スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2009年11月

装飾下

|| 目次 ||
映評■1日(日)Aladin
映評■6日(金)Ajab Prem Ki Ghazab Kahani
映評■7日(土)Jail
散歩■10日(火)聖者トゥルクマーンの墓の謎
言語■13日(金)デーヴナーグリー文字は脳にいい?
映評■14日(土)Tum Mile
映評■19日(木)Kurbaan
言語■20日(金)宣誓言語問題
分析■24日(火)ラブ・ジハード
分析■25日(水)スター登場のお値段
映評■27日(金)De Dana Dan


11月1日(日) Aladin

 インドではハロウィンはほとんど祝われないが、ハロウィンのムードから遠くないイメージの映画が公開されることはある。ハロウィン週に公開となった「Aladin」は、千夜一夜物語の中でもっとも有名な、いわゆる「アラジンと魔法のランプ」のストーリーをベースにして作られたオリジナルのアドベンチャー映画である。基本的に子供向け映画ではあるが、アミターブ・バッチャンとサンジャイ・ダットという、ボリウッドの人気ベテラン男優の共演があり、豪華さでは一般の娯楽映画に負けていない。監督は「Home Delivery」(2005年)などのスジョイ・ゴーシュである。

 ちなみに、日本では「魔法のランプ」の主人公の名前は一般に「アラジン」と表記されているが、アラビア語の原音ではアラーウッディーンである。アラーウッディーンが英語で「Aladin」と訛り、それが日本語に入って「アラジン」になった。ボリウッド映画「Aladin」は、英語訛りの名称が題名に採用されているが、劇中では「アラーディン」の他に「アラーウッディーン」と発音されていることもあった。ここでは便宜的にアラーディンで統一しておく。



題名:Aladin
読み:アラーディン
意味:主人公の名前
邦題:アラジン

監督:スジョイ・ゴーシュ
制作:スニールAルッラー、スジョイ・ゴーシュ
音楽:ヴィシャール・シェーカル
歌詞:ヴィシャール・ダードラーニー、アンヴィター・ダット・グプタン
振付:ボスコ・シーザー、ピーユーシュ・パンチャール、ギーター・カプール、シヤーマク・ダーヴァル
衣装:ナレーンドラ・クマール・アハマド
出演:アミターブ・バッチャン、サンジャイ・ダット、リテーシュ・デーシュムク、ジャクリーン・フェルナンデス(新人)、ヴィクター・バナルジー、ラトナー・パータク・シャー、サーヒル・カーン、ミーター・ヴァシシュト、ジョイ・セーングプター、ソーヒニー・ゴーシュ、アーリフ・ザカーリヤーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

上段はアミターブ・バッチャン(左)とサンジャイ・ダット(右)
下段はジャクリーン・フェルナンデス(左)とリテーシュ・デーシュムク(右)

あらすじ
 デリーとチャンディーガルの間にあるカーヒシュという町に、チャタルジー一家は住んでいた。アルン・チャタルジー(ジョイ・セーングプター)と妻リヤー(ソーヒニー・ゴーシュ)の間には、アラーディンという息子がおり、祖父(ヴィクター・バナルジー)と共に暮らしていた。アルンは魔法のランプを追い求めており、ある日、リヤーやアラーディンと共にシアチン氷河まで調査に出掛けた。だが、そこでトラブルに巻き込まれ、アルンとリヤーは命を落としてしまう。幼いアラーディンはそこで何が起こったのか覚えていなかったが、そのまま祖父に育てられた。だが、その祖父も後に寿命で死んでしまう。

 アラーディンは、名前が名前だっただけに、近所の悪ガキ、カースィム(サーヒル・カーン)たちにいじめられて来た。カースィムはアラーディンにランプを渡し、ジンを出してみろとからかっていた。その状況はアラーディン(リテーシュ・デーシュムク)が大学生になっても変わらなかった。

 ある日、アラーディンのクラスに米国から交換留学生としてジャスミン(ジャクリーン・フェルナンデス)というかわいい女の子がやって来る。アラーディンはジャスミンに一目惚れしてしまうが、カースィムもそれは同じであった。ちょうどその日はアラーディンの誕生日であり、カースィムはジャスミンと近付くためにアラーディンの誕生日パーティーを開くことにし、ジャスミンと共に誕生日プレゼントを買いに行く。

 嫌々ながらカースィム主催の誕生日パーティーにやって来たアラーディンは、ジャスミンからランプを渡される。それは町の中国雑貨屋で手に入れたもので、もちろんカースィムの悪ふざけの一環であった。アラーディンはランプをこすらされる。ところがそれは本当の魔法のランプであった。中からファンキーな魔神ジーニアス(アミターブ・バッチャン)が出て来る。

 アラーディンの目の前に現れたジーニアスは3つの願いを叶えると言う。ジーニアスにとって、これが最後の仕事であり、これさえ終われば魔法のランプの束縛から解放されるはずであった。ジーニアスは早く願いを言うようにせかす。アラーディンはなかなか願いを言わなかったが、彼の頭の中に入り込んだジーニアスは、アラーディンがジャスミンに恋していることを知る。アラーディンは最初の願いとしてジャスミンを望む。

 ジーニアスは即座にジャスミンに魔法をかけてアラーディンの虜にする。しかし、このような方法を使ってジャスミンを自分のものにするのはアラーディンの良心に反した。アラーディンは元の状態に戻すように要求し、それが第2の願いとなってしまう。

 ところで、もうすぐ大学ではダンスパーティーが開催されることになっていた。アラーディンはジャスミンと踊りたかったが、カースィムに横取りされそうな雰囲気となった。居ても立ってもいられなくなったアラーディンは、第3の願いとして再びジャスミンを求める。ただし、魔法を使ってではなく、ちゃんとした手順を踏んでジャスミンと付き合えるように手助けすることが条件であった。

 ジーニアスはアラーディンの求愛を助けようとするが、かえって話をこんがらがらせてしまうことが多かった。しかしジャスミンにディナーに誘われたアラーディンは、その席で彼女と踊る約束を取り付ける。

 その頃、カーヒシュに不気味な一団がやって来ていた。その首領の名はリングマスター(サンジャイ・ダット)。彼は昔から魔法のランプを追い求めており、それがカーヒシュに住む若者の手に渡っていることを突き止めたのだった。リングマスターは、魔法のランプを使って魔神の力を手にし、世界を征服しようと企んでいた。リングマスターとジーニアスは宿敵同士であり、実はリングマスターはアラーディンの両親の死にも絡んでいた。

 アラーディンから魔法のランプを奪い取ったリングマスターは、まずそれをこすってジーニアスの主人となる。そしてジーニアスに、アラーディンを殺すように命令する。だが、既にアラーディンと心を通い合わせるようになっていたジーニアスは、それを拒否する。魔法のランプに封印された魔神は主人の命令に背くと人間にされてしまうと言う掟があった。ジーニアスはその拒否のせいで普通の人間になってしまう。

 リングマスターは、大学の天文学者ナズィール(アーリフ・ザカーリヤー)の協力を受け、10万年振りに地球に接近する彗星を魔法のランプを使って捕まえる儀式の準備をする。その儀式を執り行うことで魔神の力が手に入るのであった。だが、ジーニアスはアラーディンやジャスミンにそのことを話し、何としてでもそれを阻止しようとする。儀式の場は、ダンスパーティー開催中の大学記念堂であった。ジーニアス、アラーディン、ジャスミンはパーティーに潜入する。

 リングマスターはまずは学生たちを追い払い、ジーニアスたちを返り討ちにする。ジーニアスは剣で串刺しにされ、ジャスミンも気を失い、アラーディンは捕まってしまう。リングマスターはホールの天井を爆破し、その真下に魔法のランプを置いて、彗星が投影されるのを待った。投影された彗星を掴むことで、魔神の力が手に入るのであった。だが、アラーディンは一瞬の隙を突いて彗星をかすめ取り、それをジーニアスに渡す。魔神の力を取り戻したジーニアスはリングマスターを魔法の鏡に封印して破壊する。また、彗星に触れたアラーディンにも魔神の力が身に付いていた。

 CGを多用し、マジックとファンタジーの世界でのアドベンチャーを魅せると言う、ハリウッドが得意とするスタイルの映画であったが、このインド製映画もなかなか無難にまとまっており、子供向け娯楽映画として一定の水準をクリアしていた。映画館には子供が多かったが、要所要所で子供たちの無邪気な笑い声が挙がっており、きっと子供たちにはとても楽しい映画であったことだろう。

 敢えて大人の視点でこの映画を評価するならば、まず見所と言えるのがアミターブ・バッチャンとサンジャイ・ダットの対決である。アミターブ演じるジーニアスは善玉で、サンジャイ演じるリングマスターは悪玉であり、「Aladin」ではこの2人が真っ向から激突する。アミターブとサンジャイの共演は、「Kaante」(2002年)や「Viruddh」(2005年)など過去に例があるものの、このような対決シーンは初めてであるような気がする。

 興味深いことに、ヒロインのジャクリーン・フェルナンデスはスリランカ人である。2006年のミス・スリランカ・ユニバースで、本作が映画デビュー作となる。スリランカ人と言われてもピンと来ないような国際的な美人だ。さすがにヒンディー語が話せないので、台詞は吹き替えであったが、現在ヒンディー語の猛特訓中らしく、機会があればこのままボリウッドで活躍して行きたいようだ。

 主演は今や中堅の男優と言ってもいいリテーシュ・デーシュムク。元々表情力のある男優だが、間の抜けた表情もうまく、「Aladin」のようなコミック的映画も難なくこなせる。「Aladin」での演技は確実に彼のキャリアにプラスとなるだろう。

 他に、ヴィクター・バナルジーやラトナー・パータク・シャーなど、意外にいい俳優が多い。いじめっ子役を演じたサーヒル・カーンは、気味悪いぐらいにムキムキであったが、もう少し普通の体格の俳優でも別に良かったのではないかと感じた。

 音楽はヴィシャール・シェーカル。映画の雰囲気に合った派手な音楽が多かったが、特に印象に残ったものはなかった。

 映画の舞台となっていたのはカーヒシュという架空の山間の町であり、大部分のロケもセットで行われたと思われるが、一部ジャイサルメールでロケが行われたとと思われるシーンがあった。確かにジャイサルメールは「アラジンと魔法のランプ」のイメージとピッタリの場所だ。

 劇中では、魔法のランプは中国人が経営する雑貨屋で偶然手に入る。多少おかしく思えるかもしれないが、実は「アラジンと魔法のランプ」の原作の舞台は中国であり、アラジンも中国人という設定である。おそらくその理由から、魔法のランプの入手場所が中国雑貨屋になったのであろう。また、映画の中では空手も登場し、ちょっとした伏線にもなっている。

 「Aladin」は基本的に子供向け映画であるが、キャストが豪華なだけあり、ボリウッド映画をこまめに見ている人には、見所のある作品に映るだろう。リテーシュ・デーシュムクのファンの人にもオススメだ。最近ボリウッドでは子供向け映画がひとつのジャンルとして確立しており、その潮流を捉える上では一応重要な作品になりえるだろう。しかし、それ以上の価値のある作品ではない。

11月6日(金) Ajab Prem Ki Ghazab Kahani

 若手男優の中で急速に頭角を現して来ているのがランビール・カプールである。往年の名優リシ・カプールの息子として「Saawariya」(2007年)で鳴り物入りデビューを果たしたランビールには、当初から親の七光りと言う言葉では覆いきれないスター特有のオーラがあった。その後、「Bachna Ae Haseeno」(2008年)や「Wake Up Sid」(2009年)で主演をこなす中で、キュートさが前面に押し出されて来て、早くも独自の芸風を持つ男優に成長している。また、ランビールは運良く同世代の人気若手女優との共演もこなして来ている。「Saawariya」ではソーナム・カプール、「Bachna Ae Haseeno」ではディーピカー・パードゥコーンと共演した。そして本日より公開の「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」でのお相手はカトリーナ・カイフ。今もっとも勢いのある若手俳優の共演は、それだけで胸が躍る。

 「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」の監督はラージクマール・サントーシー。基本的には「Khakee」(2004年)などのハードボイルドな映画を好む監督であるが、過去に「Andaz Apna Apna」(1994年)と言うコメディー映画も撮っている。新作「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」のジャンルはラブコメ。今年の期待作の1本である。



題名:Ajab Prem Ki Ghazab Kahani
読み:アジャブ・プレーム・キ・ガザブ・カハーニー
意味:数奇な恋愛の驚異な物語
邦題:数奇な恋愛の驚異な物語

監督:ラージクマール・サントーシー
制作:クマールSタウラーニー
音楽:プリータム
歌詞:イルシャード・カーミル、アーシーシュ・パンディト、ハード・カウル
振付:アハマド・カーン
出演:ランビール・カプール、カトリーナ・カイフ、ウペーン・パテール、ダルシャン・ジャリーワーラー、ゴーヴィンド・ナームデーオ、スミター・ジャイカル、ナヴニート・ニシャーン、ミティレーシュ・チャトゥルヴェーディー、ザーキル・フサイン、サルマーン・カーン(特別出演)
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、満席。

ランビール・カプール(左)とカトリーナ・カイフ(右)

あらすじ
 落ちこぼれの無職プレーム(ランビール・カプール)は、同じく落伍者の友人たちとハッピークラブを創設し、そのプレジデントとして、人々をハッピーにする手助けをしていた。しかし実際はプレームのいるところにトラブルが起こっていた。

 ある日プレームはジェニー(カトリーナ・カイフ)という司書の女の子と出会い、恋に落ちる。ジェニーは実は孤児であり、ピントー家の養女として暮らしていた。プレームは最初誘拐犯と間違われるが、やがて2人の間には友情が芽生える。だが、プレームはジェニーに思いを伝えられずにいた。

 ジェニーはトニーといういけ好かない男と無理矢理結婚させられそうになっていた。そこでプレームはハッピークラブのメンバーたちとジェニーを結婚式から連れ去る。だが、ジェニーには実はラーフル(ウペーン・パテール)というボーイフレンドがいた。お人好しのプレームはジェニーをラーフルのところに連れて行く。

 ところがラーフルにも事情があった。ラーフルは地元の有力政治家ピーターンバル(ゴーヴィンド・ナームデーオ)の息子であった。折りしも選挙が近付いていた。ヒンドゥー教徒のピーターンバルは、息子がキリスト教徒のジェニーと結婚することでヒンドゥー教徒の票を失うことを何より恐れていた。だからジェニーとの結婚にも反対していた。プレームはラーフルとジェニーを送り出すが、ラーフルは父親の部下に見つかって連れ戻されてしまう。仕方なくジェニーはプレームのところに戻って来る。

 そこでプレームはジェニーがラーフルと結婚できるように作戦を考える。まずは父親に監禁されているラーフルを誘拐する。そしてラーフルが手首を切ったと言ってピーターンバルを呼び出し、ラーフルとジェニーの結婚を認めさせる。こうしてラーフルとジェニーの結婚が執り行われることになった。

 ところがピーターンバルから金を巻き上げようと躍起になっているマフィア、サージド(ザーキル・フサイン)がジェニーを誘拐し、身代金として1億ルピーを要求する。プレームは1000ルピー札をカラーコピーして持って行き、マフィアたちと乱闘を繰り広げながらジェニーを救出する。

 こうしてやっとめでたくラーフルとジェニーの結婚式が行われようとしていた。しかし、ジェニーの心には疑問が沸き起こっていた。本当に自分を愛しているのは、ラーフルではなくプレームなのではないか。過去にプレームが見せた無私の愛情の姿が思い浮かんで来る。ジェニーは結婚式から逃げ出す。だが、プレームの行方は分からなかった。教会で祈るジェニー。そこへ、イエス・キリストに導かれてプレームがやって来る。2人はそのまま結婚することになった。

 ポスターやオープニングはコミック風の味付けがなされており、ストーリーもどことなくギャグマンガっぽい展開であった。見た目は決して派手ではなかったが、ギャグが気持ちいいほど徹底的に馬鹿を貫いており、大笑いできた。ランビール・カプールとカトリーナ・カイフのケミストリーも絶妙であった。ヒロインが鈍感過ぎたし、終わり方がパンチ力不足ではあったが、全体的にはとてもよく出来たロマンティック・コメディーだと言える。

 映画の核は無私無欲の愛情の勝利である。落ちこぼれだが他人の幸せを自分の幸せと感じることのできる心優しい主人公が、自分の愛する女性の幸せのために、他の男との結婚をひたすら支援し、それが結果的にその女性の愛を勝ち取るという筋になっている。「Singh is Kinng」(2008年)も似た筋のコメディー映画であった。

 多少変わったギミックとなっていたのは、主人公プレームとヒロインのジェニーの両者が、動揺するとどもるという共通点を持っているという設定である。このどもりがきっかけで2人は心を通い合わせるようになり、その後もストーリーの中で動揺することがあると2人はどもっていた。こちらは「Kaminey」(2009年)に少し似た設定である。だが、どもりがその後のストーリーの重要な伏線になってはおらず、多少蛇足な設定にも思えた。

 映画の成功は、ひとつひとつのギャグとそれをスムーズにつなぐ構成能力もあるが、それらと同じくらい大きく貢献しているのが主演の2人のフレッシュな演技である。ランビール・カプールもカトリーナ・カイフも本当に楽しそうで、何にも増して映画を明るくしていた。ランビールは今までで一番弾けていたし、カトリーナも正統派ヒロインとしての貫禄を存分に発揮していた。おそらく今回カトリーナは自分の声でヒンディー語の台詞をしゃべっている。海外生活の長いカトリーナは元々ヒンディー語が得意ではなかったのだが、この映画を見る限り、かなり進歩したと言える。

 他にはダルシャン・ジャリーワーラーの演技のうまさが目立った。プレームの厳格な父親役であるが、その厳格さを笑いに変換する演技力が彼にはあった。グジャラート演劇界で活躍して来たダルシャンは、「Gandhi My Father」(2007年)でマハートマー・ガーンディー役を演じたことがきっかけで、ボリウッド映画への出演機会が増えた。ボーマン・イーラーニーに比肩する広い芸幅を持っているが、今回は彼のコメディアンとしての才能がいかんなく発揮されていた。

 サプライズはサルマーン・カーンの特別出演である。本人役で出演する。劇中でジェニーはサルマーンの大ファンと言う設定になっており、サルマーンに対面して大喜びするというシーンがある。そのシーンにサルマーンが実際に登場する。とてもいい奴として描写されており、興味深い。周知の通り、サルマーン・カーンはカトリーナ・カイフの実生活でのボーイフレンドであり、彼の特別出演はカトリーナの存在があったからこそ実現したのだと容易に想像できる。

 音楽はプリータム。ハッピーな映画の雰囲気に合わせ、アップテンポで明るい曲が多い。豪華な群舞「Main Tera Dhadkan Teri」、方言を効果的に使ったラブソング「Prem Ki Naiyya」など、思わず身体を動かしたくなる。他に、失恋ソング「Tu Jaane Na」が、愛の告白ができなくてもどかしい気持ちを切なく歌っていて秀逸である。

 ロケはタミル・ナードゥ州のウータカマンド(通称ウーティー)やゴアで行われたようだ。主な舞台となった町はおそらくセットであろう。トルコでのロケもあった。

 「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」は、多少荒削りながらポップなラブコメに仕上がっており、一級品の娯楽映画となっている。何も考えずに2時間半とにかく笑って楽しみたかったら、この映画はとてもオススメである。

11月7日(土) Jail

 リアリズム娯楽映画の旗手として一目置かれているマドゥル・バンダールカル監督の最新作が昨日公開された。前作「Fashion」(2008年)ではファッション業界の暗部を取り上げたバンダールカル監督であったが、今回のテーマは牢獄。一般人とはあまり関係のない場所であるが、ボリウッドの犯罪映画で牢獄の描写は珍しくなく、映画を見ていると何となくイメージだけは沸く。それをバンダールカル監督がどう料理するか、見物であった。



題名:Jail
読み:ジェイル
意味:牢獄
邦題:ジェイル

監督:マドゥル・バンダールカル
制作:パーセプト・ピクチャー・カンパニー、バンダールカル・エンターテイメント
音楽:シャミール・タンダン、トシ・シャリーブ
歌詞:サンディープ・ナート、アジャイ・ガルグ、クマール、トゥラーズ
出演:ニール・ニティン・ムケーシュ、ムグダー・ゴードセー、マノージ・パージペーイー、アーリヤ・バッバル、マニーシュ・メヘター、ラーフル・スィン、アトゥル・クルカルニー(特別出演)
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

左から、ラーフル・スィン、マニーシュ・メヘター、マノージ・パージペーイー、
ニール・ニティン・ムケーシュ、アーリヤ・バッバル、ムグダー・ゴードセー

あらすじ
 パラーグ・マノーハル・ディークシト(ニール・ニティン・ムケーシュ)は、勤務会社で順調に出世し、マーンスィー(ムグダー・ゴードセー)という恋人もおり、人生でさらなる成功を夢見ていた。寛大なパラーグは、友人のケーシャヴを自宅に居候させていた。マーンスィーは、パラーグのものを何でも借りて使うケーシャヴを不審に思っていたが、パラーグはケーシャヴを信じて疑わなかった。

 ある晩、パラーグはケーシャヴを途中でピックアップして自動車を走らせていた。すると警察の車両が後を追って来る。ケーシャヴは逃げるように言うが、行く手を遮られてしまう。その途端にケーシャヴは逃げ出し、警察に発砲もするが、撃たれて意識を失ってしまう。ケーシャヴのバッグからは大量のドラッグが発見される。何が何だか分からないパラーグは、麻薬密売の共犯者とされ、警察に逮捕されてしまう。

 パラーグは14日間の警察拘留となり、その間、麻薬密売のネットワークなどについて尋問を受ける。パラーグは無実を主張するが、当然聞き入れてもらえない。パラーグには麻薬関連の容疑の他に警察への発砲という重大な容疑も掛けられており、保釈すら認められなかった。パラーグは牢獄へ送り込まれる。

 牢獄では様々な囚人がいた。ナワーブ(マノージ・パージペーイー)は、マフィアの仲間にされてしまった弟のために殺人を犯し、服役していた。ナワーブはパラーグが犯罪を犯すようなタイプの人間ではないと直感し、何かと世話を焼く。アブドゥル・ガーニー(ラーフル・スィン)は、妻に言い寄ってきた男を誤って殺してしまったために服役していた。カビール・マリク(アーリヤ・バッバル)は根っからの悪人で、囚人の中から使えそうな人間をスカウトしてマフィアのドンに紹介していた。ジョー・デスーザ(マニーシュ・メヘター)は裕福な家庭に育ったが、道端に寝ていた路上生活者をひき殺してしまい、牢屋に入っていた。

 カビールはパラーグに目を付け、親しげに言い寄るが、ナワーブは決してカビールには近付くなとパラーグに忠告する。パラーグは早期に保釈が認められることを願って牢獄での過酷な生活に耐えていたが、マーンスィーや母親が雇った弁護士の腕が悪く、パラーグにはなかなか保釈が与えられなかった。そして仕舞いには、ケーシャヴが意識を取り戻さないまま死んでしまったこともあり、懲役10年の実刑判決を下されてしまう。パラーグはもはや人生に何の希望も見出せなくなり、塞ぎ込んでしまう。パラーグは自殺を考えるが、考え直し、カビールに相談する。

 もうすぐ囚人の定期異動が行われるところであった。カビールはその機会に脱獄することを計画していた。その計画にパラーグも加わる。カビールは移送中に騒ぎを起こし、そのドサクサに紛れて脱走する。だが、ナワーブの再三の忠告を思い出したパラーグは、カビールと共に逃げることを拒否する。パラーグはそのまま再び牢獄に入る。だが、彼は人生への希望を再び持ち始めていた。

 弁護士を変えたことで、パラーグの判決は覆り、とうとう釈放されることになる。もしカビールと共に逃げていたら、それは実現しなかったかもしれない。パラーグは感謝の気持ちと共にナワーブを訪れる。

 「Jail」と一言に言っても、日本では留置所、拘置所、刑務所などで違いがある上に、日本とインドの間での制度の違いもあり、とても複雑だ。一応その煩雑さを避けるために「牢獄」と訳しておいたが、この映画を見た限りでは、インドでは拘置所と刑務所が同じ場所で、未決拘禁者と受刑者が同じ施設に放り込まれている。ただし、未決拘禁者に労働の義務はないが、受刑者には労働の義務があるようであった。主人公のパラーグは、逮捕された後にまず警察拘禁(Police Custody, PC)となり、捜査の名の下に拷問が行われた。その後、裁判で逃亡や証拠隠滅の恐れを指摘されて保釈申請を却下されたために司法拘禁(Judicial Custody, JC)の状態となり、判決が出るまで牢獄に入れられた。そして裁判で有罪となり、懲役10年、罰金20万ルピーの実刑判決が下されたため、今度は受刑者となって、同じ牢獄で労働に従事することとなった。また、未決拘禁者の身分のときは私服だったが、受刑者になったときから制服を支給されていた。

 さすがに牢獄内の状況に特化した映画なだけあり、以上のような制度上の流れを概観することができるのは「Jail」の面白い部分であった。しかし、牢獄内での人間関係や牢獄の描写などにはほとんど目新しさがなかった。牢獄にいながら外の世界のマフィアを操るドンは、ボリウッド映画ではよく出て来るし、おそらく実世界でも珍しいことではないのだろう。看守と囚人の癒着もボリウッド映画の愛好家には「常識」であるし、トラブルを起こした囚人が独房に入れられて懲罰されるのも、見慣れたことである。少しだけ同性愛に触れられていたが、それも十分に想像の範囲内だ。人は犯罪を犯して牢屋に入り、犯罪者となって牢屋から出て来る、と言うのはラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の映画の中の台詞であっただろうか、その様子も「Jail」ではよく描写されていたが、それもボリウッド映画の中で散々見せられて来たことなので、特別な感慨は沸かなかった。とにかく、牢獄を舞台に何か目新しいことをやろうとすると、非常に難しい。今回ばかりはバンダールカル監督も苦戦したように思われる。

 ただ、インドならではの要素もいくつかあり、それは興味深かった。例えばムンバイーでは雨季になると囚人の数が増えること。雨季になると、路上生活者たちは雨宿りのために、軽犯罪を犯してわざと牢獄に入るためである。これはおそらく本当のことなのだろう。牢獄内ではルピー紙幣の代わりにクーポン券が流通しており、それを使って買い物が出来ることにも触れられていた。また、牢獄にはダウリー(持参金)防止法違反で逮捕された人がいた。何か不都合なこと(浮気だったか?)がばれて家族に追求された嫁が、インド刑法(IPC)498条のダウリー防止法を使って逆に家族を訴え、犬以外の全員が牢屋に入れられてしまったという笑えない状況であった。基本的に女性を守るためにある法律は、女性「被害者」の言い分しか聞かれないことが多い。このような安易な復讐を可能にするダウリー防止法の乱用はインドで密かに問題となっている。インドでは嫁が焼かれるという事件が時々ある。それは貪欲な家族が、持参金の増額や、再婚による再度の持参金入手など、とにかく持参金目当てで行うとされることが多いが、その実態も、実は嫁の不義が原因であることがあると聞いたことがある。嫁を追い込むと、女性有利のダウリー防止法などによって一家を破滅させられる恐れがあるため、自分たちの身を守るには殺害しか方法がないのである。バンダールカル監督にはこの辺りを是非突っ込んでもらいたいものだ。

 牢獄が舞台の映画であったが、そのメッセージは、決して人生に希望を失ってはならないという、もっと普遍的なものであったと思う。しかし、映画のプロットをよく観察すると、主人公が最終的に無罪を勝ち取れたのは、希望を失わなかったことと言うよりも、有能な弁護士を雇い直したことにある。つまり、最初から有能な弁護士を雇ってさえいれば、こんな苦労をすることはなかったと言うことである。よって、映画を見終わった後に観客の心に残るのは、もし自分がこんな状況に陥っても、希望を失わず頑張ろう、ということではなく、やっぱりいい弁護士を雇わなければな、という感想で、それが「Jail」の根本的な欠点となっていた。エンディングを工夫すれば、もっと明確なメッセージの映画になっていただろう。

 総合的に言えば、バンダールカル映画の中ではガッカリなレベルの映画であった。牢獄が舞台なので、全体的にイメージは暗く、娯楽映画として見てもそれほど心は晴れないし、バンダールカル映画のトレードマークである、未知の暗部にぐいぐいと突き進んで行くような体験もあまり感じられなかった。

 主演のニール・ニティン・ムケーシュは、「New York」(2009年)に続いて、濡れ衣を着せられて逮捕される可哀想な役を演じた。頼りないおどおどした表情が板に付いており、彼以上の適役はいなかっただろう。このまま延々とこんな役だけを演じさせられて行くのではないかという一抹の不安もあるが、とりあえず映画界の中で存在感を示すことには成功している。

 ヒロインのムグダー・ゴードセーは、バンダールカル監督の前作「Fashion」のヒットのおかげでスポットライトを浴びた、モデル出身の女優である。「All The Best」(2009年)ではビパーシャー・バスとのダブルヒロインであったが、「Jail」において晴れてソロヒロインの座を手に入れた。出番は少なかったものの、真摯な演技をしていて良かった。「Fashion」のときは脇役のオーラであったが、いつの間にかヒロインのオーラが出て来ており、このまま上昇して行けるかもしれない。

 他に個性派男優マノージ・パージペーイーが渋い演技をしていた。実はこの映画は、マノージ・パージペーイー演じるナワーブのナレーションで話が進んでおり、彼は裏の主人公だと言えた。また、マノージ・パージペーイーに勝るとも劣らない個性派男優アトゥル・クルカルニーがエンディング直前で弁護士役で特別出演し、迫力のある弁舌を展開していた。

 全体的にシリアスな映画であり、ダンスシーンは似合わない映画だった。バンダールカル監督は、映画の雰囲気を損ねないように慎重にダンスシーンを挿入していたが、それでもなお場違いな印象を受けた。音楽はシャミール・タンダンとトシ・シャリーブの合作になっているが、特に優れた曲はなかった。

 裏話によれば、マドゥル・バンダールカル監督は牢獄の様子をなるべくストレートに観客に伝えるため、いくつか際どいシーンも撮影していたようである。例えばニール・ニティン・ムケーシュのヌードシーンや、マスターベーション・シーンなどである。しかし、編集の段階になって、検閲に引っかかったり無用な物議を醸したりするリスクを避けるために、それらを自発的にカットしたようだ。それでも、ニール・ニティン・ムケーシュが裸にされるシーンは一瞬だけ見られたし(局部はモザイク)、これがマスターベーションにつながっていたのだろうなぁと想像されるところもあった。

 マドゥル・バンダールカル監督の映画は極めて作家性が強く、基本的に監督の名前だけ見て映画館に足を運んでも損はない。しかし、「Jail」は、今までボリウッド映画で散々描写されて来た牢獄が舞台であり、いかにバンダールカル監督と言えど、牢獄の中から目新しいストーリーを掘り起こすのは困難だったと感じさせられた。つまらない映画ではないが、万人向けの映画ではない。

11月10日(火) 聖者トゥルクマーンの墓の謎

 現在オールドデリーと呼ばれている地域は、かつてシャージャハーナーバードと呼ばれる城塞都市で、17世紀からムガル帝国の首都として栄えていた。シャージャハーナーバードを囲む城壁にはかつて14の門があった。その内のいくつかは今でも残っているものの、多くは時代の変遷と共に消滅してしまった。

 インドの城塞の門には、その門を出た方向にある主要都市・地域の名前が付けられていることが多い。シャージャハーナーバードでは、デリー門、アジメール門、ラーハウル(ラホール)門、カーブル門、カシュミール門、カルカッタ門などがその例として挙げられる。「デリー門」があるのは、シャージャハーナーバードが出来たとき、「デリー」と呼ばれていた地域は、シャージャハーナーバードから見て南の方向にある、現在のプラーナー・キラー(オールド・フォート)周辺部だったからである。ダリヤー・ガンジの入り口に現在でも残っているデリー門は、プラーナー・キラーの方向を向いている。


デリー門

 都市名・地域名の他に、門の近くにある特徴的な施設などに基づいて門の名前が付けられることもある。デリー門とアジメール門の間にあるトゥルクマーン門はその一例である。シャージャハーナーバードが出来る前から、トゥルクマーンという名前の聖者の墓が近辺にあり、そのためにトゥルクマーン門と呼ばれるようになった。この門も現存している上に、門だけでなく周辺地域一帯が「トゥルクマーン・ゲート」と呼ばれているため、デリー市民にはよく知られた地名である。


トゥルクマーン門

 現存するトゥルクマーン門のすぐ脇には、聖者トゥルクマーンのダルガー(聖廟)だとされている墓廟がある。入り口にデーヴナーグリー文字、ウルドゥー文字、アルファベットでちゃんとその旨のことが書かれた看板が掲げられている。小さいが非常に分かりやすい場所にあるため、すぐに見つかるだろう(EICHER「Delhi City Map」P59 A6)。ちなみに、ダルガーの軒先ではちゃっかり電話屋が営業している。


トゥルクマーン門の側の「トゥルクマーンのダルガー」

 しかし、何を隠そう、トゥルクマーン門の側にあるこの「トゥルクマーンのダルガー」は、偽物である可能性が高いのである。この問題について詳細に考察しているのが歴史学者の荒松雄氏で、同氏の研究論文「インド史におけるイスラム聖廟:宗教権威と支配権力」(1977年;東京大学出版会)や小論文「デリーに現存するスーフィー聖者の偽廟と偽墓」(「東洋文化研究所紀要」第69冊;1976年;p.1-37)などで詳述されている。

 トゥルクマーンのフルネームは、シャムスル・アーリフィーン・トゥルクマーン・シャー・ビヤーバーニーなどだとされるが、一般にはシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーとして知られている。シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーがどういう人物だったかについては資料不足から不明な点ばかりなのだが、仮に実在の人物だとすれば、デリーでもっとも古いスーフィー聖者の1人であることは確実である。伝承によれば、その聖者はプリトヴィーラージ・チャウハーン3世がまだデリーを治めていた1190年頃にデリーに住み着いたらしい。つまり、デリーにイスラーム政権が樹立する前にデリーにやって来たということになる。イランの著名なスーフィー哲学者であるシャハーブッディーン・スフラワルディーの弟子で、スーフィズムの宗派のひとつであるスフラワルディー派に属していたとされる。彼は人里離れた森林で宗教生活を送っていために、「ビヤーバーニー」の称号と共に呼ばれるようになった。「ビヤーバーン」とは「森林」という意味である。シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの没年は、奴隷王朝の皇帝モイズッディーン・ベヘラーム・シャーの治世の1240年とされている。

 一般にインドのスーフィズムの伝統では、スーフィー聖者は死後、生前に住んでいた場所に葬られ、そこに墓が作られる。死後も信仰を集めると、墓を中心に徐々に信者の墓が建てられたり、モスクや集会所などの建物が寄進されたりして宗教コンプレックスが形成され、ダルガーと呼ばれるようになる。森林に住んでいたとされるトゥルクマーンであるが、当時のデリーは、現在メヘラウリーと呼ばれている地域にあり、オールドデリー一帯は森林地帯であっただろうことを考えると、現在のオールドデリーにトゥルクマーンのダルガーがあることに不自然さはない。だが、トゥルクマーン門の側の墓廟がシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのものであるかと言うと、それは甚だ怪しい。

 19世紀に書かれた歴史書「アーサールッサナーディード」や、その他の文献では、シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガーとされる遺跡は別にある。それは、トゥルクマーン門からオールドデリーの中に入り、北に数分歩いた場所にある住宅街の中のダルガーである。荒氏は、確固たる証拠の不足から、それがシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガーだと断定することはできないとしながらも、「アーサールッサナーディード」などでシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガーとして紹介されているものは、トゥルクマーン門の側にある小さなダルガーではなく、住宅街の中にあるこちらの方だとしている。

 荒氏が上述の論文を書いてから30年以上の歳月が経った。この2つの「トゥルクマーンのダルガー」の現状を調べるべく、オールドデリーに向かった。

 まずは、住宅街の中にあるダルガーの方を探した。荒氏も「最近では、附近の住民のなかにもその所在を知らぬものがいて、外来者にはなかなか見出し難い」(「インド史におけるイスラム聖廟」p.431)と書いている通り、自力で見つけ出すことは困難である。まずはトゥルクマーン門からオールドデリー内に入り、スィーター・ラーム・バーザールを目指してムハンマド・ディーン・イラーイチー・マールグ(Muhammad Deen Ilaichi MG)を北に歩く。左手にカラーン・マスジド(Kalan Masjid)に通じる小路がある辺りまで来たら、右手に小路を探してそこに入る。その辺りでイスラーム教徒っぽい地元民に尋ねて行けば、場所を知っている人に出会える可能性が高い。ただし、このダルガーは現在、「ダーダー・ピールのダルガー」として知られている。よって、「トゥルクマーン」よりも「ダーダー・ピール」の名を出して探した方が効率がいいだろう(EICHER「Delhi City Map」P58 H6)。もしなるべく自力でここに辿り着きたかったら、ルーシー・ペック著「Delhi: A Thousand Years of Building」のP210の地図がもっとも手助けになる。


カラーン・マスジド
トゥグラク朝時代に建設されたモスク

 僕がたまたま道を尋ねたのは、インド共和党アートワレー派の政治家のイスラーム教徒男性であった。とは言っても、選挙に立候補したことがある、というぐらいの政治歴で、普段は封筒や紙バッグを作る工場を経営している。この地域で生まれ育ったようで、「ダーダー・ピールのダルガー」を含め、周辺の地理や郷土史に驚くほど明るかった。また、インド共和党は、不可触民を仏教に集団改宗させたアーンベードカル博士と密接な関係を持った政党で、仏教徒に親しみを持っているようであった。だから宗教を尋ねられて「仏教徒」と答えると、嬉しそうにしていた。その政治家氏に連れられて「ダーダー・ピールのダルガー」へ行った。この辺りは典型的なオールドデリーの様相で、住宅地と商店街と小工場の密集地、つまりごちゃ混ぜの状態となっているのだが、その中にポッカリと広い空間があり、墓地となっていた。その墓地の一番奥に囲い地があり、その中に「ダーダーピール」として信仰される聖者の墓があった。多少の改変はあるものの、「アーサールッサナーディード」に掲載されている挿絵とほとんど同じであり、同著で「シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガー」として紹介されている遺跡がこれであることは間違いない。


ダーダー・ピールの墓

 実はダーダー・ピールについては以前「デリー散歩」の中で触れたことがある。「デリーのトップ」パハーリー・ボージラーという記事である。その中で、ダーダー・ピールにまつわるこんな伝説を書いた。
 伝説によると、まだシャージャハーナーバード(現在のオールド・デリー)が出来る前、この丘にはボージャーという盗賊が住んでいたと言う。ボージャーは時々丘から下りて来ては、人々から略奪したりしていた。ボージャーが特に狙ったのは、バーラート(花婿のパレード)であった。あるとき丘の下に、シャムスル・アーリフィーン、通称ダーダー・ピールという聖人が住み始めた。ボージャーは何度もダーダー・ピールの邪魔をしたが、ダーダー・ピールは決して降参しなかった。ある日、ボージャーがいつものようにバーラートを襲撃した。バーラートたちは助けを求めてダーダー・ピールのところへやって来た。ダーダー・ピールは彼らに、壁のニッチに入り込むように言った。どうやってニッチの中に入り込んだかは分からない。もしかしたらダーダー・ピールの魔法だったのかもしれない。だが、そのおかげで彼らはボージャーから逃れることが出来た。今でもこの壁はどこかに残っていると言う。後にボージャーは改心し、死後はダーダー・ピールの墓の近くに葬られたと言う。また、盗賊ボージャーの名前から、この丘はパハーリー・ボージラーと呼ばれるようになった。
 そのときは知らなかったのだが、ダーダー・ピールと呼ばれる聖者こそが、トゥルクマーン門の名の起源となっているシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーだったのである。上記の伝説は新聞記事に記載されていたものだが、「ダーダー・ピールのダルガー」において、案内してくれた政治家氏から、同様の伝説を聞くことが出来た。ただし細部が異なった。新聞記事では、ダーダー・ピールは盗賊に襲われたバーラートを壁のニッチの中に入れて救ったとしているが、政治家氏は、カゴの中に入れて救ったと話していた。その後奇妙なことにダーダー・ピールはバーラートを放さず、カゴの中にいれたまま壁のニッチの中に入れて扉を閉めてしまったらしい。そのニッチは今でもダルガー内に残っている。かつては毎日午後5時~6時の間に、そのニッチの中からバーラートの楽団が奏でる音楽が響き渡って来ていたと言う。


バーラートが封印されたニッチ

 「ダーダー・ピールのダルガー」についてもっと詳細に調べてみたかったのだが、ダルガーの管理人があまり歓迎してくれず、追い出されるように外に出されてしまった。政治家氏の話では、この墓地の土地を売却する話が持ち上がっており、それが物議を醸しているようで、その関係で部外者を好ましく思っていないのではと予想した。写真もまともに撮影させてもらえなかった。しかし、禁止される前に主な写真は撮影しておいた。それらを後で見直して見たところ、奇妙なことに気付いた。

 以下は、「ダーダー・ピールのダルガー」の囲い地の入り口の写真である。

 門の上部には、イスラーム教の宗教施設にお決まりの信仰告白が赤いペンキで書かれているが、その下に緑のペンキで、このダルガーについての説明が書かれている。そこには「高貴なる聖者シャハーブッディーン・スフラワルディーの弟子で、高貴なる聖者シャムスル・アーリフィーン、別名ダーダー・ピール・スフラワルディー様のご聖廟」と書かれているだけで、「シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニー」の名前が全く見当たらないのである。

 しかし、このダルガーの裏手でダルガーの起源についてウルドゥー語で解説した看板が立っているのを見つけた。そこにはちゃんと「シャー・トゥルクマーン」と書かれていた。

 この看板に書かれているのはざっとこんな内容である。「シャー・トゥルクマーンはとても有名なスーフィー聖者だった。そのお方の本名はシャムスル・アーリフィーンと言い、ビヤーバーニーの称号で知られていた。なぜならそのお方は俗世を捨てて森林に住み始めたからである。そのお方はスフラワルディー派と関係を持っていた。そのお方のダルガーはモイズッディーン・ベヘラーム・シャーが作らせた・・・」以下はペンキが上塗りされていて読めないが、没年と、毎年ウルス(命日祭)が祝われている旨が書かれている。この文章は、インド考古局が1915年~22年の間にまとめたデリーの遺跡の報告書「List of Muhammadan and Hindu Monuments」の解説そのままである。奇妙なことにダルガー入り口の表札からは「シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニー」の名前が脱落しているのだが、裏手に人知れず立っているこの錆びかけた看板には、かろうじてその名前が残っている。また、こちらには一言も「ダーダー・ピール」という愛称について触れられていない。

 案内してくれた政治家氏にズバリ、「トゥルクマーン門の近くにもシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガーがあるが、あちらは偽物なのではないか」と聞いてみたのだが、「あっちはあっちで強力な聖者だ。しかしこちらの方が古い。それとこちらの聖者の名前はシャムスル・アーリフィーン・ダーダー・ピールで、向こうがシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーだ」という答えが返って来た。つまり、地元の人々の間で、かつてシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガーとされていたものが、シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーから切り離され、単にダーダー・ピールのダルガーだとされつつあるのである。ダーダー・ピールという愛称が昔からあったものなのかについては分からないが、20世紀初頭までの文献にその名前が出て来ないため、もしかしたら20世紀半ば辺りに突然生じたものなのかもしれない。ちなみに「ダーダー・ピール」とは「聖者のお爺様」ぐらいの意味である。

 ちなみにこの「ダーダー・ピールのダルガー」の周辺部は、モハッラー・カブリスターン、つまり「墓地町」と呼ばれており、元々広大な墓地だったようである。上述の通り、「ダーダー・ピールのダルガー」の前に広場があって墓地となっているのだが、墓地の敷地はそれだけに留まらず、周辺の住宅街にも拡大している。より正確に表現するならば、墓地の上に住宅街が出来てしまっているのである。この辺りを歩いていると、あちこちの道端に墓を見つけることが出来た。住民たちもそれを自覚しており、死者たちに失礼のないよう、いろいろ気を付けて暮らしていると政治家氏は語ってくれた。


住宅街の中に墓が

 強力な聖者の墓の周辺には、聖者の功徳にあやかるため、信者たちの墓が作られ、墓地が形成される。このモハッラー・カブリスターンが、現在ダーダー・ピールと呼ばれている聖者の「門前墓地」だったことは大いにあり得る。つまり、広大な墓地が出来るほど著名な聖者が葬られていたと言うことである。また、奴隷王朝時代の女帝ラーズィヤーのものとされる墓もこの近辺にある。ラーズィヤーとその墓についてはクイーン・オブ・デリーで取り上げた。ラーズィヤーはシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの信者だったとされており、彼女の墓がトゥルクマーンの墓の近くにあったとしてもおかしくはない。どちらの墓も歴史碑文がなく、それが本当にその人のものか実証できないのだが、同時代の人物を葬ったこの2つの括弧付きの墓がお互いに近い位置にあることは、それらの仮説の決定的な裏付けにはならないものの、相互の証拠不足を補完する参考程度の情報とはなり得る。

 さて、次に件の、トゥルクマーン門の側のダルガーに行ってみた。ダルガーの軒先で電話屋をしている太ったおじさんがダルガーの管理人のようで、先ほどのダルガーを訪れたときとは正反対に、突然の訪問者を歓迎してくれた。こちらのダルガーは非常に小さく、小さな建物の中にひとつしか墓がなかった。その墓には大理石の墓銘があり、これがトゥルクマーン・バヤーバーニー・スフラワルディーの墓であることが、ウルドゥー文字とデーヴナーグリー文字ではっきりと書かれていた(「バヤーバーニー」と「ビヤーバーニー」は発音が違うだけで同じ単語である)。管理人のおじさんも、これが700年前に生きた聖者シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓だと語っていた。


トゥルクマーン・バヤーバーニー・スフラワルディーの墓?

 しかしその墓の形状を見て驚いた。荒松雄氏の論文に掲載されていた、30~40年前の墓の写真とまるで違ってしまっていたからである。


1962年撮影の墓
荒松雄「インド史におけるイスラム聖廟」p464より

 元々ここには、1つの基壇の上にマウンド状の墓が2つ載っていた。ところが現在では1つの墓になってしまっているのである。

 実は、荒氏によると、トゥルクマーン門の側にあるこの墓は、近隣住民の間で元々「マームー・バーンジャーの墓」として知られていたと言う。「叔父と甥の墓」ぐらいの意味合いだ。デリーでは、正体不明の墓が、その数や形状などから、地元民に適当に名付けられて呼び慣わされて来た例がいくつかある。特に親族名称でもって呼ばれることが多いように思われる。以前取り上げた、お祖母ちゃんと孫娘の廟もその一例である。この墓も、元々は正体不明の墓とされており、地元民からは、墓が2つ並んでいる様子からであろう、「叔父と甥の墓」と呼ばれて来たのであった。19世紀の文献にこの墓についての記載はないし、20世紀初頭に書かれた文献には「正体不明の墓」としてしか紹介されていない。。

 しかし、荒氏が調査をした1960年代には、写真の通り、この墓に墓銘が立てられていた。左側には「シャー・トゥルクマーン・バヤー・バーニー・チシュティーの墓」、右側には「シャー・トゥルクマーン・バヤー・バーニーの甥の墓」と刻まれていたと書かれている。もし1910年代にもこの墓銘があったのなら、この墓は決して「正体不明」とはされなかったはずである。つまり、この間に誰かがこの墓に勝手に墓銘を立て、この墓をシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓に仕立て上げたことになる。そして1970年代に荒氏が再びこの墓廟を訪れたときには、ダルガーの入り口にも「シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーのダルガー」という看板が掲げられていたと報告されている。これは1960年代にはなかったものだ。たまたまトゥルクマーン門の側にあった無銘の墓が、時代を経ると共に、シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓にすり替わって行く過程がよく分かる。そして2009年に僕が見たときには、元々2つあった墓が1つに結合され、墓銘も1つとなり、あたかもここには1つしか墓がなかったかのようになってしまっていたのである!

 墓の管理人に、「今さっき、ダーダー・ピールのダルガーを見て来たのですが、あちらの方が本当のトゥルクマーンの墓ではないのですか?」と直撃してみた。そうすると、少しも動じずに「トゥルクマーンを名乗る聖人は他にもたくさんいた」と答え、あたかもオリジナルはこちらだと言わんばかりであった。その余裕綽々の態度から、今まで同様の質問を何度も受けて来て、既に答えを用意しているような印象を受けた。

 シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓に見られる、この「墓のすり替え」の原因について、荒氏は以下のように推測している。
 門の傍らにある方のこの墓所が、町なかにある本来のシャー=トゥルクマーンの墓が次第に忘れ去られていく過程で、いつの頃からかその状況を知っていたムスリムの、いわばやり手の宗教者あるいは山師的な人物が、このすりかえを思いつき、実行に移し、今日の<偽廟>を宣伝しはじめたものであろうと、私は推量する。旧シャージャハーナーバード城内においては、いわゆるセポイの反乱を契機として、十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、トゥルクマーン門の内側、スィーター=ラーム=バーザール両側一帯の地域に、ムスリムに代って相当数のヒンドゥーが住みはじめたことも事実である。また、一九四七年八月半ばのインド・パキスタンの分離独立の前後のいわゆるオールド=デリー旧城内の住民の混乱と移動という異常な社会的、政治的状況をも考慮に入れる必要があろう。シャー=トゥルクマーンのダルガーのこのすりかえが、二十世紀の二〇年代以降、近くはいわゆる印パ分離独立以後あるいはもっと新しい時期をも含めて、旧城内のムスリム社会の変動という事実を背景に行われたことだけはたしかであろう。(「インド史におけるイスラム聖廟」p606)
 地元の一般人は簡単にすり替えに引っかかってしまっているのかもしれないが、デリーのダルガーをキチンと研究している歴史学者はそうでもないようだ。「Dilli Ke Battis Khwaja Ki Chaukhat(デリーの23聖者の廟)」(Farid Book Depot;2005年)の著者ムハンマド・ヒファズッレヘマーン・スィッディーキーは、シャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓の項に、正確にダーダー・ピールのダルガーについて記している。デリーの大小様々な遺跡を網羅したルーシー・ペック著「Delhi: A Thousand Years of Building」(Roli Books;2005年)でも、シャー・トゥルクマーンのダルガーの位置に誤りはない。ただし、両書ともトゥルクマーン門の側の偽の墓については一言も触れていない。一方、200年以上インドと関わりを持って来たスミス家の血を引く英国人ジャーナリストで、デリーの歴史に詳しいRVスミス氏の著書「The Delhi that No-one Knows」(Chronicle Books;2005年)でもシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーについて触れられているが、どうもその記述の仕方から察するに、彼はトゥルクマーン門の近くの偽の墓をシャー・トゥルクマーン・ビヤーバーニーの墓だと考えてしまっているようである。彼は「墓地の中心に聖者の墓がある」と書いているが、ダーダー・ピールのダルガーの囲い地においてダーダー・ピールの墓は明らかに隅に位置していた。「通行人が門前にお供え物を置いて行く」と書いているが、ダーダー・ピールのダルガーは通行人が頻繁に通るような場所にはない。これらの記述は、トゥルクマーン門の近くの偽の墓により当てはまると感じた。歴史的資料は動かせないが、少なくとも人々の記憶の範囲においては、すり替えが完了するのも時間の問題だと思われる。

 今回はスーフィー聖者の墓のすり替えというかなり小さな一例を取り上げただけだが、20世紀に起こったであろうこの現象だけを見ても、インドにおいて聖地は割と簡単にすり替わってしまうものであることが分かる。インドの神話や伝承を読むと、時間の感覚はメチャクチャなのに、場所だけはかなり正確に記されていることに気付く。例えば「ラーマーヤナ」に登場する王都アヨーディヤーは現在でも存在するし、羅刹王ラーヴァンが支配するランカー島も現在のスリランカのことだと一般に考えられている。「マハーバーラタ」で描写されている戦争が行われたクルクシェートラは今でもそのままの地名で残っているし、クリシュナ神話に登場する地名もほとんど現存している。しかし、これは何らかの歴史的事件が神話として曖昧に記録される中で場所だけが正確に後世に伝わっているという訳では必ずしもなく、歴史のある時点で、神話に登場する都市や地域と同じ名前を冠した都市や地名が、神話に影響された人々によって作られ、それがいつの間にか神話に登場する都市や地域と同一視されて現代まで至ることもあるのではなかろうか。

 そういうすり替えは歴史学的には大きな問題なのだが、宗教的には、少なくとも民間信仰の範囲内において、あまり問題となっていないところもある。荒氏も「歴史学的視点から見れば、トゥルクマーン門の傍らにある方のダルガーは、明らかに偽せの廟というべきである。しかし、宗教的現象として見れば、ムスリム民衆の崇拝の対象として、それは、『シャー=トゥルクマーンのダルガー』として生きているのである」(「インド史におけるイスラム聖廟」p.618)と書いている。信者から見たら、崇拝の対象が何であっても、どんな人物であっても、とにかくありがたそうなものを信仰するという行為に意味があるのであって、それ以上は深く考えないという大らかで案外いい加減なインド人の宗教的構え方が、聖地のすり替えがいとも簡単に成立するインドの現状の背景にあるような気がする

11月13日(金) デーヴナーグリー文字は脳にいい?

 11月13日付けのヒンドゥスターン紙に、「脳を活性化するにはヒンディー語を読むべし(हिन्दी पढ़िए जनाब चुस्त रहेगा दिमाग)」という記事が載っていた。その内容を要約すると、最新の研究の結果、ヒンディー語を母語とする人々は、英語を読んでいるときは左脳しか使わないが、ヒンディー語の筆記に使われるデーヴナーグリー文字を読んでいるときは左脳に加えて右脳も使うためため、脳の活性化には英語よりもヒンディー語の方が効果的であることが分かった、だから頭を良くしたかったら英語よりもヒンディー語を読むべし、というものであった。

 デーヴナーグリー文字は、元々サンスクリット語の表記に使われていた文字である。現在、ヒンディー語の他に、マラーティー語やネパーリー語などの表記にも使用されている。デーヴナーグリー文字は、アショーカ王の法勅文(紀元前3世紀)に使われたブラーフミー文字を直接の祖先とする。ブラーフミー文字から派生した文字はアジア一帯に広がっており、南アジアの諸言語の表記に使用される文字のほとんどはブラーフミー文字の系統である他、タイ語、ミャンマー語、チベット語などの文字もその末裔である。韓国人は否定しがちだが、韓国語を表記するハングル文字の成立にも間接的に影響を与えたと考えられている。日本には梵字として直接文字が入って来ているし、仮名50音図の配列はデーヴナーグリー文字の配列を参考にして作られた。

 デーヴナーグリー文字は基本的にアクシャル(子音字)とマートラー(母音記号)から成っている。「カ」という音を表す文字は「क」であるが、この文字の上下左右に母音記号を付加することで、「カー(का)」、「キ(कि)」、「キー(की)」、「ク(कु)」、「クー(कू)」などとなる。この子音字と母音記号の組み合わせにより、様々な音を表記する。よって、日本語の仮名のように、各音に対応する異なった文字をいちいち覚える必要がない。ただし、結合文字や潜在母音など、デーヴナーグリー文字に特有の厄介な問題もあり、誰もがすんなり入って行ける文字とは言い切れないところもある。文字学上の分類ではアルファシラバリーと呼ばれている。アルファベットのような表音文字と、日本語の仮名のような音節文字の中間に位置するとされるからである。

 僕は小学生の頃、なぜか暗号を作ることに凝っていた頃があり、そのとき作った暗号がデーヴナーグリー文字と全く同じシステムであった。だからデーヴナーグリー文字を習ったときはかなり感銘を受けた覚えがある。また、ヒンディー語の授業を受けていたとき、ちょうど言語学の一分野である音声学も習っていた。音声学では、世界中の言語の音声を記録するために考案された国際音声記号(IPA)という特殊な音声記号を習うのだが、デーヴナーグリー文字の配列が19世紀に考案されたIPAと全く同じ考え方に基づいていることにも驚いた覚えがある。思い返してみれば、ヒンディー語を習っていたとき、全く異質な外国語を習っている感覚はなかった。まるで忘れていたものを思い出すような感覚であった。前世というものがあるとするならば、僕は前世のいつかでインドに生きていたのかもしれない。その直感が今につながっているのだと思う。

 このようにヒンディー語やデーヴナーグリー文字には格別の思い入れがある訳だが、デーヴナーグリー文字が脳にいいというのはまた初耳で、どういうことかと興味を持った。上記の新聞記事は、インドの科学学術誌「Current Science」のVol. 97 No.7(2009年10月10日号)掲載の論文「Neural representation of an alphasyllabary – the story of Devanagari(アルファシラバリーの神経表現:デーヴナーグリー文字の場合)」という論文に基づいていた。

 同論文は専門用語が多くて門外漢には敷居が高いのだが、何とか理解したところによると、まず、各文字を読むときに脳がどのような反応をするかという研究は割といろいろな言語で行われて来たようで、英語アルファベットの他、中国語、韓国語、日本語などの文字の特徴についても随所で触れられていた。文字を読むときに共通して反応するのは左脳のようだ。英語のように子音と母音が直線的に並べられる表音文字では左脳のみが使われる。だが、漢字のような表意文字では左脳に加えて右脳の活動も同様に見られる。音節文字である日本語の仮名を読むときは、表音文字を読むときに働く左脳と同時に、右脳の上頭頂葉皮質と小脳が働くようである。だが、デーヴナーグリー文字に関するこのような研究は今まで行われておらず、今回初めてその試みが行われたとのことである。

 その結果、デーヴナーグリー文字を読むと、表音文字を読むときに働く側頭頭頂小葉と下頭頂小葉、それに音節文字を読むときに働く上頭頂小葉が同時に働くことが分かったようである。デーヴナーグリー文字は元々、表音文字と音節文字の中間とされており、これは十分予想された通りの結果なのだが、文字と脳の関係を解明するのに役立ちそうな新たな発見だったようである。

 論文の内容はそれだけで、英語を読むよりヒンディー語を読んだ方が脳にいいなどとは結論付けられていないし、そもそも使用する脳の部位が多い文字ほど脳にいいとは一言も書かれていない。さらに新聞記事では、このような研究結果が出たので、英語の使用は必要最小限にしてヒンディー語を読みましょうと、かなり飛躍したことも書かれている。それはヒンドゥスターン紙がヒンディー語の新聞だからであり、購読者拡大を狙ったマーケティング戦略の一種なのであろう。

 しかし、やはり漢字、2種類の仮名、そして最近ではアルファベットと、4種類の文字を使う日本語以上に複雑な文字体系を持った言語は世界でも例がない。もしデーヴナーグリー文字が英語よりも脳にいい文字だと仮定しても、日本人にとっては、デーヴナーグリー文字を使うよりも素直に日本語を使った方が脳の運動には良さそうだ。

11月14日(土) Tum Mile

 アラビア海に突き出る半島の形をしたムンバイーは、多雨な地域にある上に、元々埋め立てによって7つの島を連結させて出来た脆弱な土地であり、度々深刻な洪水に襲われている。2005年7月26日にも記録的大雨によって大洪水が引き起こされ、都市機能がストップし、多くの死者も出た。ムンバイーの人々の間でその日は「ムンバイーが静止した日」として記憶されている。その歴史的アクシデントを背景にしたヒンディー語映画が、現在公開中の「Tum Mile」である。監督は「Jannat」(2008年)のクナール・デーシュムク。主演は「連続キス魔」の異名を持つイムラーン・ハーシュミー、ヒロインはソーハー・アリー・カーンである。



題名:Tum Mile
読み:トゥム・ミレー
意味:君に会った
邦題:君に沈んだ日

監督:クナール・デーシュムク
制作:ムケーシュ・バット
音楽:プリータム
歌詞:サイード・カードリー、クマール
出演:イムラーン・ハーシュミー、ソーハー・アリー・カーン、サチン・ケーデーカルなど
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

ソーハー・アリー・カーン(左)とイムラーン・ハーシュミー(右)

あらすじ
 2005年7月26日。玩具会社にデザイナーとして勤務するアクシャイ(イムラーン・ハーシュミー)は、ロンドンからムンバイーへ向かう飛行機の中で偶然昔の恋人サンジャナー(ソーハー・アリー・カーン)と再会する。ムンバイーの空港に着いた後、アクシャイとサンジャナーはお互いの近況などを簡単に話して別れる。

 アクシャイの心にはサンジャナーとの想い出が次々に浮かんで来た。かつてアクシャイは芸術家として成功することを夢見ており、南アフリカ共和国の大学で美術を専攻していた。サンジャナーは大富豪の娘であり、三文画家のアクシャイには手の届かない存在に見えたが、2人は仲良くなり、やがて同棲するようになる。しかし、裕福なサンジャナーに経済的に依存するしかなかったアクシャイは、成功を焦るようになり、スランプに陥る。アクシャイとサンジャナーの仲には次第に亀裂が入って行く。最高傑作をバイヤーに評価してもらえなかったアクシャイは絵の道を諦め、就職することを決める。アクシャイはシドニーで大きな仕事をもらい、サンジャナーに一緒にシドニーへ行こうと言う。だが、サンジャナーも編集者として自分の地位を築いており、そう簡単に新天地へ向かうことはできなかった。サンジャナーはアクシャイに結婚を切り出す。だが、まだ自分の経済力に自信を持てなかったアクシャイは、結婚はまだ早いと答える。この行き違いが原因となり、2人は別れることになったのだった。しかし、2人もお互いに未練を残したままだった。

 アクシャイがムンバイーに来たのは、ギャラリーを買うためだった。それは画家だった亡き父親の夢でもあった。しかし、着いたときからムンバイーは大雨で、交渉相手はなかなかやって来なかった。急にサンジャナーのことが気になったアクシャイは、交渉を放り出して外へ駆け出す。

 サンジャナーは道中で渋滞に捕まっていた。大雨のせいで洪水が起きており、次第に水かさが増して行った。自動車を脱出し、バスに避難したところ、そこで彼女はアクシャイと再会する。大洪水の中、アクシャイとサンジャナーは過去の甘く苦い想い出を思い返す。だが、2人とも思いを伝えることはできなかった。

 洪水の中、アクシャイの親友は感電して死んでしまうが、アクシャイとサンジャナーは何とか生き延びる。アクシャイはサンジャナーに遂に思いを伝え、2人は抱き合う。

 ハリウッドでは、「大空港」(1970年)、「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)、「タワーリング・インフェルノ」(1974年)などの成功によってパニック映画がひとつのジャンルとして確立した。最近では地球滅亡とか人類滅亡など、地球規模のパニック映画も作られるようになっている。ハリウッドに倣って様々なジャンルの映画が作られるようになって来ているボリウッドでは、不思議なことにまだパニック映画の類は見られない。2005年7月26日ムンバイー洪水を題材にしたこの「Tum Mile」がインド製パニック映画の元祖になるかと予想していたが、実際に見てみたところ、洪水シーンよりも恋愛シーンの方に重点が置かれており、ジャンルはロマンス映画である。イムラーン・ハーシュミーが得意とする、狂おしく破滅的な恋愛が主軸であり、僕が勝手に「狂おし系」と呼んでいるジャンルでもある。恋愛部分はグッと来る出来で悪くなかったのだが、後から振り返って見ると、別に洪水シーンを無理に入れなくても成立したプロットであった。宣伝では洪水シーンが前面に押し出されているものの、実際洪水はロマンスの味付けに過ぎなかった。それでも、洪水の恐怖と狂おしい恋愛の愛称は良く、ロマンス映画として一応完成された作品になっていたと言えるだろう。

 「Tum Mile」のロマンス部分を分析すると、その核となっている要素は、裕福な家庭に生まれ育って仕事もバリバリこなす現実的な女性と、自身の才能を信じてひたすら夢を追い続ける貧しい男性の、経済的に不釣り合いなカップルの苦悩だと言える。ボリウッドでは、家柄、経済力、カーストなどの差が恋愛の障害となると言う「格差恋愛映画」は珍しくないのだが、女性の社会進出と「家族は男が養うべき」という伝統的考え方の衝突を背景にした、現代的なカップルのすれ違いが描かれるようになったのはごく最近のことだ。「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)辺りがその先駆だったと言える。男性より女性の方が収入が多い場合、必ず男性側に劣等感が蓄積されて行く。それは成功への焦りとなって現れて来るのだが、焦った人間に成功の女神が微笑むことは稀である。それがまた負のスパイラルとなって行く。一方、女性の方は収入の格差を気にしないことが多いのだが、気にしなさ過ぎて逆に男性の神経を逆なでするようなことを口走ってしまい、それが不仲の直接の原因となることもある。このような現代的な「男女の衝突」が「Tum Mile」のロマンスの核心であり、イムラーン・ハーシュミーの狂おしい演技もあって、うまくまとまっていた。

 また、それと関連して劇中では婚前同棲のシーンが出て来る。これは「Salaam Namaste」(2005年)で初めて本格的にボリウッドの娯楽映画の中に取り込まれた現象で、先日公開された「Wake Up Sid」(2009年)に受け継がれていた。「Tum Mile」の婚前同棲は、過去の回想シーンということもあり、映画のメインテーマにはなっていなかったが、ボリウッドが描く世相の変化と言う意味では見逃せない。

 映画は、2005年7月26日、ムンバイー洪水の当日である「現在」シーンと、主人公の2人が出会い、愛を育み、そして別離へと向かった「過去」シーンが相互に差し込まれる構成になっていた。多少、現在と過去の切り替えが不親切なところがあり、マルチプレックス層ぐらいの教養のある観客ならまだしも、地方の大衆観客は混乱してしまうのではないかと思われる部分もあった。ボリウッド映画は、それこそ上から下まで様々な観客層を相手にしなければならないので、クロスカッティングの手法など、混乱を招く恐れのある映像効果は注意して使わなければならない。

 イムラーン・ハーシュミーが演じたのは、自分勝手で夢追い人だが、どことなく男気のある役であったが、それは彼が今までずっと演じて来た十八番であり、やはりこの映画でもはまっていた。お世辞にもハンサムではないのだが、オーラだけで男らしさを醸し出すことのできるイムラーンは、やはり才能があるのだろう。

 ソーハー・アリー・カーンも堅実な演技であった。しかし心なしか人一倍老化が早いような気がして心配である。母親の女優シャルミラー・タゴールにとても似て来ているのだが、シャルミラー・タゴールの年齢にまで追い付こうとしているような印象である。

 他に、演技派男優サチン・ケーデーカルが一瞬だけ登場する以外は、名の知れた俳優は出て来ない。

 音楽はプリータム。ピュアな恋心を歌った曲が多く、狂おし系映画にピッタリである。タイトル曲「Tum Mile」が素晴らしい。

 ちなみに劇中、イムラーン演じる画家アクシャイが描いた絵がいくつか出て来たが、これらはサイレーシュ・アチャーレーカルという画家が描いたもののようである。

 「Tum Mile」は、2005年7月26日に実際に起こったムンバイー洪水を舞台にした狂おし系ロマンス映画である。洪水シーンは意外に物語の中心ではなく、パニック映画の部類でもない。硬派なロマンス映画が好きな人にオススメだ。

11月19日(木) Kurbaan

 今年6月に公開されてヒットとなったヒンディー語映画「New York」(2009年)は、ニューヨークを舞台としたイスラーム教徒テロリストの物語であった。「New York」公開時から、ボリウッドの重鎮カラン・ジャウハルが制作中の映画「Kurbaan」のプロットが「New York」に酷似しているとの噂があった。だが、公開日が近付くにつれて、むしろそのポスターが話題の中心となった。ポスターでは主演のカリーナー・カプールが裸の背中を露わにしている。マハーラーシュトラ州を拠点とする極右政党シヴ・セーナーがこのポスターにケチを付けたことで大々的に取り上げられ、思わぬ宣伝効果となった。また、映画中ではカリーナー・カプールのベッドシーンがあるとの情報も流れた。その「Kurbaan」が明日より公開となる。たまたま前日に近くの映画館でプレビュー上映があったため、それを見に行くことにした。



題名:Kurbaan
読み:クルバーン
意味:犠牲
邦題:クルバーン

監督:レンジル・デシルヴァ(新人)
制作:ヒールー・ヤシュ・ジャウハル、カラン・ジャウハル
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:ニランジャン・アイヤンガール、イルファーン・スィッディーキー
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント
衣装:アキ・ナルラー
出演:サイフ・アリー・カーン、カリーナー・カプール、ヴィヴェーク・オベロイ、キラン・ケール、オーム・プリー、ディーヤー・ミルザー(特別出演)、クルブーシャン・カルバンダー(特別出演)
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、プレビュー。

カリーナー・カプール(左)とサイフ・アリー・カーン(右)

あらすじ
 ニューヨークの大学で教授をしていたアヴァンティカー(カリーナー・カプール)は、父親の病状悪化によりデリーに一時的にやって来て、デリーの大学で教えていた。そこで出会ったのが同じく大学教授のエヘサーン・カーン(サイフ・アリー・カーン)であった。アヴァンティカーはエヘサーンと恋に落ちる。だが、父親の病状も回復し、ニューヨークの大学へ戻ることになった。エヘサーンは、アヴァンティカーと共にニューヨークへ行くことを決める。2人は結婚し、ニューヨークへ移る。アヴァンティカーが務める大学でエヘサーンも教えることになった。また、2人は南アジア人が多く住む地域に家を見つけ、そこに住み始める。

 引っ越してすぐにエヘサーンとアヴァンティカーの家に近所の人々が挨拶に来る。彼らは皆イスラーム教徒であった。だが、ある日アヴァンティカーが家に一人でいるときに、近所に住むサルマーが駆け込んで来る。サルマーは夫に殺させると言い、報道機関に勤めるリハーナー(ディーヤー・ミルザー)に連絡するように頼む。その夜、アヴァンティカーはリハーナーが夫から暴力を受けているのを目撃し、不安になる。

 アヴァンティカーはリハーナーと連絡を取り、会いに行く。リハーナーは急に翌日イラクへ取材に行くことになり慌ただしかったが、彼女の住所を聞き、対応する。また、その場には同じくジャーナリストで、イラクから帰って来たばかりのボーイフレンド、リヤーズ(ヴィヴェーク・オベロイ)もいた。そのミーティングの後、アヴァンティカーは病院へ行く。そこで妊娠していることが分かる。

 その夜、アヴァンティカーはサルマーの家に行こうとするが、家の地下室で偶然、近所のイスラーム教徒たちがテロ計画を練っているのを目撃してしまう。また、そこにはサルマーの遺体もあった。アヴァンティカーは逃げ出して家に閉じこもるが、テロリストたちは追いかけて来た。絶体絶命のピンチに陥ったアヴァンティカーの前に突然、エヘサーンが現れる。アヴァンティカーは安堵のため息を付くが、実はエヘサーンもテロリストの一味であった。エヘサーンは、米国に移住するため、米国の永住権を持つアヴァンティカーを利用したのだった。一味のボス、バーイー・ジャーン(オーム・プリー)は、秘密を知ってしまったアヴァンティカーを殺そうとするが、彼女が妊娠していることを知ったエヘサーンはそれを制止する。アヴァンティカーは監禁状態に置かれることになった。

 彼らが計画していたのはイラク行きの飛行機の爆破であったが、ちょうどリハーナーがその飛行機に乗ることになっていた。翌朝アヴァンティカーは携帯電話からリハーナーに連絡しようとするが、ちょうど飛行機に乗り込んだ後で、スイッチは切られていた。アヴァンティカーはオフィスの電話にも電話するが、留守電になっていた。仕方なく留守録に、飛行機が爆破されようとしていることを記録する。とうとう飛行機は出発し、離陸と同時に爆発した。ちょうどリハーナーを見送りに来ていたリヤーズは、目の前で彼女の乗った飛行機が爆発するのを見る。

 オフィスに戻って来たリヤーズは留守録でアヴァンティカーのメッセージを聞く。単身テロリストの調査をするため、会社から長期休暇をもらい、アヴァンティカーの家の張り込みをし始める。リヤーズはエヘサーンに近付き、彼の授業に出席し、エヘサーンと親しくなる。エヘサーンは、リヤーズがイスラーム教徒としての義憤に燃えているのを見て、彼を仲間に加えることを考える。ちょうど不測の事故で仲間を1人失ったところであった。バーイー・ジャーンはそれに反対であったが、エヘサーンに押され、リヤーズを仲間に加えることを認める。彼らは近々大規模なテロを計画していた。リヤーズはアヴァンティカーとコンタクトを取りながら、テロの阻止に向けて動き出す。

 アヴァンティカーの協力により、テロリストたちがニューヨークの地下鉄で同時テロを計画していることが分かる。リヤーズはFBIに連絡するが、テロリストたちも発覚を恐れて計画を前倒しする。テロリストたちはそれぞれ爆弾を持ち、地下鉄に乗って移動した。リヤーズはエヘサーンやバーイー・ジャーンと一緒だった。そのとき偶然リヤーズは同僚と出会ってしまい、正体がばれてしまう。思わずリヤーズは発砲してバーイー・ジャーンを撃ち、逃亡する。バーイー・ジャーンは息を引き取るが、その前にエヘサーンに重大な事実を伝える。それは、アヴァンティカーを含む女性たちのバッグの中にも爆弾が入っているということであった。エヘサーンはリヤーズを捕まえるが、彼を敢えて逃し、アヴァンティカーたちを救出に向かわせる。

 アヴァンティカーは、バーイー・ジャーンの妻(キラン・ケール)と行動を共にしていた。リヤーズはFBIに連絡する。FBIは至急テロ阻止に奔走するが、1人は追い詰められた末に自爆し、もう1人は毒を飲んで自殺する。エヘサーンはアヴァンティカーと合流するが、バーイー・ジャーンの妻がアヴァンティカーを人質に取る。だが、エヘサーンは彼女の頭を打ち抜き、アヴァンティカーのバッグから爆弾を取り出して無力化する。そこへ警察が駆けつける。エヘサーンはアヴァンティカーをかばって警察に発砲するが、彼も銃弾を受けてしまう。倒れたエヘサーンは、アヴァンティカーを逃がし、一人自殺する。そこにはリヤーズも駆けつけていた。

 確かに「New York」と非常に似たプロットの映画であった。サイフ・アリー・カーン演じるエヘサーンは、「New York」でジョン・アブラハムが演じていたサムに、カリーナー・カプール演じるアヴァンティカーは、カトリーナ・カイフが演じていたマーヤーに、そしてヴィヴェーク・オベロイ演じるリヤーズは、ニール・ニティン・ムケーシュが演じていたオマルに対応していた。さらに両作品とも舞台はニューヨークであり、ここまで似ていると両映画の比較は免れないだろう。しかし、違う部分ももちろんあった。「New York」では、テロリストはイスラーム教徒であったが、「イスラーム」「ムスリム」などという言葉の使用は意図的に避けられていた。一方、「Kurbaan」ではイスラーム教が前面に押し出されており、強いメッセージ性を持っていた。「New York」も「Kurbaan」も悲しいエンディングではあったが、「New York」の終わり方は悲しみの中にも希望が見出されるようなものになるように工夫されていたのに対し、「Kurbaan」の方は一貫して重厚な作品で、エンディングにも救いはほとんどなかった。プロットは似ているものの、方向性が全然違うため、優劣を付けることはできない。

 アフガーニスターンやイラクで多くの罪のないイスラーム教が殺されている現状に対するイスラーム教徒たちの行き場のない怒りが劇中で幾度も描写されており、それがテロの動機にもなっていたのだが、この映画の真のテーマは愛である。題名となっている「Kurbaan」は「犠牲」という意味で、テロリストたちはアッラーとジハードのために自らの命を犠牲にしていたが、主人公のエヘサーンは結局妻アヴァンティカーへの愛のために命を投げ出した。エヘサーンは以前、パーキスターンに住んでいるときに米国によって妻と子供を殺されており、それがテロリストの道を歩むきっかけとなったのだが、アヴァンティカーの妊娠を知ったことで、再び生への希望を見出すようになったのだった。生と死、愛と憎悪の葛藤が、映画の核である。

 クライマックスのテロ決行シーンはかなり緊迫感があり、スリル満点であった。レンジル・デシルヴァ監督は今回が初監督作品になるが、スリラー映画に特に長けていそうだ。また、ニューヨークが舞台であるが、このテロの手法はむしろ2005年7月7日のロンドン地下鉄同時爆破テロを彷彿とさせた。

 ところで、インド映画ではほとんどの場合、ベッドシーンの後には妊娠が来る。それは、プロット上に必要な妊娠というイベントを言い訳にして、物議を醸しがちだが捨てがたい集客力もあるベッドシーンの挿入を正当化しているのだと思われる。ヒロインがいきなりオエ~ッと吐いて、それが妊娠の発覚につながるという露骨な展開も未だに多い。しかし、珍しいことに「Kurbaan」では、まず妊娠が分かるシーンがあって、その後にベッドシーンがあった。しかしそれはやはり理由なきベッドシーンではなかった。アヴァンティカーはエヘサーンらが計画しているテロの情報を盗むため、彼を誘惑したのであった。ちなみに、サイフ・アリー・カーンとカリーナー・カプールは実際のカップルであり、そのベッドシーンもかなり熱が入っていたが、前々から話題になっていたほど過激なものでもなかった。あくまでインド映画レベルのベッドシーンである。

 カリーナー・カプールがとてもよかった。彼女は「Jab We Met」(2007年)のような底抜け元気ガールが得意で、「Tashan」(2008年)や「Kambakkht Ishq」(2009年)のようなセクシーな演技もよく話題になるのだが、実は悲劇にも相性がよく、「Dev」(2004年)や「Omkara」(2006年)などの悲しい映画で非常に印象的な演技をしている。「Kurbaan」は、彼女の名作悲劇出演リストの中に含まれることになるだろう。悲しみに沈む表情がとてもうまい女優である。

 サイフ・アリー・カーンも堅実な演技であった。最近すっかり鳴かず飛ばずだったヴィヴェーク・オベロイは、「Kurbaan」において、助演ではあるが、重要な役を演じており、演技も素晴らしかった。いい味を出す俳優になって来ている。助演男優賞が狙えるかもしれない。ベテラン俳優のオーム・プリーやキラン・ケールも、ダークな役柄をシャープに演じていた。また、特別出演で出番は少なかったものの、ディーヤー・ミルザーがとても良かった。彼女ももう一踏ん張りして欲しい女優である。

 音楽はサリーム・スライマーン。ストーリー重視で、ダンスシーンなどはなかったが、いくつか挿入歌が映画の情緒を高めていた。特にラストでエヘサーンが死ぬところは、彼の気持ちを歌が代弁していた。

 全面的にニューヨークでロケが行われていたが、冒頭部分だけは舞台がデリーであることもあり、デリーでのロケであった。インド門、フマーユーン廟、クトゥブ・ミーナールなどが登場した。

 「Kurbaan」は、「New York」と似たプロットながら、より重厚でより踏み込んだ作品となっていた。娯楽映画の要素はほとんどなく、限りなく社会派映画に近い。カリーナー・カプールの裸の背中が必要以上に取り沙汰されているが、じっくり腰を据えて見る作品になっており、軽い気持ちで見られる作品ではない。

11月20日(金) 宣誓言語問題

 去る10月13日に、マハーラーシュトラ州、ハリヤーナー州、アルナーチャル・プラデーシュ州の3州で州議会選挙が行われた。10月21日に開票され、結果は、中央政府で政権を握る全国政党、国民会議派の圧勝であった。3州とも元々国民会議派が与党であり、同党にとってこの3州同時選挙は防衛戦でもあったのだが、大方の予想通り、国民会議派が、今年行われた下院総選挙の勢いそのままに、勝利を収めた。ただし州によって状況は異なった。

 アルナーチャル・プラデーシュ州では文句ない圧勝であった。インド最東北部に位置するアルナーチャル・プラデーシュ州は、第6代ダライ・ラマの生まれ故郷があることから(現在のダライ・ラマは第14代)、中国が「南チベット」と呼んで領有を主張しており、度々問題になって来ているのだが、今回の州議会選挙では70%という高投票率を記録し、州民は民主主義の象徴である投票という行為によって、中国にノーを突き付けたことになる。

 ハリヤーナー州は国民会議派の辛勝であった。議席数では依然国民会議派がトップだが、大幅に後退して過半数割れしてしまい、無所属議員の協力を得て何とか組閣にこぎ着けたという状態である。

 マハーラーシュトラ州では、国民会議派とナショナリスト会議派(NCP)の連立党が過半数議席を獲得した。しかし、勝利確定後も、この両党の間で権力分担を巡っていざこざがあり、州政府の組閣が大幅に遅れてしまった。しかし、州知事による叱咤もあって何とか同意にこぎ着けたようで、11月9日に第1回の州議会が開かれ、新たに選出された州議会議員たちによる宣誓式が行われた。インドでは、国政選挙でも州議会選挙でも、選挙後にはまず議員たちによる宣誓が行われる習わしになっている。どんなことが宣誓されるかよく分からないのだが、国民の代表として清廉潔白に、献身的に、積極的に政治に参画することなど、想像の範囲内のことであろう。

 しかし、これはインドだけの現象なのであろうか、それとも他の多言語国家でも起こっているのだろうか、その宣誓の言語を巡って、大きな論争が巻き起こった。南アジアの近現代史を見ると、言語が政治闘争の大きな原動力のひとつとなっていることに気付く。印パ分離独立の原因のひとつにヒンディー語とウルドゥー語の対立が数えられることが多いし、東パーキスターンがバングラデシュとして独立することになったのも、ウルドゥー語とベンガリー語の対立が大きな要因であった。言語を巡る対立は、インド国内でも各地でくすぶり続けており、それが政治的に利用されることも多い。マハーラーシュトラ州での今回の宣誓言語問題は、その最新の例だと言える。

 マハーラーシュトラ州では元々、シヴ・セーナーという極右の地方政党が幅を利かせていた。バール・タークレー率いるシヴ・セーナーは、いわゆるヒンドゥー教至上主義団体であるのだが、それ以上にマハーラーシュトラ州の地元民であるマラーターの利益を守ることを党是としており、度々過激な排他運動を行って来た。同州の州都の名称を「ボンベイ」から「ムンバイー」に変えたのもシヴ・セーナーである。だが、2006年に、バール・タークレーの甥のラージ・タークレーが後継者問題のこじれによりシヴ・セーナーから飛び出して独立政党を興したことで、マハーラーシュトラ州の政治状況は急激に変化しつつある。ラージ・タークレーが興した政党の名前はマハーラーシュトラ・ナヴニルマーン・セーナー(MNS)。直訳すると「マハーラーシュトラを新しく築き直す政党」といったところだが、僕はマハーラーシュトラ改革党と訳している。このMNSは、シヴ・セーナーよりも過激なマラーター主義を掲げており、本家のお株を奪うほどの勢いで様々な排他運動を扇動し、トラブルを巻き起こしている。今回の州議会選挙はMNS設立後初となる地方選挙で、その実力の試金石となっていた訳だが、同党は都市部を中心に13議席を獲得し、その存在感を示した。インド人民党(BJP)と連立し選挙に臨んだシヴ・セーナーの獲得議席数は44議席であり、まだシヴ・セーナーの方が勢力的には上だが、今回の結果により、MNSがシヴ・セーナーの支持層を確実に奪っている様子が浮き彫りとなった。このシヴ・セーナーとMNSの間の支持者奪い合いで漁夫の利を得て、国民会議派とNCPの連立政党がより多くの選挙区で勝利をものにしたというのが、大方の選挙分析である。

 そのラージ・タークレーが11月3日に、新しく選出された州議会議員288人に対し、マラーティー語「のみ」で宣誓を行うように通告したことにより、問題が始まった。これは元々、社会党(SP)のベテラン政治家で、今回の州議会選挙でビワーンディー・イースト選挙区から立候補して当選したアブー・アースィム・アーズミーが、マハーラーシュトラ州議会の議事日程がマラーティー語と英語でしか書かれていないことに異議を唱え、ヒンディー語版も用意するように要求したことで、ラージ・タークレーが即座に反応し、その反撃として打って出た過激な要求が、マラーティー語のみによる宣誓だったという訳である。

 まず、マラーティー語とは、マハーラーシュトラ州で主に使用されているインド・アーリヤ系の言語である。インドのいわゆる「23の公用語(インド諸言語22+英語)」の中の1言語で、文学的にも非常に豊かな歴史を持っている。筆記にデーヴナーグリー文字を使用しているだけでなく、文法的にも語彙的にもヒンディー語と近縁関係にあり、ヒンディー語が分かれば何となく理解できることも多いが、ヒンディー語と同一の言語ではない。2001年の国勢調査によると、マハーラーシュトラ州においてマラーティー語を母語とする人々の人口は66,643,942人、州人口の68.9%になる。この数字を見て分かるように、マハーラーシュトラ州で母語として使用されているのはマラーティー語だけではない。元々グジャラート州と一体であったため、グジャラーティー語を話す人々も多いし、インド随一の商都ムンバイーを抱えるだけあり、それだけに留まらず、北から南から多くの人々が移住して来ている。歴史的要因により、ヒンディー語またはウルドゥー語と呼ぶことの出来る言語を母語とする人々が集中している地域もいくつかある。ヒンディー語を母語とする人口とウルドゥー語を母語とする人口を足すと、その割合はおよそ18%になる。グジャラーティー語を母語とする人口は2%ほどである。

 以上がマハーラーシュトラ州における言語状況の説明になるが、次に議会における宣誓言語についての憲法の規定を見てみよう。宣誓言語そのものについての規定は憲法ではないが、州公用語についての規定を定めた第345条がそれに該当する。そこには、以下のようなことが書かれている。
345 ...the Legislature of a State may by law adopt any one or more of the languages in use in the State or Hindi as the language or languages to be used for all or any of the official purposes of that State...

345 …州議会は、法律により、その州で使用されているひとつまたは複数の言語、もしくはヒンディー語を、州の全ての、または一定の公務のために採用する権限を持つ…
 この条文には続きがあり、州議会が却下しない限り、英語の使用も認められている。これは独立前から引きずっている慣習である。マハーラーシュトラ州の州公用語としてはマラーティー語のみが規定されている。つまり、以上のことを踏まえると、マハーラーシュトラ州の州議会議員たちは、マラーティー語、ヒンディー語、英語の3言語の内のいずれかで宣誓を行う権限を有している。また、アブー・アーズミーによるヒンディー語での議事日程要求は、一応の憲法的裏付けがある行為だと言える。しかし、マラーティー語のみによる宣誓を強要するラージ・タークレーの通告は、憲法を無視した全くの無法行為としか言いようがない。

 ラージ・タークレーの通告は、マハーラーシュトラ州におけるマラーティー語の優位を示し、ヒンディー語と英語を排斥する動きと捉えることができるが、特に彼が標的にしているのはヒンディー語であり、さらにはヒンディー語を母語とする北インド人である。シヴ・セーナーやMNSは、昔からヒンディー語話者を敵視して来た。その理由は、彼らの主張によると、北インドからのヒンディー語話者の移民や出稼ぎ労働者たちが、同州において、地元民マラーターが享受すべき就職口を奪っているからである。もちろん、その主張の裏には、地元有権者の敵意を反ヒンディー語話者に持って行くことで、マラーティー至上主義の名の下に団結を促し、選挙を有利に戦うことができるようにとの戦略がある。ヒンディー語映画界の大スター、アミターブ・バッチャンですら、元を正せば北インド人であるために、ちょっとしたことで標的になることがある。

 このようなきな臭い情勢の中、11月9日に宣誓式が行われた。多くの州議会議員が、MNSを恐れてか、元々決めていたのか、マラーティー語で宣誓を行う中、まずは国民会議派の政治家バーバー・スィッディーキーが英語で宣誓を行い、その連鎖を断ち切った。しかしMNSは無反応であった。そしてそもそもの論争のきっかけである社会党のアブー・アーズミーの番がやって来た。彼はマイクの前に立つと、前々から宣言していた通り、ヒンディー語で宣誓を行い始めた。すると、まずMNSのラメーシュ・ワーンジャレーが突進してマイクを奪い、他の3人のMNSの議員たちがそれに続いて前に出て来て、寄ってたかってアブー・アーズミーに暴行を加え始めた。彼らを止めようとした議員たちも暴力を受けることになった。

 このショッキングな事件は州内に緊張をもたらし、各地でMNSと社会党の支持者たちによる衝突も勃発した。暴行を行った4人のMNSの議員たちは即座に4年間の議員資格停止という厳罰に処せられたが、ラージ・タークレーは彼らの行動を絶賛した。一方、州議会ではMNSへの抗議を示すため、アブー・アーズミーに続いて敢えてヒンディー語で宣誓を行う議員が何人も現れた。改めて連邦公用語としてのヒンディー語の立場がクローズアップされることになり、結果的に「怪我の功名」のような感じでヒンディー語にとってプラスの出来事となったかもしれない。ヒンディー語は、複雑な歴史と不安定なアイデンティティーの上に成立した言語であり、度々同様の事件に巻き込まれて来たのだが、今回はMNSの行動があまりに幼稚であったために、むしろMNS以外の人々の団結を高めることになったように思われる。

 この宣誓言語問題のほとぼりが冷めない内に、アブー・アーズミーはバール・タークレーに対する発言が原因で今度はシヴ・セーナーから攻撃されたりと、マハーラーシュトラ州の政情はいつになく不安定である。シヴ・セーナーやMNSは相変わらずコミュニティー間の対立を煽るような排他的な発言を続けている。だが、そのコミュナルな緊張状態に一石を投じる人物が意外なところから現れた。クリケット界のスーパースター、サチン・テーンドゥルカルである。

 サチンがどのくらい人気と実力を伴ったスポーツ選手であるのか、日本のスポーツ選手に当てはめて語ることは困難である。長嶋茂雄と王貞治を足しても足りないくらいかもしれない。サチンはクリケット史上一二を争う名バッツマンであり、数々の記録を今でも更新中である。はっきり言って、サチンの前ではいかなるボリウッドの大スターも霞むほどだ。インド人は皆、サチンを誇りに思っていると言って過言ではない。さらにその名声はインドに留まらず、世界中で――クリケットが人気の国々限定だが――圧倒的な尊敬を受けている。インドの子供たちは皆、サチンになりたくてクリケットをしているのだ。それだけの実力を持ちながら、人柄も穏やかで、彼をよく知る人々からも賛辞しか聞かない。そんなサチンは、マハーラーシュトラ州生まれの、典型的なマラーター人である。

 サチンは1989年11月15日、弱冠16歳で、インドにとってもっとも重要な対パーキスターン戦において国際試合デビューを果たす。以来サチンはインドのクリケットを牽引する選手として活躍して来た。サチンの現役20周年を前にしてサチンのインタビューが行われたのだが、その中で、普段多くを語らない彼は、こんなコメントを残した。「ムンバイーはインドの都市だ。私はマハーラーシュトラ人で、マハーラーシュトラ人であることに誇りを感じているが、私はマハーラーシュトラ人である前にインド人である。私はインドのためにプレイしている。」これは、シヴ・セーナーやMNSによる排他的な政策への間接的な批判であった。

 マラーター至上主義を掲げるシヴ・セーナーやMNSにとって、当然のことながらサチン・テーンドゥルカルはマラーター人の誇りであった。だが、当のサチンがマラーター人としてのアイデンティティーやマハーラーシュトラ州よりもインドを優先する発言をしたことで、彼らは急に窮地に立たされてしまった。しかもサチンはインタビューの中で、英語とマラーティー語とヒンディー語を交ぜて話していた。

 シヴ・セーナーのバール・タークレーは早速サチンに対し、「クリケット以外のことに口を挟まないように」と警告を発したが、インドの大多数の国民はサチンの味方であった。各界からサチンへの応援メッセージが寄せられ、サチンの人気の高さが改めて思い知らされた。さすがのバール・タークレーもたじたじと言ったところであった。彼の言葉が、シヴ・セーナーやMNSの支持者の心理に与えた衝撃も甚大だったものだと想像できる。もしかしたらサチンの鶴の一声が、マハーラーシュトラ州のコミュニティー調和の促進に多少なりとも影響をもたらして行くかもしれない。

11月24日(火) ラブ・ジハード

 「ジハード」という宗教用語は既に日本でも市民権を得たものと思う。「ジハード」の元々の意味は、日本語の「頑張る」に近いもので、宗教的文脈でそれは特に、イスラーム教の教義の遵守とイスラーム世界の拡大のための努力だとされる。だが、911事件以降であろうか、現在では「イスラーム教徒たちによる異教徒に対する戦い」という、かなり好戦的な意味で使われるようになり、「聖戦」と短絡的に訳されることも多い。とにかく、「ジハード」という言葉を聞いて何もイメージをしない人は現代にはいなくなったと言って過言ではないだろう。

 だが、「ラブ・ジハード」という言葉は誰の耳にもかなり新しいだろう。過去数ヶ月間、インドの新聞の奥のページの端っこの方などでちょくちょく目にするようになった言葉である。「愛の聖戦」と言うと、どこかB級恋愛ドラマの題名のような、読み切り三文少女漫画のような、こそばゆい印象を受ける。何となくジョーク記事のようにも見えるのだが、少し深く立ち入って調べてみると、将来的に起こりうるであろうかなり深刻な事態の予兆のひとつであるような気がしてならない。

 「ラブ・ジハード」とは、イスラーム教への改宗とイスラーム教徒の人口拡大を目的として、イスラーム教徒の男性が非イスラーム教徒の女性を恋に落として結婚する行為と、それを推し進める一連の運動、または団体のことだとされる。自爆テロなど、流血を伴った大々的かつ攻撃的な「ハード・ジハード」に対して、こちらはより平和的にかつ秘密裡にジハードの目的を達成する「ソフト・ジハード」に位置づけられる。また、ジハードを行う者は一般に「ムジャーヒド」とか「ムジャーヒディーン」と呼ばれるが、「ラブ・ジハード」を行う者は「ジハーディー・ロミオ」と呼ばれている。

 元々インドでは、イスラーム教徒の人口や人口増加率の公表は慎重に扱われることが多い。宗教大国かつ民主主義大国のインドでは、宗教別人口がそのまま各コミュニティーの集票力・政治力に直結して、社会不安を煽る可能性が高いためであり、特にインド最大のマイノリティーであるイスラーム教徒の人口の扱いには慎重にならざるを得ないからである。

 だから、2001年に行われた国勢調査の宗教別人口動態が2004年に突然公表されたとき、それは驚きをもって受け容れられた。そしてそれ以上に物議を醸したのが、イスラーム教徒の人口増加率である。そのデータでは、イスラーム教徒の人口増加率が他の宗教コミュニティーに比べて圧倒的に多く表示されていた。ヒンドゥー教徒の人口増加率が20.4%なのに対し、イスラーム教徒の人口増加率は36.0%であった。イスラーム教徒の人口が増えている!いつかヒンドゥー教徒の人口を圧倒してしまうかもしれない!イスラーム教徒の急激な人口増加は「人口時限爆弾」と称され、ヒンドゥー教徒の間で不安が煽られた。

 しかし、これには実はカラクリがあった。2001年の国勢調査では、前回1991年の国勢調査時に政治的理由から調査地域に入っていなかったジャンムー&カシュミール州が含まれたのである。ジャンムー&カシュミール州は州人口の67%がイスラーム教徒であり、インド有数のイスラーム教徒多住州である。イスラーム教徒の人口増加率が見かけ上大幅に増えたのは、ジャンムー&カシュミール州がデータに加わったからだと、早々に不安を打ち消す論説も出された。しかし、ジャンムー&カシュミール州のデータが加わったことのみがイスラーム教徒の人口増加率の上昇の理由なのかどうかは、本当のところは分からない。

 元々ヒンドゥー教徒の間で、イスラーム教徒が着々と人口を増やしているという得体の知れない恐怖は、かなり昔から心のどこかに根強く染みついているもののようである。その恐怖は単に、ヒンドゥー教徒コミュニティーなどで少子化が進む一方で、イスラーム教徒コミュニティーだけでは一向に人口統制が進んでいないということだけではなく、イスラーム教徒(特に男性)がヒンドゥー教徒などの非イスラーム教徒(特に女性)と積極的に結婚を推し進めて配偶者を改宗させ、子供をイスラーム教徒として育てることで、非イスラーム教徒コミュニティーの人口を浸食してまで人口を拡大しているということにも及んでいる。国勢調査の宗教別人口動態は、その恐怖を具現化するに十分の情報であった。

 ここで考慮しなければならないのは、それが発表される直前に、下院総選挙で与党インド人民党(BJP)が国民会議派に敗北し失脚している点である。BJPは言うまでもなくヒンドゥー教主義を掲げる政党で、ヒンドゥー教徒を支持基盤としている。BJPにとって、ヒンドゥー教徒の結束がもっとも集票につながるし、アヨーディヤー事件など、今まで度々意図的にそういう活動を扇動して来ている。このデータの発表を行った責任者も、BJP政権時代に就任したBJP寄りの人物とされており、宗教別人口動態を公にしてヒンドゥー教徒の間で不安とイスラーム教徒に対する敵意を煽り、勢力を盛り返そうとする政治的な狙いがその裏にはあったと考えられている。

 それはともかく、イスラーム教徒の男性が非イスラーム教徒の女性と結婚することがイスラーム教徒の人口拡大の理由のひとつになっているというのは元から漠然と存在した社会不安であった。しかし、それが組織的に行われていると警鐘が鳴らされ始めたのはここ1年のことで、さらに「ラブ・ジハード」という、半ばキャッチーな言葉が使われ出したのは、今年に入ってからのようである。

 「ラブ・ジハード」という言葉が初めてメディアに登場したのは、ケーララ州の地元マラヤーラム語紙ケーララ・カウマディ紙のようで、それは2009年2月のことのようだ。元記事をネット上で探してみたが既に消滅していたので、他の記事で引用されていた情報を元にその内容を復元すると以下のようになる。同紙によると、非イスラーム教徒の女性をたぶらかしてイスラーム教に改宗させたり、結婚してなるべくたくさん子供を作り、彼らをイスラーム教徒として育てたりすることで、イスラーム教の拡大を目指す、「ラブ・ジハード」を称するイスラーム教徒の団体の支援の下、イスラーム教徒男性たちが、過去半年間に4000人以上の非イスラーム教徒(ヒンドゥー教徒またはキリスト教徒)の女性と結婚し、イスラーム教徒に改宗させたらしい。多くの場合、結婚は駆け落ち婚であり、行方不明となった女性の多くがこの「ラブ・ジハード」の餌食になっていると言う。「ラブ・ジハード」を称する団体は、イスラーム教徒の若者が女性を口説くのを様々な面から支援している。彼らに無償で携帯電話、バイク、オシャレな衣服を提供したり、1日200ルピーの小遣いを与えたり、女性の口説き方を指南したりする他、もし「ラブ・ジハード」に成功した暁には、最高10万ルピーの報酬金も与える。出会いから2週間以内で口説き落とし、6ヶ月以内に結婚までこぎ着けるのが一応の決まりとなっている。もし2週間頑張って見込みがないようであったら、別の女性にターゲットを切り替えなければならない。結婚後は4人以上の子供を作ることが推奨されている。「ラブ・ジハード」の資金源は中東のようである。

 「ラブ・ジハード」なる団体や、そういう活動が本当に存在するのか、それは不明である。一部では、ケーララ州に端を発した「ラブ・ジハード」が既にカルナータカ州南部にも浸透しているとの報道があるが、一方では「ラブ・ジハード」の存在そのものを否定する発言もあちこちから出ている。しかし、少し調べていて分かったのは、「ラブ・ジハード」への警鐘をやたら鳴らしている人々は、どうやら何らかの過激なヒンドゥー教至上主義のバックグラウンドを持っていそうなことである。一見、過激なイスラーム教徒たちによる不気味な活動のように思える「ラブ・ジハード」は、実はイスラーム教徒への敵意を煽ろうとする過激なヒンドゥー教徒たちによるキャンペーンの一環である可能性が高い。

 マハーラーシュトラ州、ゴア州、カルナータカ州、ケーララ州など、西海岸各州では、ここのところヒンドゥー教徒テロリストたちの暗躍が囁かれている。記憶に新しいところでは、今年初めにインドを騒がせた、シュリー・ラーム・セーナーによる反ヴァレンタイン・デー運動で、それについての詳細は2月14日の日記ヴァレンタイン紛争と2つのインドで書いた。昨年11月26日のムンバイー同時テロ事件についてレポートした12月8日の日記生け捕られたテロリストでも、事件の背景を予想しつつ、サフラン・テロリストの存在に触れた。今年10月にもゴアで、爆弾の誤爆があり、そこから爆弾テロ未遂事件が暴かれたが、伝えられるところによるとそれは、ヒンドゥー教過激派団体がヒンドゥー教徒を狙って仕掛けようとしていたものらしい。つまり、ヒンドゥー教徒を狙った爆弾テロ事件を起こして、犯人をイスラーム教徒だとでっち上げ、イスラーム教徒に対する敵意を煽ろうとしていたのである。世界ではテロリスト=イスラーム教徒という図式が出来上がってしまっている。その実態ははっきり言ってよく分からないが、少なくともインドにおいて、今後本当に何かとんでもないことをしでかしそうなのは、むしろヒンドゥー教徒過激派かもしれない。特に最近、BJPが選挙で敗戦続きで、急速に支持を失っていることもあり、一発逆転を狙った過激な行動が行われかねない状況となっている。「ラブ・ジハード」もそのひとつの兆候だと捉えられなくはないだろうか?

11月25日(水) スター登場のお値段

 ここ最近では一番のヒット作となっているロマンス・コメディー映画「Ajab Prem Ki Ghazab Kahani」(2009年)。その中でこんなシーンがあった。ジェニーに一目惚れした主人公のプレームは、ジェニーが映画スターのサルマーン・カーンの大ファンであることを知り、「サッルー(サルマーン・カーンの愛称)はオレのダチさ。オレがあいつにボディービルディングを教えてやったんだぜ」などと豪語する。ジェニーはその言葉を信じ込み、大喜びする。ある日、ひょんなことからプレームとジェニーの住む町にサルマーン・カーンがやって来る。そのときプレームと一緒にいたジェニーは、プレームがサルマーン・カーンの「親友」であることに勇気付けられ、思い切ってサルマーン・カーンに「サッルー!サッルー!」と呼びかける。見知らぬ人から馴れ馴れしく呼びかけられたことにカチンと来たサルマーン・カーンは、プレームとジェニーのところへズカズカとやって来る。アタフタしたプレームは、ジェニーに「ほら、サイン欲しいでしょ!ペンとメモ帳を持って来て!」と言ってその場から一時的に立ち去らせ、サルマーン・カーンに泣きついて今までのことを話す。すぐにジェニーが帰って来たが、心優しいサルマーンはプレームに合わせて、「こいつはとってもいい奴さ。今度一緒に家に来なよ!」などと言って、気前よくサインをして去って行く。

 これは映画の1シーンであるが、もし、女の子の前でついついかっこつけてしまい、プレームみたいに、映画スターのことを「あいつはオレのダチさ」などと豪語してしまっても、インドではもしかしたらその嘘を真実に変えることが可能かもしれない。しかし、タダでは無理だ。大金が必要である。それでも、大金さえ積めば、あの大スターと「親友」になれてしまう可能性がある。

 どうやらボリウッドでは公然の秘密となっているようだが、金を払って映画スターをパーティーや結婚式に呼ぶことが裏で盛んに行われており、一種のビジネスとして成り立っているらしい。映画スターを呼ぶには、「アピアランス」と「パフォーマンス」の2種類がある。前者は単に映画スターがパーティーに少しの時間顔を出すというもので、後者は映画スターがダンスなどのパフォーマンスを披露してくれるというものである。パーティーに呼ばれてやって来たスターたちは、主催者と全く面識がなくても、「彼は昔からの友人だった」などとリップサービスもしてくれるらしい。もちろん、スターのランクによってその値段はかなり違う。しかし、映画スターが金を取ってこのような行為をするというのは公には否定されることが多いようで、支払いも現金のみで行われるのが慣例となっている。さらに重要なのは、映画スターを呼ぶには、「正しい連絡先」をあらかじめ知っていることである。ムンバイーのタレント・マネージメント・エージェンシーは大体こういう方面も取り扱っているようで、彼らの手元には映画スターたちのリストが時価付きで非公式に準備されていると言う。

 11月21日付けのヒンドゥスターン・リミックス紙に、公然の秘密となっているボリウッドの映画スターたちの密かな小遣い稼ぎの実態がレポートされていた。そのレポートがなかなか面白かったので、各スターの解説を加えながら、簡潔にまとめてみた。

 記事の中で映画スターを呼ぼうとしているのはジョーという人物である。ジョーは、12月26日にゴアで予定されている、上司の息子の結婚式に映画スターを呼ぶため、コンタクトを試みる。一応予算は200~300万ルピーを見ていたようだ。ジョーはまずサルマーン・カーンのマネージャー、アーローク・マートゥルに電話を掛けた。サルマーン・カーンはボリウッドの「3カーン」の1人で、押しも押されぬ人気俳優である。アーロークは最初の内、話を逸らしてなかなか本題に入ろうとしなかったが、しばらくしてビジネスの話を始め、サルマーンは1000万ルピー以下の金は受け取らないと話した。ジョーが「250万ルピーではどうか?」と聞くと、アーロークは「予算に見合ったスターに聞くように」と言って相手にしなかった。

 そこで今度はマヒマー・チャウドリーに電話をした。マヒマーは少し前までアクティブだった女優だが、最近はあまり音沙汰を聞かない。電話には、マヒマーの母親ウシャーが出た。彼女は、マヒマーの結婚式出席は100~150万ルピーが相場になっていると語り、ゴアはムンバイーから近いため、最低価格の100万ルピーでもOKだとも付け加えた。

 次に電話をしたのはスシュミター・セーンのマネージャー、レベッカ・パレーラー。スシュミター・セーンは、アイシュワリヤー・ラーイと双璧を成すミスコン出身女優である。大きなブレイクはないが、知名度は高い。レベッカはすぐにビジネスの話を始めず、ジョーの上司の詳細をあれこれ質問して来た。そして身元が分からない内はビジネスの話はしないと言い切った。そこでジョーが300万ルピーを提示すると反応はガラリと変わり、今度はそれが現金かどうかをしきりに聞いて来た。

 その次に電話をしたのは、マニーシャー・コイララの会計士サントーシュ・メージャーリーであった。マニーシャーはネパール人女優で、一時期とても人気があったが、ここ数年は銀幕から遠ざかっている。サントーシュは無条件で50~60万ルピーを提示した。

 以上、スターたちのマネージャーなどに直接コンタクトを取って来た訳だが、今度はエージェンシーに電話を掛けることにした。前述の通り、エージェンシーの手元には映画スターたちのリストが用意されている。まずはカービング・ドリームスというエージェンシーのアンクル・サーガルに電話を掛けた。アンクルは、リティク・ローシャンのアピアランスのために1250万ルピーを要求した一方、彼よりランクの落ちるスターたちの価格もいくつか提示した。例えばミニシャー・ラーンバーとアミーシャー・パテールは50~100万ルピー、マッリカー・シェーラーワトは200万ルピーである。リティク・ローシャンはボリウッドの中ではトップリーグに入る人気男優で、ハンサムな外見もさることながら、ダンスが非常にうまい。ミニシャー・ラーンバーやアミーシャー・パテールは2流3流女優と表現する他ない。どちらかと言えばミニシャーの方が上がり調子だ。マッリカー・シェーラーワトはボリウッドのセックス・シンボルの1人であり、何かと話題の女優で、前述の女優たちより値段が高いのには頷ける。

 ジョーが次にコンタクトを取ったのはアクシャイ・クマールのマネージャー、ローケーシュ・バーリーであった。アクシャイは、最近少し失敗作が続いているものの、今でも人気ナンバー1と言ってもいいほど絶好調の男優である。ジョーは300万ルピーを提示したが、ローケーシュは「そんな値段じゃアクシャイは来ない」とはねのけた。しかし、同時に別のオプションを提示し、その値段ならディンプルを呼ぶことが出来ると語った。ディンプルは、アクシャイの妻トゥインクルの母親で、過去に非常に人気のあった女優である。

 今度はプリヤンカー・チョープラーのマネージャー、チャーンド・ミシュラーに電話をした。ミスコン出身のプリヤンカーは、最近芸幅を広げて来ている有望な女優だ。チャーンドは、プリヤンカーのアピアランスの相場は300~500万ルピーだと提示した。

 さらにサンジャイ・ダットの秘書ダラム・オベロイに連絡した。サンジャイは特に中年層以上に大人気の肉体派男優である。ダラムは最初、サンジャイはパーティーなどには行かないと言っていたが、後に発言を翻し、700万ルピーを要求し出した。その内の200万ルピーを前金として事前に支払うという条件まで提示した。

 ジョーが次に電話をしたのは、カトリーナ・カイフのマネージャー、サンディヤー・ラームチャンダーニーである。カトリーナ・カイフは今や若手ナンバー1の人気を誇る上に、出演作が軒並みヒットとなっており、今もっとも稼げる女優となっている。サンディヤーによると、カトリーナ・カイフは500万ルピー以下の金は受け取らないと言う。カトリーナはテープカットのみで300万ルピーを取っているとも伝えられた。

 次はカリーナー・カプールのマネージャー、プーナム・ダマーニヤーに連絡をした。カリーナー・カプールは「映画カースト」カプール家の末裔で、人気・実力と共にかなり高い位置にいる。プーナムは、カリーナーを結婚式に呼ぶには400万ルピーが必要だと答えた。

 この間、ジョーの元に、セレブリティーのマネージメントを手掛けるブリングという会社に勤めるシャムス・ラールジーから電話が入った。シャムスは映画スターたちのリストを持っており、それに従ってセールスを掛けて来た。「シャーヒド・カプール、ディーピカー・パードゥコーン、ソーナム・カプールを各500万ルピーで送ることができる。アニル・カプール1人の相場は150万ルピーだが、ソーナムとアニルのコンボ・オファーを600万ルピーで提供できる。」シャーヒド・カプールは若手男優の中では順調にキャリアを伸ばしているスターである。ディーピカー・パードゥコーンとソーナム・カプールは人気絶頂の若手女優だ。アニル・カプールはソーナム・カプールの父親で、この親子のコンボ・オファーまで用意されているのは驚きである。他にシャムスは、アイシュワリヤー・ラーイ750万ルピー、ラーニー・ムカルジー350万ルピー、ビパーシャー・バスのアピアランス250万ルピー、パフォーマンス1500万ルピー、恋人のジョン・アブラハムとのコンボ・オファーなら1000万ルピー、ジョン・アブラハム1人なら250万ルピー、ラーラー・ダッターのパフォーマンス1500万ルピー、アピアランス250万ルピー、プリヤンカー・チョープラー600万ルピー、ヴィディヤー・バーラン350万ルピー、チトラーガンダー・スィン250万ルピー、アバイ・デーオール350万ルピー、アルジュン・ラームパールと妻のメヘル・ジェシアのコンボ・オファー350万ルピー、イルファーン・カーン150~200万ルピー、アシン250~300万ルピーなど、様々なスターやそのコンボの価格を言って来た。また、価格にはサービス税が含まれておらず、コミッションとして15%も徴収する。スターへの支払いはやはり現金のみとのことである。

 さらにシャムスは、シルパー・シェッティー、セリナ・ジェートリー、アーフターブ・シヴダーサーニー、アムリター・ラーオ、ディノ・モレア、ネーハー・ドゥーピヤー、ムグダー・ゴードセー、トゥシャール・カプールなどのマネージャーにも連絡を取って確認したらしい。その中で興味を引かれたのがシルパー・シェッティーに関する件であった。シルパーは、元々落ち目だったのだが、英国のTV番組「ビッグ・ブラザー」に出演して人種差別問題に巻き込まれたおかげで、世界的に注目を集めることになった女優である。その後はボリウッドでも別格の存在となってしまった。シルパーは11月22日にロンドン在住のインド人実業家ラージ・クンドラーと結婚した。ジョーがスターを呼ぼうとしている12月26日には、シルパーとラージはヨーロッパをハネムーン中の予定である。しかし、シルパーのマネージャー、ミーター・ジュンジュンワーラーによると、もし取引が魅力的なら、2人は一時的にハネムーンから抜け出して、アピアランスをすることが出来ると言う。ただし、それが実現すれば、それは2人が結婚後初めて公の場に姿を現す機会になり、大いに話題となるため、自ずと値段は高くなる。よって、このニューカップルのアピアランスの値段は500~600万ルピーになると言う。

 こういう取引は、エージェンシーやマネージャーが勝手に決めているものなのか、それともスターの同意の下に決めているものなのか、いまいち分からない。しかし、ハネムーンと言う人生でもっとも大切な時期の時間すらも、金で買えてしまうスターの人生とは一体何なのか、いろいろな意味で可哀想になって来る。もっとも、この話が全て真実だったら、という仮定の下での同情ではあるが。

 また、全てのスターが金と引き替えによるパーティー出席を認めた訳ではない。アビシェーク・バッチャン、ランビール・カプール、ランヴィール・シャウリー、シャルマン・ジョーシー、アーミル・カーンなどのマネージャーは、ジョーの問い合わせに怒りを表明して電話を切ったと書かれていた。おそらく、こういう裏ビジネスに関わらない方針の俳優もいるのだろう。だが、金を出せばパーティーに呼べるスターがいることも決してデタラメではないように思える。

11月27日(金) De Dana Dan

 プリヤダルシャン監督と言えば、「コメディーの帝王」と称されるほどコメディー映画を得意とする映画監督である。特に彼が監督した「Hera Pheri」(2000年)は、その後もシリーズ化されるほどの大ヒットとなった。「Hera Pheri」で主演を務めたアクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワルの3人は、続編の「Phir Hera Pheri」(2006年)でもトリオで出演し、大騒動を巻き起こした。ただし、「Phir Hera Pheri」の監督はプリヤダルシャンではなく、ニーラジ・ヴォーラーである。

 本日より公開の「De Dana Dan」は、プリヤダルシャン監督、アクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワル主演のコメディー映画だ。「Hera Pheri」のチームが揃っており、一応「Hera Pheri 3」の扱いのようである。それだけでも期待が持てる。それに加えてヒロインはカトリーナ・カイフ。アクシャイ・クマールとカトリーナ・カイフは、ボリウッドでも有数のスクリーン・カップルとなっており、「Namastey London」(2007年)、「Welcome」(2007年)、「Singh Is Kinng」(2008年)など、今まで2人で数々のヒット作を送り出して来た。つまり、「De Dana Dan」は、最高の役者が揃ったコメディー映画なのである。



題名:De Dana Dan
読み:デー・ダナー・ダン
意味:ドンパチやれ
邦題:デー・ダナー・ダン

監督:プリヤダルシャン
制作:ガネーシュ・ジャイン、ギリーシュ・ジャイン
音楽:プリータム
歌詞:サイード・カードリー、イルシャード・カーミル、サミール、アーシーシュ・パンディト
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ、ポニー・ヴァルマー、プラサンナ
出演:アクシャイ・クマール、スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワル、カトリーナ・カイフ、サミーラー・レッディー、ネーハー・ドゥーピヤー、アルチャナー・プーラン・スィン、チャンキー・パーンデーイ、アスラーニー、ジョニー・リーヴァル、シャラト・サクセーナー、ヴィクラム・ゴーカレー、アディティー・ゴーヴィトリーカル、シャクティ・カプール、ラージパール・ヤーダヴ、マノージ・ジョーシー、スプリヤー・カールニク、ティーヌー・アーナンド、ヒマーニー・シヴプリー、ラタン・ジャイン
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、満席。

左から、パレーシュ・ラーワル、アクシャイ・クマール、
カトリーナ・カイフ、スニール・シェッティー

あらすじ
 舞台はシンガポール。ニティン(アクシャイ・クマール)は、父親の代からマダム(アルチャナー・プーラン・スィン)に仕える使用人であった。父親の死後、ニティンは、父親がマダムから借りた借金のせいで、奴隷同然の生活を送っていた。ニティンにはラーム(スニール・シェッティー)という親友がいた。中国映画の俳優になるためにシンガポールにやって来たが、今では借金を背負ってクーリエ会社で働いていた。ニティンにはアンジャリー(カトリーナ・カイフ)、ラームにはマンプリート(サミーラー・レッディー)というガールフレンドがいたが、2人とも金持ちの娘で、結婚は難しかった。

 ハルバンス・チャッダー(パレーシュ・ラーワル)は、見た目は立派な実業家であったが、実は詐欺に詐欺を重ねて金を稼いで来た大詐欺師であった。チャッダーは息子のノーリー(チャンキー・パーンデーイ)を大富豪の娘と結婚させて一攫千金を狙う。最初はアンジャリーの父親カッカル(ティーヌー・アーナンド)と縁談を進めるが、さらに大富豪のオベロイ(マノージ・ジョーシー)と知り合い、その1人娘マンプリートとノーリーを結婚させようとする。

 アンジャリーもマンプリートも他の男と結婚させられそうになり、ニティンとラームは何とか結婚できるだけの資金を手っ取り早く稼ぐことを考える。2人は、ニティンのマダムが大事にしている犬を誘拐し、身代金を巻き上げることを思い付く。ところが犬の誘拐に失敗し、勘違いからニティンが誘拐されたことになってしまう。ニティンとラームはとりあえずパン・パシフィック・ホテルに宿泊し、対策を練る。アンジャリーもてっきりニティンが遂に結婚する気になったと思って、家出してホテルにやって来てしまう。

 ちょうどそのとき、パン・パシフィック・ホテルには様々な人が様々な思惑と共にやって来ていた。同ホテルではノーリーとマンプリートの結婚式が行われようとしていた。結婚式には、チャッダー、ノーリー、オベロイ、マンプリートなどの他、オベロイの姉婿でインド大使ラーンバー(ヴィクラム・ゴーカレー)などが出席していた。チャッダーの妻(アディティー・ゴーヴィトリーカル)は、オベロイ家からの持参金をかっさらって愛人と逃亡しようとしていた。ムーサー(シャクティ・カプール)は既婚だったが大の女好きで、何度も若い女性と結婚を繰り返していた。今日も彼は女性とホテルで待ち合わせしていた。ムーサーと待ち合わせていたのは商売女(ネーハー・ドゥーピヤー)であったが、彼はチャッダーの妻にアプローチする。だが、ムーサーの妻は度重なる夫の浮気に絶えかね、夫を暗殺することを決意する。殺しの依頼を受けた中国人マフィア(アスラーニー)は、部下の殺し屋カーラー(ジョニー・リーヴァル)をホテルに送り込む。だが、カーラーは勘違いからオベロイを標的だと思い込み、彼を付け狙う。ウィルソン警部(シャラト・サクセーナー)は詐欺師チャッダーの逮捕に執念を燃やしていた。チャッダーの息子の結婚式がパン・パシフィック・ホテルで開催されるとの情報をキャッチし、ホテルにやって来ていた。カッカルは家出したアンジャリーを探していたが、彼女がパン・パシフィック・ホテルにいることを突き止め、やって来る。だが、そこで誤ってラーンバー大使を襲撃してテロリストと勘違いされてしまい、こそこそ隠れながらアンジャリーを探す。ウェイター(ラージパール・ヤーダヴ)はルームサービスの過程で以上の訳ありの宿泊客を観察する。

 マダムは最初、ニティンごときのために身代金を支払うことを拒否していたが、シンガポールのインド人コミュニティーの圧力から、仕方なく身代金を払うことを決める。それを聞いたニティンとラームはマダムに連絡を取り、身代金を受け取ることにする。しかしマダムは既に警察に通報していた。身代金を受け取りに来たニティンとラームは警察に追いかけられることになる。だが、2人が乗っていたトラックには偶然、気絶したカーラーが乗っていた。ニティンは誘拐被害者として警察に保護され、ラームは受け取った身代金と共に逃亡することに成功する。結局カーラーが誘拐犯として指名手配されてしまう。

 パン・パシフィック・ホテルには、誘拐犯を追って警察やマダムがやって来る。また、中国人マフィアはニティンから死体の注文を受けており、それを届けにホテルに来ていた。ニティンはそれを自分に見せかけ、自分が死んだことにしようとしていたのだった。だが、既に身代金を手に入れていたため、もう死体は必要なかった。ニティンとラームは、アンジャリーやマンプリートと共に金を持って高飛びしようとしていた。しかし、ホテルで複雑に絡み合った人間関係に巻き込まれ、大脱走しなければならなくなる。ホテルに集まった人々は屋上までやって来るが、そこでカーラーが仕掛けていた爆弾が爆発し、屋上の貯水タンクが破裂して大洪水となる。

 大混乱の中、ニティンとラームは金が入ったスーツケースを見失ってしまう。やはり運のない人間はどんなに頑張っても貧乏人のままだと諦めかけたとき、ニティンは金の入ったスーツケースを発見する。

 典型的なプリヤダルシャン映画であった。大人数の登場人物が複雑に絡み合う中でノンストップの笑いを提供する他、クライマックスでは登場人物が総出演してハチャメチャ劇を繰り広げる。基本的に大馬鹿コメディー映画なので、こちらも馬鹿になって鑑賞することが映画を楽しむコツであるが、映画の進展と共に人間関係はどんどんこんがらがって行くため、それを追うには一応知能を働かせていなければならない。その複雑な人間関係を上のあらすじで全て解説することはしなかったが、ハチャメチャながらも脚本に特に大きな矛盾や破綻がなかったように思われたことだけは特筆したい。もちろん肝心の笑いも保証書付き。最近のコメディー映画の中ではもっとも腹を抱えて笑うことができた。

 おそらく偶然であろうが、「De Dana Dan」は最近公開された2本の映画に少し似たシーンがあった。ひとつは「Do Knot Disturb」(2009年)である。「De Dana Dan」も「Do Knot Disturb」も基本的にホテルを舞台にしたコメディー映画であり、雰囲気が非常に似ていた。外から部屋に侵入しようとしていた人の頭上にガラス窓が落ちて来るシーンは全く同じであった。もうひとつは「Tum Mile」(2009年)である。「Tum Mile」は2005年7月26日のムンバイー大洪水を背景にしたロマンス映画であるが、「De Dana Dan」のクライマックスの洪水シーンを見て、「Tum Mile」の洪水シーンを思い起こさざるをえなかった。

 プリヤダルシャン映画にはありがちだが、ダンスシーンの挿入の仕方がこじつけがましく、雑な印象を受けた。ヒンディー語映画では、ストーリーシーンからダンスシーン・ミュージカルシーンへの移行がかなりスムーズになって来ているが、プリヤダルシャン監督はまずダンスシーンありきの強引な手法でダンスシーンを挿入していた。ただ、多くのダンスはとてもゴージャスで、映画の楽しい雰囲気をさらに盛り上げていた。

 今回アクシャイ・クマールとカトリーナ・カイフのケミストリーをあまり感じなかった。やはり登場人物の数が多いので、1人1人の出番は少なくなってしまう。しかもアクシャイがやたらとはしゃぎすぎで、一時期の覇気が衰えて来ているように感じた。しかし、ヒロインのカトリーナ・カイフは相変わらず魅力的で、どんどん上昇気流に乗っている様子であった。

 スニール・シェッティー、パレーシュ・ラーワル、アルチャナー・プーラン・スィン、ジョニー・リーヴァル、ラージパール・ヤーダヴなど、他にもいい働きをしていた俳優は多い。だが、サブヒロインのサミーラー・レッディーと娼婦役のネーハー・ドゥーピヤーは、カトリーナに格の違いを見せ付けられた形で、彼女たちのキャリアにプラスになっていなかった。

 音楽はプリータム。「Paisa」、「Bamulaiza」、「Hotty Naughty」など、思いっきり踊れる曲が多いが、むしろラーハト・ファテ・アリー・ハーンの歌う「Rishte Naate」が切ないバラードになっていていい。

 「De Dana Dan」は、典型的なプリヤダルシャン映画で、彼のコメディー映画が好きな人には自信を持ってオススメできる。完成度の高いコメディー映画が不足している2009年のボリウッドだが、この映画はその限られた作品群の中でなら上位に位置づけられるレベルのコメディー映画だ。カトリーナ・カイフ目的でも見て損はない。



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