カルナータカ州南西部にはコダグと言うユニークな地域がある。コダグは西ガート山脈の東斜面に位置するヒルステーションで、現在はカルナータカ州の一県となっているが、インド独立直後は独立した州であった。1956年の言語州再編によりマイソール州(現在のカルナータカ州)に編入されたが、地元政治家は再独立運動を行っているという。コダグは「インドのスコットランド」と呼ばれる美しい自然と、コダヴァと呼ばれる独自の文化を持った戦闘民族で有名である。コダグ(Kodagu)とは、「山と森の国」または「怒りの国」という意味のようで、英語ではクールグ(Coorg)と綴られている。コダグ県の県庁所在地はマディケーリ。マディケーリは「Madikeri」または「Mercara」と綴られるが、後者は英語綴りであり、カンナダ文字では「マディケーリ」なので、前者に合わせることにする。マディケーリは標高1525mの山岳都市で、人口は約4万5千人。モンスーン期の雨の多い時期ではあったが、前から一度訪れてみたいと思っていた場所なので、バンガロールから週末を使って足を伸ばしてみた。
コダグ県には鉄道が通っていないので、アクセス手段はバスだけとなる。バンガロールの長距離バススタンドからはマディケーリ行きのバスが豊富に出ている。特に夜行バスは便数が多い。バンガロールからマディケーリまでは約260km、7時間。6月2日午後11時発のラージハンサバス(リクライニングシートのバス)に乗ってマディケーリへ行くことにした。
バスの中ではグッスリ眠っていたので、どこをどう通ったのか全く覚えていない。目を覚ましたときは、既にマディケーリ市内に入っていた。マディケーリのバススタンドには午前6時過ぎに到着した。空はどんよりと曇っていたが、幸い雨は降っていなかった。バンガロールよりも標高は500m高いが、心配していたほど肌寒くもない。それよりもじめっとした湿気がまず感覚に触れた。町の建物も湿った感じだ。メーガーラヤ州の州都シロンに似た雰囲気の町だと感じた。
マディケーリ
マディケーリには、政府系バススタンドと私営バススタンドの2つがあり、両者はすぐ近くにある。政府系バススタンドの方が町の奥まった場所の低地にあり、私営バススタンドは繁華街の入り口に位置している。マディケーリのホテル、レストラン、お土産屋などは、この私営バススタンドの近くに集中しており、旅行者にはとても便利である。僕はマディケーリのホテルの中でも老舗っぽいホテル・カーヴェーリーに宿泊した。ダブルルーム、バストイレ、TV、タオル、石鹸など付いて450ルピー。バスルームにはギザはなく、バケツにお湯を持ってきてもらう方式である。町の外観に負けず劣らずじめっとした部屋であった。ホテルのマネージャーは旅行者の扱いに慣れており、専属オートリクシャーを使ったツアーやトレッキングもアレンジしてくれるようだ。だが、ホテルは悪い意味で開放的な作りになっており、あまりいい雰囲気ではなかった。
チェックインして一休みした後、マディケーリ周辺の見所5ヶ所をオートリクシャーで巡ることにした(200ルピー)。まず行ったのは、マディケーリから北に9km山道を行った場所にあるアッビ滝。チャッティースガル州で散々滝を見て来て食傷気味ではあったが、ここでも滝が見所なので、一応それを尊重して見ておくことにした。「アッビ」とはコダヴァタク語(コダヴァ族の言語)で「滝」という意味らしい。英領時代は、マディケーリに初めて赴任した牧師の娘ジェシーの名を取ってジェシー滝と呼ばれていたそうだ。アッビ滝の落差は21.3m。駐車場からコーヒー・プランテーションの中の山道を10分ほど歩いて行くと、水しぶきを上げる滝の姿が木々の間から見えて来る。滝である、という以外はそれほど特徴がない滝であった。
アッビ滝
アッビ滝を見た後は来た道を引き返し、マディケーリ郊外の小高い山の上にあるガッディゲ(王の墓)へ行った。ここには一見イスラーム様式に見える墓が3つ並んでいる。
ガッディゲ
だが、面白いことにこれらはイスラーム教徒の墓ではない。18世紀末〜19世紀初めにコダグ地方を支配したヒンドゥーの王や僧侶の墓である。通常、ヒンドゥー教徒は墓を作らないと言われているが、コダヴァが信仰しているのは少し特殊なヒンドゥー教のようで、このような形で墓が残っている。また、バンガロールではヒンドゥー教徒のための墓地も目にした。この辺りのヒンドゥー教は北インドとはかなり習慣が異なるかもしれない。ガッディゲの墓にはドームを中心として4本のミーナール(尖塔)が立っているが、ミーナールにはナンディー(雄牛)が彫刻されている。コダグの王はシヴァ神の信徒だったようで、内部には墓らしき土台(?)と並んでシヴァリンガが祀られていた。その他、ナーガ(蛇)に乗ったシヴァ神の彫刻や、シヴァリンガをなめる牛の彫刻などがあった。これら3つの墓の中で、中央の最も大きな墓は、ヴィーララージェンドラ王(在位1789-1809年)とその后マハーデーヴィー・アンマーのもので、その両側の墓は、ヴィーララージェーンドラ王の弟、リンガラージェーンドラ2世と、ヴィーララージェンドラ王のグル(導師)だった僧侶ルドラッパのものである。どれも19世紀前半の建造だ。
ガッディゲ詳細
ミーナールにはナンディーの彫刻(左上)
墓の入り口にはナーガに乗ったシヴァ神(左列上から2番目)
墓室入り口上部にはシヴァリンガをなめる牛(右上)
内部にはシヴァリンガ(右列上から2番目)
その他、巨大なナンディーや象の像などがあった
その次はオームカーレーシュワル寺院へ行った。この寺院の建立を巡ってはひとつの言い伝えがある。リンガラージェーンドラ2世はあるとき、自分の間違いを諌めた大臣の僧侶を斬首したことがあった。そのときから王は僧侶の亡霊に昼夜問わず悩まされるようになった。王はある賢人の助言に従い、カーシー(ヴァーラーナスィー)からシヴァリンガを取り寄せ、それを祀った寺院を1820年に建立した。すると、王は僧侶の亡霊から解放されたという。これがオームカーレーシュワル寺院建立秘話である。
オームカーレーシュワル寺院
オームカーレーシュワル寺院の境内には、まず正方形の池があり、その中心にはクシャル・マンダパと呼ばれる祠堂が浮かんでいる。祠堂は1本の通路で外縁部と結ばれており、その様子はまるでアムリトサルの黄金寺院のようである。祠堂の中にはシヴァとパールワティーと思われる像が納められていた。寺院の本殿へは階段を上っていく。本殿は四方を壁で囲われており、まるでイスラーム建築のような門が池に面して建てられている。本殿もやはり4本のミーナールとドームを持ったイスラーム様式の建築だが、それ以外はヒンドゥー教寺院そのものである。本殿入り口の真ん前には、バリピータと呼ばれる祭壇もあった。
オームカーレーシュワル寺院詳細
右上の写真はバリピータ(祭壇)
本殿の外壁には、いくつか面白い彫刻を見つけた。全て銀色に着色されていた。
寺院本殿外壁の彫刻
オームカーレーシュワル寺院の次に行ったのはラージャーズ・シート(王の座)と呼ばれるヴューポイント。小高い丘の上に花々で彩られた公園があり、コダグ地方の美しい緑のカーペットを展望することができる。公園の中に小さな東屋が建っているが、かつて王が后と共に夕方ここで夕日を眺めながら自然の美を愛でたと言われている。ここがラージャーズ・シートと呼ばれるのもそのためだ。この公園は花壇がきれいに整備されているが、毎年ここでフラワーショーが開催されるらしい。
ラージャーズ・シート
左下は西側の山林地帯の展望、
右上は東側の住宅地帯の展望
最後に行ったのは要塞と宮殿。マディケーリがコダグの首都となったのは、ハーレーリ王朝第3代ムッドゥラージャ(在位1633-1687年)の時代の1681年であり、彼が最初にここに要塞と宮殿を建造した。そのため、マディケーリは当初ムッドゥラージャケーリ(ムッドゥラージャの町)と呼ばれていた。それが訛ってマディケーリとなり、英国人は「Mercara」と呼んだという訳だ。コダグがマイソール王国のティープー・スルターンの支配下に入ったとき、マディケーリはザファラーバードと呼ばれたこともあった。要塞は元々土造りだったが、ティープー・スルターンの時代に現存している六角形プランの形に再建された。六角形の城壁の頂点には円形のブルジ(小塔)が設けられている。また、現存している宮殿は1812〜14年に再建されたもので、宮殿は現在では政府の庁舎となっている。宮殿は赤瓦の屋根の2階建ての建物で、ヨーロッパの建築の影響が見受けられる。宮殿の中央部にある中庭の中心部には、チョコンと亀の像が置かれている。これはトラヴァンコール・トートイズという西ガート山脈特有の種らしい。
要塞と宮殿
宮殿中庭(左下)中央部にはトラヴァンコール亀の像が(右下)
また、要塞内には教会があり、現在では博物館となっている。小さな博物館で、展示物の数も少なかったが、ひとつ目に留まった展示物があった。それは、陸軍元帥KMカリアッパ(K.M.
Cariappa)関係の展示物。カリアッパの像をマディケーリの他の場所でも見かけ、興味が沸いた。調べてみたら、カリアッパはインド軍事史の中でも最大級の英雄扱いの偉人であった。1899年1月28日、コダヴァ地方に生まれたカリアッパは、独立前は英国の信任厚いエリート軍人としてインド陸軍に仕え、イラク、シリア、イラン、ビルマなどを転戦した。1945年にはビルマから日本軍を掃討する作戦を指揮して、英国政府から勲章も受けている。1947年の印パ分離独立時には、インド陸軍の分割業務を担当し、インドとパーキスターンが公平に軍事力を分割できるよう腐心したという。また、同年勃発した第1次印パ戦争でもいくつかの重要な作戦を指揮した。カリアッパは、宗教を問わず国に仕えることができる軍人の育成を重視し、インドの軍隊の合理化を推し進めた。1953年に退役してからは、オーストラリアとニュージーランドの高等弁務官となり、1956年からは完全に公務から退いて、故郷マディケーリに定住した。自然を愛していたカリアッパは、マディケーリの住民たちを教育し、環境保護や衛生への意識を高めることに貢献した。また、1962年の中印戦争、1965年の第2次印パ戦争、1971年の第3次印パ戦争では、前線を視察して軍隊のモラル維持に努めた。ちなみに、後のパーキスターン大統領、アーユーブ・ハーンはかつての彼の部下だったと言う。カリアッパは旅行好きとしても知られており、日本に来たこともあるようだ。インド軍事史の英雄カリアッパ陸軍元帥は、1993年5月15日に死去した。だが、それ以来インドでは、国防問題に関する意見交換を目的としたKMカリアッパ記念講演が毎年開催されているらしい。これだけ輝かしい業績を残したカリアッパが地元コダグ地方の人々から愛されるのも不思議ではない。また、KMカリアッパの息子、KCカリアッパも有名な空軍元帥のようだ。
教会の建物を利用した博物館
要塞内で他に目立つものと言ったら、北東の隅に置かれている現物サイズの2匹の象の像である。解説によると、ヴィーララージェーンドラ王は所有していた2匹の象を何らかの理由で殺してしまい、それを悔いて作らせたものらしい。
2匹の象の像
ついでなので、ここでコダグの王朝史について簡単に触れておく。コダグ地方に比定される地名が文献に登場するのは2世紀頃らしく、それ以来、パーンディヤ朝、西ガンガ朝、チョーラ朝、ホイサラ朝、ヴィジャヤナガラ朝など、多くの王朝が同地方を部分的または間接的に支配して来たが、コダグ全土を統一する独立した王朝が出現したのは17世紀に入ってからである。ヴィジャヤナガラ帝国の属国ケラディ王国の王家の末裔、ヴィーララージャがコダグ地方に流れて来て、ハーレーリという地に住み着いた。ヴィーララージャは、コダグ地方に住むコダヴァ族が迷信を信じやすい未開の部族であることに目を付け、ジャンガマ(聖人)だと自称してコダヴァ族の信奉を集めた。ヴィーララージャはコダヴァ族を使って軍隊を編成し、群雄割拠状態だったコダグ地方を統一して、1600年にハーレーリを首都としたハーレーリ王朝を樹立した。第3代ムッドゥラージャは、1681年に首都をマディケーリに移転した。コダグ王国は第4代ドッダヴィーラッパ(在位1687-1736年)の時代に最盛期を迎えたが、18世紀後半にはマイソール王国のハイダル・アリーの侵略を受けるようになる。1766年にコダグ王国はハイダル・アリーの軍隊を打ち負かすものの、1773年にハイダル・アリーはコダグ王国のお家騒動に乗じてコダグ王国の支配権を握り、傀儡の王アッパージーを擁立した。アッパージーの死後、その息子リンガラージャ1世が1776年に即位するが、1782年に反乱を理由にハイダル・アリーが王子を人質に取ってコダグ地方を直接支配下に置いた。同年、ハイダル・アリーが死亡するが、その後継者のティープー・スルターンも引き続きコダグ王国を支配し、1785年には完全に反乱を鎮圧した。ところが1789年に再びコダヴァ族による反乱が起き、リンガラージャ1世の息子ヴィーララージェーンドラが牢獄から脱走してコダヴァ族の反乱軍に加わった。1789年、ヴィーララージェーンドラは英国軍との抗争に明け暮れていたマイソール王国からコダグ王国を奪還し、独立を守った。1809年にヴィーララージェンドラが死去すると、その娘のデーヴァンマージーが王位に就くが、1811年にはヴィーララージェーンドラの弟のリンガラージャ2世が即位した。前述の通り、このリンガラージャ2世がマディケーリにオームカーレーシュワル寺院を建造した。リンガラージャ2世が1820年に死去すると、その息子のチッカヴィーララージャが即位するが、彼は無能な王で人民を抑圧した。それが自身の首を絞める結果となり、彼は1834年に自ら英国に領土を明け渡すことになってしまう。ハーレーリ王朝最後の王チッカヴィーララージャは年金生活者となり、娘のガウランマーと共に英国に渡って客死した。ガウランマーはキリスト教徒に改宗して英国軍人と結婚したらしい。
マディケーリ周辺観光を終え、マディケーリに戻って来たときにはちょうど昼時になっていた。ホテル・カーヴェーリーには、ホテル・キャピトルというレストランが併設されている。ここでコダグ名物の豚肉料理を食べられるとのことだったので、注文してみることにした。メニューに「Pork
Fry」と書かれていた料理を注文すると、豚肉のフライと一緒に、2種類の変わった味のアチャール(ピクルス)、ジャガイモのカレーとココナッツ・ベースの汁も出て来た。豚肉は、見た目は黒ずんでいて見栄えが良くなかったが、食べてみるとなかなか美味。少なくともノースイースト地方の豚肉料理よりはうまかった。
コダグ名物豚肉料理
ところで、コダグ地方の文化を代表するコダヴァ族についてもここで少し触れておく。コダヴァ族は、周辺地域の住民とは明らかに異質な特徴を持った部族らしい。だが、その起源は諸説があって謎に包まれている。ある説では、彼らはインダス文明の担い手の末裔らしい。またある説では、中東からやって来たペルシア人やクルド人の末裔と言われている。さらに、アレクサンダー大王と共にインドにやって来たスキタイ人の末裔との説もある。コダヴァ族が話すコダヴァタク語は、カンナダ語、タミル語、マラヤーラム語の混成言語のようだが、それらのどの言語にもない語彙もあったりするようだ。コダヴァ族は独自の住宅、独自の食文化、独自の衣装、独自の祭りを持った部族であるが、その中でも最もユニークなのは、コダヴァ族が格闘技に長けた戦闘民族であることだ。コダヴァ族の男性は、正装時には短剣を腰に差す他、コダヴァ族はインドで唯一、銃を所有することを許された部族らしい。カリアッパ陸軍元帥を初めとして、コダヴァ族は多くの優れた軍人を輩出していると同時に、コダグ地方はホッケーでも有名な場所のようだ。コダヴァ族は一応ヒンドゥー教を信仰しているが、それは独自の形での信仰のようだ。例えばコダヴァ族は僧侶の存在を認めておらず、コミュニティーの年長者が僧侶の役割を果たす。また、コダヴァ族はカーヴェーリー河を女神として特に信仰したり、祖先崇拝も行っている。
町で見つけた、コダヴァ族の男性の正装の看板
コダグ地方の女性たちのサーリーの着方も特殊である
マディケーリ観光を一通り終えたわけだが、次第にせっかくコダグ地方に来たのに、町の中に宿泊するのは間違いかもしれない、と思い始めた。マディケーリ郊外には、森林とプランテーションに囲まれた静かなリゾート型ホテルがいくつかある。また、典型的なコダヴァ族の村にも行ってみたいと思っていた。そのためには郊外へ行く必要がある。ちょうど、宿泊していたホテル・カーヴェーリーが、マディケーリ郊外にキャピトル・ヴィレッジ・リゾートというホテルを経営していた。ホテルのマネージャーに、そちらへ移りたいと申し出てみたら、ロッジに電話をしてくれて部屋を確保してくれた。既にホテル・カーヴェーリーの宿泊代として450ルピーを支払っており、それをうまくキャピトル・ヴィレッジ・リゾートの宿泊代に差し替えてもらえないかと思ったが、後者の宿泊代の税金を割り引くことで交渉がまとまった。キャピトル・ヴィレッジ・リゾートの宿泊代は1泊1200ルピーだった。
荷物をまとめ、ホテル・カーヴェーリーをチェックインした後、オートを呼んでもらって、キャピトル・ヴィレッジ・リゾートへ向かった(75ルピー)。マディケーリからキャピトル・ヴィレッジ・リゾートまでは約10kmほどで、30分もしない内に到着した。コーヒー・プランテーションの中にある、静かなホテルだった。部屋にはギザ付きのバスルーム、タオル、石鹸などが付いていた。
キャピトル・ヴィレッジ・リゾートで宿泊したロッジ
日没までホテルの敷地内の森林を散歩した。夕食はノンヴェジ料理を注文したが、チキン・カレーに加え、いくつものカレーを作ってくれて、腹いっぱい食べることができた。特にレモンライスが絶妙な味でうまかった。
バンガロールから標高が500m高い場所のため、夜はかなり冷えるかと思っていたが、恐れていたほど寒くはなかった。気温はもしかしたら低かったかもしれないが、1日中断続的に降り続いた雨のおかげで湿度が100%に近い状態となっており、肌寒い感覚はなかった。
コダグ県は、カルナータカ州の全面積の2%ほどしかない同州最小の県であるが、同州に生息する植物の全種類の40%を擁するほど、豊かな自然を育んでいる地域である。コダグ県の最大の産業はコーヒー。現在では観光も大きな収入源となりつつあるが、コーヒー豆の栽培がコダグ地方の人々の最たる収入源となっている。アッビ滝周辺も、このキャピトル・ヴィレッジ・リゾート周辺も、コーヒー・プランテーションがどこまでも広がっていた。コーヒーの他、「クールグ・ハニー」と呼ばれる蜂蜜、カルダモン、コショウ、稲、オレンジ、木材なども主な産業となっている。マディケーリの市街地では、観光客向けにコダグ産のコーヒー豆、コショウ、カルダモン、蜂蜜などを売る店がいくつかあった。
わざわざ一度チェックインしたホテルを、1日経たずにチェックアウトして、別のホテルに移るのはお金の無駄遣いかと思われたが、キャピトル・ヴィレッジ・リゾートののどかな自然の中で朝を迎えることができ、やはり移動してよかったと思った。昨日の夕食に引き続き、朝食も豪華で、トースト、バター、ジャム、オムレツに加え、プーリーとバージーまで出て来た。飲み物はもちろんコーヒー。コダグ地方はコーヒーを産出しているだけあって、コーヒーがうまい。
キャピトル・ヴィレジ・リゾートのマネージャーが、ホテルの敷地を案内してくれた。敷地内には、コーヒーのプランテーションと水田に加え、オレンジ、バナナ、ジャックフルーツ、パッションフルーツ、ライム、マンゴー、カルダモン、コショウなどの木が植えてあった。また、いろいろな色の花が咲き乱れていて美しかった。豊かなのは植物だけでない。森林は虫たちが我が物顔で鳴き声を競い合っていた。人間が近付いても鳴くのを止めないほどの堂々たる鳴きっぷりである。特に何種類ものセミが我が世を謳歌していた。また、巨大なダンゴムシを発見したことが収穫であった。
巨大ダンゴムシ発見!
マネージャーの解説によると、キャピトル・ヴィレッジ・リゾートには2種類のコーヒーの木が植えられている。ひとつはアラビカ種、もうひとつはロブスタ種である。アラビカ種の方が葉は小さいのだが、実は大きい。味は、アラビカ種はマイルドな一方で、ロブスタ種は強い。アラビカ種が30年ほどで実を付けなくなってしまうのに対し、ロブスタ種は150年は収穫可能だという。どちらも日本でよく流通しているコーヒー豆みたいだ。あまりコーヒーには詳しくなかったのだが、コーヒー・プランテーションに植えてあるコーヒーの木を見ながら解説してもらうと、よく分かった。
アラビカ種
コーヒー・プランテーションは見学することができたのだが、コダヴァ族の村を訪れることは適わなかった。チャッティースガル州と同じく、部族の村を訪れるツアーのようなものは用意されておらず、コダヴァ族の友人でも作らない限りそれは難しそうだった。時間も限られていたし、今回は諦めることにした。
キャピトル・ヴィレッジ・リゾートを午前11時にチェックアウトし、オートリクシャーでマディケーリに戻った後、マイソール経由バンガロール行きのバスに乗った。マディケーリからマイソールやバンガロールへ行くバスは豊富に出ている。マイソールで一旦降車して昼食兼休憩しようと思っていたので、チケットはマイソールまでしか買わなかった(55ルピー)。バスは11時15分頃に出発した。このバスの中から外を眺めていたら、コダヴァ・サマージャ・ビルディングという建物で結婚式が行われているのが見えた。チラッと見ただけだが、そこにはコダヴァ族の衣装を着た人がいた!この結婚式をちょっと見てみたい!と思っている内にバスはどんどん進んで行ってしまった。
コダグ地方には、他にもいくつか見所がある。マディケーリから約48kmの地点にあるタラカーヴェーリーは、母なるカーヴェーリー河の水源であり、聖地となっている。カーヴェーリー河がカンニケ河、スジョーティ河と交わる部分にはバガマンダラという町があり、ここにはバガンデーシュワラ神を祀った寺院がある。この2つはコダグ地方で最も重要な宗教的拠点となっている。また、マディケーリから45kmの地点にあるカッカベには、ヴィーララージェーンドラによって1792年に建設されたナルクナード宮殿や、リンガラージャ2世によって建立されたパーディ・イッグタッパ寺院がある。マディケーリからマイソール方面に52km、クシャルナガルから8kmの地点には大規模なチベット人居住区がある。そこにある黄金寺院はコダグ地方の主要観光地のひとつとなっている。クシャルナガルから18kmの地点にあるドゥバレでは、象のトレーニングセンターがあり、訓練された象たちのパフォーマンスを楽しむことができる。
ところで、コダグ地方の観光情報は例によってロンリー・プラネットを大いに参考にしたが、現地でも比較的簡単に手に入る。町中には「ツーリスト・インフォメーション」という看板を掲げた店をいくつか目にしたし、政府系バススタンドの売店では、「Kodagu
Tourism Brochure」という旅行情報の載ったパンフレット(20ルピー)や、「Coorg - The Gallery of Karnataka」という写真集(100ルピー)を買うことができた。ホテル・カーヴェーリーでも有益な観光情報が手に入るだろう。
マイソール行きのバスは午後3時過ぎにマイソールに到着した。マイソールでは、ガーンディー・スクウェアにある有名なアーンドラ料理屋、ホテルRRRで昼食を食べた。もう3時過ぎだというのに店内は席がないくらいの混雑振りであった。バナナの葉っぱにご飯やカレーを盛って行くタイプの食堂で、ヴェジとノン・ヴェジのメニューがある。僕はヴェジ・ミールス(定食)を食べた(35ルピー)。あまりの人気でサービスが追いついていなかったのが玉に瑕であるが、マイソールで最もおいしいレストランというだけのことはあり、味は確かであった。
マイソールの長距離バススタンドからは、バンガロールまでノンストップのエクスプレスバスが出ている(64ルピー)。しかしノンストップとは言え、途中のバススタンドで一回停車しており、普通のバスと比べて早くバンガロールに着けることができたわけではなかった。どうしてもマイソールからバンガロールまでバスで3時間以上かかる。マイソールを出たのは4時半頃だったが、バンガロールには7時半過ぎに到着した。
コダグ地方は、「インドのスコットランド」と呼ばれる美しい自然ももちろんだが、ユニークな文化を持ったコダヴァ族と、イスラーム様式の建築をかなり自由な発想で取り込んだ建築が面白い地域であった。機会があれば、再度訪れてもっと時間をかけて旅行してみたい。
今日、夕食を食べながらTVを見ていたら、MTVで「Ghoom」のメイキング特集をしていた。
「Ghoom」
「Ghoom」・・・2004年の大ヒット映画「Dhoom」ではない。「Ghoom」である。MTVフリー・ファールトゥー・フィルムス(フリー・ファールトゥー=全く馬鹿馬鹿しい)が制作した「Dhoom」のパロディー映画だ。6月2日からインド全国のINOXシアターで公開されている。ちなみに、「Dhoom」は「騒音」みたいな意味だが、「Ghoom」は「グルグル巡れ」みたいな意味である。
残念ながらINOXシアターはデリーには進出しておらず、デリー在住の人はこの映画を映画館で見ることができない(情報によると6月17日にTV公開されるとか。DVD発売も予定あり)。だが、僕は幸か不幸かその時期バンガロールにおり、ガルダ・モールのINOXシアターでこの映画を見ることができた。だが、あまりに下らない映画だったので、「これでインディア」に取り上げようとも思わなかった。しかし、今日TVで見たメイキング特集がまたあまりに馬鹿馬鹿しかったため、逆にここまで馬鹿に徹しているならちょっと触れておいてやろうか、という気分になった。ただし、通常の映画評のようには解説せず、少し変則的な取り上げ方をすることにする。
こちらが本物の「Dhoom」(2004年)のポスター
まず、「Ghoom」がどんな映画かを知るには映画の公式ウェブサイトを見るといいだろう。あらすじは大体「Dhoom」と一緒である(「Dhoom」の公式ウェブサイトも参照)。スピードバイクに乗った強盗団がムンバイーに現れ、警察が街一番のレーサーの助けを借りてその逮捕に奔走する、というものだ。
「Ghoom」に出演している俳優はTV業界で活躍している人ばかりで映画界ではほぼ無名だが、一応紹介しておく。ヴィジャイ・ディークシト警部を演じるのは、アビシェーク・バチャーオーことスミート・ラーガヴァン。メカニック兼レーサーのニールを演じるのは、フー・デア・チョープラーことアジャイ・ゲーヒー。彼は「Maqbool」(2003年)に出演したことがある。強盗団の首領バルビールを演じるのは、カウン・アブラハムことガウラヴ・チョープラー。ヴィジャイ・ディークシト警部の妻トゥイーティーを演じるのはベーニカー・ディーパク。彼女は「Pinjar」(2003年)や「Escape
From Taliban」(2003年)に出演していた。謎の女を演じるのはプールビー・ジョーシー。
「Ghoom」には、「Dhoom」に出て来た挿入歌とミュージカルシーンをパロったものがいくつかあった。例えば主題歌の「Dhoom Machale」は、「Ghoom」では「Gh
Gh Gh Gh... Ghoom / Ghoom Rahe Hain Ghoom Rahe Hain Ghoom」という微妙に似た曲にアレンジされて使われていた。また、「Dhoom」よろしく、映画中には大型輸入バイクが何台か登場した。「Dhoom」ではスズキのバイクが使われていたが、「Ghoom」で使われていたバイクを特定することはできなかった。
映画中には「Dhoom」だけでなく、他のいろいろな映画のパロディーが盛り込まれていた。例えば強盗団の部下には、「Musafir」(2004年)のサンジャイ・ダット、「Tere
Naam」(2003年)のサルマーン・カーン、「Gadar」(2001年)のサニー・デーオールの物真似をした俳優たちがいた。スミート・ラーガヴァンが演じた警部役は、「Dhoom」ではアビシェーク・バッチャンが演じていたが、そのアビシェーク・バッチャンをおちょくるような言動がかなりあった。また、所々に父親のアミターブ・バッチャンの物真似俳優が出て来ていたし、「Bunty
Aur Babli」(2005年)の中でバッチャン親子が踊る「Kajra Re」のパロディーもあった。「Dhoom」ではメカニック兼レーサー役をウダイ・チョープラーが演じていたが、やはり彼をおちょくるようなセリフも多かった。ウダイ・チョープラーが主演した「Neal
'N' Nikki」(2005年)絡みのギャグもいくつかあった。病院のシーンでは「Black」(2005年)のパロディーがあり、ラーニー・ムカルジーとアミターブ・バッチャンの物真似もあったし、なぜかヒメーシュ・レーシャミヤー物真似コンテストが途中で開催されていた(本人も登場していたように見えたが真相やいかに?)。新しいところでは「Rang
De Basanti」(2006年)の中の「Teri Maa Ki Aankh」というセリフが効果的に使われていたし(この言葉の意味については2006年2月14日の日記を参照)、古いところでは「Sholay」(1975年)の中で出て来た両腕のない領主タークル・バルデーヴ・スィンの物真似俳優が出て来た。
総じて、ボリウッド映画のパロディーに笑いの多くを依存している映画であった。よって、インド映画をよく見込んでいる人にはまあまあ面白い映画だったが、ほとんどインド映画について知識のない人にとってはあまり笑えない映画であろう。パロディーというのはそういうものだし、広告には「どうしようもなく下らない映画。君が金を払え!」とつまらないことを潔く売りにしていたので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。また、映画の上映時間はたったの45分である。その分、チケット代は他よりも安くなっている。
本日見たメイキング特集では、「Dhoom」のプロデューサーであるヤシュ・チョープラーの物真似をした俳優が、「Ghoom」にケチをつけ、それに対して出演俳優たちが映画を弁護するという形でのインタビューが放送されていた。インタビューの中で俳優たちは映画をベタ褒めするが、それとは相容れないような映画の映像が挿入され、笑いを誘う。例えば、「最近の映画は子供には見せられないようなスキンショー(女優の肌の露出度の多い映画)ばかりだが、『Ghoom』は完全なるファミリー・エンターテイメントで、家族揃って安心して見ることができる」と語っていながら、挿入される映像はかなり際どいベッドシーンや、お下劣な下ネタシーンだったりする。
「Ghoom」自体は本当にしょうもないパロディー映画だったが、ひとつ注目すべきなのは、インドの娯楽業界の変化である。「Ghoom」の映画館での一般公開は、おそらくインドにおける今までの映画制作や映画配給のあり方を覆す事件と言えるだろう。まず、完全なパロディー映画というのが目新しかった。他の映画を翻案することや、映画の中で他の映画のパロディーが出てくるのはボリウッド映画では珍しいことではないが、映画一本丸々パロディーというのは、史上初めての試みなのではなかろうか?こういうヴァラエティー番組の延長のようなノリの軽いコメディー映画は、日本ではそこまで珍しくないように感じるが(例えば2000年に日本で公開された「ナトゥ 踊るニンジャ伝説」という映画は、ヴァラエティー番組「ウリナリ!」から誕生したインド映画をパロった映画だった)、インドではあまりない。しかも、それが映画館で公開されるというのは異常事態である。シネコンの普及により、インドの映画配給は劇的に変化し、今まで映画館で公開されなかったような芸術映画、社会派映画、他言語映画も公開されるようになったが、遂にTV局が制作した映画まで公開されるようになった。さらに、TV局が制作しただけあり、TVとの連携が効果的に組まれていたのも特筆すべきである。僕が見たメイキング特集は、メイキングというよりも映画の一部と言った方がいいようなパロディー&ギャグ満載の内容だった。僕が「Ghoom」を見たとき、映画館はほぼ満席に近かったことも付け加えておく。実は「Ghoom」は予想を上回る興行収入を上げているのではなかろうか?
インドではTV業界と映画業界はかなり分断されている。確かにTV俳優が映画デビューすることはあるし、映画俳優がTV番組に出演することもあるが、日本と比べるとその間の溝は大きいと言わざるをえない。だが、TV番組の延長のような映画「Ghoom」が、INOXのみとは言え映画館で公開されたということは、何かのタブーが破られたのか、それともその間の溝がかなり縮まって来ていることを表しているかもしれない。「Ghoom」は単発的出来事かもしれないので、短絡的に結論付けることはできないが、作品自体よりもその制作背景と配給の現場が少し気になる映画であった。
本日から、「コメディーの帝王」プリヤダルシャン監督関連の2本のヒンディー語映画が同時公開された。今日は、PVRアヌパムでその内のひとつ「Chup Chup Ke」を見た。
「Chup Chup Ke」とは「黙って」「こっそりと」という意味。監督は前述の通りプリヤダルシャン。音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、シャーヒド・カプール、カリーナー・カプール、パレーシュ・ラーワル、ラージパール・ヤーダヴ、スニール・シェッティー、ネーハー・ドゥーピヤー、スシュマー・レッディー、オーム・プリー、アヌパム・ケール、マノージ・ジョーシー、シャクティ・カプール、アスラーニーなど。
Chup Chup Ke |
ジートゥー(シャーヒド・カプール)は、多額の借金を自身にかけられた保険金で返すために海の飛び込んで自殺してしまう。だが、遺体が発見されなかったことにより、保険金は下りなかった。借金取りたちはジートゥーの父親ジャイヴェード・プラサード(アヌパム・ケール)に借金を返すよう詰め寄る。また、ジートゥーの許婚だったプージャー(スシュマー・レッディー)は、ジートゥーの未亡人として生きることを決める。【写真は右上から時計回りに、パレーシュ・ラーワル、ラージパール・ヤーダヴ、スシュマー・レッディー、カリーナー・カプール、ネーハー・ドゥーピヤー、スニール・シェッティー、オーム・プリー、中央はシャーヒド・カプール】
一方、コールカーターで漁船のオーナーをしているグンディヤー(パレーシュ・ラーワル)と、雇い人のバンディヤー(ラージパール・ヤーダヴ)は、ある日魚網にかかったジートゥーを発見する。グジャラート人ビジネスマン、プラバート・スィン・チャウハーン(オーム・プリー)に多額の借金をし、お金に困っていたグンディヤーは、ジートゥーを億万長者だと勘違いし、手厚く保護する。ジートゥーは意識を取り戻すが、自分が生きていることがばれると保険金が下りないと考え、聾唖者の振りをする。
ジートゥーとバンディヤーは、借金のかたとしてプラバートの家に使用人として住み込むことになる。プラバートの家には結婚儀式用の祭壇が置かれていた。これは、プラバートの兄の娘、シュルティー(カリーナー・カプール)の結婚のためのものだった。シュルティーの縁談は一度はまとまったのだが、結婚式当日にそれが破談してしまったという過去があった。それ以来、この祭壇はそのままここに置かれ、シュルティーが結婚しない限り、家の誰も結婚してはならないという掟が作られていた。また、この家を取り仕切っているのは、プラバートではなく、プラバートの兄の息子で、シュルティーの兄、マンガル・スィン・チャウハーン(スニール・シェッティー)であった。シュルティーは、プラバートの娘ミーナークシー(ネーハー・ドゥーピヤー)と大の仲良しであった。
シュルティーとミーナークシーはある日、酒に酔っ払ったジートゥーが歌を歌い出すのを聞いてしまう。2人はジートゥーの秘密を誰にもばらさないと約束する代わりに、彼を使ってマンガルが勝手に決めたシュルティーの縁談を破談させる。シュルティーはジートゥーに恋するようになり、マンガルも彼女の気持ちに気付き、シュルティーとジートゥーを結婚させることにする。ただし、マンガルはジートゥーに対し、絶対にシュルティーを残してどこにも行かないことを約束させる。許婚のプージャーはもう誰かと結婚してしまったと思い込んでいたジートゥーは、それを承諾する。また、このときジートゥーは、自分が聾唖者でないことをみんなに打ち明ける。最初は怒ったプラバートやマンガルであったが、事情を聞いて彼を許す。
ところが、ジートゥーは村へ行って借金を返して来たバンディヤーから、プージャーが自分の未亡人として生きていることを知ってしまう。また、ジートゥーの家族も、ジートゥーが生きていることに勘付いてしまう。既にシュルティーとの結婚は決まってしまっていた。板ばさみになったジートゥーであったが、結局家には帰らず、シュルティーと結婚することに決める。だが、結婚式に両親やプージャーが来てしまう。それを見たシュルティーは、ジートゥーをプージャーに譲ろうとするが、プージャーはジートゥーとシュルティーの結婚を認め、場は丸く収まる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ボリウッドには名前で観客を呼び込める監督が何人かいるが、プリヤダルシャン監督もその1人だ。プリヤダルシャンが最も得意とするジャンルはコメディー。彼が作るコメディー映画は、一定の爆笑が保証されていると言っていい。「Chup
Chup Ke」も爆笑コメディー映画であった。だが、この映画の特筆すべきなのは、プリヤダルシャン映画にありがちな「筋のない爆笑」ではなく、ちゃんとしたドラマがあったことである。前半は大爆笑だが、後半は「これどうやってまとめるの?」と見ているこちらが不安になるような、かなりシリアスな展開となる。それがうまくまとまっていれば傑作となったわけだが、残念ながらまとめ方は最良ではなかった。
インド映画にはインド映画の批評方法がある。僕が最も重視しているのは、いかに観客の同情をコントロールできたか、という点である。インド映画は、観客の同情を一点に集め、終盤でその同情を裏切るかと見せかけてやっぱりそちらへ持って行き、誰もが爽快な気分で映画館を出ることができるように心掛けなければならない。観客が一番納得のいく終わり方にしなければならない。言い換えれば勧善懲悪なのかもしれないが、必ずしも悪が打ちのめされ、善が勝つような必要はない。観客の同情をコントロールし、その同情に沿った終わり方ができればそれでいい。
「Chup Chup Ke」のクライマックスには少なくとも2つの選択肢があった。ひとつはジートゥーがシュルティーと結婚する終わり方、もうひとつはジートゥーがプージャーと結婚する終わり方である。だが、シュルティーにもプージャーにも悪いところはなく、どちらの終わり方で終わっても、観客の心には後味の悪さが残る。いったいどうするのかとハラハラドキドキして見ていたが、結局プージャーが妥協して、ジートゥーとシュルティーの結婚を祝福する、というエンディングであった。この終わり方では、生きているか死んでいるか分からないジートゥーの帰りを一心に待ち続けていたプージャーが不憫すぎる。そもそも問題の発端はジートゥーの借金と優柔不断な性格なのだが、ジートゥー自身はどちらの終わり方でもそれほど痛みはなかった。むしろ、大富豪の娘シュルティーと結婚したことにより、今後の人生の安泰が約束された。何か噛み合わない終わり方であった。よって、ドラマの部分ではこの映画は失敗作であった。
だが、コメディーの部分は面白すぎる。さすがプリヤダルシャン監督。いや、監督だけの手腕ではあるまい。キャスティングが絶妙であった。パレーシュ・ラーワル、ラージパール・ヤーダヴという当代一流のコメディアン俳優の共演や演技派男優オーム・プリーの堂々たる演技に加え、シャーヒド・カプールも彼らの輪の中に溶け込むことに成功していた。実世界のカップルであるシャーヒド・カプールとカリーナー・カプールの相性もバッチリであった。スニール・シェッティー、ネーハー・ドゥーピヤーなどの助演俳優や、シャクティ・カプール、アスラーニーなどのチョイ役俳優も自分の仕事をキッチリこなしていた。スシュマー・レッディーも悪くはなかったが、肌が荒れていてものすごく老けて見えた。何かあったのだろうか?
物語の多くは、コールカーターに住むグジャラート人実業家の邸宅が舞台になる。よって、映画のセリフの中にはグジャラーティー語が頻出した。観客の中からグジャラーティー語への反応がけっこうあったので、グジャラート人観客がけっこういたかもしれない。
「Chup Chup Ke」は、プリヤダルシャン映画なだけあって、コメディー部分はとても面白いが、なまじっかドラマを盛り込んでしまっているので、エンディングのまとめ方に対する観客の目は厳しくなる。プリヤダルシャン監督のコメディー映画にありがちな「ハチャメチャな大団円」という訳にはいかない。爆笑は保証するが、終わり方には納得のいかない人が多いだろう。
◆ |
6月10日(土) ノーブロブレムのインド人 |
◆ |
インドがにわかに注目を浴びてきたことにより、そしてインターネットの普及やブログの流行により、日本のいろんな人がインドについて書いた文章を読むことができるようになって来た。もちろんそれらの文章は玉石混交で、間違い、偏見、視野の狭い考え、許しがたいカタカナ表記などを見かけることも多くなったのだが、それぞれ得意分野があるわけであり、その得意分野の範囲内で書かれている文章には読むべき価値のあるものがあることが少なくない。誰もインドに注目しないよりは、玉石混交でも多くの人がインドについて多くのことを語ってくれた方がマシだと思っている。また、僕も他人のことは言えず、適当なことを書いてしまっているときがあり、無学をひけらかしてしまっていて恥ずかしいのだが、誤りを指摘してくれる親切な人も中にはおり、そのおかげで自分自身の勉強にもなるので、恥を忍んで続けている次第である。
その数あるインド関連の記事の中で、最近2つの似たような論調の文章を見かけた。ひとつは、インド在住歴20年の清好延氏が書いた「インドに淫するの記 ーインドで道を聞くとー」というエッセイであり、もうひとつはNIKKEI NETに連載されている「竹田孝治のインドIT見聞録」の内の「第4回 頼まれるとつい『ノープロブレム』・歴史が培う善意と誇り」の前半部分である。要は、「インド人が『No』と言わずにいつも『No Problem』と言うのはなぜか」ということを考察した文章である。両者とも似たような結論を出している。
まず清好延氏は、インド人は「親切」で「自己主張が強い」ために、「自分の前に立った人をがっかりさせない」ことを心掛けるあまり、例えば道を知らないのに適当に道を教えたり、注文した品物を期日内に納品できないのにOKしたりして、しかも後であれこれ言い訳をする傾向にある、と論じている。一方、竹田孝治氏は、インド人は「自己主張が強いものの」、たとえ数%しか実現の可能性がなくても、お客を喜ばせるために「善意」で「気持ちよく仕事を受けてくれる」と述べている。
インド人の「自己主張の強さ」と「『No』と言わないインド人」の関連性に関する両者の視点は全く正反対のように思えるが、インド人が「No」と言わず、いつも「No
Problem」と言うのは、インド人の「親切」や「善意」だと述べている点では一致している。また、両者の結論の付け方は、両者の性格の違いやインドに対する向き合い方の違いを表しているようで面白い。清好延氏は、「インド人はいい人だから相手を満足させることを何時でも咄嗟でもやるのだなぁと考えるとますますインド人がかわいらしく思えてくるから不思議である」と楽観的に結んでいるのに対し、竹田孝治氏は、「もしこういう場面に遭遇したなら『大丈夫と言ったじゃないか』などと怒ってはいけない。逆に『親切心で言っただけなのに、なんというひどい日本人か』と思われるだけだ。私もこれを知るのに10年かかった」と読者に注意を促し、さらに別の方向へ議論を続けて展開している。
日本人は「No」と言えない民族だと時々言われるが、インド人も物事を頼むとあまり「No」と言わない民族である。「No」と言うとしたら、「No
Problem」というフレーズに出てくる「No」ぐらいである。お役所はまた別だ。容赦なく「No」と言われることばかりである。それでいながら「No」と言われても必ず抜け道があったりするのだが、その方面の話は話がややこしくなるので割愛する。ある程度親しい人や、店の人などに何かを頼もうとして、「できるか?」と言うと、よっぽどの頼みでない限り、まず「No」とは言われない。
だが、インドの大きな問題のひとつはそこにある。どこかで見て思わず笑ってしまったのだが、インドのそんな状況を皮肉って、誰かがこんな爆笑川柳を作ったようだ。
プロブレム ノーブロブレムが プロブレム
まさにこの川柳の通り、インド人の「No Problem」の一言が問題を引き起こしたり、さらに深刻化させたりすることが多い。日本人の多くはその発言を信じ込んでしまうあまり、後で「騙された!」と憤ってしまうのだ。インド人のこの習慣に関連して、一昨年から去年にかけてデリーに来ていた漫画家の山松ゆうきちさんのインタビュー(「アックス」第45号)では、以下のような会話があった(詳しくはこれでインディア エクスプレスを参照)。
山松:それとインド人ってさ、できないことがないんだよ。
竹熊&大西:??
山松:全部「できる」って言うわけ。「何日にはできてるから」って言われて、その日に行くとまだ何にもしてないの。
竹熊&大西:わははははは(笑)。
竹熊:とりあえず言うわけですね。「できる」って(笑)。
山松:人を雇うのでもさ、「英語しゃべれますか?」「しゃべれる」「計算できますか?」「できる」って言って、実際はできない。
竹熊&大西:わははははは(笑)。
山松:英語のスペル聞こうと思って「書いてくれ」って言ったら「書けない」って。
竹熊&大西:はははは(笑)。
山松:挨拶ができる程度で、もう「できる」って言っちゃう。
なぜできないことを「できない」と言わずに「No Problem」と言ってしまうのか。実は僕も清好延氏や竹田孝治氏の意見と同じである。インド人のその安請け合いや適当な返答の中に、悪意がある場合はあまりないと思う。つい、「No」と言えずに「No
Problem」と言ってしまうのだろう。
いつだったか、何かの本でこんな文章を読んだことがあった。その文章はインド人向けに、インド人のモラル向上を目的として書かれたものであった。その中で、「インドでは『No』と言わないことが美徳であり、インド人は子供の頃からそれを躾けられて来ているが、現代社会ではその美徳は混乱や誤解を引き起こすことが多いので、できないことはきちんと『No』と言うべきである」という一節があった。それを読んで、やはりインド人が「No」と言わないのは、それを美徳と考えているからであったか、と長年の疑問が雲散霧消した気分になった。できないことをできると言ったり、間違った道を平気で教えたりするのも美徳であったか・・・!
特に目上の人に対しては、インド人は絶対に「No」と言わないようだ。大学の同級生も教授の前で絶対に「No」と言わない。「ジー・サー」「ハーン・サー」「OK、サー」「アッチャー・サー」を繰り返すだけで、否定的言葉は絶対に使わない。もし否定したい場合でも、まずは肯定の意思を示しながら婉曲的に「OKなんですが、・・・は・・・ですが・・・」のような言い訳っぽい言い回しをする。ケーンドリーヤ・ヒンディー・サンスターン(中央ヒンディー語学院)でヒンディー語を勉強していた頃は、周囲の学生が外国人ばかりだったこともあり、先生と普通に接することができたのだが、ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)に入学して以来、僕も今ではすっかり周囲のインド人学生たちの影響を受け、教授の前ではただひたすら「ジー・サー」「ハーン・サー」「OK、サー」「アッチャー・サー」を繰り返すだけの小心者学生になってしまった。
インド人が「No」と言わないことと関連して、インド人は約束をドタキャンする傾向にある。例えば「1週間後の何時にどこで会おう」と約束しても、それが実現することはあまりない。その1日前とか当日に電話がかかってきて、「急用ができた」だの何だのもっともらしい理由をつけてドタキャンされることがけっこうある。本当に急用ができたのかもしれないが、どうも前々から用事があるのは分かっていたのに、断ることができずにOKしてしまい、土壇場になって理由をつけてキャンセルしているっぽい状況もけっこうある。また、あまり早くに予定を作りすぎると、本人がそれを忘れてしまっているということがけっこうある。1週間前に交わした約束を律儀に守って例えば友人の家に遊びに行ったりすると、本人がすっかり忘れていたり、留守だったり、「本当に来たのか」という驚いた顔をされたりしたことが何回かあり、かなり面食らった覚えがある。だから、結局早めに予定を入れても、前日などにもう1回確認しなければならない。そして前日に確認したときに約束をキャンセルされたり、予定変更されたりすることもしばしばあるので、結局インド人とは長い約束はしないようになって来る。
不思議なことに、インドに長く住んでいると、日本人もインド人のこういう傾向に強く影響されてくるようだ。と言っても、日本人が「No」と言えずにOKして後でドタキャンするようになって来るというわけではない。どうせインド人と前もって約束しておいてもドタキャンされることが分かってくるため、少し先の予定を組むことを躊躇するようになるのだ。そしてそれがいつの間にか、日本人との約束にも適用されるようになって来る。インドに長く住んでいれば住んでいるほど、長期的スケジュールを詳細に立てることが苦手になってくるという調査結果も報告されている。例えば、日本に住む日本人なら、「1週間後の何時にどこで会いましょう」と約束するのはごく自然なことであるが、インドに長く住んでいる人にこういう約束の仕方をすると、「行けると思いますけど、もし何かあったら追って連絡します」とか「前日くらいになったらもう一度連絡し合って詳細を決めましょう」みたいな曖昧な返事をされることが多いと言われている。インド人相手に培った経験に基づいた賢い返答なのだが、日本人相手では「この人ちょっと変」と思われてしまうのが関の山である。何を隠そう、僕もその1人である。インドに住んでいる内にいつの間にか、3、4日以上先の予定をきめ細かく組むのが苦手になってしまった。どちらかというと、当日に突然「今日あそこに行かない?」と誘われる方が動きやすいし、断るときも断りやすい。
僕だけかもしれないが、自分の行動を思い返してみると、「OKしておいて後でドタキャン」という行動も多くなって来ているかもしれない。少なくともインド人に対してはけっこうそういう態度を取れるようになってしまっている。誘われたらとりあえずOKしておいて、当日になって冷静に行くかどうかを考え、もし行けないと思ったら何か理由を付けてドタキャンし、時間が余ったらまた電話して合流とか、そういうインド人みたいな行動を平気で取ったことが何回かあった。インド人もあまり気にしないので、インド人と約束するときはそれが一番いい方法だとまで思い始めてしまっている。このまま行けば、この行動パターンが日本人相手に適用され始める日も近いかもしれない。
今日はデリー在住の日本人で集まってFIFAワールドカップの日本対オーストラリア戦を観戦した。試合はハラハラドキドキの展開であった。ハラハラドキドキは試合前から始まっていた。何がハラハラドキドキするかって、TVの映りが悪いこと。試合開始10分前から突然砂嵐状態となり、何も映らなくなってしまった。どうもケーブル会社の仕業のようだ。試合観戦が危ぶまれたが、試合開始数分前に何とか復旧。だが、試合中も時々まるで傷だらけのVCDを見ているかのように画像が飛び、いつまた映像が中断されるかとハラハラドキドキの展開であった。インドには停電というオチもあるので、さらにハラハラドキドキである。試合は3−1で日本まさかの逆転負け。みんなで集まっての観戦だっただけあり、落胆も大きかった。「喜びは分かち合うことで大きくなり、悲しみは分かち合うことで少なくなる」と言うが・・・。
僕はさっさと自分の家に帰って、ジョニー・リーヴァルのTV番組を見ることにした。
ジョニー・リーヴァル・・・!
ジョニー・リーヴァルとは、1990年代後半から2000年代前半のボリウッド映画を陰で支えたコメディアン俳優である。ジョニー・リーヴァル全盛期の頃は、見る映画見る映画、ジョニー・リーヴァルばかりが出ていたような気がする。僕がインドの映画館で初めて見た映画「Daag:
The Fire」(1999年)にも出ていたし、翌年インドを旅行したときにビハール州ガヤーの映画館で見た「Mela」(2000年)にも登場していた。シャールク・カーンやマードゥリー・ディークシトよりも先に、ジョニー・リーヴァルのあの丸い目玉と四角い顔を覚えてしまっていた。知らない俳優ばかりでも、ジョニー・リーヴァルが出てくると何となくホッとしたものである。IMDBのデータによると、ジョニー・リーヴァルは1995年には5本、1996年には9本、1997年には14本、1998年には14本、1999年には14本、2000年には21本、2001年には11本、2002年には13本、2003年には11本の映画に出演している。2000年がピークだったようだ。だが、2004年以降急に彼の出演作は減り、毎年3本ほどの映画にしか出演しなくなってしまっている。僕はてっきり、ジョニー・リーヴァルの人気が衰えたのかと思っていた。
だが、実際は違ったようだ。ジョニー・リーヴァルは活躍の場をTVに移していた。先週から、ジョニー・リーヴァルのワンマン・コメディー・ショー、「ジョニー・アーラー・レー」がZeeTVで放映されている。放映時間は、月曜〜水曜の午後10時からである。先週は見逃してしまったので、今週から少し見てみようと狙っていたのだった。
「ジョニー・アーラー・レー」はその名の通りジョニー・リーヴァルがホストを務める30分の番組で、ジョニー・リーヴァルが1人で観客を笑わす物真似寸劇と、複数の俳優と共に繰り広げるショートコントで構成されている。そのお笑い度は・・・残念ながらあまり笑うことができなかった。まず、物真似というのは対象となる人のことを観客が知っていることを前提としたお笑いである。僕が見たときは映画俳優の物真似であったが、「名前ぐらいは聞いたことある」ぐらいの古い役者の物真似はちょっと付いていけなかった。ショートコントの方もパンチ力不足だったように感じた。総じて、所々笑えたが、何だか期待していたほどの大爆笑番組でもなかった。だが、もしかしたら僕が見た回があまりよくなかっただけなのかもしれない。
6月5日付けのザ・ヒンドゥー紙には、ジョニー・リーヴァルのインタビューが掲載されていた。そこには、今まであまり知られていなかった彼の生い立ちに関しても触れられており、興味深かった。ジョニー・リーヴァルことジョン・ラーオは、アーンドラ・プラデーシュ州オンゴール出身で、ムンバイーにあるアジア最大のスラム、ダーラーヴィーで育った。ダーラーヴィーの人々は、マラーティー語、タミル語、その他のインド諸語を話しており、そのおかげでジョンはインド各地の言語に慣れ親しんだ。だが、家は貧しく、経済的理由からジョンは7年生までしか進学できなかった。ジョンは子供の頃から物真似が得意で、まずは母親の真似から始め、学校に通うようになると先生の真似をして周囲を笑わせていた。インド各地の言語に慣れ親しんだおかげで、それらの地域の人々のしゃべり方やアクセントなども真似することができた。ジョンは生活費を稼ぐため、列車で野菜を売ったり、ステージショーに出演したりしていた。彼はヒンドゥスターン・リーバ社で掃き掃除もしていたが、時間に余裕があると得意の物真似を披露して仲間を笑わせていたという。いつしか、ジョンはヒンドゥスターン・リーバ(Hindustan
Lever)社の社名を取って、ジョニー・リーヴァル(Johnny Lever)と呼ばれるようになった(ちなみに「Lever」のカタカナ表記は、変則的にヒンディー語表記に準じている)。映画デビューを夢見ていたジョニー・リーヴァルは、1981年に「Yeh
Rishta Na Toote」で映画デビューを果たすことに成功し、その後徐々に人気を集めるようになった。1990年代後半になると、彼は「インドのトップ・コメディアン」の名をほしいままにすることになる。その人気は、ジョニー・リーヴァルの登場するコメディー・シーンだけを集めたDVDまで発売されているほどだ。
だが、そのジョニー・リーヴァルが映画業界からやや身を引き、TV業界へ移ったのはなぜだろうか?ジョニー・リーヴァルは、頑なにTV出演を拒否してきた俳優としても知られていた。そのジョニー・リーヴァルが突然なぜ?その答えがインタビューにあった。
インタビューの中で、ジョニー・リーヴァルはこんなことを語っていた。「私は映画業界の人々への好意のみで映画出演したいとは思わない。私は金銭面での妥協をしたくない。私はノーギャラやとても少ないギャラで映画に出演したこともある。だが、ボリウッドである程度の成功を収めた後は、私はもう妥協したくない。それに、私は同じような役を演じることに飽きてしまった。もうサルダールジーを演じるのはコリゴリだ。昔は年間20本しか映画が公開されなかったが、今では200本がリリースされている。つまり200人の役者が必要だということだ。私は若い俳優たちの障害になりたくない。」
つまりまとめてみると、どうもジョニー・リーヴァルはボリウッドにおいてあまり高いギャラをもらっておらず、それに不満を持っていたこと、同じような役を演じることに飽きてしまったこと、そして若手俳優たちの障害になりたくないこと、この3点により、映画界からTV界へ転身したようだ。ただし、彼は「TVは舞台や映画よりも難しい」とも語っており、それがただの転身ではなく、彼にとって新たな挑戦であることが伺われる。別のインタビューにおいて、ジョニー・リーヴァルは、「映画では、脚本が要求する限られた役しか演じることができないが、TVなら多くの役を演じることができ、私のユーモアのスタイルを使って実験をする機会を得ることができる」と語っている。
ジョニー・リーヴァルはまた、物真似に対する熱い思いを吐露している。彼はインタビューの中で、「物真似は子供の遊びではなく、類稀な才能を要する行為」だと主張した。その例として、彼はマイケル・ジャクソンの物真似を挙げた。ある日、彼がレストランで食事をしていると、誰かが「マイケル・ジャクソンの物真似をしてくれ」と言ってきたらしい。その後、ジョニー・リーヴァルは丸1ヶ月、マイケル・ジャクソンのビデオを研究して彼の声やダンスステップを習得し、初めて物真似を披露したと言う。
今年、ジョニー・リーヴァルは、「Saawan」と「36 China Town」に出演し、現在公開中の「Phir Hera Pheri」にも出演している。だが、この他に出演予定の映画は今後ないという。つまり、これからはTVに集中していくということだろう。「ジョニー・アーラー・レー」が果たして視聴者の支持を受けているのかは分からないが、映画館のスクリーンであの丸い目玉と四角い顔を今後見ることができなくなると思うと寂しい気がする。今日、ジョニー・リーヴァルのTV番組を見てみた限りでは、彼には映画の方が合っていると感じた。
◆ |
6月13日(火) Phir Hera Pheri |
◆ |
今日は新作ヒンディー語映画「Phir Hera Pheri」をPVRナーラーイナーで見た。この映画は現在大ヒット中で、チケットを手に入れるのにはだいぶ苦労した。
「Phir Hera Pheri」は2000年に公開されたプリヤダルシャン監督の大ヒット作「Hera Pheri」の続編である。「Hera
Pheri」とは「小細工」「でっちあげ」「ごまかし」みたいな意味。「Phir」は「再び」という意味なので、「Phir Hera Pheri」を訳すと、「Hera
Pheri 2」とか、または「またもズル儲け大作戦」みたいな意味になる。インド映画ではハリウッドのように「パート2」が作られることは今まであまりなく、これはけっこう珍しい例である。
監督は、プリヤダルシャン監督の下で数多くの脚本を担当した経験を持つニーラジ・ヴォーラー。言わばプリヤダルシャン監督の弟子である。ニーラジ・ヴォーラー監督にとって、この「Phir
Hera Pheri」は、「Khiladi 420」(2000年)に続き監督第2作となる。音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワル、ビパーシャー・バス、リーミー・セーン、ラージパール・ヤーダヴ、ジョニー・リーヴァル、シャラト・サクセーナー、マノージ・ジョーシー、ラッザーク・カーン、ミリンド・グナージー、ディネーシュ・ヒーングー、ディーヤー・ミルザー(特別出演)など。
あらすじへ行く前に、前作「Hera Pheri」の内容を簡単に説明しておく。「Phir Hera Pheri」は「Hera Pheri」を見ていないと少し笑いに付いていけない部分があるかもしれないからだ。「Hera
Pheri」は、お調子者のバッドアイデアマン、ラージュー(アクシャイ・クマール)、田舎からムンバイーへ求職に来た青年シャーム(スニール・シェッティー)、そして大ボケおやじバーブー・ラーオ(パレーシュ・ラーワル)の物語である。貧困にあえぐ3人は、ひょんなことから大富豪の誘拐事件の橋渡し役となり、中間マージンで大儲けする機会を得る。それはなかなかうまく行かないのだが、最後には一攫千金に成功し、3人は金持ち生活を送るようになる。「Phir
Hera Pheri」は、3人が金持ちになった少し後から始まる。
Phir Hera Pheri |
前作で金持ちになり、豪邸も手に入れたラージュー(アクシャイ・クマール)、シャーム(スニール・シェッティー)、そしてバーブー・ラーオ(パレーシュ・ラーワル)。だが、何かを得るということは何かを失うということであった。ラージューは母親を失い、シャームはアヌラダー(タッブー)を失い、そしてバーブー・ラーオは・・・平静を失った。【写真は左から、リーミー・セーン、アクシャイ・クマール、パレーシュ・ラーワル、スニール・シェッティー、ビパーシャー・バス】
ラージューはある日、例の如くデーヴィー・プラサードへの間違い電話(前作参照)から、21日間で金を2倍にするという「大富豪専用」スキームを知ってしまう。ラージューがそのスキームを取り扱う会社へ行くと、そこにはアヌラーダー(ビパーシャー・バス)という美人社長がいた。ただし、このスキームに参加するには最低1000万ルピーが必要とのことだった。ラージューは自分の全財産100万ルピーにシャーム、バーブー・ラーオの持つ全財産100万ルピーずつを加え、さらにダンスバーで知り合った金遣いの荒いチンピラ(ラージパール・ヤーダヴ)から200万ルピーを巻き上げた。そしてどこからか500万ルピーを調達して来て、アヌラーダーに渡す。また、このときシャームは、昔の恋人と同じ名前のアヌラーダーに一目惚れしてしまう。ラージューはラージューで、アンジャリー(リーミー・セーン)という女の子を追いかけていた。
21日後、3人はアンジャリーの会社を赴くが・・・そこは空っぽだった。3人は見事に騙されたのだった。しかもラージューは、豪邸を担保にして500万ルピーを調達して来ていたことを明かす。こうして3人は一文無しになり、安アパートに引っ越すことを余儀なくされる。だが、なんとそのアパートのオーナーの娘はアンジャリーであった。また、3人の隣には、悪党の一団(ジョニー・リーヴァルら)が住んでいた。さらに、ラージューらが住んでいた邸宅は、銃集めが趣味のパールスィー(ディネーシュ・ヒーングー)が住むようになった。
ところで、ラージューに200万ルピーを渡してしまったチンピラであったが、その金は実はギャングのボス、ティワーリー(シャラト・サクセーナー)のものであった。3人は捕まり、ティワーリーの前に突き出される。一旦は逃げ出すことに成功した3人であったが、実はチンピラはアンジャリーの兄であることが発覚する。200万ルピーを騙されたことでチンピラはティワーリーに追われており、アンジャリーも捕らえられてしまう。そこで3人はアンジャリーを救うためにティワーリーのアジトへ自ら赴き、アンジャリーを解放する代わりに3日以内に2倍の400万ルピーを返すことを約束する。当然、もし返せなかったときはジ・エンドである。
ところが、ラージューはひょんなことから、隣の悪党たちがどこかから大量の金を盗む計画を立てていることを聞いてしまう。そこでラージューは、泥棒を終えて帰って来た悪党たちから、その金を奪い取る計画を立てる。他の道のなかったシャームとバーブー・ラーオもそれに乗る。ラージューは、質屋から3丁の銃を買って来る。だが、実はその3丁の銃は、ティワーリーが必死に追い求めていたアンティークものの銃で、本当は1丁1000万ルピーする代物であった。これらの銃は、パールスィーの家に他の銃コレクションと共に所蔵されていたのだが、ある夜チンピラが盗み出したのだった。だが、銃の価値が分からないチンピラは、その銃を質屋に勝手に売り飛ばしてしまっていた。ティワーリーの怒りを買ったチンピラは、その銃を捜し求めていた。
悪党たちは、内通者の助けを得て麻薬ブローカー(ミリンド・グナージー)のアジトへ忍び込むが、そこには現金はなかった。その代わり、大量のマリファナやヘロインがあった。悪党たちはそれをバッグに入れて盗んで家に帰ってくる。そこへ待ち構えていた3人は、銃を突きつけて脅し、バッグを奪い取る。中から出て来たのが葉っぱや粉で失望するシャームとバーブー・ラーオであったが、ラージューはこれが3000万ルピー相当の価値を持っていることを知っていた。ラージューはサンプルとして少量のパックを持って質屋へ行く。質屋はそれを麻薬ブローカーに見せる。ブローカーは、それが自分のところから盗まれたものであることを見抜く。そこへ質屋のもとにラージューから電話が。ラージューは、麻薬の受け渡し場所にロイヤル・サーカスというサーカス会場を指定した。
また、ラージューたちはこのとき1000万ルピーを持ち逃げしたアヌラーダーと偶然再会していた。アヌラーダーは、悪の親玉カビラー(前作参照)の部下たち(ラーザック・カーンなど)に追われていた。アヌラーダーの姉はカビラーのグループで働いていたのだが、カビラーが逮捕されたことによりアヌラーダーはその一味の妹ということから職場を追放され、困窮していた。しかも姉の子供を預かっていたのだが、彼女は一味に誘拐されてしまう。そこでアヌラーダーは、一味の指示に従って詐欺会社を作り、ラージューたちから1000万ルピーを騙し取ったのだった。アヌラーダーは詐欺会社で儲けた金をダイヤモンドに変え、一味のところへ持って行くが、姉の子供は逃げ出してしまっていた。そこでアヌラーダーはダイヤモンドを叔父に預け、逃げる。だが、叔父はダイヤモンドをどこかに隠したまま息を引き取ってしまう。叔父が最後に残した言葉は、「コケコッコー」であった。その話を聞いた3人は、アヌラーダーを許す。アンジャリーもこのとき彼らに合流しており、5人は一緒にラージューらの家へ帰る。
だが、隣に住んでいた悪党たちは、自分たちから麻薬を奪ったのが隣人だということに気付いてしまう。悪党のボスは、ラージューらの家に置いてあった麻薬の入ったバッグと3丁の銃を持って外へ行き、その部下たちは家で待ち伏せしていた。ところが、まず家に入って来たのは、ティワーリーの部下の黒人2人組であった。部下たちは黒人2人組に襲い掛かってしまったため、コテンパンにされる。そこへ5人が帰って来る。アンジャリーとアヌラーダーは、黒人2人組に誘拐されてしまう。そこでシャームたちは、約束通り400万ルピーを渡すから、アンジャリーとアヌラーダーを連れてロイヤル・サーカスへ来るように言う。また、カビラーの一味もそのことを盗み聞き、ロイヤル・サーカスへ向かう。
一方、麻薬と銃を持って車に乗って移動していた悪党であったが、道端で偶然パールスィーと出会ってしまう。パールスィーは、それは自分の家から盗まれた銃だと主張する。そこをまたも偶然にチンピラが通りがかる。チンピラは銃を見つけると大喜びし、悪党の車を奪ってティワーリーのいるロイヤル・サーカスへ直行する。悪党はパールスィーの車を奪ってチンピラの後を追う。こうして、全ての役者がロイヤル・サーカスへ集うことになった。
ラージューら3人は、まずは偽の麻薬が入ったバッグを麻薬ブローカーに渡し、金の入ったバッグを受け取る。だが、その金は偽札であった。今度はその偽札の入ったバッグをティワーリーに渡し、アンジャリーとアヌラーダーを救出する。だが、そこで偽札であることがばれてしまう。だが、そのときちょうどチンピラがやって来る。その車には、本物の麻薬が入ったバッグがあった。ラージューたちはそのバッグを持って逃走する。サーカスが行われている中で、麻薬の入ったバッグを巡って大乱闘、大混乱が巻き起こる。しかも、カビラーの一味やアヌラーダーが探していたダイヤモンドが、サーカス会場の鶏の人形の下から見つかる。バナナ一本の恨みで悪党を追い回すゴリラも大乱闘に加わり、さらに大混乱となるが、最終的には警察が踏み込んできてその場は収拾される。ラージュー、シャーム、バーブー・ラーオ、アンジャリー、アヌラーダー、そしてその場にいたアヌラーダーの姉の子供の6人は何とかその場を抜け出し、チンピラの乗って来た車で逃げ出す。結局、麻薬もダイヤモンドも金も何も手に入らなかった。
ところが、シャームとバーブー・ラーオは、車に置いてあった3丁の銃が実は大変価値のあるものであることを後で初めて知る。だが、そのときちょうどラージューがその銃を河に捨てようとしているところであった。2人はラージューに電話してそれを止めようとするが・・・ここで映画はジ・エンドとなる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
プリヤダルシャン監督が得意とする、大量の登場人物の人間関係や欲望が複雑に絡み合って爆笑を誘う、ローラーコースター型コメディー映画。今年最も優れたコメディー映画の1本だ。この映画の脚本が公開前からオスカー・ライブラリーに収録されたことからも、その面白さが伺われる。大ヒットしているのも不思議ではない。
こういう映画はあらすじにまとめるのが難しいのだが、何とか形にしてみた。あまりに複雑なので、映画を見る前に読んでもよく理解できないだろう。細かい部分で間違いがあるかもしれないが、とにかくいろんなことが一遍に起こるので、いちいち細かい部分を覚えていられない。「Phir
Hera Pheri」では悪役キャラも多数登場するのだが、彼らの名前もいちいち覚えていられなかった。よって、かなり適当に名付けてしまった。主要な悪役は、ラージューに騙されて窮地に陥るチンピラ(ラージパール・ヤーダヴ)、変な話し方をするギャングのボス(シャラト・サクセーナー)、ラージューらの家の隣に住む小悪党(ジョニー・リーヴァル)、麻薬ブローカー(ミリンド・グナージー)、そして前作に登場した誘拐犯カビラーの部下で、カビラー逮捕後グループを率いている軍服の男(ラーザック・カーン)である。その他に、銃から麻薬から何でも取り扱う質屋(マノージ・ジョーシー)、銃コレクターのパールスィー(ディネーシュ・ヒーングー)などもいる。
おそらくこの映画の最大の爆笑ポイントは、クライマックスのロイヤル・サーカスでの大乱闘シーンであろう。サーカスと大乱闘が化合して、腹がよじれるような笑いを生み出している。だが、それよりももっと注目すべきなのは、当代一流のコメディアン俳優たちの豪華共演によるお笑いコンボや、ストーリーとは直接関係ない細かい部分での笑いである。特にパレーシュ・ラーワルは初めから終わりまで息継ぎのない見事なコメディー演技。彼は元々優れたコメディー俳優であったが、この「Phir
Hera Pheri」でボリウッドのトップ・コメディアンの地位を確固たるものにしたと言っても過言ではない。来年のフィルムフェアのコメディアン賞はパレーシュ・ラーワルで決まりであろう。ちなみに、パレーシュ・ラーワルは前作「Hera
Pheri」でもベスト・コメディアン賞を受賞している。かつてボリウッドを席捲したコメディアン、ジョニー・リーヴァルや、今最も勢いのあるコメディアン、ラージパール・ヤーダヴも優れた演技をしていたが、パレーシュ・ラーワルの前では成す術がなかった。また、キャスティング・リストでは、パレーシュ・ラーワルよりも先にアクシャイ・クマールとスニール・シェッティーが来ているが、彼らはどちらかというと準主役であった。やはり「Phir
Hera Pheri」はパレーシュ・ラーワルに尽きる。
前作ではヒロインとしてタッブーが出演していたのだが、今回は回想映像のみ出演。前作でタッブーが演じたアヌラーダーは、交通事故で死亡したというかなり取って付けたような説明がされていた。その代わり、今回はビパーシャー・バスとリーミー・セーンがヒロインとして登場。コメディアン俳優のオールスターキャストみたいな映画なので、2人とも目立った活躍はできなかったが、その中でもいい仕事をしていた。
音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。最も耳に残るのは、「ピルピルピルピルピルピル・ヘ〜ラ〜・ペ〜リ〜」というサビが印象的なアップテンポのタイトルソング「Phir
Hera Pheri」であろう。その歌詞には、「ロシアのルーブルを見た、日本の円を見た、ヨーロッパのユーロを見た、アメリカのドルを見た、それでも心を躍らすのはインドのルピー、アイ・ラヴ・ルピーだぜ!」とあり、急速に成長しつつある現在のインド経済を象徴するような歌になっていて興味深い。ヒメーシュ・レーシャミヤーが歌う「Yaad
Sataye Teri」も大ヒットしている。
映画の終わり方は観客の憶測を呼んでやまないものだった。「Hera Pheri 3」が作られる可能性も十分あるだろう。
「Phir Hera Pheri」は、ボリウッド映画で数少ない続編映画というだけでなく、前作を上回る出来を達成した点でも重要な、オール・コメディアンスター・キャストの爆笑コメディー映画である。この映画を見れば、「インド映画の真髄はコメディーにあり」という格言を改めて思い知らさせれるだろう。
◆ |
6月14日(水) インド系初のワールドカップ出場 |
◆ |
ドイツでFIFAワールドカップが始まった。インドではスポーツ専門番組ESPNが全試合を中継してくれている。インドとドイツの時差は3時間半。インドと日本の時差も3時間半なので、時差から言ったらインドはちょうど日本とドイツの中間点にあるようだ(ただし今はドイツは夏時間であり、冬時間では日本とドイツの時差は8時間になる)。日本ではほとんどの試合は真夜中になってしまうが、インドだと午後6時半、午後9時半、午後12時半と割とちょうどいい時間にキックオフしてくれるのでありがたい。
昨夜、フランス対スイスの試合を観戦していたところ、後半の終盤でインド人っぽい顔をした選手が投入されたのを見た。名前を見てみると「Vikash
Dhorasoo」。「Dhorasoo」の方は不明だが、「Vikash」は完全にインド人の名前である。そういえば、いつぞやのタイムズ・オブ・インディア紙に、「実はインドもワールドカップに参戦している!」みたいな大袈裟なタイトルと共に、インド系選手が出場することが書かれていたな、と思い出した。「Dhorasoo」は多分「ドラスー」と読むのだろうが、由来が分からない上に日本語で「ドラソー」で定着しているようなので、それに合わせることにする。一方、日本語で定着してしまっている「ヴィカシュ」または「ヴィカッシュ」という表記は当然却下である。
ヴィカーシュ・ドラソー
ヴィカーシュ・ドラソーは、1973年10月10日フランスはアルフレール生まれのインド系モーリシャス人である。ヴィカーシュの祖先は、アーンドラ地方からモーリシャスへ移住したようで、厳密に言うならばテルグ人である。宗教はヒンドゥー教。ヴィカーシュは1993年にル・アーブルでプロデビューし、ミッド・フィルダーとしての才能を開花させる。その後、1998年からは2001年までリヨンでプレイし、ボルドーに1年だけ移籍するも、また2002年にリヨンに戻る。2004年からはACミランに移籍し、2005年からはパリ・サンジェルマンに在籍している。
ヴィカーシュ・ドラソーは1999年からフランスのナショナル・チームに参加しているようなのだが、フランスのミッド・フィルダーは、ジダンやヴィエラなどがいるために競争が激しく、なかなか活躍の場はなかったようだ。だが、2006年のワールドカップでは、遂にフランス代表に選ばれた。そしてその初戦で、途中出場ではあるが、デビューを果たすことにも成功したというわけだ。この試合で、ヴィカーシュはかなり鋭いシュートを1本だけ放っていた。もっと時間があれば、さらに華々しい活躍を見せてくれたかもしれない。
ところで、インド系のサッカー選手がワールドカップ本大会に出場するのはこれが史上初のことらしい。今回はインド系移民の多いトリニダード・トバゴもワールドカップ本大会に出場しているが、見たところ選手はみんなアフリカ系のようだ。過去76年間、インド系の選手がワールドカップ本大会のフィールドの土を踏んだことはないようなので、文句なくヴィカーシュ・ドラソーがワールドカップ本大会の試合に出場した初めてのインド系選手ということになる。ヴィカーシュ自身、自分のインド系の血をどう思っているのか分からないが、本人の意思はどうあれ、一応歴史的快挙を成し遂げたと言っていいだろう。既に「サッカー界のヴィジャイ・スィン(フィジー生まれのインド系プロゴルファー)」との呼称も生まれているようだ。今後十数年間、インドがワールドカップ本大会に出場することはありえないと思うので、インドとしては、まずは「インド系」のサッカー選手の活躍を応援するしかないだろう。とは言え、ここデリーでは、ESPNがせっかく全試合を中継しているにも関わらず、そして新聞のスポーツ欄でかなり大々的に試合結果が報道されているにも関わらず、ワールドカップはほとんど盛り上がっていない。
それにしても、最近のインドのスポーツ界はアーンドラ・プラデーシュ州が熱い。2000年のシドニー五輪の女子重量挙げで銅メダルを獲得したカルナム・マッレーシュワリーはアーンドラ・プラデーシュ州出身であるし、女子テニス界のスター、サーニヤー・ミルザーも言わずと知れたハイダラーバード出身だ。さらに、最近フィリピンで行われたバドミントンの大会で優勝し、旋風を巻き起こしたサーイナー・ネヘワールもハイダラーバード出身の17歳である。それに今回、アーンドラ地方を起源とする家系に生まれたと言うヴィカーシュ・ドラソーが加わり(無理矢理だが)、アーンドラ・プラデーシュ州は重量挙げ、テニス、バドミントン、サッカーの4部門を制覇したことになる。一体その秘訣は何なのだろうか?
インドは今のところあまりスポーツの強い国ではないが、既に都市部の若い世代では、子供の頃から何らかのスポーツに没頭している層が生まれており、将来的にはいろんな分野で活躍するスポーツ選手がもっと出て来るのではないかと予想している。
とりあえず、32歳のヴィカーシュ・ドラソーには、これが最初で最後の大舞台になるだろうから、頑張ってもらいたい。ちなみにフランスはスイスと0対0で引き分け、あまりいい結果を残せなかった。ヴィカーシュが今後の試合にも出場できるか分からないが、1点でも入れることに成功したら、インドで大々的に報道され、少しはサッカー熱が盛り上がるかもしれない。インドは基本的にブラジル贔屓の国であるが(なぜならブラジルが点を入れるとセクシーな美女の踊りを見れるから・・・?)、今回ばかりは一応フランスを応援する正当な理由がある。
◆ |
6月16日(金) 「Navarasa」とクーヴァガム祭 |
◆ |
今日から、今年最大の期待作のひとつ、カラン・ジャウハル監督の「Kabhi Alvida Naa Kehna(さよならは言わないで)」のサントラCDが発売されたので、早速買いに行った。カラン・ジャウハル監督は、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)などのインド映画史に残る大ヒット作を世に送り出した人気監督だ。そのカラン・ジャウハル監督の最新作が「Kabhi Alvida Naa Kehna」なのである。カラン・ジャウハル監督の映画は必ず「K」から始まるというジンクスがあり、今回もそれが遵守されている。音楽監督は「Kal Ho Naa Ho」と同じシャンカル・エヘサーン・ロイ。ちょっと聞いてみたところでは、「Kal Ho Naa Ho」の雰囲気とかなり似ている。ちょっとしっとりとしたスローテンポの曲がタイトルソングになっており、大ヒット曲「It's Time to Disco」と同じようなディスコナンバーや、同じくアップテンポの「Pretty Woman」と「Maah Ve」に似た曲などがあった。
ついでにDVDコーナーを見ていたら、「Navarasa」というタミル語映画のDVDが発売されているのを見つけた(公開は2005年で、DVD発売は今年4月のようだ)。監督は「Asoka」(2001年)のサントーシュ・シヴァン。面白そうだったのでこれも買ってみた。家に帰って早速このDVDを見たわけだが、今日の日記はこの「Navarasa」を題材にしている。僕は基本的に映画館で見た映画しか評価の対象にしないし、この映画は英語のサブタイトルの助けを借りて見たので、全く正当な評価はできないことは百も承知なのだが、テーマがヒジュラーとジェンダーであるし、ドキュメンタリー・タッチの映像が迫力があったので、少し書いてみたくなった。
あらすじを簡単に説明すると、この映画は性同一障害を持つ男性ガウタムが、タミル・ナードゥ州にあるクーヴァガム村で年に1回行われるヒジュラーの祭り、クーヴァガム祭に参加してヒジュラーになるまでを描いている。この映画がすごいところは、まず全ての映像がリアルであることである。クーヴァガム祭のときにクーヴァガム村の近くにあるヴィッルプラムで行われるミス・クーヴァガム・コンテストや、クーヴァガムのアラヴァン寺院で行われるクーヴァガム祭は実際の映像が使われているし、この映画に出てくるヒジュラーたち(主人公のガウタムを含む)は全て本当のヒジュラーとのことである。そして最も巧みだったのは、性同一障害のガウタムを追う視点が、13歳の姪シュエーターに設定されていたことである。物語はシュエーターが初潮を迎えるところから始まる。今まで「女の子」として過ごして来たシュエーターは、初潮を迎えた途端、家族から「女性」として扱われるようになる。その押し付けに不満を持つシュエーターであったが、叔父のガウタムが女性になりがたっていることを知ると、彼を病人扱いし、医者に連れて行こうとする。そしてシュエーターの両親の留守中に、ガウタムはこっそり家出をしてしまう。シュエーターはガウタムを探してヴィッルプラムやクーヴァガム村まで行くが、その途中、ムンバイーからやって来たオカマのボビー・ダーリン(実名出演)と出会う。ボビー・ダーリンはシュエーターに、自分が子供の頃から女の子になりたかったこと、そしてそれを家族に打ち明けた途端、家を追い出されたことなど、過去のトラウマを語る。それを聞いたシュエーターは、ボビー・ダーリンが受けて来た仕打ちが、自分がガウタムにした仕打ちと全く同じであることに気付き、次第に心変わりして行く。クーヴァガム祭でやっとガウタムに会えたシュエーターは、女となったガウタム(名前はガウタミーに変わっていた)を家に連れて帰る。シュエーターは両親に、ガウタムがガウタミーになったことを明かすが・・・という話である。
ヒジュラーと言えば、僕は写真家の石川武志さんを思い出す。数年前、石川武志さんに同行してアジメールにヒジュラー・コミュニティーを訪問したことがあり、とても貴重な体験をさせていただいた(2002年禁忌編10月24日〜28日までの日記参照)。ヒジュラーと聞いて何のことだか分からない人は、まずはそちらを読んでいただきたい。石川武志さんの著書「ヒジュラ インド第三の性」(青弓社)には、ちゃんとこのクーヴァガム祭の取材レポートが掲載されていた。「Navarasa」の映像の中には、石川さんの記述と重なる部分が多く見られ、とても興味深かった。よって、この本と「Navarasa」を参考に、クーヴァガム祭について少し解説しよう。
クーヴァガム祭の由来は、「マハーバーラタ」まで遡る。その神話には、「Navarasa」でも「ヒジュラ インド第三の性」でも触れられていたが、若干内容に違いがあった。「Navarasa」の方がより正確のように思われたので、そちらの方を採用する。
カウラヴァ(クル族)とパーンダヴァ(パーンドゥ族)の間でマハーバーラタ戦争が起こった。だが、カウラヴァ軍は強力で、パーンダヴァ軍は窮地に立たされていた。パーンダヴァ軍が勝つためには、カーリー女神に生贄を捧げなければならないとのお告げがあった。ただし、誰でも生贄になれるわけではなかった。生贄になれるのは、パーンダヴァ5王子の三男アルジュンか、アルジュンの戦車の御者を務めるクリシュナか、それともアルジュンの息子のアラヴァンの3人しかいなかった。アラヴァンは自ら生贄になることを願い出た。ただしひとつの条件があった。それは、死ぬ前に結婚したい、つまり童貞のまま死ぬのは嫌だ、ということであった。しかし、死ぬことが分かっているアラヴァンと結婚しようとする女性は1人もいなかった。そこで、クリシュナはモーヒニーという名の女性に変身し、アラヴァンと結婚した。モーヒニーとの初夜を過ごしたアラヴァンは首を切られ、生贄としてカーリー女神に捧げられた。こうして、パーンダヴァ軍は戦争に勝利したのである。
このアラヴァンが祀られているのが、クーヴァガム村にあるアラヴァン寺院(クータンダヴァル寺院)であり、クーヴァガム祭は、アラヴァンとモーヒニーの結婚、そしてアラヴァンの死が祝われるのだ。クーヴァガム村はマドラスから南へ200kmほど行った場所にあり、クーヴァガム祭はチトラ・プールニマー、石川武志さんの記述によると4月中旬〜下旬辺りに行われるらしい。おそらく、クーヴァガム祭は元々ヒジュラーとは関係ない祭りだったと思われる。実際、普通に幸せな結婚を願う未婚女性たちも多くこの祭りに詰め掛けるようだ。だが、男神であるヴィシュヌがモーヒニーという女性に変身し、男性と結婚するという流れのこの神話が、性同一障害の人々の心の拠り所となり、いつの間にかヒジュラーの祭りとして認知されるようになったのだろう。石川武志さんはこう書いている(原文の中のカタカナ表記対応:モヒニ→モーヒニー、アラバン→アラヴァン、ヒジュラ→ヒジュラー)。
男であるクリシュナがモヒニという名の女性となってアラバン王子と結婚する。つまり、ヒジュラたちはこのモヒニに自らの身を重ね合わせて、アラバン神と"結婚”するというわけである。(p.144)
ミーナは私にこういう。
「なぜ私たちが誰とも結婚しないのかわかる?それは、私たちがアラバン神と一度結婚しているからなのよ」(p.148)
「Navarasa」では、現地において実際に行われるクーヴァガム祭の映像が使われているため、とても生々しい。石川武志さんの文章と、DVDのキャプチャー映像を利用して、祭りを追ってみようと思う。
夕刻、西の荒野に太陽が沈み、ヤシの林の上に赤い大きな満月が顔を出し始めると、いよいよ祭りの始まりだ。寺院の境内は数千人の人波で埋め尽くされ、ヒジュラたちのマントラの詠誦もひときわ高くなってくる。寺院の入り口には、ヒジュラや村の女性たちが供え物を持ち、アラバン神と自身の"結婚”の儀式の順番が回ってくるのを待ちながら長い列をつくっていた。(p.142)
寺院の入り口にできた長い列はいっこうに短くなる気配がない。村の娘であろうか、両親につき添われ、自分の体を地面に横たえて転がりながら寺院の周囲を一周している光景に出くわした。彼女の髪の毛も着ているサリーも枯れ草や土埃で汚れきっている。(p.145)
大勢のヒジュラたちが小さな籠の中にココナツやジャスミン、バラの花、プラサド(白くて丸い砂糖菓子)、それに樟脳などを持って順番を待っている。そしてココナツを石造りの床に叩きつけて割り、バラモンの前に進み出る。(p.145)
バラモンは、前に進み出たヒジュラの首と手首にひとりずつターリーという黄色の紐を回し、後ろで結んでいる。これが"結婚”の印であり、ヒジュラはバラモンに唱和して祈る。(p.145)
その後、奥のアラバン神を祀ってある小さな祠に入り、花を供えて儀式は終了するのである。−中略−蝋燭の明かりのなかに色鮮やかなアラバンの神像が浮かび上がり、樟脳の赤い炎がアラバンの顔を赤銅色に染め上げる。今ここで、アラバン神とヒジュラとが結ばれたのである。(p.145-146)
寺院の喧騒が引き始めると、祭りのもうひとつのハイライト、すなわちアラバンの処刑の場面を再現する儀式が、まだ夜の明けきらぬ午前四時から始まった。まずアラバンの神像を乗せたチャリオット(山車)が村の若者十人ほどに担がれ、灯火に先導されて村のなかを威勢よく練り歩く。その後を、村人や花嫁となったヒジュラたちがマントラを唱えながら続いていくのである。(p.146)
ひとしきり村を練り歩いたチャリオットは、やがて参道から寺院の境内に入り、ココナツや花飾りでいっぱいの地面を踏みしだきながら境内中央にやってきた。そこには戦車をかたどった巨大な処刑台のチャリオットが鎮座している。アラバンの神像がこの処刑台の頂上に移されると、人々の興奮は頂点に達し、歓声が境内いっぱいに広がっていく。(p.146)
東の空に淡い暁光が差し始めたころ、境内を埋め尽くしていた群集が、チャリオットのアラバン神を取り囲むようにして押しかけ、口々に叫ぶようにして祈りを唱える。そして、最後の瞬間がやってきた。男がひとり、チャリオットの頂上に据えられたアラバンの神像の近くに登ると境内に緊張が走り、一瞬、静寂がみなぎる。と、彼の持つ刀が一閃し、アラバンの首が切り落とされた!悲鳴や呻き声が人々の口からいっせいに漏れる。(p.146-147)
そして熱狂的な祈りや叫び――ヒジュラたちが人々を押し退けて、首のないアラバン神像を乗せたチャリオットの近くに殺到する。−中略−ヒジュラたちがジャスミンの髪飾りや黄色の紐を頭や首から取り外し、チャリオットに向かって投げつけた。(p.147)
つまり、結婚してすぐ未亡人になったアラバン神の花嫁たちは、これら花嫁の印である髪飾りとネックレスを処刑台のチャリオットに投げることによって、亡き夫アラバンに献身を誓うのである。(p.147)
儀式は終了したが、処刑台のチャリオットが興奮の冷めやらぬ人々に引かれて村のなかを練り歩く。それにつれて人々もいっせいに移動し、再び歓声が巻き起こる。祭りはいつ果てるともなく続いていった。(P.147)
ところで、石川武志さんは南インドのヒジュラーと売春の強い結びつきを、このクーヴァガム祭に関連付けて興味深い考察をしている。
アラバン神の祭りに集まるヒジュラたちは、"結婚”という行為が象徴するように、性なるもの、あるいは性的欲望を前面に打ち出す。彼らはアラバンと結婚するクリシュナに自らを重ね合わせるが、実はクリシュナを直接信仰するのではなく、その愛人であるラーダを信仰するという形をとるのである(複雑なのだが、男のクリシュナにはたくさんの愛人がいる)。つまりヒジュラたちは、ラーダをクリシュナと同一化してとらえる。したがって、アラバンに結婚という形の性的献身を捧げたクリシュナを信仰することは、すなわちラーダを崇拝することなのである。
このあたりの二重構造は、ヒジュラに都合よく解釈されていてなかなか理解しにくいのだが、要はこうした信仰が、ラーダがクリシュナと交わるように自分たちも性行為をするという解釈に通じ、売春を正当化していることは間違いないようである。南インドでは一般に売春が公然と行われているが、それは、売春を行うこともラーダへの献身とみなされ、当然の行為として考えられている理由によるのだろう。(P.148-149)
実際、「Navarasa」の中でも、男がヒジュラと売春の交渉をしているシーンがあった。クーヴァガム祭はもしかして、ヒジュラーの祭りであると同時に、ヒジュラーたちとの性行為を目的とする人々が集まってくるという性格も持っているかもしれない。Wikipediaにも、「A lot of men, who do not identify as hijras or even homosexuals gather
there to have sex with the hijras during the festival(ヒジュラーや同性愛者ではない男性たちもこの祭りに集まって、ヒジュラーたちと性行為をする)」と書かれている。
このクーヴァガム祭と平行して、ヒジュラーたちのための組織であるタミル・ナードゥ・アラヴァニガル協会が、ミス・クーヴァガム・コンテストを開催しているらしい。ミス・クーヴァガム、つまり、ミス・ヒジュラーである。「Navarasa」にはそのシーンもバッチリ収録されていた。派手な衣装で着飾ったヒジュラーたちが、舞台の上で踊りを踊ったりして美を競い合う。これはとても面白そうだ。ムンバイーから参加しているヒジュラーが多かったように感じた。ミス・ヒジュラーの他にも、喉自慢大会や、ヒジュラーを巡る問題などを議論し合う討論会なども開かれるようで、現代ではこの祭りは、ヒジュラーの総合祭となっているようだ。
ミス・クーヴァガム・コンテスト
そして、映画中ではなぜかボビー・ダーリンがミス・クーヴァガムに・・・。この部分は映画向けのフィクションかもしれないし、本当にミス・クーヴァガムになってしまったのかもしれない。映像からは何とも言えなかった。それにしても、通常のインド映画ではオカマ・キャラとして脇役出演することが多いボビー・ダーリンであるが、この映画では大活躍であった。「Navarasa」は2005年タミル語最優秀映画賞を受賞した他、リヨンアジア映画祭(2005年)、釜山国際映画祭(2005年)、ロッテルダム国際映画祭(2006年)などでも上映され、なんとモナコ国際映画祭ではボビー・ダーリンが助演男優賞まで受賞したらしい!・・・え、助演男優(Best
Supporting Actor)・・・?助演女優じゃなくて?・・・それはさておき、とにかくボビー・ダーリン・ファンは必見の映画である。また、オカマ・キャラとしてボリウッド映画界で独自の地位を確立しているボビー・ダーリンは、もしかしたらヒジュラーたちから人気を集めているかもしれない。映像中ではヒジュラーたちからけっこう慕われていたように思えた。
ボビー・ダーリンがミス・クーヴァガムに!
一般に、ヒジュラーのコミュニティーに入り込んでこのような映像作品を作るのはとても難しいと言われている。その苦労話は石川武志さんの著書にもたくさん書かれているし、僕自身もアジメールのヒジュラーと接触して、彼ら――失礼、彼女ら――と付き合っていくことの難しさを実感した。事あるごとに金をせびってくるのも気が滅入ってしまうのだが、やはりヒジュラー自身が、写真家などの売名目的の写真の被写体になったり、興味本位のエセ研究者の研究対象になったりすることを嫌っており、「どうでもいいから私たちを放っておいて欲しい」と思っていることが一番心に残った。だが、この映画は、タミル・ナードゥ・アラヴァニガル協会のアーシャー・バーラティー会長(もちろんヒジュラー)の全面協力を得ることに成功したために、撮影はかなりスムーズにいったらしい。アーシャー会長は映画にも特別出演している。
アーシャー・バーラティー会長
「Navarasa」は、インドのジェンダー問題やヒジュラーに興味のある人は必見の映画であろう。ただ、残念ながら、DVDの英語字幕の質が最悪なので、タミル語が分からないとかなりイライラして見ることになる。とは言え、それを差し引いても、クーヴァガム祭の映像や大量のヒジュラーの映像は圧巻である。そして・・・ボビー・ダーリン・ファンにも自信を持ってオススメできる映画だ。
今日はPVRナーライナーで新作ヒンディー語映画「Alag」を見た。
「Alag」とは「違う」という意味。監督は「Deewanapan」(2001年)や「Sheesha」(2005年)のアーシュー・トリカー、音楽はアーデーシュ・シュリーヴァースタヴ。キャストは、ディーヤー・ミルザー、アクシャイ・カプール、ジャヤント・クリパーラニー、ヤティーン・カリエーカル、トム・アルター、シャラト・サクセーナー、ムケーシュ・リシなど。その他、あっと驚く特別出演あり(後述)。
Alag |
マハーラーシュトラ州の避暑地マハーバレーシュワルで、ラストーギー(ヤティーン・カーリエーカル)という男が心臓発作で死亡した。警察(シャラト・サクセーナー)は、ラストーギーの家の地下に、18歳の若者が住んでいるのを発見する。その若者の名前はテージャス(アクシャイ・カプール)。頭髪、眉毛から全身にいたるまで一本も毛がなく、18年間一歩も家の外に出たことがないという変人であった。警察は、テージャスの世話をプールヴァー・ラーナー(ディーヤー・ミルザー)に任す。【写真は、アクシャイ・カプール(上)と、ディーヤー・ミルザー(下)】
プールヴァーの父親、プシュカル・ラーナー(ジャヤント・クリパーラニー)は、孤児と軽犯罪を犯した少年を養う施設を経営していた。テージャスはその施設に入り、生活するようになる。施設にいた少年たちは、最初テージャスをからかうが、次第に彼に不思議な力が備わっていることを知るようになる。また、18年間ずっと本を読んで過ごして来たテージャスの知識は、施設の先生をも上回っていた。
プシュカルは、事あるごとに何かしら問題を起こすテージャスを気に入っていなかった。とうとうテージャスの異常な力は、施設の少年を1人死に至らしめてしまう。だが、テージャスが、昏睡状態にあった彼の妻を手で触れただけで治療したことにより、プシュカルは一転してテージャスを受け容れるようになる。警備員を務めていたスィン(ムケーシュ・リシ)や、施設の少年たちも、テージャスを友達と認める。また、テージャスとプールヴァーの間には恋が芽生えていた。
一方、人類の脳の仕組みを解明して新薬を開発しようともくろむ狂科学者(トム・アルター)は、テージャスの能力に目を付け、彼を誘拐する。テージャスは実験室に入れられて電気攻撃を受けるが、そのとき駆けつけたプシュカル、プールヴァー、スィンがそれを止める。だが、油断したスィンは科学者に射殺されてしまう。それを見たテージャスは怒りのパワーを発揮し、科学者を吹っ飛ばすと共に実験室を滅茶苦茶にする。だが、その衝撃でプールヴァーも死んでしまう。テージャスは何とかプールヴァーを蘇生させようとし、最終的に彼女は生き返る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
現在、リティク・ローシャン主演の「インド初」のスーパーヒーロー映画「Krrish」の公開が控えている。だが、「Krrish」封切日のちょうど1週間前に、その「インド初」の称号をかすめ取るかのように、別のスーパーヒーロー映画「Alag」が公開された。
主人公テージャスの特殊能力はいくつかある。まず、彼の周囲では電化製品が全く機能を失ってしまう。そして圧倒的な記憶力。18年間、1日の18時間を読書に費やし、その一字一句を正確に記憶していた。他に、自然と交信することができたり、手で触れたスプーンを超協力な電磁石に変えてしまったり、動物の痛みを人間に伝えたり、怒りのパワーで周囲のガラスを粉々にしたり、電磁バリアを張って銃弾を無効にしたりと、映画中にはテージャスのいろいろなスーパーパワーが出てくる。まるで「X-men」に出てくるマグニートのようでもあるが、しかしそれに収まらない力もあり、結局のところテージャスのパワーがどれほどのものなのか、よく分からなかった。このようなスーパーパワーが他の人を傷つける恐れがあったため、また、テージャスの目は日光に耐えることができなかったために、父親は彼を18年間地下室に閉じ込めていたのだった。だが、父親の死をきっかけに、テージャスは「発見」される。
「Alag」という題名通り、変な映画だったが、ひとつだけ重要なメッセージが込められていたように思う。18年間、本だけで世界と接して来たテージャスは、真実の忠実な信奉者であった。彼にとって世界は真実と嘘だけで構成されており、嘘は許されるものではなかった。だが、施設に住むようになり、社会に接するようになると、彼は真実と嘘の狭間にある「現実」に直面せざるをえなくなる。例えば、テージャスは授業の中で、先生の質問を全て正確に答えるだけでなく、先生に質問された以上の答えをスラスラと答える。それを自分への侮辱と受け取った先生は、怒って教室を出て行ってしまう。プシュカル院長はテージャスを呼んで彼を諭す。「例え知っていたとしても、知らない振りをすることも必要だ。それが社会の礼儀というものだ。」だが、テージャスはそれを理解できない。「そんなことをするのは、真実に直面する勇気のない者のみだ!」この議論はここでストップしてしまっており、映画の中でさらに推し進められることはなかったが、いい切り口だと思った。スーパーパワーに比重を置くよりも、18年間本だけで世界を見て来た人間が、「現実」と初めて接したときに直面する葛藤を描いた方が、よりよい映画になったことだろう。嘘をつくのはよくないことだが、真実のみでは人間は生きていけない。それが現実社会というものだ。
アクシャイ・カプールは、「Popcorn Khao! Mast Ho Jao」(2004年)でデビューした若手俳優。ボリウッドには、アクシャイという名前の俳優と、カプールという名字の俳優が多く、彼の登場はさらにボリウッド・ファンを混乱させることになるだろう。本作では、頭髪と眉毛を全て剃り落してテージャスになりきっており、演技も素晴らしかった。「Hai
Junoon」のミュージカル・シーンのみ、彼は頭髪と眉毛のある状態で映画に登場している。ちなみに、アクシャイ・カプールは踊りもなかなかうまかった。
デビュー以来、何となくイメージ作りに失敗しているように見えるディーヤー・ミルザーも、本作では彼女に最も似合った役柄を落ち着いて演じており、好感が持てた。「Alag」は、彼女のベスト作の1本であろう。他の俳優では、プールヴァーの父親プシュカル・ラーナーを演じたジャヤント・クリパーラニーや、テージャスの父親を演じたヤティーン・カーリエーカルがよかった。
この映画の大きなマイナスポイントは、ミュージカル・シーンの間の悪さであろう。ほとんど必要のない挿入歌がいくつかあり、映画を盛り下げてしまっていた。ただし、エンド・クレジットで流れる「Sabse
Alag」は圧巻。現代のボリウッドを代表する大スターたちがなぜか出て来くるのだ。その名を挙げると・・・シャールク・カーン、アビシェーク・バッチャン、ボビー・デーオール、アルジュン・ラームパール、カラン・ジャウハル、スシュミター・セーン、プリーティ・ズィンター、プリヤンカー・チョープラー、ビパーシャー・バス、ラーラー・ダッターである。なぜこんなB級映画でこんな豪華競演が実現したのかは不明であるが、間違いなく映画最大の見所のひとつであろう。
時期的に「Krrish」の前座のような扱いの映画になってしまっていて可哀想だが、「Krrish」からタッチの差で「インド初のスーパーヒーロー映画」の称号をかすめ取った点、また、エンド・クレジットに前代未聞の豪華キャスト・ミュージカルが用意されている点で、特異な映画に仕上がっている。
ボリウッドにとって2006年はかつてないほどの豊作の年で、上半期だけでも既に数々のヒット作が生まれている。「Rang De Basanti」、「Aksar」、「Taxi
No. 9211」、「Malamaal Weekly」、「Gangster」、「36 China Town」、「Fanaa」、「Phir Hera
Pheri」などである。その好調な上半期のトリを飾る超期待作「Krrish」が先週の金曜日に公開された。公開と同時に記録的な興行成績を記録しているようで、やっと本日見ることができた。
「Krrish」はいくつかの点でボリウッドのランドマーク的映画である。まず、2003年の大ヒット作「Koi... Mil Gaya」の続編である点。「Phir
Hera Pheri」の映画評でも少し触れたが、インド映画で続編が作られることは今まであまりなかった。ハリウッドのように、前作よりも明らかにパワーダウンした続編映画ばかりが連発されるようになるのは避けてもらいたいが、結論から先に言うと、「Phir
Hera Pheri」も、この「Krrish」も、前作に勝るとも劣らない作品に仕上がっており、今のところ安心して見ていられる。ちなみに、「Phir
Hera Pheri」は前作を見た方が楽しめる映画であるが、「Krrish」は、前作のストーリーが映画中でうまく説明されているため、それほど前作の予習を必要としなかった(「Koi...
Mil Gaya」の映画評)。
そして、「Krrish」は、インド初のスーパーヒーロー映画という点でも特筆すべきである。インド映画の主人公は、1人で複数の悪党をなぎ倒したり、銃弾をひらりとかわしたり、ビルの屋上から飛び降りても死ななかったりと、元々スーパーパワーを持っているのだが、スーパーマン、バットマン、スパイダーマンのような、コスチューム物のスーパーヒーローは今までいなかったと言っていいだろう。先日公開された「Alag」も一応スーパーパワーを持った青年を主人公にした映画であったし、5月に公開された、タミル語映画「Anniyan」(2005年)のヒンディー語吹き替え版「Aparichit」もその線の映画であったが、コスチューム物のスーパーヒーロー映画なら、この「Krrish」がインド初ということになるだろう。
スーパーヒーロー映画には特撮アクションが欠かせない。「Krrish」は、おそらくインド映画史上最も特撮アクションに力を入れた映画に仕上がっている。これも大きな特徴だ。「Krrish」の特撮は、「Independence
Day」(1996年)、「Godzilla」(1998年)などのハリウッド映画や、「Koi... Mil Gaya」の特撮も担当した米国人特撮技師クライグ・ムンマとマーク・コルベによる。何らかの特撮が使われたシーンは合計90分に及び、インド映画史上最長だという。また、アクションは「少林サッカー」(2001年)、「英雄」(2002年)、「LOVERS」(2004年)などでアクション監督を務めた、「ワイヤーアクションの第一人者」と呼ばれる香港人監督、程小東(チン・シウトン)。よって、インド映画最高レベルのワイヤー&カンフーアクションも「Krrish」の大きな見所となっている。
「Krrish」は「Koi... Mil Gaya」と同じく、ローシャン一族のホーム・プロダクション的映画となっている。監督はラーケーシュ・ローシャン、音楽はその弟のラージェーシュ・ローシャン。キャストは、ラーケーシュの息子のリティク・ローシャン、プリヤンカー・チョープラー、ナスィールッディーン・シャー、レーカー、シャラト・サクセーナー、ヘーマント・パーンデーイ、プニート・イッサル、アルチャナー・プーラン・スィン、マーニニー・ミシュラー、ギン・シア(Gin
Xia)。プリーティ・ズィンターが一瞬だけ特別出演。
Krrish |
宇宙人ジャードゥーからスーパーパワーを授かったローヒト(リティク・ローシャン)は、恋人のニシャー(プリーティ・ズィンター)と結婚した。未来を読むコンピューターの開発を夢見る野心的科学者スィッダールト・アーリヤ(ナスィールッディーン・シャー)は、ローヒトのずば抜けた才能に目を付け、コンピューター開発チーフとして雇う。ローヒトは2年の歳月をかけてコンピューターを完成させたが、そのコンピューターによって自分がアーリヤに殺されること、またアーリヤがこのコンピューターを利用して世界征服を目論んでいることを知り、コンピューターを破壊する。そしてローヒトは殺されてしまう。【写真は、リティク・ローシャン(左)とプリヤンカー・チョープラー(右)】
一方、ニシャーはローヒトの子供を身篭っており、ローヒトの死と時を同じくして男の子を産んだ。その男の子の名前はクリシュナと名付けられた。だが、ニシャーはローヒトを失った悲しみに耐えることができずに死んでしまう。クリシュナは、ウッタラーンチャル州カサウリーに住むローヒトの母ソニア(レーカー)によって育てられる。
クリシュナが5歳になった頃、ソニアや学校の校長は、クリシュナにもローヒトと同じようなスーパーパワーが備わっていることに気付く。スーパーパワーのせいでローヒトを失ったと考えていたソニアは、クリシュナにも同じ災いが降りかかることを恐れ、山奥に引っ越す。クリシュナは、母親から絶対にスーパーパワーを人前で使ってはいけないと言いつけられながらも、内緒でそれを使って遊びながら、父親に瓜二つの純朴な若者(リティク・ローシャン)に育つ。
クリシュナはある日、仲間と山奥にキャンプに来ていたシンガポール在住インド人、プリヤー(プリヤンカー・チョープラー)と出会う。クリシュナは少しスーパーパワーをみんなに見せてしまうが、プリヤーたちはクリシュナと仲良くなる。やがてクリシュナはプリヤーに恋してしまう。プリヤーの親友ハニー(マーニニー・ミシュラー)は、クリシュナがプリヤーに恋してしまったことを感じ取り、それを彼女に言うが、プリヤーにはそういうつもりはなかった。プリヤーたちはキャンプを終え、シンガポールに帰る。
プリヤーとハニーはマスコミに勤めていた。シンガポールに帰ったプリヤーとハニーだったが、15日の休暇を勝手に20日に延長してしまっており、ボス(アルチャナー・プーラン・スィン)からクビを言い渡される。だが、機転を利かせたハニーは、猿のように木を登り、馬よりも速く走るクリシュナのことを話してボスの気を引き、何とかクビを免れる。ただし、おかげでクリシュナを何とかしてシンガポールに呼ばなくてはならなくなってしまった。
そこでハニーは、プリヤーに電話をさせて、クリシュナをシンガポールに呼び寄せることにする。プリヤーからの電話を受け取ったクリシュナは、早くプリヤーの母親に会わないと他の男と結婚させられてしまうと聞き、すぐにでもシンガポールへ行くことを約束する。だが、ソニアはクリシュナを行かせようとしなかった。自分をいつまでも山奥に閉じ込めておこうとするソニアの意図を理解できないクリシュナは怒るが、ソニアは彼に初めて、ローヒトとニシャーの話をする。それでも翌日、ソニアはクリシュナがシンガポールへ行くことを許す。
シンガポールに着いたクリシュナは、早速プリヤーの母親に会おうとするが、プリヤーとハニーは、母親は香港へ行ってしまったと嘘をつき、何とかクリシュナをシンガポールに滞在させることに成功する。2人はクリシュナのスーパーパワーをビデオに収めようとするが、人前でのスーパーパワーの使用を禁じられていたクリシュナは、普通の人を演じる。おかげでプリヤーとハニーはボスから完全にクビにされてしまう。
一方、クリシュナはシンガポール人武道家クリスチャン(ギン・シア)と友達になる。クリスチャンは、足の悪い妹のためにストリート・パフォーマンスを行ったり、サーカスで働いたりして金を稼いでいた。クリスチャンは、クリシュナをサーカスに誘う。プリヤーとサーカスを見に行ったクリシュナであったが、サーカスのテントが火事になってしまう。その衝撃でプリヤーは意識を失ってしまい、テントの中には数人の人が取り残されていた。その人々を救おうとするクリシュナであったが、スーパーパワーを人前で使うことは禁じられた。ふと、近くに落ちていたマスクが目に留まる。クリシュナはそのマスクを顔に付け、果敢に燃え盛るテントに飛び込んで、人々を救出する。その活躍は翌日の新聞やTVで大々的に報道され、目撃者の証言からニューヒーローは「クリシュ」と名付けられる。救出された子供は、クリシュのマスクのカケラを持っていた。そのカケラが一致するマスクを持参して自分がクリシュだと名乗り出た者には、人々を救出した功績により賞金が与えられることになった。
プリヤーとハニーは、最初はクリシュナこそがクリシュなのではないかと疑うが、クリシュナは相変わらずスーパーパワーを見せようとしないので、遂にはその疑いを解く。だが、クリシュナは、プリヤーにプレゼントした指輪を盗んだチンピラたちをクリシュになって懲らしめた後、マスクを外したところを、たまたま通りすがったクリスチャンにそれを見られてしまう。クリシュナはクリスチャンにクリシュのマスクを渡し、クリシュになって賞金を受け取るように言う。こうしてクリスチャンがクリシュとなってマスコミに登場し、一躍時の人となる。
また、プリヤーも次第にクリシュナのことを愛するようになっていた。プリヤーは、常に携帯していたハンディカムを家で再生していたところ、サーカスの火事のシーンが録画されていることに気付く。無意識の内に録画していたのだった。その映像には、クリシュナがクリシュのマスクを付けるシーンがはっきりと映し出されていた。遂にプリヤーとハニーはスクープ映像を手にしたのだった!
だが、クリシュナはたまたまプリヤーの母親と電話で話してしまい、プリヤーが嘘をついて自分をシンガポールに呼び寄せたことを知ってしまう。また、TV局でプリヤーとハニーが、クリシュナがクリシュになる映像を嬉しそうに編集しているところも見てしまう。失望したクリシュナは、荷物をまとめて故郷へ帰ることに決める。クリシュナは必死に引き留めるプリヤーを振り払って空港に向かう。
ところが、プリヤーは偶然重要な人物と巡り会う。スィッダールト・アーリヤの右腕、ヴィクラム・スィンハー(シャラト・サクセーナー)であった。ヴィクラム・スィンハーはローヒトの部下として未来予知コンピューターの開発に携わった人物であり、ローヒトの息子クリシュナを探していた。プリヤーとヴィクラムは、空港でクリシュナを呼び止める。そしてヴィクラムは衝撃的事実を口にする――ローヒトはまだ生きている!
ローヒトが開発したコンピューターは、ローヒトの網膜と心臓の鼓動パターンがパスワードになっていた。コンピューターの開発を諦めていなかったアーリヤは、そのためにローヒトを殺さずに廃人状態にして生かしておくと同時に、世間にはローヒトは死んだと伝えていたのだった。ローヒトはシンガポールにあるアーリヤの要塞に幽閉されていた。あれから20年間、アーリヤはローヒトが残した研究ノートをもとにコンピューターを再開発させ、遂に完成させていた。もしコンピューターが起動すれば、ローヒトは用無しとなって殺されてしまうことは確実であり、そのコンピューターを悪用してアーリヤが世界を支配することも明らかであった。クリシュナは、何としてでもそれを止めることを決意する。
だが、アーリヤは既にコンピューターを起動させてしまっていた。そのコンピューターにより、自分がクリシュに殺されることを知ったアーリヤは、予めクリシュを殺して未来を変えようとする。世間の人々はクリシュの正体はクリスチャンだと思っていた。よって、アーリヤはクリスチャンを自らの手で殺害する。クリスチャンが殺されたことを知ったクリシュナは、再びクリシュのマスクを顔に付け、アーリヤの後を追う。
アーリヤの要塞に忍び込んだクリシュナは、一路ローヒトの囚われている部屋へ向かう。だが、コンピューターによって自分が殺したのはクリシュではなかったこと、また本物のクリシュが既に要塞に忍び込んでいることを知ったアーリヤは先手を打ち、ヴィクラムを殺すと同時にローヒトとプリヤーを人質に取ってクリシュが来るのを待ち構える。クリシュはそれでもスーパーパワーを使って2人を救い、アーリヤを殺す。
故郷に帰ったクリシュナとプリヤー、そしてローヒト。ローヒトは母親ソニアと感動の再会を果たす。そして宇宙に向けてジャードゥーに感謝のメッセージを送る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「インド初のSF映画」という鳴り物入りで「Koi... Mil Gaya」が公開されたとき、「どんなゲテモノ映画になっていることか」と不安と怖いもの見たさが入り混じった気分で映画館に足を運んだものだった。だが、その不安は見事に裏切られ、「Koi...
Mil Gaya」はインド映画の良き伝統を保持しながらも、ハリウッドの得意ジャンルに果敢に切り込んだ野心作に仕上がっていた。その「Koi...
Mil Gaya」の続編、しかも今度は「インド初のスーパーヒーロー映画」である。不安は前回よりも少なかったが、それでもやはり一抹の不安を覚えずにはいられなかった。だが、今回もその不安は杞憂に終わったと言っていいだろう。「Krrish」はインド映画の可能性を広げる素晴らしい映画であった。
「Koi... Mil Gaya」と「Krrish」に共通する長所は、非インド的な映画ジャンルをインド的味付けにすることに成功していることだ。これらの映画を、「ET」や「スーパーマン」のパクリだと一言で片付けてしまうことは簡単だ。特に、映画好きだがインド映画にあまり愛着のない人は、そうやってこれらの映画を映画史の隅に追いやってしまおうとするだろう。だが、そういう人々はインド映画の独自の努力をあまり知らない。おそらく社会派映画や芸術映画のジャンルで優れた映画を作ることはそれほど難しいことではない。特にインドのような数々の問題が山積した国では、そのような映画の題材に困ることはないだろう。そして批評家や一部のハイソな観客の涙腺に訴えるような作品を作れば評価が得られるのだ。だが、娯楽映画は難しいジャンルだ。娯楽映画はなるべく多くの人々を楽しませなければならない。なるべく多くの人々――それは最終的には同じ言語、文化、社会を共有する全ての人々を意味する。そのためには、一般庶民の求めるものを正確に読み取って作品にしていかなければならない。しかも、世界の娯楽映画はほぼハリウッドに独占されてしまっている。娯楽映画のジャンルでハリウッドにかなう映画界は世界にはない。特に、ハリウッドほどの巨額の予算を投じた娯楽映画を年間何十本もリリースできるような映画界がどこにあるだろうか?娯楽映画を作る際、あらゆる意味で必ずハリウッドの娯楽映画が前に立ちはだかる。最も簡単なのは、娯楽映画を全てハリウッド任せにしてしまうことだ。その安易な対応のせいで、ハリウッド映画はさらに勢力を拡大してしまう。その中でも、インドは国産映画がハリウッド映画よりも圧倒的な人気を誇るほぼ唯一の国だ。予算や興行収入ではボリウッドはハリウッドの足元にも及ばないが、もし制作本数や国際的人気の点でハリウッドに対抗できる映画界が存在するとしたら、それはボリウッドだけだろう。ボリウッドは娯楽映画の牙城をハリウッドに明け渡すことを潔しとせず、独自の価値観に従った娯楽映画の伝統を築き上げている。一般に、明らかに自分よりも巨大で優れた存在に対抗していくためには、それと全く別の路線を行くか、それともそのいいところを巧みに取り込んで自分の血肉としていくしかない。ボリウッドはどちらの方向にも進んでいる。「Koi...
Mil Gaya」と「Krrish」は、後者の努力をし、それを成功させた映画だと言える。
「Koi... Mil Gaya」と同じく、「Krrish」もその表の華々しいテーマとは裏腹に、基本となっているのは家族愛と男女の恋愛である。特にクリシュナとソニアの関係、つまり祖母と孫の関係はこの映画の最も重要な柱となっていた。スーパーヒーローに「自分の正体を明かしてはならない」というタブーは付き物だが、クリシュの場合、そのタブーが祖母の言いつけである点に特に注目したい。スーパーヒーロー映画に、単なる伏線ではなく、家族の絆をここまで大々的に持ち込んだのは、「Krrish」が初めてかもしれない。その代わり、男女の恋愛への比重はハリウッドのスーパーヒーロー映画に比べて少なかったと言える。また、スーパーヒーロー・クリシュが登場して活躍するのは後半の後半だけで、実はそれほどスーパーヒーロー自体に比重が置かれていなかったのも、いい意味での裏切りであったし、この映画の成功の秘訣のひとつであろう。
ヒマーチャル・プラデーシュ州のクッルー谷が舞台となっている前半と、シンガポールが舞台になっている後半の対比も見事であった。特に雄大なヒマーラヤ山脈の光景が目白押しの前半は、海外向けに「インドのプライド」を発信するのにふさわしかった。ソニアとクリシュナが隠れ住んでいた山奥は、マナーリーから20kmのパティクハルという村のようだ。一方、シンガポール政府は近年、自国を映画のロケ地として売り出しており、「Krrish」はその誘致に応えた最初の映画となった。よって、シンガポールでのロケは政府からの全面的なバックアップを得たようだ。シンガポールはサンスクリット語の「スィンハプラ(獅子の街)」が語源で、インド系移民も多く、元々インドとのつながりの強い場所。シンガポールでの登場人物をインド人だけにしてしまっても違和感はそれほどなかったと思うが(インド映画では海外のシーンでなぜか都合よくインド人がしゃしゃり出てくることが多い)、中国系の俳優やエキストラも多く出演しており、とても現実的であった。このヒマーラヤとシンガポールの2ヶ所をロケ地に選んだのは、インド製スーパーヒーロー映画を作るに当たって適切なチョイスだったと言えるだろう。
そして映画をインド色に染める上で忘れてはならないのはミュージカル・シーン。「Koi... Mil Gaya」ではSF映画にミュージカルとダンスを融合させるという離れ業をやってのけたが、スーパーヒーロー映画「Krrish」はそれに比べたらミュージカルとの相性は悪くはなかっただろう。前半のヒマーラヤのシーンでは、山岳音楽っぽいメロディーの「Chori Chori Chupke Chupke」と「Pyar Ki Ek Kahani」、後半のシンガポールのシーンでは、ポップなノリのラブソング「Koi Tumsa Nahin」とリティクの超絶ダンスが炸裂する「Dil Na Diya」が流れる。どのミュージカル・シーンも無駄のない挿入の仕方だったと思う。ボリウッド界最高のダンサー、リティクの踊りも十分に堪能できる。ただし、音楽は全体的に「Koi... Mil Gaya」の方がよかったかもしれない。
主人公クリシュナと、前作の主人公ローヒトの二役を演じたリティク・ローシャンは、名実共にスーパースターとして成熟したと言っていいだろう。そして前作に引き続き、子供たちの人気を独り占めするだろう。リティクのスクリーン登場は2004年の「Lakshya」以来となる。一時フロップ続きの時期があったせいか、リティクは出演作を吟味し、基本的に映画を掛け持ちしないことに決めたようだ。アーミル・カーンと同じ道を進んでいる。クリシュナ役を演じるリティクは長髪がなかなか似合っており、さらにハンサムになったような気がする。そのくせローヒト役を演じるときは「Koi...
Mil Gaya」のときのままのおかしな顔をしていた。この顔の使い分けが彼の一番すごいところかもしれない。踊りもますますうまくなっている。彼の踊りを真似できる人はほとんどいないだろう。
ヒロインのプリヤンカー・チョープラーは、元からいかにも「スーパーヒーロー映画の正統派ヒロイン」と言った感じの容貌なので、適役だったと言える。「目をつぶって」と言われて目を大きく見開くところがかわいかった。プリヤーの親友ハニー役のマーニニー・ミシュラーは、いかにも「ヒロインの親友」と言った感じの引き立て役っぽい顔をしていて、これまた適役だった。これからも脇役女優として大きく羽ばたいていきそうだ。
「Koi... Mil Gaya」に続き連続出演のレーカーは、1人だけ周囲とは違うオーラを放つ迫真の演技。迫真過ぎて映画のバランスを崩していた部分もあるかもしれない。しかし、レーカーだから仕方ない。まだまだレーカーはボリウッドに健在である。
その他、パハーリー訛りの言葉でカーリーチャランとチャンパーの悲恋話を聞かせるバハードゥルを演じたヘーマント・パーンデーイ、悪役かと思ったら味方だったヴィクラム・スィンハーを演じたシャラト・サクセーナー、憎々しいボスを演じたアルチャナー・プーラン・スィンなどがよかった。
スーパーヒーロー映画では宿敵の存在も重要だ。クリシュの宿敵、スィッダールト・アーリヤ博士を演じるのはナスィールッディーン・シャー。彼は演技派男優なのだが、けっこう軽めの映画にも出演している。そういえば「Main
Hoon Na」(2004年)にも少しだけ出演していた。「Krrish」のナスィールディーン・シャーは、楽しんでマッド・サイエンティストに成り切っている感じだった。スーパーヒーローの宿敵はあらゆる手段で世界征服を試みるものだが、「Krrish」のアーリヤ博士は、コンピューターの力で未来を読むことにより世界征服を夢見た。例えば核兵器などの大量破壊兵器を手中に収めようとしたり、世界の政治や金融を何らかの手段で支配しようとしたりするという選択肢もあったはずだが、「未来を読む」といういかにもインド的な、かつ分かりやすい行為を、コンピューターというこれまたインドと結びつけて語られることの多い媒体によって成し遂げようとするマッド・サイエンティストを宿敵に設定したことも、この映画の優れた点のひとつに数えることができるだろう。ちなみに、アーリヤがコンピューターの起動を1日前倒しすることを決定するシーンでは、中世バクティ詩人カビールの有名なドーハー詩「Kal
kare so aaj kar, aaj kare so ab(明日できることは今日やりなさい、今日できることは今日やりなさい)」が引用されていた。これもまたインド的である。
クリシュのコスチュームはバットマンに近く、その動きはスパイダーマンに近いと言っていいだろう。クリシュは、「人前でスーパーパワーを使ってはいけない」という祖母の言いつけと、目の前で炎に包まれる人々を助けたい衝動の板ばさみの中で、正体を隠してスーパーパワーを使うことを思い付く。そしてサーカス会場に落ちていた欠けた仮面を顔に付け、火の中に飛び込んでいく。そして、「あなたは誰?」と聞く中国系の子供に、「僕の名はクリシュナ」と答えるが、それが「クリシュ」と聞き間違えられ、ニュースにより一気に「スーパーヒーロー・クリシュ」として知られるようになる。スーパーヒーロー誕生の瞬間は、どのスーパーヒーロー映画でも最も重要な場面だが、「Krrish」のこの流れは非常に自然で説得力のあるものだった。さらに、クリスチャンという中国系の青年がクリシュナの代わりにクリシュを名乗り、後にアーリヤに殺される、という伏線まで用意されていた。
これがクリシュだ!
クリシュナまたはクリシュの超人的な動きには、「スパイダーマン」シリーズなどと比べると不自然な部分が少し見受けられたが、インド映画レベルなら合格点と言っていいだろう。クリシュナがクリスチャンの真似をしてカンフー・アクションをするシーンがあったが、そのときのリティク・ローシャンの動きは香港のカンフー俳優のようであった。これはリティクの持ち前の運動神経のおかげなのか、程小東アクション監督のおかげなのか、はたまた映像の力なのか。とにかく、この「Krrish」は、インド映画と香港映画の融合を推し進めたと言っていいだろう。映画中でも、「ヒンディー・チーニー・バーイー・バーイー(インド人と中国人は兄弟さ)」というセリフもあった。近い将来、カンフーの香港中国映画と、ナヴァラサのインド映画の華麗なる融合により、もしかしたら何かすごい映画ジャンルが誕生するかもしれない。
ところで、最近のインド映画はわざとらしい商品の広告がうるさい。「Krrish」でも、子供向けチョコレート・ドリンク「Bournvita」、洗剤「Tide」、ポテトチップス「Lay's」、ヒーローホンダ社のバイク「Karizma」など、あからさまな登場の仕方をしていた。おそらくこの商業主義的な行為を見て多くの観客はいい気分がしないだろうが、僕はこれらの動きを一応前向きに捉えている。なぜならインド映画界の資金源がブラック・マネーからクリーン・マネーに変わって来ていることを表していると捉えることができるからだ。インド映画界とマフィアの関係は公然の秘密であり、その資金源の多くはブラックマネーと言われている。だが、最近のインド映画の資金源は、出所が明らかなものに変わって来ているように思える。映画中にわざとらしく登場する商品広告やスポンサー表示がその表れのひとつであろう。
「Krrish」はあらゆる意味で今年最も重要な作品のひとつと言える。インド映画最高の特撮映像を、ダンスを、アクションを、映画館で楽しむべし。
◆ |
6月29日(木) アイテムガール、それぞれの道 |
◆ |
ボリウッドではいつの頃からか、「アイテムナンバー」「アイテムガール」というタームが用いられ始めた。
まずは「アイテム」という言葉から説明しなければならないだろう。「アイテム」とは英語の「item」であるが、ヒンディー語、特にムンバイーのヒンディー語(ムンバイヤー・ヒンディー)ではスラング的使われ方がされている。その意味はズバリ、「セクシーな女の子」という意味だ。例えば、こんなシチュエーションで使われる――道端に仲間たちと座ってだべっているとき、目の前をセクシーな女の子が通りがかる。すかさず仲間同士で「キャー・アイテム・ハェ、ヤール!(あのオンナ、ホットだぜ!)」と言い合う――もちろん、女性に対して直接言っていい言葉ではない。「アイテム」の類義語として、「マール(maal)」がある。これは「高価な品物」という意味で、「キャー・マール・ハェ、ヤール!」という言い方も出来る。
そして、そのムンバイヤー・ヒンディーの「アイテム」を冠した「アイテムナンバー」とは、映画中に挿入される、ストーリーとはほとんど関係ないダンスナンバーのことである。ただし、ただのダンスシーンではない。アイテムナンバーには、セクシーな衣装を身にまとい、セクシーなダンスを踊る「アイテムガール」が登場することが重要である。アップテンポで踊りやすいアイテムナンバーの曲は、他のストーリーと比較的関係のある曲に比べてヒットする確率が高い上に、色気を求めて映画館に足を運ぶ観客向けに、映画の予告編としてTVなどでよく流される。よって、デビューしたての若手ヒロイン女優よりも、アイテムガールの方が人々に顔を覚えてもらえやすいということもある。
アイテムガールの起源を遡ればおそらくヘレンやビンドゥーまで行き着くのであろうが、ここまでもてはやされるようになったのはつい最近のことである。「Company」(2002年)の「Khallas」(イーシャー・コーッピカルの出世作ダンスナンバー)あたりからアイテムナンバー、アイテムガールという言葉が使われ始めたように記憶しているが、特にその言葉が普及する契機となったのは、「Shakti」(2002年)の「Ishq
Kaminaa」だったのではないかと思う。「Ishq Kaminaa」では、アイシュワリヤー・ラーイが、ゲスト出演のシャールク・カーンの夢の中に現れて踊るアイシュワリヤー自身としてアイテムガール出演し、ストーリーとは全く関係ないセクシーな踊りを披露した。映画自体はそれほどヒットしなかったのだが、アイテムナンバー「Ishq
Kaminaa」だけは爆発的にヒットした。そして、翌年の2003年には「Kaanta Laga」のミュージックビデオが「あまりにエロすぎる」ということで物議を醸しながらも大ヒットする。ちなみに、この「Kaanta
Laga」を収録した「DJ Doll」というCDは、超オススメである。さらに2004年は「Murder」に代表される「スキンショー」の年である。あの年は、「女優を極限まで脱がせれば売れる」「激しい濡れ場を前面に押し出せばヒットする」という幻想が渦巻いていた年であった。一応、スキンショーだけが売りの作品の大失敗が続いたため、肌を見せるだけでは売れないということが認知され、その傾向は峠を越えたが、極限を経験して免疫ができてしまったためか、あれ以来、ボリウッドにおいて猥褻な映像に対する規制は緩くなったように思える。また、スキンショー映画の失敗の要因のひとつは、家族で映画館に見に来る観客層を無視してしまったことだ。その失敗を生かし、映画全体は家族で安心して見ることができるホームエンターテイメントだが、1、2曲だけちょっとセクシーな挿入歌を入れて、色気を求める層にもアピールする、というテクニックが使われるようになったように見える。これら一連の流れの中で、アイテムナンバーとアイテムガールがボリウッドに欠かせない要素として定着して行ったと言っていいだろう。
しかしながら、女性を「アイテム」呼ばわりし、女性の肉体だけを売り物にし、搾取する風潮に反発も多い。日頃からセクシーなイメージが付きまとっているため、通常の女優よりもストレートに男性の性欲の対象となる傾向にあり、それを巡るトラブルも絶えないようだ。大半のアイテムガールも、アイテムガールと呼ばれるのを嫌っている。「アイテムガール」は、より普及しているターム「セックスシンボル」とほぼ同義語と言っていいかもしれないが、セックスシンボルがまだ女優に近い存在であるのに対し、アイテムガールは女優以下、プロのダンサー以下の存在として扱われることが多く、ひどい場合は売春婦と同等の扱いを受けるようだ。だが、若い女の子の中には、女優志望ではなく、わざわざアイテムガールを志望する人が出てきたりしているという記事を読んだことがあり、アイテムガールに対する感情は多様化のときを迎えているのかもしれない。
ところで、タイムズ・オブ・インディア紙に付録として付いてくるエクスプロアという小冊子に、現代を代表する3人のアイテムガールが特集されていた。ラーキー・サーワント、ムマイト・カーン、コーエナー・ミトラーである。3人ともアイテムガールとして名声を勝ち得た女性たちだが、その後の彼女たちの人生や考え方はとても対照的で面白かった。
まずはラーキー・サーワント。自称「A級アイテムガール」のラーキーは、ボリウッドで最もお騒がせなトラブルメーカーでもある。彼女は、アイテムガールであることに誇りを持っているタイプで、これからもアイテムガールとして君臨していくつもりのようだ。トラブルメーカーなだけあり、よく新聞のゴシップ記事の主人公になったりするのでけっこう有名な人物なのだが、映画だけしか見ていない人にはあまり知られていないかもしれない。「Main Hoon Na」(2004年)でマイクロミニスカートをはいてザイド・カーンを誘惑していたミニ役がラーキー・サーワントである、と言えば分かる人は多いだろう。トカゲみたいな顔をしており、僕はあまり美人だとかセクシーだとか認めていないのだが、最近よく話題になるアイテムガールである。
ラーキー・サーワント
最近最も話題になったのは、「ミカ・スィンの強制キス疑惑」である。パンジャービー・シンガー、ミカ・スィンの誕生日パーティーに出席したラーキーが、公衆の面前でミカに無理矢理キスされたと主張したことにより巻き起こったスキャンダルだ。パーティーはTV局によって撮影されており、ミカがラーキーにキスをする様子もカメラにバッチリ収められている。ラーキーはセクハラ事件としてミカを訴えると同時に、国家女性評議会(NCW)にも申し立てを行っている。
ミカ・スィンに無理矢理キスされるラーキー・サーワント
周囲の人々の表情が何とも・・・
やはり、アイテムガールには「軽いオンナ」というイメージが付きまとっており、それがミカ・スィンのような男をこのような行為に走らせるのだろう。だが、この事件には疑問点も多い。「Kaanta
Laga」で有名なアイテムガール仲間のシェーファーリー・シャーもこのパーティーに出席していたのだが、彼女は「ラーキーはパーティーを楽しんでいた。私はこのような事件が起こったことは全く知らなかった」と語っている。また、最初にミカにキスをしたのはラーキーの方で、ラーキーのボーイフレンドがそれに対して怒ってミカと口論になり、ミカのボディーガードに殴り飛ばされたとの話もある。もっともありえる流れは、@ラーキーがミカにバースデー・キス、Aラーキーのボーイフレンドが激怒し、ミカと口論、Bラーキーのボーイフレンドがボディーガードに殴り飛ばされる、C逆切れしたミカが、ラーキーのボーイフレンドをからかうためにラーキーに強制キス、なのではなかろうか?
だが、ラーキー・サーワントの方もいろいろ計算してスキャンダルを巻き起こしている節があり、彼女の言い分をそのまま信じることも危険だ。ちょうど本日6月29日付けのデリー・タイムズ・オブ・インディア紙には、ラーキー関連の不思議な記事が掲載されていた。ラーキー・サーワントが、インド有数の大富豪であるヤシュ・ビルラーとその妻アヴァンティーに招待されてディナーを食べ、食後にダイヤモンドの指輪をプレゼントとして受け取ったと主張しているのに対し、アヴァンティーの方は、「私はラーキー・サーワントのことなど知らない。もちろん彼女のことは新聞で読んで知っているが、彼女をディナーに招待した覚えはない。私たちが友人のムスタファー・エイサーのレストランで食事をしながらラーキーの問題を話し合っていたとき、偶然そばにラーキーが座っていた。彼女は私たちのテーブルのところに来て自己紹介をした。ただそれだけ」と語っている。
エクスプロア誌には、いくつかラーキーの強気な発言が掲載されていた。例えば・・・「男が女を踊らせる時代は終わったわ。今は女が男を踊らせる時代よ」、「ムムターズ(60年代〜70年代に活躍した女優)もアイテムガールとしてデビューして主演女優にまで登りつめたわ。でも私はアイテムガールと呼ばれることを選んだ。私はそれに誇りを持っている。これは私が選んだフィールドよ」、「私が欲望の対象となっているのは知っているし、男が私を求めることは嫌いではないわ。私のショーには少なくとも2万5千人のファンが詰め掛けるわ。彼らは私に触りたくて、私を感じたくてたまらないの。私は誰も止めることができない。私の一挙手一投足が狂乱を巻き起こすの」、「男はダブル・スタンダードの視点を持っているわ。彼らは私のことが好きだけど、その事実を自分で嫌っているの。私はソフトポルノ映画に出演するC級女優などではないわ。私はA級のアイテムガールよ」などなど。そして彼女はこんなことも言っている。「映画界はただ飯を食らわせてくれるような場所ではないわ。でも私はこの業界の男たちをどうやって扱ったらいいのか知っているわ。」。ラーキーは、常に自分を映画界の話題の渦の中に置くことの必要性をよく理解しているように見える。
ちなみに、エクスプロア誌によると、ラーキーの父親は警察官らしく、ラーキーにも同じ道を歩んでもらいたかったようだ。残念ながらラーキーはアイテムガールとしての道を選んだが、「男たちを投げ飛ばすために」柔道や空手を習っていたこともあったらしい。一方、母親は女優志望だったようだが、途中で挫折した過去を持っているようだ。もしかしたらそれがラーキーをアイテムガールの道に向かわせることになったのかもしれない。また、ラーキーは美容整形手術を受けたことをやんわりと否定している――「整形手術を受けるには私は若すぎるわ。でも、私は整形反対派ではない。映画界は競争が激しいから、その必要は増しているわ。」
ゴシップではなく本業の方のラーキーは今、兄ラーケーシュ・サーワントが監督を務める「Hot Money」という映画で、2000枚の1ルピーコインからできた服を着て踊ることが話題になっている。
次に取り上げるのはムマイト・カーン。彼女はラーキー・サーワントよりも無名のアイテムガールだが、「Munna Bhai MBBS」(2003年)の「Dekh
Le」というアイテムナンバーを踊ったアイテムガールだと言えば分かる人は少なくないのではなかろうか?女性に触れたこともなく死を前にした患者(ジミー・シェールギル)の前で、ムマイト・カーンは「死ぬ前に生きることを学びなさい」とセクシーな踊りを踊る。これこそが、13歳のときからエキストラとして下積みを重ねて来た彼女の本格デビュー作であった。
ムマイト・カーン
「Dekh Le」以来、彼女のもとにはひっきりなしに映画やショーへの出演依頼が届くようになった。特に映画よりもショーの方が金になるようで、毎日のようにショーに出演して、「Dekh
Le」などを踊っているようだ。子供の頃からシュリーデーヴィーやマードゥリー・ディークシトの真似をして踊るのが日課だっただけあり、人前で踊ることに抵抗はないようだが、アイテムガールと呼ばれることは毛嫌いしている。ムマイト・カーンは、アイテムガールと呼ばれることに対してこう語っている。「私はパフォーマーよ。でも、誰も私たちをダンサーとして見てくれない。私たちは『アイテム』に過ぎないんだわ。でも、他の人たちが考えていることなんてクソくらえだわ!」
彼女は「Munna Bhai MBBS」以来、8本の映画に出演しているが、ほとんどアイテムガール出演であり、まだまだヒロイン女優には程遠い。しかしながら、アイテムガールとしての人気が爆発したおかげで、収入も飛躍的に増えたようだ。まだ20歳なのにも関わらず、既に自分の家を購入している。彼女自身も、アイテムガールは「ファスト・マニー、グッド・マニー(手っ取り早く儲けることができる)」と認めている。映画へのアイテムガール出演の他、ムマイト・カーンはインド・ポップのバンド、ボンベイ・バイキングスやコロニアル・カズンズのミュージックビデオにも出演している。
現在、ムマイト・カーンは中国で織物業に携わっている姉と共に、織物の貿易を始めることを計画しているという。彼女は、ボリウッドでは急激に高まった人気がバブルのようにすぐに弾けてしまうことをよく理解しており、アイテムガールで儲けた金を使って別の道を歩むことを模索している。
最後に取り上げるのはコーエナー・ミトラー。彼女は、「Road」(2002年)のアイテムナンバー「Khullam Khulla」でアイテムガール・デビューしたアイテムガールで、現在は「女優」として脱皮しようとしている。
コーエナー・ミトラー
コーエナーは、「Road」でのデビューに関して興味深いことを語っている。「私は、その歌はミュージックビデオのようなもので、美しく撮影してもらえると聞いて出演したわ。でも、後でそれは罠だったと分かったわ。私は『アイテムガール』とレッテルを貼られて、それ以来アイテムナンバーしかオファーが来なくなってしまったわ。」
「『Road』のおかげで映画デビューできたのからよかったのでは?」との問いには、「私はそのときスーパーモデルで、無理に映画デビューする必要はなかった」と答えている。アイテムガールと呼ばれることによっぽど嫌気が差したのか、それ以来彼女は映画界から遠ざかっていた。映画に復帰したのは「Musafir」(2004年)である。「Musafir」のアイテムナンバー「Saaki」で彼女は踊りを踊っているものの、一応役も与えられており、彼女としては、「アイテムガール」としてではなく、「女優」としての映画界復帰だったようだ。だが、世間ではコーエナー・ミトラーは、やはり女優としてよりもアイテムガールとして認知されている。以後、「Insaan」(2005年)や「Ek Khiladi Ek Haseena」(2006年)にも出演しているが、どちらでも「アイテムナンバーも踊るヒロイン女優」という微妙な役を演じている。
また、彼女はエクスプロア誌のインタビューの中で、「どうして女性をアイテム呼ばわりすることが許されるの?とても軽蔑的な言葉だわ。そのくせ、男性スターが映画の一曲で踊ったら『友情出演』になるのも変な話だわ」と語っている。だが、確かアビシェーク・バッチャンが「Rakht」(2005年)のアイテムナンバー「Kya Maine Socha / One Love」に出演したときは、「アイテムボーイ」と呼ばれて話題になっていたように記憶している。
アイテムガールを巡る問題はこれからも度々起こるだろう。そして、アイテムガールとして名声を獲得した女性たちのその後も様々だろう。だが、アイテムナンバーがサントラCDのヒットに貢献しやすいことや、アイテムガールがお色気目当ての観客を呼び込むことができることから、アイテムナンバーとアイテムガールはこれからますますボリウッド映画のヒットの方程式に組み込まれて行きそうだ。
◆ |
6月29日(木) ムンバイヤー・ヒンディー講座2 |
◆ |
上の記事で「アイテム」の用法について調べていたら、ムンバイヤー・ヒンディーの語彙がまとめられたサイトを発見した。なかなか参考になったので、それらをまとめておいた。参考にしたサイトは、WikipediaとMetroblogging Mumbaiである。
ボリウッド映画はムンバイーで主に作られているため、その言語にムンバイーで流行している語彙やフレーズが入ることは珍しくない。特に、チンピラ、マフィア、コメディアンなどが話す言語がムンバイヤー・ヒンディーであることが多い。よって、ヒンディー語映画を理解するのにムンバイヤー・ヒンディーの知識は役に立つ。ムンバイヤー・ヒンディーは、バンバイヤー・ヒンディー、タポーリー・バーシャーなどとも呼ばれ、ヒンディー語、マラーティー語、英語やその他の言語の混交言語となっている。独特のリズムと調子があり、真似するのはなかなか難しい。関東弁に対する関西弁のようなものだと言ってしまってもいいかもしれない。
ちなみに、「これでインディア」では過去にも同じようにムンバイヤー・ヒンディーの特集をしている。2004年4月10日のムンバイヤー・ヒンディー講座と、同年12月5日のヒンディー語講座マフィア用語編である。興味のある人は、それらも併せて見てもらいたい。
- Apun アプン
- ムンバイーの人がよく使う1人称代名詞。
- Bawa/Bawaji バーワー/バーワージー
- 「パールスィー教徒」のこと。
- Bhaiya バイヤー
- 原義は「兄弟」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、北インドから来た人々のことを指す。デリー、ビハール州、ウッタル・プラデーシュ州、マディヤ・プラデーシュ州など。
- Bus Kya バス・キャー
- 「当たり前だ」という意味。
- Boss ボス
- 英語の「Boss」。ムンバイーで、友人や見知らぬ人に対して呼びかけるときによく使われる言葉。
- Chappan Tikli チャッパン・ティックリー
- 原義は「56個の斑点」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「にきび面の人」のことを指す。
- Chava/Chavi チャーヴァー/チャーヴィー
- 原義は「ライオンの子供」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「ボーイフレンド/ガールフレンド」の意味で使われる。
- Chayla チャーイラー
- 「馬鹿な奴」という意味。
- Chikna/Chikni チクナー/チクニー
- 原義は「きれいに髭をそった」「スムーズな」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「生意気な態度を取る新米やガキ」という意味になる。
- Chinese Gaadi チャイニーズ・ガーリー
- 原義は「中国の車」。ムンバイーの道端に並んでいる中華料理の屋台のことを指す。これらの屋台は、近所のアパートで夜間警備員として働くネパール人が経営していることが多いという。
- Chotay チョーテー
- 原義は「小さい人」。安食堂や小さな店で働いている子供のことを指す。類義語は「ラームー(Ramu)」「タンビ(Tambi)」。後者はタミル語。
- Cutting カッティング
- 英語の「Cut」から来ている。ムンバイーではグラスに半分のチャーイのことを「カッティング」と言う。ムンバイーでは、2人でひとつのグラスのチャーイを飲む習慣があった。それを見たあるチャーイ屋が、1人の客に半分の量のチャーイを出すことを思い付き、この言葉が生まれたという。
- Dedh Dimaag デール・ディマーグ
- 原義は「1.5の脳みそ」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「気取った奴」「馬鹿な奴」という意味。
- Dhakkan ダッカン
- 原義は「蓋」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「馬鹿」という意味。
- Dhoop Chaav ドゥープ・チャーウ
- 原義は「光と影」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、「道端で営業している床屋」という意味。屋根で日陰を作っているが、必ず穴が開いていて光が差し込んでいるため、この言葉ができたようだ。
- Dimaag Ka Dahi ディマーグ・カ・ダヒー
- 原義は「脳みそのヨーグルト」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「いらいらする」「むかつく」という意味になる。【例文】Dimaag Ka Dahi
Mat Bana(俺をいらいらさせるな)。
- Do Number ドー・ナンバル
- 原義は「ナンバー2」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「何らかの違法行為」のことを指す。ちなみに法律に準じた行為は「エーク・ナンバル」。
- Double Battery ダブル・バッテリー
- 度付き眼鏡をかけている人のことを指す。類義語に「バッテリー」や「Dhapnya(ダプニヤー)」がある。後者はマラーティー語。
- Fultoo フルトゥー
- 「素晴らしい」という意味。「無駄」「無意味」という意味の「ファールトゥー」と混同しやすいので注意。「フルトゥー」には「酒を飲む」という意味もある。【例文】Tu
Kya Roz Fultoo Hota Hai?(お前毎日飲んでるのか?)
- Gadhaa Majoori ガダー・マジューリー
- 原義は「ロバの仕事」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、「退屈な仕事」「重労働」という意味。
- Ghantaa ガンター
- 原義は「大きな鐘」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「それは無理だ」という意味になる。例えば、「週末も会社に来い」「ガンター!」という風に使う。
- Ghati ガーティー
- 原義は「谷に住む人々」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、マハーラーシュトラ州の田舎から来た人々のことを指す。
- Ghoda ゴーラー
- 原義は「馬」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「銃」という意味。
- Ghungroo Salman グングルー・サルマーン
- 原義は「巻き毛のサルマーン」。サルマーンとは、ボリウッド・スターのサルマーン・カーンのこと。自分のことをヒーローだと思い込んでいるださい勘違い野郎のことを指す。
- Gulti グルティー
- アーンドラ・プラデーシュ州から来た人々のことを指す。どうやら「テルグ」の語順を逆さにした言葉のようだ。
- Haila ハイラー
- 元々は「Hai Allah」。「オーマイゴッド」みたいな意味で使われる。
- Hilna ヒルナー
- 原義は「揺れる」という動詞。ムンバイヤー・ヒンディーでは「驚く」という意味。【例文】Ekdum Hil Jayega Tu(お前、絶対に驚くぜ)。
- Jhakaas ジャカース
- 「素晴らしい」という意味。
- Jhol ジョール
- 「トラブル」という意味。【例文】Are Yaar, Jhol Ho Gaya(くそ、困ったことになったぜ)。
- Kaiko カイコー
- 「なぜ?」という意味。
- Kalti カルティー
- 「どっかへ行く」という意味。【例文】Chal, Apun Kalti Maarta Hai(よし、俺はもう行くぜ)。
- Khajoor カジュール
- 原義は「ナツメヤシ」?ムンバイヤー・ヒンディーでは「馬鹿な奴」という意味。
- Kharcha Pani カルチャー・パーニー
- 原義は「給料」。転じて「賄賂」。ムンバイヤー・ヒンディーでは誰かを殴ることを言う。【例文】E, Du Kya Kharcha Pani?(おい、殴るぞ)。
- Laandya ラーンリヤー
- 原義は「ペニス野郎」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「イスラーム教徒」のことを指す。
- Lafda ラフラー
- 原義は「やっかいなこと」。ムンバイヤー・ヒンディーでは、「トラブル」「喧嘩」「暴動」という意味になる。【例文】Apunko Lafda Nahin
Chahiye(トラブルはごめんだぜ)。
- Madrasi マドラースィー
- 原義は「マドラス(現チェンナイ)の人」。ムンバイーよりも南から来た人々は、ゴアから来ようがバンガロールから来ようが一律「マドラースィー」と呼ばれる。
- Mama/Mausi マーマー/マウスィー
- 原義は「母方の叔父/叔母」。店の主人や売り子に呼びかけたりするときに使われる。
- Mamu マームー
- 原義は「母方の叔父」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「警察官」または「ヒジュラー(オカマ)」という意味になる。類義語は「クッター(Kutta;
犬)」、「パーンドゥ(Pandu; 警官の制服の色)」など。上の「マーマー」も「警察官」の意味で使われる。
- Nath Utaarna ナト・ウタールナー
- 原義「鼻飾りを外す」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「処女を奪う」という意味になる。
- Paapey/Papaji パーペー/パーパージー
- スィク教徒のことを指す。
- Paaplet パープレト
- 原義は「マナガツオ」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「女性器」を指す。
- Paka パカー
- 原義は「調理する」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「いらいらさせる」という意味になる。【例文】Jyaada Paka Mat Be Tu(あんまりいらいらさせんな)。
- Pakoli パコーリー
- 「同性愛者」という意味。
- Pandit パンディト
- 原義は「僧侶」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「Bhaiya」と同じく、北インドから来た人々のことを指すが、特にラッスィー屋、ミルク屋、パーン屋を経営している人のことを指す。
- Paplu パプルー
- 「簡単」という意味。【例文】Question Paper Bahut Paplu Tha(試験は簡単だったぜ)。
- Pappad パッパル
- 原義は「パーパル(豆製のパリパリしたスナック)」?ムンバイヤー・ヒンディーでは「スィンド人」のことを指す。
- Pavwalla パーウワーラー
- 原義は「パンを食べる人」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「キリスト教徒」を指す。チャパーティーではなくパンばかり食べているかららしい。
- Popat ポーパト
- 原義は「オウム」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「まぬけ」という意味になる。【例文】Tera Popat Ho Gaya(お前、まんまと騙されたぜ)。
- Radaa ラーダー
- 「争い」という意味。類義語は「Lafda」。【例文】Radaa Ho Gaya(喧嘩が始まっちまった)。
- Raapchik ラープチク
- 「素晴らしい」という意味。
- Shendi シェーンディー
- 「からかう」という意味。【例文】Dekh, Tu Shendi Mat Laga Sabko(おい、あんまみんなをからかうなよ)。
- Shaana/Shaane シャーナー/シャーネー
- 原義は「偉い人」。ムンバイヤー・ヒンディーでは「そこのお前」みたいな軽蔑的な意味で使われる。【例文】Chal E Shaane, Hawa Aane
De(おい、そこのお前、そこどけよ)。
- Suumdi スーンディー
- 「内緒で」「誰にも知られずに」という意味。【例文】Sab Kaam Suumdi Me Hona Chahiye Kya?(全部内密にやれよ、いいか)。
- Tapri タプリー
- 道端にある小さな店の総称。
- Tapori タポーリー
- 道端にたむろっている人々。ムンバイヤー・ヒンディーは「タポーリー語」とも呼ばれる。類義語は「ファンター(Funter)」。
- Vaat ヴァート
- 「トラブル」という意味。【例文】Meri Vaat Lag Gayi(困ったことになったぜ)。
- Vasaad ヴァサード
- 「素晴らしい」という意味。
今日はPVRアヌパムで、先週から公開されている「Samsara」という映画を見た。
「Samsara」とは元々「流転」という意味で、「輪廻転生」とか「俗世」という意味もある。この作品は、主にドキュメンタリー映画などを撮っていたインド人監督パン・ナリンが初めて挑戦した長編映画で、海外の映画祭で数々の賞を受賞している。しかも、インド映画史上初、全編ラダック地方で撮影され、しかもセリフのほとんどがラダッキー語(少しだけヒンディー語が入る)、観客は英語字幕を頼りに鑑賞するという特殊な映画だ。
キャストは素人のチベット人が多い。主人公タシを演じるシャウン・クーは本作がデビュー作の新人俳優、ヒロインのペマを演じるクリスティー・チャンは、ミス・チャイニーズも受賞したことがある中国人で、やはり本作が本格的な映画デビューとなる。悪役ダワを演じたラクパ・ツェリンはバンガロールで手工芸品店を営んでおり、キャスティングの手助けをしている内に映画に出ることになったという変わった経緯の俳優である。その父親のシェラブ・サンゲイも印象的なアポ役で映画出演。彼は、チベットから亡命して来たチベット難民である。ソナムを演じたジャマヤン・ジンパは本物のチベット僧で、ジャマヤンを演じたケルサン・タシの本職は農民。ほぼ唯一のインド系俳優ニーレーシャー・バヴォーラーは、元々ドイツのTVドラマに出ていた女優らしい。
Samsara |
人里離れた寺院での3年3ヶ月3週間と3日の瞑想を完了し、故郷の僧院に戻ってリンポチェ(宗教指導者)からケンポ(学僧)の称号を得たタシ(シャウン・クー)。だが、瞑想を終えたタシは性欲の衝動に悩まされ、夢精を繰り返していた。気分転換に村へ出掛けたタシは、そこで農家の娘ペマ(クリスティー・チャン)という女性に一目惚れしてしまう。
ますます性欲がひどくなったタシ。タシの従者をしていたソナム(ジャマヤン・ジンパ)も彼を心配する。そこで僧院の長アポ(シェラブ・サンゲイ)は、タシをある小屋へ送る。そこに住んでいたお爺さんはタシに、性的奥義が描かれた密教の絵を見せる。禁欲的生活をしていては分からないことがある!どんな道を通っても無駄ではない!ブッダだって29歳までは世俗的快楽をむさぼっていた!タシの中で何かが弾け飛んだ。
僧院に戻ったタシは、世俗の体験をすることを決意し、僧院を脱走してペマの家に住み込んで働くようになる。ペマにはジャマヤン(ケルサン・タシ)という許婚がいたが、タシに惹かれていた彼女はタシとセックスし、やがて結婚する。ジャマヤンも渋々ペマをタシに譲る。やがてペマは身篭り、カルマ(テンジン・タシ)という男の子を産む。
ペマの家にはダワ(ラクパ・ツェリン)という男が来て作物を買っていた。だが、タシはダワが相場よりも低い値段で作物を買い取っていることを見抜き、それを糾弾する。ダワも怒り、もうペマの家からは作物を買わないと宣言する。ペマの父は困ってしまうが、タシは自分で街へ行って売ればいいと提案する。タシと父親はレーへ行って作物を売る。すると、今までよりも倍の値段で売れたのだった。父親は大喜びする。
タシは、ジャマヤンにもダワと手を切るように勧める。だが、元々タシのことを面白く思っていなかったジャマヤンは聞き入れようとしなかった。ダワもタシのことを邪魔者だと思っており、復讐の機会を伺っていた。
ある夜、タシの家の畑の作物が何者かによって燃やされてしまう。ダワの仕業だと直感したタシは、レーのダワのオフィスまで行って殴りかかるが、ダワの部下たちに返り討ちにされてしまう。
ところで、タシの家には毎年労働者が来て刈り入れなどを手伝っていた。その中に、スジャーターという名のインド人女性(ニーレーシャー・バヴォーラー)がいた。タシは密かにスジャーターの肉体に欲情していた。
タシはダワにやられて怪我をしていたので、彼の代わりにペマがレーまで作物を売りに行くことになった。息子のカルマもペマと一緒に出掛けた。その留守中にスジャーターがタシの家を訪れる。タシは思わずスジャーターにキスしてしまう。だが、2人が情事にふけっているときにペマが帰って来る。何とか情事のことはばれずに済んだが、スジャーターの言葉によると、ペマはタシが不倫をすることを予想していたという。スジャーターはこの年を最後にタシの家に働きに来なくなった。
そのとき、ソナムがタシを訪ねてやって来る。ソナムはアポの遺言を持っていた。そこには、「千の欲望を満たすことが重要か、それともひとつの欲望を克服することが重要か」との問いが書かれていた。それを見たタシは、僧院に戻ることを決意する。
ある夜、タシは寝静まっているペマとカルマを置き、僧服を着て僧院へ向かう。だが、途中でペマの幻想を見る。幻想のペマは、ブッダがヤショーダラーを置いて出家したのと同じことをするのか、と問い詰める。とうとうタシは1人泣き崩れてしまう。泣き止んだタシは、そばにあったひとつの石を取り上げる。そこには、「どうやったら水滴を乾きから守ることができる?」というなぞなぞが書かれていた。裏を見ると、「海に落とせばいい」と書かれていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ラダックの厳しくも美しい自然と、チベット仏教の独特の文化を反映した映像の中で、1人の若者の精神と肉体の葛藤が描かれるスピリチュアルな映像作品だった。
最後のシーンにおいて、タシは僧院へ戻るのか、家族のもとに戻るのか、結局描かれずに終わってしまったが、最後に出て来たなぞなぞから察するに、タシはペマやカルマの待つ家に戻ったのだろう。「水滴」とは1人1人の人間のことで、「海」とはサンサーラ(俗世)のことを指しているのだと思われる。また、中盤にペマが河に枝切れを流し、子供たちに、「この枝は海まで辿り着くのよ」と言うシーンがあるが、それも最後のなぞなぞと関連しているのだろう。さらに、タシがアポに問い掛ける「ブッダのように世俗を体験せずに、どうして悟りを開けようか?」との問い掛け、アポの遺言にあった「千の欲望を満たすことと、ひとつの欲望を克服することと、どちらが重要か?」という問い掛け、そして、幻想のペマがブッダとヤショーダラーの話を引用しながら語る言葉もストーリーを理解する上で重要である。
人間というものは、ひとつの欲望を満たせば、また次の欲望が生まれて来る生き物である。修行生活に疑問を感じたタシは、僧院を逃げ出し、ペマとセックスし、結婚し、子供を作り、幸せを手に入れたが、それでも欲望は収まらず、スジャーターと情事に耽る。ひとたびその欲望の連鎖にはまり込んでしまったら、もう僧院に戻ることはできない。タシは僧院に戻ろうとしたが、ペマの幻想に苛まれ、僧院に近付くことができなかった。雲から滴り落ちた水滴は、海へ流れて行かなければ乾いてしまうように、厭世的な生活から逃げ出した人間は、一度世俗の中に入ってしまったら世俗の中でしか生きて行けないのだ。タシは、妻ヤショーダラーを捨てて出家したブッダがどのような苦悩を抱えていたのかを理解すると同時に、子供の頃から一切の世俗と関わらず修行生活を課せられてきた意味を実感する。それは、千の欲望を満たすことよりも、ひとつの欲望を克服する方が容易で、しかも重要だったからだ。また、ダワとの対立により農作物を燃やされてしまうシーンも、俗世の中で正義を貫くことの難しさや、欲が欲を呼ぶことを象徴していたのだと受け止められる。
インドで上映するにはエロチックすぎる映像もいくつか見受けられたが、Aサーティフィケート(大人向け)で何とか一般公開できたようだ。ただ、ひとつ気になる点があった。タシが小屋に住むお爺さんにエロチックな絵を見せられるのだが・・・どうやら「密教の奥義書」とのことだが、あれはどう見ても日本の浮世絵の春画であった。チベットにも春画みたいなものがあるのかもしれないが・・・確かに男女が交合した姿の神様とかあるが・・・しかし、日本語のような文字も見えたので、多分あれは日本の春画だと思われる。
この映画は映像も大きな見所だ。「月の砂漠」と呼ばれるラダック地方のダイナミックな自然と、そこに住む人々の営みをとても美しい映像と共に捉えていた。正に息を呑む映像の数々であった!僧院の中の様子や、祭りや結婚式などの儀式の映像もとても興味深かった。
素人俳優が多い映画だったが、演技にはほとんど素人っぽいところがなかった。唯一問題だったのは、主人公タシを演じたシャウン・クーである。彼には表情力や演技力がほとんどないように感じた。そういう役柄だったのかもしれないが、もっとうまく演じることもできたのではないかと思う。ヒロインのペマを演じたクリスティー・チャンはいい演技をしていた。クリスティー・チャンは中国人だが、おそらくシャウン・クーも中国人である。よって、あまり顔がチベット人っぽくなかったのが難点と言えば難点だった。ラダッキー語を話していたが、あれは吹き替えであろうか?それともこの映画のために覚えたのであろうか?
「Samsara」は2001年に公開された映画で、5年の歳月を経てやっとロケ地であるインドで公開されることになったようだ。現在、パン・ナリン監督は「Valley of Flowers」という長編映画第2作目を撮影しているらしい。題名から察するに、ウッタラーンチャル州の「花の谷」が舞台の映画であろう。ミリンド・ソーマンやナスィールッディーン・シャーなどが出演。しかも、なぜか日本でもロケが行われる予定らしく、エリという名前の「トップ・モデルであり、かつシンガーであり、女優でもある日本人女性」も出演するらしい。IMDBで調べてみたところ、「Sakuramburu hatsu koi no sonata」(2004年)という映画にしか出演していないが・・・。日本では有名な人なのだろうか?とにかく、「Samsara」の出来から察するに、パン・ナリン監督の作品はこれからも期待してよさそうだ。
「Samsara」は、どこかミーラー・ナーイル監督の「カーマ・スートラ/愛の教科書」(1996年)を思わせる雰囲気の映画であった。チベット文化やラダック地方が好きな人、また、芸術映画好きな人にオススメの一本だ。