スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

2009年7月

装飾下

|| 目次 ||
映評■3日(金)Kambakkht Ishq
分析■4日(土)インド神話の中の多様な性
映評■10日(金)Short Kut - The Con is On
分析■11日(土)映画評について
映評■12日(日)Sankat City
映評■13日(月)Morning Walk
映評■17日(金)Jashnn
分析■20日(月)皆既日食占い
散歩■23日(木)カンパ・コーラを求めて
分析■24日(金)カープの恐怖
映評■24日(金)Luck
言語■25日(土)カサーブはヒンディー語を習ったのか?
分析■29日(水)チャーンドとフィザーの物語
散歩■30日(木)ニハールデー姫の民話とサティー寺院
映評■31日(金)Love Aaj Kal


7月3日(金) Kambakkht Ishq

 近年、低迷期に入っているハリウッドがアジア市場に猛烈なアピールをしている。日本のアニメが原作のハリウッド映画がいくつか作られていることからも明らかである。インドでも、ハリウッド資本のヒンディー語映画が作られるようになって来ており、ハリウッドの市場開拓の野望をヒシヒシと感じる。そしてここに来てハリウッド俳優がカメオ出演することで話題のヒンディー語映画まで登場した。本日より公開の「Kambakkht Ishq」である。今やボリウッドのナンバー1男優となったアクシャイ・クマールと円熟期に入ったヒロイン女優カリーナー・カプールを主演に据えているだけでも話題性十分なのに、シルベスター・スタローンをはじめとした有名なハリウッド俳優が多数出演するのは今までにないゴージャスな印米核融合だと言える。プロデューサーとマルチプレックスの対立のせいで公開が遅れていたが、ヒット中の「New York」に続き、満を持してのモンスーン期公開となった。



題名:Kambakkht Ishq
読み:カムバクト・イシュク
意味:不運な恋
邦題:スタローン in ハリウッド・トラブル

監督:サッビール・カーン
制作:サージド・ナーディヤードワーラー
音楽:アヌ・マリク
歌詞:アンヴィター・ダット・グプタン
振付:ヴァイバヴィー・マーチャント
アクション:スピロ・ラザトス、フランコ・ソロモン
出演:アクシャイ・クマール、カリーナー・カプール、アーフターブ・シヴダーサーニー、アムリター・アローラー、キラン・ケール、ヴィドゥ・ダーラー・スィン、ジャーヴェード・ジャーファリー、ボーマン・イーラーニー
特別出演:シルベスター・スタローン、デニス・リチャーズ、ブランドン・ラウス、ホリー・ヴァランス
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、満席。

アクシャイ・クマール(左)とカリーナー・カプール(右)

あらすじ
 ヴィラージ・シェールギル(アクシャイ・クマール)は、ロサンゼルスのハリウッド映画業界で凄腕のスタントマンとして名を馳せていた。弟で同じくスタントマンのラッキー(アーフターブ・シヴダーサーニー)やタイガー(ヴィドゥ・ダーラー・スィン)と共に住んでいた。ヴィラージは結婚は人生の墓場だと信じるプレイボーイで、女には不自由しない悠々自適の生活を送っていた。ところがある日、ラッキーがモデルのカーミニー(アムリター・アローラー)と結婚してしまう。ヴィラージは教会まで押しかけてラッキーを説得しようとするが彼は聞かない。と、そこへカーミニーの親友で、医者をしながらモデルのバイトもするスィムリター・ラーイ(カリーナー・カプール)がやって来て、スタントマンのような低俗な職業の男と結婚しないようにカーミニーを説得し出す。スィムリターの母親と姉は共に離婚しており、彼女は極度の男性不信症であった。ヴィラージとスィムリターは初対面から火花を散らし合ったが、その後も事あるごとに鉢合わせ、お互いにちょっかいを出し合う。結局ヴィラージとスィムリターの抗争に巻き込まれる形でラッキーとカーミニーは不仲になってしまい、離婚の手続きに入る。裁判所からは3ヶ月間の猶予期間の後、離婚届に署名するように言い渡される。

 ある日、ヴィラージはスタントで大怪我を負ってしまい、病院に担ぎ込まれる。そこで手術に当たったのが偶然スィムリターであった。スィムリターは淡々と手術をこなすが、手術を終えた後、叔母でトラブルメーカーのドリー(キラン・ケール)からもらったアラーム時計をヴィラージの体内に残してしまったことに気付く。それが発覚したら彼女の医者としてのキャリアはおしまいであった。スィムリターは急いで手術し直そうとするが、既にヴィラージは病院から脱走した後だった。アラーム時計からは時刻になると「オーム・マンガラム・マンガラム・・・」というマントラが流れるのだが、ヴィラージはそれが何なのか分からずに苦労する。

 スィムリターは何とかヴィラージにもう一度手術をするため、彼に惚れたふりをして近付く。一方、ヴィラージもスィムリターを1週間の内に手込めにして捨て去る賭けをしたため、彼女に近寄るようになる。スィムリターは彼をホテルの一室に誘い、彼に媚薬を飲ませようとするが、逆に自分がそれを飲んでしまい、ヴィラージを誘惑する。翌朝、スィムリターは自分の過ちに気付き後悔する。だが、ヴィラージは本気でスィムリターを愛するようになっていた。彼は彼女にプロポーズをする。だが、隙を見せた瞬間にスィムリターはヴィラージに麻酔を打ち、そのまま手術をして時計を取り出す。

 時計を取り出した今、スィムリターにとってヴィラージは用済みであった。彼女は彼に冷たい態度を取る。ショックを受けたヴィラージは、ハリウッド女優のデニス・リチャーズにプロポーズをし、2人の結婚が決まる。だが、スィムリターはドリー叔母さんやラッキーから説得され、本当の恋を失おうとしていることに気付く。彼女はラッキーとカーミニーの離婚を引き留め、ヴィラージとデニスの結婚式に駆けつける。ヴィラージはデニスに謝り、皆に祝福されながらスィムリターと共に結婚式場を逃げ出す。

 ハリウッドとボリウッドが、資本という目に見えない形ではなく、俳優という目に見える形で本格的に手を取り合った初の作品。しかも、決して二流三流の俳優の寄せ集めではない。ボリウッドからは、アクシャイ・クマールとカリーナー・カプールという一線で活躍するスター俳優が出演。ハリウッドからは、その名を知らぬ者はいないだろうアクション俳優シルベスター・スタローンをはじめ、元ボンドガールのデニス・リチャーズ、スーパーマン俳優のブランドン・ラウスなどが出演。さらに、過去映像の流用になるが、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー、ジュリア・ロバーツなど、いわゆるセレブと呼ばれるスター俳優たちも登場する。スタントマンが主人公の映画であるが、スタントシーンではハリウッドの全面的協力を得ており、迫力あるアクションが楽しめる。作りは典型的ボリウッド娯楽映画で、ロマンス、アクション、コメディー、ドラマなど、様々な要素が詰め込まれている。これほど豪華なデコレーションの映画は近年他にない。だが、惜しむらくは脚本と編集の甘さである。全体のプロットは定型ながら面白かったのだが、細かい点で雑さが目立った。特に前半は冗長で、もう少しスピーディーに展開させても良かっただろう。時計がヴィラージの体内に入ってしまってからは急に活況付いてくるが、今度は端折っている部分が多かった。また、下品なギャグやエロティックなシーンが多く、家族向けの映画ではないこともネックであろう。

 ストーリーを一言で言い表してしまえば、お互いに嫌い合っていた男女がいつの間にか惹かれ合い、最後には結婚するという何の変哲もないものだが、手術中に時計を誤って患者の体内に置き忘れてしまうという奇想天外な爆笑ギミックのおかげで映画が救われていた。関連部分では腹がよじれるほど笑わせてもらった。しかもちゃんとそれがラストで生きるようになっており、ただの小ネタで終わらせていなかったところが憎い。

 2007年~08年は当たり年だったアクシャイ・クマールだが、今年に入ってまだヒット作に恵まれていない。娯楽大作「Kambakkht Ishq」は起死回生が狙える作品であったが、去年までの彼がまとっていた無敵のオーラがあまり感じられなかった。チョコマカと動き回りペチャクチャとしゃべりまくっているだけの、目障り耳障りなシーンが多かったし、偉そうな態度も鼻についた。急に小者になってしまった印象である。だが、元スタントマンのアクシャイにとって、スタントマンが主人公のこの映画は正に魚にとっての水のようなものであり、アクションシーンでは変わらず輝いていた。また、彼が時々つぶやくちょっとしたフレーズが面白かった。これらは彼のアドリブなのであろうか?多少運気の衰えを感じたが、いい作品といい役に恵まれればまだ彼の時代は続きそうだ。

 カリーナー・カプールが演じたのは男性不信に陥っている女性役で、終始イライラした表情を見せており、見ているこちらもイライラした。高ビーな女の子役はカリーナーがデビュー当初から得意とした役柄であるが、昔はキュートさを伴っていたために魅力が損なわれなかった。だが、最近はなまじっか演技力や貫禄も付いて来たため、スクリーン上でイライラされるとこちらまでイライラが伝わって来て落ち着かないのである。だが、ふとした拍子に見せる笑顔はホッと安心させられるものだった。今回は「Don」(2006年)でのセクシーダンスを想起させるような大胆な誘惑シーンもあり、ファンには生唾モノである。ちなみに、劇中の彼女の愛称ベボは、現実世界の彼女自身の愛称でもある。また、彼女が演じたスィムリターは医者兼モデルというかなり無理のある設定であったが、それはご愛敬であろう。

 アーフターブ・シヴダーサーニーとアムリター・アローラーは完全に脇役である。さらに、ジャーヴェード・ジャーファリーやボーマン・イーラーニーはただの端役だ。キラン・ケールも、十八番の肝っ玉母さん役ではなく、少しトチ狂った叔母さん役であった。だが、彼女の見せ場はちゃんと用意されていた。

 特別出演したハリウッド俳優の中で、ストーリー進行上もっとも重要な役割を果たしていたのはデニス・リチャーズである。だが、インパクトは何と言ってもシルベスター・スタローンだ。物語の途中にあったスタント賞授賞式で、最優秀スタントマン賞を受賞したヴィラージにトロフィーを渡す役でまずスタローンが出て来る。彼の出番はそれだけかと思わせられるが、クライマックス直前に、かなり無理矢理ではあるが、もう一度スタローンの見せ場が用意されており、必見である。

 音楽はアヌ・マリク。「Kambakkht Ishq」の音楽の中で何と言っても印象に残るのは「Om Mangalam」である。他にもノリノリの曲が多数用意され、ロケ地もロサンゼルスからヴェネツィアまで豪華だったが、コレオグラフィーに覇気が感じられず、ダンスシーンを見ていていまいち楽しくならなかった。カリーナー・カプールの誘惑シーン「Bebo」も、エロティックなだけで美しくなかった。唯一「Om Mangalam」が音楽、ダンス共に秀逸であった。

 ヒンディー語映画なので台詞は基本的にヒンディー語だが、英語のフレーズも多用されるため、ヒンディー語が理解できない人でも比較的理解しやすい映画であろう。ハリウッド俳優たちは英語で台詞を話す。字幕はない。

 「Kambakkht Ishq」は、ハリウッドとボリウッドが融合した豪華な娯楽映画である。多少雑ながらも全体としては合格点だと言えるが、下品なシーンやエロティックなシーンが多いため、一般向けの映画ではない。それがどう転ぶかは現時点では予想不可だが、普通に考えたら、都市部の家族層から敬遠される一方で、地方の若者層から支持を集める可能性が強い。

7月4日(土) インド神話の中の多様な性

 7月2日、デリー高等裁判所が歴史的な判決を下した。

 6月29日の日記でも触れた通り、インド刑法(IPC)第377条は「自然の法則に反する性行為」を犯罪と規定しており、終身刑を含む重い刑罰を科している。元々この法律は英国植民地時代の1860年に制定されたもので、この条文が盛り込まれた背景には英国人やキリスト教の倫理観が関係しており、元々英国の刑法にも同性愛を犯罪と規定する同様の条文は存在した。ところが、本国英国では1967年に同性愛が合法化された一方で、インドではこの条文は21世紀まで生き続けて来た。とは言っても、インドでIPC377に従って処罰された同性愛者は今までいないと思われるが、同性愛者はいつ警察に逮捕されるか分からないという悲惨な状況の中日々過ごさなければならず、その精神的苦痛は計り知れない。そこで、NGOのナーズ・ファウンデーションはこのIPC377の撤廃を求めた訴えをデリー高等裁判所に起こすと同時に、国内外の同性愛者を集めて運動を行って来た。その判決が7月2日に出たのである。IPC377の撤廃までは行われなかったが、成年同士の合意に基づく同性愛行為を禁止することは、インド憲法第21条(生活と個人の自由の保護)、第14条(法の下の平等)、第15条(宗教、人種、カースト、性、出身地による差別の禁止)に反するとされ、成年の当事者同士の間で合意があれば、同性愛行為は合法とされることになった。IPC377は引き続き合意のない同性愛行為や未成年に対する性犯罪などに適用される。

 デリー高等裁判所の判決なので、これが即インド全国に適用されるかは議論が分かれている。現在はっきりと言えることは、7月2日をもって、デリーにおいて同性愛が犯罪ではなくなったと言うことである。デリーはインドのゲイ・キャピタルとなり、今後インド全国から同性愛カップルの流入が始まるのではないかとの見方も出ている。

 反応は様々である。文化人は、デリー高等裁判所の判決を歓迎し、同性愛者コミュニティーに祝福を送る人が多い。宗教関係者は「インドの社会を破壊する」としてほぼ一様に反対の声を上げている。微妙な問題であるため、ほとんどの政治家はコメントに慎重だ。

 こういう際どい出来事が起こったとき、楽しみなのはインドの英字大衆紙タイムズ・オブ・インディアである。判決が出た翌日の新聞には、やはりかなりの紙面を割いて、判決の内容、その影響、各界の反応などが特集されていた。その中でもっとも目を引いたのが、インド神話における同性愛の歴史である。現代の事件を神話まで遡って論じるところがインドの醍醐味である。その記事の題名は「When gayness was out in open, not a matter of guilt(ゲイが公認され、犯罪ではなかった時代)」。筆者はデーヴダット・パッタナーイクという作家である。記事の中では、インド神話の中には同性愛、性転換、中間性などの記述が随所に見られ、それらはかつてのインドにヘテロセクシャル以外に対する寛容な社会があったという証拠になっているとの議論が展開されていた。記事の中で触れられていた、インド神話に見られる多様な性を簡潔にまとめてみた。
  1. 木星の神ブリハスパティは、星の女神ターラーと結婚していた。だが、ターラーは月の神チャンドラ(ソーマ)と不倫し、子供を身ごもった。ブリハスパティは不倫の子供に呪いをかけた。その結果、半陰陽の子供が産まれて来た。その子供はブダと名付けられ、水星の神となった。ブダはイラーと結婚した。実はイラーもトランスジェンダーであった。イラーの父親のマヌは息子を欲して太陽神ミトラと風神ヴァルナを祀る儀式を行ったが、祭儀を司ったブラーフマンが手順を誤ったために女の子が生まれて来てしまった。だが、ミトラとヴァルナは彼女の性を転換し、男の子に変えた。だが、後にイラーはシヴァ神の怒りを買って再び女性に戻されてしまった。この時点でイラーはブダと結婚する。しかし、その後ヴィシュヌ神の恩恵によりイラーはまたも男性に戻る。
  2. 聖仙ナーラダはあるとき不思議な池に落ち、女性に変身してしまった。その時この世は幻想であることを悟る。
  3. シヴァ神はヤムナー河で沐浴をし、ゴーピー(牧女)に変身した。そしてクリシュナとリーラー(遊戯)を繰り広げた。ヴリンダーヴァンにあるゴーペーシュワルジー寺院は、ゴーピーに変身したシヴァ神を祀る寺院である。
  4. アハマダーバードの近くには、雄鶏に乗る女神バフチャーラーを祀る寺院がある。そこにはかつて、女性を男性に変え、雌馬を雄馬に変え、雌犬を雄犬に変えるという不思議な池があった。その池は干上がってしまったが、バフチャーラー寺院には今でも男児を望む女性たちが参拝に訪れる。
    ※この寺院には訪れたことがある。当時の日記はコチラ
  5. プドゥッチェリー(ポンディチェリー)の近くにあるクーヴァガム村では、毎年トランスジェンダーたちによる歌と踊りの祭典が開かれる。この祭りは、南インドで人気のある神アラヴァーン(イラーワーン)の殉死を記念したものである。アラヴァーンは、「マハーバーラタ」の英雄アルジュナと、蛇族の娘ウルピの間の息子で、クルクシェートラでの戦争においてパーンダヴァの勝利を祈願し自らを生け贄に捧げた人物である。アラヴァーンは死ぬ前に、結婚をしてから死にたいと願った。誰も死ぬ運命にある男性と結婚しようとする女性がいなかったため、クリシュナがモーヒニーという女性に変身し、彼の妻となった。
    ※この祭りと、それを扱った映画についても以前取り上げたことがある。コチラを参照。
  6. ヴァールミーキ版「ラーマーヤナ」(サンスクリット語)では、ラークシャス(羅刹)の女が、ラーヴァナ(羅刹王)のベッドで寝ていた女にキスをするシーンがある。なぜならラークシャスの女は、そうすることで主人と間接キスをすることになると考えたからである。
  7. クリティヴァーサ版「ラーマーヤナ」(ベンガリー語)では、同じ夫に嫁いだ2人の妻たちが、夫の死後、魔法の水を飲んで交わり合い、骨のない子供を産んだという下りが出て来る。インドでは伝統的に精液が骨の元になると考えられているため、女性同士で作った子供には骨がないという訳である。
 このように、インド神話には男性、女性以外の多様な性の在り方が混在している。作者はこれだけを挙げたが、例は他にもたくさんある。僕がインド神話の中で特に興味を引かれているエピソードのひとつが、シカンディーの復讐劇である。

 シカンディーを解説するにはまずビーシュマについて触れなければならない。ビーシュマは「マハーバーラタ」の中の偉大な長老である。ビーシュマはハスティナープラの王族に生まれたが、王子時代に「一生独身で通す」という誓いを立てたため、未婚であった。武勇に優れたビーシュマは、腹違いの弟ヴィチトラヴィーリヤのためにカーシー王国(現在のヴァーラーナスィー)の3人の姫アンバー、アンビカー、アンバーリカーを武力で奪って連れて来る(これは法典で許された方法であった)。だが、長女アンバーにはサルワという意中の人がいた。よって、アンビカーとアンバーリカーはそのままヴィチトラヴィーリヤと結婚したが、アンバーは結婚を拒否した。そこでビーシュマはアンバーをサルワの元に送ったが、サルワは一度他の男に連れさらわれた女性を受け容れることを恥とし、彼女との結婚を拒否した。アンバーはビーシュマに責任を取って自分と結婚するように要求したが、ビーシュマは独身の誓いを理由にそれを拒絶した。行き場を失い、これ以上ない屈辱を受けたアンバーは、来世でビーシュマに復讐をすることを誓って命を絶った。

 アンバーはシカンディーという名でパンチャーラ王国の王の子として転生する。シカンディーが果たして男性だったか女性だったのかは複雑である。生まれつき両性具有だったという話もあれば、女性として生まれながら男性として育てられ、後にヤクシャ(精霊)と性を交換して男性に性転換したという話もある。とにかく、彼/彼女もインド神話のトランスジェンダーの典型である。シカンディーはマハーバーラタ戦争にパーンダヴァ側として参加し、カウラヴァ側にいたビーシュマの命を狙う。ビーシュマはシカンディーがアンバーの生まれ変わりであることに気付いていた。高潔なビーシュマにとって、かつて女性だった人物に武器を向けることはプライドが許さなかった。よって、ビーシュマは決してシカンディーに攻撃を加えようとしなかった。そこでパーンダヴァの5王子の1人で弓矢の名手アルジュナはシカンディーを盾にして無敵の武勇を誇るビーシュマに近付き、彼に矢を射る。ビーシュマはその矢によって致命傷を受け、絶命する。間接的ながら、シカンディーはビーシュマへの復讐を果たすことに成功したのだった。

 このように、シカンディーのエピソードは、輪廻転生と両性具有・性転換という想像力溢れる復讐劇であり、「Om Shanti Om」(2007年)のような輪廻転生モノのボリウッド映画の上を行く内容となっている。

 インドのイスラーム教やキリスト教の団体が同性愛などについて具体的にどのような宗教的根拠によって反対しているのか分からないが、少なくともヒンドゥー教の宗教団体は、インド神話があまりに寛容かつ開けっ広げであるため、うまく主張ができないのではないかと思われる。しかし、タイムズ・オブ・インディア紙のような新聞が取りがちな、同性愛などを認めることがグローバライゼーションや先進性の象徴であり、それを認めないのは頭の固い時代遅れの連中であると言った、一方的な態度にも疑問を感じる。同性愛者を人間と認めないような旧態然とした法律が見直されたことは歓迎すべきだが、まるで同性愛を推進するような論調になって来ると話は別だ。反対意見はあって然るべきだし、メディアとして彼らの主張にもきちんと耳を傾けるべきである。この問題も、「インディア」と「バーラト」のせめぎ合いだと言える。それら両極端のバランスがインドのユニークなエネルギーの原動力になっていると思うので、他の問題と同様、慎重に協議して行ってもらいたいものである。

7月10日(金) Short Kut - The Con is On

 「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)の世界的成功のおかげで一足飛びに名声を手にしたボリウッド俳優アニル・カプールは、他の多くの俳優と同様にプロデューサー業にも手を広げている。アニル・カプール制作映画は今まで「Badhaai Ho Badhaai」(2002年)、「My Wife's Murder」(2005年)、「Gandhi, My Father」(2007年)などがあるが、興行的にヒットした映画はない。本日、アニル・カプールのプロデュースによるコメディー映画「Short Kut - The Con is On」が公開された。「スラムドッグ$ミリオネア」の好運が果たしてまだ有効か、見物である。監督はコメディーの分野で監督・脚本家として活躍中のニーラジ・ヴォーラー。キャスティングは、アクシャイ・カンナー、アルシャド・ワールスィー、アムリター・ラーオなどで、スター性から評価したら一流半~二流と言ったところか。しかし、顔合わせは面白い。



題名:Short Kut - The Con is On
読み:ショート・カット・ザ・コン・イズ・オン
意味:近道:詐欺師現る
邦題:ショートカット

監督:ニーラジ・ヴォーラー
制作:アニル・カプール
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:ボスコ・シーザー
衣装:アキ・ナルラー、アメリア・プンヴァン、サンボ、ウマー・ビジュー、マニーシュ・マロートラー、クナール・ラーワル、ミニ・ワキール、シェーファーリー・デーヴ
出演:アクシャイ・カンナー、アルシャド・ワールスィー、アムリター・ラーオ、スィミー・ガレーワール、チャンキー・パーンデーイ、スィッダールト・ランデーリヤー、ハイダル・アリー、アリー・アスガル、サンジャイ・ダット(特別出演)、アニル・カプール(特別出演)、ニーラジ・ヴォーラー(特別出演)
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。

左から、アクシャイ・カンナー、アムリター・ラーオ、アルシャド・ワールスィー

あらすじ
 長年ニーラジ・ヴォーラー監督(本人)の助監督を務めて来たシェーカル(アクシャイ・カンナー)は、遂に独立して自分の映画を撮影することを決める。そのために脚本を書き出し、苦労の末渾身の傑作を書き上げる。「成功に近道はない」がモットーのシェーカルにとって、映画監督デビューは夢の実現だけではなかった。実は彼の恋人はスター女優マーンスィー(アムリター・ラーオ)であった。だが、マーンスィーとの関係は秘密にしていた。なぜならもし助監督の身分でマーンスィーとの関係を公表したら、自分の出世のためにマーンスィーを利用したと世間から思われるからであった。映画監督となって、晴れてマーンスィーとの関係を公にすることを決めていた。よって、この脚本は彼にとって人生そのものだった。早速大物プロデューサーのチャッダーと契約を結び、映画監督への第一歩を踏み出した。

 一方、シェーカルの知り合いにラージュー(アルシャド・ワールスィー)という俳優志望の男がいた。ラージューのモットーは「人生何でもショートカット」で、とにかくずるいことをしては今まで生きて来たのだった。彼はとんでもない大根役者だったが、何とか大スターになろうと躍起になっており、プロデューサーのトーラーニーから、良質の脚本を持って来れば彼を主演にして映画を作ってやるという口約束を取り付ける。ラージューはシェーカルから脚本を盗み出し、トーラーニーに渡す。この脚本のおかげでラージューは主演を手にすることが出来た。演技指導家のグル・カプール(チャンキー・パーンデーイ)を言いくるめて秘書に付け、シェーカルに内緒にしながら撮影を行う。この映画は大ヒットとなり、ラージューは一躍大スターとなった。

 憐れなのはシェーカルである。ラージューの主演作が自分の脚本のコピーだと気が付いたときにはもう遅かった。チャッダーとの契約も解消となってしまう。シェーカルは裁判所に訴えることもできたが、そうしてもプロデューサーのトーラーニーに被害を与えられるだけで、ラージューには何の影響もなさそうだった。シェーカルは結局何もせずに苦渋を噛みしめる。家族とうまく行っていなかったマーンスィーは、家出をしてシェーカルのところへやって来る。そしてメディアの前でシェーカルと結婚し、女優業から引退すると宣言する。こうしてシェーカルとマーンスィーは結婚したが、無職状態のシェーカルは満足に家計を支えることが出来なかった。マーンスィーに内緒でアルバイトを始めるが、すぐにそれは妻に知れてしまう。マーンスィーは女優に復帰してお金を稼ぐことを提案するが、世間から「大女優の夫」というレッテルを貼られてしまったシェーカルにとってそれは屈辱でしかなかった。このことが原因で2人の間に亀裂が入り、マーンスィーは家を出て行ってしまう。

 どん底まで落ちたシェーカルだったが、トーラーニーは彼の才能を認めており、次の映画の監督をするように依頼する。だが、その映画の主演は、今や「キング・クマール」と呼ばれるほど大スターになったラージューであった。シェーカルはラージューがした仕打ちを忘れていなかったが、背に腹は代えられず、そのオファーを承諾する。一方、ラージューもシェーカルが監督の映画に出演することを嫌がったが、一旦出演を承諾し、完成間近で急に出演をキャンセルすることでシェーカルに嫌がらせをすることを思い付く。ラージューもそのオファーを承諾する。シェーカルは脚本を書き始め、すぐに完成させる。

 ところが、撮影に取りかかろうとしていたその矢先、トーラーニーが事故で急死してしまう。映画も資金難から暗礁に乗り上げるが、シェーカルが住むアパートの大家カーンティーバーイー(スィッダールト・ランデーリヤー)が、前々からアパートの土地を欲しがっていたモール建設業者に土地を売って金を作り、それを使って映画をプロデュースすることを提案する。アパートの住民もそれに賛成し、皆、アパート売却によって得られる自分の取り分を映画に投資する。

 撮影はタイで行われることになった。シェーカルは何とかラージューをコントロールしながら着々と撮影を行った。その間、マーンスィーも映画のロケでタイに来ていることが分かる。だが、2人は連絡を取り合おうとしなかった。撮影は進み、あとは最後のシーンを残すのみとなった。そこでラージューは難癖を付けて撮影をストップさせようとする。シェーカルは一度諦めかけるが、マーンスィーに励まされ、何としてでも映画を完成させる気になる。シェーカルは、隠しカメラを使ってラージューの行動を盗撮し、残りのシーンを撮影するアイデアを思い付く。ラージューはその作戦にまんまとひっかかってしまう。

 映画が公開された。蓋を開けてみたらラージューは主役ではなく、代わりにずっとエキストラ俳優をし続けて来たアスラムが主役になっていた。しかもラージューは最後に気が狂ってしまうという憐れな悪役であった。シェーカルは監督デビューを果たし、晴れてマーンスィーと結ばれることとなった。

 基本的には、「Munnabhai」シリーズのサーキット役で有名なアルシャド・ワールスィーの個人技で押すコメディー映画であるが、2つのシリアスなテーマに触れられていたことで、ただ笑って終わりではない、中身のある作品となっていた。その2つのシリアスなテーマのひとつめは、題名にもなっている「ショートカット」である。主人公の2人、シェーカルとラージューは、映画界で成功するという共通の夢を追う若者であったが、そのアプローチの仕方はまったく正反対であった。シェーカルは、有能な監督の下で12年間下積みを積み、これから満を持して映画監督になろうとする、努力型の人間であった。一方、ラージューは他人を騙し、出し抜いて生きて来たいい加減な男で、常に近道を探っていた。この2人の生き様の対比が、「Short Kut - The Con is On」の中心軸にあった。当初はラージューの方がシェーカルの努力を横からかっさらうことで早く出世する。だが、結局はコツコツと努力を重ね、才能を磨いて来たシェーカルに軍配が上がるというのが映画の大まかな筋である。最後にシェーカルはラージューに、「作品を盗むことはできるかもしれないが、才能を盗むことはできない」と啖呵を切る。「成功に近道はない」というのがこの映画のひとつのメッセージであった。

 もうひとつのテーマは、シェーカルと妻マーンスィーの夫婦関係である。映画全体に影響を与える要素ではないが、中盤の盛り上がりを作っており、見逃せない。この部分を理解するには、まず2人の置かれた立場を理解しなければならない。シェーカルは今のところ助監督止まりであり、いよいよ監督になろうとしていた人物であった。一方、マーンスィーは既にトップ女優の座を獲得していた。2人はお互い深く愛し合っており、結婚を考えていたが、シェーカルは2人の仲を公表するのを拒んでいた。なぜならせいぜい助監督の男がスター女優と結婚したら、その後監督になっても、監督になれたのは妻のおかげだと世間から思われるからである。よって、自分の力で監督になって、その後堂々と結婚したいと考えていた。これは世間体というより、男としてのアイデンティティに関わる問題であった。しかし、成り行きによってシェーカルは監督になる前にマーンスィーと結婚することになる。すると、やはり恐れていたことが起こってしまった。シェーカルは「マーンスィーの夫」という肩書きでしか認識されなくなってしまったのである。しかも、ラージューの裏切りによって彼のキャリアは危機にさらされていた。自暴自棄になったシェーカルはマーンスィーにも冷たく当たるようになる。マーンスィーは、女性の立場から、世間の人には言いたいことを言わせておけばいいと主張するが、結局自分のせいでシェーカルが八方ふさがりになっているのを自覚し、彼の成功を祈って、敢えて夫の元を去ってしまうのである。別居状態になってもマーンスィーのシェーカルに対する愛は変わらず、最後にはマーンスィーの励ましのおかげでシェーカルは映画を完成させることができ、2人は仲直りするのであった。

 映画のクライマックスである、最後にラージューを騙して残りのシーンを撮影する部分も、予想は出来たが、面白かった。だが、シェーカルの書き上げた傑作の脚本2本が一体どんなものなのか、劇中ではほとんど語られておらず、気になるところであった。もっとも、もし本当にそんな傑作の脚本があるのなら、むしろそっちを映画化するだろう。

 ところで、ラージューが主役をゲットしようとあれこれ苦労しているとき、マフィアのドンに変装してプロデューサーのところへ押しかけ、ラージューを主演に映画を作るように脅すシーンがあった。実はそれと全く同じような事件がこの6月に発生しており、とてもタイムリーであった。「スラムドッグ$ミリオネア」にも端役で出演したアジト・ディーンダヤール・パーンデーイという俳優が、マフィアのドン、チョーター・シャキールの従兄弟を装って監督を脅し、アジトをあるテレビドラマに出演させるように強要したのである。最近「Om Shanti Om」(2007年)、「Khoya Khoya Chand」(2007年)、「Luck By Chance」(2009年)など、映画産業の舞台裏を題材にした映画が流行しているが、やはりボリウッドの映画人にとってもっとも身近なのは映画界であり、その映画界を題材にした映画には、実体験に基づく面白いストーリーが盛り込まれることが多いように思える。それらの多くは真実か、真実に基づいたフィクションなのだろう。

 総じて、「Short Kut - The Con is On」は、大予算型ボリウッド娯楽映画の持つゴージャスさには欠けていたが、スッキリとまとまった作品になっており、後味も良かった。佳作と言えるだろう。

 一時は前髪のみが話題に上る程度であったアクシャイ・カンナーは、徐々に実力を付けて来て、今ではオールマイティーにいろいろな役柄をこなせる準ベテラン俳優となっている。ヒーロー俳優としての旬は過ぎているが、派手さよりも着実な演技力を要する役に適しており、本作品でもアルシャド・ワールスィーとの対比の中で彼の誠実な演技が際立っていた。

 アルシャド・ワールスィーはこの映画の中心人物である。主役でもあるが、コメディー役でもあり、悪役でもあるという、かなり贅沢な役柄を、いつものアルシャド節で難なく乗り切っていた。やはり彼には、真面目な役よりもこういう怪しげな男の役の方が似合っている。

 アムリター・ラーオはとても痩せこけて見えるため、いまいちスクリーン映えがしない。いくつかいい演技も見せてはいたが、スター女優としてのカリスマ性に欠け、もっと他に適役はいただろうと思われる。

 この映画で密かに話題になっているのは、アニル・カプールとサンジャイ・ダットの共演である。序盤のダンスシーン「Mareez-e-Mohabbat」で、アムリター・ラーオと共にこの2人がダンスを踊る。実はボリウッドの中では長いことアニルとサンジャイの不仲が噂されていたのだが、アニルがプロデュースする「Short Kut - The Con is On」にサンジャイが特別出演したことで、それは既に解消されたと観測されている。他に、ニーラジ・ヴォーラー監督自身がカメオ出演している。

 音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。先に挙げた「Mareez-e-Mohabbat」の他、テーマソングとも言える「Patli Gali」などがアップテンポで彼ららしい音作りであるが、全体的にはこのトリオのいつものレベルには到達していない。

 撮影の大部分はタイで行われており、タイの名所がいくつか出て来る。特にミュージカル「Kal Nau Baje」の映像は非常に美しかった。

 「Short Kut - The Con is On」は、基本的にコメディー映画ながら、ドラマあり、教訓ありでバラエティーに富んでいる上に、味も適度に調節されており、健康食のような娯楽映画の佳作である。見ても損はないだろう。

7月11日(土) 映画評について

 「これでインディア」読者からよく聞かれる質問のひとつに、「映画評を1本書くのに一体どれくらいの時間がかかるのか?」がある。

 まずインド映画は大体2時間半~3時間あるので、映画評の元となる映画を見るだけで3時間前後の時間がかかることになる。映画館で見た映画でなければ評論はしないという頑ななモットーを持っているので、映画評を書くということは、映画館で映画を見たということである。つまり、当然のことながら映画館までの往復の時間もかかる。近くの映画館なら往復に30分以上かかることはないが、遠くの映画館でしかやっていない映画を見るときなどは往復だけでもけっこうな時間を要する。ちなみに、映画を見ているときにメモなどは一切しない。映画の世界にドップリ浸かれないからである。それに、なるべく批評家の目で映画を見ないように努めている。まずは自分で楽しむために映画を見ている。その過程で心に残ったものや、日本人のインド映画ファンの理解を助けるために解説を加えるべきだと思ったものをまとめたのが、基本的に「これでインディア」の映画評である。専門がら、映画で使用される言語にも注目している。これはおそらく一般の映画評論家には見られない視点であろう。

 家に帰り、映画評を書く前にまずする作業は、その映画の公式サイトを探すことである。話題作だったらすぐに見つかるのだが、マイナーな作品だとそもそもウェブサイトがないことがあるし、あっても検索サイトでなかなか引っかからなかったりして時間がかかることがある。

 公式サイトをなぜ見る必要があるのかと言うと、まず登場人物の名前を確認するためである。あらすじは一回見れば頭に入るのだが、それぞれの登場人物の名前をいちいち記憶するのは難しい。だから公式サイトの助けが必要となる。最近はBollywood Hungama(旧IndiaFM)、The Internet Movie Database(IMDb)Wikipediaなど、情報が充実しているので助かるのだが、それらが利用できない時代から映画評を書いて来たので、まずは公式サイトを探す作業を伝統的に行っている。公式サイトが見つからなかったり、登場人物の名前について大した情報が載っていなかった場合は、上記のサイトのお世話になる。それでも十分でないときは頭を絞って思い出したり、ネット上で誰か書いていないか必死になって探したりするので、時間がかかる。万事休した場合は登場人物名を書かずに済ますが、気持ちいいものではない。

 公式サイトを探すもうひとつの理由は、映画の画像をダウンロードするためである。映画評では、なるべく主演俳優の容姿が分かるような画像を貼るようにしている。公式サイトは大体壁紙やポスターなどを提供している。プロモーション目的で配布しているみたいなので、「これでインディア」映画評で使わせてもらっても問題ないと勝手に考えている。日本では肖像権などに関してけっこう厳しい規制があるみたいだが、インドはその点いい加減なので助かる。いい画像がないときは前述のBollywood Hungamaなどからダウンロードすることが多い。

 これらの準備をしてから映画評を書き始める。いい映画なら書くことが多くなるのでそれだけ時間をかけるし、何の取り柄もない駄作なら簡潔にまとめる(一応駄作は見ないように心掛けているが)。準備から書き上げまでにかかる時間は大体2~3時間である。つまり、映画館へ行くところから映画評をアップロードするまでの時間を合計すると、少なく見積もって5時間、多く見積もって7時間ほどかかっていることになる。

 映画評を書き始めた一番の理由は、ヒンディー語留学をした当初、日本語で最新ヒンディー語映画のあらすじなどがまとめられたサイトがあったらなぁと思っていたからである。当時はまだ聴き取りが未熟だったので、映画を見ても筋が理解できないことがしばしばあった。「インド映画は言語が分からなくても理解できる」と言う人がいる。それは確かにその通りなのだが、それはおおまかな筋が分かるだけで、やはり細かい部分の理解にはヒンディー語の語学力が不可欠である。また、ヒンディー語の理解、引いてはインド文化の理解がもっとも物を言うのは、コメディー映画を見ているときである。僕は前々から「インド映画の真髄はコメディー映画にあり」と主張している。その主張の裏には様々な考えがあるのだが、言語という観点から言うと、ヒンディー語のコメディー映画が理解できたら、そしてインド人観客と一緒に笑うことができるようになったら、かなり上級レベルのヒンディー語を理解したと思っていいからである。もちろんアクション主体のギャグは言語が分からなくても笑えるだろうが、インディアン・ギャグの本体はやはり台詞によるギャグにある。それを理解するには、ヒンディー語の妙について、頭ではなく、感覚的な理解が必要となる。よって、インドでヒンディー語を勉強している人は、ヒンディー語のコメディー映画を頻繁に見るといいと思う。笑えなくてもいいが、少なくともどう笑わせたいのかが理解できたかどうかの度合いで、自分のヒンディー語の能力が測れる。ただ、映画はビジュアルを伴っているので、ある程度ヒンディー語さえできれば視覚が補助してくれる。もっとも難しいのはテレビ番組The Great Indian Laughter Challengeなどの、漫才系ギャグである。もちろんジェスチャーなどを交えて語ってはくれるが、基本的に言葉によって笑いの壺を押さえなければならない。ヒンディー語を学び始めてもう10年が経つが、まだインド漫才の全てで笑うことができていない。

 話がそれてしまったが、つまり「これでインディア」の映画評は、かつてヒンディー語初学者だった僕が「あったらいいなぁ」と思っていたものを、自分で作ってしまったものである。だから、第一にはインドでヒンディー語を習っている日本人が、最新ヒンディー語映画を映画館で見て完全に理解できなかったときに役立つような情報を日本語で提供することを主眼に置いている。だからあらすじも最後まで書いている。そもそもネタバレを恐れていては正当な評論はできない。また、インドや、インド映画がタイムリーに公開されている国に住んでおり、ヒンディー語を習っていなくても何らかのきっかけでヒンディー語映画にはまってしまったという奇特な日本人の方々にも、映画を見る前の予習として利用していただいているようである。他に、日本在住のインド映画ファンの方が輸入DVDを買うときの参考にしたり、インドのサブカルチャー情報を手っ取り早く収集したいという方がどんな映画がインドで流行っているのかを知るために利用したりと、様々な利用のされ方がしているみたいである。

 しかし、「これでインディア」映画評があるために、ヒンディー語学習のためにヒンディー語映画を利用している人に逆に障害が出てしまっているのではないかという恐れも抱いている。なるべくヒンディー語学習者には、ある程度ヒンディー語が身に付いた段階で「これでインディア」映画評から卒業していだたいた方がいいのではないかと思う。映画を見終わった後に読んでいただければと期待している。もちろん僕と違う感想を抱く人もいると思うが、最近は簡単にブログなどを始められるので、そこで感想などを綴っていただければ、より日本人の間でのインド映画情報交換が進むと思う。

 そこで、まだヒンディー語が未熟だった頃、どのように僕がヒンディー語映画を見ていたのかを書いてみようと思う。やはり頼りにしていたのは公式サイトである。その頃から既に主要作品の公式サイトが開設されていた。だから、映画を見る前に公式サイトのThe FilmやStoryやSynopsisなどと書かれた部分を読んで、物語の導入部分やあらすじを頭に入れ、映画館に臨んでいた。ここで重要になるのは、公式サイトの発見方法である。確か以前にもどこかでまとめたことがあったが、もう一度ここでまとめてみたいと思う。

 公式サイトの発見方法をわざわざ指南する理由は、公式サイトを発見するのが難しいことがあるからである。まずはGoogleなどの検索サイトで映画名を入力して検索してみる。それで表示されれば全く問題ない。だが、最近はインド映画に関するサイトが乱立しており、映画名を入力しただけでは公式サイトがトップページに表示されないことがある。そういう場合、映画名に加えて「official」という言葉を検索キーワードに加えて検索してみると、公式サイトがトップに表示される可能性が高くなる。

 ちなみに、ボリウッド映画の公式サイトでもっとも多いドメインのパターンは、「映画名thefilm.com」である。稀に「映画名.com」や「映画名themovie.com」のときもある。しかし、「映画名」の部分が曲者である。メインタイトル+サブタイトルのこともあれば、頭文字のときもあり、いろいろなパターンがあり得るのである。よって、ドメイン直接入力で公式サイトを探すのはけっこう難しい。

 抜け目のない人は、映画館に行ったときにポスターをチェックして、各映画の公式サイトのURLが載っていないか確認するという方法を採ることもできる。多くの場合、映画のポスターには公式サイトのURLが掲載されている。他に、サントラCDにも載っていることがあるし、予告編に出て来ることもある。これらから公式サイトのURLを入手するのもひとつの方法である。

 それでも見つからない場合は、プロダクションのウェブサイトを探す方法を採るべきである。プロダクションのウェブサイトの下に映画の公式ウェブサイトが置かれているパターンも多い。ヤシュラージ・フィルムス制作の映画の多くはそれに該当する。よって、常にプロダクションがどこなのかをチェックすることも必要となる。

 これだけ頑張っても見つからない場合、元からその映画の公式サイトが存在しない可能性を考えなければならなくなる。低予算映画や、長年お蔵入りしていたような映画に、公式サイト無しの場合が多い。もし映画を見る前であったら、公式サイトのない映画は地雷であることが多いため、映画館での鑑賞を見送るという選択肢を取ることも大切になってくる。

 たとえヒンディー語学習のためであっても、面白い映画を見たいというのは万人に共通した願いであろう。つまらない映画では、ヒンディー語学習意欲も衰えるというものである。有名どころの監督や俳優をある程度把握してしまえば、映画のキャストとクルーを見ただけで大体その映画の面白さが予想できてしまうものだが、それだけの鑑識眼を身に付けるためにはかなりの経験が必要となる。よって、手っ取り早く、映画公開直前に映画の面白さについて推測する方法を伝授しよう。それはマルチプレックス(複合スクリーン型映画館)での映画上映回数である。これはその週公開の最新作に限られるが、面白い映画は上映回数が多く、多くの観客を期待できない映画は上映回数が少なめに設定される傾向にある。映画のことを一番よく知っているのは映画館の人間である。映画館の人間が売れると感じた作品は必然的に上映回数が多くなるため、上映回数が多い映画は面白いに違いないという訳だ。公開から時間が経っている場合は、伝統的な方法であるが、公開何週目なのかを調べるとその映画の面白さが分かる。長く上映され続けている映画ほど面白いのは間違いない。ただ、最近ボリウッド映画界では米国式にオープニング成績がヒットの基準となっており、公開○週というのがあまり謳われなくなったため、この方法も採りづらくなって来たように思われる。

 さて、面白そうな映画を選び、映画館まで足を運んで鑑賞する段階に入る。ここで、ヒンディー語の語彙力が不足していると、やはり映画を見ていて何を言っているか分からない部分が多くなる。最初の内は分かる単語を拾っていくような状態であろう。そのレベルなら、日常会話に必要な基礎的語彙力が不足しているということなので、映画に頼らなくても、日常生活で、または旅行中に、インド人とヒンディー語で会話をするように心掛ければすぐに上達するだろう。映画を見ていて、分からない単語よりも分かる単語の方が増えて来たら、映画を教材にするのに適した時期に来たことになる。分からない単語の中で、何度も出て来るようなものを記憶したりメモしたりして、後で辞書で調べるようにすれば、上達が早い。その内だんだん分からない単語が減って来るだろう。

 通常の娯楽映画なら、台詞の中に難しい単語が含まれることは稀であるが、挿入歌の歌詞は別である。アラビア語・ペルシア語系の単語が頻出する。いわゆるウルドゥー語の語彙と言われている単語である。ヒンディー語の学習者が気を付けなければならないのは、ヒンディー語映画の言語は実はどちらかというとウルドゥー語寄りだということである。よって、サンスクリット語からの借用語を多く含んでいる現代標準ヒンディー語(いわゆるシュッド・ヒンディー、純ヒンディー語)を勉強しても、ヒンディー語映画の理解には直接役に立たないことが多い。もちろん、シュッド・ヒンディーをマスターして損にはならないのだが、ヒンディー語映画を存分に楽しみたかったり、ステップアップを目指したかったら、積極的にウルドゥー語も勉強して行く必要がある。ウルドゥー語の文法はほとんどヒンディー語と同じなので、ヒンディー語の文法さえマスターしていれば、後は文字を覚えるだけである。だが、文字を覚えなくても、ヒンディー語映画の挿入歌に出て来るアラビア語・ペルシア語系の単語を覚えて行けば、けっこうな語彙力が身に付くだろう。映画公開前には必ずサントラCDが発売されるし、最近は同梱のブックレットに歌詞がアルファベットで書かれていたり、ネット上で歌詞を入手できたりするので、それらで予習して映画鑑賞に臨むと盛り上がれるだろう。ヒンディー語学習者にとって、ヒンディー語映画の挿入歌は、ウルドゥー語への入門となりうる。ただ、やはり詩なので、辞書を引いてすぐに意味を理解できない部分も多い。それはまた遙かに上の段階の話となる。

 映画館で映画を見ていて、どうしても分からないことがあった場合、近くの観客に質問してみるというのもありだ。インド映画には必ずインターミッションが入るため、その間にとりあえず前半の不明部分について質問することができる。映画が終わった後はみんな急いで映画館を出ようとするのでちょっと難しいかもしれない。だが、聞くと結構親身になって答えてくれたりする。

 ヒンディー語は、はっきり言って単独でマスターしたところでそれほど実用性のない言語である。インドの多くの情報は英語で入手可能なため、またインドは多言語国家のイメージが強いため、ヒンディー語はないがしろにされることが多い。だが、ヒンディー語ができない人が語るインド像は、いくら英語ができても、多くの場合耳を傾けるに値するものでないことは明らかである。言語は文化と一体であり、ヒンディー語を理解しないということは、インドの文化を理解していることにならない。英語はインド人にとって背広とネクタイみたいなものであり、英語で話している限り心を開いて話し合うことはできない。さらに、多言語国家インドと言っても、語族に分けたらインドの言語は4系統のみであり、しかもその内大部分を占めているのはインド・アーリヤ語族とドラヴィダ語族の2系統だけだ。ヒンディー語はインドのアーリヤ語族の言語を代表するに十分な力を持っている。インドと関わる際、英語が不可欠なのは否定できない。だが、だからと言ってヒンディー語の価値が減じる訳ではない。言わばヒンディー語は、英語とセットになった場合、非常に強力なスキルとなる。しかも、ヒンディー語学習者にはもれなくボリウッド映画というご褒美が待っている。ヒンディー語を学習する際に、次から次へとリリースされるボリウッド映画はこの上ない教材であるし、ヒンディー語をマスターした後は、娯楽の王道ボリウッド映画の世界にドップリ浸かることができるという特典を得られる。「これでインディア」映画評は、そういう人々を念頭に置いて書いている。

7月12日(日) Sankat City

 近年のマルチプレックス(複合スクリーン型映画館)の流行は、映画そのものにも影響を与えており、マルチプレックスで好んで映画を見る層、つまり教養があり、英語を話し、欧米文化の影響を受け、経済力を持った都市上位中産階級を主なターゲットに据えたマルチプレックス映画がたくさん作られるようになった。そのおかげでインド映画は非常にバラエティーに富んだ作品を生み出すようになっており、かつてのような娯楽映画か芸術映画かと言った極端な二極分離状態が解消されつつある。そのことについては「これでインディア」でも度々触れて来た。現在公開中の「Sankat City」も、完全にマルチプレックス層をターゲットにした良質の娯楽映画である。登場人物が複雑に絡み合っているため、あらすじは煩雑になってしまっているが、映画そのものは分かりやすく出来ている。監督は本作品がデビュー作のパンカジ・アードヴァーニーである。ちなみに、副題の「Sabka Band Bajega!!!(みんなのバンドが鳴るだろう)」は、「みんな大変なトラブルに巻き込まれるだろう」という意味。



題名:Sankat City
読み:サンカト・シティー
意味:危険な街
邦題:トラブル・シティー

監督:パンカジ・アードヴァーニー(新人)
制作:モーゼルベア・エンターテイメント、ア・セブン・エンターテイメント
音楽:ランジート・バーロート
歌詞:パンチー・ジャーローンヴィー、メヘブーブ
振付:ブーペーンドラ・サーヤン、アーディル・シェーク
衣装:ジェリー・デスーザ
出演:ケー・ケー・メーナン、リーミー・セーン、アヌパム・ケール、チャンキー・パーンデーイ、マノージ・パーワー、ディリープ・プラバーウォーカー、ヤシュパール・シャルマー、ヘーマント・パーンデーイ、サンジャイ・ミシュラー、ラーフル・デーヴ、ヴィーレーンドラ・スィン、シュリーヴァッラブ・ヴャース、グルパール・スィン、クルシュ・デーブー、ジャハーンギール・カーン、スニーター・ラジワール
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。

上段左からチャンキー・パーンデーイ、ケー・ケー・メーナン、リーミー・セーン、
下段左からラーフル・デーヴ、アヌパム・ケール、ヤシュパール・シャルマー

あらすじ
 ムンバイー。自動車泥棒のグル(ケー・ケー・メーナン)は、盗んだ自動車を、オンボロガレージを持つガンパト(ディリープ・プラバーウォーカー)に一新させ、盗難自動車商人のシャラーファト(シュリーヴァッラブ・ヴャース)に卸して金を稼いでいた。ある日グルは、売春宿の前に止まっていたメルセデス・ベンツを盗み、ガレージへ持って行く。トランクを開けると、そこには1千万ルピーの大金が入ったスーツケースがあった。グルはスーツケースをガンパトに預け、メルセデス・ベンツをシャラーファトに売りに行く。

 だが、実はそのメルセデス・ベンツは、マフィアのボス、ファウジダール(アヌパム・ケール)のモノであった。ファウジダールは、運転手のフィリップ・ファットゥー(ヘーマント・パーンデーイ)に、映画監督のゴーギー・ククレージャー(マノージ・パーワー)のところまで1千万ルピーを届けさせていた。ゴーギーは、パチースィヤー(ヤシュパール・シャルマー)から2千万ルピーで土地を買う約束をしており、そのためにファウジダールから1千万ルピーを借りたのだった。そのパチースィヤーはまたファウジダールから3千万ルピーを借金しており、やっと1千万ルピー返したところだった。残り2千万ルピーを作らなければならず、大事に守っていた土地をゴーギーに売り払ったのだった。だが、運転手のフィリップは、1千万ルピーを運んでいるとはつゆ知らず、途中で恋人グルバダン(スニーター・ラジワール)のところへ立ち寄り、その隙にグルに自動車を盗まれてしまったと言う訳である。

 ファウジダールと親交のあった殺し屋スレーマン・スパーリー(ラーフル・デーヴ)は、シャラーファトからメルセデス・ベンツを買うことにした。グルが直接スレーマンに自動車を見せに行く。だが、スレーマンはそのメルセデス・ベンツがファウジダールのモノだと気付く。グルは捕まり、ファウジダールの前に突き出される。グルは1千万ルピーはガレージに置いて来たと話す。ファウジダールの部下ラブリー(ジャハーンギール・カーン)と共にグルはガレージへ行く。

 一方、ガンパトは1千万ルピーを秘密の場所に隠していた。ラブリーがガレージに無理に押し入ろうとしたため、ガレージの中に置いてあったジープが倒れてしまい、ガンパトはその下敷きになって頭を打ち、記憶喪失になってしまう。そのせいでグルは3日以内に1千万ルピーをファウジダールに返さなければならなくなる。

 とりあえずグルは宝石屋でも襲って金を作ろうとする。そこへ現れたのがモナ(リーミー・セーン)であった。モナは女詐欺師で、フィリップと共に詐欺をしては金を稼いでいた。成り行きからかつてグルと協力して美人局をしたこともあった。だが、報酬の分け前を巡ってグルは痛い目にも遭っていた。

 モナが今回詐欺のターゲットに選んだのはパチースィヤーだった。なぜなら彼がもうすぐ2千万ルピーを手にすることを知っていたからである。しかし、そのためには誰かパートナーが必要だった。当初フィリップをパートナーにしようとしていたが、彼はファウジダールのメルセデス・ベンツと1千万ルピーをなくしたことから大目玉を食らっており、そのせいでグルバダンがリンチに遭ったりもしていたため、仕事をする気にはなれなかった。そこへ現れたのがグルであった。グルも彼女が2千万ルピーの仕事をすることを知り、報酬山分けを条件に協力することになる。

 ファウジダールは別のところから1千万ルピーを調達し、ゴーギーに届ける。ゴーギーはその金と自前の1千万ルピーを合わせて、2千万ルピーをパチースィヤーに渡す。パチースィヤーはその2千万ルピーを持ってファウジダールのところへ向かう予定であったが、途中でモナのところへ寄ってしまう。モナはグルと協力して2千万ルピーを詐取し、逃亡する。一度モナは再びグルをだまし討ちにして報酬の大半をかっさらおうとするが、考え直し、グルのところへ戻って来る。だが、彼女が2千万ルピーを入れていたバッグは、いつの間にか別のバッグにすり替わっていた。そのバッグは、ハイダラーバードからムンバイーへやって来たシェーシヤーナー(チャンキー・パーンデーイ)のものだった。

 少し時間が戻るが、ゴーギーは三文俳優スィカンダル・カーン(チャンキー・パーンデーイ)を主演にしてB級映画を撮っていた。だが、マルチプレックス時代の現代において彼の得意とするB級映画は全く流行らなかった。そこでもう監督業から足を洗おうと考えていた。パチースィヤーから土地を買ったのも、スタジオを建設するためであった。だが、最後の映画を何とか黒字に持って行くために、彼はスレーマン・スパーリーを使ってスィカンダル・カーンを撮影中に暗殺してメディアの注目を集めさせる。残りのシーンを撮影するため、スィカンダル・カーンにそっくりの俳優シェーシヤーナーをムンバイーに呼び寄せたのだった。シェーシヤーナーがホテルに向かう途中に乗ったバスには、偶然2千万ルピーを手にして移動中のモナも乗っていた。2人が持っていたのは全く同じバッグであった。バスの中でバッグは入れ違ってしまい、シェーシヤーナーが2千万ルピーを手にしてしまったのである。

 シェーシヤーナーはバッグの中に2千万ルピーが入っているのに気付くと、事件に巻き込まれない内にその金を持って逃げ出すことにする。だが、グルとモナはシェーシヤーナーの後を追う。途中、2人はハルナーム・スィン(グルパール・スィン)の運転するタクシーに乗り込む。ハルナームは、生き別れになった弟を25年間探しており、毎週グルドワーラーに通っていた。ハルナームはその直前にシェーシヤーナーを乗せており、彼が向かった先まで2人を連れて行く。シェーシヤーナーは逃げ出そうとするが、ハルナームは彼が生き別れの弟であることに気付く。2人は再会を喜んで抱き合う。一方、2千万ルピーの入ったバッグは混乱の最中にゴミ収集車に運ばれてゴミ捨て場まで行ってしまう。グルとモナはゴミ捨て場を探し回り、やっとのことでバッグを見つけるが、その瞬間バッグはショベルカーに踏まれて破裂し、中身の2千万ルピーが飛び散ってしまう。何とかお金を拾い集めたが、その額は100万ルピーちょっとであった。

 グルはそのお金を使ってルーレット・ギャンブルをし、それに見事に勝って1千万ルピーを手に入れる。そのお金を持ってファウジダールのところへ行くが、ファウジダールは既にグルとガンパトを殺すためにラブリーをガレージに差し向けていた。また、その場にはファウジダールが導師と信仰する宗教指導者マハーラージ(ヴィーレーンドラ・スィン)もいた。グルはファウジダールに、ラブリーを呼び戻すように頼むが、ファウジダールは意地悪をしてなかなかそれを承諾しなかった。そこでグルはマハーラージを人質に取る。それがファウジダールを怒らせ、グルは殺されそうになる。だが、そのときファウジダールはスレーマンのスナイパー銃の照準の中にあった。

 スレーマンは、ファウジダールに恨みを持つ3人の男に雇われていた。1人目はフィリップ。グルバダンを侮辱されたため、何とかしてファウジダールを殺そうと考えていた。2人目はパチースィヤー。2千万ルピーをなくし、今度こそ命はなかったので、いっそのことファウジダールを殺そうと思い立ったのだった。3人目はゴーギー。彼はパチースィヤーから土地を買い、アシスタントのリンガム(サンジャイ・ミシュラー)に土地を見に行かせたが、その土地の半分には既にマハーラージが寺院を建てていた。ファウジダールに守られたマハーラージには何の手出しも出来なかった。そこで彼もファウジダールを殺すことを考えたのだった。3人は結託してスレーマンを雇い、ファウジダールを暗殺させたのだった。スレーマンは金さえもらえれば肉親でも殺すほどの冷酷な暗殺者であった。

 ファウジダールはスレーマンに殺される。殺されずに済んだグルはモナと共に急いでガレージに向かう。ガレージではラブリーが記憶喪失のガンパトを殺そうとしていた。だが、ガンパトは銃を奪ってあちこち暴発させていた。その過程で、彼が1千万ルピーを隠していた像が破壊され、その中から1千万ルピーが飛び出て来る。また、ラブリーは上から落ちて来た物体に当たって倒れてしまう。ガンパトも衝撃を受けるが、そのおかげで記憶を取り戻す。

 1~2千万ルピーの大金が、多数の登場人物の間を行ったり来たりして彼らの人生をかき乱すというスリラー兼コメディー映画で、見終わった後に特に何が残るという訳でもないが、優れた脚本のおかげで映画らしい体験をすることが出来る映画に仕上がっている。これだけ複雑な筋の話を、観客の頭を混乱させずに展開させるストーリーテーリング技術は、誰でも真似できるものではない。脚本もパンカジ・アードヴァーニー監督が書いている。また1人有能な監督の登場を歓迎したい。

 「Sankat City」はまず脚本の勝利であるが、もちろん俳優陣の名演がなければ形にはならなかった。コメディーと同時に渋い演技もできる俳優がズラリと並んでおり、映画を盛り上げていた。特にベテラン俳優アヌパム・ケールのマッドな演技を久し振りに見た気がする。主演のケー・ケー・メーナンも素晴らしかった。

 もし本作品の俳優陣の中から1人だけピックアップするとしたらリーミー・セーンである。「Dhoom」(2004年)でブレイクしたものの、その後いまいち役に恵まれていなかった。だが、「Sankat City」では女詐欺師というかなり思い切った役に挑戦しており、しかも驚くほど板にはまっていた。彼女のキャリアにとってターニング・ポイントとなる作品になるだろう。

 ストーリー中心で音楽は二の次であった。挿入歌なども極力抑えられている。上映時間も2時間ほどで、この点からもマルチプレックス映画だと言える。

 登場人物の多くはムンバイーの裏社会に属する人間であるため、タポーリー・バーシャーまたはムンバイヤー・ヒンディーと呼ばれる独特な言語を話す。特にアヌパム・ケールの台詞回しが迫力あった。そのため、ヒンディー語の聴き取りは困難な部類に入る映画である。しかし、その難解な台詞回しにこそこの映画の醍醐味があると言えるだろう。

 「Sankat City」は、マルチプレックス層をターゲットにした、脚本主体のいかにも映画らしい映画である。一般の娯楽映画を求める層には向かないが、いわゆる単館系映画を好む層にはオススメできる。

7月13日(月) Morning Walk

 年配の観客層をターゲットにしたシルバー映画が隆盛を極めたのは2005~2006年であった。そもそも「Baghban」(2003年)のヒットを機に時間差で一時的に盛り上がった流行であり、「Baabul」(2005年)、「Pyaar Mein Twist」(2005年)、「Viruddh」(2005年)、「Umar」(2006年)など、高齢者を主役に据え、高齢者の抱える問題に迫った作品が次々と作られた。大ヒット作「Lage Raho Munnabhai」(2006年)も、部分的にこの流れに乗った作品と言える。この流行はその後沈静化していたのだが、久し振りにそのシルバー映画群の後継者と言える作品が現れた。先日公開された「Morning Walk」である。「Morning Walk」のテーマは正に当時好んで取り上げられた「老年期の恋の是非」と「息子世代とのジェネレーション・ギャップ」だ。先日見た「Sankat City」にも出演していたアヌパム・ケールが主演で、監督のアループ・ダッターは新人のようだ。



題名:Morning Walk
読み:モーニング・ウォーク
意味:朝の散歩
邦題:モーニング・ウォーク

監督:アループ・ダッター(新人)
制作:タパン・ビシュワース
音楽:ジート・ガーングリー
歌詞:ニダー・ファーズリー、サンジーヴ・ティワーリー、ディッベーンドゥ・ムカルジー、シャーン
振付:ナイメーシュ・ブラフマバット
出演:アヌパム・ケール、シャルミラー・タゴール、ラージト・カプール、ディヴィヤー・ダッター、シャヤン・ムンシー、ナルギス、アーヴィカー・ゴール
備考:PVRアヌパムで鑑賞。

左から、アーヴィカー・ゴール、ディヴィヤー・ダッター、ラージト・カプール、
アヌパム・ケール、シャルミラー・タゴール、シャヤン・ムンシー、ナルギス

あらすじ
 コールカーターに住むジャイモーハン(アヌパム・ケール)は、大学教授を定年退職し、妻に先立たれた後は、1人で静かに老後の余生を送っていた。だが、心臓マヒで入院したことをきっかけに、ムンバイーに住む息子夫婦のところへやって来る。息子の名前はインドラ(ラージト・カプール)、妻の名前はリーター(ディヴィヤー・ダッター)で、2人の間にはガールギー(アーヴィカー・ゴール)というかわいらしい女の子がいた。また、彼らの家ではシルパーというメイドが働いていた。

 ガールギーはジャイモーハンのことが大好きだったが、リーターはジャイモーハンを嫌っていた。だが、リーターはマイホームの夢を持っていた。ジャイモーハンがコールカーターの家を売れば、マイホームのための資金が得られる。リーターはマイホームのためにジャイモーハンに対し、ムンバイーに住むように勧め、同時にマイホームの話を切り出す。ジャイモーハンはお金を出すことを快諾する。

 ジャイモーハンは早朝公園を散歩することを日課としていた。ムンバイーに来てからもその日課を続けていた。ある朝、公園で近所の女性たちにヨーガを教えている1人の女性に気付く。それはかつての教え子ニーリマー(シャルミラー・タゴール)であった。ニーリマーの夫は既に他界し、息子は米国に移住していた。娘のアンジャリ(ナルギス)が一緒に住んでいたが、彼女も米国留学を希望していた。アンジャリにはミュージシャン志望のアジャイ(シャヤン・ムンシー)というボーイフレンドもいた。

 ジャイモーハンは、ニーリマーに息子がいることは知っていたが、娘がいることは知らなかった。実は以前、ジャイモーハンはある鳥獣保護区域でニーリマーと偶然会ったことがあった。そのときニーリマーが森林局員の夫に暴力を受けているところを目撃してしまったジャイモーハンは、彼女を慰めると同時に、彼女と関係を持ってしまう。そのときの子供がアンジャリなのではないかという疑問が、彼を悩ませるようになった。彼の推測は外れではなかった。

 アンジャリは米国留学のために奨学金を申請していたが、学位が不十分のため合格しなかった。ニーリマーは装飾品や家を売って何とかお金を作ろうとするが、それでも十分な留学資金になりそうではなかった。それを知ったジャイモーハンは、自分がアンジャリの留学を支援すると言い出す。また、彼はアンジャリに、自分が父親であると打ち明ける。

 ジャイモーハンは、そのことをインドラとリーターにも話す。ジャイモーハンはお金をアンジャリの留学に当てるため、マイホームのための資金援助はできなかった。マイホームの夢が崩れ去ったリーターは激高し、インドラも父親の年甲斐のない行動に憤る。ジャイモーハンは静かに家を出て行く。コールカーターに帰ったジャイモーハンは家を売り払い、まとまった金を作って、アンジャリの留学資金にする。そしてニーリマーと共に住み始める。

 終盤、コールカーターの公園で主人公ジャイモーハンが友人と相談するシーンがある。そこで友人に「我々の社会では、老年期に恋をすることは許されない」と言われたジャイモーハンは、「しかし老年期に恋を守ることも許されないのか?」と問い返す。つまり、過去の恋の責任を今取ることは許されるべきだ、と受け取れる。この部分がこの映画の核心であった。偶然、かつての教え子で、一時不倫関係を結んでしまったニーリマーとムンバイーにおいて再会してしまったジャイモーハンは、彼女が同居する娘アンジャリが実は自分の子供であることを知り、責任を感じ始める。そして最後には、実の息子の家族を捨て、アンジャリの米国留学を資金援助し、ニーリマーと共に暮らし始める。非常に物議を醸すエンディングであった。

 その老年期の恋の主人公を演じたのは、ベテラン俳優アヌパム・ケールとシャルミラー・タゴールである。彼らの出演シーンは非常に引き締まっていて、それだけをピックアップすれば上質の映画である。だが、問題はそれ以外の部分である。ディヴィヤー・ダッターとラージト・カプールのオーバーアクティング、シャヤン・ムンシーとナルギスの未熟な演技と三流ダンスシーン、謎のメイド、シルパーの存在、そして物語を盛り下げるあからさまなBGMなど、不必要な要素が多すぎる。アループ・ダッター監督がどういうバックグラウンドの人間か不明なのだが、これらの特徴を見る限り、テレビドラマ界で下積みを積んで来たのではなかろうか?現代ボリウッド映画の一般的な文法とは相容れないものが多く、映画の完成度を低めていた。

 ストーリーの発想自体は悪くなかったと思う。だが、ストーリーの運び方はまずい部分が多かった。ジャイモーハンはわざわざアンジャリに自分が父親だと明かす必要はあったのか?息子のインドラ、自分になついてくれていたガールギーを捨ててまでニーリマーと同居する行為は正当化されるのか?リーターにしても、マイホームへのこだわり方が異常ではなかったか?幼稚な脚本のせいで映画は大惨事となっていた。

 前述の通り、アヌパム・ケールとシャルミラー・タゴールは素晴らしかった。この映画の唯一の救いである。シャヤン・ムンシーは久々にスクリーンで見たが、特に進歩は見られなかった。アンジャリを演じたナルギスという若い女優は初めて見た。とても溌剌とした魅力があったが、オーバーアクティング気味であった。いつもはしっかりした演技をするディヴィヤー・ダッターも演技が大袈裟過ぎて引いた。ラージト・カプールはまあまあだったと言える。

 「Morning Walk」は、シルバー層へのアピールがある映画かもしれない。現に映画館には老年の観客がいつになく多かった。だが、少なくとも若い世代には非常に退屈な映画と言う他なく、自分のことを若いと思っている人々には、この映画の鑑賞は避けるべきだと忠告したい。

7月17日(金) Jashnn

 今週は「ハリー・ポッター」最新作公開のため、ヒンディー語映画の方は世界的人気作品との正面衝突を避けて控え気味となっている。まともな新作は、バット・ファミリーがプロデュースする「Jashnn」のみである。元々先週公開予定であった「Dekh Bhai Dekh」は、同名ドラマの存在から、「Dekh Re Dekh」に改名して今週公開となったが、限られた映画館のみでの上映となっている。とりあえず「Jashnn」を見た。



題名:Jashnn
読み:ジャシャン
意味:祝宴
邦題:ジャシャン

監督:ラクシャー・ミストリー、ハスナインSハイダラーバードワーラー
制作:ムケーシュ・バット
音楽:トシ・シャリーブ
歌詞:クマール、ナウマーン・ジャーヴェード、ニレーシュ・ミシュラー
出演:アディヤヤン・スマン、シャハーナー・ゴースワーミー、アンジャナー・スカーニー、フマーユーン・サイード
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。

左から、アンジャナー・スカーニー、アディヤヤン・スマン、
シャハーナー・ゴースワーミー

あらすじ
 ミュージシャン志望のアーカーシュ・ヴァルマー(アディヤヤン・スマン)は、バンド仲間とうだつの上がらない生活を送っていた。姉のニシャー(シャハーナー・ゴースワーミー)は、有力な実業家アマン・バジャージ(フマーユーン・サイード)の愛人となっており、彼から支払われるお金のお陰で姉弟の生活は成り立っていた。アマンとアーカーシュの仲は良くなかった。

 ある日、アーカーシュはサラ(アンジャナー・スカーニー)という女の子と出会う。サラにはサマルというボーイフレンドがいたが、アーカーシュは彼女にアタックする。サラは彼とデートをし、サマルはボーイフレンドではないと告げる。アーカーシュは彼女に愛の告白をし、2人は付き合い始める。

 しかし、サラは実はアマンの妹であった。アマンはアーカーシュを妹から引き離そうとする。ニシャーもアマンから捨てられたら経済的に困窮するため、アーカーシュにサラのことは諦めるように言う。だが、アーカーシュはそれを拒否する。彼は家を飛び出し、バンドの練習場所であるガレージに住むようになる。ちょうどそのとき、サラも家を飛び出してガレージにやって来る。

 アーカーシュたちは何とかメジャーデビューしようと音楽会社を片っ端から当たる。だが、デモテープがないことには何も出来なかった。そこでサラから借金をしてデモテープを作る。だが、アマンが裏で邪魔をしていたため、アーカーシュたちはどんなにあがいてもチャンスを掴めなかった。バンド仲間も遂にサラとは縁を切るように言い出す。絶望したアーカーシュはバンドを脱退し、サラとも別れ、酒場で飲んだくれる。支払いできないほど飲んでしまったアーカーシュはとうとう窃盗にまで手を出す。すぐにそれは見つかり、彼は店から放り出される。落ちるところまで落ちたアーカーシュは、音楽の夢を諦め、ホテルで掃除人をして稼ぐようになる。

 その頃、サラは妊娠したことに気付く。そのことはアマンにも知れてしまう。アマンは中絶を要求するが、サラはアーカーシュに最後のチャンスを与えるように頼む。最後のチャンスとは、もうすぐ開催されるミュージック・コンペティションであった。そこでアーカーシュが優勝したらサラは彼と結婚し、負けたら中絶して兄の元に戻るという約束をする。

 既に音楽を捨て去ったアーカーシュは、コンペティションに出演する気になれなかった。だが、サラが妊娠していることを知り、子供のために歌うことを決意する。コンペティションのスポンサーはアマンで、審判は買収されており、観客もアーカーシュを嘲笑した。だが、アーカーシュはひるまずに歌を歌う。その歌はアマンの心も動かし、彼はアーカーシュを優勝者と宣言する。

 駄目映画に特徴的なかったるい導入部と共に物語は始まる。しかも、主人公アーカーシュはミュージシャン志望の無職で、姉ニシャーは実業家アマンの愛人でほとんど売春婦というどん底の状態であり、ムードは暗鬱としている。アーカーシュがサラと恋仲になる下りは、依然かったるい展開ながらも映画に一時的に明るさをもたらすが、すぐに彼女はアマンの妹であることが明らかになり、当然アマンは2人の仲を認めないという袋小路状態に。そして駆け落ち同然の状態になった2人をアマンは徹底的に邪魔するという展開が続き、一向に主人公の運命線は上向かない。落ちに落ちたアーカーシュは遂に金に困って泥棒までしてしまう。このように、ほとんど明るい話題がないまま終盤まで突っ走る。そして迎えたクライマックス、コンペティションでアーカーシュが歌った歌がアマンの心を動かし、ようやく全てが丸く収まりそうになる、というところで映画はジ・エンドとなる。

 全体的に展開がかったるい上に、暗い話題ばかりなので、見ていて非常に気が滅入って来る映画であった。登場人物はほぼ不幸者か悪者のみなのも見ていて辛い。ヒロインの人物設定も説明不足で感情移入が出来なかった。題名が「祝宴」なので、もっと明るい映画を想像していたのだが、それは間違いだったようだ。もしクライマックスがうまくまとまっていればもう少し高い評価も出来たが、今までアーカーシュを毛嫌いしていたアマンが、大したことない歌をひとつ聞いただけで涙を流して改心するというのはいくらボリウッド映画に慣れていても納得できない。一応「Rock On!!」(2008年)のように音楽をテーマにした映画なので、音楽には人一倍気合いを入れなければならなかったのだが、平均レベルにも達しない楽曲の数々で残念であった。基本的なプロットは昨年ヒットした「Rock On!!」に酷似しており、二番煎じと揶揄されても反論できないだろう。

 全体的に駄作であったのだが、もしこの映画の中から無理に美点を取り上げるとしたら、シャハーナー・ゴースワーミーの演技である。彼女は「Rock On!!」、「Firaaq」(2009年)と優れた演技を見せて来ており、実力派女優であることは薄々感じていたのだが、本作品において彼女の実力に疑いの余地がないことが明らかになった。肝の据わった演技の出来る女優である。ヒロイン女優向けのルックスではないが、脇役女優やアート系映画の常連として大成しそうだ。

 主人公アーカーシュを演じたアディヤヤン・スマンや、悪役アマンを演じたパーキスターン人俳優フマーユーン・サイードも悪くなかった。ヒロインのアンジャナー・スカーニーは、キャラクター設定に難があったために損をしていた。「Golmaal Returns」(2008年)で聴覚障害の女性役を演じていた女優で、本作品では遂にヒロインの座を手に入れたが、まだ彼女の実力を計るのは早いと思われる。

 「Jashnn」は、そのおめでたい題名とは裏腹に、必要以上に暗鬱なムード漂う暗い映画である。完成度も低く、無理に見るべき映画とは言えない。スキップしても問題ないだろう。

7月20日(月) 皆既日食占い

 7月22日にインド、中国、日本などの限られた地域において皆既日食が見られる。部分的な日食・月食は割と頻繁に起こっているのだが、今回は長時間の皆既日食が興味深い観測ポイントにおいて見られることで話題になっている。インドの皆既日食観測ポイントは、スーラト、ボーパール、ヴァーラーナスィー、パトナー、ダージリンなどで、西インドから北インドへと渡っている。ただし、この日この地域はモンスーンの真っ最中であるため、当日ちゃんと観測できる保証はない。デリーでは部分日食になる。


NASA提供の皆既日食マップ

 インドでは伝統的に皆既日食は不吉なものとされている。特に妊婦に悪影響があるようで、皆既日食中は妊婦は家から出ては行けない、野菜を切ってはいけない、などと言った禁忌が定められている。逆に、皆既日食中に沐浴をすると魂が浄化されるという信仰もある。日食・月食中の沐浴場としてもっとも有名なのはハリヤーナー州のクルクシェートラである。今回も多くの信者がクルクシェートラで沐浴すると思われる。

 ところで、7月16日、著名な占星術師であるKBパルサーイーが死去した。享年87歳であった。パルサーイー氏の占星術師としてのキャリアは72年にも及ぶが、特にインディラー・ガーンディー元首相のお抱え占い師だったことから、その名をよく知られている。パルサーイー氏は死ぬ直前に、今回の皆既日食が今後1年間人々にどんな影響を与えるかをヒンドゥスターン紙に投書していたらしい。7月20日付けの同紙には、パルサーイー氏の占いが掲載されていた。これは今後1年間、つまり2010年7月までの運勢となる。同時に、同紙にはベージャン・ダールーワーラーという占星術師による皆既日食占いも掲載されていた。比較できるように、両方をここに翻訳して転載する。基本的に12星座占いとなっている。ダールーワーラー氏の占いでは、運勢よりもむしろ今後何をするといいのかが書かれているのだが、マントラを唱えたり、断食をしたりと、完全にインド人向けの内容が多いので、それは割愛した。もちろん、ここに書かれている占いの内容に関しては、「これでインディア」は全く責任を負わないのでご了承いただきたい。

■牡羊座

【パルサーイー】母親が病気になり、よくない状態が続くだろう。交通事故に遭う可能性あり。足に痛みを覚える可能性あり。仕事では昇進、願い通りの転勤や異動があるだろう。商売では利益が上がるだろう。新しい仕事を始めると吉。家の修理をすべし。
【ダールーワーラー】家や交通に注意すべし。

■牡牛座

【パルサーイー】今していること、またはしようと思っていることで成功する。上司はあなたを気に入り、後輩はあなたの言うことをよく聞くだろう。給料が上がり、投資でいい報酬が得られる。今年始めた仕事は必ずうまく行く。
【ダールーワーラー】新しい事業を始めないように、今あるものを大事にするように。

■双子座

【パルサーイー】全ての分野や仕事で経済状況は上向くだろう。兄弟姉妹や夫婦間でいざこざが起こるだろう。旅行は期待通りの結果にならないことがあるだろう。結婚に関する事柄に注意すべし。運が悪いと夫や妻の健康に問題が起こるだろう。投資では、焦ると損をする恐れがある。
【ダールーワーラー】誰かと喧嘩をしないように、浪費をしないように気を付けるべし。

■蟹座

【パルサーイー】秘密がばれることで損をしたりトラブルに巻き込まれるだろう。旅行は期待通りの結果にならないことがあるだろう。転勤や異動で苦労するだろう。商売では損も得もしないだろう。誰かの健康に問題が起こり、そのために出費が増えるだろう。借金が増える可能性あり。家族の誰かが結婚するだろう。他人の紛争や裁判に関わるべきではない。
【ダールーワーラー】健康に問題が発生するだろう。

■獅子座

【パルサーイー】仕事や商売で赤字になるだろう。無職なら、とりあえず見つかった仕事をすべし。夫または妻に仕事が見つかり、それで利益があるだろう。家族の誰かが亡くなる恐れあり。自分または家族の誰かが結婚するだろう、しかしその準備のごたごたに関わるべきではない。
【ダールーワーラー】裁判沙汰に巻き込まれる恐れあり。

■乙女座

【パルサーイー】仕事や商売で収入が必ず上がる。自分または妻の家族の誰かが病気になったり、事故に遭ったりする恐れあり、だがすぐに良くなるだろう。紛争や対立などに巻き込まれて損をするだろう。よって、喧嘩はすべきではない。金の貸し借りはしないように。外よりも家の中で宗教的活動をすることで利益があるだろう。自分または妻が何らかの問題を抱えているなら、できるだけ今年中に解決すべし。
【ダールーワーラー】手に入るはずだった収入が手に入らない可能性があるが、宗教的活動をすることで利益がある。

■天秤座

【パルサーイー】仕事や商売で進歩があるだろう。願い通りの転勤があるだろう。子供に恵まれるだろう。夫婦間で何らかの重要な問題に関して争いが起こる恐れあり。離婚まで行く可能性もあるが、仲介者の助けがあれば事なきを得るだろう。上司との意見の食い違いによって、昇進しても面白くない思いをする可能性あり。
【ダールーワーラー】父親と意見の食い違いがあったり、上司と不仲になったりするだろう。

■蠍座

【パルサーイー】宗教的活動をすればキャリアに利益が出るだろう。そうでなければ人生は困難なものとなるだろう。兄弟姉妹や妻との意見の食い違いが制御不可能なところまで行ってしまうだろう。自らの努力は必ず成功につながるだろう。自分のやっていることに対して、妻や夫を含む誰にも口出しをさせるべきではない。1年を通して、どんな少額であっても、誰とも金の貸し借りをしないように。
【ダールーワーラー】何をやっても運が味方をしないだろう。宗教的活動をすると吉。

■射手座

【パルサーイー】大きな怪我や病気に注意をすべし。家やオフィスにおいて、または友人たちと喧嘩はしないように。浮気をしないように。家庭内において窃盗や強盗に気を付けるべし。家の内外で誰にも暴力を振るわないように。何としてでも裁判には関わるべきではない、でないと拘置所に入れられる可能性が大である。
【ダールーワーラー】突然経済的な損失を被る恐れあり。どんな商売でもよく考えて行うべし。

■山羊座

【パルサーイー】もし配偶者と同居しているなら、どんなに魅力的な第三者が現れたとしても、不倫を考えるべきではない。1年を通じて誰ともパートナーシップや友情を結ぶべきではない。夫または妻が警察の世話になるような行動は慎むべし。理由なく旅行はしないように。必要であっても、周囲の人々の助言をよく聞いてから旅立つように。しかし裁判沙汰には注意すべし。
【ダールーワーラー】パートナーと喧嘩をする恐れあり。夫婦喧嘩もあり得るだろう。父親、祖父や他の年長者の世話をすることで、それらの悪影響を軽減することができるだろう。

■水瓶座

【パルサーイー】示談によって家族内やその他の問題を解決すべし。借金を返したり、返してもらったりするのにちょうどいい時期である。困難な状況や裁判などにおいて、兄弟姉妹が大きな助けとなる。状況が悪化する前に賄賂を贈ることも考えるべし。叔父や叔母に躊躇なしに助けを求めるべし。もし負けても、仕事、商売、パートナーなどを変える必要はない。
【ダールーワーラー】健康上または仕事上のトラブルに見舞われる恐れあり。

■魚座

【パルサーイー】今年は自分を制御し、穏やかに振る舞い、熟考してから決断をすべし。そうでなければ自分の過ちによって損失や失敗に直面することになるだろう。子供にはよく注意するように。もし子供が学校に行っているなら、友達に注目すべし。もしあなた自身が学生なら、友達のノートよりも自分の努力に頼るべし。必要がなければ、あなた、または妻は旅行をすべきではない。このことに関しては、どんなに親密な人物の言うことも聞いてはならない。
【ダールーワーラー】もしあなたが学生なら、成績が悪くなる恐れあり。株で大損する恐れあり。

 こうやって比べてみると、一部(牡牛座)を除き、両占星術師は各星座の人にかなり近い警告を発していると言える。それはインドの占星術が一定のスタンダードを持っていることを示していると言っていいだろう。また、パルサーイー氏はインド全体の自然現象について、こんな予言をしている。「今後1年間、西ベンガル州、オリッサ州、タミル・ナードゥ州、ケーララ州で大雨が降るだろう。ウッタル・プラデーシュ州、マハーラーシュトラ州、ラージャスターン州では暴動や対立などが発生するだろう」とのことである。こちらは何となく具体性を欠く占いである。だが、7月22日の皆既日食に関し、多くの占星術師が災害を予測している。

 占星術師はまた、日食の多い年は大きな災厄に見舞われると信じている。7月6日付けのヒンドゥスターン紙によると、例えば1915年、1916年、1917年には1年に3回の日食があったが、この時期には第一次世界大戦(1914-18年)があった。その後1940年、1942年、1944年にも1年に3回の日食があったが、やはりこの時期には第二次世界大戦(1939-45年)が勃発した。しかし、NASAのウェブサイトで公開されている、紀元前2000年~紀元後3000年の5000年間の日食データ(参照)からは、それらの年に3回日食が起こったことを確認できなかった。もしかしたら月食とごっちゃにしているのかもしれない。実は1年に3回日食があるのは非常に珍しいことではない。5000年の内、1年に3回日食がある年は877もある。4回日食は473、5回日食は25である。5回日食は2206年まで起こることはないが、部分日食4回だったら2000年にあったし、2011年にもある。これらの年にいちいち世界大戦が勃発していたら世界は持たないだろう。

 ちなみに2009年は2回の日食がある。1月26日と7月22日である。その他、2月9日、7月7日、8月6日、12月31日に月食がある。この中で注目すべきは7月7日の月食、7月22日の日食、8月6日の月食である。1ヶ月の内に3回の食が立て続けに起こり、占星術的には注意しなければならない期間だ。今現在、その期間の中にいる。そういえば最近デリー・メトロ工事現場で大規模な事故が発生したが、関係していたりするのであろうか?

7月23日(木) カンパ・コーラを求めて

 最近、インドの出版界では、街について本を書くことが静かなブームとなっている。ある街に長く住む現地人が、思い出話を織り交ぜつつ街の歴史について語ったり、外国人が、旅行者よりももう一歩進んだ視点でその街の魅力について綴ったり、いろいろなスタイルがあるが、共通するのは街をひとつの枠組みとして捉え、それに関連しうる事象を、歴史であれ、文化であれ、グルメであれ、または写真であれ、かなり広い範囲でもって集めて来て、ひとつの本に詰め込んでまとめる手法である。当然、街としての懐が深ければ深いほど、ネタもいろいろあり、本にするにしてもバラエティーに富んだアプローチが出て来る。デリーも、いろいろな切り口で切り込める街のひとつだと思っている。ネタの豊富さでは世界でも有数であろう。それを証明するように、ここ最近デリーに関する新書が頻繁に出版されており、デリーに関心を持つ僕はこまめにそれらを収集して読み漁っている。

 「Delhi: Adventures in a Megacity」(Penguin/Viking)も、最近出版されたデリー関連の本である。著者はサム・ミラー(Sam Miller)という英国人で、BBCの駐在員としてデリーに長く滞在している。インド人女性と結婚しており、ヒンディー語もある程度理解するようである。彼は、デリーの大都会をひたすら歩くというちょっとした冒険に挑戦し、その中で発見したことを上記の本にまとめている。オールドデリーの名所旧跡を効率的に見て回れる散歩コースをまとめた本はあったが、適当に決めた散歩コース上に何があるかを綴って行くような本は今までなかった。特に深みのない街だったら、そんないい加減な散歩をして面白い発見があるとは思えないが、さすがデリー、著者は散歩コース上でいろいろなものに遭遇し、出来る限りそれを調べてまとめている。デリー散歩を趣味としている僕にも参考になるネタがいくつかあった。

 今後上記の本をネタにした散歩をいくつかやってみようと思っているのだが、まず気になったのはカンパ・コーラ(Campa Cola)についての下りであった。酷暑期も過ぎ、曇っていても雨があまり降らない気候が続いているので、久し振りにデリー散歩に出掛けようと思案した僕の脳裏にまず浮かんだのは、カンパ・コーラから再開してみようというアイデアだった。

 カンパ・コーラは、かつてインドでもっとも有名な炭酸飲料水の国産ブランドであった。今でも年配のインド人の中には、コカ・コーラやペプシなどを「カンパ・コーラ」と十把一絡げにして呼んでいる人がいる。日本でステープラーが「ホッチキス」と言い習わされているのと似た現象である。年配のインド人と接するとよく聞く「カンパ・コーラ」という言葉の持つ、昭和の郷愁に似た響きに、僕はいつの間にか心惹かれていたのであった。

 なぜ「カンパ・コーラ」に郷愁を覚えていたかと言うと、インドの売店で見掛ける炭酸飲料水はほとんどコカ・コーラかペプシであり、カンパ・コーラはとうの昔に過去の遺物となったと思い込んでいたからである。しかし、「Delhi: Adventures in a Megacity」のおかげで、カンパ・コーラは今でも細々と売られ続けており、しかもデリーでカンパ・コーラを必ず飲める場所がひとつあるらしいことが分かった。場所はコンノート・プレイス。難易度は限りなく低い。デリー散歩リハビリコースとして最適であった。

 そこでまずはカンパ・コーラについて解説しよう。カンパ・コーラ誕生のきっかけとなったのは、1977年のコカ・コーラ・カンパニーのインド撤退であった。コカ・コーラ・カンパニーは、独立間もないインドにおいて1949年から現地会社ピュア・ドリンクス・グループと合弁でコカ・コーラを製造・販売していた。だが、インディラー・ガーンディー政権時代の1974年に外国為替規制法(FERA)が改正され、自国企業の優遇、外資に対する規制強化とインド化の強制が始まったことで、コカ・コーラ・カンパニーはインド撤退を余儀なくされる。コカ・コーラ・カンパニーの撤退により、コカ・コーラ製造工場をそっくり受け継いだピュア・ドリンクス・グループは、新たにカンパ・ビバレッジ社を設立し、コーラ味の炭酸飲料カンパ・コーラと、オレンジ味の炭酸飲料カンパ・オレンジを発売したのである。同時期に、サムズ・アップ(Thumps Up)やダブル・コーラ(Double Cola)などと言った類似の炭酸飲料水も発売された。

 カンパ・コーラはサムズ・アップと競り合いながらインドの飲料水市場を独占していたが、1991年に経済改革が行われたことで、再び外資のインド進出が促進され、飲料水市場も大きな影響を受けることとなった。真っ先にインドに飛び込んだ大手飲料水メーカーはペプシコであった。1993年にはコカ・コーラ・カンパニーもインドに再進出し、インドはコカ・コーラ対ペプシの主戦場のひとつとなった。国際的大企業の豊富な資金源と徹底した販売戦略を前にしたら、インド企業はひとたまりもなかった。サムズ・アップは早々にコカ・コーラ・カンパニーに吸収され、同社の1ブランドとなる。一方、カンパ・コーラはコカ・コーラとペプシに急速に市場を奪われた上に、経営者家族内での内紛も抱えることとなり、2000年には販売が停止してしまう。つまり、カンパ・コーラは一旦生産中止となっている。

 カンパ・コーラが復活したのは2003年のことである。パンジャーブ州のボトル製造会社S.V.コールド・ドリンクス・ファクトリー(S.V. Cold Drinks Factory)がピュア・ドリンクス・グループとカンパ・ビバレッジ社からライセンスを取得し、カンパ・コーラをリバイバルさせたのである。現在手に入るカンパ・コーラは、この新生カンパ・コーラとなる。もしかしたらパンジャーブ州では普通に入手可能なのかもしれないが、少なくともデリーではどこでも手に入る代物ではない。そしてデリーでカンパ・コーラが必ず手に入るのは、カンパ・ビバレッジ社の本社ビルがあった場所なのである。

 デリー・メトロのバーラーカンバー駅の近くに、ザ・ラリト・ニューデリー(旧インターコンティネンタル・ザ・グランド)という5つ星ホテルがある。その西側にメトロ・バヴァンと呼ばれるモダンな建物があるが、これはデリー・メトロのコーポレート・オフィスである。メトロ・バヴァンの北、シャンカル・マーケットの手前に、廃墟のような建物がある。これが、かつてカンパ・コーラを製造していたカンパ・ビバレッジ社の旧本社ビルである。地図上ではモーハン・スィン・ビルディング(Mohan Singh Bulding)と記されている(EICHER「Delhi City Map」P2 G2)。モーハン・スィンとは、カンパ・ビバレッジ社の親会社であるピュア・ドリンクス・グループの創立者だ。この建物の入り口には、「Campa」の立体文字が掲げられているのですぐに分かる。「C」と「p」が剥がれ落ち、「m」も落っこちそうになっているが、文字の痕跡が残っているために何とか「Campa」と読み取れる。


モーハン・スィン・ビルディング
「Campa」の文字が・・・

 このモーハン・スィン・ビルディングの隣に小さな売店があり、そこでカンパ・コーラ・ブランドの商品を買うことが出来るのである。キャッチフレーズは「ザ・グレート・インディアン・テイスト」。


カンパ・コーラの売店
コカ・コーラとペプシを掛け合わせたようなロゴが秀逸

 2003年の再発売の時点では、カンパ・コーラとカンパ・オレンジの2種類があったようだが、現在ではさらにいろいろな種類の飲料水が作られているようである。この売店ではまるでショールームのように、各商品が展示されている。


カンパ・シリーズ

 カンパ・コーラ、カンパ・オレンジに加え、カンパ・レモンがラインナップに加えられている他、マンゴージュース、ソーダ、水なども製造されているようだ。しかもいくつかのサイズが用意されている。とりあえず基本のカンパ・コーラを飲んでみた。


カンパ・コーラ 300ml

 僕はインドではペプシをよく飲むのだが、ペプシに比べてさらに薬っぽい印象である。しかも水っぽく、炭酸も弱い。もしこれしか手に入らないなら別にこれでもOKだが、コカ・コーラやペプシがあるのならそちらを飲む方を選ぶというレベルの味か。値段は普通。300mlの瓶で9ルピー、600mlのペットボトルで20ルピーであった。まあ、1回飲んだら満足、という感じか。

 僕はカンパ・コーラが普通に販売されていた頃のインドを知らない。だが、当時を知る人にとっては、懐かしい品物となるかもしれない。当時と味が変わっていなければさらに感慨深いものとなるだろう。

 ちなみに、カンパ・コーラを飲んで帰っているときに突如の豪雨に見舞われた。やはりモンスーンだから雨はいきなり降るようである。デリー散歩再開はもう少し様子を見てからにする。


フライオーバーの下で雨宿りのバイク野郎たち


7月24日(金) カープの恐怖

 ここ数年であろうか、インドの農村において、村の慣習に背いて結婚したカップルが村人たちによって惨殺されたりする事件が目に付くようになった。そのような事件で必ずと言っていいほど登場する単語が「カープ(khāp, खाप)」である。見慣れない単語であった。いつもお世話になっている大修館「ヒンディー語=日本語辞典」のエントリーにもない。気にはなっていたのだが、敢えて自ら調べようとはしなかった。

 そんな中、結婚のトラブルによって農村の若者が惨殺されるという事件が再び発生した。やはり今回も「カープ」が暗躍していた。まずはその事件の概要を紹介しようと思う。だが、そのためにはまず、「ゴートラ」について解説しなければならない。そして「ゴートラ」について解説するには、「カースト」についても触れなければならない。

 インドの身分制度としては「カースト」が有名だが、「カースト」という言葉にはいくつもの落とし穴が含まれており、高校の世界史で習う「バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ」の枠組みでインドの現代社会を理解しようとするととんでもない誤解を招くことがある。そもそも「カースト」とはポルトガル語で「血統」を意味する「casta」から来た言葉であり、それがインドの身分制度の俗称となったのは、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見した1498年以降だと考えていい。インドの言語で「カースト」に当たる言葉にはまず「ヴァルナ」があるが、これは「色」という意味であり、元々は肌の色の白黒の区別による支配者・被支配者の構造だったと考えられる。四姓制度などと訳され、前述の「バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ」で捉えていいだろう。だが、これは古代インドの話である。「カースト」の同意語としてもうひとつ「ジャーティ」という言葉があるが、これは「生まれ」という意味で、四姓制度よりもさらに細分化された職業的社会集団のことを指すことが多い。インドの現代社会の文脈において、「カースト」という言葉は、四姓制度ではなくむしろ「ジャーティ」の訳語として使われることが多い。つまり、カーストは4つだけでなく、職業の数だけ無数に存在する。社会の発展と共に新たな職業が生まれたら、それは新たなジャーティとなる。

 ジャーティは内婚集団でもあり、インドの社会では一般的に同一ジャーティ内の結婚のみが許される。だが、結婚の際に問題となるのはジャーティのみではない。「ゴートラ」も重要な要素となる。「ゴートラ」とは、祖先を同じとする血縁集団である。ジャーティが同じであっても、ゴートラが同じならば、結婚は許されない。コンセプトとしては近親者の結婚の禁止であるが、日本の民法のように「三親等内の結婚の禁止」というレベルではない。ゴートラが同じということは、祖先を共通とするということで、それがどれだけ昔の話であっても、たとえ神話に過ぎなくても、血縁者扱いとなり、血が濃すぎるということで婚姻が忌避される。さらに、厳しい地域では、父親のゴートラ以外に、母親、父方の祖母、母方の祖母のゴートラも確認される。つまり、家族のゴートラに加え、母親、父方母方の両方の祖母のゴートラに属する人も結婚相手から外される。さらに、ゴートラには「近縁関係のゴートラ」なるものまである。つまり、ゴートラは別なのにも関わらず、昔から近縁関係にあり、同一ゴートラと同等とみなされるものもある。よって、このようなゴートラの人同士の結婚も禁止になる。以上の理由から、ジャーティとゴートラにがんじがらめとなった農村部では、結婚相手を探すのに多大な苦労を要するのである。

 今回問題となるのは、ジャーティよりもむしろゴートラである。なぜなら事件の舞台であるハリヤーナー州は、ジャートと呼ばれるジャーティが多数を占めているからだ。よって、同一ジャーティ内の結婚に大きな支障はない。だが、ジャート内で同一または近縁のゴートラのカップルが結婚した場合に大きな問題となる。ハリヤーナー州では、同一ゴートラのジャートがひとつの村を形成していることが多く、同一ゴートラで形成される共同体を「カープ」と呼ぶのである。7月24日付けのタイムズ・オブ・インディア紙では、カープ(Khap)が「カースト」と説明されていたが、それは正確ではない。「カープ」の詳しい解説は後でするので、とりあえずこれらの情報を念頭に以下の事件の概要を読んでいただきたい。

 事件の概要はこうである。ハリヤーナー州カイタル県のマトール村に住むヴェードパール・モールは、近隣のジーンド県スィンワーラー村で薬学の研修をしていた。ヴェードパールは研修先の近くに住む地元の女性ソニア・バンワーラーと恋に落ちたが、彼女の両親は反対し、2009年3月18日に娘を他の男性と無理矢理結婚させようとした。そこでヴェードパールとソニアは駆け落ちし、3月10日に裁判所で婚姻手続きを行った。マトール村はモールと呼ばれるゴートラの人々で形成される村で、ソニアのゴートラはバンワーラーと呼ばれるゴートラであった。ヴェードパールとソニアの結婚が明らかになったことで、バンワーラー・ゴートラのカープは3月20日にパンチャーヤト(寄合)を開催し、そこでバンワーラーとモールは昔から近縁のゴートラであること、バンワーラーとモールの結婚は許されないこと、何としてでもこの禁断の結婚を強行した「罪」を裁かなければならないことが決定された。さらに3月27日にも大規模なパンチャーヤトが開かれ、ソニアを何としてでも連れ戻すこと、結婚を無効とすることが決定された。同時に、警察に、駆け落ちして姿をくらませた2人の捜索願いが出された。

 しばらくヴェードパールとソニアは行方不明だったが、ソニアの両親が彼女に対し、結婚を認めるから一度帰って来るようにとメッセージを送ったことで、6月23日にソニアは実家に戻った。ところがそれは策略だった。バンワーラー家はヴェードパールを家に一歩も入れず、ソニアを家に閉じ込めた。そこでヴェードパールは高等裁判所に訴えた。裁判所は、夫婦は一緒に住むべしとの判決を出し、ヴェードパールは7月22日、15人の警察官と共にスィンワーラー村へソニアを迎えに行った。ところが400人以上の村人たちが警察とヴェードパールの乗ったジープを取り囲んだ。警察は逃げ出し、ヴェードパールも逃亡しようとしたが、逃げられるはずもなく、彼は死ぬまで村人たちから暴行を受けた。一方、ヴェードパールがスィンワーラー村に到着する3日前にソニアは別の男性と無理矢理結婚させられ、既に嫁入りした後であったとされている。ただ、ソニアも命の危険にさらされているとの情報もあり、警察は彼女を捜索している。もしかしたら彼女も殺されているかもしれない。

 以上が本日までの事件の展開である。

 似たような事件は過去にいくつも起こっている。例えばごく最近でもラヴィンドラとシルパーの事件があった。ハリヤーナー州パーニーパト県のダラーナー村に住むラヴィンドラ・ゲヘロートとシヴァー村に住むシルパー・カーディヤーンは4ヶ月前に結婚したが、ゲヘロート・ゴートラとカーディヤーン・ゴートラはやはり近縁のゴートラとされており、カープは2人の家族に対し、離婚か村を出て行くかの選択を迫った。この事件を巡って、村人と警察の間で衝突もあった。ラヴィンドラはカープの判決に心を痛め、毒を飲んで自殺未遂までした。この事件はまだ解決していない。ハリヤーナー州カイタル県カローラー村におけるマノージとバブリーの事件も記憶に新しい。2007年、カローラー村に住むマノージ・バンワーラーとバブリー・バンワーラーが同一ゴートラにも関わらず恋愛結婚した。バンワーラーのカープはその結婚を無効とし、バブリーの家族はマノージに誘拐の罪を着せた。カイタルの裁判所は誘拐の訴えを棄却し、警察に対してマノージとバブリーの警護をするように命じた。だが、警察が2人をほったらかしにしたため、2人は惨殺され、遺体で発見された。バブリーの家族が2人を殺したとされている。

 では、カープとは一体何なのだろうか?7月24日付けのヒンドゥスターン紙にカープについて詳しい解説が掲載されていた。カープの元になる共同体が形成されたのは、7世紀のハルシャワルダナ王の治世の頃らしい。ハルシャワルダナ王は、グプタ朝が崩壊し、小国に分立していた北インドを統一したが、彼の死後再び北インドは群雄割拠状態となる。強力な中央政権の欠落により、農村は自治と自衛の必要に迫られ、独自の統治機関が発達する。この中で、特定のゴートラの人々が多く住む村々の連合を特に「カープ」と呼ぶようになる。「カープ」という言葉は、共同体の名称であると同時に、その成員が出席して開催される会議の名前でもある。ちなみに女性名詞である。カープは、同一ゴートラの結束を固めると共に、コミュニティー内の問題に対処するための絶対的な権力を与えられている。通常は年配者がカープの意志決定を担っており、若者には発言権がないようである。また、異カープ間での協議が必要となった場合には、「サルヴカープ」と呼ばれる大カープ会議も開かれた。サルヴカープには各カープから代表者が出席した。外敵の侵入があった場合にはカープまたはサルヴカープは自衛のための軍事集団にもなった。例えば1398年のティームールのインド侵略時にはハリヤーナー地方のサルヴカープが連合して立ち向かったとされている。

 かつてサルヴカープには誰もが出席できた。そこでは、犯罪、女児の間引き、持参金など様々な社会問題について話し合われた。だが、次第にサルヴカープは有力ゴートラやマフィアの支配下に置かれるようになり、その機能は単に夫婦に離婚を強要したり、犯罪者を匿ったりするだけのものとなった。さらに、ハリヤーナー州のカープの多くは男性が多数を占めており、女性に対する差別が根強い。しかも、支配階層であるジャートが多数派であるため、ダリトと呼ばれる不可触民への差別もある。カープはジャートの社会構造と密接な関係を持っているようで、ジャートの多い地域ではカープの力も強い。つまり、ハリヤーナー州、ウッタル・プラデーシュ州西部、ラージャスターン州、デリーである。ところが、最近ではダリトもジャートのカープに似た行動をするようになっている。最近では掃除人カーストであるヴァールミーキのコミュニティーが、ゴートラ内結婚をしたとして、2年間夫婦として寄り添ったパヴァンとカヴィターを違法とし、彼らの子供を連れ去って、女性の家族に6万5千ルピーの罰金を科した事件があった。

 最近、カープが暗躍する事件が多いので、「インドのターリバーン」として批判にさらされることも多くなったが、ほとんどの政治家や政党は決してカープ問題には触れようとしない。なぜならカープは容易に手を出せないほど強大な力を持ってしまっているからである。今後もデリー周辺部でカープによる私刑が続くのではないかと思われる。

7月24日(金) Luck

 この世にはどうしても、ついている人とついていない人がいるものである。だが、生まれもって強運の人間を集め、その強運同士を戦わせたらどうなるか?本日より公開の「Luck」は、そんなコンセプトの映画である。監督は「Kaal」(2005年)のソーハム・シャーで、本作が2作目となる。キャストはなかなか面白い顔ぶれとなっており、2009年下半期のボリウッドの運勢を占う作品とも言える。上半期は踏んだり蹴ったりだったボリウッドに浮上の兆しはあるか?



題名:Luck
読み:ラック
意味:幸運
邦題:ラック

監督:ソーハム・シャー
制作:ディリン・メヘター
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:シャッビール・アハマド、アンヴィター・ダット・グプタン
出演:ミトゥン・チャクラボルティー、サンジャイ・ダット、イムラーン・カーン、シュルティ・ハーサン、デニー・デンゾンパ、ラヴィ・キシャン、チトラーシー・ラーワト、ラティ・アグニホートリー、スニーター・マヘーなど
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。

上段左から、ミトゥン・チャクラボルティー、ダニー・デンゾンパ、ラヴィ・キシャン、
下段左から、シュルティ・ハーサン、チトラーシー・ラーワト、サンジャイ・ダット、
イムラーン・カーン

あらすじ
 銀行員として働くラーム・メヘラー(イムラーン・カーン)の父親はある日突然自殺して死んでしまう。父親は株取引に失敗して莫大な借金を抱えしまったのである。3ヶ月以内に借金を返さなければ、全ての財産が差し押さえられてしまう。ラームは病気の母親(ラティ・アグニホートリー)にそれを隠し、父親の借金を返すための資金を稼ぐため、米国へ渡ることを考える。だが、米国大使館からは3度もヴィザの発行を拒否され、途方に暮れる。ラームは銀行のATMから金を盗もうとするが、すぐに警備員が駆けつけて来たため、逃亡する。必死で逃げるラームを救ったのが、タマーン(ダニー・デンゾンパ)という男であった。

 タマーンは、世界中から強運を持つ人間を集める仕事をしていた。彼はラームが生まれもって強運を持っていることを嗅ぎつけ、彼を賭博場に連れて行って運を試させる。案の定ラームは次から次へと賭けに勝ち、類い稀な強運の持ち主であることが分かる。タマーンはラームに、近々南アフリカ共和国で行われる大きな賭博への参加を求めるが、ラームはそれを拒否する。だが、タマーンのボスで、最強の強運の持ち主カリーム・ムーサー(サンジャイ・ダット)が直々にラームを招待する。ラームは借金を返すため、その賭博に参加することになる。

 ラームの他にもその賭博に参加する人物が続々と選ばれていた。タマーンは、パーキスターンのチョーリスターン砂漠でラクダ・レースの騎手を務めるショートカット(チトラーシー・ラーワト)に目を付け、彼女を金で買って南アフリカ共和国へ送る。ジャッバル・サーワント少佐(ミトゥン・チャクラボルティー)は、数々の激戦を生き抜いて来た強運の退役軍人であった。重病の妻の手術費のために大金が必要となった大佐は、タマーンに連絡を取って賭博に参加する。ラーガヴ(ラヴィ・キシャン)は連続殺人犯で死刑判決を受けていたが、絞首刑を受けても縄が切れて死なず、釈放となった強運の犯罪者であった。タマーンは出所直後のラーガヴを誘って賭博に参加させる。

 南アフリカ共和国には世界中から強運の持ち主が集められていた。ラームはその参加者の中に、アーイシャー(シュルティ・ハーサン)というインド人女性がいるのを見つける。ラームはアーイシャーに惚れるが、ラーガヴも彼女に目を付けていた。アーイシャーがこの賭博に参加するのは2回目であった。

 賭博は、生死を賭けた危険極まりないものであった。集団ロシアンルーレット、パラシュート降下、サメの泳ぐ海域からの脱出など、敗北は死というギャンブルが続いた。参加者の生死を巡り、世界中のギャンブラーたちが多額の金を賭けていた。ラーム、ショートカット、大佐、ラーガヴ、アーイシャーはそれらを勝ち抜いて行く。途中からアーイシャーの運は尽きるが、ラームの助けにより何とか助かっていた。ショートカットはサメに足を食いちぎられ、脱落する。

 ラームは最後の賭けを前にゲームから下りようとするが、ムーサーはアーイシャーを人質に取り、最後の賭けへの参加を強要した。アーイシャーは実はナターシャという名前であった。ナターシャにはアーイシャーという双子の姉がいたが、彼女はやはり強運を持っており、このギャンブルに以前参加して大金を得ていた。だが、その後その金を無駄遣いしてしまい、最後には自殺する。後に残されたナターシャはムーサーを姉の仇だと考え、復讐のためにこのゲームに参加したのだった。だが、彼女には姉のような強運がなかった。ラームの助けで生き延びていたのである。ナターシャは隙を見つけてムーサーに復讐しようとするが、逆に捕らえられてしまったのであった。

 ナターシャは列車の先頭にくくりつけられていた。列車は爆発物に向かって一直線に走っていた。そしてその列車は、ラーガヴら他の参加者が守っていた。もしラームがナターシャを救うことが出来たら2億ルピー、ラームのナターシャ救出を阻止することが出来たら他の参加者に2億ルピー、これが最後のギャンブルであった。大佐はラームに同情しており、彼の手助けをすることを決める。こうして最後のゲームが開始された。

 列車の最後尾に降り立ったラームは、列車の上で待ち構える他の参加者を次々となぎ倒して先頭へ向かう。途中、地雷が仕掛けられていたが、強運のラームはそれを踏まなかった。ラーガヴはマシンガンでラームを殺そうとするが、やはり弾丸はラームに当たらなかった。ラームはラーガヴを倒し、ナターシャを救出する。

 ムーサーはラームの強運を賞賛し、彼に賞金を渡す。だが、ラームはムーサーに対し、命を賭けたギャンブルの一騎打ちの挑戦状を叩きつける。ムーサーもそれを受けて立つ。こうして2人は2丁の拳銃を使って一騎打ちをする。ラームの撃った弾丸はムーサーの肩をかすめるが、ムーサーの撃った弾丸はラームの左胸を貫いた。・・・だが、ラームは生きていた。なんとラームは内臓逆位であり、彼の心臓は右胸にあったため、彼は助かったのであった。ムーサーは彼の至高の強運に感服する。

 こうして多額の賞金を勝ち取ったラームは父親の借金を返済し、ナターシャと結婚した。大佐も大金を持ち帰り、妻の手術をさせて目的を果たす。

 強運の持ち主同士が強運のみを武器に生死を賭けたゲームをするというコンセプトは非常に面白かった。しかもそのゲームを主催するのが、運だけを頼りに修羅場をかいくぐってドンにのし上がった世界最強の強運の持ち主という設定も、いかにも映画的で良かった。主人公ラームを中心に、参加者たちがこの危険なギャンブルに参加することになった経緯を説明する序盤も、冗長になりがちなところをスピーディーにまとめており、監督の才能の片鱗を感じた。だが、参加者が行う危険なゲームが、回を追うごとにつまらなくなって行くのは興醒めであった。最後のギャンブルとなる、走る列車の上での格闘にしても、ギャンブルと言うよりは、アクション映画のラストシーンによくある展開で、何の変哲もないクライマックスである。生死を賭けたギャンブルがテーマの映画であったが、緊迫感があったのは、序盤の、安物ライターの火が連続5回付くかどうかを巡った賭けと、最初のゲームに当たる、参加者全員が輪になって、実弾入りか空砲か分からない銃を隣の人の頭に当て、一斉に引き金を引く集団ロシアンルーレットのみであった。どうも上映時間の都合か検閲の影響でカットされたシーンが終盤にいくつかあるようで、編集が不自然な部分も散見された。特にアーイシャー/ナターシャの復讐劇は説得力を欠いた。スリリングな映画ではあったが、完璧な出来とは言い難い。惜しい作品であった。

 キャストの顔ぶれは面白い。ダンディーな悪者を演じさせたら右に出る者がないサンジャイ・ダットが、ゲームの元締めであるカリーム・ムーサーを演じた他、やはりダンディーな演技で定評のあるミトゥン・チャクラボルティーやダニー・デンゾンパが脇を固め、かなり渋い配役になっていた。一方で、ボージプリー映画の大スター、ラヴィ・キシャンがいい意味で気味の悪い小悪党を演じ、ニヒルな笑いを提供していた。「Chak De! India」(2007年)のヒットで一時期人気を博した、いわゆるチャク・デー・ガールズの1人、チトラーシー・ラーワトもいい味を出している。本業はホッケー選手だが、このまま映画界に定着してもやって行けそうだ。そして主人公は若手男優の中では躍進著しいイムラーン・カーン。デビュー作の「Jaane Tu... Ya Jaane Na」(2008年)に比べてグッと大人っぽくなった印象で、演技もよりシャープに磨かれていた。彼はこのままボリウッドの中心的スター俳優に成長して行くだろう。興味深いのは、名優カマル・ハーサンとサーリカーの娘で、歌手として活躍するシュルティ・ハーサンが本作で本格的に女優デビューを果たし、ヒロインを務めていたことである。肌の色が白く、美人と言っていいが、いかんせんヒンディー語が下手で、台詞棒読みの部分があったりしてガッカリであった。潜在能力はまだ未知数である。シュルティは「Luck」の挿入歌のひとつ「Aazma - Luck Is The Key」を歌っている。

 劇中では2回、ムーサーが参加者と賭けをするシーンが出て来る。そのスタイルはこうである。まず、2丁の拳銃を用意する。1丁は空砲で、実弾が込められているのは1丁のみである。それを足下に埋める。そして合図と共に地面を掘って銃を探す。当然、実弾入りの拳銃を手にした者の勝ちで、敗者は死をもって敗北となる。まずは、危険なゲームへの参加を辞退しようとした黒人の参加者とこの賭けが行われ、クライマックスではラームとムーサーがこの賭けを行う。だが、なぜか2回目の方では両方の拳銃に弾丸が込められており、その理由についても触れられていなかった。後述するが、せっかく内臓逆位というオチが用意されていたので、ラームの撃つ拳銃が空砲でもよかったのではないかと思った。

 映画の質とはほとんど関係ないが、2点、個人的に気になった点を挙げておく。まずは、ラヴィ・キシャンが演じたラーガヴの紹介シーン。連続殺人を犯して逮捕され、死刑判決を受けて絞首刑に処されたはずのラーガヴであったが、持ち前の強運のおかげでロープが切れて生き残ったと説明されていた。絞首刑に処されても生き残ってしまった死刑囚の扱いについては議論があるが、二重処罰の禁止(いわゆるDouble Jeopardy)が適用されるとの考えがある。二重処罰の禁止とは、同一の罪で2回以上処罰されることはないという規定で、これが一度絞首刑になって生き残った人に適用されるということは、無罪放免となるということである。二重処罰の禁止は日本国憲法第39条に明記されており、日本ではもし死刑囚が絞首刑後に何らかの手違いで生き残ってしまった場合、釈放される可能性がある。実際に明治・大正時代にそういう例があったようだが、現在では絞首刑は確実に死刑囚が死ぬように改良されており、そういうことはまず起こりえないとされている。同様にインドの憲法でも第20条第2項に二重処罰の禁止が明記されており、ラーガヴも絞首刑失敗後に釈放されたという訳である。

 もう1点は、最後のオチと密接な関係を持つ要素であるが、内臓逆位という、内臓の位置が左右逆となる特殊な症状である。主人公ラームは、最後にムーサーに左胸を撃たれて倒れるが、内臓逆位のために心臓への致命傷を免れる。これも彼の強運のひとつであった。劇中では、内臓逆位は5万人に1人の確率で発症すると説明されていた。内臓逆位はフィクションの世界では割とよく使われるネタで、特に「ブラックジャック」や「北斗の拳」と言った日本の有名漫画に出て来るので、けっこうよく知られていると思われる。だが、なかなか意表を突いたオチであった。

 音楽はサリーム・スライマーン。シュルティ・ハーサンが歌う「Aazma - Luck Is The Key」、冒頭のスクヴィンダル・スィンによる「Luck Aazma」など、アップテンポの曲は映画の雰囲気に合っていたが、劇中に使われていた挿入歌の多くは雰囲気を損なうものであった。工夫すればもっと効果的に挿入歌やダンスシーンを入れることが出来たと思う。

 「Luck」は、面白い顔ぶれが揃ったスリリングな展開の作品で、見て損はないだろう。サンジャイ・ダットやイムラーン・カーンのファンだったら尚更である。だが、後半は詰めの甘い部分が目立ち、完成度は高くない。前半がなかなか良く出来ていたために残念である。

7月25日(土) カサーブはヒンディー語を習ったのか?

 2008年11月26日にムンバイーで同時多発テロが発生したことは記憶に新しい。インドではこれは26/11事件と呼ばれている。26/11事件は10人のテロリストによる犯行であったが、その内の1人アジマル・アーミル・カサーブ容疑者が生け捕りとなり、現在公判が行われている。カサーブは当初犯行を否認していたのだが、2009年7月20日に突然発言を翻して犯行を認め、弁護士や裁判官を驚かせた。その動機については、裁判の遅延や減刑のための策略なのでは、という疑問も投げかけられているが、カサーブ容疑者自身の弁によると、パーキスターン政府が彼をパーキスターン国籍だと認めたことがその動機であるらしい。

 パーキスターンは26/11事件後一貫してカサーブ容疑者をパーキスターン人だと認めることを拒否して来た。カサーブ容疑者の生まれ故郷とされるパンジャーブ州(パーキスターン)のファリードコート村を立入禁止にしたりして、必死にそれを隠そうとして来た。だが、先日エジプトのシャルムッシェイク(Sharm-el-Sheikh)で印パ首脳会談が行われたときにパーキスターン側からインド側に渡された調査書類にカサーブ容疑者はパーキスターン国籍であると明記されており、パーキスターンが初めて公式に26/11事件の実行犯の1人カサーブ容疑者を自国の人間だと認めたとして、インドでは大々的なニュースとなった。このことがカサーブ容疑者の心情に何らかの変化をもたらしたようである。

 これは個人的な予想であるが、カサーブ容疑者はおそらくパーキスターンのために、そしてパーキスターンの「敵国」インドに損害を与えるために、このテロに関わったと考えていたのであろう。そこに宗教的情熱があったかは不明だが、愛国心に似た感情があったのではないかと思われる。だが、当のパーキスターンから国籍を否定されている間は、自らの「誇らしい」行為に何の価値も与えられていない訳であり、犯行を自認する気にはなれなかった。しかし、パーキスターン政府が彼をパーキスターン人だと認めたことで、21歳のカサーブ容疑者は、これで堂々とパーキスターン人として死ねると考え、犯行を自認し、死刑を求めたのだと思われる。

 カサーブ容疑者は犯行を自認した他、犯行に至るまでのより詳細な経緯についても話し出している。その中で、26/11事件の首謀者として、現在パーキスターンで拘束中の、テロ組織ラシュカレ・タイイバ(Let)司令官ザキウッレヘマーン・ラクヴィーの名前も挙げている。カサーブがテロの道に入るまでの経緯を要約すると以下の通りである。

 2008年、パンジャーブ州(パーキスターン)のジェーラム市で装飾業者として働いていたアジマル・アーミル・カサーブは、友人のムザッファルから、強盗をして手っ取り早く大金を稼ごうと誘われ、仕事を辞めてラーワルピンディーへ移った。だが、彼らの手元には強盗のための武器もなかったし、軍事訓練も受けたことがなかった。ところが、ラーワルピンディーのラザー・マーケットで2人はムジャーヒディーン(ジハード戦士)と出会う。カサーブとムザッファルは、ムジャーヒディーンに参加すれば武器の使い方を習えると考え、ムジャーヒディーンに「ジハードに参加したい」と名乗り出て、ラーハウル(ラホール)近くの町ムドリケーにあるトレーニング・キャンプに送り込まれる。ムザッファルは途中で脱落してしまうが、カサーブは才能を見出されたのか、より高度な訓練を受け、AK-47、拳銃、手榴弾、ロケットランチャー、爆薬などの使い方を数ヶ月に渡って受ける。やがてカサーブはムンバイー攻撃の実働部隊に選ばれ、カラーチーからムンバイーへ送られたという訳である。

 カサーブ容疑者の自白の中で、インドにとって無視できない新情報があった。それは、26/11事件の実行犯を訓練した者の中に、1人インド人がいたとカサーブ容疑者が証言していることである。名前はアブー・ジンダル(Abu Jundal)。一応、カサーブ容疑者は捜査を混乱させるためにインド人の黒幕の存在をでっち上げているのだという見方もあるが、安全保障関連機関の情報源によると、アブー・ジンダルというインド生まれのテロリストは実在し、過去15年間指名手配されているとのことで、カサーブの言に間違いはないと思われる。ジンダルはインドのハイダラーバード生まれで、パーキスターンの諜報機関、三軍統合情報部(ISI)に雇われてパーキスターンに渡り、そこでテロリスト養成に関わっているとされる。ジンダルはインドの地理に詳しく、ハイダラーバードなどを拠点とするイスラーム教原理主義団体と面識があるため、特に対インドテロ作戦において重宝されているようだ。彼の名前は、アハマダーバード、ジャイプル、デリーなどで起こった爆破テロでも首謀者の1人として浮上しており、インドで頻発するテロの多くの黒幕だと考えられている。

 カサーブ容疑者は、そのアブー・ジンダルにヒンディー語を習ったと供述している。

 7月21日付けのタイムズ・オブ・インディア紙では、その部分は以下のように報道されている。原文が重要なので、英語でそのまま転載する。
Another interesting revelation Kasab made was that one of his LeT trainers called Abu Jundal was an Indian national and had taught the gunmen to speak Hindi.
 つまり、アブー・ジンダルは26/11事件の実行犯たちに「ヒンディー語を話すことを教えた」と書かれている。一方、同日付けのザ・ヒンドゥー紙では、以下のような書き方であった。
Ajmal also mentioned the name of an Indian. He said an Abu Jundal "taught us Hindi."
 こちらは単にアブー・ジンダルは我々に「ヒンディー語を教えた」とのみ書かれている。

 ヒンディー語とウルドゥー語の関係について少しかじった者なら、少なくともタイムズ・オブ・インディア紙の書き方に疑問を感じておかしくない。パーキスターンの国語となっているウルドゥー語は、口語レベルではヒンディー語とほとんど変わらない言語であり、カサーブ容疑者らがインド人からわざわざ「ヒンディー語を話すことを習う」というのは変な話である。彼らは最初からウルドゥー語を知っていたはずで、つまりはヒンディー語も話せたはずである。

 カサーブ容疑者の公判はヒンディー語/ウルドゥー語で進められているようで、彼が語った言葉の一部が英字紙でも英語に翻訳されずにそのまま新聞にも掲載されていた。それらを見ても、カサーブ容疑者が十分なウルドゥー語の能力を持っていることが容易に推測できる。それらを検証してみたいと思ったのが、本日の日記の主旨であった。ちなみに、ヒンディー語紙にも当然カサーブ容疑者の供述が掲載されていたが、こちらは微妙に文面が変えられている可能性があるため、敢えて情報源として頼らなかった。英字新聞に掲載されているカサーブ容疑者の生の言葉の方が、原文に近い信頼できるテキストだと思われる。

 まずは7月21日付けのタイムズ・オブ・インディア紙に掲載されていた、裁判官とカサーブ容疑者のやり取りの一部。

Judge: Aaj achanak aapne kyun confess kiya? jab pehle charges frame hue toh tab kyun nahi kiya?
Kasab: Pehle Pakistan ne yeh nahi mana tha ki main unka hoon. Aaj maan liya hai. Isiliye main bayan de raha hoon.
Judge: Aapko kaise pata chala ki Pakistan ne maan liya hai?
Kasab: Bas mujhe pata chala. Maine suna ki Pakistan ne kaha ki kasab yahan ka hai.

Judge: Kya tum kisi tarah ke dabav main ho bayan dene ke liye.
Kasab: Nahi.
 次に7月23日付けのタイムズ・オブ・インディア紙に掲載されていた、裁判官とカサーブ容疑者のやり取りの一部。

Judge: Aapne mujhse kaha tha aap saza ke liye taiyar hain.
Kasab: Ji haan. Maine jo kiya hai is duniya mein kiya hai. Duniya mujhe saza de. Mujhe Khuda se saza nahin chahiye.


Kasab: Kisi ke man mein agar yeh shuba hai ki main phansi se bachne ke liye yeh kar raha hoon to woh galat hai. Mujhe phansi ki saza di jaye.


Judge: Aapke upar koi dabav hai?
Kasab: Aisa koi masla nahin.
 ③と同じ内容の供述が7月23日付けのヒンドゥスターン・タイムス紙にも掲載されていたが、多少表現が違った。
③'
Kasab: Kisi ke dimaag mein aisa hain ki main sazaa kam karne ke liye aisa kar raha hoon toh aap likh dijiye, court chahe toh mujhe phaasi de sakta hain.
 手持ちの新聞の中で目に付いた、カサーブ容疑者のまとまった供述は以上である。カサーブ容疑者が使っている言語は、明瞭なヒンディー語/ウルドゥー語であり、それはヒンディー語と言ってもウルドゥー語と言っても差し支えのない基本的レベルの語彙の口語である。カサーブ容疑者の出身地から察すると、彼の母語はパンジャービー語であろうが、彼の使っている言語を見ると、わざわざアブー・ジンダルから「ヒンディー語を話すこと」を習う必要はなかったのではないかと思われる。誰かから付け焼き刃習ったヒンディー語ではなく、元々自然に習得していた言語であることは明白である。

 では、アブー・ジンダルはテロリストたちに何を教えたのか?まずひとつ考えられるのは、カサーブ容疑者はヒンディー語/ウルドゥー語をマスターしていたものの、他のテロリストたちの中にはヒンディー語/ウルドゥー語が苦手な者がいたために、ヒンディー語会話のレッスンが行われたという可能性である。だが、パーキスターンではウルドゥー語が国語となっており、必修科目のひとつとして積極的に教えられているため、ある程度の教育があれば自然にウルドゥー語を話す。他のテロリストもカサーブ容疑者並にヒンディー語/ウルドゥー語を理解したのではないかと推測されるため、その可能性はあまり考えられない。もっとも可能性があるのは、彼らはヒンディー語の文字を習ったのではないかということだ。つまり、ナーグリー文字またはデーヴナーグリー文字と呼ばれる文字である。パーキスターンで普通に暮らしていたら、ナーグリー文字を覚えることはあまりないのではないかと思われる。ウルドゥー語はアラビア文字やペルシア文字から発展したウルドゥー文字を使って書かれている。ムンバイーの市街地でテロを実行する上で、マラーティー語の文字にもなっているナーグリー文字を事前に習得しておくことは、作戦上、決して損にはならないだろう。

 他に考えられるのは、ヒンディー語で特に多用されるサンスクリット語系の語彙を習った可能性である。ただ、口語レベルではそれらの語彙は普通使わず、もし使ったとしたら、余計外国人であることがばれてしまう恐れもある。テロリストとしては致命的である。むしろウルドゥー語のまま会話をした方が自然なやり取りが出来るだろう。

 カサーブ容疑者は、「ヒンディー語を習った」という部分で、単に「Jundal Hindustani hai, unhonein hi humein Hindi sikhaaein.(ジンダルはインド人だ。彼が我々にヒンディー語を教えた)」とのみ語っており、「ヒンディー語を話すことを習った」と書くのは勇み足ではないだろうか?そういう意味で、7月21日付けのタイムズ・オブ・インディア紙の書き方は不適切である。ザ・ヒンドゥー紙の書き方は許容範囲であろう。このような細かい誤解が積み重なって、ヒンディー語とウルドゥー語が全く別の言語であるかのような一般認識が生まれてしまっているのが残念である。

7月29日(水) チャーンドとフィザーの物語

 インドには、神格化されたカップルであるラーダー・クリシュナから始まり、ヒール・ラーンジャー、ソーニー・マヒワールなどの民話の部類に入るものまで、いくつもの恋物語が伝わっている。中にはライラー・マジュヌーなど中東起源のものもあるが、多くは十分にインドに定着しており、映画化もされている。大体これらの恋物語の題名は、主人公となる男女の名前で形成されており、女性名が先に来ることが多いようである。ヒール・ラーンジャーはヒール(女性)とラーンジャー(男性)の物語だし、ソーニー・マヒワールはソーニー(女性)とマヒワール(男性)の物語である。最近では、ハリウッドでブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーのカップルを双方の名前を合成させてブランジェリーナ(Brangelina)と呼んだりするのに倣って、ボリウッドのスター・カップルをアビアシュ(AbhiAsh;アビシェーク・バッチャンとアイシュワリヤー・ラーイ)などと呼ぶ習慣も出て来たが、伝統的なフォーマットは「女性名+男性名」である。

 そんなインドの恋物語界のリストに、新たなカップルが最近になって追加された。チャーンドとフィザーである。伝統に忠実になるならば、フィザー・チャーンドと言うのが正しいか。これはただの恋愛劇ではなく、インドの政治、民法、宗教、果てはモラルの問題まで関わる一大スキャンダルであり、いつか「これでインディア」でもカバーしようと思って来たのだが、あまりに面白い展開が次から次へと起こりすぎて、まだこれから何かあるのではないかと勘ぐってしまい、延び延びになっていた。つい最近、やっと一応の結末とできそうな報道があったので、満を持して取り上げようと思う。

 チャーンドとフィザーの恋物語が人々の注目を集めることになったのは、2008年12月のことであった。国民会議派の有力政治家バジャン・ラールの長男で、カールカー選挙区選出のハリヤーナー州議会議員、かつハリヤーナー州の副州首相というかなりの要職にあったチャンドラ・モーハンが、10月に突然行方不明になり、1ヶ月以上オフィスに顔を出していないことが取り沙汰されるようになったのである。その理由はすぐに明らかになった。チャンドラ・モーハンは、副州首相という要職に就きながら、そして妻子がありながら、アヌラーダー・バーリーというバツイチの女性と恋に落ち、駆け落ちをしてしまったのである。アヌラーダー・バーリーは当時ハリヤーナー州の法務官補というやはり要職に就いていたエリート女性法律家であった。このときチャンドラ・モーハンは43歳、アヌラーダー・バーリーは37歳であった。チャンドラ・モーハンとアヌラーダー・バーリーは2人で仲良く姿をくらまし、12月2日に密かに結婚式を挙げた。2人が公衆の面前に現れて記者会見を行ったのは2008年12月10日で、このとき既に2人は結婚をしていた。

 さて、アヌラーダー・バーリーは離婚済みなので再婚することに法律上の問題はないが、チャンドラ・モーハンの方は、スィーマーという10年以上連れ添った妻と3人の子供がおり、離婚は成立していない。インドで重婚は可能なのだろうか?

 ここでまず抑えておかなければならないのは、当事者の宗教である。チャンドラ・モーハンもアヌラーダー・バーリーもヒンドゥー教徒だ。特にチャンドラ・モーハンの方はビシュノーイーという、ヒンドゥー教の中でも特殊な宗派に属している。ビシュノーイーについては後述する。

 インドの民法において、宗教と密接に関わっている部分は、英領時代の分割統治政策の名残で、信仰する宗教ごとに適用される法律が異なっている。結婚に関する法律もそのひとつである。ヒンドゥー教徒やスィク教徒などには重婚が許されていないが、イスラーム教徒の男性は同時に4人の女性と結婚できることになっている。

 そして、インドでは信教の自由があるため、法律的には改宗は自由に行える。

 頭のいい人ならすぐに思い付くように、インドでは非イスラーム教徒であっても、イスラーム教に改宗さえすれば、重婚は可能となる。一応1995年に、改宗前の結婚を合法的に解消しなければイスラーム教に改宗しても重婚は正当化されないとの判決が出ているものの、結婚や信教の問題は司法がなかなか毅然と踏み込むことが出来ないようで、あまり効力がないようである。このトリックを利用した結婚はインドでは今に始まったものではなく、例えばボリウッド俳優のダルメーンドラが1979年に、スィク教からイスラーム教に改宗することで、最初の妻との結婚を維持しながら、女優ヘーマー・マーリニーと結婚したことは、インド映画に詳しい人なら誰でも知っている事実である。チャンドラ・モーハンとアヌラーダー・バーリーもこの抜け道を使った。逃避行の旅に出た2人はまずイスラーム教に改宗したのである。イスラーム教では改宗すると名前も変わるため、チャンドラ・モーハンはチャーンド・ムハンマドに、アヌラーダー・バーリーはフィザー・パルヴィーンになった。その後2人はウッタル・プラデーシュ州のメーラトで内密に結婚した。

 当然インドの社会がいい大人のこのように無責任な行動を容認するはずがない。チャーンド・ムハンマドは職務怠慢を理由に副州首相職を解雇となり、家族からも「恥さらし」として勘当された。フィザーも同様に法務官補職を解雇された。世間の風当たりも強く、多くの人々が2人の行動を批判した。だが、チャーンドとフィザーは公衆の面前で「愛している」と言い合って仲睦まじさをアピールし、まるでボリウッド映画のように、2人だけの世界に入り浸っていた。このまま2人で、2人だけで、永遠に幸せに暮らすと語っていた。チャーンドがフィザーに200ページに及ぶラブレターを送ったことなど、この頃は2人の熱々振りの詳細な情報が好んで報道されており、批判の渦にありながらも、メディアの中に祝福ムードがないこともなかった。


蜜月の頃のチャーンドとフィザー

 それだけだったら、周囲の人々にはとんだ迷惑だったかもしれないけれども、まだ微笑ましい恋物語と言えたかもしれない。しかし、2009年1月に入り、チャーンドとフィザーの物語は一気に醜い展開となって来た。

 2009年1月末のことだった。チャーンドとフィザーの結婚がうまく行っていないのでは、との報道がされるようになった。チャーンドがフィザーの前から姿を消して再び行方不明になっていること、それを苦にフィザーが睡眠薬を多量摂取して自殺未遂をしたことなどが明るみに出たのである。回復したフィザーの言い分では、チャーンドは弟のクルディープ・ビシュノーイーとその仲間たちに誘拐されたとのことであったが、チャーンドは即座にそれを否定し、フィザーのもとに戻るつもりはないこと、そして元の妻や子供たちのところへ戻りたいと思っていることなど、心情を暴露した。怒ったフィザーは、チャーンドや彼の家族からレイプ、宗教感情毀損、詐欺、名誉毀損、脅迫などを受けたとして警察に被害届を出した。


自殺未遂をしたフィザー

 1月28日以来行方をくらましていたチャーンド・ムハンマドだが、やがてロンドンに「治療のため」滞在していることが明らかになった。被害届を受け取ったハリヤーナー州警察は当事者の2人を呼び寄せたが、チャーンドはロンドンからファックスを送って弁解するだけであった。おそらく政治的圧力があったのだろう、警察は事件性なしと判断し、チャーンドの書類送検を見送った。3月にチャーンドはフィザーに電話で「タラーク、タラーク、タラーク」と言い、直後に「タラーク、タラーク、タラーク」と書かれたSMSを送ったともされている。イスラーム教では、夫が妻に「タラーク」と3回言うことで離婚が成立する。だが、フィザーは電話やSMSでの「タラーク」は無効と主張しながらも、チャーンドに復讐するため、司法と政治の両面での反撃をほのめかした。つまり、チャーンドに法の鉄槌を下すと同時に、選挙で彼や彼の一族を徹底的に邪魔することを決意したのである。実際、彼女は今年4月~5月に行われた下院総選挙で、チャーンドの父親バジャン・ラールに対してアンチ・キャンペーンを行った。さらに、暴露本を出版してチャーンドを糾弾する計画も明示した。とにかくフィザーは、目の黒いうちにチャーンドの破滅を見ることに執念を燃やしていた。あるインタビューで彼女が放った言葉は、彼女の心情を表すに十分であった。「Jab mausam ki fiza kharab hoti hai toh chand aur suraj kahan chhup jaate hai, kisi ko malum bhi nahi padta」、原文のニュアンスを大事にしながら訳すと、「天候のフィザー(雰囲気)が悪くなると、チャーンド(月)と太陽は隠れてしまい、どこにあるか誰にも分からなくなる」。つまり、彼らのイスラーム名であるフィザーとチャーンドの原義をうまく使って、詩的に復讐を誓ったのである。


チャーンドから送られたラブレターを公開する怒りのフィザー

 しかし、6月中旬になって事態はまた謎の急展開を迎えた。チャーンドがフィザーの家を突然訪れ、今までのことを謝罪したのである。彼は、まだフィザーのことを愛しており、彼女の前から姿を消したのは、家族に拉致されたからだと弁明した。また、離婚の件については、彼は「タラーク」を2回しか送っておらず、離婚は無効だと主張した。勝ち誇ったフィザーは、即座に彼を許すことはなかったが、被害届を撤回することや、彼と再び住むことを再考すると述べた。また、このときフィザーの自宅周辺で、フィザーの支持者を自称する謎の団体シヴ・セーナー・ヒンドゥスターンがチャーンドの支持者たちと衝突し、警察が鎮圧のために出動するという事件もあった。

 その後しばらくチャーンドとフィザーの動向については音沙汰がなかったのだが、7月に入り、チャーンドが多発性骨折により入院したとの報道があった。それが単なる事故によるものなのか、それともこの一連の事件と関連があるのかは不明である。そして7月28日付けの各紙に掲載されていた記事によると、現在チャーンドは母親と一緒に住んでいるとのことであった。結局チャーンドは第一の妻にも第二の妻にも見放されてしまったようで、そんな彼を受け容れてくれたのは家族の中でも母親のみだったみたいである。母親の望みにより、チャーンドはヒンドゥー教ビシュノーイー派への再改宗を考慮中とされており、翌日29日の新聞にはチャーンドがビシュノーイー派に再改宗し、名前もチャーンド・ムハンマドからチャンドラ・モーハンに戻った旨が報じられていた。チャンドラ・モーハンは来年にも予定されているハリヤーナー州の州議会選挙に立候補するつもりのようである。

 ちなみに、フィザーの方は、法律家としてのキャリアを再び歩むことは難しそうだが、テレビ番組に出演したり、チャーンドとフィザーの数奇な恋物語を題材にした映画に本人役で出演することが決まったりと、しばらくの間は何とかスキャンダルを糧に食べて行けそうな感じである。今のところ彼女がヒンドゥー教に再改宗する動きはなく、このままイスラーム教徒として生きるつもりのようだ。また、フィザーは再改宗したチャンドラ・モーハンを厳しく糾弾している。

 さて、後回しになっていたビシュノーイーについて簡単に解説しようと思う。「ビシュノーイー」とは「29の」という意味で、29の特殊な戒律を守っているためにそう呼ばれる。ヴィシュヌ神を信仰しているため、ヒンドゥー教の一派とされるが、「部族」とされることもある。少々語弊があるものの、ここでは便宜的に「ビシュノーイー教」「ビシュノーイー教徒」と表記する。ビシュノーイー教はマールワール地方(ラージャスターン州ジョードプル周辺地域)において1485年にジャンベーシュワル(ジャンボージー)という人物によって創始された宗教で、ビシュノーイー教徒はラージャスターン州を中心に近隣各州に分布している。ビシュノーイー教徒は、単なる菜食主義者ではなく、樹木と野生動物の保護を重要な信条として守っているため、インド初のエコロジストとして知られていると同時に、しばしば自然の破壊者や狩猟者などに対し過激な行動を取ることで恐れられている。村の木々を守るために、村人たちが王によって派遣された兵士たちと果敢に戦った伝説が今でも語り継がれているし、現代でも、サルマーン・カーンらボリウッド俳優たちが、ビシュノーイー教徒たちのテリトリーで、彼らが命を賭けて保護しているチンカーラー(インドガゼル)やブラックバックなどの動物の狩りをしたために、裁判沙汰に巻き込まれたことがあった。

 チャンドラ・モーハン改めチャーンド・ムハンマド改めチャンドラ・モーハンも、ビシュノーイー・コミュニティーの一員である。イスラーム教からビシュノーイー教に再改宗したチャンドラ・モーハンは、ハリヤーナー州ヒサールのビシュノーイー教寺院でその儀式を行った。一体どんな儀式が行われたのか興味深いのだが、7月29日付けのヒンドゥスターン紙には、儀式の内容ではなく、彼に科せられた懲罰についてのみ触れられていた。ビシュノーイー教の聖地のひとつに、創始者ジャンベーシュワルの墓があるムカームという場所がラージャスターン州のビーカーネール近くにあるのだが、チャンドラ・モーハンはイスラーム教に改宗した罪を償うため、このムカームにおいて鳥たちに100キンタルのエサをやらなければならないと言う。100キンタルと言ったら10トンである。とんでもない量だが、いかにもビシュノーイーらしい罰則だ。きっとムカームの鳥たちは大喜びであろう。

 ボリウッドの映画音楽では、「恋をしたら破滅する」「恋をしてはいけない」と度々歌われる。確かにインドの伝統的な恋物語では、恋が破滅を導く展開が多いが、それでも両者が愛を守って死を迎えるような悲しくも美しい結末が多く、恋愛は名誉を保っている。それに比べてチャーンドとフィザーの恋物語は、悲恋と言えばまあ悲恋だが、その経緯はお世辞にも美しくなく、しかも結末は滑稽なほど哀れである。まだこれから新展開があるかもしれないが、チャンドラ・モーハンの再改宗をもって一応の終幕としておきたい。

 それにしても、チャンドラ・モーハンは全てを捨ててまでフィザーと結婚したのに、なぜ2ヶ月ほどで彼女を捨ててしまったのであろうか?その理由は今でも良く分かっていない。2人がこの捨て身の行動に出るまでにおよそ3年ほどの交際期間があったようなので、一時の熱情に浮かされてという訳でもないだろう。フィザーは、「私の身体が目的だった」とお決まりの文句を述べていたが、彼女の年齢や身の上を考えると、もっと他に何か原因があったのではないかと思ってしまう。もしかしたらフィザーが主張するようにチャンドラ・モーハンは家族に拉致され、彼らの圧力によってフィザーとの離婚を強要されただけで、フィザーに対する感情はずっと変わっていなかったかもしれない。また、チャンドラ・モーハンの第一の妻であるスィーマーのコメントもほとんど出て来ない。チャンドラ・モーハンがフィザーに、スィーマーが弟のクルディープと「いい仲」になっており、夫婦仲は冷え切っていると語って彼女に言い寄ったとの情報もあるが、それもどこまで信憑性のあるものなのか疑問である。ちなみに、インドでは「デーヴァル・バービー(夫の弟と兄嫁)」と言ったら、インド人男性の誰もがニヤリとするセクシャル・ファンタジーの典型である。

7月30日(木) ニハールデー姫の民話とサティー寺院

 去る7月24日はティージという祭りだった。少し七夕と似たコンセプトの祭りで、普段は遊行や瞑想のために家を留守にしているシヴァ神が、妻のパールワティー女神のところに戻って来るのがこの日だとされている。つまり、ティージはパールワティー女神がシヴァ神と再会するのを祝う日であり、夫婦仲の再確認や愛しい人との再会を主眼とした祭りとなっている。この日、既婚女性は美しく着飾り、夫の健康と長寿を願って断食したり、ティージに合わせて実家に戻り、この後にあるラクシャーバンダンを実の兄弟と祝って、嫁家に戻って来るのが慣わしになっている。ティージ祭はモンスーンの真っ直中にあるため、雨季を象徴する祭りとなっており、しばしばモンスーン・フェスティバルとも呼ばれる。そして何よりティージを有名にしているのはブランコ遊びである。ティージの日には女性たちはブランコで遊ぶ。これは、ティージの日に神々が地上に降り立ってブランコ遊びをするという伝承に則っているようである。

 ティージの日(7月24日)のヒンドゥスターン紙を読んでいたところ、気になる記事を見つけた。そこには、ティージに関係するある遺跡が、デリー近郊の新興工業地帯グレーター・ノイダのカースナー村に残っていると書かれていた。

 その記事によると、カースナー村は、ラージャスターン州ジャイサルメールのラージャー・ラーオ・カウシャルという王が1250年頃に何らかの理由でやって来て住み始めたためにそう呼ばれるようになったと言う。「カウシャル」が「カースナー」に訛ったと言う訳だ。地元に伝わる伝承によると、そのラージャー・ラーオ・カウシャルに仕えるナルスルターンという将軍がいた。ナルスルターンは、地元の女性ニハールデーと恋に落ち、お互いの両親の反対を押し切って結婚した。だが、結婚から数日の内にナルスルターンは戦争のためにラージャスターン方面へ赴かなければならなくなった。戦争は何年も続き、ナルスルターンは帰って来なかった。残されたニハールデーは、ナルスルターンが自分のことを忘れてしまったのだと考えるようになり、ティージの日に火の中に飛び込んで焼身自殺してしまった。その数日後、ナルスルターンはカースナーに帰って来て、事の次第を知った。悲しんだナルスルターンは、ニハールデーのために美しい寺院を建てた。それが、廃墟になりながらも、今でもカースナー村に残っているとの情報であった。

 しかし、その記事と一緒に掲載されていた写真が非常に疑問だった。もしナルスルターンが歴史上の人物で、13世紀にラージャー・ラーオ・カウシャルの将軍を務めていたなら、ニハールデーのために造った墓もやはり13世紀の建築でなければ辻褄が合わない。だが、写真に写っている建築物の様式はどう見ても16世紀以降のムガル様式であった。その真偽を確かめるためにカースナーへ行ってみようと思い立ったのだった。


ニハールデーの墓?

 ところが、よくよく調べてみたら、ニハールデーとスルターンの恋物語は、ラージャスターン州を中心によく知られた民話であることが分かった。カースナー村限定のものではない。おそらく地元の人々が、ニハールデーとスルターンの民話を地元にある遺跡の由来に勝手に適用して、今に伝わっているのだろう、もしくはヒンドゥスターン紙の記事そのものが間違いなのではないか、そう予想した。

 それでも、カースナー村にニハールデー関連の史跡が残っているらしいことは、ネット上の他の情報源からも確かめられた。ヒンディー語紙ナヴバーラト・タイムスのウェブサイトの2009年2月9日の記事(参照)によると、ニハールデーとナルスルターンの恋物語は以下のようなものである。

 あるときニハールデー姫が友人たちとブランコ遊びをしていると、狩猟をしていたキチャクガル王国のナルスルターン王子と、ケーシャヴガル王国のプールカンワル王子がそこへやって来た。ナルスルターン王子はニハールデー姫の美しさに一目惚れし、彼女に結婚を申し込んだ。2人は結婚した。

 ナルスルターン王子はニハールデー姫を連れてケーシャヴガル王国へ戻った。だが、プールカンワル王子もニハールデー姫に心を奪われており、何とかナルスルターン王子を殺そうと謀略を巡らした。だが、それは失敗した。ナルスルターン王子はケーシャヴガル王国の王にこのことを話したが、王は自分の息子に味方し、ナルスルターン王子を王国から追放した。ニハールデー姫もナルスルターン王子と行動を共にしようとしたが、ナルスルターンはティージ祭の日に帰って来ることを約束し、旅立った。だが、ニハールデー姫はもはやナルスルターン王子なしには生きて行けなかった。彼女は実家に戻って夫を待ち続けた。

 その頃、ナルスルターン王子はナルワルガル王国に滞在していた。そこへニハールデー姫から手紙が届いた。そこには、もしティージの日までに彼が戻って来なかったら焼身自殺(サティー)をすると書いてあった。ナルスルターン王子は急いでニハールデー姫のもとへ向かったが遅れてしまい、彼が辿り着いたときにはニハールデー姫はサティーをして灰になっていた。

 ナルスルターン王子はニハールデー姫を弔うため、カースナーに寺院を建立した。この寺院は今でもサティー寺院として知られている。

 この伝承では、ナルスルターンは王子となっており、彼が建てたのもサティー寺院と明記されていた。夫に先立たれた寡婦が夫の火葬壇に飛び込んで殉死するサティーの習慣はインドの悪習として有名だ。サティーをした女性は神格化され、寺院が建立されることもある。ニハールデーのためにムガル様式の墓廟が建築されたのは容易に信じ難いが、サティー寺院なら北インド各地に残っているため、こちらの方がより信憑性のある情報に思えた。

 これらの情報をもとに、グレーター・ノイダのカースナー村を目指して走った。まずはデリー・ノイダ・ダイレクト・フライウェイを使ってヤムナー河対岸まで渡り、そのままグレーター・ノイダ・エクスプレスウェイを使って東岸を南下した。ノイダもこの辺りまで来るとまだ全然開発されておらず、だだっ広い荒野が広がっている。グレーター・ノイダ・エクスプレスウェイを終点まで行くとロータリーのある三叉路に出るが、そこを右に曲がり、ずっとまっすぐ行く。途中左手にホンダの工場があった。中央分離帯がなくなった辺りがカースナー村になる。カースナー村でサティー寺院について尋ねてみたところ、さらにまっすぐ進んだところにあるとのことだったので、さらにそのまま直進した。非常に分かりにくかったが、右側、田んぼの真ん中に、ハヌマーンやシヴァの大きな像が立っているのが見えた。それがサティー寺院であった。メインロードからは未舗装の道路が寺院境内まで続いていた。ちなみにEICHER「Delhi City Map」では範囲外である。この寺院を見つけるまでカースナー村周辺をかなり彷徨ったので、カールカージーの自宅からここまで1時間半以上かかってしまった。デリーからの距離は、およそ50kmはあるだろう。


カースナー村のサティー寺院境内

 寺院境内と言っても、最近になって境内らしきものが造られ始めたような感じで、僕が訪れたときも数人の労働者がノラリクラリと作業をしていた。この境内の中には、ハヌマーンとシヴァの大きな像の他にいくつかの小さな建物があったのだが、その中からサティー寺院を見つけるのは簡単だった。明らかに現代の建築ではない建築物だったからである。外壁は無造作に白く塗られていたが、浅いドームを載せた四角形プランの建物には、シンプルな美しさがあった。


サティー寺院背面


サティー寺院正面

 サティー寺院の内部を覗いて見ると、ちょっと強面の女性をかたどった像が祀られていた。これは古いものではなく、2008年に安置されたばかりのものだ。ご神体としてはむしろ、その像の前に置かれていたプレートの方が本体なのではないかと思う。プレートには無数の花びらが捧げられていた。


ご神体

 境内には馬に乗った戦士の像もあった。もしかしたらこれはナルスルターンのものではないか?そう思ったが、境内で昼寝をしていたバーバー(行者)に聞いてみたら、これはラージャスターン州を中心に信仰されるバーバー・ラームデーオジーの像で、ナルスルターンとは関係ないらしい。だが、サティー寺院はニハールデーのものだと言質が得られた。少なくともカースナー村の人々がこのサティー寺院をニハールデーの民話と結び付けていることは本当のようだ。バーバーの話では、このサティー寺院は950年前に建てられたとのことだが、それはいくら何でも信じられない。


バーバー・ラームデーオジー像

 サティー寺院は見つかったが、ヒンドゥスターン紙に掲載されていたような、ムガル様式のドーム建築はカースナー村では発見できなかった。その記事に載っていた伝承はともかくとして、写真は誤って別の遺跡のものを載せてしまったのではないかと思われる。

 ところで、デリーの近くにはもうひとつニハールデーとナルスルターンの民話の本拠地だとされている場所がある。ハリヤーナー州カルナールの近くにあるインドリーという村である。インドリー村には、マガーと呼ばれる、アレキサンダー大王と共にインドまでやって来たギリシア人の末裔とされる特殊な部族が住んでいる。村にはいくつかの古い遺跡も残っており、それらのいくつかがニハールデーと関連づけられている。インドリーが登場するニハールデーとナルスルターンの民話もネット上で見つかった(参照)。下に簡単にまとめる。上記の伝承と合わせて読んでみると、相互に補完できるところがある。

 ある日、キチャクガル王国のナルスルターン王子が狩猟の帰りにとある村に立ち寄った。彼はひどく喉が渇いていた。女性たちの歌声が聞こえたため、その方向へ向かって行って見ると、井戸から水をくみ上げている女性たちの中に、1人際立って美しい女性がいた。彼女の名前はルーパーデーと言った。ナルスルターン王子がルーパーデーに水を求めると、彼女は「かわいい女の子を一目見るためにたくさんの人が次々とやって来るから、その1人1人に水をあげることはできない」と言って断った。ナルスルターン王子はルーパーデーの態度に怒り、矢を放って彼女の水壺を割ってしまった。そして馬に乗って走り去った。

 この行為は王子としてあるまじきものであった。村人たちはメーンパール王にこのことを訴えた。ナルスルターン王子はメーンパール王の一人息子であったが、王は正義を示すため、息子に罰として12年間の追放刑を下した。よって、王子は王国を出て見知らぬ土地を放浪することになった。

 やがてナルスルターン王子はインドラガル王国に到着した。そこでは多くの人々が競技会を観戦していた。カームドワージ王やその家臣たちももいた。乗馬の部には、各王国から王子たちが参加していた。ナルスルターン王子は身分を隠してその競技に参加した。レースは終わり、ナルスルターン王子が優勝した。カームドワージ王は感嘆し、彼を宮殿に招いた。そこで王はその若者がキチャクガル王国のメーンパール王の一人息子であることを知って驚くと同時に、彼の身の上を知って同情し、このまま王国に養子として滞在するように言った。

 インドラガル王国に滞在することになったナルスルターン王子は、カームドワージ王の息子プールカンワル王子と友情を深め、2人は共に遊んだり狩りをしたりしていた。

 雨季のある日、2人の王子が自然を愛でるために外出したところ、ある美しい女性がマンゴーの樹の下で友人たちとブランコ遊びをしているのを見つけた。王子たちは、彼女がカイラーガル王国のムーン王の娘ニハールデー姫であることを知らされた。王子たちは前々からニハールデー姫の美しさについて聞いていた。ナルスルターン王子は彼女の美しさに心を奪われた。プールカンワル王子はナルスルターン王子に、ニハールデー姫に求婚するように勧めたが、彼は断った。そこでプールカンワル王子はカームドワージ王にそのことを知らせた。

 それを知ったカームドワージ王は直々にカイラーガル王国まで赴き、ムーン王に、ニハールデー姫をナルスルターン王子と結婚させるように頼んだ。ムーン王はそれを喜んで受け容れ、こうしてナルスルターン王子とニハールデー姫はめでたく結婚した。

 ここに出て来るインドラガルと言うのが、現在のインドリー村だとされている。こちらは「Happily Ever After」風のハッピーエンドになっているが、多分その後の悲しい展開がカットされているだけであろう。ニハールデー姫にはメヘクデーという名のやはり美しい妹がいるという話もあり、しかも彼女が主人公の民話もあるようだ。おそらく他にもニハールデー・スルターンの民話には多くのバージョンがあるはずで、地元の人々からその民話と結び付けられた遺跡も北インド各地に残っているのかもしれない。


ブランコで遊ぶニハールデーらと王子たち

 インドリーはデリーからそれほど遠くないので、また機会があったらツーリングしてみたいと思う。

7月31日(金) Love Aaj Kal

 プロデューサーとマルチプレックスの対立とそれに伴う新作ストライキが解決して以来、「New York」、「Kambakhht Ishq」、「Luck」と、メジャー・リリースが続いている。だが、個人的にもっとも楽しみにしていたのは、イムティヤーズ・アリー監督の「Love Aaj Kal」であった。彼は今もっとも上質のロマンス映画を撮る監督である。イムティヤーズ・アリー監督の才能は、彼の監督デビュー作「Socha Na Tha」(2005年)を見たときから感じていた。「Socha Na Tha」はフロップに終わってしまったものの、この作品には2005年度のアルカカット賞(話題にならなかったが個人的に気に入った映画に与えられる賞)次点を与えていた。彼の真価は第2作「Jab We Met」(2007年)でいかんなく発揮された。この作品は興行的にも批評的にも大成功を収めた。今でも自信を持ってオススメできる、ボリウッド・ロマンス映画決定版の1本である。イムティヤーズ・アリー監督作品の特徴は、男女が自覚のない愛に気付くまでの過程を突き詰めることにある。「愛」と名付けるには気恥ずかしいし、そんなつもりもないのだが、なぜか一緒にいてリラックスできる存在、そんな人に対する感情こそが本当の「愛」なのだと、イムティヤーズ・アリー監督は主張し続けて来ている。イムティヤーズ・アリー監督の最新作もやはり期待通りロマンス映画であった。

 「Love Aaj Kal」はいくつかの点で特筆すべき作品である。まず、この作品は男優サイフ・アリー・カーンが立ち上げたプロダクション、イルミナティ・フィルムスの第1作となる。よって、主演のサイフはプロデューサーも兼任しており、当然作品に対する意気込みも今までとは桁違いになっている。サイフはこの映画の中でスィク教徒に扮しているが、これは彼のキャリアの中では初のことだ。ただ、公開直前にスィク教徒団体からスィク教徒の映像化にあたって物言いがあったのだが、彼らに対して試写会を行ったり、謝罪状を送ったり、該当部分をカットまたは修正したりと多大な努力を払い、何とか公開予定日までに問題を解決した。ヒロインはディーピカー・パードゥコーン。「Om Shanti Om」(2007年)で一気にスターダムを駆け上がった彼女だが、今年に入り、「Chandni Chowk to China」、「Billu」と続けて外しているので、ここで態勢を持ち直しておきたいところである。そして何より不況のボリウッド全体を奮い立たせるため、この辺りでタイムリーな大ヒットが渇望されている。こんな訳で本日、「Love Aaj Kal」は、多くの人々の注目を集めながらの公開となったのであった。

 「Love Aaj Kal」は、「愛、今昔」という題名が示唆するように、現代(2009年)と昔(1965年)のシーンが交互に入り、今と昔の恋愛の有様が比較されながら進展して行く変わったスタイルのロマンス映画である。あらすじもそれを念頭に読んでもらいたい。



題名:Love Aaj Kal
読み:ラブ・アージ・カル
意味:愛、今日、昨日
邦題:愛、今昔

監督:イムティヤーズ・アリー
制作:サイフ・アリー・カーン、ディネーシュ・ヴィジャン
音楽:プリータム
歌詞:イルシャード・カーミル
振付:アシュレー・ロボ、ボスコ・シーザー、サロージ・カーン
出演:サイフ・アリー・カーン、ディーピカー・パードゥコーン、リシ・カプール、ラーフル・カンナー、ジゼル・モンテイロ(新人)、フローレンス・ブルデネル・ブルース(新人)、ラージ・ズトシー、ニートゥー・カプール(特別出演)など
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、満席。

ディーピカー・パードゥコーン(左)とサイフ・アリー・カーン(右)

あらすじ
 ロンドン。建築家のジャイ・ヴァルダン・スィン(サイフ・アリー・カーン)は、サンフランシスコのゴールデンゲート社への就職を夢見て仕事に励んでいた。ある日ジャイはバーでミーラー・パンディト(ディーピカー・パードゥコーン)というインド人女性と出会う。彼女はロンドンでフレスコ画修復技術を学んでいた。典型的現代っ子の2人は、告白などなしに自然に付き合い始め、月日は何となく過ぎ去って行く。

 やがてミーラーはデリーで就職することになった。ジャイは遠距離恋愛は無理だと考えており、ミーラーに別れることを提案する。ミーラーも自然にそれを受け容れる。2人は盛大なブレイクアップ・パーティーを開き、お互いの新たな門出を祝った。

 だが、そんな2人の様子を、複雑な思いを持って見ていた老人がいた。彼らがブレイクアップ・パーティーを開いたインド料理レストランのスィク教徒オーナー、ヴィール・スィン(リシ・カプール)であった。ヴィールは、デリーへ発つミーラーを空港まで行って見送るようにジャイに勧める。新車を購入し、納車を待っている状態で、たまたま足がなかったジャイは、そこまですることはないと答えるが、親切にもヴィールは彼を空港まで送って行く。ミーラーはジャイが突然見送りに来てくれたことを喜ぶ。そして別れた後も2人はギリギリまで電話で話す。そのまま成り行きで、ミーラーがデリーに着いた後も、2人は頻繁に電話をして会話をしていた。

 このことをきっかけにジャイはヴィールと親しくなり、彼の元を頻繁に訪れ、過去の恋愛話を聞くようになる。若い頃のヴィール(サイフ・アリー・カーン)はデリーで仲間たちとブラブラしていたが、あるときハルリーン(ジゼル・モンテイロ)と出会い、恋に落ちてしまう。ヴィールは彼女に付きまとうが、ハルリーンは相手にしなかった。やがてハルリーンはカルカッタに引っ越して行ってしまう。ヴィールは駅までハルリーンを追いかける。動き出した列車に乗っていたハルリーンは、プラットホームにヴィールの姿を見つけ、わずかに微笑む。ヴィールはハルリーンを手に入れるため、まずは放蕩生活をやめ、真面目に働き出す。そしてある日決断して彼女に会いにカルカッタまで出向く。そこでハルリーンは、彼と言葉を交わすことはなかったが、無言で彼を受け容れるのであった。

 話は現代に戻る。ミーラーと別れたジャイはやがてジョー(フローレンス・ブルデネル・ブルース)という白人女性と出会い、付き合うようになる。また、ミーラーも上司のヴィクラム(ラーフル・カンナー)と付き合い出す。2人はそのことをお互いに隠すことはなかった。ジョーがインドに旅行したいと言い出したことにより、ジャイはデリーを訪れる。そこで彼はミーラーと再会する。ジャイはジョーを適当に観光させておき、ミーラーと昔のようにデートをする。2人は現在の恋人と一緒にいるときには感じられない心地よさを感じる。だが、その頃ミーラーはヴィクラムにプロポーズされる。自分の本当の気持ちを自覚しないジャイは、それを祝福することしか出来なかった。

 ロンドンに戻って来たジャイはジョーと距離を置くことになる。やがてミーラーがヴィクラムと結婚することになり、彼は結婚式に出席する。そこでジャイはミーラーと2人きりで話すが、やはり彼女に対して正直な気持ちを言い表すことは出来なかった。ミーラーはヴィクラムと結婚してしまう。

 だが、ミーラーは自分の行動に疑問を感じていた。どうしても我慢できなくなったミーラーはヴィクラムを置いてジャイのところへ向かおうとするが、そのときジャイから吉報を受ける。かねてより彼が夢見ていたゴールデンゲート社への就職が決まったのである。今はそのタイミングではないと悟ったミーラーはヴィクラムの元へ引き返す。

 サンフランシスコに移住したジャイは張り切って仕事をするが、やがて何か不足を感じるようになり、仕事に集中できなくなる。仕事で失敗し、夜の街を一人フラフラと歩いていたときに強盗に遭い、そのとき金よりもミーラーの写真の方を必死で守る自分を見て、ミーラーを忘れられていないことを自覚する。ジャイはヴィールに相談する。ヴィールは自分の恋物語を再び語り出す。

 デリーで働いていたヴィールは、ある日偶然グルドワーラー(スィク教寺院)でハルリーンの姿を見つける。ハルリーンが再びデリーに戻って来ていたのである。ヴィールはハルリーンと密会するが、そこで聞かされたのはハルリーンの結婚が決まったという知らせであった。彼女がデリーに戻って来たのもお見合いのためであった。ヴィールは、デリーでの用事を終えてカルカッタへ向かうハルリーンとその家族を駅で引き留めて、唐突にハルリーンと結婚したいと言う。ハルリーンの父親(ラージ・ズトシー)は怒り、ヴィールはリンチに遭う。ハルリーンはカルカッタへ連れて行かれてしまう。だがヴィールは諦めなかった。再びカルカッタへ赴き、結婚式の準備中にハルリーンを連れて逃亡する。そしてデリーで結婚式を挙げる。現在もヴィールの妻ハルリーン(ニートゥー・カプール)は健在であった。

 ジャイも勇気を出し、デリーへ飛ぶ。ヴィクラムの家へ行くが、そこにミーラーはいなかった。実はミーラーはヴィクラムと一緒に住んでおらず、ジャイを待って1人で暮らしていたのだった。ジャイは早速ミーラーのもとを訪れ、彼女に初めて本当の気持ちを告白する。

 「一生に恋愛は一度だけ」という古風な考えを主張する老齢のヴィールと、「人生いろいろ恋愛いろいろ、結婚は人生の墓場」がモットーのイマドキの若者ジャイのそれぞれのラブストーリーの対比によって、2009年と1965年の恋愛の有様を比較し、愛とは何かに迫った、イムティヤーズ・アリー監督らしい作品。もちろんその中でいろいろなジェネレーション・ギャップが面白おかしく描かれていたのだが、結論は「愛はいつの時代も変わらない」というものだった。特にこの映画の重要なテーマとなっていたのは、序盤でヴィールがジャイに語る以下の台詞である。「私はハルリーンに出会うまでは放蕩生活を送っていたが、彼女と出会って変わった。彼女と結婚するために仕事をしてお金を貯めようと思った。だから今の自分がある。それに比べて君(ジャイ)たちは愛よりも仕事を優先しているね。」つまり、ヴィールにとって仕事は愛のためにあった。だが、ジャイにとって愛よりも仕事での成功の方が人生の優先事項であった。しかし、やがてジャイも仕事での成功では本当の幸せが得られないことに気付く。愛を蔑ろにし、自分に嘘を付いて掴み取ったキャリア上の成功は、手にした途端に崩れ去ってしまう、もろくて何の意味もないものであった。だが、そのとき既にミーラーは結婚してしまっていた。さすがのヴィールもジャイに「気付くのが遅すぎる」と忠告するが、ジャイは「確かに遅すぎたけど、人生が終わってしまった訳ではない」と自らを鼓舞し、ミーラーの元へ向かうのである。恋愛は物語の中にしかないと考えていたジャイは、いつの間にか愛の戦士となっていたのであった。このようなプロットであるため、今と昔の恋愛の比較と言っても、どちらかというと昔ながらの実直な恋愛に肩入れがされていたように思う。情報やオプションが多すぎて真実を見誤りがちな現代の状況への警鐘も含まれていた。

 やはり「Love Aaj Kal」でも、イムティヤーズ・アリー監督のデビュー作「Socha Na Tha」や前作「Jab We Met」と同様に、自覚のない愛がテーマになっていた。ジャイもミーラーも、現代っ子特有のイージーゴーイングな考えで、自然に付き合い出し、自然に別れるばかりか、ブレイクアップ・パーティーなるものまで開いてユニークさを披露する。2人の心はお互いを運命の人だと告げていたが、2人の理性はそれを否定し、お互いを人生の中のただの通行人のように扱っていた。自分の本当の気持ちに先に気付いたのはミーラーであった。だが、ジャイがまだそれに気付いていなかったため、彼女はそれを彼に伝えるのを待った。ジャイがそれに気付くのはミーラーが結婚した後のことになるが、ミーラーは夫に事情を説明し、ちゃんと彼を待っていた。

 僕は常々インド映画の重要な不文律について主張して来た。それは、「恋愛と結婚が相反する場合、結婚の儀式の前は恋愛が勝ち、結婚の儀式の後は結婚が勝つ」と言うものである。インドのロマンス映画を片っ端から見て行くと、ほとんどの作品でこれが忠実に守られているのが分かるだろう。21世紀のボリウッド映画をずっと見て来た中で、この不文律が崩されたのは、カラン・ジャウハル監督の「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)のみである。この作品では既婚の男性と既婚の女性の不倫と再婚が描かれている。しかし、やはり不文律を犯したためであろう、海外市場ではヒットしたものの、国内市場ではそっぽを向かれた。驚くべきことに、「Love Aaj Kal」でこの不文律がもう一度破られることになった。劇中ではヴィクラムとミーラーの結婚の儀式が明白に描写されており、2人が結婚したことは否定のしようがない(こういうとき、結婚の儀式を巧みに見せず、最後で「実は結婚していませんでした」という明かして解決するインド映画も多い)。だが、ミーラーは自分がジャイのことを愛していると気付き、結婚直後にそれをヴィクラムに伝えて、彼の元を去るのである。しかしミーラーはすぐにジャイに連絡をしなかった。ミーラーは、ジャイにも自らそのことに気付いてもらいたかったからだ。だからミーラーはひたすら1人で彼を待ち続けた。最後でようやく2人は結ばれるが、ミーラーがヴィクラムとちゃんと離婚したのかどうかなどには触れられていなかった。よって、インド社会にこの作品がどのように受け止められるかにはとても興味がある。「Love Aaj Kal」はロマンス映画としては非常に良く出来ていた映画であったが、この1点がネックとなり得る。ミーラーの行動は、結婚の神聖性を侵害する無責任で反社会的なものと受け止められてもおかしくない。

 もはやボリウッドの「ロマンスの帝王」と言っても過言ではないイムティヤーズ・アリー監督であるが、彼の作品のもうひとつの特徴は、ロードムービー的旅情である。「Jab We Met」ではムンバイー、ラトラーム、バティンダー、シムラーなど、舞台が頻繁に移動し、明示はされていなかったもののさらに多くの場所でロケが行われており、まるでインド中を旅行しているような気分にさせられる映画であったが、「Love Aaj Kal」でも、デリー、カルカッタ、ロンドン、サンフランシスコなど、世界中が舞台となっていた。ロンドンのタワーブリッジ、カルカッタのハーウラー橋、サンフランシスコの金門橋を対比する映像もあった。当然、橋は男女の心の架け橋を象徴しており、重要な場面で暗示的に橋が使われていた。デリーではクトゥブ・ミーナールやプラーナー・キラーが主なロケ地になっていた。また、鉄道駅や空港が重要なシーンに登場し、より一層旅情をかき立てていた。「旅立って行く人には何度『さようなら』と言っても物足りない。なぜか最後まで見送って行かないと満足しないものだ」というような、旅を彩る美しい台詞もあった。

 サイフ・アリー・カーンは今まででベストの演技であった。心の声とは違ったことを口走るようなシーンがいくつかあったが、そこでの葛藤をうまく表情で表現できていた。ジャイと若い頃のヴィールのダブルロールだったが、最後のボーナス的エンドクレジット・ナンバーを除き、2人が一緒に登場することはなかったため、ダブルロール特有の困難さはほとんど経験しなかったはずである。サイフ・アリー・カーンは基本的にはジャイの役を演じているのだが、老齢のヴィールがジャイを見て、「オレも若い頃はお前と瓜二つのハンサムだった」と言ったことから、回想シーンでの若かりし頃のヴィールもサイフ・アリー・カーンが演じるという、自然な設定になっていた。ただ、サイフに関して、踊りがあまりうまくないシーンが目立った。サイフはこんなにダンスが下手だっただろうか、と考え込んでしまった。

 ヒロインのディーピカー・パードゥコーンも魅力タップリで、次代を担う女優の1人であることを改めて強力に証明した。今回彼女が演じたのは、心情の表現が非常に困難な役であった。自分の本当の気持ちをどれだけ自覚しているのか、それを台詞ではなく表情で表現しなければならなかった。その表現において、演技が多少ワンパターンになってしまっており、デリケートさに欠けたものの、彼女の現時点でのキャリアと実力を考えれば及第点だと言えるだろう。まだまだ延びしろのある女優である。

 ヴィールを演じたリシ・カプールの助演振りも見事。実生活の妻であるニートゥー・カプールが、ヴィールの妻ハルリーン役で最後にサプライズ出演していたのも特筆すべきである。若い頃のハルリーンを演じた新人ジゼル・モンテイロはブラジル人らしい。彼女のヒンディー語の台詞は吹き替えのようだ。ラーフル・カンナーはちょっと可哀想な脇役だったが、哀愁のある風貌の彼にこういう役は適役だ。

 音楽はプリータム。蛇遣いの音楽から始まるハイテンションなダンスナンバー「Twist」と、「アウアウアウ・・・」のサビが頭から離れないエンドクレジット・ナンバー「Aahun Aahun」が秀逸だが、他の曲も映画の雰囲気や展開とよく調和しており、「Jab We Met」に続いて音楽も優れた映画になっていた。音楽的にもっとも盛り上がるのは、ラーハト・ファテ・アリー・ハーンの歌うパンジャービー語バラード「Ajj Din Chadheya」であろう。ヴィールとハルリーンの、静かで熱い恋が歌詞の中によく表現されており、インターミッション前の山場となっていた。

 言語は基本的にヒンディー語だが、2009年のシーンでは英語が頻繁に台詞に混じるため、ヒンディー語が分からなくてもある程度展開を追えるのではないかと思う。また、1965年のシーンでは、ヴィールがパンジャーブ人ということもあり、パンジャービー語が台詞に多少混じる。

 エンドクレジット・ナンバー「Aahun Aahun」でバックに「Mango PPL」、「प्रtigya」と書かれた大きな看板があったので、それについてもついでに解説しておこうと思う。まず「Mango PPL」=「マンゴー・ピープル」とは、ジャイが劇中でしゃべっていた言葉遊びのひとつである。ヒンディー語で一般庶民のことを「アーム(一般の)ジャンター(人々)」と言うのだが、「アーム」には「マンゴー」という意味もあり、それを掛けてふざけて英語に訳して「マンゴー・ピープル」と言っていたのである。次に「प्रtigya」だが、これはナーグリー文字とアルファベットの合成となっている。「プラティギャー」と読む。「誓約」という意味のヒンディー語だが、普段はあまり使わないサンスクリット語系の難解な語彙である。こちらはヴィールが劇中でしゃべっていた。ハルリーンに一目惚れしてしまったヴィールは、まだ会話も交わしたことがないのに、今生においてだけでなく、生まれ変わるたびに彼女と結婚することを「誓約」したのであった。だが、その大袈裟な表現を聞いてジャイは笑っていた。

 ちなみに、1965年のデリーのシーンで、バックの方に傑作「Mother India」の看板が見えた。この作品は1957年公開で、普通に考えたら時代考証がおかしい。だが、映画研究家のガーヤトリー・チャタルジーによると、「Mother India」は90年代までインドのどこかで必ず上映されていたらしい。一般に、インドでもっとも連続上映期間の長い映画は「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)で、その公開までそれは「Sholay」(1975年)だったとされているが、チャタルジー氏の主張では、現在まで真のインド最長連続上映映画は「Mother India」以外にないようである。彼女の主張が正しければ、1965年のシーンで「Mother India」が上映されていたとしてもちっともおかしくはないことになる。

 「Love Aaj Kal」は、今年最高のロマンスの1本になること間違いなしである。必見の映画だと宣言したい。ただ、インド映画の不文律を犯しているため、それがインドの観客にどう受け止められるかを注視しなければならないだろう。もしこの映画が国内で大ヒットしたら、インドのロマンス映画は新たなステージに進んだことになる。どちらにしろ、イムティヤーズ・アリー監督はボリウッドにおいてますます重要人物になることは間違いない。



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