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2月2日(月) Luck By Chance |
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ボリウッドでは、ボリウッド映画産業の様々な側面を題材にした映画がコンスタントに作られている。「Om Shanti Om」(2007年)や「Khoya
Khoya Chand」(2007年)は過去や現在のボリウッドを舞台にしており、その典型例であるが、その前にも「Main Madhuri Dixit
Banna Chahti Hoon」(2003年)のような、スターになることを夢見てムンバイーにやって来た田舎者の苦闘を題材にした物語はいくつも作られて来たし、「Woh
Lamhe」(2006年)のように、実在の女優の人生をベースにして作られた映画もある。過去の映画や映画音楽のパロディーはもっと多い。
1月30日に公開された新作ヒンディー語映画「Luck By Chance」は、「Main Madhuri Dixit Banna Chahti
Hoon」タイプの作品で、無名の俳優たちのボリウッドでの苦闘がメインテーマである。監督はゾーヤー・アクタル。ジャーヴェード・アクタルの娘かつファルハーン・アクタルの姉である。彼女にとってこれが監督デビュー作となる。ジャーヴェードが作詞と台詞、ファルハーンが主演と制作を務め、さらにジャーヴェードの現在の妻シャバーナー・アーズミーが特別出演、アクタル一家のホームプロダクション的映画となっている。さらに、ジャーヴェード・アクタルの顔の広さのおかげであろう、「Om
Shanti Om」レベルの豪華な特別出演スター陣が実現しており、目を奪われる。
題名:Luck By Chance
読み:ラック・バイ・チャンス
意味:偶然の幸運
邦題:ラック・バイ・チャンス
監督:ゾーヤー・アクタル(新人)
制作:リテーシュ・スィドワーニー、ファルハーン・アクタル
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント、ラージーヴ・スルティー、メーガー・ナールカル 衣装:アルジュン・バスィーン、アパマー・チャンドラ
出演:ファルハーン・アクタル、コーンコナー・セーン・シャルマー、リシ・カプール、ディンプル・カパーリヤー、イーシャー・シェールワーニー、サンジャイ・カプール、アリー・カーン、ジューヒー・チャーウラー(特別出演)、リティク・ローシャン(特別出演)
その他の特別出演:シャバーナー・アーズミー、ジャーヴェード・アクタル、アーミル・カーン、シャールク・カーン、アクシャイ・カンナー、カラン・ジャウハル、ラーニー・ムカルジー、アビシェーク・バッチャン、カリーナー・カプール、ヴィヴェーク・オベロイ、ディーヤー・ミルザー、ジョン・アブラハム、ランビール・カプール、ボーマン・イーラーニー、サウラブ・シュクラ、マック・モーハン、アヌラーグ・カシヤプなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
上段左から、リティク・ローシャン、コーンコナー・セーン・シャルマー、
ファルハーン・アクタル、ディンプル・カパーリヤー、
下段左から、リシ・カプール、サンジャイ・カプール、
イーシャー・シェールワーニー、ジューヒー・チャーウラー
あらすじ |
ヴィクラム・ジャイスィン(ファルハーン・アクタル)はスターになることを夢見てデリーからムンバイーにやって来た若者であった。ヴィクラムは、同じくカーンプルから女優を目指してムンバイーにやって来て、過去3年間チャウドリー(アリー・カーン)という小物プロデューサーの下で下積みをする女優の卵ソーナー(コーンコナー・セーン・シャルマー)と出会い、恋仲となる。
その頃、かつての大物プロデューサーのロミー・ローリー(リシ・カプール)は、息子のランジート・ローリー(サンジャイ・カプール)を監督に据えて新作映画の制作を計画していた。ヒロインには、往年の大女優ニーナー・ワーリヤー(ディンプル・カパーリヤー)の娘ニッキー(イーシャー・シェールワーニー)の出演が決定していたが、主演をするはずだったザファル・カーン(リティク・ローシャン)は、カラン・ジャウハルの新作出演を選んでロミー・ローリーの映画への出演を蹴ってしまう。そこでロミー・ローリーはヒーローを探さなければならなくなった。
偶然ニーナーと面識のあったヴィクラムは、彼女の後押しもあり、オーディションの結果、幸運なことにロミー・ローリーの新作映画のヒーローに抜擢される。一方、ソーナーはチャウドリーの下で下積みをしていてもいつまでも主演女優にはなれないことに気付く。だが、彼女はヴィクラムの成功を祝う。
映画の撮影が始まり、避暑地でロケが行われた。ニッキーはヴィクラムに惚れるようになり、彼を誘惑するようになる。ヴィクラムもその誘惑に乗ってしまう。ニーナーは2人に必要以上に近寄らないように注意するが、映画の公開前に、ヴィクラムとニッキーが恋仲にあること、彼に過去にガールフレンドがいたこと、そしてヴィクラムは成功を掴むためにニッキーを利用したことなどがスキャンダルとして世間に流れてしまう。それを知ったニッキーは傷つき、ソーナーはヴィクラムと縁を切る。だが、ヴィクラムはシャールク・カーンから、成功に酔わずに誠実さを失わないことの大切さを説かれ、彼女に素直に謝る。しかし、ソーナーも自分の夢を追うことを諦めていなかった。ソーナーは彼を許すが、2人の仲は前のようには修復されなかった。
ロミー・ローリーの映画「Dil Ki Aag(心の炎)」が公開された。映画は大ヒットとなり、ヴィクラムは一躍スターの仲間入りする。映画の成功を知ったニーナーはニッキーに、ヴィクラムと連絡を取るように言う。だが、大人の世界の動きをまだ理解しないニッキーは母親の手の平返しをすぐには受け容れられなかった。
ヴィクラムともチャウドリーとも袂を分かったソーナーは、テレビドラマ界で名が売れるようになった。ソーナーはかつて、「成功も失敗も自分で選ぶものだ」と言うヴィクラムの言葉を思い出しながら、毎日の生活を楽しんでいた。 |
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特別出演のスター陣は今までないほど豪華。特に、シャールク・カーン、アーミル・カーン、リティク・ローシャンが同じ映画に登場するようなことは今までなかったのではなかろうか?伝説的映画「Sholay」(1975年)でサーンバーを演じたマック・モーハンが特別出演し、有名な「プーレー・パチャース・ハジャール(丸々5万ルピー)」という台詞をしゃべっていたのも面白かった。ボリウッド映画産業の問題にも触れられていた。親の七光りがパスポートのように通用し、つまり二世三世俳優が望む望まないに関わらず映画界に跋扈し、一方で才能と野心を持ちながらバックグランドを持っていない若者たちが才能を発揮する機会を与えられないボリウッドの現状はよく描かれていたと思う。だが、映画の展開はありきたりで、ストーリーに起伏も少なく、非常に薄口の映画だという印象を受けた。
この映画で一番疑問に思ったのは、主役は誰なのかということである。映画の冒頭に登場するのはコーンコナー・セーン・シャルマーであるが、映画の中盤は明らかにファルハーン・アクタル中心で進んで行く。だが、最後ではコーンコナー・セーン・シャルマーがいかにも主役のように「自分で運命を切り開いていくことの重要さ」や「好きなことをして生きることの楽しさ」などをナレーションして終わって行く。女性のゾーヤー・アクタル監督がストーリーを書いたようなので、おそらくコーンコナー演じるソーナーが元々主役だったのではないかと予想するが、キャスティングの段階で弟のファルハーンを相手役として起用することになったために、彼の出演シーンを必要以上に増やしてしまい、このように不均衡な作品になってしまったのではなかろうか。おかげで映画の最後で提示される人生訓も不透明で説得力のないなものとなってしまっていた。
ファルハーン・アクタルは元々「Dil Chahta Hai」(2001年)などの監督として名を知られていたが、最近は俳優業にも進出しており、「Rock
On!!」(2008年)に続き主演を務めた。果たして彼にとってあくまで監督の方が本業なのか、それとも俳優も続けて行く気マンマンなのか分からないが、はっきり言って俳優としての彼は決して一流とは言えない。特に彼は声がよくないので、映画の雰囲気をうまく作ることができない。俳優業は趣味程度にしておいて、監督に集中した方がいいのではないかと思う。
コーンコナー・セーン・シャルマーも立ち位置がよく分からない女優である。彼女はあくまで演技によってボリウッドで受け容れられており、特に美人だったりスタイルがいいわけでもないと思うのだが、どうも何か彼女自身誤解している部分があるようで、時々美人向けの役を演じようとしているように感じる。コーンコナーは「Aaja
Nachle」(2007年)で演じたようなブス役が一番似合っている。「Luck By Chance」では売れない女優役なのだが、もっといかにも美人な女優の方がしっくり来たのではなかろうか。ミスキャスティングに感じた。
むしろこの映画で見所だったのは、脇役に当たるリティク・ローシャンとイーシャー・シェールワーニーの共演である。リティクのダンスはボリウッドはおろかプロと比べても遜色ないレベルであり、イーシャーの方はプロのダンサーから女優に転向した経歴を持っている。つまり、現在のボリウッドでもっとも踊りのうまい男女2人が共演し、しかも一緒に踊りを踊っているのである。テレビCMで2人が共にダンスをしたことはあるが、映画では初めてのはずである。2人の共演はダンスシーン「Baawre」で見ることができる。残念ながら2人のダンスを中心に据えたカメラワークになっていないが、それでも2人の軽快な身体の動きを十分に堪能できる。リティクは久し振りに等身大の演技。イーシャーはなぜかアミーシャー・パテールと同様にわがままな女の子役が板に付いてしまい、可哀想だが、彼女には誰にも真似できないダンス力があるので、今後の挽回を期待する。
他に、ほぼ自分とも言える役を演じたディンプル・カパーリヤーの存在感が圧倒的であった。
音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。前述の「Baawre」がキャッチーでもっとも耳に残る。作詞家のジャーヴェード・アクタルが娘の監督デビュー作のために渾身の力を込めて書いた歌詞なので、「Pyaar
Ki Daastaan」や「O Rahi Re」など、いい歌詞の曲が多い。
ちなみに、映画中、リティクが任天堂Wiiの「Wii Sports」のテニスをして遊んでいるシーンがあった。また、コーンコナーが携帯ゲーム機で遊んでいるシーンもあったのだが、どの機種なのかは判別できなかった。
「Luck By Chance」は、豪華特別出演スター陣が見所の映画である。特に親が監督とかスターとかではない場合、ボリウッドでデビューするのがいかに大変か、いかに運頼みか、ということを垣間見るにはいい作品だが、映画としての完成度はものすごく高いわけではない。あくまで飾りを楽しむ作品である。
過去に「ヒンディー語講座マフィア用語編」と題して、ムンバイーのマフィアが使う興味深い隠語を特集したことがあった。その目的は、決してアンダーワールドへの就職を斡旋するものではなく、純粋に学問的興味から来たものである。それに、ヒンディー語映画ではよくマフィアが出て来るのであるが、彼らは本当のマフィアが使う隠語を多用するため、それらを理解していないと映画の細かい部分が楽しめないのである。
先日、「Khallas: An A to Z Guide to the Underworld」という本を手に入れた。基本的には辞典の体裁に則ったムンバイーのアンダーワールドの解説書となっているが、ムンバイーのドン、ギャングスター、そして警察の間で流布している隠語の小辞典でもある。著者は長年アンダーワールドを取材して来たジャーナリスト、Jデー。この本をもとに、マフィア語講座の第2弾を開いてみたいと思う。今回はヒンディー語にこだわらず、広くアンダーワールドで流布する隠語を特集するため、マフィア語講座としておいた。これらの隠語の多くからは、マフィアたちのユーモアのセンスが感じられる。
■武器の隠語
マフィアと武器は切っても切れない関係にある。マフィアの収入源のひとつは武器の密輸であるし、敵マフィアの要員を暗殺したりするときにも武器は必要となる。だが、拳銃などの名前をあからさまに使っていてはすぐに警察に察知されてしまうため、武器に関する隠語が発達することになった。
武器全般を指す隠語は多い。例えばカメラ(camera)、チャッパル(चप्पल;サンダル)、ファイル(file)、ワザン(वज़न;重し)など。weaponの頭文字Wも武器の隠語として使われる。
バージャー(बाजा)は楽器という意味だが、拳銃の隠語である。どちらも音が出るからであろう。類義語にゴーラー(घोड़ा;馬)があるが、これは形状の類似からであろうか。
各種銃火気類にも名前が付いている。現在アンダーワールドでもっとも需要が高いのは、テロリスト御用達の突撃銃AK-47やAK-56である。隠語では、その形状からジャールー(झाड़ू;ホウキ)とかランビー(लंबी;長い)などと呼ばれる。その次に人気なのは、中国製の9mm口径セミオートマティック拳銃スターである。隠語ではリフト・ワーリー・ビルディング(lift वाली building;エレベーターのある建物)という奇妙な名称で呼ばれるが、弾倉から銃弾がバネによって上がって充填される様子が、エレベーターのある建物の構造と似ているために付いたのであろう。9ナンバル・チャッパル(नौ नंबर चप्पल;9番サイズのサンダル)とも言う。銃の中でもっともランクが低いのが、国産拳銃である。インディアン・バット(Indian bat)とかカッター(कत्ता;短刀)などと呼ばれる。外国製のものに比べて安価で粗悪である。2,500ルピーから手に入ると言う。
カプセル(capsule)は弾薬の隠語。形状が似ているために付いたのだろう。カセット(cassette)は、中国製9mm口径銃スターの弾倉の隠語。ひとつの弾倉には9発の弾丸が入っている。密輸されたスターの末端価格は20,000~60,000ルピーのようだ。
アナール(अनार)はザクロという意味であるが、アンダーワールドでは手榴弾のことを指す。形が似ているからであろう。だが、現在ムンバイーではあまり使われていないようだ。例文:アナール・ポール・ドゥーンガー(अनार
फोड़ दूँगा)手榴弾を爆発させてやる。類義語にラッドゥー(लड्डू;団子状のお菓子)がある。ガリヤール(घड़ियाल;時計)と言ったら時限爆弾のこと。
ストレート(straight)はナイフのこと。例文:ストレート・グマー・ディヤー(straight घुमा दिया)ナイフで刺した。ラームプリー(रामपुरी)とも言う。昔は暗殺にナイフが使われることが多かったが、1990年代からカッター(国産拳銃)に取って代わられ、やがてAK-47などが普及することになる。
さらに、銃や銃弾についてはユニークな隠語が流通している。例えば、マー・ケ・サート・ベーテー・キトネー?(माँ के साथ बेटे कितने?;母親には息子が何人いる?)と言った場合、「銃に弾丸は何発入っている?」という意味になるし、パント・ピース・アォル・ダーガー・ミル・ガヤー・キャー?(Pant
Piece और धागा मिल गया क्या?;ズボン用の布と糸は届いたか?)と言った場合、「拳銃と弾丸は届いたか?」という意味になる。
■金の単位の隠語
アンダーワールドで動く金の単位は大きい。アンダーワールドでは、ラーク(10万)やカロール(1000万)を表す隠語がいくつも流通している。ラークのためには、チョーター・ルパイヤー(छोटा रुपैया;小さなお金)、チーター(छीटा;かご)、ペーティー(पेटी;小箱)、カロールのためには、バラー・ルパイヤー(बड़ा रुपैया;大きなお金)、ドラム(Drum)などが隠語として使われている。
キャット(cat)は10,000ルピー。元々キャットはトランプ・カードの隠語で、トランプ・カードが10,000ルピーの隠語であった。そこからキャットが10,000ルピーの隠語となったようだ。インドでは100ルピー札100枚をホッチキスで束ねた札束が10,000ルピーとして流通しているが、それがトランプ・セットに似ているためにこの隠語が生まれたのであろう。
さらに小さな単位の金の隠語もある。ハート(हाथ;手)と言ったら1,000ルピーのこと、カーン(कान;耳)と言ったら100ルピーのことである。パーンチ・カーン(पाँच कान;5耳)は500ルピー、アーダー・カーン(आधा कान;半耳)は50ルピーになる。また、ブルー(blue)と言ったら100ルピーのことである。これは、100ルピー紙幣が青色をしているためであろう。ハーフ・ブルー(half blue)は50ルピーになる。さらに、クッター(कुत्ता;犬)は10ルピーのことである。ヒンディー語ではものを数えるときにターン(थान)という単語を使うことがあるが、アンダーワールドではこの単語は1,000ルピーを指す。
また、金自体は隠語でダイアリー(diary)と言う。例文:ダイアリー・レーカル・アーナー(diary लेकर आना)金を持って来い。
■麻薬の隠語
麻薬の密輸もアンダーワールドの大切な収入源である。それらには隠語が付いている。
ヘロインは隠語でブラウン(brown)とホワイト(white)という全く対照的な言葉で呼ばれる。ブラウンは、ヘロインの隠語ブラウンシュガーの短縮形。ホワイトはその色から。ブラウンは特にムンバイーの路上で小さなパックに入れられて売られているヘロインの劣化版のことを指す。別名プリー(पुड़ी;小さな包み)。ムンバイーでの末端価格は1kg30万ルピーであるらしい。
コカインは隠語でチャーリー(Charlie)と言う。この隠語はムンバイーのアンダーワールドやアフリカ人密輸業者の間で流布している。末端価格は1gおよそ3,000ルピー。
ハッシッシは隠語でカーリー(काली)。これも黒色をしているからであろう。
■都市名の隠語
ムンバイーのマフィアは、アラビア海を挟み、アラブ首長国連邦のドバイとパーキスターンのカラーチーと関係が深い。それらの都市から武器や麻薬などが密輸されて来るし、ムンバイーに住んでいられなくなったマフィアのドンがそれらの都市へ高飛びすることもよくある。よって、それらの都市を示す隠語も流通している。
ドバイの隠語には、デリー(Delhi)やガーオン(गाँव;村)がある。また、カラーチーの隠語には、カーンプル(Kanpur)やミヤーン・ガーオン(मियाँ गाँव;イスラーム教徒村)がある。
■数字にまつわる隠語
面白いことに、ムンバイーのアンダーワールドではいくつかの数字にも特別な意味が持たされている。その多くの由来は、チャイナ・ペーティーというゲームにあるようだが、それがどのようなゲームなのかは不明である。以下、数字にまつわる隠語を紹介。
1(एक)は自動車の隠語。3(तीन)は死の隠語。特にマフィアのドンやその家族の死を指す。4(four)はクリケット関連の隠語。みかじめ料などを支払わない相手を脅迫することを言う。例文:フォー・マール・レーナー(four मार लेना;バウンダリー4を打て)脅迫して来い。5(पाँच)は船の隠語。海上密輸がムンバイーのマフィアの主な収入源だった1970年代によく使われた。6(six)もクリケット関連の隠語。殺すこと。例文:シックス・マール・レーナー(six मार लेना;バウンダリー6を打て)殺せ。9(नौ)は警察の隠語。
11(ग्यारह)は徒歩の隠語。アンダーワールドにおいて「11番のバスで来い」と言ったら、「走って逃げろ」という意味になる。17(सत्रह)はマールワーリー商人のこと。ゴールド関連のビジネスに関わっていることが多いため、ゴールドの密輸を生業とするマフィアと関係があった。24(चौबीस)はかわいこちゃんのこと。細い腰のサイズが由来。25(पच्चीस)は警察の隠語。26(छब्बीस)も若くて艶めかしい女性の隠語。24と同じく細い腰のサイズから来ている。24よりもよりグラマラスな女性か。28(अट्ठाईस)はアルコール中毒者や酒のこと。36(छत्तीस)は不仲のこと。これは普通にヒンディー語で使われる言葉である。ヒンディー語の数字で3(३)と6(६)がお互いに背を向け合っているように見えることがその由来である。
■その他の隠語
- アンデー・カ・ファンダー(अंडे का फंदा) 卵の罠
- ムンバイーのアーサーズ・ロード刑務所には、凶悪犯罪者が収容される一角がある。1926年建造のその建物の形は卵形をしており、そこからそれは「アンダー・セル(卵部屋)」または「アンデー・カ・ファンダー(卵の罠)」と呼ばれている。9部屋あり、元々独房であったが、現在では1部屋に2人が収容されている。アーサーズ・ロード刑務所はゲストハウス(Guest House)とも呼ばれる。
- アクシデント(accident)とアドミット(admit)
- アンダーワールドでは、警察に逮捕されそうになることを「アクシデント」と言い、逮捕されることを「アドミット」と言う。警察に足が付いてから逮捕されるまでの流れを、「事故」に遭って「入院」するという流れに喩えているのであろう。例文:アクシデント・ホー・ガヤー(accident
हो गया)足が付いちまった。
- アーティスト(artist)
- 金で雇われた暗殺者、刺客、射撃手のこと。カラーカール(कलाकार;芸術家)やカーリーガル(कारीगर;職人)とも言う。もし暗殺者がハンサムだと、映画スターになぞらえてシャールク(शाहरुख़)と呼ばれることもある。通常のアーティストには1回の仕事につき5,000ルピーの報酬があるが、腕のいいアーティストは最高50,000ルピーを受け取る。
- バクリー(बकरी) 雌山羊
- 暗殺に使われる四輪車や二輪車のこと。
- バクリー・ダッバー(बकरी दब्बा) 雌山羊の袋
- 逮捕されること。マフィアが警察に捕まって護送車に入れられる様子が、雌山羊が袋に入れられる様子に似ていることから、この隠語が産まれた。
- バトラー(batla)
- チビのこと。ヒンディー語で真鍮製の大鍋をバトラー(बटला)と言うが、それと関係あるかは不明。
- バングリー(बंगड़ी) バングル、腕輪
- 手錠のこと。ムンバイーのマフィアと警察の両者に共通して流布している隠語である。
- バーイー(भाई) 兄貴
- ヒンディー語の親族名称である「バーイー」は、通常兄弟のことを指すが、口語ではいろいろな意味を込めて使われる。アンダーワールドでは、マフィアのドンのことを「バーイー」と呼ぶ。「Munnabhai
M.B.B.S.」(2003年)や「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)など、映画の題名でも使われるほどポピュラーな隠語である。Dカンパニーと呼ばれるマフィア組織を確立し、ムンバイーのアンダーワールドを支配したダーウード・イブラーヒームが、初めて「バーイー」と呼ばれたドンのようである。また、狭いエリアのみを支配し、大手ギャングと関わり合いを持たない地元マフィアは、スクウェア・フィート・バーイー(square-feet भाई)と呼ばれる。
- ブカール(बुख़ार) 熱
- アンダーワールドでは、ターゲットがみかじめ料を支払おうとしないことを「熱」という表現で表す。つまり、「熱が出てしまった」とは、「金を支払おうとしない」という意味であり、「熱を治して来い」とは、「金をぶんどって来い」という意味である。例文:ウスケ・ディマーグ・メン・ブカール・チャル・ガヤー(उसके
दिमाग़ में बुख़ार चढ़ गया)あいつが金を支払おうとしない。類義語にファスト(fast;断食)がある。ファスト・カル・ラハー・ハェ(fast कर रहा है)と言った場合、「あいつはみかじめ料も払わずに俺たちと接触を避けている」という意味になる。
- チャーイ・パーウー(चाय पाऊ) チャーイを飲む者
- マフィアのドンから信頼を置かれている者の隠語。ドンと一緒にチャーイが飲めるくらい近しい関係にあるということであろう。
- チャムラー(चमड़ा) 皮
- 色に狂ったギャングのこと。特に淫女や売春婦に夢中になった者のことを指す。また、「チャムラー」は人身売買の隠語でもある。
- チンディー(चिंदी) ぼろきれ
- 強盗の隠語。特に、元々強盗を生業とし、マフィアに刺客として雇われた人々のことを指す。
- カンパニー(company)
- 刑務所の中で、マフィアとつながりを持つ囚人のことを「カンパニー」と呼ぶ。カンパニーは通常の囚人よりも優遇される。ダーウード・イブラーヒーム率いるマフィアは特にDカンパニー(D-Company)と呼ばれる。
- ドゥール(धूर) 生け贄
- 短期に刑務所に収容された、マフィアとつながりを持たない囚人は、マフィアたちのドゥール(生け贄)になることが多い。特に企業犯罪者やホワイトカラー犯罪者がターゲットになる。マフィアは、刑務所での身の安全を保証する代わりに、彼らの経済力でギリギリ賄えるくらいの額のみかじめ料を算出して徴収する。よって、ドゥールが刑務所に来るたびにマフィアは懐をふくらませる一方、ドゥールは無一文となって刑務所を出て行くことになる。コームリー(komdi;雌鳥)やポーパト(पोपट;オウム)とも言う。
- ドゥースラー・ガル(दूसरा घर) 別の家
- 電話が何者かによって盗聴されていることが分かった場合、アンダーワールドでは隠語でそれを相手に伝える。「ドゥースレー・ガル・ペ・アーナー(दूसरे
घर पे आना;別の家に来い)」とは、「電話は盗聴されている」という意味である。
- ドクター(Doctor)
- マフィアとつながりを持つ官僚のこと。例文:ジャー・ドクター・コ・ミル・レー(जा डाक्टर को मिल ले)役人に会って来い。
- ドゥード・パーオ(दूध पाव) 牛乳とパン
- マフィアに協力する者の隠語。
- エクストラ(extra)
- メインの刺客をアシストする人員のこと。刺客と複数のエクストラのチームワークによって暗殺を成し遂げることを、クリケットにならってフィールディング(fielding)と言い、彼らを統率する現場指揮官をハンドラー(handler)と言う。
- ガンダー(गंदा) 汚ない
- 警察の隠語。
- ガーンディー・バープー(गाँधी बापू) ガーンディー
- アンダーワールドで仕事を成し遂げた部下に支払われる報酬のこと。アンダーワールドでは、下っ端には報酬の40%しか支払われないのが常である。これは、その者をマフィアにつなぎ止めておくための慣習である。残金が支払われるのを待つ間に下っ端はさらなる仕事をこなし、未払い金がたまっていく。もしその者が逮捕された場合、未払い金が弁護士の費用に充当されることもある。
- グッドマン(goodman)
- 警察に内通している密告者のこと。ゼロ(zero)とも言う。マフィアのドンが特定の人物の前で彼のことを「グッドマン」と呼んだり、手で「ゼロ」の形を作ったりしたら、その者は密告者や警察に通じている者であるという印であり、部下たちに何もしゃべらないように暗に示している。
- ハッディー(हड्डी) 骨
- 痩せた人間の愛称。痩せたマフィアは「ハッディー」の愛称を持つことが多い。
- ハフター(हफ़्ता) 週
- マフィアに定期的に支払うみかじめ料。おそらく毎週支払うためにこの名が付いたのであろう。
- ハワーラー(हवाला) 手渡し
- 違法送金のこと。インドのアンダーワールドでは、世界のどの場所からどの場所へも、短時間で何の記録も残さずに金を移動させるシステムが確立しており、それは「ハワーラー」と呼ばれている。
- カーラー・コート(काला coat) 黒いコート
- 裁判官の隠語。黒い法服を着ているからであろう。
- カウワー(कौआ) カラス
- 携帯電話の隠語。音を出すからであろう。
- クジュリー(खुजली) かゆみ
- アブノーマルな人間や意地の悪い人間を示す隠語。
- マチュリー(मछली) 魚
- ターゲットの隠語。例文:マチュリー・パーニー・セ・バーハル・アーヤー・キャー?(मछली पानी से बाहर आया क्या?;魚は水から出て来たか?)ターゲットは出て来たか?
- マトカー(मटका) 水瓶
- 違法賭博の隠語。1970年代まで、ムンバイーのマフィアの主な収入源はマトカー業者からのみかじめ料であった。マフィアはマトカーによる収入の約2%をみかじめ料として徴収していた。
- ムルガー(मुर्गा) 雄鶏
- バイクの隠語。ドー・ターング(दो टाँग;2本足)とも言う。
- ナッラー(नल्ला)
- 偽物という意味。
- パイダル(पैदल) 徒歩
- 逃げるという意味。例文:チャル・パイダル・ホー・ジャーナー(चल पैदल हो जाना)さあ、逃げろ。
- パルティー(पलटी) ひっくり返し
- 小手先の技のこと。特に、客に高価な品物を見せておいて、会話に夢中になっている間に偽物とすり替えてそれを売りつける技術。
- パーティー・セ・ミーティング(पार्टी से मीटिंग) 先方と会う
- アンダーワールドでは「奴を殺せ」という意味になる。例文:バーイー、パーティー・セ・ミーティング・カル・ロー(भाई, पार्टी से मीटिंग
कर लो)おい、奴を殺せ。
- ピーラー(पीला) 黄色
- ゴールドの隠語。ゴールドの密輸業者などの間で使われる。由来は見ての通り。テール(तेल;油)とも言うが、やはり両者色が似ているからである。
- ペヘルワーン(पहलवान) 力士
- ボディーガードの隠語。ムンバイーのマフィアのドンは、屈強な大男たちに護衛されている。そのペヘルワーン文化を最初に導入したのはダーウード・イブラーヒームである。
- フォン・ダーダー(फ़ॉन दादा) 電話兄貴
- 電話で相手を脅迫する役のこと。借金取り立て業などで活躍する。
- ポートラー(पोटला) 大きな包み
- 誘拐または殺人の隠語。
- パイロット(pilot)
- 暗殺時に自動車やバイクを運転して刺客を現場まで運んだり逃がしたりする運転手またはライダーの隠語。
- ローティー(रोटी) インド式パン
- これは諜報部の隠語になるが、CDという意味である。重要情報が入ったCDを送付するときなどに使われる暗号。
- ローティー・ケ・トクレー(रोटी के टुकड़े) ローティーのかけら
- 報酬の分け前のこと。
- レフリー(Refree) 審判
- インドの警察には、エンカウンター・スペシャリストと呼ばれる銃撃戦専門家がいるが、彼らはアンダーワールドの隠語でレフリーと呼ばれ、恐れられている。
- サウダー・フォーク(सौदा फ़ोक) 空の商売
- ムンバイーのマフィアは、違法賭博に間接的に関わっていることが多く、時にはマフィア自身が賭博に手を出して大損することがある。そういうときにマフィアは力に物を言わせ、サウダー・フォーク、つまり負けた金を帳消しにさせることがある。
- スパーリー(सुपारी) ビンロウ
- 殺しの契約の隠語。契約を結んだ殺し屋のことも指す。スパーリーを受け容れることを、ビル・レーナー(bill लेना;勘定をもらう)とも言う。
- サード・ギア(third gear)
- 誰かを避けたり、誰かから逃れること。自動車の3rdギアは加速力を付けたいときに使われるため。
- トーピー(टोपी) 帽子
- 詐欺の隠語。
- ウンディール(उंदीर) ネズミ
- タクシーの隠語。ウンディールはマラーティー語でネズミという意味。例文:カーム・ホーネー・ケ・バード・ウンディール・セ・ニカル・ジャー(काम
होने के बाद उंदीर से निकल जा)仕事が終わったらタクシーで逃げろ。
最後に、ダーウード・イブラーヒームが好んで使った言葉を引用して本講座を終了したいと思う。
तेरे मरने से मैं जीऊँ तो तू मर जा
テーレー・マルネー・セ・マェン・ジーウーン・トー・トゥー・マル・ジャー
お前が死ぬことで俺が生き延びられるならばお前が死ね
以上。
同日に公開された映画が偶然似通ってしまうということはインドで時々あることである。その最たる例が、2002年のバガト・スィン映画同時公開事件だ。バガト・スィンとは、国会議事堂で爆弾を爆発させた罪により1931年に絞首刑になったインド人革命家で、今でもインド人の間で英雄視されている人物である。奇しくもバガト・スィンの生涯をテーマにした映画が2本同時並行して制作され、しかも2002年6月7日、同日に公開されるという変わった出来事があった。一方のタイトルは「The
Legend of Bhagat Singh」。アジャイ・デーヴガンがバガト・スィン役で、ARレヘマーンが音楽を担当した。もう片方のタイトルは「23rd
March 1931: Shaheed」。ボビー・デーオールがバガト・スィンを演じ、アイシュワリヤー・ラーイが特別出演した。残念ながらどちらも興行的に失敗したが、批評家の間での評価は悪くなかった。
1月30日に同時公開された2本のヒンディー語映画「Luck By Chance」と「Victory」も、非常によく似たプロットの映画である。どちらも駆け出しの若者が、前者では映画界において、後者ではクリケット界において、成功、挫折、そして挫折の克服を経験するというものである。どちらとも、2008年にデビューした男優の2本目の主演作という点でも共通しているし、特別出演する人物の豪華さでも酷似している。今日は「Victory」の方を鑑賞した。
題名:Victory
読み:ヴィクトリー
意味:勝利
邦題:ヴィクトリー
監督:アジトパール・マンガト
制作:マンモーハン・シェッティー、アジトパール・マンガト
音楽:アヌ・マリク
歌詞:サイヤド・グルレーズ、アミターブ・ヴァルマー
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ、レモ
衣装:シャヒード・アーミル、アシュレー・レベロ、ニミシャー・キムジー
出演:ハルマン・バヴェージャー、アヌパム・ケール、アムリター・ラーオ、グルシャン・グローヴァー、ダリープ・ターヒル、その他実在のクリケット選手多数出演
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ハルマン・バウェージャー
あらすじ |
ジャイサルメールで生まれ育ったヴィジャイ・シェーカーワト(ハルマン・バウェージャー)は、父親ラーム(アヌパム・ケール)の願いもあり、クリケット選手になることを夢見ていた。彼のバッティング技術はずば抜けており、地元では名の知れた選手であったが、スカウトの目にはなぜか留まらなかった。ヴィジャイは既に24歳になっており、焦り始めていた。だが、幼馴染みのナンディニー(アムリター・ラーオ)はいつかヴィジャイがインド代表に選ばれることを信じて疑わず、彼を励まし続けていた。
ヴィジャイは、ジャイプルで行われたインド代表のキャンプに飛び入り参加し、監督(ダリープ・ターヒル)に直談判する。チャンスを与えられた彼は存分に才能を発揮し、監督から評価され、国内試合への出場が決まる。そこでも彼は大活躍をする。ヴィジャイはオーストラリア戦でインド代表デビューをし、その試合でセンチュリーを達成して一躍時の人となる。快進撃は止まらず、ヴィジャイはセンチュリーに次ぐセンチュリーを叩き出した。
ヴィジャイは、アンディー・スィン(グルシャン・グローヴァー)とマネージメント契約を交わす。ヴィジャイのもとには急に多額の金が舞い込むようになり、次第に成功に酔い出す。彼はムンバイーの高級マンションに家を購入し、そこで住むようになる。父親から離れたヴィジャイの生活は歯止めが掛からなくなり、次第に試合そっちのけで遊びふけるようになる。ヴィジャイの成績にもブレーキが掛かり始めた。
その頃、彼の背骨に異常が見つかり、医者は数ヶ月間の休養を提案する。だが、既にヴィジャイは多くのスポンサーと契約を結んでおり、インド代表から外れたら違約金を支払わなくてはならなかった。アンディーはそれを許さず、試合に出場し続けることを彼に強要する。ヴィジャイは監督に嘘を付き、身体を騙しながら試合に出場するようになる。だが、そのような状態で活躍できるはずがなく、すぐにアウトになる試合が続いた。それでもヴィジャイの傲慢な性格は直らず、遂に父親やナンディニーにも見放される。そして監督が命運を賭けた大切な試合でもヴィジャイは活躍できず、インド敗北の原因となってしまう。また、この頃までにヴィジャイの背骨は、手術が必要なほど悪化していた。
とうとうヴィジャイは監督に背骨のことを打ち明けることを決める。背骨のことが明らかになれば、成績不振のヴィジャイがインド代表から外されることは明らかであった。だが、アンディーの方が行動が早かった。アンディーはメディアの前で、ヴィジャイが背骨の異常を隠して試合出場を続け、インド人クリケットファンたちを騙したと暴露する。しかも、彼はヴィジャイに賠償金の請求までする。おかげでヴィジャイは裏切り者の汚名を着せられた上に、無一文になってしまう。地元ジャイサルメールでは、激怒したクリケットファンによって家が焼かれ、父ラームは発作を起こして入院してしまう。
消沈のヴィジャイは、一度はクリケットから足を洗うことを決めるが、ナンディニーに叱咤激励され、再起することを誓う。まずはオーストラリアへ行って背骨の手術をし、ジャイサルメールに帰ってからは地道にトレーニングを行う。勘を取り戻したヴィジャイは試合でも活躍するようになり、エアテル主催の国際トーナメントの代表にも選ばれる。だが、監督はヴィジャイに裏切られたことを忘れておらず、彼を試合で起用しようとはしなかった。インド代表は順調に勝ち続け、決勝戦まで進むが、直前に絶好調だったローヒト・シャルマーが練習中に怪我をして試合出場が不可能となる。監督は悩むが、もう一度ヴィジャイにチャンスを与えることにする。ヴィジャイは半年ぶりに国際試合出場の機会を得る。
決勝戦の相手は強豪オーストラリアだった。ヴィジャイはバウンダリーを連発し、大活躍するが、途中で頭部にボールを受けて下がってしまう。残ったバッツマンはボウラーのみで、インド代表は苦境に立たされる。また、ヴィジャイは重傷を負っていた。医者と監督はヴィジャイの入院を決めるが、ヴィジャイは試合出場を懇願する。次々にインド代表のバッツマンがアウトとなる中、もはやヴィジャイにしか勝利の望みはなかった。監督はヴィジャイにゴーサインを出す。ヴィジャイの再登場に、意気消沈していたインド人観客は息を吹き返し、大声援を送る。それに応えるようにヴィジャイは6回連続バウンダリー6という偉業を達成し、一気にオーストラリアとの得点差を詰める。最終ボール直前に再びヴィジャイは頭部に衝撃を受けて倒れるが、最後の力を振り絞ってバットを振り、最後にバウンダリー6を出してインド代表に勝利を呼び込む。ヴィジャイ完全復活であった。
ヴィジャイはジャイサルメールに凱旋する。今まで頑なにヴィジャイと会話することを拒んで来たラームは、このとき初めて彼を受け容れる。だが、それと同時にラームはそのまま息を引き取ってしまう。悲しみを乗り越え、ヴィジャイはその後も国際試合で活躍を続ける。 |
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いわゆるスポ根モノの映画であり、多少テンポが早すぎたものの、定石通りの展開である。スポ根アニメなどに親しんで来た日本人の目には何の新しさもない映画に映るだろう。だが、それでも要所要所でツボを押さえた作りになっており、娯楽映画として十分に通用する内容となっている。クリケットのルールさえ分かっていれば、普通に楽しめる映画だと言える。
インドではクリケットは宗教である。インドは多民族国家、多言語国家で、様々なコミュニティーが共存しているが、その大半に共通する夢はクリケットである。その様子は、「Victory」の冒頭でもインド各地でクリケットが遊ばれている映像によってよく描写されていた。このような状態であるため、才能あるクリケット選手は映画スター以上の人気を誇り、巨万の富を手にする。同時に、大舞台で国民の期待に応えられなかったクリケット選手は容赦なく叩かれる。映画では、怒ったクリケットファンが選手の家が焼き討ちするシーンがあったが、同様の事件は実際に時々起こる。インド人クリケット選手の肩には10億人の夢が乗っかっており、そのプレッシャーは世界最大級と言っても過言ではないだろう。
過去にクリケットがインド映画の題材になったことは何度かあった。だが、意外にクリケットをテーマとした映画で成功したものは少ない。あらゆる意味で圧倒的存在感を誇る傑作「Lagaan」(2001年)を除けば、興業と批評の両方でもっとも成功したのは間違いなく「Iqbal」(2005年)のみであろう。聾唖者の若者がインド代表に選ばれるまでを描いたシンデレラ・ストーリーである。後は、クリケットの八百長ビジネスをテーマにした変わり種の映画「Jannat」(2008年)がヒットしたくらいだ。この「Victory」が主に踏み込んでいたのは、成功を手にしたクリケット選手の堕落の理由だと言える。マネージメント会社と契約を結ぶことで、クリケット選手は巨万の富を得る代わりに常に成功をし続けなければならなくなる。富とプレッシャーがいかに一人の選手を駄目にするかがよく描写されていた。
ストーリーは何の新鮮味もないのだが、「Victory」の真の見所は、実在のクリケット選手が多数実名出演することである。インド、オーストラリア、パーキスターン、スリランカ、南アフリカ共和国、ニュージーランドの現役選手または引退済みの選手が30人以上特別出演する。その中でも特に重要な役割を果たしていたのは、オーストラリアのブレット・リー選手である。彼は時速160kmの剛速球を投げるオーストラリア・クリケット界の大投手だが、彼がかなりストーリーに関わって来るので、クリケット・ファンにはたまらないだろう。インドのハルバジャン・スィンやナヴジョート・スィッドゥーなども出演機会が多い。
主演のハルマン・バウェージャーは、2008年最大の失敗作の1本「Love Story 2050」でデビューした俳優である。彼はリティク・ローシャンに顔、体型、話し方、踊りなど、あらゆる面でよく似ているためにかなり損している上に、デビュー作が大コケしたため、未だボリウッドで確固たる地位を築けていない。「Victory」は前作よりはしっかりした作品であったが、ヒットはしていないようで、まだ彼の苦悩は続きそうだ。
ヒロインのアムリター・ラーオは、「Welcome to Sajjanpur」(2008年)に続き、田舎育ちの純粋な女の子を好演。素朴な美しさがある女優で、こういう役は彼女にピッタリである。重要な場面でしっかりした演技も見せていた。アヌパム・ケール、グルシャン・グローヴァー、ダリープ・ターヒルら脇役陣も素晴らしかった。
音楽はアヌ・マリク。映画の最後で流れる「Balla Utha Chhakka Laga」は威勢のいい応援歌的な曲だが、それ以外で耳に残る名曲はない。
「Victory」は、クリケットを題材にしたスポ根映画であり、クリケットのルールを知らず、スポ根映画に食傷気味の日本人観客にはあまり受けそうにない作品だと言える。だが、実在のクリケット選手が多数特別出演しており、それに価値を見出せる人なら、見ても損はないだろう。
2001年から8年半の長期に渡ってインドに住んでいるが、思い起こしてみると盗難被害に遭ったのは合計5回である。これが多いのか少ないのかはよく分からないが、もしかしたら多い方なのかもしれない。その5回の内の2回は空き巣のカテゴリーに入る。つまり、家の中に置いておいた現金や品物を、留守中または油断していたときに盗まれた。1回はバイクの盗難である。外に駐車してあったバイクを、旅行で留守にしている間に盗まれた。これは過去最大の被害額(盗まれたバイクの値段は8万ルピー)となり、インド在住邦人盗難被害額レースで一気にトップに躍り出る勢いであったが、今となっては古き良き思い出である。残る2回はスリの被害だ。1回は2007年11月にカルナータカ州を旅行中に財布を盗まれてしまった。旅の最後の段階で盗まれたために、被害額はそれほど大きくなかったが、このとき財布の中に入れていたRC(車両登録証)も当然のことながら一緒になくなってしまい、その再発行のためにかなり大変な思いをしなければならなかった。RC再発行の苦労は当時の日記にまとめてある(参照)。
1999年、旅行のために初めてインドの土を踏んでから2007年11月まで、インドでスリにポケットをまさぐられたことは何度もあったが、財布や貴重品を盗まれたことは一度もなかった。ただの旅行者だったときはお金の管理に特に気を遣っていたし、インドに住み始めてからも、いくつものスリ未遂を体験することで、スリの大体の雰囲気やスリに狙われやすいときを次第に把握して行き、あらかじめ対策を取れるようになった。スリは大体「私はスリです」という顔をしているし、列車、バス、駅、バス停などの混雑する公共交通機関を仕事場としていることがほとんどである。特にバスに乗り込む瞬間がもっともスリに狙われやすい。インドのスリたちは、チームワークを使って、バスに急いで乗り込もうとする乗客の行く手を遮り、乗客が焦っている隙にポケットやバッグから財布や貴重品を失敬するテクニックを確立している。僕もデリーで何度かそういうスリ集団に狙われたが、幸い実害に遭ったことはなかった。バイクを買って以来、バスを使う機会が極端に減ったため、そういうスリたちとはとんとご無沙汰になってしまったのだが、それがかえってスリに対する警戒が緩む結果となり、カルナータカ州では正にバスに乗り込む瞬間にズボンのポケットに入れておいた財布を盗まれてしまった。一応言い訳をさせてもらえば、スリに遭ったのはハーサンという田舎町であり、こんな片田舎にスリなどいないだろうと意図的に警戒を解いてしまったのだが、それが運の尽きであった。しかし、おかげでRC再発行という、大変だが「これでインディア」のネタとしてはおいしい体験をすることができたため、慰めにはなっていた。
スリに遭った直後は、財布の中に紛失して困るものはなるべく入れないようにし、人混みに入るときは財布をもっとも外部からアクセスしにくい場所に入れる癖が付いていたのだが、年月と共に次第に警戒が薄れて行ってしまった。特に日本に一時帰国するとどうしても平和ボケになってしまう。あれは一回だけの過ちだったのだという思い込みも強くなった。いつの間にか財布の中には、ATMカードやRCなどが常に入っているようになり、財布の管理も甘くなって行った。
そして2009年1月8日、恥ずかしながら再び財布をすられてしまった。この日はイスラーム教の祭りモハッラムで、前年と同様にターズィヤーの行進を見にオールドデリーに出掛けていた(参照)。既に一度見ていたため、今年は余裕の気持ちでターズィヤーの行進を眺めていたのだが、そうこうしている内にポケットから財布を抜き取られてしまったのである。財布の中には、愚かにも1年数ヶ月前に財布を盗まれたときと同様のものが入っていた。現金も決して少なくなく、おそらく5千ルピーほど入っていただろう。本当はカメラも狙われていたようで、カメラを入れていたポシェットのカバーがいつの間にか開いていたが、こちらは幸い盗まれずに済んだ。
2009年1月8日のターズィヤー
財布を盗まれるまでは学習が足りなかったが、財布を盗まれた後にすべき行動は十分に学習していた。すぐに警察署へ行って適切なFIR(初動調書)を作成してもらい、翌日にはシェーク・サラーイのRTO(地区交通局)へ行ってRC再発行手続きをした。当然、ATMカードもすぐに止めた。当時の体験はとても役に立ったが、二度同じ過ちを犯してしまった悔しさと虚しさはしばらく胸の中にしこりとなって残り続けた。
おそらく僕にとって必要以上にショックだったのは、愛するデリーに裏切られた気分になったからであろう。しかもデリーの心臓とも言えるオールドデリーでこのような目に遭うのは心外であった。もちろん、普通に考えたらオールドデリーはデリーの中でももっとも混沌としたエリアであり、軽犯罪者の温床でもあり、スリ被害などにも遭いやすいと思われるのだが、僕のようにデリーを心から愛する者がオールドデリーで酷い目に遭うはずがないという一種の傲慢な油断があったのかもしれない。
また、盗まれた財布は妹に30歳の誕生日プレゼントとしてもらったものであり、しかも手触りなどけっこう気に入っていたため、それを盗まれたことは二重にショックであった。
ところが、奇跡が起こった。
先月下旬にハイダラーバード・カルナータカ旅行と題してカルナータカ州北東部のグルバルガーやビーダルを旅行したが(参照)、旅立つ直前の1月23日、突然1本の電話が入った。それはOさんというデリー在住のある日本人の知り合いからであったが、彼から、一通りの挨拶の後、「財布をなくされませんでしたか?」と聞かれたときは驚いた。どうも僕の財布を手に入れたインド人からその人へ電話があったらしい。財布の中にはOさんの名刺が入っていたのである。確かに盗まれる直前に彼に会って名刺をいただいていた。財布を手にした人の名前はマノージと言い、その人の電話番号もOさんから教えてもらったため、早速マノージ氏に電話をかけた。どういう人か全く分からず、英語が話せるかも不明であったが、蓋を開けてみたらなんと日本語が話せるインド人であることが判明した。どうも財布を拾った人は別の人だったようだが、財布の中に日本語の名刺が入っているのを見て、日本語が話せるマノージ氏に託したようである。マノージ氏はオールドデリー在住であることも分かった。
本日、マノージ氏とオールドデリーで落ち合い、財布を渡してもらった。財布の外見には全く損傷などない。中に入っていた紙幣は根こそぎ抜き取られてしまっていたが、カードや名刺はそのまま残っていた。さらに、小銭入れには5ルピー貨幣が1枚残っていた。確か盗まれたときのままである。スリは紙幣だけを抜き取ってすぐに財布を捨ててしまったのであろう。
また、大体予想はしていたが、親切にも連絡してくれたマノージ氏は日本語ガイドであった。彼の家族はオールドデリーに昔から住んでいるようで、また1人、ディッリーワーラーの友人が出来て嬉しい限りである。お礼に何を渡そうか迷ったのだが、秘蔵の梅酒をプレゼントした。インド人は酒を飲まない人が多いので、酒類をギフトにすることは危険な賭けなのであるが、幸いマノージ氏は飲む方の人で、最終的には受け取ってもらえた。
一時はデリーに裏切られた気分になったものであったが、一連の事件の末にオールドデリーでの新たな出会いもあり、やはりデリーに愛されていることを実感した。デリー出身の聖人バンダー・ナワーズ・ゲースー・ダラーズの廟を詣でる直前に財布が見つかったことも、奇跡の信憑性をより強める結果となった。
バンダー・ナワーズ・ゲースー・ダラーズ廟
それはともかく、インドでもなくなった財布が戻って来るということがあるのだということをここで伝えたかった次第である。現金まで丸々戻って来ればそれは日本レベルの素晴らしい出来事であったが、盗難に遭って紛失した以上、そこまで期待するのはおこがましいだろう。5ルピーが返って来ただけでも十分幸せだった。
यह दिल्ली है मेरे यार
बस इश्क़ मुहब्बत प्यार
yeh dillī hai mere yār
bas ishq mohabbat pyār
友よ、ここはデリー
あるのは愛オンリー
映画「Delhi-6」タイトルソングより
先日公開された映画「Luck By Chance」(2009年)にも本人役で特別出演していたアヌラーグ・カシヤプは、常に斬新な映画を送り出すことで知られた脚本家・監督であり、彼の関わる映画は無視できない。アヌラーグ・カシヤプの監督としての代表作は「Black
Friday」(2004年)である。いろいろと物議を醸した映画であるが、この作品の表現力やストーリー・テーリング力を一目でも見れば、彼がただ者でないことがすぐに分かるだろう。本日からアヌラーグ・カシヤプ監督の最新作が公開された。題名は「Dev.
D」。これだけだと何のことだか分からないが、ベンガル人作家シャラトチャンドラ・チャットーパーディヤーイの古典的名作「デーヴダース」の現代版と書けば、シャールク・カーン主演「Devdas」(2002年)を見た人なら大体想像が付くだろう。だが、この映画はただそれだけではない。「トレインスポッティング」(1996年)や「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)のダニー・ボイル監督の助力を得ており、インドの古典的悲恋劇とサイケデリックな映像が入り交じった、今までにない斬新な作品となっている。昨年、「Aamir」と共に彗星の如く現れた音楽監督アミト・トリヴェーディーが全力を注いだ音楽も現在大ヒット中で、今年最初の必見映画となっている。
題名:Dev. D
読み:デーヴ・ディー
意味:主人公の名前
邦題:デーヴD
監督:アヌラーグ・カシヤプ
制作:ロニー・スクリューワーラー
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:シェリー、アミターブ・バッチャーチャーリヤ、シュルティー・パータク、マニ
振付:マーンスィー・アガルワール
衣装:シュブラー・グプター
出演:アバイ・デーオール、カールキー・ケクラン(新人)、マーヒー・ギル(新人)、ディビエーンドゥ・バッチャーチャーリヤ、アスィーム・シャルマー
備考:PVRプリヤーで鑑賞、満席。
マーヒー・ギル(左)とアバイ・デーオール(右)
あらすじ |
パンジャーブ地方の裕福な実業家サティヤパールの次男として生まれたデーヴ(アバイ・デーオール)は、12歳の頃に無理矢理ロンドンに留学させられた。デーヴには、パーロー(マーヒー・ギル)という幼馴染みがおり、ロンドン留学後も2人はネットを通じて連絡を取り合っていた。
青年に成長したデーヴは、兄の結婚式もあり、久し振りにインドに戻って来た。パーローとも再会を果たす。2人はお互いを求め合うが、田舎のために2人っきりになれる場所を見つけるのは難しかった。パーローの父親も、娘がデーヴと密会しているのに気付いており、彼女を早く嫁に出すことを考え出す。だが、些細な誤解からデーヴはパーローが淫女になったと思い込み、彼女に冷たく当たるようになる。また、結婚式に出席していたデリー在住の裕福な男性ブヴァン(アスィーム・シャルマー)がパーローを見初め、彼女の父親に縁談を持ち込む。デーヴに酷い言葉を浴びせかけられてショックを受けていたパーローは、その縁談を受け容れる。こうしてブヴァンとパーローの結婚式も行われた。
元々ロンドンで酒や麻薬を常用する癖の付いていたデーヴは、パーローが結婚してしまったのを見てさらにそれらに依存するようになる。デーヴはパーローを追いかけるようにデリーへ向かう。デリーの安宿街パハールガンジで彼はポン引きのチュンニー(ディビエーンドゥ・バッチャーチャーリヤ)と出会い、売春宿に通うようになる。その宿には、チャンダー(カールキー・ケクラン)という少女が働いていた。
チャンダーは元々レニーという名前で、インド人の父親とフランス人の母親との間に生まれ、デリーの学校に通っていた。ところが、ボーイフレンドが撮影した彼女の卑猥なMMS(携帯ビデオ)が流出してしまい、スキャンダルの渦中に巻き込まれてしまう。父親は心労の余り自殺し、レニーは父親の実家へ送られたが、そこでも安息は得られず、単身デリーに逃げて来た。そこでチュンニーに拾われ、映画「Devdas」の影響でチャンドラムキー(愛称チャンダー)という源氏名を名乗り、売春をして生計を立てるようになる。英語、ヒンディー語、フランス語、タミル語が堪能なチャンダーはすぐに売春宿の稼ぎ頭となる。そんなときに出会ったのがデーヴであった。
デーヴはパーローに連絡を取り、彼女と会うが、パーローはデーヴと再び会うことを拒否する。デーヴはパーローのことが忘れられないままチャンダーに溺れて行く。最後は全財産を投げ出してチャンダーを身請けするが、その日に酔っぱらって自動車を運転し、7人をひき殺す大事故を起こしてしまう。デーヴは逮捕される。
デーヴの事故にショックを受けた父親は、息を引き取ってしまう。デーヴは父親の葬式に出席するためにパンジャーブへ戻る。兄から弁護士の費用のために、手切れ金とも取れる多額の現金を受け取るが、デリーへ戻る道中にその金を使って享楽した挙げ句、運転手に金を盗まれてしまう。デーヴは何とかデリーに戻るが、チャンダーは既に売春宿を去っており、遂に一文無しになってしまう。だが、チャンダーの行きつけのモモ(チベット風餃子)屋で彼女と再会する。チャンダーはデーヴが支払った身請け金のおかげで売春宿を卒業していたのだった。デーヴはチャンダーに愛の告白をし、2人は晴れて一緒になる。 |
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シャラトチャンドラ・チャットーパーディヤーイの小説「デーヴダース」は今まで何度も映画化されており、それらを見て来た人には、「Dev. D」のストーリーに新しい点はほとんど見出せない。唯一、最後でデーヴとチャンドラムキーが結ばれる点が目新しいだけである。だが、「デーヴダース」を現代に適用し、パーローを失った悲しみから酒に溺れるデーヴダースを、酒と麻薬に溺れるデーヴに置き換えることで、斬新かつ現代的な悲恋劇に生まれ変わっていた。ダニー・ボイル監督直伝のサイケデリックな映像テクニックも、「Dev.
D」を、今までのインド映画の枠組みを明らかに超越した作品に押し上げるのに貢献していた。酒や麻薬によってトランス状態になった様子を表現する映像テクニックは「トレインスポッティング」そのものである。ダニー・ボイル監督には冒頭でスペシャル・サンクスが贈られていた。いい意味で肩の力の抜けたギャグも満載で、コメディーとして見ても十分楽しめる。「デーヴダース」と「トレインスポッティング」の融合とも表現できる「Dev.
D」は、ヒンディー語映画新時代を切り開く重要な作品であり、今後ボリウッド映画史のマイルストーンのひとつとして語り継がれることとなるだろう。
ただ、麻薬や性産業などに関わる反社会的なシーンや、露骨な性描写や卑猥な台詞なども多く、決して万人向けの映画ではない。観客層もそれを反映してか、何となく裕福な家庭の不良少年少女と言った雰囲気の若者が多かったような気がした。「Dev.
D」の中にインドの伝統的道徳観念、例えば父子の絆や結婚の神聖性などはほとんど感じられない。ヒロインが積極的にヒーローとのセックスのイニシアチブを取るという、インド映画にはあまり見られないシーンもあった。よって、昨年の「Jaane
Tu... Ya Jaane Na」(2008年)と並ぶ、新感覚を持った新世代の若者のための映画だと感じた。
驚くべきことに、この映画の元々のコンセプトは、主演男優アバイ・デーオールの発案であるらしい。アバイは中途半端な優男風の外見をしており、2005年のデビュー当初は、このままボリウッドに定着するのは難しいのではないかと思っていたが、「Manorama
Six Feet Under」(2007年)や「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)など、他とは一線を画した良質の出演作に恵まれ、大化け中である。「Dev.
D」によって彼はヒンディー語映画界において完全に独自の地位を確立したと言っていいだろう。今のところ単に運がいいだけなのかもしれないが、もしかしたら彼は思った以上にとても頭の切れる人物なのかもしれない。将来監督に転向することも考えられる。これから注目せざるをえない。
原作「デーヴダース」と同様に、「Dev. D」もダブル・ヒロインの作品となっている。パーローを演じたマーヒー・ギルはチャンディーガル生まれのパンジャービー・ガール。演劇畑出身で、パンジャービー語映画への出演経験はあるが、ボリウッド映画出演は「Dev.
D」が初めてである。タッブーに似た外見をしているが、かなり際どいシーンも堂々とこなしており、度胸の据わった女優だと感じた。今後アヌラーグ・カシヤプ監督の次回作などへの出演予定がある。一方、チャンダーを演じたのは、プドゥッチェリー(ポンディシェリー)生まれバンガロール在住のフランス人という変わり種カールキー・ケクランである。特別美人というわけでもないが、ロリータ趣味全開のコスプレなどでかなり異彩を放っており、映画に面白い効果を添えている。なんと現在アヌラーグ・カシヤプと付き合っているらしい。彼女は生い立ちの影響でフランス語、英語、ヒンディー語、タミル語など、各種言語を操るようで、映画中でも、それぞれの言語でテレフォン・セックスをこなすという離れ業を見せており、面白かった。
映画本編と同じくらい「Dev. D」の売りとなっているのは、常軌を逸した挿入歌の数々である。音楽監督のアミト・トリヴェーディーはまだほとんどキャリアはないが、奇才と言ってもいい希有な人材かもしれない。「Dev.
D」のサントラCDは、今までのインド映画音楽の常識を覆す楽曲の数々で埋め尽くされており、一聴に値する。特に「Emosanal Attyachar(Brass
Band Version)」は、調子の外れたブラスバンドと歌声、ヘンテコかつ卑猥な歌詞など、あらゆる意味で衝撃的な曲で、若者の間で大ヒットしている。題名だけ見ても、「エモーショナル」という英単語と、「アティヤーチャール(虐待)」という固めのサンスクリット語起源の語彙との前代未聞の組み合わせで、それらがユニークな化学反応を起こしている。傷心ロックとでも呼ぶべき「Nayan
Tarse」の悲痛な歌詞とメロディーも素晴らしい。他にも様々なジャンルのユニークな曲がてんこ盛りで、音楽好きの人は、「Dev. D」のCDは買って損はない。もしダニー・ボイル監督が「スラムドッグ$ミリオネア」制作以前にアミト・トリヴェーディーに出会っていたら、ARレヘマーンよりも彼を選んでいたかもしれない。
ヒンディー語映画界の2009年はデリーの年だ。「Chandni Chowk to China」(2009年)を皮切りに、デリーが重要な舞台となる映画が続々と公開される。「Dev.
D」でも、デリーの有名な安宿街パハール・ガンジが重要な役割を果たしていた。実際にパハール・ガンジやオールドデリーでロケが行われ、パハール・ガンジ文化とも言えるヒッピー崩れの外国人ジャンキーたちによる怪しげな世界が淡々と描かれていた。パハール・ガンジのサブジー・マンディーの交差点にある、日本食も出すレストラン、クラブ・インディアでロケが行われていたのが特筆すべきである。
言語は基本的にヒンディー語だが、パンジャーブ地方が舞台になっているシーンも多く、パンジャービー語の台詞も少なくなかった。チャンダーの人物設定の影響からフランス語やタミル語の台詞も少しだけ登場する。
「Dev. D」は、現代版「デーヴダース」という一言ではとても表現し切れないくらい多くの斬新な要素が詰まった実験的作品である。音楽、映像、ストーリー・テーリング、性描写など、あらゆる意味で超インド映画的でありながら、ギリギリのところでインド映画らしさも失っていない。これは単なる突然変異なのか、それともインド映画がひとつの進化の方向性を示したと受け止めるべきなのか、今のところ結論は出せない。しかし、タイミングから言えば、英国映画「スラムドッグ$ミリオネア」に対するインドからのひとつの解答とすると都合がいい。おそらくその過度の先進性から、インド人観客の間での映画の反応は大きく分かれると思われるが、インド映画が決して定型通りの「歌って踊って」映画ばかりでないこと、また、「歌って踊って」の伝統を維持しながらもダイナミックな進化を遂げている最中であることを証明する絶好の作品の一本だと言える。とりあえず今年必見の映画の1本に数えたい。
ボリウッドでは、話題作公開直前のゴタゴタはもはや日常茶飯事となっている。昨年だけでも、「Jodhaa Akbar」にラージプート・コミュニティーが、「Krazzy
4」に作詞家ラーム・サンパトが、「Singh is Kinng」にスィク教徒コミュニティーが、「Hari Puttar」に「ハリー・ポッター」制作者が、「Sorry
Bhai!」に歌手ラッビー・シェールギルが、「Ghajini」に自称リメイク権保有者が意義を唱え、公開中止などの措置を求めた。
ボリウッドで「コメディーの帝王」の名をほしいままにする映画監督プリヤダルシャンと、ボリウッドのスーパースター、シャールク・カーンが初めて組んだ話題作「Billu
Barber」も同じような論争に巻き込まれることとなった。これは、題名からも察せられるように床屋が主人公の映画だが、インドの理髪店・美容院協会が、題名や主題歌の中の「barber」という言葉が蔑称で不適切だとして、公開直前に反対の声を上げたのである。果たして「barber」が本当にそこまで不適切な言葉なのか、真相はよく分からない。少なくとも日本に生まれ育った限りでは、この言葉から差別的な響きは感じられない。だが、今回は安全策が採られ、題名、台詞、歌詞の中から出来る限り「barber」という単語が削除されることになった。よって、映画の正式名称は単に「Billu」となった次第である。ちなみに、「Billu」はマラヤーラム語映画「Kadha
Parayumbol」(2007年)のヒンディー語リメイクである。
題名:Billu
読み:ビッルー
意味:主人公の名前
邦題:床屋のビッルー
監督:プリヤダルシャン
制作:ガウリー・カーン
原作:シュリーニヴァーサン脚本「Kadha Parayumbol」(2007年)
音楽:プリータム
歌詞:グルザール、サイード・カードリー
振付:ファラー・カーン、ポニー・ヴァルマー、プラサンナ
衣装:アナイター・シュロフ・アダージャニヤー、マニーシュ・マロートラー、ニーター・ルッラー、ナレーシュ、Vサーイー・バーブー
出演:イルファーン・カーン、ラーラー・ダッター、ラージパール・ヤーダヴ、オーム・プリー、マノージ・ジョーシー、アスラーニー、ミターリー・マーヤーカル、プラティーク・ダールヴィー、ジャグディーシュ、ラスィカー・ジョーシー、カリーナー・カプール(特別出演)、プリヤンカー・チョープラー(特別出演)、ディーピカー・パードゥコーン(特別出演)、シャールク・カーン
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ラーラー・ダッター(左)とイルファーン・カーン(右)
あらすじ |
ビラース・ラーオ・パルデーシー、通称ビッルー(イルファーン・カーン)は、ウッタル・プラデーシュ州の田舎町ブドブダーの交差点で理髪店を営んでいた。妻ビンディヤー(ラーラー・ダッター)との間には2人の子供がいた。最近目の前にモダンなサロンが出来てしまい、ビッルーの商売は上がったりであった。子供たちの学費が支払えなかったため、ゲヘロート校長(ラスィカー・ジョーシー)からは、子供たちを学校から放り出すと脅されていた。吝嗇の高利貸しダームチャンド(オーム・プリー)は彼に金を貸そうと申し出ていたが、ビッルーは誰からも借金をしようとはしなかった。
ある日、ブドブダーで映画のロケが行われることになった。ヒーローはヒンディー語映画界のスーパースター、サーヒル・カーン(シャールク・カーン)であった。町は大騒ぎになる。いつの間にかビッルーはサーヒル・カーンの親友だという噂が広まり、人々はビッルーに急に優しくなる。子供たちの学費は免除され、ダームチャンドからは新品の回転椅子を贈られた。皆、サーヒル・カーンとの面会、握手、サイン、写真、食事などを望んでいた。自称詩人のジャッラン・クマール(ラージパール・ヤーダヴ)は、自作の詩をサーヒルに聞かせようと張り切っていた。子供たちやビンディヤーも例外ではなかった。しかし、ビッルーはサーヒルに会いに行くことに乗り気ではなかった。なぜなら今やサーヒルは大スターになってしまっており、彼のことを覚えていてくれるか自信がなかったからである。一度ビッルーはサーヒルの泊まるゲストハウスに電話をするが、マネージャーに罵詈雑言を浴びせかけられてしまう。ノーバト・チャーチャー(アスラーニー)の助言に従い、ビッルーははっきりとした返事をせず、ロケが終わるまでやり過ごすことを決める。
ブドブダーでのロケは順調に進み、日程も残りわずかとなった。ビッルーに期待していた人々は焦り、ロケ現場に殺到する。そこで警官たちと乱闘になり、ダームチャンドやジャッランらは逮捕されてしまう。ダームチャンドは、ビッルーがサーヒルと親友であるという証拠がないことに気付き、騙されたと考え、彼を訴える。ビッルーの床屋は破壊され、彼は警察に逮捕されてしまう。
一方、子供たちの通う学校では、サーヒルを呼んで式典を開催しようと計画していた。ビッルーがサーヒルの親友だという噂を聞きつけ、ゲヘロート校長はビッルーにサーヒルを呼ぶように頼んでいたが、ビッルーが頼りにならないと悟ると、今度はダモーダル・ドゥベー先生(マノージ・ジョーシー)の人脈に頼ることにする。ドゥべーは高慢な態度をとってサーヒルを怒らせてしまい、交渉は失敗に終わるところであったが、ゲヘロート校長の必死の懇願により、何とかサーヒルは、ロケ終了日に学校の式典に出席することを承諾する。
ブドブダーの人々は学校に集まった。ビッルーの子供たちや、ビンディヤーも来ていた。警察から釈放されたビッルーもビンディヤーに連れられて仕方なく顔を出した。サーヒルは子供たちの前で、自分の子供の頃の思い出を語り出す。サーヒルは貧しい家の生まれであった。だが、子供の頃に彼を支えてくれたのが、ビッルーという名の友人であった。だが、ビッルーは駆け落ち結婚をしたために村を出なければならず、その後行方不明になっていた。サーヒルは今でもビッルーのことを忘れていないと話す。それを聞いたビッルーは、彼が今でも自分のことを覚えていてくれたことに驚くが、サーヒルには会わずに家に帰る。
その晩、サーヒルがビッルーの家を訪ねて来る。2人は久し振りの再会を喜び、抱き合う。町の人々もビッルーを見直し、彼を担ぎ上げる。 |
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シャールク・カーンに加え、カリーナー・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ディーピカー・パードゥコーンという現在のボリウッドを代表する人気女優3人をアイテムガールに起用し、派手なパブリシティーと共に売り出されていたため、てっきり「Singh
is Kinng」(2008年)タイプの大予算型コメディー映画だと思って映画館に足を運んだのだが、意外にもコメディーよりもドラマの要素の方が強い映画であった。プリヤダルシャン監督と言えば、「コメディーの帝王」のイメージとは裏腹に、「Kyon
Ki...」(2005年)のようなドラマ映画も作っており、決して昔からコメディー一辺倒の映画監督ではないのだが、それでも彼のフォルモグラフィーの大半は抱腹絶倒のハチャメチャ型コメディー映画で埋め尽くされており、大半の観客もそれを期待して「Billu」を見に行くことだろうと思う。よって、蓋を開けてみたら感動モノのドラマ映画というのは完全なる肩すかしであり、それがこの映画の評価や興行収入にマイナスに働くことは十分あり得るだろう。
それでも、名優イルファーン・カーンの堅実な演技のおかげで、本筋はしっかりとしており、最初から感動作だと思って見に行けば問題ないだろう。特にクライマックスにおけるシャールク・カーンの独白は感動的である。むしろ、所々に挿入されるシャールク・カーンとトップ女優たちとの派手なダンスシーンの方が邪魔に思えるくらいだ。ロケとセットのズレのせいか、舞台となっているブドブダーが、町なのか村なのか、いまいち判断しかねたのだが、登場人物の話す台詞はヒンディー語東部方言特有の味のある表現で満ちており、スーパースターの突如とした来訪に沸く田舎の様子が生き生きと描写されていた。その点では、プリヤダルシャン監督自身の「Maalamal
Weekly」(2006年)や、「Aaja Nachle」(2007年)や「Welcome to Sajjanpur」(2008年)などと似た映画であった。ちなみに、ブドブダーは架空の町のはずである。マディヤ・プラデーシュ州に同名の町があるようだが、映画中ではウッタル・プラデーシュ州の町ということになっていた。
もうひとつ特筆すべきなのは、ショービジネス界に付き物のスキャンダルについて、おそらくシャールク・カーン自身の見解と思われるコメントが映画の中にあったことだ。シャールク・カーン演じるサーヒル・カーンはヒンディー語映画界を「ひとつの家族」と表現し、「家族の中にちょっとした喧嘩があるのと一緒で、映画界の中でもちょっとした喧嘩は避けられない。でも、我々はまず家族であり、お互いに愛し合っていることを忘れないでもらいたい」と述べていた。ショービジネス界の些細な事柄を大袈裟に取り上げて騒ぐ悪習はどこの国のメディアにも共通しており、シャールク・カーンはホーム・プロダクションであるこの映画を借りて(プロデューサーは妻のガウリー・カーン)、彼らにひとつの答えを提示したと言っていいだろう。
イルファーン・カーンの演技を今更とやかく言う必要はないだろう。演技らしくない自然な演技ができる俳優であり、彼以外にビッルーの適役はいなかった。ヒロインのラーラー・ダッターは、今までのゴージャスなイメージと打って変わって、田舎の素朴な主婦を演じていた。アムリター・ラーオなど、もっと田舎娘の似合うヒロイン女優はたくさんいるし、彼女からゴージャスなオーラが完全に消え去っていなかったようにも感じたのだが、このような土臭い役を演じることはラーラーにとって冒険であったことを考えると、賞賛されてしかるべきであろう。ただし、ただでさえいまいちブレイクし切れていなかったラーラーである、これが彼女のキャリアにとってトドメとならないことを祈るばかりだ。
ラーラーに代わって映画にゴージャスさを加えていたのは、3人のトップ女優たちである。その中でもっとも輝いていたのは、トップでシャールク・カーンと踊りを踊るディーピカー・パードゥコーンだ。「スター・ウォーズ」のパロディーのようなダンスシーン「Love
Mera Hit Hit」でカリスマ的魅力を存分に放出していた。「Om Shanti Om」(2007年)でのデビュー以来、2本の映画に出演したものの、大ヒットとまでは行かず、いまいち頭打ちの感があったディーピカーであったが、「Billu」でのアイテムガール出演で再び魔法を取り戻したと言える。それはおそらくシャールク・カーンとの再共演のおかげであろうし、また、ファラー・カーンの優れた振り付けのおかげでもあろう。だが、「Billu」でもっとも利益を享受しているのは明らかに、この映画によって一度体勢を立て直すことに成功したディーピカーであり、今後も続けて期待できそうだ。
音楽はプリータム。彼はボリウッド新世紀のパクリ常習犯で、「Billu」の音楽もどこからか失敬して来たものがほとんどであろうが、彼ほどダンスしたくなる曲を作ることに長けた音楽監督は他にいないことも確かである。しかも、「Billu」のサントラCDはプリータムの傑作のひとつに数えられるほどいい。買って損はない。カリーナー・カプールのアイテムナンバー「Marjaani」、前述のディーピカー・パードゥコーンのアイテムナンバー「Love
Mera Hit Hit」、シャンカル・エヘサーン・ロイが音楽監督を務めたロック映画「Rock On!!」に対するアンサーソングとも言える「Ae
Aa O」など、素晴らしい曲が満載だ。
言語はヒンディー語であるが、田舎臭さを出すために台詞には方言が多用されている。ベースとなっているのは、ウッタル・プラデーシュ州東部からビハール州にかけて話されるボージプリー語である。よって、ヒンディー語初学者にとっては聴き取りに苦労するヒンディー語映画と言える。
シャールク・カーンは、サーヒル・カーンという架空のスーパースター役で、完全に本人役ではなかったものの、サーヒル・カーンは明らかにシャールク・カーン自身の分身であった。さらに、シャールク・カーンの過去の出演作のシーンがいくつも挿入される部分があり、昔からのシャールク・ファンには嬉しいサービスとなっている。また、「スター・ウォーズ」シリーズや「マトリックス」シリーズを思わせるパロディー・シーンもあり、シャールク・カーンが「Om
Shanti Om」で茶目っ気たっぷりに演じたタミル語映画スターやモハッバト・マンを想起させた。
シャールク・カーン主演作ポスターがズラリ
また、ロケ・シーンで、なぜか日本の剣道のお面をかぶった人も一瞬だけ出て来て面白い。多分ダースベイダーのパロディーであろうが、もしそうだとしたら結構高度なパロディーである(ダースベイダーのコスチュームは日本の兜や甲冑をモデルにしているとされる)。先日公開されたシャールク・カーン主演作「Rab
Ne Bana Di Jodi」(2008年)でも日本が出て来たが、それに続いてこの「Billu」でもちょっとだけ日本を感じさせられたのは単なる偶然であろうか?
剣道のお面をかぶった人が・・・
冒頭でも述べたが、床屋コミュニティーの反発の影響で、題名、台詞、歌詞の中から「barber」という単語が削除されている。当然、削除された部分は空白となってしまっている。劇中のいくつかの台詞で「barber」が削除されたと思われる部分が散見された他、「Billoo
Bhayankar」という挿入歌からもその単語が軒並み削除され、歌詞の意味が通らなくなってしまっていた。このような処置は映画の完成度を著しく低下させる。とても残念なことだ。
「Billu」の見所は、お互いに相反するほど大きく分かれた2つの要素である。ひとつはシャールク・カーン、カリーナー・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ディーピカー・パードゥコーンによるスターパワー、もうひとつは、イルファーン・カーンを中心とした堅実な演技によるドラマである。このふたつの要素は下手すると映画をバラバラにしてしまうほどかけ離れており、実際、終盤まではとても退屈な展開になってしまっているのだが、シャールク・カーンが最後に行うしんみりとした演説のおかげで、スター性とドラマ性が結び付き、作品は何とかひとつにまとまっていた。「Billu」は必ずしもバランスのいい映画ではないが、スター目的でも、ドラマ目的でも、ある程度満足できる映画に仕上がっていると言える。ただ、お気楽なコメディーを期待する客層には勧められない。
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2月14日(土) ヴァレンタイン紛争と2つのインド |
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毎年ヴァレンタイン・デーが近付くとインドでは保守派による反対運動や賛否両論の論争が起こるのだが、今年は今までにないほどヒートアップした攻防が見られた。渦中にいたのは、無名のヒンドゥー教保守団体シュリー・ラーム・セーナー(アルファベットだとSri
Ram Sene)とそのリーダー、プラモード・ムターリクであった。
事の発端は2009年1月24日である。シュリー・ラーム・セーナーのメンバー40人が、カルナータカ州マンガロールのパブ「Amnesia - The
Lounge」を白昼堂々と襲撃し、「インドの伝統を侵害する」女性たちに暴行を加えたのである。ムターリクが、2月14日のヴァレンタイン・デーにも同様の行動に出ることを宣言したことから、今年のヴァレンタイン・デーはいつになく緊張感溢れるものとなった。
このパブ襲撃事件が全国ニュースとなったのは、事件から2日後、共和国記念日の1月26日であった。なぜタイムラグがあったのか。その理由は、マンガロールでは最近このような事件が珍しくなかったからのようである。昨年12月だけでもマンガロールでは、ヒンドゥー教過激派により、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が同乗したバスが襲撃されるという事件や、ファッション・ショーが妨害されるという事件が起こっていた。ムターリクは、パブ襲撃前にジャーナリストに襲撃の予告までしていたと言う。よって、このパブ襲撃事件がメディアに取り上げられたのはたまたまだったと言える。ひとつ特筆すべきなのは、襲撃時に現場で撮影された生々しい動画がYoutubeにアップロードされ、多くの人々に閲覧されたことである。それがきっかけでこの事件は全国ニュースとなり、それまでほとんど無名だったシュリー・ラーム・セーナーが一躍注目を浴びることとなったのだった。今回の事件は、ネット社会の進展と無関係ではない。
シュリー・ラーム・セーナーは2007年2月に創設された新しい団体である。創始者のプラモード・ムターリクは、1963年カルナータカ州ベールガウム出身のマラーティーで、13歳のときに民族義勇団(RSS)に入団した。最終的に彼はヒンドゥー教保守派包括団体サング・パリワールの青年実働部隊バジラング・ダルの南インド支部招集役という高い地位まで登り詰める。現在カルナータカ州はサング・パリワールの政治部門インド人民党(BJP)が与党だが、ムターリクは同州にBJPを定着させるのに多大な貢献をして来たようだ。しかし、あまりに過激な思想を持っていたために上層部とそりが合わなくなり、2004年にバジラング・ダルを脱退する。その後、2005年8月にヒンドゥー教マラーター主義の極右政党シヴ・セーナーに加入し、同党のカルナータカ州進出を助けるが、故郷ベールガウム県のマハーラーシュトラ州編入問題で対立して2006年に脱退する。シヴ・セーナーに加入したのはおそらく彼の出自がマラーティーだからであろうが、最終的に脱退することになったのは、彼の基本的なスタンスがカルナータカ主義だったからであろう。
2007年2月にシュリー・ラーム・セーナーを設立したムターリクは、2008年5月に行われた州議会選挙のために新政党ラーシュトリーヤ・ヒンドゥスターンを立ち上げ、自身を含む8人の立候補者を送り込んだが、全員落選してしまった。その失敗を受けてか彼はますます過激な行動に出るようになり、昨年下半期からいくつかの暴力事件を起こしている。2008年8月24日にデリーで著名な芸術家MFフサインの展覧会の作品が破壊されるという事件があったが、それもシュリー・ラーム・セーナーの仕業であった。その他、シュリー・ラーム・セーナーはカルナータカ州のあちこちで教会の襲撃を繰り返して来ていた。ムターリクはヒンドゥー教自爆テロ部隊の創設まで宣言し、実際にシュリー・ラーム・セーナー関連と見られる爆破事件も起こっている。
デリーでMFフサイン作品破壊事件があったものの、シュリー・ラーム・セーナーの基本的フィールドはカルナータカ州、特にムターリクの故郷ベールガウムとマンガロールであったようだ。今回のマンガロールでのパブ襲撃事件も、おそらく全国的展開につなげていくことを狙ってやったものではないだろう。だが、この事件は偶然とテクノロジーの進化が重なって全国的注目を集めることになったため、ムターリクは「インドの女性を守るため」、メディアの前で声高らかにヴァレンタイン・デー中止運動を宣言したのだと思われる。それが、シュリー・ラーム・セーナーを全国展開するための政治的野心からなのか、それともヒンドゥー教の「伝統」を守りたいという純粋な気持ちからなのか、それははっきりしない。だが、もしかしたら彼は後者の部類の人間なのかもしれない。ムターリクは、「愛には反対ではないが、愛を表現する日が特定の日だけというのはおかしい。愛は1年中表現されなければならない。ヴァレンタイン・デーは西洋のコンセプトであり、主にキリスト教徒によって祝われる。我々はいかなる犠牲を払ってでもヴァレンタイン・デーを阻止する」と述べている。
ムターリクがカルナータカ州でのヴァレンタイン・デー反対運動のために計画した具体的な活動は、今までにない非常にユニークなものであった。それは、シュリー・ラーム・セーナーの「モラル部隊」が僧侶と共に州内を巡回し、もし未婚のカップルが公共の場でいちゃついているのを発見したら、彼らを最寄りの寺院へ連れて行き、強制的に結婚させてしまうというものである。幸い、今年の2月14日は土曜日の上に吉日となっており、結婚式に最適の日取りとなっている。だが、もしそれを拒否したら?その場合、女性は強制的に男性にラーキー(手首に巻く紐)を結ばせられる。ラーキーは、ラクシャーバンダンという祭りのときに結ばれる兄妹の契りの印である。その行動によってその男女は恋人ではなく兄と妹の関係となり、恋愛を超越した、結婚できない仲となってしまうという訳だ。
だが、シュリー・ラーム・セーナー主導のヴァレンタイン・デー反対運動に対する反対運動も負けず劣らずユニークな手段を採り、ますます面白くなった。「パブへ行き、解放され、進歩的な女性たちの協会(Consortium of Pubgoing, Loose and Forward Women)」を名乗る団体がネット上で「ピンクのパンティー運動(Pink Chaddi Campaign)」を開始したのである。
「ピンクのパンティー運動」ポスター
「ピンクのパンティー運動」の先導者はバンガロール出身デリー在住のニシャー・スーザン。主旨は単純明快である。シュリー・ラーム・セーナーのリーダー、プラモード・ムターリクに、ヴァレンタイン・デーの愛のメッセージを伝えるため、ピンクのパンティーを贈ろうというものだ。使い古しでも新品でもどちらでもいいらしい。シュリー・ラーム・セーナーの本部に直接送ることもできるし、インド全国に設置されたコレクション・ポイントに出すこともできる。また、同団体は2月14日当日に、「パブを満たそう運動(Pub
Bharo Andolan)」も呼びかけている。これは、インド独立運動時代に行われた「刑務所を満たそう運動(Jail Bharo Andolan)」のパロディーで、ヴァレンタイン・デーにインド全国のパブを満員状態にしようというものである。
インドではボリウッド映画「Lage Raho Munnabhai」(2006年)のヒット以来、ユニークなスタイルの抗議運動が流行しており、この「ピンクのパンティー運動」はその最新の例だと言える。
2月5日から開始された「ピンクのパンティー運動」は、11日の時点で既に1万人の参加者を集め、ムターリクへのプレゼントは、ピンクのパンティーのみならず、カーディー(粗綿布)の下着、ヴァレンタイン・カード、トンガリ帽子、レズビアンを描いたディーパー・メヘター監督映画「Fire」(1996年)のDVD、クンブメーラー祭での半裸のサードゥの写真、コスモポリタン・カクテル、キューピッドの弓と矢、カーマスートラ、コンドームなど多岐に及んでいる。また、運動は国際的広がりも見せており、インドのみならず、米国、英国、スイス、カナダ、オーストラリア、ベルギー、中国、ポルトガル、ドイツ、さらにはパーキスターンからも支持が届いている。
「ピンクのパンティー運動」へのムターリクの反応も冷静なものであった。シュリー・ラーム・セーナーの女性ウィング、ドゥルガー・セーナーは、ピンクのパンティーを贈ってくれた女性たちに対し、ピンクのサーリーを返礼として贈る計画を立てており、2月12日の時点で既に900着以上のサーリーを準備したと言う。また、「一般的ヒンドゥー教徒」を名乗る正体不明の人物が、「ピンクのパンティー運動」に反対し(または便乗し)、「ピンクのコンドーム運動(Pink Condom Campaign)」を開始している。ただ、彼(彼ら)は、「パブへ行き、解放され、進歩的な女性たちの協会」の反ヒンドゥー教的考え方に反対しているだけで、特にシュリー・ラーム・セーナーのシンパという訳ではなさそうだ。
「ピンクのコンドーム運動」ポスター
ムターリクはヴァレンタイン・デー直前になって、バンガロールにおけるヴァレンタイン・デー反対運動の中止を宣言したが、カルナータカ州の他の都市では引き続き反対運動を続けると声明を発表した。それを受けてカルナータカ州政府はムターリク以下シュリー・ラーム・セーナーのメンバーたちを予防拘禁し、不測の事態に備えた。
このようにヴァレンタイン・デーが近付くごとに、両派の間でウィットに富んだやり取りが交わされながらも、緊張感が増して来たのであるが、震源地であるカルナータカ州では厳重な警戒態勢が敷かれたため、2月14日に大きな事件は起こらなかったようである。ただ、マディヤ・プラデーシュ州をはじめ、他州ではヴァレンタイン・デー関連の事件が散発的に発生したようだ。デリーでも繁華街に警察が配置されてセキュリティー・レベルが上がっていたが、何も起こらなかった。「ピンクのパンティー運動」の続報もなく、果たしてどうなったかは不明である。マハーラーシュトラ州プネーではカップルが強制的に結婚させられるという事件があったようだが、それを実行したのはシュリー・ラーム・セーナーではなく別団体のシヴ・セーナーで、ちょっと意味不明である。
一連の出来事の中で中心的な問いとなっているのは、つまるところ、「何がインドらしさなのか」という命題だと言える。シュリー・ラーム・セーナーの主張は、女性がパブへ酒を飲みに行ったり、露出度の高い服を着たり、ヴァレンタイン・デーを祝ったりすることは、インドらしくないから反対ということだ。だが、インドらしさとは何なのか?誰がインドらしさを規定するのか?現在のインドには2つのインドが同居するということは、インドが高度成長期に入ってから盛んに言われて来たことである。新しいインド、大国として注目されるインド、BRICsの一角として急成長を遂げつつあるインド、都市のインドは、「インディア」と呼ばれる一方、昔ながらのインド、貧困と社会問題に喘ぐインド、神秘の国インド、農村のインドは、「バーラト」と呼ばれる。これら2つのインドの格差がますます開きつつあることは誰の目にも明らかで、「インディア」に属するインド人にも、「バーラト」に属するインド人にも、異なった種類ではあるが焦燥感のようなものが表れつつあり、それが様々な形となって具現化して来ている。プラモード・ムターリクとシュリー・ラーム・セーナーは「バーラト」を代表する存在であり、「バーラト」のみをインドと認め、「インディア」を「バーラト」に引き戻そうとしているように見える。
話はそれるが、インドに関わる日本人にも「インディア」と「バーラト」の分離は大きな問題となっている。元々インドに関わって来た日本人は「バーラト」好きが大半を占めていたのだが、昨今のインドの急成長を受け、「インディア」の部分のみを期待してインドに来る日本人も無視できないくらい増えて来た。「バーラト」を知る者は「インディア」を知らず、「インディア」を知る者は「バーラト」を知らないという好ましくない状況も生まれている。僕自身の中でも「インディア」への賞賛と嫌悪、「バーラト」への憧憬と失望と言った矛盾が生まれつつあるのをヒシヒシと感じている。どちらか一方に立脚する必要はないのだが、どちらに比重を置き、どちらに同情するかで、結論がガラリと変わってしまうことも少なくない。
さて、今回ムターリクが特に問題にしているのが「女性のインドらしさ」である。だが、その問題を深く掘り下げることは、ヒンドゥー教保守派にとって墓穴を掘ることになるかもしれない。カジュラーホーなどのヒンドゥー教寺院を観光した人なら分かるように、「インドらしさ」には開けっ広げなエロティシズムも同居しているからだ。古いヒンドゥー教寺院の壁面を見ると、必ずと言っていいほどエロティックな像が見つかる。中には獣姦をしている像まである。ムターリクは女性たちに露出度の高い服を着るなと言うが、ヒンドゥー教の寺院は豊満な胸を堂々とさらけ出した女神や天女の像で満たされているし、それは当時のインドの一般的な風俗であったと考えてもおかしくはない。「ピンクのパンティー運動」に対抗してムターリクはピンクのサーリーを贈り返すことを計画していたが、インドの伝統衣装であるサーリーは皮肉なことに、「インドらしくない」衣装であるTシャツとジーンズよりもさらに露出度の高い衣装である。若い女性からお婆さんまで一律に腹部や背中をさらけ出しているような国はインドの他にあまりないだろう。インド神話を少しでも読めば、そこには自由奔放な、時には自由奔放過ぎる性の世界が広がっていることに気付く。女性の飲酒に関しても同様で、「ラーマーヤナ」の中にも、ラーム王子と結婚したスィーター姫が酒を飲むシーンが描写されている。
2月8日付けのタイムス・オブ・インディア紙に、マンガロールのパブ襲撃事件に関して、シカゴ大学のウェンディー・ドニガー教授がインドの神話、芸術、文学などの中に見られる女性や性に対する相反する考え方や表現法について論じた社説が掲載されており、とても興味深かった。例えば紀元前8世紀頃に成立したとされる文献ブリハダーランニャカ・ウパニシャドでは、火にギー(純油)を捧げる儀式を、子宮に精液を注ぐ行為になぞらえてあったり、ブラフマン(梵)との合一の喜びを性交でのエクスタシーに比喩したりしてある。また、同文献には、女性を惚れさせる媚薬のようなマントラ(真言)や妊娠を予防する避妊薬のようなマントラなどが書かれていたり、乱交趣味の女性への賞賛があったりして、当時のインドの開放的で悦楽的な性を十分に感じさせられる記述で溢れている。だが、同時に昔からインドには女性を、男性を堕落させる潜在的な欠陥を持った悪性の存在と考える思考もあった。特に有名なのが、紀元前2世紀から紀元後2世紀の間に著されたとされるマヌ法典である。マヌ法典ではセクシャリティーはコントロールされるべきものと考えられたが、それは女性のセクシャリティーをコントロールすることを意味した。つまり、男性がいくら悦楽の道へ堕落しようとも、その責任は女性にあり、男性はあらゆる責任を免れるのである。このように快楽主義的思考と禁欲主義的思考は太古の昔からインドに存在していた。おそらく多様性を寛容するインド社会の特徴から、両者は緊張感を保ちながら存続して来たのであろう。インドを植民地支配した英国人自体にも、これら2つの思考が併存していた。特にプロテスタント宣教師は禁欲主義を支持し、元々インドに存在した禁欲主義の発展を促した。パブを巡る論争は明らかに現代的なものだが、その論争の本質である女性に対する相反する考え方を巡る議論は、しごく古典的なものである。以上がドニガー教授の社説の大まかな要旨である。
ここまで考えると、何が「インディア」で何が「バーラト」なのか分からなくなるし、「インドらしさ」の意味を考えることも馬鹿馬鹿しくなる。「インディア」と「バーラト」の論争も今に始まったものではなかったのかもしれない。だが、今年のヴァレンタイン紛争でひとつだけ言えることは、インドもネット社会の影響力がかなり強くなったということだ。ネットがなければマンガロールのパブ襲撃事件が全国ニュースになることもおそらくなかっただろうし、「ピンクのパンティー運動」や「ピンクのコンドーム運動」のようなユニークな運動が盛り上がることもなかっただろう。インターネットは一見すると新しいインド「インディア」に属する要素のように思われるが、ツールとしての利用は「インディア」も「バーラト」も行っている。外来の新技術や新思想が社会に本質的な変革をもたらさず、むしろ既存の枠組みを強化する方向に機能することは、インドの歴史上繰り返されて来たことで、インターネットもそのような存在になっていると言える。
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2月15日(日) サンスクリティ・ケーンドラ |
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メヘラウリー・グルガーオン・ロード上のアーナンド・グラームというファームハウス村に、サンスクリティ・ケーンドラという博物館がある(EICHER「Delhi City Map」P155 D5)。インドの伝統工芸品をテーマにした博物館は、デリーではプラガティ・マイダーンに隣接した手工芸品博物館(Craft
Museum)が有名で、一見の価値があるのだが、ここもまた違った魅力のある博物館である。基本的にはファームハウスを改造した作りとなっている。オーナーのOPジャインはアンティーク収集家で、収集品の展示をするために1993年にこのNPOを立ち上げた。7エーカーの敷地にはインドの伝統的技術を現代的に活用して建設された家屋が広い庭の中に点在しているが、これらはベンガル人建築家ウパル・ゴーシュの設計によるものである。ウパル・ゴーシュは「シャーンティニケータンをデリーに」を合い言葉にこれらの建築物やレイアウトを設計したと言う。確かに自然と一体化した心地のいい空間となっている。
サンスクリティ博物館の管理室
敷地内には、異なったテーマに基づいた3つの小さな博物館が並んでいる。ひとつはテラコッタ博物館、ひとつはテキスタイル博物館、ひとつは日用品博物館である。
テラコッタ博物館の入り口
インド各地のテラコッタやテキスタイルの特徴が、実物の展示と共に英語で分かりやすく説明してあり、勉強になった。テラコッタは農村から職人を招いて作品を作らせているようで、質の高い展示品揃いであった。
テラコッタ像
インドラ神とヒンドゥー教の神々
タミル・ナードゥ州の魔除け人形
テラコッタ博物館のオリッサ州のコーナーに、ヒンドゥー教の家庭で聖なる樹として信仰されるトゥルスィーにまつわる興味深い神話が解説されていた。これはオリッサ州のサンバルプルに伝わる伝承のようだが、かつてジャーランダルという名の悪魔は、妻のヴリンダーが貞操を守る限り、絶対に死なないという恩恵を受けていた。驕り高ぶったジャーランダルは神々に挑戦し、ヴィシュヌを捕まえた上に、シヴァの妻パールワティーを強姦した。そこでヴィシュヌはジャーランダルから不死の恩恵を取り去るため、ジャーランダルに変身してヴリンダーに近付き、彼女と交わった。ジャーランダルの不死身の身体の根源は妻の貞操にあったため、この行為によって彼の恩恵は失われ、反撃して来た神々にあっけなく退治されてしまった。だが、ヴィシュヌはヴリンダーを憐れに思い、彼女に特別な恩恵を与えた。ヴリンダーは、トゥルスィーとして神格化され、各家庭に植えられ毎朝どの神様よりも先に信仰されるという特別なステータスを与えられたのである。トゥルスィーは薬草であるため、各家庭に植えられているのは本来医学的な理由からだと思うが、神話上では女性の貞操と結び付けられて考えられているようだ。もちろん、この神話がインド全土で共通しているということはないだろうが、ひとつの例として興味深い。
トゥルスィー 陶工の起源についても面白い神話が伝わっているようだ。シヴァとパールワティーの結婚式が行われることになったとき、儀式のために急遽陶製の壺が必要となった。そこで1人の陶工が、必要な道具を神々から借りるという条件付きで、その仕事を請け負う。彼はヴィシュヌから円盤を、シヴァから乳棒と腰布などを借りてロクロを作り、壺を作った。そのおかげで無事にシヴァとパールワティーの結婚式は行われた。ブラフマーは陶工の功績を讃え、彼に「プラジャーパティ(創造主)」の称号を与えた。よって、今でもデリーの陶工はプラジャーパティの名字を名乗っている。こんな神話である。各カースト・コミュニティーが、自分たちのステータスを上げるために、華々しい起源神話を作り出すことがよくあるのだが、これもそのひとつであろう。
ところで、インドにおいてもっとも優れたテキスタイルのコレクションを有している博物館は、グジャラート州アハマダーバードの更紗博物館(Calico
Museum of Textile)であろう。だが、ここの博物館も豊富なコレクションが整頓されて展示されており、分かりやすかった。特にジャイナ教の聖地シャトルンジャヤ寺院の地図を刺繍によって描いた大布が圧巻であった。
テキスタイル博物館
コレクションの量から見たら、日用品博物館がもっとも充実している。筆記用具、調理器具、礼拝用具、化粧道具、嗜好品用具、玩具など、あらゆる種類の膨大な日用品が展示されていた。中には珍品もあった。例えば虎の形をした化粧道具入れやターバン・ボックスなどはユニークであった。
日用品博物館
サンスクリティ博物館は、博物館と言うより公園のような雰囲気で、2月の心地よい日差しの中、散策するのに絶好の場所であった。グルガーオンとの州境の間近、デリーの最南端に位置するため、交通の便は良くないが、デリー・メトロの駅が近くに建設中で、もしメトロが開通したらけっこう行きやすくなるだろう。入場料は無料、午前10時半~午後5時まで開いており、月曜日が休館日。僕が行ったときには僕の他に誰も客はいなかった。
数年前からデリー市民を恐怖のどん底に陥れているのが、デリー市局(MCD)によるシーリングとデモリッションである。シーリングとは違法建築を封鎖してしまうことで、デモリッションは違法建築を破壊してしまうことだ。デリーの都市計画は20年ごとに策定されるデリー・マスター・プランに従って行われている。デリー・マスター・プランには、どの地域にどんな種類の建物を建てていいのか、どんな活動をしていいのかが細かく規定されている。だが、計画通りに物事が進まないのはインドの常で、いつの間にかデリーのあちこちに違法建築が乱立することになった。例えば、住宅エリアに店舗を出したり、教育エリアにオフィスを建てたりすることは違法なのだが、賄賂、詐欺、権力乱用、いい加減な法執行などのコンビネーションで建ってしまうのである。しかし、実際のところは、どれが違法建築になるのか誰も知らなかったと言った方が真実に近い。そういうなあなあな状態でしばらく来ていたのだが、裁判所の介入もあって、ある日突然法律が厳密に適用されるようになり、シーリングとデモリッションが始まった。日本企業でも、てっきり法律的に何の問題もない場所にオフィスを構えていると思っていたら、実は違法で、あっけなくシーリングとデモリッションの被害に遭ってしまったところがいくつもある。現在シーリングとデモリッションは下院総選挙が近付いていることもあってひとまず落ち着いているが、選挙終了後にまた大規模な形で再開されると思われる。
そのMCDによるシーリング/デモリッションの被害に実際に遭い、それを映画化しようと思い立った人物がいた。広告代理店プロモドームのサンディープ・カプール社長で、彼がプロデュースした映画の名前が「Jugaad」である。映画の主人公の名前はサンディープ・カプールそのままだが、それを演じる俳優はマノージ・バージペーイー。監督は「Delhii
Heights」(2007年)のアーナンド・クマール監督。興行成績も批評家の評価も最悪だが、デリーを舞台とし、シーリング/デモリッションをテーマにした映画ということで、個人的にとても興味を引かれたため、映画館に見に行くことにした。
題名:Jugaad
読み:ジュガール
意味:工面
邦題:ジュガール
監督:アーナンド・クマール
制作:サンディープ・カプール
音楽:サチン・グプター、クリシュナ
歌詞:サミール、サーヒル
振付:ポニー・ヴァルマー、ジャエーシュ・プラダーン
衣装:ハリパール・ナカイ
出演:マノージ・バージペーイー、リシター・バット、ヴィジャイ・ラーズ、サンジャイ・ミシュラー、ゴービンド・ナームデーオ、ニティン・アローラー
備考:PVRアヌパムで鑑賞。
左から、マノージ・バージペーイー、ヴィジャイ・ラ、
サンジャイ・ミシュラー、リシター・バット
あらすじ |
サンディープ・カプール(マノージ・バージペーイー)の経営する広告代理店プロモドームは、会社立ち上げ時からの社員であり、親友でもあるムラーリー(ヴィジャイ・ラーズ)やロニー(ニティン・アローラー)の助けもあり、今や年商5億ルピーの企業の成長していた。2010年にデリーで開催予定の英連邦スポーツ大会のプロジェクトも落札が内定し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いであった。サンディープの妻プリヤー(リシター・バット)も彼のよき理解者であった。
ところがある日突然シェーク・サラーイにあったプロモドームのオフィスがシーリングされてしまう。サンディープは、どこからともなく現れた謎の人物バクシー・ジュガールー(サンジャイ・ミシュラー)に新オフィスの手配を頼む。バクシーはデリー南郊サイニク・ファームのファームハウスを紹介し、たっぷりマージンを手に入れる。だが、その家は水も電気も来ていなかった。再びバクシーの登場となったが、水と電気を通すためにさらに彼にコミッションを支払わなくてはならなかった。
オフィスがシーリングに遭ったことで、常連顧客は次々に離れて行き、会社を辞める社員たちも現れ始めた。一方、ムラーリーとロニーは警察署へ赴き、グプター警視総監(ゴービンド・ナームデーオ)を買収し、シーリングを解除させようとする。だが、グプター警視総監はムラーリーとロニーが彼を恐喝していると考え、交渉は決裂に終わる。サンディープもグプター警視総監に会いに行くが、彼は怒り、プロモドームのオフィスをデモリッションすると宣言する。
しかし、グプター警視総監からシーリング関連のファイルを受け取ったサンディープは、住所間違いで彼の会社のオフィスがシーリングされてしまったことを突き止める。サンディープは社員たちと共に人間の盾を作ってデモリッションを阻止しようと務め、一方で弁護士は裁判所からシーリング停止命令を受け取る。グプター警視総監は現場でデモリッションの指揮をしていたが、裁判所からの命令を見せられ、自分の失態を悟る。
こうしてサンディープはオフィスを取り戻すことに成功した。 |
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低予算映画かつ脚本は稚拙であったが、実際の体験に基づいて作られた映画なだけあって、劇中に出て来る出来事はどれも真実味があり、シーリングやデモリッションに直面したときの苦労がよく表現されていた。ある日突然のシーリング、ファームハウスに臨時オフィス設立、デモリッション阻止のための座り込みなど、僕も身近で見聞きしたことばかりであった。
劇中には、題名以下「ジュガール」という言葉が何度も登場する。この言葉については以前詳しく解説したことがある(参照)。「インドを一言で表すなら?」と問い掛けられたら、僕は迷わず「ジュガール」と答えるだろう。日本語に訳すと「工面」みたいな意味であるが、英語の「manage」の方がより近い。とにかく手近なところで利用できるものは何でも利用して目の前の問題に対処したり、あり合わせのものを組み合わせて、その場しのぎのための何かを作り出すことで、インドの文化の多くは「ジュガール」で成り立っていると言っても過言ではないだろう。また、最近は、日本語の「頑張る」に対応するヒンディー語が「ジュガール」なのかもしれないと思っている。日本語を習うインド人は、日本人が何に付けても「頑張る」と言うのを発見してどうも不思議に思うらしい。確かに、日本のアニメやドラマを見ていると、「頑張って」「頑張ります」「頑張ろう」という言葉が何度も出て来る。そして、頑張ることで何かが成し遂げられるようなストーリーがとても多い。日本語の「頑張る」は言い換えれば「努力する」ということだが、その努力の中には精神的な要素が大半のように感じられる。しかも、そこには恒常性も強く感じられる。ただ努力すだけではなく、努力し続けることが日本の美徳である。だが、ヒンディー語の「ジュガール」は「頑張る」よりもより刹那的で物質的な努力である。とりあえず動けばいい、とりあえず着れればいい、とりあえず凌げればいい、そんな気持ちと共に、あちこちからスクラップをかき集めて来て組み立てるような行為のイメージを「ジュガール」と言う。インドの製造業が弱いのも、いつまで経っても「ジュガール」的意識が消えないからなのではないかと思う。一方、インドが得意とするソフトウェア開発などのIT産業は、「ジュガール」でも何とかなる産業である。
映画「Jugaad」では、「ジュガール」を生業とする何でも屋バクシー・ジュガールーや、頭の固い社長と違って融通の利くムラーリーの「ジュガール」などを使って、シーリングによって直面した会社の危機を解決するまでが描かれている。
マノージ・バージペーイーやヴィジャイ・ラーズは、ボリウッドでも異質と言えるぐらい個性的な俳優たちで、「Jugaad」は、彼らが各々の個性を存分に発揮できる映画になっていた。一応リシター・バットがヒロイン扱いの役で出演していたが、おそらく映画に花を添えるだけの目的で起用されたのだろう。彼女がストーリー上重要な役割を果たすシーンはほとんどなかった。リシター・バットは「Asoka」(2001年)の頃はもっと将来を期待されていたと記憶しているのだが、ヒット作やいい役に恵まれず、今では脇役女優にも満たない三流女優と化してしまっていて本当に可哀想だ。この低予算映画の中で名ばかりのヒロイン役を手に入れるのがやっとということである。他に、バクシー・ジュガールーを演じていたサンジャイ・ミシュラーが怪しさ満点でとても良かった。
ボリウッド映画としての体裁を整えるために挿入歌がいくつか入っていたが、映画の完成度を高める役割は果たせていなかった。
シェーク・サラーイ、ネルー・プレイス、サイニク・ファームなど、デリーの実在の地名がいくつか出て来ており、デリー在住の人は楽しめるだろう。ロケも当然デリーで行われている。ちなみに「Jugaad」は、「Chandni
Chowk to China」、「Dev. D」に続き、今年公開されたデリー関連映画の第3作目だと言える。
「Jugaad」は、デリーを騒がせたシーリングやデモリッションをテーマとしており、当時のデリーの混乱を経験した人は面白く見ることができるだろう。だが、それ以外の人の目には単なる下らない低予算映画としか映らないことは必至で、無理に勧めることは出来ない。
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2月17日(火) ルティヤンスとコルビジェの狭間に |
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デリーに残る、ある程度の歴史を持った近現代建築は、新古典主義とモダニズムの2つに大別できる。これら2つの様式の建築物が、独立インドの首都デリーの景観を支配して来たと言っていい。そしてその各様式を、もっとも影響力のあった人物の名に置き換えるとしたら、それは英国人建築家エドワード・ルティヤンス(ラチェンズとも書かれる)と、フランス系スイス人建築家ル・コルビジェである。
ルティヤンスは、1911年にデリー遷都が宣言された後、デリー計画委員会の主幹建築家となり、ハーバート・ベイカーと共にニューデリーの設計と建設に従事した。ルティヤンスは、インドの伝統的な建築様式を見下してしていた一方で、カルカッタのヴィクトリア記念堂やボンベイのヴィクトリア駅(現在のチャトラパティ・シヴァージー駅)で適用された、無批判な印洋折衷の建築様式にも反対の立場だった。ルティヤンスは、インドの伝統建築の表層ではなく、本質を新古典主義に溶け込ませることで、大英インド帝国の首都にふさわしい、帝国主義的威圧感とシックな佇まいを同居させた見事な建築を生み出すことに成功した。それは「デリー様式」とも呼ばれる。総督官邸(現在の大統領官邸)やインド門は、ルティヤンスが編み出したデリー様式建築の真髄である。しかし、当時のヨーロッパではモダニズム建築が大流行しており、ニューデリー完成時にはルティヤンスの新古典主義は時代遅れのものとなりつつあった。モダニズム建築運動の先頭に立っていたのが、ル・コルビジェだった。
コルビジェは、パンジャーブ州とハリヤーナー州の州都チャンディーガルの設計に携わった世界的なモダニズム建築家である。チャンディーガルへは以前ツーリングで行ったことがあり、そのとき詳しく解説した(参照)。チャンディーガル建設計画は、若いインド人建築家の絶好の訓練場ともなり、コルビジェの提唱するモダニズム建築の影響を受けた建築家たちが、国内各地へ巣立って行くこととなった。デリーには、コルビジェ自身が設計した建築物は存在しないが、コルビジェの弟子とも言える建築家たちによる、コルビジェ様式の建築がいくつか残っている。インド工科大学(IIT)デリー校、アクバル・バヴァン、シュリー・ラーム・センター、長距離バス・ターミナスなどは、デリーのコルビジェ様式建築の代表例である。ジャワーハルラール・ネルー初代首相は、ルティヤンスの帝国主義的建築を嫌っていたと言われる。ネルーが生前住んでいた邸宅は完全なるコロニアル建築なので、それがどこまで真実なのか分からないが、コルビジェがインドに持ち込んだモダニズム建築こそが、明るい未来へ向かって歩み始めた新国家インドにふさわしい様式だと考えられた。少なくとも1964年のネルーの死のしばらく後まで、デリーでは盛んにモダニズム様式の建築物が建設された。
デリーの近現代建築史を駆け足で見て行くと、独立前までは新古典主義建築が主流で、独立後はモダニズム建築の時代を迎えるということになるのだが、実はこの間に例外的かつ実験的な様式の建築もいくつかデリーに建てられており、無視できない。建築史裏舞台の主人公は、ルティヤンスのアシスタントとしてデリーに赴任した2人の英国人建築家である。
最初に取り上げるのは、ロシア生まれの英国人建築家アーサー・ゴードン・シュースミス(1888-1974年)の建築である。シュースミスは1920年にデリーに赴任し、主に英国に住んでいたルティヤンスの代理として、ニューデリー建設の現場監督の役割を果たした。1928年にデリー西部のカントンメント地区に建設する教会の設計を任せられたシュースミスは、デリー様式とは全く違った様式の教会を建設した。それがセント・マーティン教会、通称ガリソン教会である(EICHER「Delhi
City Map」P93 D4)。1929年に礎石が置かれ、1931年に完成した。
セント・マーティン教会
全長約50m、塔の高さは約40m。赤レンガ造りの無骨な教会で、まるで城塞のような戦闘的外観をしている。立方体を貴重とした直線的デザインは、青空を大胆に切り取っており、威容でありかつ異様である。訪れたときはちょうど日曜日のミサ中で、中を撮影することはできなかったが、窓が少なめの外観から想像される内部とは違い、採光も十分考慮されていた。シュースミスのオリジナリティーを十分に感じさせられる建築物だ。
しかし、シュースミスが設計したもうひとつ建築物は、セント・マーティン教会とはガラリと変わり、インドの伝統建築のモチーフを多用したコロニアル建築となっている。それは、パハール・ガンジの近くに残るレディー・ハーディング・サラーイである。旅行者用の宿舎だったようだ。EICHER「Delhi
City Map」には掲載されていないが、P80 F1の、スリランカ仏教徒巡礼者ゲストハウス(Srilanka Budhist Pilgrims
GH)の隣にある。現在では官庁オフィスとなっている。長らくまともに整備されていないようで、廃墟のような外観となってしまっているが、有名な安宿街のすぐそばにこのようなユニークな建築物を発見したことは新鮮な驚きであった。
レディー・ハーディング・サラーイの入り口
もう1人の建築家は、ウォルター・サイクス・ジョージ(1881-1962年)である。やはりルティヤンスの助手としてデリーに来てニューデリー建設に携わった。ニューデリーは1929年に完成し、1931年に開都式が行われ、シュースミスを含むほとんどの英国人建築家たちはインドを去って行ったが、その後も個人事務所を開設してそのままデリーに滞在し続け、デリーの多くの建築に関わったのがジョージであった。ジョージの代表作とされるのが、デリー大学の中のエリート校として知られるセント・ステファン・カレッジの校舎である(EICHER「Delhi
City Map」P38 H3)。
セント・ステファン・カレッジ
セント・ステファン・カレッジは1881年開校の由緒ある大学だが、開校当初はキャンパスを持たず、オールドデリー内を点々としていた。現在の校舎に移ったのは1941年のことである。
セント・ステファン・カレッジは、シュースミスのセント・マーティン教会と同じく赤レンガを主な建材として利用しているが、新古典主義とモダニズムの橋渡し的役割を果たす建築となっている。水平方向への広がりを基調とした平面プランや、インド建築の特徴であるチャトリー(東屋)など、ルティヤンスが設計した大統領官邸と共通する特徴も備えているが、玄関のシンプルなデザインはモダニズムの到来を十分予期させるものとなっている。また、レイアウト自体は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のスタイルを真似たオックスブリッジ様式となっている。
マンディル・マールグのセント・トーマス教会(EICHER「Delhi City Map」P 79 C1)もジョージの設計によるものである。1931年に完成した赤レンガ造りのこの小さな教会は、キリスト教に改宗した掃除人カーストのために建てられたと言われている。掃除人カーストはバンギー、チュフラー、メヘタルなどと呼ばれていたが、現在ではヴァールミーキまたはバールミーキと呼ばれている。なぜなら「ラーマーヤナ」の著者ヴァールミーキは、定説のブラーフマンではなく、彼らのカーストの出身だと言うのが彼らの主張だからだ。近くにはヴァールミーキ寺院もあり、この地域には昔からヴァールミーキ・カーストが住んでいたと考えられる。塔が中央ではなく片側に偏っており、かなり大胆なレイアウトとなっている。時代を反映してか、玄関などにウルドゥー文字で「神を恐れよ、神に仕えよ」「隣人を自分と同じく愛せ」などと書かれていたのが印象的であった。
セント・トーマス教会
しかし、おそらくジョージの最高傑作はスジャーン・スィン・パークであろう。カーン・マーケットやアンバサダー・ホテルを挟んで南北に位置するこのアパートは、同じく赤レンガ造りの美しい建築物で、英国で流行したアールデコ様式となっている。1945年に完成した。スジャーン・スィン・パークは絶好の立地にあり、デリーの中でも段違いにハイソな住宅地だ。スジャーン・スィンとは、息子のソーバー・スィンと共に、地元の下請けとして英国人のニューデリー建設を助けた建築業者で、有名な作家クシュワント・スィンの祖父に当たる人物である。クシュワント・スィン自身もこのスジャーン・スィン・パーク在住だ。
スジャーン・スィン・パーク
他に、コンノート・プレイスのリーガル・シネマやスィンディヤー・ハウスなどもジョージの設計である。ジョージは1962年にデリーで没しており、正にデリーに骨を埋めた外国人となった。
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2月18日(水) The Stoneman Murders |
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現在公開中のヒンディー語映画「The Stoneman Murders」は、1983年にボンベイ(現ムンバイー)で起きた連続殺人事件をテーマにした映画である。ニヒルな演技に定評のあるケー・ケー・メーナンが主演だったために見に行った。
題名:The Stoneman Murders
読み:ザ・ストーンマン・マーダーズ
意味:石男連続殺人事件
邦題:ストーンマン
監督:マニーシュ・グプター
制作:ボビー・ベーディー、シータル・ヴィノード・タルワール
音楽:スィッダールト・スハース
歌詞:クマール、マニーシュ・グプター
振付:レモ
衣装:ダルシャン・ジャラーン
出演:ケー・ケー・メーナン、アルバーズ・カーン、ヴィクラム・ゴークレー、ルクサール
備考:PVRナーラーイナーで鑑賞。
ケー・ケー・メーナン(左)とアルバーズ・カーン(右)
あらすじ |
サンジャイ・シェーラル(ケー・ケー・メーナン)はボンベイの警察だったが、拷問中に容疑者を殴り殺してしまい、停職処分となってしまった。しかし、サータム副本部長(ヴィクラム・ゴークレー)から一度だけチャンスをもらった。現在世間を騒がせている路上生活者連続殺人事件を、ケーダール・パドケー(アルバーズ・カーン)率いる正規の捜査チームよりも早く解決したら、復職を推薦するというものだった。だが、警察からは一切の援助がなかった。サンジャイは単身事件の捜査に乗り出す。その連続殺人事件は、石で路上生活者を撲殺するというもので、いつしか犯人はパッタルマール(石殴り)というニックネームを与えられていた。
サンジャイは、元部下のクンブレーの借りつつ捜査を進めるが、彼が接触を試みた路上生活者が次々に殺されて行く。殺人は火曜日と土曜日に必ず起こることに気付いたが、次第に容疑者としてサンジャイ自身が疑われるようになる。また、妻のマナーリー(ルクサール)からは、毎晩家を空けているため、浮気を疑われていた。一度サンジャイは現行犯で犯人を捕まえそうになるが、ケーダールの邪魔を受けて取り逃がしてしまう。殺人の現場にいたことから、サンジャイは指名手配される。
サンジャイはサータン副本部長を信頼しており、逐一情報を伝えていたが、サータン副本部長すらもサンジャイを逮捕しようと計画していることを知ってしまう。サンジャイは今回の事件を迷信から来るものだと考え、図書館で部族の儀式を調べた。遂に彼は事件の真相を知る。それは、火曜日と土曜日に1人ずつ合計9人の生け贄を捧げることで、EDが直ると言うものだった。今まで8人の犠牲者が出ており、最後の犠牲者が出るはずだった。その日はちょうど火曜日で、犯人を捕まえるためには最後のチャンスであった。しかも、サンジャイは犯人が警察の中にいることまで突き止める。
指名手配中のサンジャイは、信頼を置いていた部下のクンブレーを呼び寄せ、今までの捜査の記録を託し、サータン副本部長に渡すように頼む。また、サンジャイは、警察の中の部族出身の人物が犯人だと目星を付けていることをクンブレーに話す。だが、実はそのクンブレーこそが連続殺人犯であった。サンジャイが真相を知ってしまったことに気付いたクンブレーは、不意にサンジャイを石で殴る。サンジャイも反撃するが、そこに駆けつけたケーダールに撃たれてしまう。
しかし一命を取り留めたサンジャイは病院へ搬送された。夜、クンブレーはサンジャイにトドメを刺そうと病院へやって来る。だが、ケーダールらが待ち伏せしており、クンブレーを取り押さえる。こうして連続殺人犯は逮捕された訳だが、サータン副本部長は警察の中から犯人が出たことが世間に知れ渡ってはいけないと、サンジャイにクンブレーの抹殺を命じる。サンジャイは人里離れた森の中でクンブレーを殺し、地中に埋める。 |
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先にも述べた通り、この映画は1983年にボンベイで実際に起こった連続殺人事件を題材としている。また、どうも1987年にカルカッタ(現コールカーター)で似たような連続殺人事件が起こったようで、それとの関連にも踏み込んでいる。監督は映画を通し、連続殺人の動機は、部族出身の人物による呪術的儀式であり、それが未解決のままなのは、警察が保身のために隠蔽したのが原因だったと提示していたが、もちろんこれは空想に過ぎず、これをそのまま事件の真相だと受け止めてはならないだろう。
「The Stoneman Murders」は、ヒッチコックが得意としたいわゆる巻き込まれ型サスペンスの一種だと言える。それに、部族の呪術に関連したおどろおどろしいホラーの要素も加わっており、全体としてある程度緊張感は保たれている。しかし、終盤の種明かしまでの持って行き方が、伏線が足りないためか唐突な印象を受けた。細かい部分で整合性の低い部分もあった。よって、最上のサスペンスとは言えないし、ホラー映画としても失格である。
しかし、ケー・ケー・メーナンは持ち前の演技力を発揮する場を存分に与えられており、彼の表情の使い方のうまさを感じさせられるシーンがいくつもあった。彼のために作られた映画だと言っていい。他に、ヴィクラム・ゴークレーの演技も良かった。
ボリウッド映画の悪い癖なのだが、緊張感の維持がもっとも重要な映画の中にも無理にダンスシーンを挿入しようとすることがあり、この「The Stoneman
Murders」もその呪縛から逃れられていなかった。もちろん、才能ある監督なら本筋を邪魔しない方法で挿入歌などを入れ込むことができるのだが、マニーシュ・グプター監督からはそういう技術を感じなかった。結果、映画の完成度は落ちていた。
「The Stoneman Murders」は、巻き込まれ型サスペンス映画の一種であるが、主演ケー・ケー・メーナンの演技以外は特筆すべき点に欠ける映画であった。無理に見る必要はないだろう。
ボリウッドでは近年、急にデリーを舞台にした映画がいくつも作られるようになった。以前からデリーで部分的にロケが行われた映画はあったのだが、デリーを単なるインドの首都としてではなく、生きた街として心からの愛情と共に描いた映画が出て来たのである。この運動の推進役となっているのはやはりデリーに生まれたりデリーに住んだことのある映画人たちである。そういう映画からは、ムンバイヤーの外部からの視線ではなく、内部からの飾らない視線を感じる。デリーに住み、デリーを愛する者として、この傾向はとても嬉しい。僕は前々から、ヒンディー語映画の中心地はヒンディー語圏になければならないと考えており、この動きがもし流行を超越することがあれば、ヒンディー語映画にとってプラスになるのではないかと期待している。もちろん、そういうことが起こる可能性はとても低いし、ヒンディー語映画の中心地がヒンディー語圏外のムンバイーにあるからこそ、ボリウッドはユニバーサルなアピール力を持てていることも認めなければならない。だが、中心地とは言わなくても少なくともひとつの映画制作の拠点がデリーを初めとした北インドの都市にできてくれればと思う。
今のところ、好んでデリーを舞台とし、デリーの何でもない風景やデリー市民の日常生活をうまく切り取って映画にしているのは、「Khosla Ka
Ghosla!」(2006年)や「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)のディバーカル・バナルジー監督である。だが、「Rang
De Basanti」(2006年)のラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督も負けていない。同作品でもデリーの各所でロケが行われていたが、新作の「Delhi-6」では、オールドデリーが主人公とも言える作品となっている。また、同作品は、デリー出身のメヘラー監督自身の自伝的映画とも言われている。ちなみに、題名の中の「Delhi-6」とは、オールドデリーの住所と郵便番号である。オールドデリーは住所上は単に「Delhi」と書かれる。他の地域はニューデリー(New
Delhi)である。オールドデリーの郵便番号は正確には「110006」であるが、前半の「110」はデリー全体を示す番号であり、デリー内ではそれらを省略することがあるため、単に「6」になってしまうという訳である。オールドデリーの人々は、プライドと共に自分の街を「デリー6」と呼ぶ。
通常、ヒンディー語映画のプレミア上映はインド国内ではムンバイーで行われる。だが、「Delhi-6」はデリーを舞台とした映画であるため、例外的にデリーでプレミア上映が行われることになった。場所はバサント・ロークのPVRプリヤー。僕の住むジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の目と鼻の先である。ミーハーみたいで恥ずかしいのだが、デリーでは滅多にないことなので、プレミア上映の様子を見に、一般公開の1日前の2月19日にPVRプリヤーへ行ってみた。
当然、プレミア上映には関係者しか招待されておらず、一般人は入ることができない。だが、映画館の外で映画館へ入るスターたちを見ることはできる。何時に始まるか分からず、午後6時頃にとりあえず行ってみた。午後8時から始まるとのことでしばらく待っていたのだが、案の定遅れに遅れ、午後9時半になってやっとスターたちが到着した。来ていたのは、「Delhi-6」出演のキャストやクルーに加え、バッチャン・ファミリーとカプール・ファミリーであった。つまり、アミターブ・バッチャン、アビシェーク・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、アニル・カプール、ソーナム・カプール、ワヒーダー・レヘマーン、プレーム・チョープラー、アトゥル・クルカルニーなどなどである。ただ、デリーの人々は概してこういうイベントに慣れておらず、集まった群衆は過度の熱狂に陥っており、まともにスターたちを見ることはできなかった。
「Delhi-6」プレミア上映に沸くPVRプリヤー
バッチャン一家などを目撃
映画本編の方は翌日の一般公開のファースト・デー・ファースト・ショーを、プレミア上映の行われたPVRプリヤーにて、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンの残り香を探しながら見た。
題名:Delhi-6
読み:デリー・シックス
意味:デリー〒110006
邦題:デリー6
監督:ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー
制作:ロニー・スクリューワーラー、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー
音楽:ARレヘマーン
歌詞:プラスーン・ジョーシー
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント、サロージ・カーン
衣装:アルジュン・バスィーン、アナーミカー・カンナー
出演:ワヒーダー・レヘマーン、アビシェーク・バッチャン、ソーナム・カプール、オーム・プリー、リシ・カプール、プレーム・チョープラー、パワン・マロートラー、アトゥル・クルカルニー、スプリヤー・パータク、ターンヴィー・アーズミー、ディヴィヤー・ダッター、ヴィジャイ・ラーズ、ディーパク・ドーブリヤール、KKリーナー、アキレーンドラ・ミシュラー、シーバー・チャッダー、サイラス・シャーフーカル、アディティー・ラーオ、インドラジート・サルカール、ダヤーシャンカル・パーンデーイ、ラジャト・ドーラキヤー、カーリド・ムハンマド、ギーター・アガルワール、ラージーヴ・マートゥル、ギーター・ブシュト、ヴィナーヤク、ハサン、アミターブ・バッチャン(特別出演)、ジャーヴェード・アクタル(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞、ほぼ満席。
中段左からソーナム・カプール、アビシェーク・バッチャン
あらすじ |
ヒンドゥー教徒の父とイスラーム教徒の母の間に生まれ、ニューヨークで生まれ育ったローシャン(アビシェーク・バッチャン)は、デリーで死にたいと希望する死期の迫った祖母(ワヒーダー・レヘマーン)と共にデリーへやって来た。祖母の家はオールドデリーにあった。近所には、道楽者のアリー(リシ・カプール)、頑固親父のマダン・ゴーパール(オーム・プリー)、高利貸しのラーラー・バイラーム(プレーム・チョープラー)、お調子者カメラマンのスレーシュ(サイラス・シャーフーカル)、臆病な小間使いのゴーバル(アトゥル・クルカルニー)、頭の狂ったパーガル・ファキール(ラジャト・ドーラキヤー)、低カースト掃除人のジャレービー(ディヴィヤー・ダッター)など、様々な人々が住んでいたが、皆、祖母とローシャンを大歓迎する。
また、祖母の家の隣に住むマダン・ゴーパールの娘のビットゥー(ソーナム・カプール)は、タレント発掘番組インディアン・アイドルに出場して、一躍有名人になることを夢見ていた。だが、父親は彼女を結婚させようとし、お見合いに次ぐお見合いをさせていた。スレーシュはビットゥーをムンバイーに連れて行くと約束しており、彼女もその言葉を信じていた。ローシャンは次第にビットゥーに惚れるようになり、ビットゥーもローシャンのことが気になり出す。だが、2人の仲はそれ以上進展しなかった。
その頃、デリーの人々はカーラー・バンダル(黒い猿)の恐怖に怯えていた。カーラー・バンダルが夜な夜な人々を襲っており、メディアは面白がってそのニュースを大袈裟に伝えていた。警察は、カーラー・バンダルを捕獲した者に5万ルピーの報奨金を与えることを発表していた。ローシャンの住む地域にも遂にカーラー・バンダルが現れたことから、人々は怪しげな聖者バーバー・バンダルマール(アキレーンドラ・ミシュラー)を呼んで儀式を行わせた。バーバー・バンダルマールがモスクの場所を指し、そこに昔寺院があったと言ったことから、地域のヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に亀裂が走った。やがてそれはコミュナル暴動にまで発展してしまった。また、カーラー・バンダルを殺す儀式のためには、カーラー・バンダルの毛が必要だと言ったことから、ゴーバルがその役を任されることになった。
ローシャンは、地域のコミュナル暴動に嫌気が指し、ニューヨークへ帰ろうとしていたが、祖母のためにデリーに留まり続けていた。だが、祖母が宗教対立に心を痛め、ニューヨークへ帰ると言ったときには、なぜか彼はデリーに留まりたいと思っていた。そのひとつの理由はビットゥーであった。だが、それ以外にも彼をデリーに留まらせる何らかの理由があった。
ローシャンがデリーに来たのはちょうどダシャヘラー祭の時期、つまりナヴラートリ(九夜祭)で、オールドデリーでは伝統のラームリーラー(野外劇)が行われていた。マダン・ゴーパールは、娘が結婚を拒否し、インディアン・アイドルに出たいと言い出したために、ビットゥーの結婚を急ぐことにし、ダシャヘラー祭の約20日後のディーワーリー祭に挙式することにする。だが、ダシャヘラー祭直前にビットゥーは家出し、スレーシュと共にムンバイーへ逃げることを決める。一方、ローシャンはその日にビットゥーに愛の告白をすることを決める。
ビットゥーは夜中にこっそりと家を抜け出る。ローシャンはオールドデリーの住宅の屋根を伝って彼女を追いかける。だが、そのとき地域のヒンドゥー教徒が信仰する聖樹がイスラーム教徒によって放火され、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で大規模な紛争が起ころうとしていた。ランヴィジャイ警部補(ヴィジャイ・ラーズ)は止めようとするが、抑えられそうになかった。と、そのとき屋根から屋根へ飛び移るローシャンの姿が目撃される。人々はそれをカーラー・バンダルだと考え、暴動そっちのけでカーラー・バンダルを追いかける。
家出したビットゥーはスレーシュと落ち合う。だが、そこへカーラー・バンダルの着ぐるみをしたローシャンが現れる。スレーシュは驚いて逃げ出す。ローシャンは正体を明かし、彼女に告白する。ところがローシャンはゴーバルに捕まってしまう。人々はカーラー・バンダルに暴行を加える。さらに、ローシャンは銃で撃たれてしまう。ローシャンは天国で祖父(アミターブ・バッチャン)と出会うが、祖父は、駆け落ちしたローシャンの父母を許すことができなかったと悔いを述べ、ローシャンに別れを告げて去って行く。ローシャンは息を吹き返し、病院へ搬送された。 |
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途中まで何が中心的なテーマなのか分からなかったが、インターミッション後からストーリーはヒンドゥー教とイスラーム教の間のコミュナルな対立に収束して行き、最後は、主人公ローシャンの活躍もあり、両コミュニティー間の融和という形で幕を閉じる。コミュナル問題は、インドが直面する大きな問題のひとつで、ヒンディー語映画界でも昔からヒンドゥー・ムスリムの宗教対立または融和をテーマにした映画が作られ続けて来た。よって、テーマは目新しいものではなく、そういう意味ではがっかりした。前作「Rang
De Basanti」は大衆運動を巻き起こしたほど影響力のある映画であり、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督にはもう少し違ったテーマの映画を期待していたからである。よって、「Delhi-6」に「Rang
De Basanti」以上の評価を与えることはできない。
それでも、昔から宗教の垣根なく仲良く暮らして来たオールドデリーの人々が、些細な事件をきっかけに対立し、しかもそれに政治家や宗教家が介入して亀裂を広げ、最後には大規模な暴動が引き起こされるまでの過程は、丁寧に描かれていた。しかもそのきっかけがカーラー・バンダル(黒い猿)という、思わず笑ってしまうような事象だったことで、ユーモアある展開になっていた。その辺りはさすがである。ちなみに、カーラー・バンダルの元ネタは、2001年に実際にデリーに「出現」したモンキーマンである。それはちょうど僕がデリーに留学した頃で、デリーはモンキーマンの話題で持ち切りだった。当時、モンキーマンと呼ばれる猿の化け物がデリーで次々に人を襲っていると報道され、デリー市民は恐怖のどん底に突き落とされていたのである。そして、仕舞いには何でもかんでもモンキーマンの仕業になっていた。あの頃のパニックの様子は映画中でよく再現されていた。
デリー警察が実際に発表したモンキーマンのスケッチ
主人公ローシャンが、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に生まれた、ハイブリッドな存在であることも映画の重要な要素となっていた。ローシャンはヒンドゥー教の寺院にも、イスラーム教のモスクやダルガー(聖廟)にも参拝していたし、ヒンドゥー・ムスリムの対立が顕在化した後は、どちらのコミュニティーからものけ者にされていた。宗教融和の結果生まれたローシャンは、2つのコミュニティーのかすがいになる運命を背負っていたと言える。
映画の冒頭に、アミターブ・バッチャンの朗読により1編の詩が詠まれるが、それも映画のテーマに沿ったものである。
ज़र्रे-ज़र्रे में उसी का नूर है
झाँक ख़ुद में वह न तुझसे दूर है
इश्क़ है उससे तो सबसे इश्क़ कर
इस इबादत का यही दस्तूर है
zarre-zarre men usī ka nūr hai
jhānk khud men vo na tujhse dūr hai
ishq hai usse to sabse ishq kar
is ibādat ka yahī dastūr hai
どんな欠片にも神の光がある
自らを覗いて見よ、神はお前の近くにいる
神を愛するなら、皆を愛せ
それがこの信仰の定めなのだ
どんな宗教も結局は人間賛歌であり、人を愛することが神を愛することにつながるということは、宗教大国インドが世界に発するメッセージである。これがもし、映画中のロマンスにも、つまりローシャンとビットゥーの間の恋愛にも何らかの形で適用されていたら言うことなしだったのだが、残念ながらそこまで徹底されていなかった。その点も不満だった。ただ、劇中に登場する白い鳩マサカリーに、ローシャンやビットゥーの様々な感情が投影されており、それはとても美しかった。
ひとつ不明だったのは、最後、ローシャンがいつカーラー・バンダルの着ぐるみを着たかという点である。ローシャンが見た夢の中で、カーラー・バンダルになってビットゥーに告白するシーンが予言されていたし、ゴーバルが「ローシャンがカーラー・バンダルにならなかったら、皆は殺し合いをしていただろう」と言っており、それが「なぜ」の一応の説明にはなっていたが、唐突過ぎる感は否めなかった。クライマックスに関わる部分なだけに、映画の最大の弱点だと言える。もう少し伏線を張っておくべきだったと思う。
ただ、オールドデリーの描写の仕方は、今までのどんな映画よりも素晴らしかった。その点では「Chandni Chowk to China」(2009年)などの映画は「Delhi-6」の足元にも及ばない。特にオールドデリーの心臓とも言えるジャーマー・マスジドが、イスラーム教徒の集団礼拝のシーンなどを通して、非常に印象的に映し出されていた。また、毎年ダシャヘラー祭の時期にオールドデリー各所で行われるラームリーラーも効果的に使われていた。ラームリーラーは、「ラーマーヤナ」のストーリーを10日間に渡って上演する野外劇である。デリー各地で行われているが、やはり有名なのはオールドデリーのものである。「Delhi-6」で出て来たのは、ラール・キラーの前で行われるラームリーラーだ。ラームリーラーのストーリーと、映画本編のストーリーが対応していたのも見事であった。最終日には羅刹王ラーヴァンの像が燃やされるのだが、それはヒンドゥー・ムスリムの対立の鎮火を象徴していた。結局、カーラー・バンダルもラーヴァンも、一人一人の心の中に住むものなのである。ただし、映画全編が実際にオールドデリーで撮影された訳ではない。路地のシーンなどは、ラージャスターン州のサーンバルに組まれたセットで撮影された。
ローシャンはニューヨークからオールドデリーにやって来たインド系米国人であり、彼の目を通し、ニューヨークとオールドデリーが比較されていた。当然、監督の同情はオールドデリーにある。特にローシャンは、オールドデリーの人々の、すぐに誰でも身内同然にしてしまう心の広さや人懐こさに感動する。それはニューヨークでは決して手に入らないものであった。全て外国帰りのインド人の視点で描かれていたが、それは十分に外国人の視点にも通じるものがあった。インド好きの外国人がなぜインドを好きかと聞かれて思い浮かべるものの中のいくつかを、メヘラー監督はかなり正確に捉え、映像化できていたと思う。
「Delhi-6」でもっとも輝いていたのはソーナム・カプールである。デビュー作の「Saawariya」(2007年)では残念ながら印象が薄かったのだが、「Delhi-6」では存分に魅力を発揮できており、これからますます注目を集めそうである。最近のボリウッドの若手女優に共通するポイントははつらつさだ。カトリーナ・カイフ、ディーピカー・パードゥコーン、ジェネリア、アシン、そしてこのソーナム・カプールと、はつらつとした魅力を前面に押し出した女優が揃って来ており、映画界全体を明るくしている。当然、競争も熾烈となっている。
主演のアビシェーク・バッチャンも堅実な演技をしていた。いくつかのシーンでは微妙な感情の変化を表情でうまく表現しており、成長を感じた。他に、ワヒーダー・レヘマーン、ヴィジャイ・ラーズ、アトゥル・クルカルニーなどが良かった。
「Delhi-6」は音楽も素晴らしい。ARレヘマーンのノリノリの音楽が、オールドデリーの路地に不思議とマッチしていた。アビシェークやソーナムが鳩のマサカリーと踊る「Masakali」は現在大ヒット中。マサカリーを頭に載せて踊るソーナムはとてもかわいい。「Dil
Gira Dafatan」は、ニューヨークのタイムズ・スクウェアに、デリーの様々な映像が重ね合わせられるという面白いミュージカルシーンとなっている。これはローシャンの夢の中の映像であるが、ニューヨークとデリーの間のどちらを今後の生活の場として選ぶか迷う彼の気持ちを表すと同時に、ビットゥーに恋をしたことを示すシーンにもなっていた。「Genda
Phool」は、ハリヤーンヴィー(ハリヤーナー州の方言)風の土臭い歌詞が魅力の曲で、「Delhi-6」サントラCD内の隠れた名作となっている。テーマ曲の「Dilli-6」は、フランス語の歌詞が混じった変わった曲。デリーの魅力をシンプルな歌詞で表現してある。歌詞の観点からの傑作は「Arziyan」だ。スーフィズムの哲学を表現した歌詞になっているが、特に以下の部分が素晴らしい。
सर उठाके मैंने तो कितनी ख़्वाहिशें की थीं
कितने ख़्वाब देखे थे, कितनी कोशिशें की थीं
जब तू रू-ब-रू आया, नज़रें न मिला पाया
सर झुकाके एक पल में मैंने क्या नहीं पाया
sar uthāke maine to kitnī khāhishen kī thīn
kitne khāb dekhe the, kitnī koshishen kī thīn
jab tū rū-ba-rū āyā, nazren na milā pāyā
sar jhukāke ek pal men maine kyā nahīn pāyā
頭を上げて、どれだけお願いをしたことだろう
どれだけ夢を見ただろう、どれだけ努力をしただろう
だが、神よ、いざあなたが現れても、目を合わせられなかった
だが、頭を下げて祈ったら、すぐに叶わなかったことはなかった
ちなみに作詞家は最近絶好調のプラスーン・ジョーシーだ。総じて、「Delhi-6」のサントラCDは買いである。
オールドデリーには独特の言い回しがある。それは、上流階級の優雅な敬語だったり、下層階級のパンチの効いた罵詈雑言だったりする。「Delhi-6」では、ダイアログの面でもオールドデリーの魅力を表現しようとしていた。特にリシ・カプール演じるアリーと、ディヴィヤー・ダッター演じるジャレービーの話し方が特徴的であった。
「Delhi-6」は、オールドデリーを愛する全ての人に見てもらいたい映画だ。通常の娯楽映画ではないし、あまりにインドの文化の様々なモチーフがストーリーと密接な関係を持って登場するため、インドに詳しくない人には少し敷居が高すぎる展開となっている。さらに、テーマは今では特に目新しいものではなく、途中までは少々退屈でもある。だが、これほどオールドデリーを美しく映画化した映画はなく、デリー映画のひとつの金字塔として高く評価したい。
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2月21日(土) 2008年ボリウッド映画界を振り返る |
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毎年恒例となった「これでインディア」の「○○年ボリウッド映画界を振り返る」コーナー。ヒンディー語映画界でもっとも権威のある映画賞、フィルムフェア賞のノミネート作品をもとに、その年のボリウッドをざっと概観するのが主旨である。ついでに受賞作の予想もしているのだが、毎年外しまくりで恥ずかしい限りだ。いつの間にか2008年公開映画のノミネート作品が発表されていたので、めげずに2008年のボリウッドを振り返ってみよう。
作品賞 |
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Dostana |
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Ghajini |
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Jaane Tu... Ya Jaane Na |
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Jodhaa Akbar |
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Rab Ne Bana Di Jodi |
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Rock On!! |
2008年のボリウッドは、上半期不調だったが、7~8月頃から持ち直し始め、年末にブロックバスターが2本出て一気に盛り上がった。まるでアーラープに始まりドゥルトに終わる、インドの古典音楽のような展開だったと言える。また、振り返ってみると、ボリウッドが伝統的に得意として来た各ジャンルでヒット作が出ており、非常にバランスのいい年だったと言える。すなわち、ロマンスでは「Rab
Ne Bana Di Jodi」、アクションでは「Ghajini」、コメディーでは「Singh is Kinng」、時代劇では「Jodhaa
Akbar」である。しかし、2008年のボリウッドの最大の収穫は、新時代の到来を告げる、新感覚の映画がいくつも公開されたことだ。具体的には、「Jaane
Tu... Ya Jaane Na」、「Rock On!!」、「Aamir」、「A Wednesday!」などのことである。総じて、2008年のボリウッドは、得意分野をガッチリと押さえながらも、果敢に前進を続けたと言える。ただ、世紀の大失敗作が少なくなかったのも特徴である。「Love
Story 2050」や「Drona」などは、大規模な予算をかけて制作されながら鳴かず飛ばずで大赤字となってしまった。
今年だけに限った傾向ではないのだが、2008年になって特に、何らかの形でテロを題材にした映画がとても多くなった。「Black & White」、「Hope
and a Little Sugar」、「Aamir」、「Contract」、「Mission Istanbul」、「Mumbai Meri
Jaan」、「A Wednesday!」、「Hijack」、「Shoot On Sight」などがその例である。もちろんこの中には傑作もあるのだが、ここまでテロ映画ばかりだと食傷気味になって来る。とにかく、2008年のボリウッド映画のラインナップから、テロの脅威が映画界の創造性にも影響を与えていると言えそうだ。
さて、フィルムフェアの作品賞には6作品がノミネートされている。この中で意外なのは「Dostana」だが、他の5作品は順当なノミネートだと言える。僕自身は「Rab
Ne Bana Di Jodi」をもっとも高く評価しているが、「Ghajini」や「Jodhaa Akbar」が受賞する可能性もあるだろう。
毎年、フィルムフェア賞と同時にアルカカット賞も発表している。アルカカット賞とは、全く話題にならなかったが実は隠れた名作という映画に個人的に与えられる賞である。今年のアルカカット賞は、「Summer
2007」に与えたい。マハーラーシュトラ州の農民自殺問題をテーマにした作品で、ひとつの解決策も提示されており、映画としても十分楽しめる作りになっていた。特にスターも出演しておらず、ほとんど話題にならなかったが、名作である。
他にも2008年はいくつか特筆すべき映画があった。「Black & White」、「Jannat」、「Sarkar Raj」、「Contract」、「Mumbai
Meri Jaan」、「Roadside Romeo」、「Fashion」、「Oye Lucky! Lucky Oye!」、「Dasvidaniya」などが、印象に残った映画であった。
結果:「Jodhaa Akbar」が受賞。
監督賞 |
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ARムルガダース
AR Murgadoss
「Ghajini」 |
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アビシェーク・カプール
Abhishek Kapoor
「Rock On!!」 |
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アーディティヤ・チョープラー
Aditya Chopra
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
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アーシュトーシュ・ゴーワーリーカル
Ashutosh Gowariker
「Jodhaa Akbar」 |
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マドゥル・バンダールカル
Madhur Bandarkar
「Fashion」 |
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ニーラジ・パーンデーイ
Neeraj Pandey
「A Wednesday!」 |
今年はいい作品が多かったので、作品賞と監督賞が同じ作品になることはないだろう。バランスよく配分されるはずである。ノミネート作品はどれが受賞してもおかしくはない。「Jodhaa
Akbar」のアーシュトーシュ・ゴーワーリーカル監督が本命だろうが、「A Wednesday!」のニーラジ・パーンデーイ監督が受賞したら面白くなる。
結果:「Jodhaa Akbar」のアーシュトーシュ・ゴーワーリーカル監督が受賞。
主演男優賞 |
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アーミル・カーン
Aamir Khan
「Ghajini」 |
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アビシェーク・バッチャン
Abhishek Bachchan
「Dostana」 |
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リティク・ローシャン
Hrithik Roshan
「Jodhaa Akbar」 |
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アクシャイ・クマール
Akshay Kumar
「Singh is Kinng」 |
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シャールク・カーン
Shahrukh Khan
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
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ナスィールッディーン・シャー
Naseeruddin Shah
「A Wednesday!」 |
主演男優賞はおそらく何の異議もなく「Ghajini」のアーミル・カーンの手に渡るはずである。それでも、「Rab Ne Bana Di Jodi」のシャールク・カーンも良かったし、「Jodhaa
Akbar」のリティク・ローシャンや「Singh is Kinng」のアクシャイ・クマールも誠実な演技をしていた。「A Wednesday!」のナスィールッディーン・シャーのノミネートは、ベテラン俳優枠であろう。
他にいい演技をしていた主演男優を挙げるとしたら、「Jannat」のイムラーン・ハーシュミー、「Aamir」のラージーヴ・カンデールワール、「Jaane
Tu... Ya Jaane Na」のイムラーン・カーンなどである。イムラーン・カーンは新人男優賞最有力候補だ。
結果:「Jodhaa Akbar」のリティク・ローシャンが受賞。
主演女優賞 |
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アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン
Aishwarya Rai Bachchan
「Jodhaa Akbar」 |
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アヌシュカー・シャルマー
Anushka Sharma
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
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アシン
Asin
「Ghajini」 |
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カージョール
Kajol
「U Me Aur Hum」 |
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プリヤンカー・チョープラー
Priyanka Chopra
「Fashion」 |
「Rab Ne Bana Di Jodi」のアヌシュカー・シャルマーと「Ghajini」のアシンは、それぞれの映画でヒンディー語映画デビューをした新人女優である。2人は新人女優賞の方で激突することになるだろうから、主演女優賞の受賞者からはひとまず外れそうだ。そうなって来ると残るはベテラン女優3人であるが、ここはその中でもっとも若いプリヤンカー・チョープラーに受賞してもらいたい。「Fashion」の彼女の演技は今まででベストであり、受賞に値する。だが、「Jodhaa
Akbar」でアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンが受賞する可能性も否めない。
他に、「Singh is Kinng」でカトリーナ・カイフがノミネートぐらいはされても良かったのではないかと思う。
結果:「Fashion」のプリヤンカー・チョープラーが受賞。
助演男優賞 |
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アビシェーク・バッチャン
Abhishek Bachchan
「Sarkar Raj」 |
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アルジュン・ラームパール
Arjun Rampal
「Rock On!!」 |
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プラティーク・バッバル
Pratik Babbar
「Jaane Tu... Ya Jaane Na」 |
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ソーヌー・スード
Sonu Sood
「Jodhaa Akbar」 |
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トゥシャール・カプール
Tushar Kapoor
「Golmaal Returns」 |
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ヴィナイ・パータク
Vinay Pathak
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
助演男優賞は「Rock On!!」のアルジュン・ラームパール以外にいない。是非彼に取ってもらいたい。彼の不遇の時代をずっと見て来ただけあり、最近俳優として成功を掴みつつあるアルジュンの出世ぶりには自然に目を細めてしまう。「Rock
On!!」のアルジュンは最高だった。日本人受けするルックスなので、彼が頑張れば、日本におけるボリウッド映画の普及のための大きな原動力となることも期待される。対抗馬は「Sarkar
Raj」のアビシェーク・バッチャンであろう。他の4人はそれほど問題にならないはずだ。
結果:「Rock On!!」のアルジュン・ラームパールが受賞。
助演女優賞 |
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ビパーシャー・バス
Bipasha Basu
「Bachna Ae Haseeno」 |
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カンガナー・ラーナーウト
Kangana Ranaut
「Fashion」 |
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キラン・ケール
Kirron Kher
「Dostana」 |
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ラトナー・パータク・シャー
Ratna Pathak Shah
「Jaane Tu... Ya Jaane Na」 |
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シャハーナー・ゴースワーミー
Shahana Goswami
「Rock On!!」 |
「Dostana」のキラン・ケールはベテラン俳優枠だろうからまず外しておく。この中で受賞の可能性があるのは、「Bachna Ae Haseeno」のビパーシャー・バスと、「Fashion」のカンガナー・ラーナーウトである。「Bachna
Ae Haseeno」のビパーシャーは、微妙な表情の使い方がうまかった。だが、「Fashion」におけるカンガナーの圧倒的演技は決して無視できず、彼女が受賞するのが順当なところだと思われる。「Jaane
Tu... Ya Jaane Na」のラトナー・パータク・シャーや「Rock On!!」のシャハーナー・ゴースワーミーは、それぞれの映画で十分知名度を得たので、今後チャンスがあるだろう。
結果:「Fashion」のカンガナー・ラーナーウトが受賞。
以下は音楽関連の賞になる。
音楽監督賞 |
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ARレヘマーン
AR Rahman
「Ghajini」 |
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ARレヘマーン
AR Rahman
「Jaane Tu... Ya Jaane Na」 |
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ARレヘマーン
AR Rahman
「Jodhaa Akbar」 |
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プリータム
Pritam
「Race」 |
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シャンカル・エヘサーン・ロイ
Shankar-Ehsaan-Loy
「Rock On!!」 |
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ヴィシャール・シェーカル
Vishal-Shekhar
「Dostana」 |
2008年はARレヘマーンがボリウッドで大活躍の年だった。3作品がノミネートされているが、他に2008年作品の中では「Yuvvraaj」や、英国映画ではあるが「Slumdog
Millionaire」がARレヘマーンの作曲となっている。レヘマーンが受賞することはほぼ間違いなく、むしろ問題はどの作品で受賞するかであろう。「Ghajini」も「Jaane
Tu.. Ya Jaane Na」も捨てがたいが、音楽の新しさから言ったら後者であろう。レヘマーン以外では、シャンカル・エヘサーン・ロイの「Rock
On!!」が特筆すべきだ。インドでは珍しく全編ロックで満たされており、インド映画音楽の新たな方向性を感じさせられた。
他に音楽が良かった映画と言えば、プリータム作曲の「Jannat」、同じくプリータム作曲の「Singh is Kinng」、ヴィシャール・シェーカル作曲の「Bachna
Ae Haseeno」、先にも挙げたがARレヘマーン作曲の「Yuvvraaj」、サリーム・スライマーン作曲の「Rab Ne Bana Di Jodi」が思い浮かぶ。
結果:「Jaane Tu... Ya Jaane Na」のARレヘマーンが受賞。
作詞家賞 |
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アッバース・タイヤワーラー
Abbas Tyrewala
Kabhi Kabhi Aditi
「Jaane Tu... Ya Jaane Na」 |
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グルザール
Gulzar
Tu Meri Dost Hai
「Yuvvraaj」 |
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ジャイディープ・サーニー
Jaideep Sahni
Haule Haule
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
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ジャーヴェード・アクタル
Javed Akhtar
Jashn-e-Bahara
「Jodhaa Akbar」 |
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ジャーヴェード・アクタル
Javed Akhtar
Socha Hai
「Rock On!!」 |
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プラスーン・ジョーシー
Prasoon Joshi
Guzarish
「Ghajini」 |
今年の作詞家賞の予想は困難だ。ノミネートされた曲の歌詞はどれもそれぞれ素晴らしい。心地よさならアッバース・タイヤワーラー作詞の「Kabhi
Kabhi Aditi」、力強さならジャーヴェード・アクタル作詞の「Socha Hai」、美しさならプラスーン・ジョーシー作詞の「Guzarish」である。「Kabhi
Kabhi Aditi」を推したいが、どれが受賞しても文句はない。
結果:「Jodhaa Akbar」の「Jashn-e-Bahara」でジャーヴェード・アクタルが受賞。
男性プレイバックシンガー賞 |
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ファルハーン・アクタル
Farhan Akhtar
Socha Hai
「Rock On!!」 |
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KK
KK
Khuda Jaane
「Bachna Ae Haseeno」 |
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KK
KK
Zara Sa
「Jannat」 |
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ラシード・アリー
Rashid Ali
Kabhi Kabhi Aditi
「Jaane Tu... Ya Jaane Na」 |
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ソーヌー・ニガム
Sonu Nigam
Inn Lamhon Ke Daaman Mein
「Jodhaa Akbar」 |
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スクヴィンダル・スィン
Sukhwinder Singh
Haule Haule
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
ファルハーン・アクタルは、「Rock On!!」で主演をしながら自分で歌手も務めた。ノミネートされている「Socha Hai」もとてもいい曲である。ファルハーンは主演男優賞でノミネートされていないので、プレイバックシンガー賞で調整され、彼が受賞することになるかもしれない。だが、ARレヘマーンに発掘されたラシード・アリーも十分受賞の可能性がある。「Kabhi
Kabhi Aditi」の彼の歌声はとても魅力的だ。KKが2作品でノミネートされているが、どちらも受賞するまでは行かないだろう。ソーヌー・ニガムの「Inn
Lamhon Ke Daaman Mein」やスクヴィンダル・スィンの「Haule Haule」も、ノミネート止まりの曲だと感じる。
結果:「Rab Ne Bana Di Jodi」の「Haule Haule」でスクヴィンダル・スィンが受賞。
女性プレイバックシンガー賞 |
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アルカー・ヤーグニク
Alka Yagnik
Tu Muskra
「Yuvvraaj」 |
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ネーハー・バスィーン
Neha Bhasin
Kuchh Khaas
「Fashion」 |
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シルパー・ラーオ
Shilpa Rao
Khuda Jaane
「Bachna Ae Haseeno」 |
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シュレーヤー・ゴーシャール
Shreya Ghoshal
Teri Ore
「Singh is Kinng」 |
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シュルティー・パータク
Shruti Pathak
Mar jawaan
「Fashion」 |
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スニディ・チャウハーン
Sunidhi Chauhan
Dance Pe Chance
「Rab Ne Bana Di Jodi」 |
シュレーヤー・ゴーシャールの「Teri Ore」が一番受賞の可能性が高い。だが、アルカー・ヤーグニクの「Tu Muskra」もスローテンポのいい曲で、しっかり歌っている。「Fashion」から2曲ノミネートされているが、そこまで素晴らしかったような印象はなかった。
結果:「Singh is Kinng」の「Teri Ore」でシュレーヤー・ゴーシャールが受賞。
他に2008年のインド映画音楽で、ノミネートされていなかった曲の中から名曲を挙げて行くと、「Jodhaa Akbar」の「Khwaja Mere
Khwaja」、「Black & White」の「Main Chala」、「Jaane Tu... Ya Jaane Na」の「Pappu
Can't Dance!」、「Singh is Kinng」の「Jee Karda」、「Bachna Ae Haseeno」の「Lucky Boy」、「Rock
On!!」の「Pichhle Saat Dinon Mein」、「Ghajini」の「Aye Bachchu」や「Latoo」などが思い浮かぶ。
以上がノミネート作品である。他に授賞式ではテクニカル部門の受賞も行われるのだが、通常事前にノミネート作品は公表されない。
結果
批評家作品賞:ニシカーント・カマト監督「Mumbai Meri Jaan」
批評家男優賞:「Oye Lucky! Lucky Oye!」のマンジョート・スィン
批評家女優賞:「Rock On!!」のシャハーナー・ゴースワーミー
新人男優賞:「Jaane Tu... Ya Jaane Na」のイムラーン・カーンと「Rock On!!」のファルハーン・アクタル
新人女優賞:「Ghajini」のアシン
パフォーマンス賞:「Jaane Tu... Ya Jaane Na」のプラティーク・バッバルと「Rock On!!」のプーラブ・コーリー
RDブルマン賞:「Yuvvraaj」の「Meri Dost Hain」のベニー・ダヤール
ベストシーン賞:アーディティヤ・チョープラー監督「Rab Ne Bana Di Jodi」の「テーブルに花」シーン
ストーリー賞:「Rock On!!」のアビシェーク・カプール
脚本賞:「Mumbai Meri Jaan」のヨーゲーシュ・ジョーシーとウペーンドラ・スィダーエー
台詞賞:「Oye Lucky! Lucky Oye!」のマヌ・リシ
プロダクション・デザイン/芸術賞:「Oye Lucky! Lucky Oye!」のヴァンダナー・カターリヤーとアンジェリカ・ボウミック
編集賞:「Mumbai Meri Jaan」のアミト・パーワル
撮影賞:「Rock On!!」のジェイソン・ウェスト
視覚効果賞:「Drona」のデーヴィッド・ブッシュ
アクション賞:「Ghajini」のピーター・ハインス
振付賞:「Jaane Tu... Ya Jaane Na」のロンギヌス・フェルナンデス
BGM賞:「Jodhaa Akbar」のARレヘマーン
録音賞:「Rock On!!」のバイロン・フォンセカ、ヴィノード・スブラマニアム
衣装賞:「Oye Lucky! Lucky Oye!」のマノーシー・ナートとルシ・シャルマー
生涯貢献賞:バーヌー・アタイヤーとオーム・プリー
第54回フィルムフェア賞授賞式は、2月28日に行われ、3月8日にテレビ放映される予定である。受賞作が判明し次第、今日の日記に追記する(追記済み)。
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2月27日(金) Siddharth - The Prisoner |
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先週の「Delhi-6」を一区切りとして、ボリウッドではしばらく話題作の公開が途切れることになりそうだ。今週から3ヶ月ほどは中小規模の映画の公開が続く。3月は日本で言うセンター試験の時期であるし、4月~5月はクリケットのインディアン・プレミア・リーグ(IPL)期間であり、大予算型の大作の公開は控えられる。
本日から公開されたヒンディー語映画は2作のみだが、アイシュワリヤー・ラーイ出演のハリウッド映画「Pink Panther 2」も公開されている。今日は新作ヒンディー語映画「Siddharth
- The Prisoner」を鑑賞した。2008年初公開作品で、アジア太平洋映画賞の審査員賞などを受賞した芸術映画である。
題名:Siddharth - The Prisoner
読み:スィッダールト・ザ・プリズナー
意味:虜囚のスィッダールト
邦題:スィッダールト
監督:プラヤース・グプター
制作:プラヤース・グプター、ローハン・グプター、サンディープ・フーダー
音楽:サーガル・デーサーイー
出演:ラジャト・カプール、サチン・ナーヤク(新人)、プラディープ・サーガル、プラディープ・カーブラー、グラーブCソーニー、ギーター・パンチャール、アヴァ・ムカルジー、ラメーシュ・ラーイ、ディーパク・ダドワール、クリシュ・バーティヤー、ラーディカー
備考:PVRアヌパムで鑑賞。
ラジャト・カプール(左上)とサチン・ナーヤク(右下)
あらすじ |
ムンバイー。刑期を終えて刑務所から出て来た作家のスィッダールト・ロイ(ラジャト・カプール)は、弁護士(ディーパク・ダドワール)に用意してもらった部屋で、刑務所の中で書きためた小説「The
Prisoner(虜囚)」のタイピングを始める。この小説を発表することで名誉挽回を考えていた。タイピングし終えた原稿をスーツケースに入れ、近くのネットカフェへ行き、メールをチェックすると、ある出版社が小説に興味を示しているとのメールが入っていた。スィッダールトは原稿をコピーしに出掛ける。ところがそのとき、たまたまその場に置いてあった別のスーツケースを持って行ってしまった。
そのスーツケースは、下っ端マフィアのアミーン(プラディープ・サーガル)が、ネットカフェのオーナー、モーハン(サチン・ナーヤク)に預けていったものだった。スィッダールトがスーツケースを開けると、中には200万ルピーの現金が入っていた。呆然とするスィッダールト。様々な考えが頭の中に浮かんだ。
スィッダールトは、離婚した妻マーヤーとの間に1人の息子が生まれていたのを、出所後に初めて知る。スィッダールトは、メイド(ギーター・パンチャール)と相談して、息子と公園で遊ぶようになる。だが、訴訟を起こして息子を取り戻すには、多額の金が必要だった。小説を出版し、成功すれば、金は手に入るかもしれなかったが、原稿は行方不明になってしまった。代わりに手に入れた200万ルピーで訴訟を起こすこともできたが、出所後にそんな大金を持っているのはどう考えても不自然であった。
一方、200万ルピーが行方不明になったことも明らかになる。マフィアのドン、アトゥル・バーイー(ラメーシュ・ラーイ)は、アミーン、アミーンの部下のアスィーム(プラディープ・カーブラー)、そしてモーハンを呼び寄せ、金の在処を問いただす。だが、モーハンはスーツケースに何が入っているのかさえ知らなかった。アミーンは責任を取らされ、2日以内に金を用意するように命令される。アミーンはモーハンを脅し、彼に金を探させる。
モーハンは、スーツケースの中に残っていた小説の原稿から、スィッダールト・ロイの名前を見つけ、ネットで検索する。彼はそこそこ名の知られた作家であったため、写真も出て来た。モーハンは写真をプリントアウトし、それを手掛かりに探し回る。夜になり、偶然タクシーに乗っていたスィッダールトを見つけたが、そのままタクシーに引かれてしまう。スィッダールトはモーハンを病院へ連れて行き、話し合う。その結果、小説の原稿と金を交換することになった。
ところが、小説の原稿の多くは散逸してしまっていた。モーハンは友人の助言に従って、残っていた原稿をコピーして水増しし、スィッダールトに渡すことにする。スィッダールトも、紙幣をコピーして偽札を作り、それをモーハンに渡すことにしていた。2人は落ち合い、スーツケースを交換する。
スィッダールトはそのまま息子に会いに行き、メイドが恋人と逢い引きしている間に息子を連れて逃げ出す。また、モーハンは金をアミーンに渡さずに横領し、妹のギーター(ラーディカー)と共にムンバイーを逃げ出そうとするが、アミーンとアスィームに見つかってしまう。だが、アミーンはアスィームを殺し、モーハンはアミーンを殺す。2人は列車に乗って逃げ出す。同じ頃、駅には息子を連れたスィッダールトもいたが、彼は考え直す。小説の原稿をゴミ箱に捨て、息子をメイドに返し、金も道端に捨て、一人ムンバイーの朝焼けの中に消えて行く。 |
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「願望も欲望もない場所で我を不死にせよ」というリグヴェーダの言葉から映画が始まることからも分かるように、人間の欲望をテーマにした90分の短篇映画であった。スーツケースの取り違えから始まるストーリーはヒッチコック映画的であるが、そこからとんでもない犯罪や事件に巻き込まれていくサスペンス映画という訳でもない。映画の最初に提示されるいくつかの謎は、最後まで謎のままである。スィッダールトがなぜ刑務所に入っていたのかは映画中明かされないし、妻マーヤーとの離婚の経緯についても触れられることはない。見終わってから分かるように、それらは映画の進行上どうでもいいことである。主役のスィッダールトと、準主役のモーハンの感情と行動のみに特化してストーリーが組まれていた。無駄を徹底的にそぎ落としたスリムな脚本は、インド映画にはとても目新しいものであった。また、ムンバイーの街の風景をネットリとしただるい映像で映し出しており、美しい映画でもあった。
ラジャト・カプールは、高品質の映画に好んで出演する男優であり、時々映画監督もしている多才な人物である。今回は影のある役をじっくりと演じており、素晴らしかった。モーハン役のサチン・ナーヤクはこの作品がデビュー作のようである。ロナウジーニョに似た奇妙な外見をしており、決してハンサムではないが、演技に不足はなかった。その他、アミーンを演じたプラディープ・サーガルの演技が良かった。
「Siddharth - The Prisoner」はマルチプレックスの限定された観客向けの芸術映画である。通常の娯楽映画が好きなインド映画ファンには向かないだろうが、インド映画界でもこのようなヨーロッパ映画志向の映画が作られ、一般公開されるようになったことは、大変な進化だと言える。
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