「Being Cyrus」、「Mixed Doubles」、「Gangster」などの、批評家受けし、しかも興行収入を上げることに成功した作品にも恵まれた。「Zinda」、「Taxi No. 9211」、「36 China Town」などもヒットしただろう。個人的には、「13 Park Avenue」、「Shaadi Se Pehle」などもよかった。

 先月末に公開されたばかりの「Krrish」がいきなり興行収入トップに躍り出ていることからも、ボリウッドの収益のあり方がかなり変わったことが伺われる。一昔前は、ヒットの指標は連続上映週数で計られていた。インドの街角に貼られている映画のポスターには、必ず「第○週」という記述があった。当然、上映されている週の数が多ければ多いほどヒットということだ。だが、今では第1週目の収益、特に最初の週末の収益がその映画のヒットの指標となっている(インドでは金曜日に映画が封切られる)。つまり、ハリウッドと同じ傾向になりつつある。これは、映画館のシネコン化と密接に関連している。シネコンが登場する前は、上映できる映画館の数には限りがあり、第1週の興行収入でヒットを計ることは難しかった。だが、シネコンの登場により、封切られる映画の上映回数を調節することが可能となり、ヒットが期待される作品の上映規模の拡大が容易となった。これが第1週の興行収入の爆発的増加に貢献していると同時に、映画館の収入増加にもつながっている。ちなみに「Fanaa」の第1週の興行収入(国内外合計)は3億2千万ルピーだった。

 ここ数年の大きな変化として、映画業界と他業界のタイアップが進んでいることが挙げられる。「Krrish」では、子供向けドリンク「Bournvita」、洗剤「Tide」、ポテトチップス「Lays'」、ヒーローホンダ社の二輪車「Karizma」などの商品がわざとらしく登場していた。特に主人公クリシュナが「僕みたいに強くなりたかったら『Bournvita』を飲みなよ」というセリフを言っていたのが印象的だった。これらの「映画内広告」のために各スポンサー企業が支払った金額は1千万ルピーで、「Krrish」の映画内広告の収入は合計1億2千万ルピーだったという。

 チケット・セールス以外のこれらの副収入はマーケティングに回されるようだ。「Rang De Basanti」はマーケティング・キャンペーンに1億ルピーを費やしたが、制作会社が直接支出したのは2千万ルピーのみで、残りはコカ・コーラ、プロボーグ、LG、バーガー・ペインツ、エアテル、クラブHPなどの提携企業によって賄われた。また、「Rang De Basanti」の総予算が2億5千万ルピーであることを考えると、映画のマーケティングにその40%が費やされた計算となる。一昔前では考えられなかったことだ。

 さらに、ここ数年間で映画関連商品も大々的に売られるようになった。もちろん、インド映画業界は昔から音楽業界と密接な結びつきを持っており、映画公開前に発売されるCDやカセットはプロモーションを兼ねた映画関連商品のひとつであったが、現在はそれに留まらない多くの種類の商品が売られるようになった。例えば5年前には「Lagaan」(2001年)の漫画が発売され、3年前には「Koi... Mil Gaya」(2003年)に登場した宇宙人ジャードゥーの人形が発売された。「Hum Tum」(2004年)の映画、漫画、アニメのメディアミックス戦略も記憶に新しい。だが、その映画関連商品市場は今年に入ってさらに勢いを増しており、現在は「Fanaa」のマグカップやら「Krrish」のマスクやら、ありとあらゆるものが店で売られている。

 インド映画業界は、音楽業界に加えて新たに強力な提携業界を発見した。それは携帯電話コンテンツ業界である。具体的には、映画関連のリングトーン(着メロ)とウォールペーパー(待ち受け画像)だ。インドでも着メロは大きな需要がある。元々インドでは「ポピュラー音楽=映画音楽」という公式がほぼ成り立っていたため、着メロにヒット中の映画音楽を選びたいというのはインド人消費者のごく自然な欲求である。さらに、携帯電話ユーザーの増加に伴ってコンテンツ市場も拡大していくことは明確だ。インド映画業界では既に、CDやカセットなどの「フィジカルな」音楽配給権と、携帯コンテンツの配給権は明確に分割されて契約が交わされている。また、携帯コンテンツ配給権はどんどん値上がりしており、2005年公開の「Mangal Pandey」の携帯コンテンツ配給権が400万ルピーで売れた一方、今年1月公開の「Rang De Basanti」は700万ルピー、6月公開の「Krrish」は1千万ルピーで売れたという。しかも、今年8月公開の超期待作「Kabhi Alvida Naa Kehna」の携帯コンテンツ配給権は1300万ルピーにまで達した。携帯コンテンツ業界は、映画制作会社にとってますますおいしい収入源となりつつある。

 また、VCDやDVDなどのビデオ配給権(国内市場と海外市場に分かれている)、TV放映権、ラジオ局とのタイアップなどは、映画業界の伝統的な副収入源だ。特にインド映画のビデオ市場は毎年30%成長しているという。

 2006年上半期は、インド映画がインド社会に与える影響の強さを考えさせられる事件も起こった。「Rang De Basanti」では、ソ連製戦闘機MiG-21の墜落により死亡した1人の優秀な若いパイロットとそれに対する政府の冷淡な対応を巡って、若者たちがインド門の前でデモを行うシーンがある。それと全く同じようなことが、ジェシカ・ラール事件やマンダルIIを巡って現実にインド門で行われた。ジェシカ・ラール事件とは、1999年4月29日に有力政治家の息子に殺された有名モデルのジェシカ・ラールを巡る事件である。ジェシカ・ラールを殺した人物は明らかなのに、2006年2月21日に「証拠不十分」で容疑者は無罪放免された。警察の調査の不透明さや裁判所の不当な判決はデリー市民の怒りに火を付け、大手マスコミを巻き込んだ一大キャンペーンにまで発展した。また、マンダルIIとは高度専門教育機関にOBC(その他の後進階級)向けの留保制度導入を行う法案である。やはりこれも若者を中心とした民衆の大規模なデモを引き起こし、「Rang De Basanti」のような状況となった。そのデモ中に同映画の曲が流されたことからも、「Rang De Basanti」の影響は明らかである。「Rang De Basanti」の副題は「A Generation Awakens(覚醒する世代)」。まさにたったひとつの映画がひとつの世代を覚醒させたと言っていいだろう。

 まだ2006年は半分しか終わっていない。これからも期待作が目白押しである。カラン・ジャウハル監督の「Kabhi Alvida Naa Kehna」(予算4億ルピー)、同名ヒット映画のリバイバル作「Don」(予算3億5千万ルピー)、2003年の大ヒットコメディー映画「Munna Bhai MBBS」の続編「Lage Raho Munnabhai」(予算1億5千万ルピー)、サルマーン・カーンとアクシャイ・クマールの再共演が見所の「Jaaneman」(予算3億5千万ルピー)、2004年の大ヒット映画「Dhoom」の続編「Dhoom 2」(予算3億ルピー)などである。その他、「Omkara」、「Woh Lamhe」、「The Killer」、「Eklavya」、「Nishabd」なども期待されている。今年は賞レースの予想が難しそうだ。

7月17日(月) Strings

 今日から大学のレジストレーション(進学手続き)が始まった。午前中に行ったらけっこう空いていて要領よく終わった。手続きが済んだら日本に一時帰国する準備をしようと思っていたので、午後には航空券を買いに行き、帰国日程を決めた。2、3日かかるだろうと思っていたことが1日で終わってしまって気分がよかったので、映画を見に行くことにした。先週の金曜日から限られた映画館で封切られた「Strings」というヒングリッシュ映画が気になっていたので、それを見ることにした。グルガーオンのPVRメトロポリタンで見た。

 「Strings」の監督はサンジャイ・ジャー、音楽はズビーン・ガルグ。キャストは、アダム・ベーディー、サンディヤー・ムリドゥル、ヴィニート・クマール、タニシュター・チャタルジーなど。

Strings
 英国人の若者ワレン・ヘースティングス(アダム・ベーディー)は、恋人のインド人女性マーヤー(サンディヤー・ムドガル)と共にクンブメーラーを見にマハーラーシュトラ州の聖地ナーシクへやって来た。ワレンは、マーヤーの友人クリシュナー(タニシュター・チャタルジー)が住む寺院に泊まることになった。寺院の住職(ヴィニート・クマール)も彼を歓迎する。【写真は左から、タニシュター・チャタルジー、アダム・ベディ、サンディヤー・ムリドゥル】

 ワレンの祖父は、英領時代にインドに駐在していた官僚であった。その祖父の手記を愛読していたワレンは、インドに対していろいろな想像を掻き立てていた。目の前で繰り広げられるクンブメーラーやナーシクの雰囲気は、祖父の手記のままの神秘的な光景であった。そんな中、彼は宗教的生活を送るクリシュナーに惹かれ出す。マーヤーが仕事でゴアへ行っている間に、2人の関係は肉体関係まで行ってしまう。

 クリシュナーはそのことを後悔し、住職に打ち明けると同時に、ワレンを避けるようになる。ナーシクに帰って来たマーヤーは、ワレンとクリシュナーが仲良くなっているのを見てショックを受ける。ワレンもどう行動していいのか分からなくなるが、最後には思い切ってクリシュナーに思いを打ち上ける。最終的には住職も2人の仲を認める。

 2003年にナーシクで行われたクンブメーラーを舞台に繰り広げられる男女の三角関係を描いた映画。クンブメーラーとは、イラーハーバード(プラヤーグ)、ハリドワール、ウッジャイン、ナーシクの四大聖地で4年ごとに持ち回りで行われるヒンドゥー教最大の祭りである。大量のサードゥや信者たちが大集合することで有名だ。実際のクンブメーラーの時期に撮影されただけあって、その映像には迫力があった。

 しかしながら、脚本は全く薄っぺらで、しかも前後の脈絡がよく分からない。クンブ・メーラーのドキュメンタリー映画に無理矢理ストーリーを乗っけたような作品であった。見て損したというレベルの駄作である。

 キャストの中で最も見覚えのある顔はサンディヤー・ムリドゥルであろう。サンディヤーは、「ヒロインの友人」を演じることの多い脇役女優で、「Page 3」(2005年)の演技が記憶に新しい。決して美人ではないが、自分の役割をちゃんと理解して演技をすることのできる女優だと僕は思っている。もう1人のヒロイン、タニシュター・チャタルジーは、今まで数本の映画に出演しているものの、僕は初めてスクリーンで見た。やはり美人とは言えないのだが、演技は無難であった。

 最も演技に難があったのは、主人公ワレンを演じたアダム・ベーディーである。てっきり英国人俳優かと思っていたが、調べてみたらビックリ、インド人俳優カビール・ベーディーの息子で、しかもモデルとして活躍しているらしい。カビール・ベーディーは今まで3回結婚しているが、2番目に結婚した英国人女性スーザン・ハンプレーとの間の子供であろう。ちなみに女優プージャー・ベーディーは、最初の妻プロティマー・ベーディーとの間に出来た娘である。

 ボリウッド映画よろしく、挿入歌の数も多かった。しかもどれも雰囲気にそぐわないものばかりで、映画をいやがうえにも盛り下げた。ちなみに、挿入歌のひとつ「Mantra」は、マイティリー文学(ビハール州北部ミティラー地方の文学)の巨匠バーバー・ナーガールジュンの詩がベースとなっている。

 4つのクンブメーラーを全て見た人に言わせれば、やはりプラヤーグのマハークンブメーラーが最大規模らしい。映像で見る限り、ナーシクのクンブメーラーは思っていたほど迫力のあるものでもなさそうであった。しかし、ちんちん丸出し素っ裸のサードゥたちの映像がそのまま使われていたので面白かった。

 クンブメーラーを舞台にしている点で「Strings」はひとつの挑戦に取り組んでいる作品だが、肝心のストーリー部分は駄作そのものなので、無理して見る必要はないだろう。

7月18日(火) Golmaal

 今日はPVRアヌパムで新作ヒンディー語映画「Golmaal」を見た。

 「Golmaal」とは「混乱」という意味。監督はローヒト・シェッティー、脚本は「Phir Hera Pheri」の監督、ニーラジ・ヴォーラー、音楽はヴィシャール・シェーカル。キャストは、アジャイ・デーヴガン、アルシャド・ワールスィー、トゥシャール・カプール、シャルマン・ジョーシー、リーミー・セーン、パレーシュ・ラーワル、スシュミター・ムカルジー、マノージ・ジョーシー、ムケーシュ・ティワーリー、アヌパム・シャーム、ヴラジェーシュ・ヒールジー、サンジャイ・ミシュラーなど。

Golmaal
 ゴーパール(アジャイ・デーヴガン)、マーダヴ(アルシャド・ワールスィー)、そして唖のラッキー(トゥシャール・カプール)は、大学を卒業して10年経っても大学に居ついて悪さをしているゴロツキであった。彼らは、ラクシュマン(シャルマン・ジョーシー)が住む寮の部屋にたむろっていた。4人は借金取り(ムケーシュ・ティワーリー)から逃げ回りつつ、新入生から金を巻き上げたりして生活していた。学生監(マノージ・ジョーシー)はある日怒ってラクシュマン共々彼らを寮から追い出した。【写真は左から、トゥシャール・カプール、シャルマン・ジョーシー、アジャイ・デーヴガン、パレーシュ・ラーワル、アルシャド・ワールスィー、リーミー・セーン】

 行き場を失った4人は、盲目の老夫婦(パレーシュ・ラーワルとスシュミター・ムカルジー)の住む邸宅にたまたま入り込む。老夫婦がアメリカに住む孫のサミールの帰りを22年間も待ちわびているのを知ったゴーパールは悪巧みを考える。サミールになりきって屋敷に住み着けば、金に困ることはない!ラクシュマンを孫の「身体」にし、声はゴーパールが担当した。老夫婦は孫が帰って来たのを喜び、歓迎する。こうして4人は、老夫婦にばれないようにしながら屋敷に住み着くことになった。しかも、隣の家にはニラーリー(リーミー・セーン)というかわいい女の子が住んでいた。4人は必死になって彼女の気持ちを自分に向けようと出し抜き合いつつ足を引っ張り合いつつ馬鹿騒動を繰り広げる。

 ところで、老夫婦の邸宅には秘密の箱があった。その箱を狙って、マフィアのドン(サンジャイ・ミシュラー)は次々と刺客を送り込んだ。だが、4人はそれが刺客だと知らないながらも適当に撃退する。とうとう痺れを切らしたドンは、自ら老夫婦の家に乗り込む決意をする。

 一方、4人組はたまたまその箱を隠し部屋で発見する。お宝が入っているに違いないと考えた彼らはそれを開けようとするが、そこへお祖父さんがやって来る。お祖父さんは自ら箱を開け、その中からサミールの遺灰を取り出す。実はサミールは2年前に交通事故で死んでいたのだった。だが、それを妻に言うことができずに、今まで隠し通してきたのだった。お祖父さんは、家にやって来たサミールが偽者だとも気付いていたが、喜ぶ妻を見てそれを黙認していたのだった。

 そのときちょうど、ドンと手下たちが家に乗り込んでくる。老夫婦を騙したことを深く反省していた4人は、その償いにとマフィアたちと戦う。その戦いの中で、遺灰の中には実はマフィアが密輸しようとしたダイヤモンドが隠されていることが分かった。だからマフィアのドンは必死でそのダイヤモンドを取り返そうとしていたのだった。だが、4人はマフィアを打ちのめし、警察に突き出す。その乱闘の中で、ゴーパールは尻にナイフを刺されてしまう。

 こうして一件落着し、4人は老夫婦の養子として屋敷に住むことになった。また、4人はヴァレンタイン・デーにニラーリーに告白していたが、彼女は自分の伴侶としてラッキーを選んだ。なぜならニラーリーは自分の話を聞くだけで口答えしない夫が欲しかったからである。

 最近ボリウッドで流行の多人数型コメディー映画。よく見てみたら、脚本はその多人数型コメディー映画のパイオニアであるプリヤダルシャン監督の下で脚本家を務めていたニーラジ・ヴォーラーであった。どうりでプリヤダルシャン風味がするわけである。彼の映画は、「混乱」という意味の単語が題名になることが多い。「Hera Pheri」(2000年)しかり、「Hungama」(2003年)しかり、「Hulchul」(2004年)しかりである。しかし、笑いのパンチ力は一連のプリヤダルシャン映画に比べたら数割減であった。

 ヘレン・ケラーの人生をベースにした映画「Black」(2005年)の成功以来、ボリウッドでは盲人を初めとした身体障害者を笑いのネタにしたコメディー映画またはコメディーシーンが頻発しているが、「Golmaal」もそのひとつである。行き場をなくした4人のゴロツキが、盲目の老夫婦の家に転がり込んで住み出すというストーリーだ。グジャラーティー語の演劇作品が原作らしい。しかも、4人の内の1人、トゥシャール・カプール演じるラッキーは唖という設定である。盲目の老夫婦の家に住むという設定は面白かったし、この映画の核となる部分であるが、ラッキーが唖である必要性は全くなかったように思う。なんかこの身体障害者を笑いのネタにするのは、とても安易な流行のように思う。

 「Golmaal」は、ボリウッド映画らしい、いろいろな要素の詰まった映画であった。やはりメインなのは笑いで、最初から最後まで爆笑ネタで溢れていた。当代一流のコメディアンであるパレーシュ・ラーワルが出演しているにも関わらず、今回はあまりコミック・シーンに関与しなかったのが変わった点であった。だが、笑いだけでなく、迫力のあるレースシーンや、「箱」に隠された悲しい秘密など、観客のあらゆる情感に訴えかける作りで、その点は評価できるだろう。終わり方はちょっと納得できなかったが、コメディー映画なので細かいところを突っ込むのは野暮であろう。

 俳優の中では、アルシャド・ワールスィーとシャルマン・ジョーシーに最高点を与えたい。アルシャド・ワールスィーがサンジャイ・ダットの真似をして歩くシーンがあったが、よく特徴を捉えていて笑えた。「Rang De Basanti」(2006年)で大ブレイクしたシャルマン・ジョーシーは、そのままのキャラクターで印象をさらに強めた。女装シーンもあり。アジャイ・デーヴガンも悪くなかったが、コメディーをする顔ではないと思う。トゥシャール・カプールは全く駄目。他の3人と雰囲気が全く違う。あの「のび太君」のような顔でゴロツキの一員はないだろう。いなくても全然問題ない役だったし、かえって邪魔であった。脇役の中では、クレージーな学生監を演じたマノージ・ジョーシーや、蛇拳の使い手を演じたヴラジェーシュ・ヒールジーなどが印象的だった。

 ヒロインのリーミー・セーンは、「Dhoom」(2004年)以来、けっこう女優としてのランクを高めているようだ。「Deewane Huye Paagal」(2005年)では、「メリーに首ったけ」(1998年)でキャメロン・ディアスが演じたような「誰もが恋に落ちてしまう魅力的な女性」も演じた。だが、それほどいい女優とは思っていないし、「Golmaal」でもそれほど存在感を確立できていなかった。

 音楽はアップテンポのものが多かったが、最大の見所はパレーシュ・ラーワルとスシュミター・ムカルジーが踊る「Kyon Aage Peeche Dolte Ho」であろう。老夫婦の馴れ初めの話から舞台はクラシック映画風の村となり、しかも画面は白黒となる。そこでパレーシュとスシュミターが古風な踊りを踊り、時々アジャイ・デーヴガンたちがモダンタッチな合いの手を入れる。どうも印パ分離独立期の大女優ヌールジャハーンが歌う「Jawaan Hai Mohabbat」をベースにしているようだ。

 最近優れたコメディー映画が続いたため、コメディー映画に対する評価はどうしても辛口になってしまう。「Golmaal」は「面白いことはないが、最高のコメディー映画ではない」ぐらいの位置づけであろう。



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