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これでインディア
2010年6月
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プラカーシュ・ジャー監督の最新作「Raajneeti」が本日より公開された。プラカーシュ・ジャー監督と言えば、「Gangaajal」(2003年)や「Apaharan」(2005年)などの重厚な社会派ドラマで知られた映画監督であり、この種の映画が好きな人々からは熱烈に支持されている。彼の映画はストーリーが渋いだけでなく、配役も渋いことが常である。だが、最新作「Raajneeti」は、おそらく彼のフィルモグラフィーでは初めて、オールスターキャストと言えるキャスティングとなっている。今をときめく若手俳優のランビール・カプールとカトリーナ・カイフを筆頭に、プラカーシュ・ジャー監督お気に入りのアジャイ・デーヴガンやナーナー・パーテーカル、演技派のナスィールッディーン・シャーやマノージ・バージペーイーなどがメインキャストに名を連ねているのである。今回のテーマは題名通りインドの政治。公開前にいくつか物言いが入ったが(例えばカトリーナ・カイフの役が国民会議派ソニア・ガーンディー党首をモデルにしているのではないか、など)、予定日に無事公開された。文句なく今年の期待作の1本である。
題名:Raajneeti
読み:ラージニーティ
意味:政治
邦題:仁義なき政争
監督:プラカーシュ・ジャー
制作:プラカーシュ・ジャー
音楽:プリータム、アーデーシュ・シュリーワースタヴ、シャーンタヌ・モーイトラ、ウェイン・シャープ
歌詞:イルシャード・カーミル、サミール、スワーナンド・キルキレー、グルザール
衣装:プリヤンカー・ムンダーダー
出演:アジャイ・デーヴガン、ランビール・カプール、カトリーナ・カイフ、アルジュン・ラームパール、マノージ・バージペーイー、サラ・トンプソン、ナスィールッディーン・シャー、ナーナー・パーテーカル、ダルシャン・ジャリーワーラー、シュルティ・セート、ニキラー・ティルカー(新人)、チェータン・パンディト、ヴィナイ・アプテー、キラン・カルマルカル、ダヤーシャンカル・パーンデーイ、ジャハーンギール・カーン、ラヴィ・ケームー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
左から、アルジュン・ラームパール、ナーナー・パーテーカル、サラ・トンプソン、
ランビール・カプール、カトリーナ・カイフ、アジャイ・デーヴガン、
マノージ・バージペーイー、ナスィールッディーン・シャー
あらすじ |
マディヤ・プラデーシュ州では州議会選挙が近付いていた。国家主義党(RP)は、老練な政治家ラームナート・ラーイ(ダルシャン・ジャリーワーラー)率いるインド民主党(BPP)と連立し、政権を握っていた。だが、RP党首バーヌー・プラタープは、自身の誕生日にBPPとの連立を解消し、独立して選挙戦を戦うことを宣言する。ところが、バーヌー・プラタープはその演説の席で心臓発作を起こし、植物人間状態となってしまう。RPの中では、次期党首の座を巡って、プラタープ家の中で内紛が勃発する。
バーヌーの実の息子ヴィーレーンドラ・プラタープ(マノージ・バージペーイー)は権力欲の強い男で、自身を当然の後継者だと考えていた。しかし、意識を取り戻したバーヌー・プラタープは、弟のチャンドラ・プラタープ(チェータン・パンディト)を後継者に任じ、その長男プリトヴィーラージ・プラタープ(アルジュン・ラームパール)を補佐役にした。チャンドラの妻はラームナート・ラーイの娘バールティー(ニキラー・ティルカー)であった。その仕打ちに怒ったヴィーレーンドラは、党幹部の決定にいちいち歯向かうようになる。RPの顧問役ブリジ・ゴーパール(ナーナー・パーテーカル)は何とか穏便に済ませようとするが、彼にもヴィーレーンドラを制御することは出来なかった。
ヴィーレーンドラの右腕となって働いていたのがダリト(不可触民)上がりの青年政治家スーラジ・クマール(アジャイ・デーヴガン)であった。スーラジの父(ダヤーシャンカル・パーンデーイ)はプラタープ家の運転手をしていたが、血気盛んなスーラジはRP幹部にも臆することなく自己主張した。その大胆不敵さをヴィーレーンドラに買われたのだった。実はスーラジには出生の秘密があった。彼は本当はバールティーの息子だった。バールティーは若い頃、父親に反目して左翼政治団体に所属しており、そのリーダーであるバースカル・サンヤル(ナスィールッディーン・シャー)に陶酔していた。だが、ある日バースカルは自制心を失ってバールティーと一夜を共にしてしまう。自己嫌悪に陥ったバースカルは政治活動を捨てて姿をくらます。その後バールティーはチャンドラに嫁ぐことになったのだった。だが、スーラジは自らの出生の秘密を知らなかった。彼はヴィーレーンドラをRP党首にするために策謀を巡らす。
ところで、チャンドラにはプリトヴィーラージの他にもう1人息子がいた。サマル・プラタープ(ランビール・カプール)である。サマルは米国に留学し、博士課程に在籍していたが、バーヌーの誕生日に合わせて帰国していた。RPを経済的に支える資産家の娘インドゥ(カトリーナ・カイフ)はサマルに恋しており、プロポーズまでするが、サマルはそれを拒絶する。なぜならサマルには米国で出会ったアイルランド人の恋人サラ・ジェーン・コリンス(サラ・トンプソン)がいたからである。サマルの一時帰国期間は終わり、米国に帰ることになった。チャンドラはサマルを見送りに空港まで行く。だが、その帰りにチャンドラは路上で何者かに暗殺される。サマルは急遽米国行きを取り止め、家に引き返す。
チャンドラ亡き今、RPの主権はヴィーレーンドラの手に渡った。一方、プリトヴィーラージは、チャンドラを警備していた警察の怠慢に憤怒し、暴力沙汰を起こして逮捕されてしまう。追い打ちをかけるように、プリトヴィーラージにはレイプの嫌疑もかけられる。それを見たサマルは、プリトヴィーラージに政界からの見せかけの引退を提案する。プリトヴィーラージが米国へ移民することを知ったヴィーレーンドラはやっと安心し、攻撃の手を緩める。たちまちプリトヴィーラージに掛けられていた嫌疑は晴れ、釈放される。ところがこれは策略で、プリトヴィーラージは民衆の支持が誰にあるのかをヴィーレーンドラに見せ付ける。騙されたと気付いたヴィーレーンドラはプリトヴィーラージを党から追放する。しかしこれもサマルの想定内であった。
RPを追放されたプリトヴィーラージは、サマル、ブリジ・ゴーパールらと共に新党人民力党(JSP)を立ち上げる。ところが、JSPは立ち上げ早々資金難に陥っていた。それを救うため、サマルはインドゥとの結婚を考える。インドゥの父親は大資産家であり、彼女と結婚すれば党の財政難は一気に解決する。ところがインドゥの父親は、娘の結婚相手に将来の州首相、つまりプリトヴィーラージを求めた。悩んだ挙げ句、サマルはそれを受け容れる。インドゥは、愛していたサマルではなくプリトヴィーラージと結婚させられることになって荒れるが、最終的には受け容れざるをえなくなる。完全なる政略結婚であった。また、この頃サマルの恋人サラが米国から彼を心配して駆けつけて来る。
RPとJSPの骨肉の争いは投票日が近付くに連れて熾烈化して行った。まずはサマルはヴィーレーンドラの側近を脅迫してRPの不正を内部告発させた後、彼を爆死させる。また、サマルは父親の暗殺を命じたのはスーラジであることも突き止める。一方、プリトヴィーラージは自分を逮捕した警官やレイプ告発した女性を惨殺する。しかしRP側も黙っていなかった。自動車爆弾により、プリトヴィーラージとサラが殺されてしまう。党首を失って意気消沈するJSP党員だったが、サマルとブリジ・ゴーパールは次期党首として、プリトヴィーラージの寡婦インドゥを擁立する。インドゥは精力的に選挙活動をこなし、JSPに勝利を呼び込む。敗北に我を失ったヴィーレーンドラは、投票に不正があったとの垂れ込みを信じ、郊外へおびき出される。それはサマルやブリジ・ゴーパールの罠であり、ヴィーレーンドラは後を追って来たスーラジ共々殺される。
サマルはJSPの勝利を見届けた後、米国に戻ることにする。だが、インドゥがプリトヴィーラージの子を身ごもっていることを知らされ、またすぐに帰って来ることを約束する。 |
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インドの政治、民主主義、選挙の実態をえぐる作品とのことであったが、「Raaneeti」では、主義を異にする政党同士の駆け引き、世界最大の民主主義の問題点、仁義なき選挙戦などはほとんど隅に追いやられており、焦点が当てられていたのは政党内のポリティックス、もっと言えば、政党を牛耳る一家の骨肉の争いであった。しかもその争いは全く「政治的」ではない。とにかく邪魔者を次から次へと暗殺して行くだけの弱肉強食の争いであり、マフィアの抗争を政治に置き換えただけの作品に思えた。インドの現代政治史において、「暗殺」はいくつか例があるが、多くはもっと複雑な背景の中で行われたものであり、単なる政党内権力抗争の末にこれだけ人が次々と殺されて行くようなことは、さすがにインドと言えども今までなかったはずである(もっとも近いのはネパール王室乱射事件か)。それに、政治ドラマであるから、単純な「暗殺」ではなく、政敵を敢えて泳がせておくことで利益を得たり、離間工作をして自滅させたりなど、もっと手の込んだ深謀遠慮の数々を見たかった。この程度の小競り合いでもって「政治」を名乗っていたら、インド人は政治力がないのかと思われてしまっても仕方がない。プラカーシュ・ジャー監督の最新作には大いに期待していたのだが、かなり期待外れであった。
見る人が見ればすぐに気付くだろうが、「Raajneeti」はインドが誇る叙事詩「マハーバーラタ」のメインストーリーを下敷きにしている。完全な一対一対応はしていないものの、スーラジはカラン、サマルはアルジュン、ヴィーレーンドラはドゥリヨーダン、バールティーはクンティー、ブリジ・ゴーパールはクリシュナ、バーヌーはドリトラーシュトラ、チャンドラはパーンドゥだと言えるし、ひとつの政党、ひとつの家族が分裂し互いに争うなどの基本的なストーリーラインも「マハーバーラタ」そのままである。ラストの、サマルがブリジ・ゴーパールの助言の下に、手負いのスーラジを射殺するシーンなどは、完全に「マハーバーラタ」のクライマックスのひとつ「カランの最期」の翻案だ。21世紀になっても尚、「マハーバーラタ」がインド人の創作活動の源泉となっているのを見るのは大きな驚きである。だが、「人間が想像し得る全ての説話は既に『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の中にある」と豪語されているだけあり、それは仕方のないことなのかもしれない。しかし、あまりに「マハーバーラタ」に執着し過ぎて、上述した通り、もっと現代的な政治の駆け引きが疎かになっていたことは、「マハーバーラタ」を下敷きにした故の弱点だと指摘できる。特に、インドゥが党首になってからの選挙戦をもう少しじっくりと楽しみたかった。
オールスターキャストの「Raajneeti」の中でも、もっとも注目を集めていたのがカトリーナ・カイフである。今までお気楽なロマンス映画やコメディー映画への出演が多かったカトリーナ。そのヒット率は異常なまでに高く、キュートな美貌もあって、あれよあれよと言う間にトップ女優に躍り出てしまった。最初はヒンディー語もままならなかった彼女も徐々に芸幅を広げつつあり、昨年は「New
York」でシリアスな演技を見せて称賛を受けた。その次のステップに目されていたのがこの「Raajneeti」であった。彼女が演じたインドゥは、国民会議派ソニア・ガーンディー党首、またはその娘のプリヤンカー・ヴァドラーをモチーフにしていると言われるだけあり、そのヴィジュアルは今までの彼女とは全く違ったものになっていた。だが、意外にもカトリーナ演じるインドゥが政界に飛び込むのは物語終盤になってからで、それ以前は今までのカトリーナとそう違わないイメージの役、演技になっている。それはそれでいいのだが、政治家として選挙に出馬した彼女の演技は、必ずしも褒められたものではなかった。特にヒンディー語での演説が弱かった。彼女がヒンディー語を得意としていないのは周知の事実であるが、今まではそれが大きな問題にならないような役だったため、騙し騙しやって来られた。しかし、政治をテーマにした映画において、政治家が好んで使う演説調のヒンディー語をしゃべらなくてはならなくなったとき、彼女の弱点はあからさまに露呈してしまった。マノージ・バージペーイーやナーナー・パーテーカルのレベルのヒンディー語までは要求しないが、それでももう少しマシなヒンディー語で演説してもらいたかった。これではその後の選挙での圧勝という展開も嘘くさいものになってしまう。カトリーナ・カイフは一応個人的に贔屓にしている女優ではあるが、「Raajneeti」での彼女の演技には及第点を与えることが出来ない。彼女にとって荷が重すぎる役であったことは確実で、これはプラカーシュ・ジャー監督のキャスティングミスだと言わざるをえない。
キャスティングミスという点でまだ何人か名前を挙げなければならない。まずはアルジュン・ラームパールである。アルジュンは、業界内随一のハンサムな容姿を誇っていながら、長年くすぶっていた。だが、「Om
Shanti Om」(2007年)や「Rock On!!」(2008年)などのヒットで成功を掴み、現在好調の波に乗っている。「Raajneeti」での演技も自信に溢れるもので、好感が持てた。しかし、ここまでハンサムな政治家なら、それだけで武器になるはずである。物語の中で、ハンサムさによるアドバンテージがどこかで触れられてもおかしくなかったはずだし、むしろ触れられなかったことで大きな違和感を感じた。もし彼の抜群の容姿がストーリーに何も絡んで来ないならば、アルジュン・ラームパールをキャスティングした意味がよく分からなくなる。
同様の批判なのだが、サマルが恋人として幼馴染みのインドゥではなくアイルランド人のサラを選んだ理由も不明である。はっきり言ってカトリーナ・カイフ演じるインドゥの方が、美貌という点でも、資金力という点でも、数倍魅力的であり、何を血迷って、自分に好意を寄せる彼女を拒絶してサラと付き合っているのか、全然納得出来なかった。そしてサラを演じた米国人女優サラ・トンプソンは何をもって選ばれたのだろうか。特にこの映画に必要な要素を備えているとは思われなかった。サマルを演じたランビール・カプールは真摯な演技をしていたが、彼のキャラクターは劇中でもっとも弱かった。学者肌の優男かと思ったらいつの間にか叔父のブリジ・ゴーパールを凌駕するような謀略家になっており、眉毛1本動かさずに人殺しもする。そして全てが終わった後に、「これはオレの世界じゃない」と言い残して米国に去って行く。ランビール・カプールについてはキャスティングミスではなかったが、彼が演じたサマル役の人物設定に難点があった。
バールティーを演じたニキラー・ティルカーは新人で、ランビールやアルジュンの母親としてフィットするルックスの女性ということでキャスティングされたようである。しかし彼女の演技には深みがなかった。特にスーラジに対して、出生の秘密を明らかにするシーンなどは「Raajneeti」のワーストシーンに数えられる。スーラジ役のアジャイ・デーヴガンは渋い演技をしていたが、ニキラーの大根役者振りが全てを台無しにしていた。
これらの弱さの大半は、キャスティングミスにもあるが、キャラクタースケッチやストーリーテーリングを端折ったことにも原因がある。およそ3時間の長丁場であったが、まだまだ全てを語り尽くすには時間が不足していた。特に導入部と終盤があっさり描写され過ぎだと感じた。導入部の端折りのおかげで物語の世界に没入するのに時間がかかったし、各キャラクターの人となりを理解するために思考力がなかなか追い付かなかった。終盤のあっさりさは、カトリーナ・カイフにも原因があるだろう。彼女にもう少し演技力があれば、彼女が党首として擁立された後のシーンももっとじっくり描写出来たかもしれないが、現状ではこれが限界だったのだろう。全体としては、プラカーシュ・ジャー監督らしくない、浅いドラマになってしまっていた。
また、ベッドシーン→妊娠の3連発には笑わせてもらった。インド人は百発百中か!妊娠・出産までつなげるのにベッドシーンを必ずしも入れる必要はないし、ベッドシーンがあったらその後に必ず妊娠シーンが入ると観客に予想させてしまうのも良くないだろう。
カトリーナ・カイフ、アルジュン・ラームパール、ランビール・カプール、サラ・トンプソン、ニキラー・ティルカーについては上で触れた。アジャイ・デーヴガンは影の主役と言えるくらい重要な役で、非常に良かった。ナーナー・パーテーカルやマノージ・バージペーイーは文句ない名演技。ナスィールッディーン・シャーやダルシャン・ジャリーワーラーの出番がかなり限られていたのは意外だったが、2人ともキチッと見せ場を作っていた。
音楽は、プリータム、アーデーシュ・シュリーワースタヴ、ウェイン・シャープらの合作となっている。サントラCDには数曲収録されているが、ダンスシーンはアイテムナンバーの「Ishq
Barse」ぐらいで、後は完全にBGM扱いになっている。「Ishq Barse」にしても時間短縮のためか途中でぶった切られていた。
映画の撮影はほとんどマディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパールで行われたとのこと。ボーパールは歴史ある街であり、象徴的な建築物や風景にも恵まれていて、地方政治の抗争の舞台として格好の雰囲気を提供していた。そして人、人、人の海。動員数はインド映画史上最大だと言う。インド映画は人海戦術をしてなんぼ、だ。CGではない生の群衆を使った撮影はこの映画の大きな見所となっており、圧巻である。
言語は完全なるヒンディー語。政治家の言語を再現するため、サンスクリット語の借用語を多用しているため、難易度は高い。ただし、サマルとサラの会話は英語でなされており、ヒンディー語デーヴナーグリー文字による字幕が出ていた。
ちなみにプラカーシュ・ジャー監督は実際に政界進出を狙ったことがあり、2004年と2009年の下院総選挙で立候補している(共に落選)。所属政党はラームヴィラース・パースワーン率いる人民力党(ローク・ジャンシャクティ・パーティー;LJP)である。「Raajneeti」内で似たような名前の政党、人民力党(ジャンシャクティ・パーティー)が出て来るのは偶然ではなかろう。
「Raajneeti」は、定評あるプラカーシュ・ジャー監督の最新作、かつ政治をテーマにした映画ということで期待されているが、あまり政治映画らしくない作りである上に、同監督作品にしては深みのない退屈な映画になってしまっており、残念な出来である。注目の主演女優カトリーナ・カイフも現時点での演技力の限界を露呈してしまっている。完全なる期待外れであり、ヒットは望めないだろう。
かつてテレビ東京系列で放送されていた「ASAYAN」のようなタレント発掘系番組がインドでも数年前から盛況だ。米国の人気テレビ番組「アメリカン・アイドル」のフォーマットに従った「インディアン・アイドル」もその内のひとつであり、この系統のリアリティー番組の先駆けでもある。歌手を目指す若者たちの登竜門「インディアン・アイドル」からは、アビジート・サーワントのような人気歌手も誕生しているし、最近「Badmaash
Company」(2010年)で俳優デビューしたインド出身中国人メイヤン・チャンも「インディアン・アイドル」出身である。それでも、まだこの「登竜門」は歴史が浅く、しかも似たような番組が乱立してしまったのも逆効果となり、このようなタレント発掘系番組から大物になった、または大物になりそうな人物は、今のところ存在しない。それでも、将来的には映画界を含むエンターテイメント業界にとって、このようなタレント発掘系番組は大きな人材供給源となって行きそうである。
「インディアン・アイドル」では最近、マイノリティーとされて来た人々やマイナー都市出身者の活躍が目立っている。「Badmaash Company」に出演したジャールカンド州生まれの華僑3世メイヤン・チャンもそうだし、シーズン3(2007年)の優勝者プラシャーント・タマンはダージリン出身のネパール系インド人、その対抗馬だったアミト・ポールはメーガーラヤ州シロン出身カシ族である。そしてシーズン4(2008-09年)の優勝者サウラビー・デッバルマはトリプラー州アガルタラー出身トリプリー族の女の子だ。通常、インド娯楽産業のメインストリームにはあまり顔を出さない出自の人々ばかりである。この種の番組での選考では視聴者の投票も決定権を持っていることが常なのだが、普段スポットライトを浴びることのない地域や出自の人がファイナルまで残ると、とてつもない組織票が動く傾向にある。プラシャーント・タマンvsアミト・ポールのときは、ネパール人対メーガーラヤ人の大規模な組織票バトルとなっていた。
「インディアン・アイドル」は全国ネットの番組であるが、タレント発掘番組のフォーマットは地方テレビ局にも大きな影響を与えており、似たようなローカル番組が登場しているようである。本日付けのザ・ヒンドゥー紙の折込紙フライデー・レビューでは、ナガランド州で2006年から開催・放映されている「ナガ・アイドル5.10」についての記事があった。「インディアン・アイドル」のシーズン1の放映が2004年~05年なので、その直後に始まったナガランド版「インディアン・アイドル」だと言える。ナガランド州のローカルケーブルテレビでのみ放映されており、当然のことながらナガランド州でしか知名度はないものの、既にシーズン5に入っており、歌手を目指すナガランドの若者たちが才能を披露する場として当地では絶大な支持を集めていると言う。末尾の「5.10」というのは、決勝戦が10月5日にあるということのようだ(インドでは日付は「日/月」で書かれる)。
ミャンマーと国境を接するナガランド州に住む人々は、一般には「ナガ族」として一括りにされているが、実際には多数の部族から構成されている。ナガランド州には公式には15の部族が住むとされているが、近隣のマニプル州やミャンマーにも「ナガ族」と呼ばれる人々は広がっており、それ以上の数の部族が存在する。ちなみに「ナガ」とはヒンディー語の「ナンガー(裸)」から来ていて、つまりは「裸族」という意味だとナガ側の資料で読んだこともあるが、実際のところはどうなのだろうか。もしそうだとしたら、「エスキモー」以上に不名誉な呼称ではないかと思うのだが。首狩り族としても有名で、現地ではその習慣の名残を拝めるが、現在ではさすがに首狩りは行われていない。ナガランド州の人々には日本人とよく似た顔付きの人も多く、文化にも共通点を感じることが多いが、同じナガと言えど、部族が違うと言語から風俗までかなり違い、連帯意識も案外希薄である。今回の「ナガ・アイドル5.10」は、「カム・トゥゲザー」をテーマに、各地域各部族からの候補者が一堂に会する場を提供することが大きな目的となっているようだ。そのために、州内全11県でオーディションを行っている。また、今までは英語の歌のみだったが、今回は自分の母語でも歌うことが許されるようで、より門戸の広い多様なショーになりそうである。
「ナガ・アイドル5.10」も、本家本元と同様に、審査員と視聴者の投票の両方を基準に優勝者を決める。投票方法も試行錯誤中で、SMSによる投票を試したこともあったが、あまり効果的ではなかったらしい。今回は投票箱という原始的な手法を採用する予定のようである。レストランや新聞スタンドなどに設置した投票箱によって視聴者からの投票を集める。それに加え、集計時には役所の助けも借りて、透明な投票を心掛けるようである。
しかし、ナガランド州ではまだ音楽産業が発達しておらず、ちゃんとした音楽プロデューサーなどがほとんどいないため、仮に優勝したとしても、歌手デビューのためには自分で作詞作曲からアルバムのプロデュースまでこなさなければならない。優勝が必ずしも歌手としての成功を約束するものにはなっていない。ローカルなテレビ番組だけあって、その点はどうしても問題として付きまとうだろう。だが、主催者は優勝者のボリウッド・デビューも視野に入れて出来る限りのサポートをしているようである。
ただ、それよりも大きな問題だと思われるのは、やはり結局は部族同士の組織票対決になってしまうのではないかということである。そしてその際は人口が多くより文明にアクセスしやすい立場にある部族が有利になる。ナガランド州の最大部族は、州都コヒマ周辺を居住地とするアンガミ族である。結局はアンガミ族の候補者が優勝するのではないかと思うが、今までの結果はどうだったのだろうか。
「naga idol」でYouTubeを検索するといくつか動画がヒットするが、単に「ナガ・アイドル」に出演したことがあるアーティストの、別のライブでの映像のようで、番組のものは見つからなかった。デリーに住んでいると、ノースイースト関連の情報はネガティブなものばかりで、文化関連情報はほとんど入って来ない。昔ナガランド州を旅行したことはあるが、クリスマスの休暇シーズンに行ってしまったために町は閑散としていてほとんど活気が感じられなかった。だからそれらのイメージが頭にこびりついてしまっているのだが、今回の記事はかなり稀な種類のもので興味を引かれた。インド全土の理解のために、こういう記事がもっと増えてくれればと思う。
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6月12日(土) インドのイスラーム教とカースト |
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インドでは10年に1回、国勢調査(センサス)が行われている。現在、国勢調査2011の調査が始まっており、国勢調査員が各家庭を訪問している。デリー在住日本人の家にも続々と訪ねて来ている。僕の家にはまだ来ていない。
今回の国勢調査の争点となっているのは、カーストを調査するか否か、いわゆるカースト・センサスの問題である。国勢調査において最後にカーストが調査されたのは1931年であるため、その後各カーストの人口がどのように変化したのか、総合的なデータは存在しない。インドでは後進カーストの地位向上のために留保制度が各場面で施行されているため、正確なカースト人口の把握は留保制度の公正な実施につながる。だが、カーストのない社会を目指す活動家などからは、カースト・センサスはカーストの顕在化につながるとして反対されている。また、上位カーストの人々も、留保制度においてより不利になるとの観測から、カースト・センサスに反対している。ちなみに、既に国勢調査を受けた人に聞いてみたところでは、今のところ質問項目の中にカーストはなかったようだ。もしカースト・センサスを行うということになったら、既に調査した家庭についてはまた再調査するのであろうか?
カーストはインドの負のイメージのひとつである。インドのことをよく知らない日本人でもカーストのことは何となく知っており、「今でもカースト制度はあるのか?」「なぜカースト制度はなくならないのか?」など、カーストについて質問されることも多い。逆に外国人がインド人からよくされる質問のひとつもカーストに関するものである。「君の国にカーストはあるのか?」「不可触民はいるのか?」などとよく聞かれる。カーストについて語るときはまず「カーストとは何か」について定義しなければならない。だが、それが難しい。近年の研究では、カーストは一般によく考えられているように太古の昔からインドにあったものではなく、英領時代に作られたものだとする仮説もある。ここでは簡単に出生による身分制度ぐらいの意味合いで使うことにする。
カーストはヒンドゥー教内部の問題だと考えられることも多い。不可触民出身の学者アーンベードカル博士はヒンドゥー教のカースト差別から不可触民を救うため、仏教への集団改宗を行った。しかし、インドに住む以上、いくら改宗しても、カーストから逃れることは出来ない。アーンベードカル博士に従って仏教に改宗した人々はネオブッディストと呼ばれるが、社会的な地位が上昇する訳ではないし、人々の差別の視線が消え失せる訳でもない。さらに、インドにおける他の宗教内でも、カースト制度によく似たヒエラルキーが確立しており、改宗先で新たな差別を受けることもある。
例えばインドのキリスト教徒の中にもヒエラルキーが存在する。インドのキリスト教は大きく分けて3つのカテゴリーが存在すると言っていい。ひとつは2000年前、キリスト教誕生直後にキリスト教に改宗したとされるシリアン・クリスチャン。シリアン・クリスチャンの多くはケーララ州に住んでいる。もうひとつはヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰回りインド航路発見以降、インドにやって来た宣教師たちによってキリスト教に改宗したラテン・クリスチャン。ゴア州やタミル・ナードゥ州などに多い。もうひとつはビハール州、オリッサ州、ノースイーストなどの部族でキリスト教徒に改宗した人々である。公式な呼称ではないかもしれないが、トライバル・クリスチャンとしておく。彼らは同じキリスト教徒ではあるが、この中でまずヒエラルキーがあり、シリアン・クリスチャンがもっとも身分が高く、次にラテン・クリスチャン、そして下に見られているのがトライバル・クリスチャンとなっている。ただ、そもそもこれらのキリスト教徒の間で相互交流はほとんどなく、婚姻ももってのほかなので、これはそれほど問題にはならないのではないかと思う。
厄介なのはそれぞれのコミュニティー内部でのヒエラルキーである。トライバル・クリスチャンを除くと、インドのキリスト教徒は改宗前のカーストを保持しており、「元」上位カーストからのキリスト教徒は絶対に「元」下位カーストのキリスト教徒と結婚しない。例えばゴア州では教会はブラーフマンまたはカラド(クシャトリヤ)出身のキリスト教徒によって支配されているし、ケーララ州やタミル・ナードゥ州では不可触民出身のキリスト教徒は教会の行事に参加することも許されないことがある。一昔前までは墓地にも上位カーストと下位カーストの区別があったと言う。仕方なく不可触民専用の教会が設立されることもある。ただ、先進的な思想を持つ司祭によって改善は進められており、ムンバイーなどの大都会では既にこのような垣根はほとんど見られなくなったとの話もある。
イスラーム教は、よく知られている通り、信徒内での平等を謳っている。例えばコーラン第49章部屋章(アル・フジュラート)第13節では「人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは、全知にして凡ゆることに通暁なされる」と書かれているし、同章第10節では「信者たちは兄弟である。だからあなたがたは兄弟の間の融和を図り、アッラーを畏れなさい。必ずあなたがたは慈悲にあずかるのである」と書かれている(参照:イスラムのホームページ:聖クルアーン日亜対訳)。
かつてアーンベードカル博士は、イスラーム教徒への改宗も考えていたと言う。ハイダラーバード藩王国のニザーム(藩王)の打診もあったとされる。だが、イスラーム教について研究した結果、「イスラーム教にカーストはないが、インドのイスラーム教にはカーストがある」との結論に達し、イスラーム教への改宗を断念した。
インドのイスラーム教にカースト、またはカーストに似た身分制度があることは公然の秘密である。イスラーム教内の上位カーストはアシュラーフと呼ばれており、一般にはサイイド(サイヤド)、シェーク(シェーフ)、ムガル、パターンの4氏族がアシュラーフの主要構成員とされている。サイイドは預言者ムハンマドの子孫と考えられている人々で、イスラーム教コミュニティーの中でも特別高い地位を与えられている。シェークは一般にアラブ起源の人々、ムガルは中央アジア起源の人々、パターンはアフガーニスターン起源の人々だと考えればいいだろう。つまり、アシュラーフは外からインド亜大陸に移住して来たイスラーム教徒たちである。一方、下位カーストとされているのは、イスラーム教に改宗した土着のインド人で、アジュラーフと呼ばれている。アジュラーフは様々な職業に分類されており、カサーイー(屠殺業者)、ナーイー(床屋)、ジュラーハー(機織り職人)などが代表的である。その下にさらにアルザールと呼ばれる人々がいるが、これらはいわゆる不可触民で、清掃業などのもっとも卑しいとされる仕事に従事している。また、元々上位カーストのヒンドゥー教徒だった人がイスラーム教に改宗した場合、アシュラーフとしてみなされるようである。つまり、インド人はイスラーム教に改宗してもカーストからは逃れられない構造になっている。身分が違えば婚姻も一般には認められないし、アジュラーフやアルザールにはヒンドゥー教と同様に様々な社会的制約が課せられている。例えば一昔前まではアジュラーフ以下の人々はプラーオやビリヤーニーなどの高級料理を食べることが許されなかったり、レンガ造りのパッカー・マカーン(頑丈な家)に住むことを許されなかったりしていたようだ。アシュラーフの人々は、アシュラーフ以外のイスラーム教徒をイスラーム教徒と認めないことさえもある。また、インドにおいて一線で活躍しているイスラーム教徒をよく調べてみると、大体アシュラーフであることが分かる。政治家然り、映画俳優然り、クリケット選手然り。ただ、アジュラーフやアルザールに適用される留保制度の恩恵に預かるため、アシュラーフが身分をアジュラーフやアルザールだと偽って申告する例もあるらしい。イスラーム教徒内のこのカースト制度は、ウッタル・プラデーシュ州やビハール州の政治とも密接に関連している。OBC(その他の後進階級)や不可触民を票田とする政党の数々は、下層のイスラーム教徒を取り込もうと努力している。
以上の情報の多くは、2010年5月16日付けのタイムズ・オブ・インディア紙特集記事からの受け売りなのだが、インドのイスラーム教のカーストに興味が沸いたので、記事の中で紹介されていたマスード・アーラム・ファラーヒー著「Hindustan
Mein Zaat Paat aur Musalman(インドのカーストとイスラーム教徒;ウルドゥー語)」をオールドデリーで買って読んでみた。著者の経歴を見たら、2003年~05年にジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)で学んでいたこともあり、住所もJNU内の寮になっていたので、非常に親近感が沸いた。この本を書くに至った動機として、いくつかイスラーム教にカーストの上下関係があることを示すエピソードが書かれており、それは興味深かったし、イスラーム教内のカースト制度発祥の起源を奴隷王朝時代まで遡って検討しているのも非常に面白かった。しかし、歴史観がかなり偏っていて、スムーズに読み進めることが出来なかった。イスラーム教にカースト制度が生まれたのは、イスラーム教の普及を妨げようとするブラーフマンやマヌ法典主義者たちの陰謀であると、大した証拠もなく決め付けており、その論調で終始議論を進めている。驚いたのは、通常のインド史において「天才だが狂人」と評されることの多いトゥグラク朝の皇帝ムハンマド・ビン・トゥグラクを敬虔なイスラーム教徒として称賛する一方で、一般に治世に力を入れた賢人とされる同王朝皇帝フィーローズ・シャー・トゥグラクを信心深くないとしてけちょんけちょんにけなしていたことである。リベラルな宗教観を持ち、インド亜大陸で信仰される宗教を統合するディーネ・イラーヒーという新宗教を立ち上げたムガル朝皇帝アクバルについては、ブラーフマンとマヌ法典主義者の陰謀でそうなってしまったとしており、厳格なイスラーム教徒だったとされるムガル朝皇帝アウラングゼーブについてはやはり絶賛していた。スーフィズム(イスラーム教神秘主義)に対しても批判的な論調であった。書いてあることを見ると、イスラーム教にカースト制度があることを実証しつつ、それは悪質なブラーフマンたちによる陰謀だから撲滅して行こうと同胞に訴える目的で書かれたようなプロパガンダ本に感じた。イスラーム教のカースト制度について調べようと思ったらちょっと普通には参考に出来ない本であるが、イスラーム教徒側からの歴史観というものに逆に興味が出た。
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