日本ではあまり知られていないが、世の中にはコモンウェルス・ゲームス(Commonwealth Games)または英連邦大会なる4年に1回開催の国際スポーツ大会があり、2010年にはデリー大会が行われる予定になっている。英連邦大会の参加国は元英国庶民地だった国々に限られるが、加盟国数は現在53ヶ国あり、けっこうな規模となっている。
現在デリーでは英連邦大会に向けて急ピッチでインフラ整備が行われている。間に合うかどうかはインシャーッラー、神のみぞ知る、である。
ところで、5月3日付けのヒンディー語紙ヒンドゥスターンに、「乞食コモンウェルス」の準備も着々と進んでいるとの記事があった。「乞食コモンウェルス」とは一体?まずは記事を読んでいただきたい。ヒンディー語の題名は「'बेगिंग
कॉमनवेल्थ' की भी तैयारी」。
デリーで乞食をして生計を立てている8歳のパートニーちゃんは、来年開催の英連邦大会までに英語、フランス語、スペイン語で完璧に乞食をすることができるようになるだろう。彼女は現在、これら3言語を話すことができる。パートニーちゃんは今まで一度も学校へ行ったことはないが、英連邦大会に向けて勉強をしている。
デリーの乞食たちにとって英連邦大会は非常に大きなイベントである。よって、大会時にデリーを訪れるであろう世界中の観光客に対して、彼らの言葉で乞食をするため、デリーの乞食たちの間では急ピッチで準備が行われている。
子供の乞食たちに外国語や大道芸を教えているのは、デリーの著名な乞食であるラージュー・サーンスィーである。彼はローヒニー地区で学校を運営している。そこでは、厳選された45人の子供たちが、他の乞食たちに自分の体験や知恵を伝授している。乞食をするためのコツも優れた方法で教えられている。学校の主任教師はサーンスィー自身で、授業は週に3日行われている。パテール・ナガルのカトプトリー・コロニーで同様の学校を運営しているパトルーは、子供たちに本物の外国紙幣・貨幣を見せて鑑識眼を養っている。
サーンスィーは、「我々は、各子供の『才能』を見極めて、特定の専門分野のエキスパートに育て上げている。子供たちには主要な外国語のフレーズを教えている。例えば、I
am an orphan(私は孤児です)、I have not eaten for days(私は何日も何も食べていません)、I am ill,
have no money for medicine(私は病気です、治療のためのお金を持っていません)、Give me in the name
of God(神様の名において私に下さい)、Thank you(ありがとう)など」と述べている。
英連邦大会が乞食の子供たちの向学心を刺激しているというレポートはとても興味深いものだが、それよりも驚いたのは、デリーに「乞食の学校」があるという部分である。「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)では、スラムの子供たちを組織して乞食をさせる業者が出て来たが、記事の書かれ方を見る限り、それとはまた異なるようだ。「デリーの著名な乞食」、もっとこなれた訳をすれば「デリーのカリスマ乞食」なる人物が学校を経営しているようなので、つまりは乞食が乞食の生活向上のために自主的に立ち上げた学校のように思われる。もしくはカリスマ乞食を慕って他の乞食たちが自然と集まって来たのであろうか?そこで日々乞食のテクニックが研究され、磨かれているのであろう。ただし、学校と言うよりもワークショップに近いもののようである。
デリーに住む上で乞食との接触は避けられない。最近日本では「乞食」という言葉を使ってはいけないらしいが、少しでもインドを旅行すれば、身勝手な理由を付けてその言葉を死語に追いやるのがいかに無意味かを知るだろう。乞食は我々の生活の一部であり、乞食という言葉を使わずして日本語でインドの日常生活を表現するのは不可能である。また、しばしば指摘されるように、インドの乞食はいくら表向き憐れに見えても、本質的には悲観的ではない。乞食は一種の職業であり、彼らは乞食であることに一種のプライドを持っている。仮に誰かが「乞食」という意味のヒンディー語「ビカーリー(भिखारी)」を差別語だと主張し、言葉狩りを始めたとしても、乞食自身がそれを嫌がるだろう。
乞食との毎日の接触を通して感じるのは、やはり彼らは外国人を優先する傾向にあるということである。外国人観光客が乗った観光バスなどはいい標的だ。ただ、いい標的ではあるのだが、多くの場合、観光バスは冷房され完全密閉されており、窓が開かないようになっている。つまり、いくら乞食が呼びかけても、いかに観光客がお金を上げたいと思っても、彼らの間に金銭の受け渡しが生じる可能性はゼロに近い。それでも乞食たちは健気に観光バスに乗った外国人観光客に呼びかける。それは乞食のプライドであり、本能なのであろう。僕もバイクに乗っているので、信号待ちの時に乞食のターゲットになりやすい。しかし、僕のことを外国人だと見極めて、一直線に向かって来るような乞食には、あまりお金はあげないことにしている。どうせなら全ての人に平等に乞食をする乞食にお金をあげたい。よって、もし「乞食の学校」で外国人から喜捨銭をゲットするコツを教える機会が出来たのなら、国籍関係なく平等に乞食をすることを教えたいものである。
ところで、上掲した記事の最大の突っ込みどころにまだ触れていなかった。記事の中に出て来たパートニーちゃんは、英連邦大会に備え、英語、フランス語、スペイン語を勉強しているとのことであった。しかし、英連邦に加盟している国はほとんど英語を公用語としているので、英語以外の言語を学んでも英連邦大会時にはそれほど役に立たないと思われる。もちろん、勉強して損になることはないのだが、もう時間もないので、様々な外国語に手を出さず、英語に集中した方が効果的であろう。だが、このまま乞食たちの向学心が伸びて行けば、その内日本語で乞食をする乞食たちにデリーで出会うことも出て来るかもしれない。とは言っても、さすがに「カネ、カネ」だけでは別の職種になってしまうが・・・。
インドでは4月から5月にかけ、任期満了に伴う下院総選挙が行われている。世界最大の民主主義国であるインドの総選挙は、国土が広大かつ有権者数が膨大であることから、5回に分けて投票が行われる。既に4期の投票は終了し、後は5月13日の第5期投票と、5月16日の開票を待つだけとなっている。デリーでは5月7日に投票が行われた。
今回は各種団体や企業が今までにないくらい積極的に有権者に投票を呼びかけている。今回はまともな争点がほとんどなく、国政論議は前回2004年の総選挙のときの方が盛り上がっていたように思うのだが、各種メディアを利用した投票キャンペーン熱は明らかに今回の方が勝っている。
その中で一躍全国的な注目を集めることになっているのが、「パップー(Pappu)」である。元RJD(国民党)政治家で今回国民会議派に鞍替えしたパップー・ヤーダヴ(本名ラージェーシュ・ランジャン)のことではない。投票キャンペーンにしばしば登場し、新聞の見出しにもなる「パップー」のことである。
パップーは元々インドでよくある名前だ。パップー・ヤーダヴの「パップー」は本名ではないようだが、「パップー」が本名の人はいくらでもいる。だが、その響きの愛らしさからか、愛称に使われることも多い。本名が全く「パップー」とは似ても似つかないのに、なぜか愛称が「パップー」になることも稀ではない。インド人の多くは本名とニックネームの2つを持っているが、それらが音韻的に全く関わりを持っていないことは非常に多いのである。その辺はロジックでは説明できないだろう。おそらく母親が自分の愛息子を「パップー」と呼び始め、それが家族や周辺に広まるのではなかろうか?ちなみに「パッピー」はその女の子バージョンになる。インドでは他に、バブルー、バンティー、バブリー、チントゥー、ピンキー、ラージューなどなど、数々の典型的ニックネームがある。これらに関しても、必ずしも本名と脈絡あるニックネームが選ばれる訳ではない。このような文化は日本にはあまり見られないため、「パップー」などを日本語に当てはめることは難しい。だが、「パップー」という響きから、いかにも母親に可愛がられて育った男の子を想像すれば、当たらずとも遠からずであろう。
また、パップーはインド人に身近な名前であることから、ジョークの中の登場人物としても人気である。「pappu joke」でグーグル検索すれば、パップー関連のジョークがたくさん出て来る。それらの影響で、「パップー」には、ちょっと間の抜けた、だが憎めないキャラクターのイメージがあるようである。例えば「先生とパップー」と題したこんな一連のジョークがある。
先生:「『偶然の一致』の例を挙げなさい。」
パップー:「僕のお父さんとお母さんは同じ日に同じ場所で結婚しました。」
先生:「パップー、ちゃんと食事の前にお祈りをしていますか?」
パップー:「いいえ、その必要はありません。僕のお母さんは料理がとても上手ですから。」
先生:「興味のないことを話し続ける人のことを何と呼びますか?」
パップー:「先生です。」
「Pappu Pass Ho Gaya(パップーは試験の合格した)」というフレーズもよく使われる。これは、試験に何年も落ち続けた人物がやっとのことで受かったときに使われるフレーズである。よって、「サクラサク」のニュアンスとは少し違う。チョコレート会社のキャドバリーが2005年にTVCMのキャッチフレーズとして採用して大ヒットしたことから普及したようだ。
さらに、「パップー」という名前は、宗教、カースト、コミュニティー、貧富の差を超えて北インドでポピュラーな名前である。インド人の名前は見ると宗教やカーストなどが分かってしまうことが多いのだが、「パップー」という名前には例外的に中立性がある。インドに平均はないと言われるが、「パップー」には不思議と平均的なインド人のイメージが備わっている。
このように、「パップー」は以前からインド人に身近な名前だった訳だが、昨年のヒット映画「Jaane Tu... Ya Jaane Na」(2008年)をきっかけに、この名前に新たな意味合いが加わることになった。同映画の中で、「Pappu
Can't Dance」というダンスナンバーが使われ、それが大ヒットしたのである。
「Pappu Can't Dance」の歌詞を要約するとこのような感じである。「いい体格をし、青い瞳の、まるで外国人のような外見のパップー、ラドーの時計をし、グッチの香水を付け、格好いいスポーツカーに乗るパップー、MBAを取得し、フランスで休暇を過ごし、ギターが上手なパップー、みんなの人気者でプレイボーイのパップー、お金持ちの家に生まれ、幸せな人生を送って来たパップー、しかしそんなパップーにもひとつだけ秘密があった・・・それは・・・パップーはダンスが超下手!」つまり、金持ちで、ハンサムで、優秀で、非の打ち所がないように見えるパップーの、意外なダンス下手を笑う曲なのである。「Pappu
Can't Dance」は、伝統的な子守唄のラインを現代風にアレンジしてダンスナンバー化しており、無意味な歌詞を羅列した単純なディスコソングではない。その辺りにこの曲の人気の秘密がありそうだ。ちなみに、作曲はARレヘマーンである。
この曲の大ヒットをきっかけに、「パップー」は、格好は付けているものの、何か重要なことができない、またはしようとしない、世間の笑い者または爪弾き者になるような情けない人間の愛称として流通するようになった。一言で言い換えれば「負け犬」である。元々「パップー」という名前に付随していたイメージが増幅されたと考えることもできるだろう。
そのパップー人気に目を付けたのがデリーの選挙委員会であった。昨年11月29日にデリーの州議会選挙が行われたが、その際にデリー選挙委員会は、ARレヘマーンから許可を取り、「Pappu
Can't Dance」の替え歌を作って、有権者に投票を呼びかけるパップー・キャンペーンTVCMを流した。その名も「Pappu Vote Nahin
Deta(パップーは投票をしない)」。高価なジーンズやTシャツを着て格好を付けているパップーは、友人が投票に行く中、1人だけ投票をしなかったという内容の歌詞になっており、「皆さん、パップーにならないようにしましょう」と投票が呼びかけられている。このパップー・キャンペーンが功を奏したのか、デリー州議会選挙の投票率は、前回を4ポイント上回る57.72%で、かなりの高い数字を記録した。
「Pappu Vote Nahin Deta」
http://www.youtube.com/watch?gl=IN&hl=en-GB&v=crnJw938TFo
ちなみに、上の画像で友人たちがパップーに黒い印の付いた人差し指を見せているが、これは投票をしたという印である。投票所で投票を行った有権者の人差し指に黒い印が付けられ、二重投票などが防がれている。この印は一種のステータス・シンボルのようになっており、投票日のTVや翌日の新聞では、この黒い印を誇らしげに見せている著名人の写真や映像が必ず報じられる(参照)。
デリーでのパップー・キャンペーンの成功を受け、今回の下院総選挙でパップーは遂に全国区へ進出することとなった。パップーは駄目な有権者の代名詞となり、様々な形で投票キャンペーンに使われることになった。タイムズ・オブ・インディア紙などは、ブリード・インディア・パーティー(インド流血党)なる架空の政党を作って、パップー・ラージなる架空の立候補者の広告を新聞に載せるほどの悪ノリ振りであった。
パップー・ラージの広告
デリー選挙委員会も州議会選挙に引き続いてパップー・キャンペーンを行い、デリーの有権者たちに投票を呼びかけた。選挙の公示以降、デリー選挙委員会による以下のような広告が新聞によく掲載されていた。
「今回はパップーにならないようにしよう。絶対に投票をしよう。」
デリー選挙委員会の広告
右上のロゴからも、投票を一種のオシャレな行為として広めようとする意図が存分に汲み取れる。それは当然のことながら「パップー」の裏返しである。今までは投票と言うと「責任ある市民としての責任ある行動」のような堅いアピールの仕方がされて来たように思うのだが、ここに来て「格好良さ」「オシャレさ」を価値基準にしてより若者にアピールするような形の呼びかけに変化して来ているのは面白い。日本における「いじめ、カッコ悪い」や、暴走族を珍走族と呼び換える珍呼運動に共通するものがあるかもしれない。
ただ、気候や治安などの要因により、インド各地で投票率はまちまちである。特に今回は不幸にも北インドを熱波が襲っている最中の投票となってしまったため、それが投票率の上昇を妨げる要因となったと見られる地域も出て来ている。それでも、投票率は前回の総選挙と比べて高い選挙区が多いようだ。その中で情けないのはムンバイーであった。ムンバイーでは4月30日に投票が行われたが、投票率は43.5%。2004年に比べて4ポイント下げている。11月26日に同時テロに見舞われ、市民の間で政治に対する意識が高まっていると予想された中、このような低い投票率になってしまったことは、大いに恥ずべきことだと非難と失望の声が出ている。ムンバイーは「パップー・シティー」になってしまった。
何かとデリーとムンバイーは比較されることが多いのだが、投票率に関してはデリーが圧勝であった。今回の総選挙でデリーの投票率は52.03%を記録したが、これは前回の総選挙に比べて5ポイントも高い数字であり、20年振りの高投票率となっている。今回の投票パターンの特徴は、富裕層が多く住む地域の投票率が高かったことである。デリーでは伝統的に郊外の農村地区の方が投票率が高いのだが、今回はニューデリー選挙区(56%)を筆頭に、デリー中心部ほど投票率が高いという変わった結果となった。また、やはり有権者1年生の若者たちの投票が以前に比べて多かったと報告されている。この投票パターンの変化が当落結果に何らかの影響を及ぼすと考えられる。
しかし、耳にタコができるほど執拗に投票キャンペーンが行われた一方で、大きな問題も浮き彫りになって来ている。それは有権者リストの名前漏れである。各有権者には写真付きのIDが発行され、投票時にはそれを持って投票所へ向かう。だが、IDの所持だけでは投票資格にならず、投票所に用意されている有権者リストに名前が記載されていないと投票を許されない。普通、IDが発行されたなら、有権者リストにも名前が記載されていないといけないはずであるが、どうもその辺りはいい加減な手作業で行われているらしく、各地で名前の記載漏れが相次いで報告されている。名前が掲載されていない有権者は当然のことながら投票できない。現在インドでは、投票と集計は電気投票機(EVM)を使って機械的に行われるようになっており、かなりの手間が省かれると同時に不正も行われにくくなったのであるが、その前の段階である有権者名簿の作成において、まだまだいい加減な部分が残っているようである。デリーでの投票日では、その極めつけの事件が起きた。なんと選挙委員長のナヴィーン・チャーウラーが投票のために投票所を訪れたところ、彼の名前がリストになかったのである。選挙委員会はこの記載漏れ問題を「例年に比べて減少している」としてほとんど問題にしていなかったのだが、選挙委員長自身が記載漏れとあっては赤っ恥を免れない。緊急で対策が採られたのであろうか、結局は引っ越しに伴う住所変更がうまく行っておらず、別の投票所の有権者リストに彼の名前が記載されていたことが判明し(またはそういうことになり)、チャーウラー委員長はそこで投票を行った。5月8日付けの各紙は「チャーウラー委員長、間一髪でパップーになるのを逃れる」とこの事件を報道していた。
有権者リストの名前漏れが単なるミスなら改善は急務であるが、もしこれが作為によるものだったら、さらに大きな問題になりそうだ。インドは宗教やカーストなど、コミュニティーごとに一定の投票パターンを持っている。そして前述の通り名前を見れば、その人の属するコミュニティーが大体分かることが多い。もし、特定のコミュニティーから支持されている候補者を意図的に落選させようとしたなら、そのコミュニティーに属する有権者の名前を有権者リストから削除していく方法はもっとも容易であるように見える。有権者リストの名前漏れは今に始まった問題ではなく、昔からあったようだが、EVMの導入により、不正を行える場が限定されたため、意図的な記載漏れが行われるようになったのではと一抹の不安を覚えるのだが、それは深読みのし過ぎであろうか?
かつてこれほどの枯渇感を味わったことがあるだろうか・・・?酷暑期のことを言っているのではない。確かにデリーの今の季節、空気が極度に乾燥していて喉がやたらと渇き、水がアムリタ(霊薬)のごとく美味に感じられるが、この枯渇感は暑さから来るものではない。映画の欠乏から来る枯渇感だ。以前にもレポートしたが(参照)、現在ボリウッドでは映画プロデューサーの組合と大手マルチプレックス・チェーンの間で興行収入の配分を巡って大規模な対立が起こっており、その影響で4月3日以来、1本もまともな新作映画が公開されないという前代未聞の旱魃に見舞われているのだ。双方既に相当な損害を被っているのだが、未だに決着は付いていない。今後、「Kambhakht
Ishq」や「New York」などの話題作が控えているのだが、このまま膠着状態が続けば、それらの公開も先延ばしになってしまう可能性がある。ちなみに、新作が供給されないために各映画館は過去の名作のリバイバル上映をしてその場凌ぎをしている。もし見逃した映画がある人は、チェックしてみるといいだろう。
そんな旱魃の中、一滴の雨水がこぼれ落ちた。4月3日の「8x10 Tasveer」公開以来、6週間振りにまともな新作ヒンディー語映画が公開されることになったのである。その名は「99」。クナール・ケームー、ソーハー・アリー・カーン、ボーマン・イーラーニーなどが出演。キャストのレベルからしたら中程度であるが、久々の新作ヒンディー語映画ということで、オアシスに飛び込むような気持ちで映画館へ向かった。
ちなみに、プロデューサーとマルチプレックスの対立が続いている中、「99」だけが公開と相成ったのは、この映画のプロダクションが、ピープル・ピクチャーズという新しい会社で、プロデューサーの組合としがらみがなかったからだと思われる。このままプロデューサー側にポツポツとこのような反乱分子が出て来ると、今回の対立はなし崩し的にマルチプレックス側の勝利に終わるかもしれない。
題名:99
読み:ナインティー・ナイン
意味:99
邦題:99
監督:ラージ・ニディモールー、クリシュナDK
制作:アヌパム・ミッタル、アーディティヤ・シャーストリー
音楽:アシュ、ローシャン・マチャードー、シャミール・タンダン、マヘーシュ・シャンカル
歌詞:ヴァイバヴ・モーディー、アミターブ・バッターチャーリヤ、シャッビール・アハマド、チンタン・ガーンディー
出演:クナール・ケームー、ソーハー・アリー・カーン、ボーマン・イーラーニー、サイラス・ブローチャー、シモン・スィン、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ヴィノード・カンナー、アミト・ミストリー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
左から、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ヴィノード・カンナー、
サイラス・ブローチャー、ボーマン・イーラーニー、
ソーハー・アリー・カーン、クナール・ケームー
あらすじ |
1999年、ムンバイー。携帯電話の偽造SIMカードを作って小金を稼いでいたサチン(クナール・ケームー)とザラームド(サイラス・ブローチャー)は、警察から逃亡する最中に、クリケット賭博の元締めAGMのベンツを盗んで壊してしまう。AGMに捕まった2人は、被害を弁償するために彼の下で働くことになる。
ところが、ちょうど2000年問題によってインドのIT産業は急成長を迎えた時期だった。ネットカフェを成功させたサチンとザラームドは、AGMのお気に入りの部下となる。そこでAGMは、クリケット賭博に200万ルピーを賭けて負け、そのまま金を支払っていない、デリー在住のラーフル(ボーマン・イーラーニー)から金を取り立てるため、2人を送り込むことにした。2人は嫌々ながらもデリーに降り立つ。
両替商を営むラーフルは賭博癖があり、AGMの知り合いのクベール(アミト・ミストリー)から70万ルピーの借金をして首が回らない状態だった。妻のジャーンヴィー(シモン・スィン)とは別居状態にあり、人生のどん底にいた。当然、サチンとザラームドにも支払う金はなかった。彼は金曜日まで猶予をもらう。なぜなら金曜日には大きなクリケットの試合があり、そこでうまくすれば大金が手に入るからだった。
ザラームドは金曜日まで待っているのが退屈だったが、サチンは宿泊中の5つ星ホテルに勤務するプージャー(ソーハー・アリー・カーン)と恋に落ちていた。サチンは彼女に、いつかコーヒーショップを開く夢を語る。
ラーフルは、ロンドン在住のJC(ヴィノード・カンナー)とトランプ賭博をし、大金を獲得する。JCは、クリケットの八百長に関わっていると専らの噂であった。ラーフルはその金で携帯電話を2つ買い、ひとつを誕生日プレゼントとしてジャーンヴィーに贈る。だが、もうひとつの携帯は、借金の形としてクベールに取られてしまう。ラーフルはもう賭博はしないとジャーンヴィーに約束していたのだが、クベールと電話で会話をしたことでまた彼が賭博をしたことを知り、失望する。
ラーフルのオフィスにお得意様の客がやって来て、両替のためにまとまった米ドル紙幣を置いて行く。だが、そこへしびれを切らしたサチンとザラームドがやって来て、その金を巻き上げて行ってしまう。だが、サチンとザラームドは悪徳タクシー運転手とその息のかかった子供たちの連携によって騙され、その金が入ったスーツケースを盗まれてしまう。ラーフルもサチンもザラームドも万事休すとなった。
だが、3人は一発逆転を狙って大金を手に入れる計画を立てる。鍵は金曜日に行われるインド対南アフリカ共和国のクリケットの試合であった。ラーフルは、八百長の総元締めJCからどちらが勝つか情報を聞き出し、それに従って大金を賭ければ、全ての損失を取り戻せると提案した。ちょうどJCはサチンとザラームドと同じホテルに宿泊していた。サチンとザラームドは、プージャーの助けを借りてJCの携帯電話のSIMカードを写し、偽造SIMカードを作って盗聴する。だが、重要な情報は電話で話されなかった。
また、賭博の資金をどこかから調達しなければならなかった。サチンとザラームド、それにラーフルは、AGMの借金取り立てリストを利用し、そこに載っている負債者から資金を集めることを決める。3人はとあるボージプリー俳優から、借金の半分を手に入れることに成功する。それでも十分な額であった。だが、目立った行動をしたせいで、彼らが勝手に借金の取り立てを行っていることがAGMに知れてしまう。また、ラーフルの家で金を数えているときにクベールがやって来たのだが、このときサチンはクベールとその片腕をコテンパンにやっつけて追い返す。おまけにラーフルの携帯電話も取り戻す。
既に木曜日になっていた。ラーフルはJCと直接会って情報を集めることにする。JCは以前、ラーフルからの豆情報のおかげでギャンブルに勝ったことがあり、彼に恩義を感じていた。JCは金曜日のクリケット試合で南アフリカ共和国が勝つという情報を教える。
2000年3月14日、インド対南アフリカ共和国の試合が行われる。ラーフルはクリケット賭博の人間に金を渡し、賭けに参加する。一方、サチンはクベールの逆襲に遭って捕まるが、首尾良く逃げ出すことに成功する。だが、試合はインドの勝利に終わった。サチン、ザラームド、プージャーは肩を落とす。だが、ラーフルは実はJCが嘘の情報を与えていることを見抜いており、インドに賭けていた。つまり、彼らは賭けに勝っていた。
翌日、サチンはデリーのパーリカー・バーザールへ配当金の受け取りに行く。同時に、ザラームドとプージャーは警察へ行く。なぜならJCの盗聴テープに八百長の証拠が残っていたからである。だが、警察は八百長のことを既に察知しており、クリケット賭博業者一斉逮捕に踏み切ろうとしていた。ザラームドは急いでサチンに電話をする。幸い、サチンはラーフルの携帯電話を持っていた。危険を察知したサチンは金を受け取って逃げ出す。やはりその場には警察が張り込んでおり、サチンの後を追う。
ホテルに戻ったサチンだったが、部屋ではAGMが待ち構えていた。サチンは賭けで勝った全ての金を差し出して命を許してもらう。だが、ホテルを出ようとしたAGMは警察に取り囲まれ、射殺されてしまう。
全てが丸く収まろうとしていた。ラーフルはクベールに捕まってしまうが、銃の暴発で手を怪我したクベールはそのままラーフルの自動車をぶんどって病院へ向かう。だが、すぐに交通事故に遭って死んでしまう。ラーフルが家に戻ると、ジャーンヴィーが帰って来ていた。また、お得意様から預かった米ドルも、偶然スーツケースごと戻って来た。サチンとザラームドは、ムンバイーへ帰る途中にボージプリー俳優に出会い、AGMへの残りの借金を受け取る。サチンはその資金を元手にコーヒーショップを開き、成功させる。 |
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1999年から2000年のムンバイーとデリーを舞台にした、脚本主体の佳作であった。この映画でもっとも面白かったのは、2000年3月14日のクリケット八百長疑惑事件という実際に起こった出来事を中心に、インターネットと携帯電話が世の中を変え始める時代の雰囲気をうまくストーリーに織り込んで、機知に富んだストーリーにまとめ上げていたことである。おまけに、インドのコーヒーブームまで織り込んであった。
2000年3月14日のクリケット八百長疑惑事件とは、南アフリカ共和国クリケット代表の主将ハンジー・クロンジェらが関わり、デリー警察がその全貌を偶然暴いた八百長事件である。デリー警察は麻薬密輸などのネットワークを捜査する中で偶然、ロンドンを拠点としたクリケット八百長シンジケートの総元締め、サンジャイ・チャーウラーとハンジーが、3月14日にナーグプルで行われたインド対南アフリカ共和国の試合内容を事前に相談する会話を傍受し、4月に入ってからそれを公にした。ハンジー他、3人の南アフリカ共和国選手がこの八百長に関わっているとされた。彼らは当初否定したものの、後に八百長への関与を認めた。ハンジーは国を代表する選手であったが、この事件によってクリケットから永久に追放された。また、この事件は「紳士のスポーツ」と異名を持つクリケットにとって大きな汚名となった。クリケット八百長を題材にした映画としては、昨年公開された「Jannat」(2008年)が記憶に新しい。「Jannat」は南アフリカ共和国が舞台となっていたが、おそらくハンジー・クロンジェの事件を念頭に置いてのことであろう。
クリケットでは、100という数字は特別な意味を持っている。試合の中で100ランを達成することを「センチュリー」と呼び、サッカーにおけるハットトリックや野球における満塁ホームランのように、偉業として記録される。映画の題名「99」には、1999年という意味も込められているだろうが、おそらく「センチュリー」まであと一歩、つまり成功の直前のもっとも危険な状態のことも示しているのだと推測される。
また、1999年~2000年と言えば、携帯電話がインドで普及し始めた頃であった。映画中では、まだ携帯電話に使い慣れていない人々の言動が多く見られ、今から見るととてもおかしく思える。そうそう、あの頃はまだ受信コールにも課金されていたのだった。携帯電話がストーリーにもいろいろな形で関与して来るのも、憎い演出である。携帯電話が人体に悪影響を与えるという「都市伝説」も度々台詞の中で触れられ、最後にひとつのオチとして使われていた。
これはオマケになるが、主人公のサチンはコーヒーショップを開くことを夢見ていた。これは明らかに、バリスタやカフェ・コーヒー・デーなどが先導したインドのコーヒーブームの先駆けを示している。サチンは、インドでおいしいコーヒーが飲める場所がないと常々不満を漏らしており、自分がインド人に様々なバリエーションのコーヒーを飲める場所を提供すると夢を語る。ただ、調べてみたところ、バリスタの創業年は1997年、カフェ・コーヒー・デーに至っては1996年であり、1999年~2000年を舞台とした「99」は少し時代が遅れている。それらの店が全国にチェーン展開をし始めたのは創業から少し後になるだろうし、実際に2000年前後がその転機になったと記憶しているので、完全に誤った時代考証とは言えないが。
他にも、2000年3月のビル・クリントン米大統領(当時)のインド訪問を告げる看板や、2000年公開映画「Kaho Na... Pyaar Hai」の看板があったりして、当時の時代背景を演出するちょっとした小道具が用意されており、当時を知る人は思わずニンマリしてしまうだろう。ただし、突っ込み所もないわけではない。例えば、当時デリーを走っていたオートリクシャーは、今のように緑と黄色のツートンカラーではなく、黒と黄色のツートンカラーであった。だが、映画中では緑と黄色のツートンカラーのオートリクシャーが走っていた。
クナール・ケームーは、チャラチャラしたチンピラ風情の役が非常に板に付いた若手男優であり、今回も十八番の演技と言っていい。徐々にボリウッドで定着して来ているので、今後新たなイメージを切り開くことが課題となるだろう。相棒のザラームドを演じたサイラス・ブローチャーはMTVのVJで、主にTV界で活躍しているが、「Little
Zizou」(2008年)などの映画にも出演している。いわゆるデブキャラであり、巨体を活かしたコミカルな演技に徹していた。演技派のボーマン・イーラーニーはいつも通り優れた演技を見せていた。往年の名優ヴィノード・カンナーが出演していたのはレアであった。
ヒロインはソーハー・アリー・カーンであるが、大きな見せ所はなかった。急速に劣化が進んでいるように思えるので注意が必要である。他にシモン・スィンが出演していたが、どちらかというと彼女の方が少ない出番の中でしっかりとした演技をしていた。
音楽や歌詞は、ほとんど無名の人々による寄せ集めとなっている。悪くはなかったが、サントラCDを買いたいと思わせられるほどでもなかった。
この映画はデリーとムンバイーを舞台にしており、いわゆるデリー対ムンバイーの論争も随所に反映されていた。端的に言えば、ムンバイーの人間はデリーを馬鹿にしており、デリーの人間はムンバイーを馬鹿にしているということだ。特に主人公はムンバイーの人間であるため、台詞の端々にデリーに対する偏見が見られた。面白かったのは、「デリーの女の子の名前はプージャーかネーハーしかない」というものだった。そして本当にサチンはプージャーという女の子と恋に落ちるのである。
「99」は、新作渇望の中、天からこぼれ落ちた一滴の滴である。キャストに大きな観客吸引力はないが、脚本で魅せる映画であり、十分に楽しめる。僕のように映画に飢えた人々の心を捉えることができれば、エクストラの興行収入を上げることも可能だ。
刑務所の食事は「臭い飯」と呼ばれる。インドの刑務所の飯は本当にまずそうだ。だが、インドの囚人は、あるインド特有の理由から、臭い飯で金儲けをすることができるようだ。5月13日付けのヒンドゥスターン紙による。
デリー近郊のガーズィヤーバードにあるダースナー刑務所では、土曜日を除く全ての日に面会時間を設けている。囚人への面会を希望する人は、早朝刑務所で番号札をもらって順番を待たなければならない。囚人との面会は鉄格子越しで、彼らに果物やビスケットなどの差し入れをすることができる。だが、火曜日と木曜日は囚人たちにとって特別な日で、彼らの方が刑務所で出されるローティー(インド式パン)を持って鉄格子の向こうで待っている。なぜならこれらの日、囚人たちは訪問者たちにローティーを売って金を稼ぐことができるからである。しかし、わざわざ刑務所の「臭い飯」を買おうとする人がいるのだろうか?本当にいるとしたら、一体どんな人たちなのだろうか?
インドの占星術によると、人には生まれ持って定められた災難がある。生まれたときの星の位置により、ある人は水難の相が、ある人は火難の相が運命づけられている。それらの災難の中のひとつに、カーラーガール・ヨーグ、つまり「刑務所行きの相」なるものがある。その名の通り、この星の下に生まれた人は、刑務所に服役することが運命づけられているのである。
ただし、この災難を防ぐ手段もいくつか用意されている。その中でもっとも容易なのは、刑務所の「臭い飯」を食べることだ。パンディト(占い師)は、カーラーガール・ヨーグの人に、刑務所へ行って囚人からローティーをもらって来るように助言するらしい。どうも刑務所行きを運命づけられている人はインドに少なくないようで、ダースナー刑務所では、「臭い飯」を手に入れるために人々がひっきりなしに訪れるという訳である。
占星術師スレーシュ・カウシャルによると、このカーラーガール・ヨーグは、人間の運勢の中でも住居運に関する災難の相で、古代から刑務所の食事を食べ、水を飲むことで、その相を軽減させる方法が知られて来たようである。また、別の占星術師KAドゥベーによると、このカーラーガール・ヨーグから解放されるもうひとつ別の手段もあるらしい。それは、家の一室に自らを閉じ込めて、疑似刑務所体験をすることである。どちらかというと、「臭い飯」をもらいに行くより、こちらの方が簡単そうである。
とにもかくにも、この迷信を信じる人はインドに多いようで、警察官や弁護士までもが、囚人たちから「臭い飯」をもらい受けるために、ダースナー刑務所に列を作ると言う。
時々日本でも、「インドで少女が犬と結婚した」と言うようなビックリ・ニュースが報道されることがあると思うが、それも生誕時に運命づけられた災厄を防ぐための解決法で、これと似たような迷信である。面白いのは、どんな不幸な運命でも、インドにはそれを軽減させたり防いだりする方法が用意されていることだ。そこには、長年繰り広げられて来た、人間と運命との間の闘いの跡が刻まれているようである。
5月16日、第15回下院総選挙の開票が行われ、国民会議派(INC、コングレス)と、同党が盟主を務める連立党、統一進歩連合(UPA)の圧勝が明らかとなった。今回は選挙委員会が各メディアに対し、投票が終わるまで出口調査の公表を控えるように通告しており、最後の投票が行われた5月14日以降になってやっと出口調査の結果を見ることができた。インドの出口調査はアテにならないことで有名なのだが、一応参考にはなる。その時点で既に国民会議派優勢が伝えられていたが、それでもライバルのインド人民党(BJP)、または同党が盟主の連立党、国民民主連合(NDA)との僅差の戦いや、左翼政党や非国民会議派、非BJPの政党で形成される「第三勢力」の健闘が予想されており、内閣を組閣する上での大統領の決定権が議論され始めていた。元々インドの憲法は二大政党制型の国会を想定しており、現在のような中小規模の地方政党が乱立する状況に対処することが困難となっている。もしどの政党や連立党も過半数議席を獲得できず、議席数も拮抗してしまった場合、つまりハングになった場合、誰にまず組閣を命じるかの判断は、民主的に選ばれた訳ではない大統領1人に委ねられる。インドにおいて大統領は本来、国家の象徴に過ぎないが、ハングの国会では国の行方を左右する力を持ってしまうという欠陥がある。インドの政治史上、過去にも数回、大統領の決定権が重要な分かれ目となったことがあった。このような訳で、開票前は、ハング濃厚ということでインド初の女性大統領であるプラティバー・パーティルの存在が急にクローズアップされることになったのだった。しかし、幸いなことに、今回は大統領は難しい判断を下さずに済んだ。国民会議派とUPAが、過半数には届かなかったものの、明らかに優位を保っており、次の内閣を組閣する能力を十分に持っているからである。
とは言っても、インドは広大で、各州各地域によって状況は全く異なる。BJPとNDAが敗北したとは言っても、全国の各選挙区でBJPとNDAが軒並み議席を失ったわけではない。マディヤ・プラデーシュ州やチャッティースガル州などのBJPの牙城では相変わらずBJPが圧倒的強さを見せ付けたし、ビハール州ではNDAに参加している人民党統一派(JDU)が大勝利を収めた。ただ、全国に共通する傾向もあり、それは、ある程度しっかりと統治が行われている州において、州政府で与党を務める党の立候補者が多数票を獲得したことである。マディヤ・プラデーシュ州、チャッティースガル州、ビハール州は、それぞれBJPのシヴラージ・チャウハーン州首相、BJPのラマン・スィン州首相、JDUのニーティーシュ・クマール州首相がしっかりと統治していると伝えられている。また、デリーでは全7議席中7議席を国民会議派が獲得し、正に完勝であったが、それは国民会議派のシーラー・ディークシト州首相の善政に依るところが大きい。
各メディアは今回の選挙結果を、「有権者が安定政権を求めた」と分析している。現在インドにとって金融危機や南アジアの治安悪化への対処が急務となっており、有権者は政権交代による混乱よりも安定した政権の確立の方を好んだ結果、全国的に見れば、与党の国民会議派が勝利したし、地方を見れば、有能な州首相を擁する党が勝利したと分析できる。また、今回の国民会議派・UPAの勝利は、BJP・NDA側の敗北によって議席数を伸ばしたと言うよりも、左翼政党の衰退がそのまま国民会議派・UPAの議席増のつながったと言える。具体的には、元々左翼の牙城であったケーララ州と西ベンガル州において、左翼は急速に勢力を失った。国民が、左翼と共に発展はないと見切りを付け始めた兆候であろうか?来年予定されている西ベンガル州の州議会選挙が注目される。
「次期首相(PM in waiting)」を自称して選挙に臨んだBJPのLKアードヴァーニーの時代は、今回の敗北により終焉となりそうである。グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーが後継者として有力視されてはいるものの、グジャラート暴動の責任者とされる彼の存在が今回の敗北の要因の一つになったとの見方もあり、釘を刺された格好である。そうなると、BJPの中に有力な指導者を見出すのが難しくなる。BJPの復活は遠そうだ。
今回国民会議派にとって大きな収穫だったのは、ウッタル・プラデーシュ州で復権したことである。ウッタル・プラデーシュ州は全80議席を擁するインド最大の州であり、選挙の勝敗を左右する非常に重要な場所となっている。近年、大衆社会党(BSP)や社会党(SP)など、カーストを前面に押し出し、いわゆる「ソーシャル・エンジニアリング」によって票田の有権者を扇動することを得意とする地方政党がウッタル・プラデーシュ州を支配しており、国民会議派は票を伸ばせずにいた。元々国民会議派と社会党は近い関係にあるが、今回「牛ベルト」または「ヒンディー・ベルト」と呼ばれるウッタル・プラデーシュ州とビハール州でヤーダヴ・カースト、ムスリム、ダリト(不可触民)などを票田とする社会党、国民党(RJD)、国民力党(LJP)の3党が、国民会議派と袂を分かって「第四勢力」を形成し、三党で協力し合って選挙に臨むことを決断した結果、国民会議派も単独でウッタル・プラデーシュ州の選挙に挑むことになった。だが、国民会議派のソニア・ガーンディー党首の息子で、同党のスター・キャンペーナーであるラーフル・ガーンディーが、妹のプリヤンカー・ガーンディーと共に精力的に選挙活動を行った結果、21議席(前回と比べて+12)を獲得した。ラーフル・ガーンディーは、全国政党としての国民会議派の復活のために、ウッタル・プラデーシュ州とビハール州での復権を最重視している。ビハール州では惨敗であったが、ウッタル・プラデーシュ州では彼の選挙戦略が大当たりしたことになり、党内においてますます彼のカリスマ性が増す結果となるだろう。今回いきなり首相に就任することはなさそうだが、早速新内閣に入閣するか否かが取り沙汰されている。また、国民会議派はビハール州で惨敗したものの、ビハール州政府の与党政党であるJDUは元々セキュラリズム(宗教中立主義)を標榜しており、国民会議派の理念から遠い政党ではない。ラーフルも選挙中に、ニーティーシュ・クマール州首相のビハール州統治を賞賛する発言をしており、とりあえず早急に対決すべき相手ではないと考えているようだ。
それにしても「第四勢力」のコンセプトは自他共に認める大失敗であった。ラールー・プラサード・ヤーダヴ率いるRJDはビハール州下院選挙区において4議席(-18)まで衰退し、ビハール州でRJDと共闘態勢を取ったラームヴィラース・パースワーン率いるLJPに至っては、パースワーン党首の落選を含む0議席(-4)と完膚無きまでに叩きのめされた。ウッタル・プラデーシュ州をテリトリーとするムラーヤム・スィン・ヤーダヴ率いるSPは、同州選挙区において第一党となる23議席を獲得したものの、その数字は前回に比べて12議席も少なかった。
しかし、ムラーヤム・スィン・ヤーダヴの仇敵で、インド初の不可触民首相を目指すBSPのマーヤーワティーにとっても今回の選挙結果はショッキングなものであった。現在ウッタル・プラデーシュ州政府の与党政党であるBSPは、ダリト(不可触民)とブラーフマン(バラモン)を票田として急成長しており、その勢力はデリーにも及ぼうとしていたが、今回の下院選挙では大敗北を喫した。デリーでは0議席、ウッタル・プラデーシュ州では21議席(+2)。一応2004年の下院総選挙に比べたら増えているが、2007年の州議会選挙の結果から、BSPの議席数は40に届くとの予想もあった中のこの数字は、惨敗と言っていい。BSPの敗北原因についてはいろいろ書かれているが、本来ダリト政党でありながら、上位カースト候補者を大量に擁立したり、裕福な立候補者を送り込んだりしたことが、不可触民や貧困者たちの不満を買ったと言われている。彼女がウッタル・プラデーシュ州各地に建設中の大規模な不可触民記念碑も不興を買っているようだ。マーヤーワティーは明らかに異質の政治家であり、彼女が何かの間違いでインドの首相になったらとんでもないことになると個人的には考えているのだが、今回彼女が失速したことで密かに胸をなで下ろしている。彼女の敗北の弁も見苦しかった。彼女によると、今回のBSPの敗北は、SP、国民会議派、BJPが密かに共同して実行した陰謀が原因だと言う。そんなはずはないだろう!このような見苦しい台詞を吐く政治家を僕はインドで見たことがない。インドの政治家は選挙に敗北すると必ず、言葉だけでも、勝者を讃え、反省をしている。「汚職のデパート」と呼ばれるラールー・プラサード・ヤーダヴですら、今回の完敗の後に潔いコメントを残している。マーヤーワティーに一国の首相の器はないと見る。
ちなみに、5月31日午後9時からNHKで「インドの衝撃 第二回 国を操る弱者パワー ~争奪7億票 世界最大の選挙戦~」が放送予定である。その題名からしてBSPをメインに取り上げる内容となりそうだ。下院総選挙という観点ではタイムリーであるが、BSPにとって今回は壁にぶち当たった選挙であり、そういう意味では時代遅れの内容となってしまいそうだ。今回の下院総選挙をきっかけに、時代は地方政党主導の地方主義政治家からの脱却と、国民会議派を盟主とした汎インド主義の方向へ向かいそうである。もっとも、マハーラーシュトラ州では、急進的マハーラーシュトラ主義を掲げるマハーラーシュトラ改革セーナー(MNS)が勢力を拡大しており、地方主義はまだ完全に払拭されていない。
国民会議派の大勝により、インドの政治はますますネルー・ガーンディー王朝化しそうだ。ソニア・ガーンディー党首は党結束のシンボルとしてさらに輝きを増し、ラーフル・ガーンディーは若者の心を捉える政界のスターとしての地位を確固たるものとした。政界のマドンナ、プリヤンカー・ガーンディーも大活躍し、要請があればいつでも本格的に政界入りできそうである。ガーンディー一家は盤石の体制を整えたと言っていい。相変わらずマンモーハン・スィン首相の影は薄いが、それでも彼の持つクリーンなイメージは選挙に大いに有利に働いただろうし、昨年の印米核協定締結時に左翼との対決を断行した毅然とした態度は、彼が決して「インド現代政治史上もっとも弱い首相」ではないことを示している。しかしながら、やはりインドの政治の中心はガーンディー一家だ。もちろん、血統主義への批判は根強い。日本でもちょうど政治家の世襲が問題となっている。だが、世襲政治家よりも、一定の票田を武器に社会を分断して政治をコントロールしようとする政治家の方が民主主義国家においてはよっぽど危険であり、インド国民は投票によってその意思表示したと言える。ただ、元々インドはマハーラージャーの支配する国であり、「王様」による世襲統治の方が一般人には分かりやすいし納得しやすいのかもしれない。
ガーンディー関連でもうひとつ興味深いのは、「裏ガーンディー家」とでも呼ぶべきメーナカー・ガーンディーとその息子ヴァルン・ガーンディーも親子揃って当選したことである。ソニア、ラーフル、プリヤンカーの「表ガーンディー家」と、メーナカー、ヴァルンの「裏ガーンディー家」の関係はこうである。インディラー・ガーンディーには2人の息子がいた。長男はラージーヴ、次男はサンジャイである。元々インディラーの後継者に目されていたのは次男のサンジャイであり、実際に政治家への道を歩み始めていたが、飛行機事故により夭折してしまった。そこで急遽長男のラージーヴが後継者となった。メーナカーはサンジャイの妻であり、イタリア人のソニアはラージーヴの妻である。つまり、元々ガーンディー家の政治家としての直系はサンジャイ、メーナカー、ヴァルンのラインにあった。しかし、サンジャイの急死によって直系はラージーヴ、ソニア、ラーフル、プリヤンカーのラインへ移行してしまった。傍系に追いやられたメーナカーは、国民会議派のライバルであるBJPに入党し、息子のヴァルンもBJPから立候補した。今回、ネルーやインディラーの血を引くガーンディー家の末裔が4人、下院議員に当選した。ヴァルンは、物腰の柔らかそうなラーフルとは違って激情家のようで、選挙活動中に一定のコミュニティー(おそらくイスラーム教徒)への憎悪を扇動するようなヘイト・スピーチをしたとして大いに物議を醸した。母親のメーナカーも時々動物愛護などを理由に有名人攻撃をしたりして、挙動不審さで恐れられている。やはり国のファースト・ファミリーの直系から転落したコンプレックスがこの親子には渦巻いているようで、マーヤーワティーと同じく怨念を原動力とする一触即発の爆弾としか言いようがない。この表裏ガーンディー家対決が、今回の国会で面白い展開を呼び込むことになるかもしれない。
女優シャウカト・カイフィーの自伝「Yād ki Rehguzar」が、東京外国語大学の麻田豊准教授と、その教え子の村上明香さんによって日本語訳され、東京外国語大学ウルドゥー文学会から出版された。最近その書評を、長年インド関係者の間で愛読されているインド通信に投稿した。編集部の許可を得て、「これでインディア」にも転載する。
近年インドでは、ドゥルガー・コーテー、カプール一族、ディリープ・クマール、ダット夫妻、デーヴ・アナンドから、恐れの知らず(フィアレス)のナディアやヘレンまで、ヒンディー語映画界を支えて来た往年の俳優たちに関する自伝または伝記が相次いで出版されており、一種の流行の様相を見せている。シャウカト・カイフィーも演劇界・映画界で功績を残した名女優であり、2006年出版の彼女の自伝「Yād ki Rehguzar」もその潮流の中で捉えていいのかもしれない。だが、明らかに他の自伝・伝記と異なるのは、それがまずウルドゥー語・ヒンディー語で出版されたことである。他の書籍は英語で出版されている。本書を読めば分かるように、彼女はウルドゥー語に高い誇りを持っており、英語版に先駆けてそれらの言語で出版されたのも、彼女のこだわりだったと推測される。考えてみれば、ヒンディー語映画界で活躍して来た俳優たちの自伝・伝記がまず英語で出版されるのは奇妙な現象と言う他なく、彼女の判断の方こそ自然なのだと思いたい。
また、シャウカトの夫は著名なウルドゥー語詩人カイフィー・アーズミーであり、シャウカトの目を通して彼の人生、創作活動や慈善活動、そして日常の人となりを垣間見ることができるのも、他の映画俳優の自伝・伝記にはなかなかない特徴である。後半はほとんどカイフィーの伝記と言っていい。また、2人の娘であるシャバーナー・アーズミーも著名な女優であり、彼女の半生にも母親の視点からスポットが当てられている。その他にも本書には文学界・演劇界・映画界の重要人物が多数登場し、インドの文学・演劇・映画に関心を持つ者にとって興味深い一冊となっている。
原作のウルドゥー語版とヒンディー語版は以前から手元にあり、特にヒンディー語版の方を中心に読んだことがある。訳者の1人である、東京外国語大学の麻田豊准教授に勧められて購入したのだった。ヒンディー語版とウルドゥー語版に語彙などを含めて大きな違いはない。麻田氏は訳書あとがきの中で本書について、「読み始めたら止まらなくなり一気に読了。気がつくと、声を出して朗読していた」と絶賛しているが、それとほとんど変わらぬトーンの賛辞を聞いてから読み始めたため、多少距離を置いた読書になった記憶がある。インド好きの日本人は概してアマノジャクであり、本でも映画でも、他人が「良い」と言うものを「良くない」と評価し、「良くない」と言うものを逆に「良い」と評価する困った傾向にあるものだ。その性向が自分の中にも巣くっているのか、本書に対する当時の個人的評価はあまり高くなかった。そのときの感想を一言で表せば、「資料としての価値はあるが、文学としての価値は低い」というものだった。プライドの高い人物の自伝ではよくありがちであるが、全編が自慢話と身内の美化と大袈裟な感情表現で溢れており、すんなり消化できない部分が多い。そしてこれは女性の自伝特有の現象と言っていいのであろうか、かなり昔のことなのに所持金の額やら商品の価格やら金額が細かく記憶され記載されていたり、服装やら料理やら家の装飾やらがやたら詳細に説明されていたり、変な部分で具体的である一方、演劇や映画などに関するキャリアの部分などが、正直にかつ十分に語られ尽くされていないように感じられた上に、事件の客観的な分析力にも欠けていた。さらに、思い出話が付け足しのように突然挿入されることが多くて、時系列やストーリーの一貫性に欠け、文学としての完成度は、自伝・伝記の一歩手前である回想録の段階に留まると評価せざるをえなかった。
それでも、今回、麻田氏の監督の下に、新進気鋭のウルドゥー語文学研究者、村上明香嬢が日本語に訳した邦訳版「想い出の小路」を読み返してみて、新たな価値を見出すことができた。麻田氏が「何といっても、著者の『恋物語』の部分が圧巻」と指摘するように、冒頭に出て来るシャウカトとカイフィーの出会いから結婚までの物語は、詩のやり取りを通して、美しく、力強く、そして狂おしく描写されており、本書の中のハイライトであることに間違いない。だが、それだけではなく、その後の記述からも、カイフィーに対する彼女の愛情と尊敬は読者にひしひしと伝わって来る。それらがあるからこそ、終盤の、カイフィーが半身不随になり、さらに死に至るまでの下りは、涙なしには読めない。余計な部分を取り払い、シャウカトとカイフィーの二人三脚の旅の記録だと考えれば、「想い出の小路」は文学作品として急に輝き出す。さらに、訳者が、文中に登場する語彙や人名を丹念に調べ上げ、解説を加えてくれているおかげで、シャウカトが生きて来た時代がより鮮明に浮き彫りになっていた。冒頭部分における独立前のハイダラーバードの描写は特に興味深いし、全編を通して、シャウカトやカイフィーと親交のあった進歩主義詩人や演劇・映画関係者が自然に知識に入って来る。これらは丁寧な訳書ならではの特典であろう。
結論として、「想い出の小路」は、読者によっていろいろな読み方ができる本だと言える。もしかしたら女性読者にとっては、シャウカトがいちいち記述する金額だとか色だとか装飾品だとかに興味を引かれるのかもしれない。ウルドゥー語文学ファンは、登場する詩人たちの豪華さだけで満腹になるのではなかろうか。インドの古典映画愛好家にとっても見逃せない記述がいくつかある。文学として完成されていない分、読者に読み解く自由や可能性が与えられている本だと評せられる。
(初出:インド通信 第367号 2009年5月1日発行)
「想い出の小路」をご所望の方は、que.sera.sera.urd@gmail.com(村上)まで。
気が付けば今のところ人生の約3分の1をインドで過ごしている。言うまでもなく、時間というのはひとつの強力な武器であり、のほほんと暮らしていても自然と発言に重みを感じられてしまうものである。そういう訳かどうか分からないのだが、日本人にもインド人にもよく「日本とインド、どっちがいい?」と聞かれる。だが、海外に住むから見える日本の魅力というのもあるし、長年住んでいるからこそインドの駄目な部分を余裕を持って長所に数えてしまうようなところもあったりする。逆に、日本はインドから学ばなければならないと思う点もあれば、インドよ、頼むからもっとしっかりしてくれ、と頭を抱えてしまうところもある。詰まるところ、陳腐な言い方になるが、日本のいいところ、インドのいいところ、それぞれある。
それでもひとつはっきり言えることは、外国人という特殊な立場からか、既にインドに生活拠点や人脈を持っているからか、それともよっぽどインドが好きなのか、僕はインドにいる方が基本的にリラックスできている。だが、日本に一時帰国して、ひとつだけホッとできることがある。それは、いちいち少額の紙幣・貨幣を揃えなくていいことである。
インドには、貨幣が1ルピー、2ルピー、5ルピー、紙幣が5ルピー、10ルピー、20ルピー、50ルピー、100ルピー、500ルピー、1000ルピーとある。1ルピー貨幣の下の単位の貨幣や、1ルピー、2ルピー紙幣も存在するが、現在ではほとんど流通していない。最近10ルピー貨幣も流通し出したが、まだ一般には十分に普及していない。ちなみに現在1ルピー=2円ぐらいである。おそらく普通の日本人なら、そして小学校程度の算数をマスターしている人なら、1000ルピー札1枚と10ルピー札100枚の間に何の価値の違いも感じないだろう。どちらがいいかと言われれば、おそらく10ルピー札100枚の札束の方を敬遠することが多いだろうと思う。しかし、インドで1000ルピー札1枚を持って外へ繰り出すのは、所持金ゼロとほとんど変わらない。デリーのような都会ならまだいいかもしれないが、田舎へ行ったら大きな困難に直面するだろう。逆に、10ルピー札100枚の札束を持つ人は、いろいろな可能性を秘めている。僕だったら間違いなく10ルピー札100枚の札束を頂戴する。
1000ルピー札1枚よりも10ルピー札100枚の方を取る原因は、「お釣りがない」というインドでは日常茶飯事の出来事である。
日本では、よっぽどの場合、「お釣りがない」と言われることはない。敢えて言えば、気を付けなければならないのはバスに乗るときくらいか。それでも、運転手に言えばお釣りを用意してもらえるだろう。恥ずかしながら詳しくは知らないのだが、最近日本のいろいろな場所でカード化が進んでいるので、もうそんな時代でもないのかもしれない。少なくとも僕は今でも日本でバスに乗る前には必ず財布に必要な小銭があるかチェックしている。それ以外の場面で、財布に入っている所持金のみならず、財布に入っている紙幣・貨幣の種類や数にまで気にしなければならないことは日本ではない。よって、1万円札が1枚入っている状態と、1000円札が10枚入っている状態に違いはない。もちろん、1万円札を崩すとすぐにお金を使ってしまうということはあるかもしれないが、所持金額ではなく所持紙幣・貨幣の種類と数が生活の上で決定的な違いをもたらすということはないだろう。
だが、インドでは、相手にお釣りがないとき、また、相手が小銭の不足を感じているときは、高額紙幣の受け取りを拒否されることがよくある。よって、1000ルピー札1枚を持っている人は、10ルピー札100枚を持っている人に比べて、購買力が劣ることになるのである。また、政府系窓口などでは、「お釣りができるまで待ってくれ」と言われることも多々ある。お金を払うまで長蛇の列に並んでいたときなどは特に、小銭がないばかりにエクストラの待ち時間を追加されてしまい、損した気分になる。さらに、インドのように定価があってないような世界では、お釣りの返却を前提とした高額紙幣の支払いは、厳密に言えば向こうに値段交渉の最終決定権を譲渡してしまう自殺行為でもある。例えばオートリクシャーに乗る際、目的地まで60ルピーで事前交渉したとする。だが、オートワーラーが途中で何らかの理由で「やっぱり80ルピーにしてくれ」と言い出したとする。当然、こちらもごねる。ごねつつ目的地に到着。いざ支払いの段階になって、手元に60ルピーのお金がちょうどあった場合、無理矢理60ルピーを握らせておさらばすることは可能である。だが、もし60ルピーのお金がちょうど用意できなかったとする。そして100ルピー札で支払わなければならなくなったとする。そうなった場合、オートワーラーにお釣りとして40ルピーを返してもらえる確率は限りなく低くなる。多くの場合、20ルピーしか返してくれないだろう。小銭がない状態では、値段の交渉権すら危うくなる。
と言う訳で、インドにいる限り、僕は常に財布の中の紙幣と貨幣を気にして生活している。特に気にしているのは、10ルピー札と100ルピー札の数である。10ルピーは、飲料、野菜、バイクの駐車場代などのためになければならないし、60~70ルピーくらいの買い物のときに50ルピー札と合わせて使うためにも重要である。100ルピー札は、軽食代、インターネット代、掃除人の給料などのために、持っていなくてはならない。常に財布から10ルピー札と100ルピー札を途切れさせないように気を配っており、少なくなって来たな、と思ったときは、お釣りがもらえる場所で積極的にお釣りがもらえるような高額紙幣の使い方をして、それらの貴重な紙幣を手に入れる。ある程度高級な店舗、レストラン、ガソリンスタンドなどが小銭の荒稼ぎ場として最適である。よく「細かい金はないのか?」と聞かれることもある。小銭に不足のないときはしぶしぶと支払うし、本当に小銭がないときは財布を見せて「ない」と言うのだが、「本当はあるんだけど、ここで使うとなくなってしまう」という時は、「ない」としらを切る。本当は小銭があるのに、使いたくないから高額紙幣で支払っているときなど、「細かい金はないのか?」と言われないか、不安で不安で仕方がない。きっと高額紙幣を手渡す瞬間、僕は万引きが万引きをするときみたいな悪質な顔をしているのではなかろうか?それでも、本当に向こうにも小銭がないときがあるのである。そうなると、前述の通り、受け取りをむげに拒否されることもあるし、親切な人だとどこかへお金を崩しに行ってくれることもあるが、急いでいるときなどは大変いらいらする。そうなったら、「実は持ってたんだ」と言って秘蔵の小銭を渡すしかない。90ルピーの買い物に10ルピー札9枚を渡さなければならなくなったときなどは、まるで一生の稼ぎが国家の崩壊と急激なインフレによりパンも買えないような金額になってしまった人の心境のごとく、僕は心の中で涙する。たとえその行為によって損をせずに済んだとしても、つまり、例えば90ルピーの買い物のために100ルピー札を払い、向こうにお釣りの10ルピーがないために「釣りは取っておいてくれたまえ」ということにせずに済んだとしても、10ルピー札を大量に失ったショックの方が大きいのである。言い換えれば、僕にとっては100ルピー札1枚よりも10ルピー札9枚の方が貴重だし、もっと言えば1000ルピー札1枚よりも100ルピー札9枚の方が貴重なのである。
これだけ気を付けてはいるのだが、やはりどうしようもないときはあるもので、財布の中から10ルピー札や100ルピー札がなくなってしまうという事態も発生する。そうなると、いくら500ルピー札や1000ルピー札を持っていても、途端に焦りを感じて来る。早く10ルピー札を作らなければ、早く100ルピー札を手に入れなければ、どこで何を買ってそれを実現しようか、そればかりを考えてしまう。
逆に、手持ちの10ルピー札や100ルピー札がいつにも増して多いときは、急に羽振りがよくなったような気分になるものだ。普段はとりあえず高額紙幣を使うような場面でも(例えば90ルピーの買い物には常に100ルピー札を使用するし、400ルピーの買い物には常に500ルピー札を使用する)、余裕を見せて小額紙幣の束を使って払ってしまったりもする。500ルピー札や1000ルピー札では、いくら持っていても本当にリッチな気分になれないのだが、10ルピー札、20ルピー札、50ルピー札、100ルピー札が多くなると、錯覚ながらもリッチな気分になれる。また、意外にも相手がお釣りとして小額紙幣を大量にくれたときなどは、鬼の首を取ったかのような気分になる。例えば300ルピーの買い物に500ルピー札を使い、100ルピー札2枚がお釣りとして来るだろうと予想していたら、向こうの手持ちの紙幣の関係で10ルピー札が20枚来た、なんて場合は心の中でしめしめとほくそ笑む、なんてものではなく、飛び上がって喜びたくなる。さらに、小銭を大量に持っている人は、小銭がなくて困窮する子羊たちに救いの手を差し伸べる「崩し」の能力を持つ。インドの街中では、高額紙幣を小額紙幣に崩したくてしょうがない人がよくうろついており、外国人と言えど、見知らぬ人や店の人から「崩してくれませんか?」と頼まれることも少なくない。常に大量の小銭を持っていれば、そういう無計画に小銭を使い散らしてしまった憐れな人々に救いの手を差し伸べ、功徳を積むことも可能となる。
このように、インドにいると、常にこのような不毛な精神戦を繰り広げなければならず、この点ではリラックスできないのだが、日本に足を踏み入れた途端、そのような心配から解放され、急に新鮮な空気を吸ったようなすがすがしい気分になる。そこは日本のいいところであろう。
しかし、日本ではどう逆立ちしても1000円札が1万円札に勝るようなことはないのだが、インドではそれぞれの紙幣に独自の価値があり、場面によっては10ルピー札が1000ルピー札よりも重宝されると言ったことがある。それは不便でもあるのだが、お金が単なる数字になってしまった世界にはない優しさも同時に感じる。お金を人間に置き換え、年収、年齢、偏差値、そういった諸々の数字のみで価値を判断される訳ではないと表現してみれば、インドのこの「お釣りがない」社会も捨てたものではないと思えて来てしまうのである。やはり、インドと日本、どちらがいいかを判断するのは難しい。
米国のセキュリティー企業のマカフィー(McAfee)が5月27日、世界の国別「危険検索語」リストを発表した(参照)。危険検索語とは、グーグル(Google)やヤフー(Yahoo!)などの検索サイトを利用して検索した際、コンピューター・ウィルスなどに感染する恐れのある危険サイトに誘導されやすいキーワードのことである。国別とは言えど、世界全ての国を網羅している訳ではなく、日本も調査の対象になっていない。アジア太平洋地域では、オーストラリア、ニュージーランド、そしてインドがピックアップされていた。ここではマカフィーのデータをもとに、インドの危険検索語について考察してみる。
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インド向け危険検索語として、10種類のキーワードが挙げられている。それらを危険度順に書き出すと以下の通りである。
- waptrick
- katrina kaif
- orkut
- yahoomail
- shahid kapur
- rediffmail
- how to earn money
- namitha
- shimla
- beijing 2008 olympic games
1番の「waptrick」とは、携帯電話向けコンテンツの無料ダウンロードサイトである。3番の「orkut」は、インド人に人気のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、4番の「yahoomail」と6番の「rediffmail」はインド人がよく利用しているフリーメール・サービス、9番の「shimla」は北インドの人気避暑地、10番は言わずと知れた北京五輪のことである。7番の「how
to earn money(お金を儲ける方法)」は分かりやすい過ぎるキーワードだ。
注目なのはそれ以外のキーワードである。
2番に「katrina kaif」、5番に「shahid kapur」、8番に「namitha」というキーワードが入って来ているが、これらは映画スターの名前である。危険検索語リストにランクインするということは、このキーワードを検索するユーザーが多いということであり、つまりはインド人に人気のスターと言い換えてもいいだろう。
そう考えた上での、2番のカトリーナ・カイフには納得である。彼女はボリウッド映画界の若手女優の1人で、現在のトップスターと言っても過言ではなく、今一番勢いのあるインド人女性の1人である。美しさ、ゴージャスさ、セクシーさ、かわいさといった、女性の魅力の原点となるものの多くを網羅的に兼ね備えた希有な存在であり、それが彼女の人気の秘密だと分析している。昨年は彼女の当たり年だった。ネット上でも彼女の人気は急上昇で、例えば壁紙ダウンロード数で長年の人気スター女優、アイシュワリヤー・ラーイを抜いてトップに立っていた。それに伴い、彼女の名前が危険検索語にランクインするのは自然の流れだと言っていいだろう。
カトリーナ・カイフ
だが、5番のシャーヒド・カプールは意外であった。確かに「Vivah」(2006年)や「Jab We Met」(2007年)など、着実に成長はして来ている。ジャニーズ系のソフトな顔立ちをしているので、日本人にも人気が出るのではないかと思っていた。ダンスもうまいし、運動神経もいい。非常にバランスのいい男優である。だが、シャールク・カーンなどの他の人気スターを押しのけて、彼が危険検索語にランクインするのはちょっと信じられない。知らない間に密かに人気が出て来ているのであろうか?それとも何かの陰謀であろうか?
シャーヒド・カプール
カトリーナ・カイフとシャーヒド・カプールはヒンディー語映画界、通称ボリウッドの俳優になるが、8番のナミターはタミル語映画界、通称コリウッドを中心に活躍する南インドの女優である。通称タミル語映画界のグラマラス・クイーンらしい。確かにインドの大衆が好きそうな体型をしている。彼女が危険検索語と結び付く理由も何となく予想できる。
ナミター
しかし、そうなって来るとますますシャーヒド・カプールが危険検索語になる理由が分からなくなる。なぜボリウッドのセックス・シンボルであるマッリカー・シェーラーワトがいなくて、シャーヒド・カプールがいるのか?まだインドの神秘は続いているようである。
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5月31日(日) 映画大国インド:ひとつの疑問 |
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しばしばインドは「世界一の映画大国」と称される。その根拠となっているのは、年間映画制作本数の多さである。一口に映画と言ってもいろいろな種類があるのだが、制作本数が話題となる場合、それは「35mmフィルム形式の長編映画」ということになる。つまり、映画館での上映を第一目的とした、一定の長さのある映画のことを指す。よって通常、ビデオ映画や短編映画は含まない。ちなみに、長編映画と短編映画の区別は、上映時間が34分以上があるかないかである。インドは、35mm長編映画の制作本数が世界一であるため、世界一の映画大国と呼ばれているのである。
インドの制作本数が世界の中でどのくらい多いか概観できるデータがある。ユネスコ統計研究所(UIS)が2007年に調査したデータをもとにしたレポートである(参照)。その中に、2006年の国別長編映画制作本数のグラフがある。
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改めて上位10位をまとめてみると、以下のようになる。()の中は制作本数。
- インド(1,091)
- 米国(485)
- 日本(417)
- 中国(330)
- フランス(203)
- ドイツ(174)
- スペイン(150)
- イタリア(116)
- 韓国(110)
- 英国(107)
グラフを見れば一目瞭然だが、インドはダントツである。2位の米国に2倍以上の差を付けている。ただ、但し書きもある。この調査は35mmフィルム形式の映画に限られているが、もしビデオ形式の映画も含めた場合、ナイジェリアが上位にランクインして来る可能性があるのだ。ナイジェリアは隠れた映画大国で、2005年には872本の長編映画がビデオ形式で制作されている。ナイジェリアではほとんどの映画は映画館で上映されず、直接DVDやVCDに焼かれて売られている。だが、インドや他の国々でもビデオ形式の長編映画はけっこう制作されているはずで(あのアカデミー賞受賞作品「スラムドッグ$ミリオネア」も、元々はビデオ形式の映画だった)、ナイジェリアがそのまま2位にランクインするかどうかは疑問だ。例えばインドの場合、2006年には545本の長編映画がビデオ形式で制作されており、35mmフィルム形式の映画と合計すると1,636本となる。たとえビデオ形式の映画を含めても、インドの映画大国としての地位は揺るがないはずである。
インドの膨大な制作本数の秘密はその多言語社会にある。トーキー映画が上陸して以来、インドでは各主要地域で各言語の映画産業が育ち、地域色の強い地域言語映画があちこちで作られるようになった。映画制作の拠点や市場が複数あり、その多くが地元に熱狂的ファンを抱え、ちょっとした国家の映画産業並に繁栄しているため、インド全体で合計した場合、制作本数が多くなるのである。UISの調査でも、インド映画界の多言語状態について触れられていた。上のグラフは2006年のデータだったが、下の言語別制作本数・割合のグラフは2005年のデータを基にしている。
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まとめると以下のようになる。このグラフからすると、この年のインド全体の制作本数は882本だったようである。
- テルグ語(268本、26%)
- ヒンディー語(245本、24%)
- タミル語(136本、13%)
- カンナダ語(81本、8%)
- マラヤーラム語(67本、6%)
- 英語(21本、2%)
- その他(125本、12%)
2006年の言語別データも手に入ったので、参考までに記載しておく。ただし、上位7位のみである。
- テルグ語(245本)
- ヒンディー語(223本)
- タミル語(162本)
- マラヤーラム語(77本)
- ボージプリー語(76本)
- カンナダ語(75本)
- マラーティー語(73本)
ここでひとつ注記しておきたいのは、インドにおける「制作本数」の定義である。インドでは、中央映画検閲委員会(CBFC)という政府機関が映画の検閲や年齢認証を司っており、いかなる種類の映画も、CBFCの認可が下りなければインド国内において公の場で上映できない。CBFCは毎年認可した映画の数を公表しており、それが一般に制作本数データとして利用されている。つまり、一般にインドで映画の制作本数と言った場合、このCBFCが上映を許可した映画の数を指す。毎年、制作されたが認可が下りなかった映画もいくらかあるため、「制作本数」と言うよりも「認可本数」と言った方が正確である。だが、便宜上、「制作本数」という言葉を使っているということをご了承いただきたい。上記のグラフやデータも、CBFC発表の情報に基づいている。
前々から疑問に思っていたのは、テルグ語映画とタミル語映画の制作本数の多さである。一応インドの公用語としての普及度を誇り、インド全国や海外の広範な国々に市場を持つヒンディー語の映画の制作本数ですら、実際に映画館で上映される映画の数に比べたら2~3倍ぐらい多い感じなのだが(おそらく映画祭向け映画や駄作過ぎて上映をOKしてくれる映画館が見つからなかった映画なども含まれるのだろう)、国内と海外に一定の市場しか持たないテルグ語映画やタミル語映画の制作本数がこれだけ多いのは不思議でならない。テルグ語映画を例に取って考えてみよう。1年に映画が250本制作されているということは、単純計算したら、毎週4~5本の映画が公開されなければならないことになり、当然のことながら、それだけの数の映画がコンスタントに制作されていなければならなくなる。いくらテルグ語映画界が活況だとは言っても、それはさすがに信じられない。
そういうことを常々考えており、いつしかひとつの仮説を思い付くに至ったのだが、南インド映画に詳しいカーヴェリ川長治の南インド映画日記の管理人アシュヴァッターマン氏から有力な助言が得られ、その仮説の大部分がおそらく間違いではないと思えるようになった。その仮説とは、吹き替えの問題である。
南インド映画界では、他言語映画の吹き替え版もけっこうな人気を誇っているようである。もしかして吹き替えの映画もカウントされているから、それらの言語の映画制作本数が多くなってしまっているのではないだろうか。アシュヴァッターマン氏からは、その仮説において重要な「吹き替え」の定義について、有力な情報をいただいた。例えば、同じ映画のタミル語版とテルグ語版があるとする。そうした場合、以下の3つの状況が考えられると言う。
- 共同制作や同時制作のように、初めからタミル語とテルグ語の両者で公開することを前提に作られた作品。これには、ダビングだけを変えたものと、配役の一部/シーンの一部も変えたものがある。
- リメイク作品。他言語のヒット映画を新たに撮り直したもの。
- 吹き替え作品。他言語のヒット映画を、後で自言語版に吹き替えたもの。
これらの中で、制作本数の観点から、まず2番はさほど問題にならないはずである。リメイク映画は新たに撮り直しているのであり、制作本数を数える際、独立してカウントしていいだろう。1番は1本と数えるべきか、2本と数えるべきか、多少問題になるが、アシュヴァッターマン氏によれば、そのような映画は公開前からヒットが見込まれるような、大スター配役の大予算映画に限られ、年間数本ほどであり、制作本数に大きな影響を与えるものではない。もっとも問題なのは3番の吹き替え映画である。ただ台詞を吹き替えただけの映画を別の映画としてカウントするのは、制作本数という言葉のイメージからはかけ離れていると言わざるをえない。ただ、前述の通り、「認可本数」だとしたら、映像そのものは同一でも、台詞が変更となった映画を、新たに検閲をすることは変なことではないし、むしろ必要な措置であろう。それを裏付ける証拠もある。インド映画が上映される際、冒頭に必ずCBFCの認証が表示されるが、映画の題名と共に映画の言語も記載されている。つまり、CBFCは言語別に認可を与えている可能性が高く、吹き替え映画も別の映画としてカウントされていることは十分予想される。実は、南インド映画の中には、このような単純な吹き替え映画が無視できないほど存在するのである。
南インド映画界では、「ダイレクト(direct)」または「ストレート(straight)」と、「ダブド(dubbed)」という独特な言葉が使われるようである。前者は完全に自言語の映画を指し、後者は他言語の映画の吹き替え版を指す。タミル語映画にどれだけ吹き替え版があるのかを示した興味深いデータがネット上にあった(参照)。
年 |
ダイレクト映画数 |
吹き替え映画数 |
合計 |
1999 |
85 |
64 |
149 |
2000 |
68 |
72 |
140 |
2001 |
75 |
80 |
155 |
2002 |
83 |
85 |
168 |
2003 |
102 |
107 |
209 |
2004 |
78 |
112 |
190 |
2005 |
100 |
26 |
126 |
2006 |
105 |
42 |
147 |
2007 |
99 |
12 |
111 |
2008 |
115 |
- |
115 |
年によってばらつきがあるが、2004年まではタミル語映画のほぼ半分が吹き替えであった。2005年を境に吹き替え映画の数が激減しているのは、ザ・ヒンドゥー紙のこの記事によると、どうやら吹き替え映画に高額な税金が課せられるようになったからのようである。おそらくタミル語ダイレクト映画の保護のためであろう。また、2008年の吹き替え映画の数が入っていないが、これはゼロということではなく、ハリウッド映画のタミル語吹き替え版が多すぎて追跡不可能ということらしい。また政策が変更されたのであろうか?
もうひとつのデータによると、2004年に公開されたタミル語映画の内、ダイレクト映画数は81本である一方、吹き替え映画数は87本である。さらに、ダイレクト映画の内、リメイク映画は23本、2言語で同時制作されたのは4本になる。データによって微妙に数が違うが、その検証はここではしない。
さて、テルグ語映画の方はどうかと興味が沸くのだが、この点について、南インド映画愛好家の日本人Periplo氏が既にブログで触れられていた(Priyan News & Gossips)。それによると、テルグ語映画として公開されている映画の中の3分の1は他言語からの吹き替え映画のようである。やはりテルグ語映画界でも、吹き替え映画に対する規制の動きが強まっていることにも触れられている。また、先のザ・ヒンドゥー紙の記事にも書いてあったが、タミル・ナードゥ州やアーンドラ・プラデーシュ州には吹き替えを専門にする業者が存在することも注視すべきである。吹き替え映画が独立した産業として定着していると言える。
ここではタミル語映画とテルグ語映画について特に取り上げたが、マラヤーラム語映画でも少なからず似たような状況のようだ。ヒンディー語映画、ハリウッド映画、他の南インド映画のヒット作品の吹き替え版が南インドで大いに上映されていると言っていい。ただし、カルナータカ州では吹き替え映画が完全に禁止されているそうだ。
ここでヒンディー語映画界における吹き替えの状況についても触れておこうと思う。まず言えるのは、ヒンディー語映画界において、他のインド言語からの吹き替えはほとんど流行っていないということだ。今年、タミル語映画「Dasavathaaram」(2008年)のヒンディー語吹き替え版「Dasavtar」が公開されたが、これはとても稀なケースである。複数言語同時制作映画も時々公開されるが、これも1年に1、2本あるかないかぐらいだ。リメイク映画は多いが、先に述べた通り、制作本数という観点からは無視してよい。ハリウッド映画のヒンディー語吹き替え版はたくさん公開されている。上で挙げたタミル語映画の表の中の「吹き替え映画数」の中には、ハリウッド映画のタミル語吹き替え版も含まれている。だが、CBFCが公表する言語別制作本数データに、ハリウッド映画の吹き替え版は含まれていないと予想される。なぜなら、CBFCのデータでは、映画はまず35mm映画とビデオ映画に分類され、35mm映画は、1)インド製長編映画、2)外国製長編映画、3)インド製短編映画、4)外国製短編映画の4カテゴリーに分類されるからである。ハリウッド映画は当然外国製長編映画に分類されるし、それがいくらインドの言語に吹き替えられようとも、CBFCのデータ上では外国製長編映画に変わりない。そして、一般に言語別映画制作本数データの対象となるのは、インド製映画のみだ。さらに、もしインド製映画がインドの他の言語に吹き替えられた場合、言語別データ上、それは別の映画としてカウントされると思われる。
以上のことから何が言いたいかと言うと、まずひとつは、CBFC発表のヒンディー語映画の「制作本数」は、ダイレクト映画という意味では、かなり実態に近い数である一方、カンナダ語映画を除く南インドの映画の「制作本数」は、他言語からの吹き替え版がかなり含まれた、水増しされた数字である可能性が高いということである。特に、テルグ語映画の年間制作本数はしばしばヒンディー語映画を凌ぐのだが、それがそのまま、テルグ語映画がインドで一番の制作本数を誇るということにはならない。もし、テルグ語映画の3分の1が吹き替えだというのが本当だとしたら、そしてダイレクト映画の数を厳密に「制作本数」とするならば、テルグ語映画の制作本数はヒンディー語映画をかなり下回った数字にならなければならない。また、インド全体の年間映画制作本数も見直さなければならなくなる。吹き替え版を除いても2位の米国を下回ることはないだろうが、それでも一般に知られているインドの映画制作本数は多少誇張された数字だと言わざるをえない。インド言語間相互の吹き替え映画を差し引いた実数は、おそらくその1~2割減くらいであろう。