スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2012年4月

装飾下

|| 目次 ||
映評■6日(金)Housefull 2
映評■13日(金)Bittoo Boss
映評■20日(金)Vicky Donor
映評■27日(金)Tezz


4月6日(金) Housefull 2

 ヒンディー語映画界は続編熱に冒されてしまったようだ。元々続編映画の習慣がなかったインド映画界であるが、21世紀に入り、「Munnabhai」シリーズ、「Don」シリーズ、「Golmaal」シリーズなど、様々な映画がシリーズ化され、続編が公開されている。もちろん「二匹目のドジョウ」は必ずしも見つかるものではなく、前作がヒットしてもその続編は無残な失敗に終わることも多い。ただ、ヒンディー語映画の続編映画で面白いのは、必ずしもストーリー上のつながりを重視して続編が作られる訳ではないことだ。前作とは全く独立したストーリーで、主人公だけが共通していることもあるし、時には前作と全く何の脈絡もない映画が「続編」として公開されることもある。その辺りは面白い現象だと言える。

 本日より公開の「Housefull 2」は、その名の通り、「Housefull」(2010年)の続編である。ただしこの作品もストーリーやキャラクターが前作と関連がある訳ではない。敢えて共通点を探すならば、コメディー映画というジャンル、そして豪邸に複数のカップルが滞在しハチャメチャな騒動を起こすというプロットである。また、キャストやクルーにも共通した人物が何人か見受けられる。

 前作、今作共に監督はサージド・カーン。「Heyy Babyy」(2007年)や「Housefull」のコメディー映画で知られる監督で、コレオグラファー兼映画監督ファラー・カーンの弟である。プロデューサーも同様に前作から引き続きサージド・ナーディヤードワーラーだ。また、キャストではアクシャイ・クマール、リテーシュ・デーシュムク、ボーマン・イーラーニー、ランディール・カプール、チャンキー・パーンデーイなどが共通している。ボーマン・イーラーニーとチャンキー・パーンデーイの役名だけが前作と共通しているが、前作との直接のつながりはないと考えていいだろう。ヒロインの面では、前作では人気絶頂のディーピカー・パードゥコーンがいたが、今作では人気・実力共にまだ二流・三流の女優ばかりだ。その代わりシニア陣のキャストが強化された印象で、ミトゥン・チャクラボルティーやリシ・カプールが出演している。



題名:Housefull 2
読み:ハウスフル2
意味:家が満員2
邦題:ハウスフル2

監督:サージド・カーン
制作:サージド・ナーディヤードワーラー
音楽:サージド・ワージド
歌詞:サミール
振付:ファラー・カーン
衣装:アキ・ナルラー、シャームリー
出演:アクシャイ・クマール、ジョン・アブラハム、リテーシュ・デーシュムク、アシン、ジャクリン・フェルナンデス、リシ・カプール、ランディール・カプール、ミトゥン・チャクラボルティー、シュレーヤス・タルパデー、ザリーン・カーン、シャザーン・パダムスィー、ジョニー・リーヴァル、チャンキー・パーンデーイ、ボーマン・イーラーニー、マライカー・アローラー・カーン、ランジート
備考:PVRプリヤーで鑑賞。


左からリシ・カプール、ミトゥン・チャクラボルティー、ザリーン・カーン、
シュレーヤス・タルパデー、アシン、アクシャイ・クマール、ジョン・アブラハム、
ジャクリン・フェルナンデス、リテーシュ・デーシュムク、シャザーン・パダムスィー、
ランディール・カプール、ボーマン・イーラーニー

あらすじ
 ロンドン在住の実業家兄弟チントゥー・カプール(リシ・カプール)とダッブー・カプール(ランディール・カプール)は血を分けた兄弟でありながら犬猿の仲であった。チントゥーは正妻の子であったが、不義の子であるダッブーより年下だった。2人の妻同士の仲も悪く、チントゥーの娘ヒーナー(アシン)とダッブーの娘ボビー(ジャクリン・フェルナンデス)も喧嘩ばかりしていた。

 あるときチントゥーとダッブーは毎度のように喧嘩をし、娘を英国一の大富豪と結婚させると宣言してしまう。そこでチントゥーとダッブーは別々に、怪しげな結婚斡旋業者アーキリー・パスタ(チャンキー・パーンデーイ)に花婿捜しを依頼する。アーキリー・パスタはチントゥーに、写真家ジャイ(シュレーヤス・タルパデー)を紹介する。ジャイはお見合いには参加せず、両親だけがチントゥーと会う。ジャイにはパールル(シャザーン・パダムスィー)という恋人がいたが、父親の言うことに従うことにする。ところがチントゥーが誤解からジャイの父親を罵倒し、それがきっかけで元々心臓に病を抱えていた父親が卒倒してしまう。それを知ったジャイはチントゥーに復讐することを誓う。

 チントゥーは自分の娘の花婿候補として、英国を拠点とするインド系大富豪の名前を挙げていた。その中の1人がJD(ミトゥン・チャクラボルティー)であった。偶然、JDの一人息子ジョリー(リテーシュ・デーシュムク)はジャイの学生時代の親友だった。ジャイはジョリーにチントゥーの娘と婚約を結ばせ、結婚式の日に破談させてチントゥーに心臓発作を起こさせてやろうと計画する。ところがジョリーは父親の前では萎縮してしまう気弱な男だった。ジョリーは恋人ジェイロー(ザリーン・カーン)を父親に紹介しようとしていたが、JDは息子を幼年時代の親友バトゥク・パテール(ボーマン・イーラーニー)の娘と結婚させる約束をしており、決して認めてくれそうになかった。ただでさえJDに何も言えなかったジョリーは、ジャイの大それた計画への協力を断る。しかし代わりにアイデアを出す。チントゥーはJDの息子の顔を見たことがないのだから、誰か他の人をジョリーに仕立て上げてチントゥーに紹介し、計画を実行すればいい。その計画のために選ばれたのが、2人の大学時代の先輩マックス(ジョン・アブラハム)であった。凄腕のスリとして悪名高いマックスは多額の報酬と引き替えにその仕事を引き受ける。

 マックスはジョリーになりすましてカプール家へ行く。念のためにジャイが運転手としてマックスに連れ添った。ところが間違えてダッブーの家に入ってしまう。すっかり騙されたダッブーはマックスを大歓迎し、娘のボビーと引き合わせる。とんとん拍子で縁談が決まり、マックスはダッブーの家にしばらく滞在することになる。

 間違えた家に行ってしまったことに気付いたジャイは、チントゥーへの復讐を果たすために、もう1人別のジョリーを用意しなくてはならなくなった。そこで次に抜擢したのがサニー(アクシャイ・クマール)であった。サニーもジャイとジョリーの大学時代の先輩であった。元々サニーとマックスは親友だったのだが、誤解から仲違いし、以後天敵となっていた。なるべくマックスと引き合わせないようにしながらサニーをジョリーとしてチントゥーの家へ送り込む。やはり念のためにジョリーがボディーガードとしてサニーに同行する。チントゥーもサニーを大歓迎し、娘のヒーナーと引き合わせ、あれよあれよと言う間に縁談がまとまり、サニーもしばらくチントゥーの家に居候することになる。

 しかしチントゥーとダッブーは隣同士で、すぐにサニーとマックスは顔を合わせてしまう。また、たまたまサニー、ヒーナー、マックス、ボビーの4人はたまたま同時にクルーズ船に乗り込み、ひょんなことから救命ボートに乗ったまま流され、無人島に漂着してしまう。ところがこのときの極限状態のおかげでサニーとマックスは仲直りし、ヒーナーとボビーもいがみ合いを止める。さらに、サニーとヒーナー、マックスとボビーは恋仲となる。

 ある日チントゥーはJDに挨拶するためにサニー、ジョリー、ヒーナーを連れてJDの邸宅へ行ってしまう。JDはジョリーとヒーナーが結婚するものと勘違いするが、サニーが機転を利かせて数日の内に2人の仲を裂くことを約束する。チントゥー、サニー、ジョリー、ヒーナーの4人はJDの家に滞在することになる。しかし執事のヴィシュワース・パーティール(ジョニー・リーヴァル)は異変を察知していた。

 その後、今度はダッブーがマックスとボビーを連れてJDの邸宅まで来てしまう。やはりこのときもサニーが機転を利かせ、JDを騙すことに成功する。ダッブー、マックス、ボビーもJDの家に滞在することになる。また、チントゥーとダッブーは顔を合わせるが、チントゥーはマックスのことをJDの不義の子だと理解し、ダッブーはサニーをJDの不義の子だと理解したことで、何とか丸く収まる。

 しかしながら今度はジョリーの恋人ジェイローがジョリーに対し、父親と会わせることを強く要求して来た。そこでまたサニーがJDに適当なことを吹き込み、ジェイローもJDの邸宅にしばらく滞在できることとなった。

 ところで、実はJDは元々マハーラーシュトラ州ガンガープルの盗賊で、本名はジャッガー・ダークーであった。しかし幼馴染みの警官バトゥクの勧告に従って自首し、14年間の刑期を終えた後、英国に渡って実業家として成功したのだった。自首する際、JDとバトゥクはそれぞれ息子と娘を年頃になったら結婚させる約束をしていた。そのバトゥクからJDのところへ電話が掛かって来る。バトゥクはかつての約束を履行しに娘を連れてロンドンへやって来るところだった。ここでもサニーが入れ知恵をし、別人をジョリーとして空港まで迎えによこすことを提案する。それに抜擢されたのがジャイであった。ところが顔を合わせて見ると、バトゥクの娘は他でもない元恋人のパールルであった。バトゥクはジャイのことをジョリーだと考え、娘を彼と結婚させようとする。バトゥクとパールルもまたJDの邸宅に滞在することになる。

 これにて、4組のカップルとその4人の父親がひとつ屋根の下に集うこととなった。しかし父親たちは皆ジョリーを誤解しており、自分の娘を結婚させようとしていた。非常に混迷極まる状況になってしまったが、話を簡単にするために、とりあえずJDとバトゥクの離間工作をすることにし、アナールカリー(マライカー・アローラー・カーン)という踊り子を使ってJDとバトゥクの仲を割く。バトゥクはJDに憤慨し、パールルを連れて出て行ってしまう。JDは予定通りジョリーをヒーナーと結婚させると宣言する。

 結婚式が行われようとしていた。しかしサニーは父親ランジート(ランジート)に、女性の心を弄ぶのは良くないと忠告され改心する。マックスも同様に心を入れ替える。サニーはヒーナーに、マックスはボビーに、自分がジョリーではないこと、今まで騙し続けて来たことなどを告白する。最初は怒ってビンタした2人だったが、後で2人を許し、サニーとヒーナー、マックスとボビーは真のカップルとなる。

 残る問題はJD、チントゥー、ダッブーだけであった。しかし大して手を打つことも出来ずに挙式を迎える。4組の結婚式はJDの邸宅で同時に行われ、チャールズ皇太子まで出席する。またバトゥクもパールルの結婚を止めるためにやって来る。やはりジョリーの正体を多くの人々の前で同時に隠し通すことは出来ず、サニー、マックス、ジャイがジョリーではないことがばれてしまう。憤ったチントゥーとダッブーはそれぞれヒーナーとボビーを連れて退出しようとするが、2人とも娘たちに説教され心を入れ替える。そしてチントゥーとダッブーは仲直りをする。しかしJDの怒りだけは収まらなかった。ジャッガー・ダークーとなって現れ、散弾銃をぶっ放し始める。しかしサニーが落ちて来るシャンデリアの下敷きになりそうになったJDを命がけで救ったことでJDの怒りも収まり、晴れて4組の結婚式が行われることになる。

 インド映画が得意とする大人数型ハチャメチャ・コメディー映画であった。コメディー映画なので脳みそを空にして楽しみたいのだが、大量の登場人物が登場し、真贋入り交じったアイデンティティーや人間関係が築かれて行く。名前を覚えるだけで一苦労だが、その上用意された笑いをフルに笑うためには、各登場人物の立ち位置を理解し、複雑に入り交じった人間関係を覚えなければならず、かなり頭を使う。ヒンディー語映画をコンスタントに見て各俳優の顔に慣れ親しんでいないと、さらにそれらを追うのが困難になるだろう。また、ストーリーそのものは非常にしょうもないもので、結末もお粗末である。しかしながら、それらを差し引いても笑えるポイントはいくつもあり、コメディー映画の最大の目的である「とにかく観客を笑わせる」ことは達成出来ていた。

 前作「Housefull」の醍醐味は、ひとつ屋根の下で、複数のカップルが複数のアイデンティティーを使い分けて目上の人を騙す点にあり、「Housefull 2」でもそれは踏襲されていた。バトゥク・パテールやアーキリー・パスタと言った脇役が共通していた他、英国皇室がオチの場面で登場する点も同じであった。しかしながら、「Housefull」では笑気ガスで無理矢理落ちを付けてしまったきらいがあったのだが、この「Housefull 2」ではそれよりもより陳腐な方法でエンディングとしていた点はパワーダウンだと言える。アクシャイ・クマール演じるサニーがあまりにアイデアマンで、どんなピンチに陥っても彼が何とかしてしまうだろうという妙な安心感があったため、前作にあったスリルも薄くなっていた。

 しかし、ひとつひとつのギャグはパワーアップしていた。アクシャイ・クマール演じるサニーの「エ~イ」という癖、チャンキー・パーンデーイ演じるアーキリー・パスタの暴走振り、ジョニー・リーヴァル演じる執事の突飛な行動など、細かい部分で笑わせてくれた。そしてキャスティングが絶妙だった。アクシャイ・クマールとジョン・アブラハムは「Desi Boyz」(2011年)で息の合った共演をしたばかりで、2人も筋肉質でスクリーン上の相性も良い。リシ・カプールとランディール・カプールは2人とも伝説的名優ラージ・カプールの息子で兄弟であるし、リテーシュ・デーシュムクとシュレーヤス・タルパデーも何となく雰囲気がよく似ている。女優にこれと言って強力なカリスマ性がなかったのが残念だが、その中でもアシンは頑張っていた。また、サニーの父親として往年の名優ランジートが出演していたのが特筆すべきだ。アクシャイ・クマールが今回繰り返していた言動はランジートを手本にしている。

 音楽はサージド・ワージド。前作のシャンカル・エヘサーン・ロイからバトンタッチしているため、音作りは変わっているが、「Papa Toh Band Bajaye」などは前作の「Papa Jag Jayega」を意識していると思われる。また、最近ネオ・ムジュラーとでも呼ぶべきディスコナンバーがトレンドで、「Agent Vinod」(2012年)の「Dil Mera Muft Ka」がその一例であるが、本作の「Anarkali Disco Chali」もその流れを汲んでいた。主にマライカー・アローラー・カーンが妖艶なダンスを踊る。

 基本的にはヒンディー語映画であったが、ミトゥン・チャクラボルティー演じるJDやジョニー・リーヴァル演じるヴィシュワース・パーティールなどがマラーターという設定で、マラーティー語の台詞が頻繁に登場した。

 「Housefull 2」は、前作「Housefull」とは直接ストーリーやキャラクターのつながりがある続編ではないが、ひとつ屋根の下で繰り広げられる大人数型ハチャメチャ・コメディーという点では共通している。アクシャイ・クマールとジョン・アブラハム、リシ・カプールとランディール・カプール、リテーシュ・デーシュムクとシュレーヤス・タルパデーなど、相性のいい俳優を組み合わせてあり、笑いも力が入っている。ストーリー自体はしょうもなく、特に何が残る訳でもなく、詰めも甘い。その癖筋を追うためにかなり頭を働かさなければならないが、娯楽映画としてはまあまあの出来だと言える。

4月13日(金) Bittoo Boss

 昨今のヒンディー語映画のトレンドとして、ムンバイーやデリーなどの大都市ではなく、地方中小都市を舞台にし、大富豪の御曹司ではなく一般的な中産階級の若者を主人公にした、地に足の着いた映画作りが行われるようになり、多くは好ましい興行成績を上げている。本日より公開の「Bittoo Boss」は、パンジャーブ州アーナンドプルを主な舞台とした映画である。パンジャーブ州には実際にアーナンドプル・サーヒブという町があるが、特にランドマークになるようなものは登場せず、それとの関係は不明である。実在の町と架空の町の中間と考えていいだろう。主人子はそのアーナンドプルで結婚式のビデオ撮影を生業とする若者。「Band Baaja Baaraat」(2010年)と似たテーマであるが、もちろんオリジナルである。監督も新人で、キャストにもスター・パワーはないが、予告編が魅力的だったので迷わず鑑賞することを決めた。



題名:Bittoo Boss
読み:ビットゥー・ボス
意味:ボスのビットゥー(主人公の名前)
邦題:ビットゥー・ボス

監督:スパヴィトラー・バーブル(新人)
制作:クマール・マンガト、アビシェーク・パータク
音楽:ラーガヴ・サーチャル
歌詞:クマール、ラヴ・ランジャン、アスィーム・アハマド・アッバースィー
出演:プルキト・サムラート(新人)、アミター・パータク、アショーク・パータクなど
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサント・クンジで鑑賞。


左からプルキト・サムラート、アミター・パータク

あらすじ
 ビットゥー(プルキト・サムラート)はパンジャーブ州アーナンドプルで有名な結婚式ビデオグラファーで、彼が来ないと誰も結婚式を始めようとしないほどであった。とある結婚式でビットゥーはムリナーリニー(アミター・パータク)という女の子と出会い、一目惚れしてしまう。ビットゥーはムリナーリニーにアタックするようになり、やがて2人は友達となる。

 ムリナーリニーはビットゥーの才能を認めていたが、このままアーナンドプルで結婚式のビデオを撮ってばかりでは将来は開けないことを理解しており、彼をチャンディーガルにあるTV局に連れて行く。ムリナーリニーは、そのTV局を取り仕切るアーディティヤと縁談の話があり、面識があった。しかしアーディティヤはビットゥーを全く相手にせず、2人の間で喧嘩が始まってしまう。ビットゥーはアーディティヤから罵詈雑言を浴びた上に、ムリナーリニーにもこのままでは何の未来もないことを諭され、ビットゥーは大金を儲けて見返すことを決める。

 ビットゥーは上司ヴァルマーの甘言に載せられ、ハネムーン・カップルの初夜を盗撮してブルーフィルムにして売り出すことにする。ビットゥーはアーディティヤの兄でゴロツキの男から金を借り、デリーへ行って機材を揃え、それを持ってシムラーまで行く。そのとき利用したタクシーの運転手がヴィッキー(アショーク・パータク)で、ビットゥーは彼を助手にして、ホテルにスパイカメラを仕掛ける。

 最初はなかなかうまく行かなかったが、ようやくハネムーンらしきカップルがその部屋に宿泊する。早速ビットゥーとヴィッキーはカメラを通して観察するが、会話から彼らが親元から逃げ出して来た学生のカップルであることが分かる。しかも男子の方は女子を無理矢理を手込めにしようとしていた。我慢し切れなくなったビットゥーは部屋まで行って介入し、暴力行為を止めさせる。

 ところが今度は女子の父親ディーパクがやって来てしまった。女子は勘当されそうになったが、ビットゥーは「撮影」だったことにし、何とか女子をかばう。父親は全てお見通しであったが、娘の反省とビットゥーの誠意を認め、娘を許すことにする。

 次にやって来たのは正真正銘のハネムーン・カップルであったが、男性の方がシャイで、なかなか事が進まなかった。2人の結婚にも問題があり、本当は男性の兄が結婚するはずだったのだが、逃げてしまったために弟が代わりに結婚することになったのだった。事情を知ったビットゥーはまたも介入し、2人の心を近付ける手伝いをする。ビットゥーの努力のおかげで2人の間のわだかまりは消えるが、ビットゥーは2人のプライベートな時間を盗撮することに疑問を感じ始め、撮影を止めてしまう。

 ビットゥーがアーナンドプルを出てから1ヶ月が過ぎ去っていた。ビットゥーは久し振りにムリナーリニーに電話をする。すると翌日ムリナーリニーはシムラーまで飛んでやって来る。ビットゥーがハネムーン・カップルの盗撮をしていたことを知ったムリナーリニーは失望して彼を見捨てる。ビットゥーも傷心のままアーナンドプルへ戻って来る。

 ブルーフィルムを作れなかったことで借金を返せなくなり、ビットゥーのオフィスはゴロツキによって破壊され、ビデオカメラを奪われてしまう。しかもムリナーリニーとアーディティヤの婚約式の招待状が届いていた。しかし、ビットゥーは父親から援助を受け、その金でビデオカメラを取り戻し、しかもアーディティヤとゴロツキの兄弟の不和を上手に利用する。2人がブルーフィルムを売って儲けた金の振り込み先について話しているところを盗撮し、それを証拠にして警察に逮捕させる。また、ビットゥーはディーパクから大きな仕事のオファーをもらい、ムリナーリニーともよりを戻す。

 またひとつ、低予算ながら優れた映画が生まれた。中小都市に住む中産階級を主人公にした映画は、現代のインド人庶民の多くが共通して抱く夢や感情、また共通して直面する問題をよくスクリーン上で体現できており、それが映画にいい効果を加えている。また、基本的にはロマンス映画ながら、どちらかというと最大の盛り上がりはロマンスとはほとんど関係ない中盤にあった。そこでは、純粋な主人公が悪の道に入りかけながらも改心して、より力強く道徳の道を進むところが描かれており、インド映画の良心が守られていた。ただ、まとめ方は急ぎ足過ぎた。そこがうまくまとめられていたら完璧な映画だったと言える。

 主人公のビットゥーは、アーナンドプルという田舎町で有名なビデオグラファー。人々の幸せをビデオに収めることに長けており、ビットゥー自身もそれを誇りに思っていた。アーナンドプルの人々もビットゥーの才能を非常に高く買っていた。ところが、より裕福な家庭に生まれ育ったムリナーリニーは違うことを考えていた。彼女はビットゥーの才能を認めてはいたが、認めているからこそ、彼にはもっと上を目指して欲しかった。彼にもっと大きくなって欲しかった。そして、実際に彼にブレイクのチャンスを与えようとする。しかしながら、自身を売るには、まずは都市在住ビジネスマンの冷酷な視線に耐えなければならなかった。その視線はむしろ無視と表現した方が適切なほど冷酷なものであった。ムリナーリニーはそれに耐えて成功を掴むように諭すが、田舎の大将となっていたビットゥーは、たとえ相手が誰であっても、他人の前で跪くことを潔しとせず、ムリナーリニーの好意すらも否定的に捉える。

 この辺りは、地方都市で一定の名声を勝ち得た人間の多くが、より上を目指そうとしたときに直面するであろう問題で、それが巧みに描かれていた。今までは映画スターを目指す若者を題材にした映画でこのような衝突がよく描かれていた。例えば「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」(2003年)がちょうどそれだ。しかし、「Bittoo Boss」は、陳腐になってしまった映画産業から一歩踏み出して、異なった分野での大都市vs地方都市の衝突を取り上げることに成功していたと言える。

 最大の盛り上がりはビットゥーが盗撮を止めるシーンだ。ムリナーリニーに「大金を儲けてみせる」と豪語してしまったビットゥーは、ハネムーン・カップルの夜を盗撮してブルーフィルムを作るというブラックな商売に手を出してしまう。インド人のハネムーンのメッカ、ヒマーチャル・プラデーシュ州シムラーへ行って、ホテルの部屋にスパイカメラを仕掛けてターゲットを待つ。しかしなかなか絶好の宿泊客は現れなかった。やっと現れたハネムーン・カップルらしき男女も実は訳ありの駆け落ち学生で、黙っていられなくなったビットゥーは介入してし人助けをしてしまう。その次に入った宿泊客も、今度は正真正銘の新婚ながらまた訳ありのカップルで、やはりビットゥーは2人の間の問題解決に尽力する。ビットゥーの活躍もあり、2人はやっと心を開き合い、ようやく待ちに待った「行為」が始まる。だが、ビットゥーはそれを盗撮するのを止めてしまう。元々ビットゥーは、人々の幸せをビデオに収める仕事をプライドを持ってやって来た。いくら悪の道に迷い込もうとも、彼には人の幸せを願う心が残っていた。ビットゥーは、ブルーフィルムを作るという名目で借りた多額の借金がありながら、盗撮を止め、田舎に帰ることにする。この改心の部分が映画でもっともジ~ンと来るシーンだ。

 しかしながら、インド映画では、改心した人が改心したことを公にする前に誤解を受けてピンチに陥るパターンが常套手段となっている。ビットゥーもムリナーリニーから誤解を受けてしまい、絶交されてしまう。ここから彼女の信頼を取り戻すまでの終盤は、これまで慎重に積み重ねて来た緻密なストーリーを根こそぎ崩してしまうほどいい加減であった。ひとつひとつの台詞が、聞き逃すとストーリーを追えなくなるほど重要で、それらをつなぎ合わせたとしても、納得行かないまとめ方である。あと10分くらい長くなっても良かったので、もう少し丁寧にエンディングまでを追って欲しかった。

 ビットゥーを演じたプルキト・サムラートは、人気TVドラマ「Kyunki Saas Bhi Kabhi Bahu Thi」に出演していた男優で、映画出演は本作が初となる。その後何をしていたのか知らないが、カメラの前に立つのが初めてではないだけあって、自信溢れる見事な演技だった。今のところ「Band Baaja Baaraat」のランヴィール・スィンと似た方向性なのが心配だが、将来性のある男優だと感じた。

 ヒロインのムリナーリニーを演じたアミター・パータクは、プロデューサー、クマール・マンガトの娘で、「Haal-e-Dil」(2008年)などに出演していた女優。「Omkara」(2006年)などのプロデュースもしており、プロデューサー業と女優業を掛け持つ異色の存在だ。演技はとても良かった。しかしヒロイン女優向けの顔ではなく、それが何度も突っかかった。脇役としての方が才能を開花できそうだ。

 音楽はラーガヴ・サーチャル。音楽が目立つ映画ではなかったが、結婚式にピッタリのパンジャービー風ダンスソング「Kick Lag Gayi」や失恋ソング「Mann Jaage」など、映画の雰囲気に合わせた曲ばかりであった。特に序盤に来る「Kick Lag Gayi」のダンスシーンは華やかかつエネルギッシュで良かった。

 ヒンディー語映画の扱いだが、実際にはパンジャービー語の台詞が大半を占める。ヒンディー語とパンジャービー語は近縁関係にあり、何となく分かる部分が多いが、台詞を完全に理解するためにはパンジャービー語の知識が必要となるだろう。

 舞台はパンジャーブ州アーナンドプル、チャンディーガル、デリー(パーリカー・バーザール)、シムラーと、北西インドを行き来する。イムティヤーズ・アリー監督の映画ほど旅情が込められていた訳ではないが、普段あまり映画に出て来ない場所を選んだのはいいことだ。こういう映画は今後も歓迎である。

 「Bittoo Boss」は、ロマンス部分やエンディングは弱いものの、中小都市出身の主人公が、田舎で名声を勝ち得た後、大きな世界へさらに一歩踏み出そうとする瞬間をうまく捉えた作品であった。インド映画の良心が見られたのも個人的に評価が高い。「Band Baaja Baaraat」とテーマが類似していながら、それに比肩する出来にはなっておらず、スターパワーも全くないものの、とても真摯に作られた映画で、見て損はないと感じた。

4月20日(金) Vicky Donor

 クリケットの国内リーグ、インディアン・プレミア・リーグ(IPL)開催中に付き、4月は大型の映画が公開される予定はない。しかしながら、こういう時期にこそ、低予算ながら優れた映画が映画館において上映枠を得られるのであり、インド映画ファンとしては余計に神経を研ぎ澄ませておかなければならない。本日より公開の「Vicky Donor」は、筋肉派男優ジョン・アブラハムが初プロデュースという話題性・特異性はあるものの、キャストにスターパワーはなく、それだけを見たらアピールに乏しい。しかしながら、精子ドナーを主人公にした映画で、そのユニークさから目を引いていた。監督は「Yahaan」(2005年)のシュジート・サルカール。



題名:Vicky Donor
読み:ヴィッキー・ドナー
意味:ヴィッキー・ドナー
邦題:ヴィッキー・ドナー

監督:シュジート・サルカール
制作:ジョン・アブラハム
音楽:ビシュワディープ・チャタルジー
出演:アンヌー・カプール、アーユシュマーン・クラーナー、ヤミー・ガウタム、ドリー・アフルワーリヤー、カムレーシュ・ギル、ジャヤント・ダース、ジョン・アブラハム(特別出演)
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサント・クンジで鑑賞。


アーユシュマーン・クラーナー

あらすじ
 ヴィッキー(アーユシュマーン・クラーナー)はデリーのラージパト・ナガルに住む無職の若者であった。ヴィッキーの家系は印パ分離独立時にパーキスターンからインドへ逃げて来たパンジャービー難民であった。父親は既に亡く、母親ドリー(ドリー・アフルワーリヤー)が自宅下で美容院を経営し、生活費を稼いでいた。ヴィッキーの祖母もまだ存命で、同居していた。

 一方、オールドデリーで不妊治療クリニックを開くバルデーヴ・チャッダー(アンヌー・カプール)は、百発百中のスーパー精子を持つ精子ドナーを探していた。長年の経験と勘からチャッダーはヴィッキーに類い稀な才能を直感し、探偵を雇って彼の身辺調査を始める。なんと彼の祖父には19人もの子供がいた!チャッダーは血眼になってヴィッキーを追い掛け、説得するが、精子を提供するという行為に抵抗を感じていたヴィッキーはなかなか精子ドナーになろうとしなかった。しかしとうとう説得に負け、一度だけ精子を提供する。ラボで調べたところ、ヴィッキーの精子はとんでもなく濃く、しかもアーリヤ人の血統を引くプレミアム物の精子であった。そして彼の精子の受精率はとてつもなく高く、チャッダーのクリニックを訪れた不妊症夫を持つ女性は次々に懐妊した。ヴィッキーも精子を提供するだけで多額の報酬が得られることに気を良くし、精子ドナーを職業とし始める。しかしながら、世間では精子ドナーという行為に強い抵抗があり、他言は厳禁であった。

 ところで、ヴィッキーは銀行勤務の美しいベンガル人女性アシーマー・ロイ(ヤミー・ガウタム)に言い寄っていた。アシーマーは当初ヴィッキーを相手にしなかったが、やがて心を開くようになり、2人は恋仲となる。だが、結婚をプロポーズする前に、アシーマーはヴィッキーに秘密を打ち明ける。彼女は出戻りであった。一度見合い結婚をしたのだが、夫には恋人がいることが分かり、結婚式の晩に逃げ帰って来たのだった。ヴィッキーはそれを聞いても何とも思わず、アシーマーとの結婚を受け容れる。

 しかしヴィッキーとアシーマーの結婚には障害が多かった。まず、パンジャーブ人とベンガル人の対立が大きな壁であった。ヴィッキーの母親ドリーは息子がベンガル人と結婚することに大反対だった。アシーマーの母親は既に亡く、役人の父親と、その姉と共に同居していたが、やはり彼らも娘がパンジャーブ人と結婚することに大反対だった。また、チャッダーもヴィッキーが結婚することで精子が無駄になると嘆いていた。しかしながらチャッダーは両家の縁組みを助け、2人はめでたく結婚することになる。2人はハネムーンにコールカーターへ行き、ロイ家先祖伝来の邸宅に宿泊する。

 結婚後、アシーマーが不妊症であることが発覚する。子供を欲していたアシーマーはひどく落胆する。ヴィッキーもつい過去に精子ドナーをしていたことを暴露してしまう。精子ドナーという低俗な金儲けをしていたこと、そしてそのことを結婚前に明かさなかったことに怒ったアシーマーは家を出て、故郷コールカーターに帰ってしまう。また、ドリーたちにもそのことがばれてしまい、ヴィッキーは家族から村八分の扱いを受けるようになる。

 ヴィッキーが精子ドナーになったことで不幸な目に遭っていることを知ったチャッダーは責任を感じ、全てを元に戻すためにとある計画を実行し出す。ちょうどチャッダーのクリニックが開院25周年を迎えるところで、彼はこれまで彼のクリニックに通ってヴィッキーの精子によって子供を授かった夫婦を招待する。そしてそこにヴィッキーとアシーマーも呼ぶ。ヴィッキーはコールカーターまで行ってアシーマーを説得し、何とかデリーに呼び戻して、チャッダーの25周年記念パーティーに出席する。

 チャッダーはアシーマーに、パーティーを訪れた夫婦の間に出来た53人の子供を見せる。そして彼ら全てがヴィッキーの精子によって生まれたことを明かす。アシーマーはそれを見て精子ドナーという仕事への偏見を捨て、ヴィッキーと仲直りする。それを見たチャッダーは2人をとある場所へ連れて行く。ヴィッキーの精子によって生まれた子供の内、1人の両親は交通事故で亡くなってしまっていた。そしてその子ディーヤーは孤児院に入れられていた。チャッダーは孤児院へ2人を連れて行く。ヴィッキーとアシーマーはディーヤーを養女とし、家に連れ帰る。

 一応コメディーに分類されているが、それだけには留まらない、非常に優れたドラマ映画に仕上がっていた。今年ベストの作品の1本と言っていい。

 この映画が第一に主題としていたのは精子ドナーであり、さらには不妊についてである。劇中でチャッダーが語るところによれば、都会に住む現代人は不妊問題に悩まされることが多いようで、彼のような不妊治療専門の医者が必要となる。村では何もしなくてもどんどん子供が生まれることから、不妊の第一の原因は都会特有のストレスであるとチャッダーは喝破する。そして、得てして不妊に悩まされる夫婦の多くは富裕層であり、不妊治療にかこつけて、金の力で著名人の優秀なDNAを使って「デザイナーズ・ベイビー」を生もうとする。しかし、どんな優秀なDNAであっても、受精しなくては何にもならない。そこで、受精率の高いスーパー精子が必要となる。映画の主人公ヴィッキーは無職の風来坊であったが、彼の精子は他でもないそのスーパー精子であった。しかも、精子には血統の上下があり、ヴィッキーの精子は世界中でもっとも需要の高い純アーリヤ系のDNAを持っていた。つまり、ヴィッキーは最高級の精子を生産するドナーになり得たのだった。

 それと同時に、「精子を売る」という職業・行為に対する偏見も効果的に描写されていた。まずはヴィッキー自身が精子ドナーになることを長らく渋っていた。そしていざ精子ドナーになると、今度は世間の目を気にするようになる。一応ヴィッキーは気になる女の子に「精子ドナーをしている」と正直に明かしたこともあった。しかし必ず女の子はその発言を誤解し、彼に平手打ちを喰らわして去って行ってしまった。そういうことが重なったため、脳天気なヴィッキーもさすがに精子ドナーであることを隠すようになる。家族や恋人にもそれは言わず、人から職業を聞かれると、「手工芸品の売買」とだけ言っていた。ヴィッキーと結婚したアシーマーも精子ドナーに対して偏見を持っており、その秘密を知ったときには憤り、家を出て行ってしまう。しかし、精子ドナーのおかげで多くの家族が子供という幸せを得ることができている現状を知り、アシーマーも考えを改めるというのがこの映画のエンディングの一部であった。

 また、映画らしいツイストとして、精子ドナーをしていたヴィッキーの妻アシーマーが不妊症であることが発覚する。おそらく診断では卵管障害と言っていたと思う。それを知ったアシーマーは途端に情緒不安定となり、夫が精子ドナーという「低俗な」仕事をしていたこと、そしてそれを今の今まで隠していたことなどに憤って家を出て行ってしまう。しかしながら、アシーマーの父親は、娘がショックを受けたのは本当はそれらではなく、不妊の原因が自分一人にあることが確定した事実によってであることに気付いていた。最終的には、ヴィッキーの精子によって生まれた孤児を引き取ることで、アシーマーはヴィッキーの子の母親になる夢を叶える。

 このメインテーマ以外に秀逸だったのが、パンジャーブ人とベンガル人の対立描写である。インドは28州と6準州(+首都デリー)から成る連邦共和国であり、各州はそれぞれに独特の言語、文化、風習、伝統、そしてプライドを持っている。そして各地域にステレオタイプのイメージがあり、対立が表面化すると、そのステレオタイプを持ち出して中傷合戦が繰り広げられるのが常だ。劇中で取り上げられていたパンジャーブ人とベンガル人の対立はほんの一例で、北インド対南インド、パンジャーブ対グジャラート、マハーラーシュトラ対ビハール、タミル対ケーララなど、複数の対立軸が存在する。この対立がコメディータッチで映画のストーリーに組み込まれることも少なくなく、例えば「Kal Ho Naa Ho」(2003年)ではパンジャーブ人とグジャラート人のつばぜり合いが見られた。

 「Vicky Donor」では、ヴィッキーがパンジャーブ家系、アシーマーがベンガル家系となり、彼らの家族はお互いに強い偏見を持っていた。ベンガル人の目から見たらパンジャーブ人は騒々しく、ケチで、飲んべえで、常にビジネス志向で、全く問題外であった。一方、パンジャーブ人の目から見たらベンガル人はお高く止まっており、ケチで(これはどこの出身の人でも必ず入る悪口だ)、魚ばかり食べており、やはり全く問題外であった。最高におかしいのはヴィッキーとアシーマーの結婚式だ。パンジャーブ様式とベンガル様式がぶつかり合い、全く不調和なのだが、「多様性の中の統一性」を謳うインドの常で、なぜかうまく行き、いつの間にか両家の感情的垣根は取り払われていた。酒を忌避していたアシーマー父が酒を飲んで陽気に踊り出すシーンなどはとても微笑ましい。

 このパンジャーブ対ベンガルに象徴されるように、この映画は非常に地に足の着いた映画になっており、都市在住インド人の生活がリアルに描かれていた。しかも舞台はデリーであり、デリーに長く住む僕の目からもかなり親近感を覚えるキャラクタースケッチやバックグランドだった。ヴィッキーはパンジャービー難民の居住区であるラージパト・ナガルに住んでおり、母親は美容院を経営、デリーに住むパンジャーブ人下位中産階級の生活そのものを体現している。一方、アシーマーの父親は役人で、ベンガル人が多く住むチトランジャン・パーク在住。父親の姉は独身を貫いており、そういう生き方もベンガル人らしい。メトロ駅がさりげなく登場したり、ショッピングモールでデートをしたり、今時の若者そのものだった。

 そして台詞も非常に写実主義的だった。この映画は一応ヒンディー語映画に分類されることになるだろうが、実際には台詞の半分以上はパンジャービー語である。パンジャービー語をしっかり勉強した訳ではない僕にとっては、通常のヒンディー語映画に比べて細かい部分の理解度がやや落ちたが、デリーに住み、ヒンディー語でインド人と日常的に接している人なら、何とか理解できるレベルであろう。そしてパンジャービー語のみならず、全体の台詞や台詞回しがとてもいい。老人は老人の、中年は中年の、そして若者は若者の、生の言葉をしゃべる。デリーの言語をそのまま映画にパッキングしたような、言語学的に非常に素晴らしい作りとなっていた。また、ベンガル語も少しだけ使われる。

 ちなみに監督はベンガル人、主なキャストはパンジャーブ人である。ベンガル人女性アシーマーを演じたヤミー・ガウタムも実際にはチャンディーガル出身のパンジャービーだ。

 ヴィッキーを演じたアーユシュマーン・クラーナーは、演劇畑出身で、長年TV番組でVJなどを務めた後、本作で映画デビュー。元々パンジャーブ人であり、若者パンジャービー語を話すヴィッキー役にはうってつけであった。

 ヤミー・ガウタムはTVドラマに何本か出演し、カンナダ語、テルグ語、パンジャービー語の映画で主演を務めた後、この「Vicky Donor」でヒンディー語映画デビューとなった。清楚なシルエットで、多少オーバーながら(TVドラマの影響か?)演技も悪くなく、今後成長が見込まれる。

 そしてチャッダーを演じたアンヌー・カプール。最近では「7 Khoon Maaf」(2011年)などに出演していたベテラン男優だ。かなり老練な演技で、演技力では主演の2人を圧倒的に凌駕していた。彼の存在が、スターパワーのないこの映画をグッと引き締めていた。

 脇役陣もかなりストーリーに溶け込んだ俳優ばかりで素晴らしかった。特にヴィッキーの母親を演じたドリー・アフルワーリヤーは白眉の演技であった。パンジャーブ人特有のごつい顔付きをしており、こういうおばさんはデリーにも多いのだが、その彼女が時折見せるしおらしい一面は、何となく現実世界の強面おばさんにもこういう一面があるのかな、と思わせられるものであった。それに加えてヴィッキーの祖母のキャラクターも良かった。ソニーの大型液晶TVやiPhoneなどに興味を示すモダン婆ちゃんで、ヴィッキーの良き理解者であった。

 また、今回初めてプロデュース業に進出したジョン・アブラハムが、エンドクレジットのボーナス・ダンスシーン「Rum Wisky」で登場し、アーユシュマーン・クラーナーやヤミー・ガウタムと共に踊りを踊る。劇中でも彼の名前が一度出て来ることがある。

 ちなみに、精子ドナー関連ではサンジーヴ・シヴァン監督のドキュメンタリー映画「Achtung Baby: In Search of Purity」も面白いようだ。ラダックのダー&ハヌー村に住むボクパ族(ドクパまたはダルドとも呼ばれる)は純アーリヤ人とされており、一時期ドイツ人女性の間では、純アーリヤ人の子だねを授かるために、この村を訪れることは流行したらしい。このドキュメンタリー映画はその興味深いトレンドを追った作品だ。ダー&ハヌー村の人々は、帽子に花を飾る風習から「花の民」と呼ばれており、日本人観光客にも人気である。

 「Vicky Donor」は、多くの人にとってはほとんどノーマークの作品であろうが、今年のヒンディー語映画シーンを代表する名作になる可能性を秘めた、質の高いコメディー・ドラマ映画だ。特にデリー在住の人にとっては、身近な風景で身近なドラマが繰り広げられることもあり、よりいっそう楽しめることだろう。精子ドナーが主人公という点だけでも興味を引かれる人がいるかもしれない。必見の映画である。

4月27日(金) Tezz

 「Hera Pheri」(2000年)や「Malamaal Weekly」(2006年)など、ハチャメチャ・コメディー映画を得意とするプリヤダルシャン監督であるが、コメディー以外にも様々なジャンルの映画を作っており、非常に多作でバラエティーに富んだ才能を持っている。2005年にはコメディー映画「Garam Masala」と悲恋モノ「Kyon Ki...」を同時公開するという離れ業をやってのけたこともある。本日より公開の、プリヤダルシャン監督の最新作「Tezz」はアクションスリラー。「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)以降、今や国際的に活躍するアニル・カプール、コンスタントにヒット作に出演する脂の乗ったアジャイ・デーヴガン、そしてマラヤーラム語映画の大スター、モーハンラールなどをキャスティングしたマルチスター型の映画で、非常に気合いが入っている。



題名:Tezz
読み:テーズ
意味:早い、激しい
邦題:テーズ

監督:プリヤダルシャン
制作:ラタン・ジャイン
音楽:サージド・ワージド
歌詞:ジャリース・シェールワーニー、シャッビール・アハマド
衣装:ナヴィーン・シェッティー、シャーヒド・アーミル
出演:アニル・カプール、アジャイ・デーヴガン、ザイド・カーン、サミーラー・レッディー、カンガナー・ラーナーウト、モーハンラール、ボーマン・イーラーニー、ドミニク・パワー、マッリカー・シェーラーワト(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。


左からアジャイ・デーヴガン、サミーラー・レッディー、モーハンラール、
ボーマン・イーラーニー、ザイド・カーン、カンガナー・ラーナーウト、アニル・カプール

あらすじ
 ロンドン。アーカーシュ・ラーナー(アジャイ・デーヴガン)は、英国生まれのインド系女性ニキータ(カンガナー・ラーナーウト)と駆け落ちの形で寺院結婚をし、会社を興して不法就労者を働かせていた。しかし移民局に捕まり、インドへ強制送還された。

 4年後。アーカーシュはロンドンに戻って来ていた。アーカーシュはかつて雇用していたアーディル(ザイド・カーン)やメーガー(サミーラー・レッディー)と再会する。アーカーシュは自分を強制送還した当局を恨んでおり、ロンドンでテロを企てていた。アーディルとメーガーはそれに協力し、爆薬、携帯電話、航空券手配などを支援していた。

 遂に決行の日が来た。アーディルは前日に貨物列車に爆弾を仕掛け、メーガーはグラスゴー行きの長距離列車に爆弾を仕掛けた。そしてアーカーシュは列車管理室に電話をし、爆弾を仕掛けたことを伝える。グラスゴー行きの列車に仕掛けられた爆弾は、スピードが時速60マイル以下になると爆発するようにセットしてあった。そして本気であることを示すため、貨物列車を爆発させる。そして乗客の身代金として1千万ユーロを要求した。列車管理室の室長サンジャイ・ラーイナー(ボーマン・イーラーニー)や対テロ・コマンドー司令官アルジュン・カンナー(アニル・カプール)は犯人の要求通り身代金を用意する。また、サンジャイの娘や、アーカーシュに爆薬を売った英国人マフィア、ジョー・ジョー(ドミニク・パワー)が偶然、爆弾の仕掛けられた列車に乗っていた。ジョー・ジョーは警察に逮捕されており、警察官シヴァン・メーナン(モーハンラール)が同行していた。

 サンジャイは身代金を渡して乗客の命を救うことを第一に考えていたが、アルジュンは身代金を餌に犯人を逮捕することに全力を挙げていた。アルジュンはアーカーシュの指示通り身代金を届けるが、それを受け取ったメーガーを追跡する。メーガーはバイクに乗って逃亡するが、その途中で事故に遭って死んでしまう。また、アーディルも身元が割れてしまい、逃亡中にアルジュンが撃った銃弾を脚に受けて負傷の身となる。

 アーカーシュはメーガーの死とアーディルの負傷に心を痛めるが、再びサンジャイに電話をし、新たな身代金の受け渡し方法を指示する。今回もアルジュンが受け渡しを担当し、スナイパーや警官を張り込ませる。アーカーシュは単身その金を受け取りに行き、アルジュンを出し抜いて逃亡する。だが、アーディルは警察の急襲を受け、自爆してしまう。また、アーカーシュはサンジャイに連絡し、列車に仕掛けられた爆弾は接続されていないことを伝える。

 アーカーシュは身代金を持ってニキータに会いに行く。アーカーシュとニキータの間には息子も生まれており、彼は初めて息子と対面する。アーカーシュはニキータと息子を連れてインドへ行こうとするが、その前にメーガーとの約束を果たさなければならなかった。メーガーには弟がおり、英国に留学していたが、突然目の病気にかかり、至急手術が必要となっていた。アーカーシュはメーガーの弟が入院する病院へ行き、その手術代を支払う。しかしそこには既にアルジュンも来ており、メーガーの弟からアーカーシュの情報を引き出してしまっていた。身元が割れたアーカーシュは、空路英国を脱出することが難しくなり、鉄道での脱出を図る。ところがアルジュンが既にニキータと話を付けて駅で待ち構えていた。ニキータはアーカーシュを助けようとするが、彼はアルジュンに見つかってしまう。一時はアーカーシュがアルジュンを征し、彼に理不尽な世の中の不平をぶちまけるが、後から突入した警官によってアーカーシュは射殺されてしまう。

 ここのところ「Don 2」(2011年)、「Players」(2012年)、「Agent Vinod」(2012年)とアクションスリラーが続くが、その中ではもっとも良い出来の映画だった。時速60マイルを下回ると爆発する爆弾が仕掛けられた列車を巡る攻防が映画の核であり、それは日本映画「新幹線大爆破」(1975年)やハリウッド映画「Speed」(1994年)を彷彿とさせるが、脚本はオリジナルであり、キャストが豪華だったこと、スタントシーンに才能あるコーディネーターを起用したことなどから、一級の娯楽作品となっていた。ただ、そのメッセージには疑問を感じた。

 また、映画のテーマは英国におけるインド人移民の問題である。主人公アーカーシュは、インド系英国人女性と結婚したものの、彼女の父親に反対されたために公式な手続きを踏んでおらず、寺院で結婚式を挙げた。しかし英国の法律ではそれは結婚とは認められず、彼は不法滞在、不法就労とみなされてしまった。また、アーカーシュは英国に来たものの金に困窮するインド人に仕事を与え、経済的に支援していたが、それも英国の法律上では不法就労であった。アーカーシュは妻と引き離され、本国に強制送還されてしまう。これが映画本編の4年前の出来事で、何とかして英国に戻って来たアーカーシュはテロを決行して英国当局に復讐することを決めたのだった。

 アーカーシュの主張としては、少なくとも4年前の時点では、間違ったことはしていないし、人道的に正しいことをしている、とのことであるが、一般的な日本人の目からするとそれはさすがに屁理屈に感じるであろう。あくまでアーカーシュたちは英国にとって外国人であり、もし英国に住みたいのならば英国の法律に従うべきである。しかも強制送還されたからと言って、監視の目をくぐり抜けて舞い戻り、テロを行うというのは非常に恐ろしいプロットだ。プリヤダルシャン監督はこの映画のこのキャラクターのこの主張から世界に何を訴えたいのか、非常に疑問であった。ただ、この点はそこまで強調されていなかったので、映画全体の質に響くことはあまりないと言える。

 それに対比する存在として描かれていたのがアルジュンである。インド系でありながら対テロ・コマンドーの司令官を務め、社会的に非常に信頼される立場にいた。退職の日にちょうどこのテロが発生し、職務に引き戻される。アルジュンは仕事に忠実な人物であるが、犯人がインド系であることが分かるとさらに使命感を強める。1人のインド人がこのような事件を起こすことで、インド系コミュニティー全体が不利益を被るからであり、この事件を解決するのはインド系である自分でなければならないという強い信念があった。最後にはアーカーシュへの同情も心の中に生まれるが、それを表明する前にアーカーシュは射殺されてしまう。

 このように、舞台は英国でありながら、結局インド人同士のドラマとなっている。登場人物のほとんどはインド人で、あたかも道を歩けばインド人に当たるかのごときインド人連鎖が起こって行く。確かにロンドンにはインド人が非常に多いようだが、さすがにここまで綺麗にインド人コンボが続くと、話が出来すぎだと思ってしまう。インドを舞台に作っていればこの辺りの弱点は完全に消え去ったのだが。

 しかしながらアクションシーンは非常に素晴らしかった。インターミッション直前、サミーラー・レッディー演じるメーガーを中心としたバイクチェイス・シーンと、後半、ザイド・カーン演じるアーディルを中心とした足でのランニングチェイス・シーンは、あまりにスタントが行き過ぎていた嫌いもあったが、手に汗握った。これらは「The Bourne Identity」(2002年)や「National Treasure: Book of Secrets」(2007年)などで知られるハリウッドのスタント・コーディネーター、ガレス・ミルネとピーター・ペドレロが担当しており、確かにハイレベルなアクションであった。はっきり言って「走り続けなければならない列車」からはほとんど緊迫感が感じられなかったのだが、これらのアクションシーンのおかげで「早い」という意味の題名の映画「Tezz」は面目躍如となっていた。

 アニル・カプールとアジャイ・デーヴガンは一歩も譲らぬハードボイルドな演技。それに加えてボーマン・イーラーニーも渋い存在感を醸し出しており、キャストの面ではこの3人が映画を支えた。ザイド・カーンやサミーラー・レッディーもそれなりに貢献していた。演技力では抜群のカンガナー・ラーナーウトは意外に出番が少なかったが、クライマックスにおいて見せ場があり、強い印象を残していた。さらに出番が少なかったのはモーハンラールで、ほとんどカメオ出演の域であった。後はマッリカー・シェーラーワトがアイテムナンバー「Laila」でダンスを踊っていたのが特筆すべきである。

 音楽はサージド・ワージド。全体的におふざけなしのハードボイルドな雰囲気で、楽曲をストーリーに組み込みにくい作品だったのだが、前述の「Laila」やバラード「Tere Bina」など、いくつか巧みに映画に溶け込んでいた。突出した曲はないが、映画の雰囲気を損なってはいなかった。

 ここ半年ほどヒンディー語映画界ではアクションスリラー映画が続いているが、プリヤダルシャン監督の「Tezz」はその中でももっとも完成度の高い娯楽作品。ロンドンを舞台に、インド人のテロリストとインド系の警察官の間の攻防が繰り広げられる。テロリストの動機にいまいち共感できない部分もあるのだが、ハリウッドの人材を活用したアクションシーンがいくつかあり、退屈しない展開となっている。



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