スワスティカ これでインディア スワスティカ
装飾上

炎雨編

装飾下

【9月1日〜9月15日】

9月1日(日) Agni Varsha

 プラガティ・マイダーンで開催されているブック・フェアは、今日が最終日だった。ちょうど1週間前に行って一通り見て廻ったのだが、もう1度行ってみたくなって出掛けた。何かまた掘り出し物でも見つかるかもしれない。

 最終日かつ日曜日だったため、プラガティ・マイダーンは非常にごった返していた。もうインド人がうざったくなるくらい混雑していた。たとえ満員バスの中でもみくちゃにされようと、切符売り場で横入りされようと、僕は今まで他の人ほどインド人に対してうざったく思ったことはなかったのだが、今日はなぜか無性に腹が立ってきた。僕は痩せていて重心が高いので、太ったおばさんにタックルされたりすると、踏ん張れずによろめいてしまう。僕の膝ぐらいの背の子供が人影からいきなり飛び出てくるので、危うく蹴っ飛ばしそうになる。いや、これは別にインド人に限ったことではないのだが・・・。ただ人混みに対して嫌気がさしていたのかもしれない。

 今回は少しだけ買い物をした。まずは「世界の偉人101人」というシリーズ3冊。第1巻の1人目はインド3代目首相インディラー・ガーンディーというのはいいとして、2人目になぜかアドルフ・ヒトラーが来ていて面白かったので買った。インドの出版物なので、世界の偉人とはいいながらもインド人が中心だった。デリーの地名には人名が付けられていることが多いので、インドの偉人について知ることによって、デリーへの愛着も少し増すような気がしたことも、買った理由だ。一応3冊全部一通りパラパラとめくってみたが、日本人の名前はひとつも載っていなかった。残念・・・。ちなみに英語版とヒンディー語版、両方売られていたが、あえてヒンディー語版を選んだ。

 「Illuminations from the Bhagavad-Gita」という小冊子はもしかして掘り出し物だったかもしれない。ヒンドゥー教の聖典「バガヴァド・ギータ」から着想を得たきれいなイラスト集で、定価は500ルピーもしたが、ブック・フェア・スペシャル・プライスにより40%オフにしてくれて、300ルピーで買うことができた。作者はどうもイギリス人か欧米人で、インド好きの人のようだ。

 先週来たときにはやっていなかった展示会も行われていた。電化製品のエクスポで、こちらも大混雑。日系企業からはパナソニック、東芝、日立、カシオなどがブースを出しており、他にHP、サムスン、フィリップス、ターター、アカイ、オニダ・・・などなど、外国企業からインド企業まで各社が勢ぞろいしていた。展示物はテレビ、冷蔵庫、パソコン、洗濯機、コンポなどが中心。みんな真剣な眼差しで新製品の吟味をしていた。



 夕方から「Agni Varsha」を見た。題名は「火の雨」という意味だと思っていたが、どうやら「火と雨」みたいだ。ちょうど最近のデリーの天候――太陽は炎のように照り付けるが、雨が降ると涼しい――に似ていたので、このページのタイトルもそれにあやかって「炎雨編」にした。「マハーバーラタ」のエピソードをベースに映画化した意欲作で、予告編で見た限りでは、かなり期待を持っていい作品に思えた。PVRアヌパム4で見たが、満席状態だった。主演はジャッキー・シュロフ、ラヴィーナー・タンダン、ナーガールジュナ、ミリンド・ソーマン、ソーナーリー・クルカルニー(新人?)、プラブデーヴァなど。ゲスト出演でアミターブ・バッチャンが出ていた。




ジャッキー・シュロフ


ミリンド・ソーマン(左)と
ソーナーリー・クルカルニー(右)


Agni Varsha
 10年間雨が一滴も降らないという大旱魃に襲われていた。パラヴァス(ジャッキー・シュロフ)は王国の大司祭となって雨の神インドラを喜ばせるためにマハーヨッギャと呼ばれる儀式を行っていた。儀式は7年間に渡り、彼は妻のヴィシャーカー(ラヴィーナー・タンダン)、弟のアルヴァス(ミリンド・ソーマン)、父親のライッヴャを見捨てて一心不乱に儀式を続けた。

 一方、パラヴァスの従兄弟ヤヴァクリ(ナーガールジュナ)は、愛するヴィシャーカーをパラヴァスに奪われたことに傷つき、10年間森の中で苦行を行っていた。インドラ神から恩恵を受けた彼は森から戻ってきて、夫に見捨てられたヴィシャーカーに言い寄る。しかしその密通が父親にばれ、怒ったライッヴャはブラフマラークシャス(プラブデーヴァ)という悪魔を呼び出し、ヤヴァクリを殺害させた。

 また、パラヴァスの弟アルヴァスはブラーフマンでありながらダンサーになることを夢見ている純粋な青年だった。彼にはニッティライ(ソーナーリー・クルカルニー)という恋人がいたが、彼女は部族民であり、ブラーフマンであるアルヴァスとは結ばれない運命にあった。ニッティライは別の男と結婚させられてしまう。

 そんなある日の真夜中、パラヴァスがひょっこり家に帰ってくる。パラヴァスは傲慢な父親を殺害し、また儀式を行うために王宮へ戻っていった。ヴィシャーカーはどこかへ姿をくらましてしまい、恋人も父も義理の姉も失ったアルヴァスはどうしたらいいか分からなくなる。ニッティライの勧めに従って彼は兄が儀式を行っている王宮を訪ねるが、パラヴァスに悪魔呼ばわりして追い出され、門番たちによってリンチに遭う。

 アルヴァスはニッティライと旅芸人に命を救われる。ニッティライはアルヴァスが瀕死の状態にあることを聞いて、夫のもとを飛び出してやって来たのだった。アルヴァスは一命を取りとめ、旅芸人たちと一緒に、王と兄の前で踊りを踊ることを決意する。儀式ではなく、踊りでインドラ神を満足させ、王国に雨を降らせることを約束し・・・。

 王国中からアルヴァスの踊りを見物しに人々が集まった。その中にはヴィシャーカー、ニッティライ、そしてニッティライの夫もいた。国王の隣には兄のパラヴァスもいた。アルヴァスたちはインドラ神とその2人の息子に関する演目を踊りだす。だが途中でアルヴァスは火を持って祭壇へ上がり、火を放つ。見物人たちは逃げ出すが、その中でニッティライは夫に見つかってしまい、殺されてしまう。ニッティライの死を悲しむアルヴァスの元にインドラ神(アミターブ・バッチャン)が現れる。インドラ神はアルヴァスの純粋な気持ちに心を打たれ、遂に雨を降らせたのだった。

 日本の時代劇にあたるため、言い回しがサンスクリト語起源の言葉を多用しており、非常に聴き取りが難しかった。だから筋の細かいところは理解できなかった。ストーリーもちょっと固くて、人間の感情に重きが置かれていなかった印象を受けた。また、インド人にしか分からないようなルールに則って人々が動いているのも、理解を困難にさせた。まるで漢文を読んでいるような感じだ。だから上の筋はあまり自信がない。

 一瞬で見分けがついたのだが、この映画のロケはカルナータカ州にある遺跡の街ハンピーで行われていた。遺跡をそのまま住居に使っていたりして、さすがにもっとちゃんとした家住んでたんじゃないか・・・と突っ込みたくもなったが、マハーバーラタ時代の古文献的な雰囲気がよく出ていたかもしれない。

 ブラーフマンが執り行う儀式、ブラーフマンの圧倒的な力、人間業ではない苦行など、インド神話によく出てくるモチーフを映像で見ることができたので、インド神話ファンの僕はもう始終ゾクゾクしっ放しだった。特に悪魔ブラフマラークシャス(プラブデーヴァ)が登場して踊りを踊るシーンは素晴らしかったと思う。登場するシーンに使われていたCGは稚拙だったが、それには目をつむる。

 実は「Agni Varsha」の音楽CDを1週間前ぐらいに購入しており、けっこうお気に入りだったので、ここのところ好んで聴いていた。だからミュージカル・シーンは特別思い入れが入った。特に一番最初の、アルヴァス(ミリンド・ソーマン)とニッティライ(ソーナーリー・クルカルニー)が踊る「Dole Re」がよかった。プラブデーヴァは有名なダンス・マスターだが、ソーナーリーの踊りもあなどれないくらいうまかったと思う。

 インド映画にしては上映時間は短くて、2時間ほどだ。アメリカやカナダでも同時公開されるようなので、海外市場を狙った作品であることが分かる。確かに日本で一般公開しても十分通用するほど素晴らしい作品だと思って感心しながら見ていた。いかにもインドっぽい雰囲気なので、外国人好みだろう。女性の露出度も高いし。日本人向けに分かりやすい字幕を入れていけば、ヒンディー語オンリーで見たときに感じる難解な雰囲気にもならないだろう。これは期待通りの作品だ、と嬉しくなって見ていたのだが・・・最後の最後でやっちまった、やっちまったよ、アミターブ・バッチャン・・・。最後になんでお前がイエス・キリストみたいな格好して出てくるんだよ・・・。「私はインドラだ」とか微笑むなって・・・。確かにアミターブ・バッチャンはインド映画界では神様みたいな存在だし、コールカーターには彼を祀った寺院まで存在するらしい。でも、こんな登場の仕方はないだろ・・・頼む、最後だけはもう一度撮り直してくれ・・・。あういうのが一番日本人を引かせるんだ・・・。というわけで、日本公開は無理。最後の最後に出てくるアミターブ1人のせいで・・・。

9月2日(月) コンピュータル・ワーラー

 前々からコツコツと作っていたのだが、今日やっと日本人会ホームページが完成した。既にアップしたので、旧日本人会ホームページは跡形もなくなった。一応リンクのページからリンクも貼っておいた。

 情報源の多くは日本人会に入るともらえる「ニューデリー 生活の手引き・医療案内」という冊子に依っている。婦人部が中心となって編集したもので、驚くほど細かくデリーの情報が載っている。「オート・リクシャーには乗るべきではない」とか「エアコンが3機同時に使える電気容量が必要」とか、僕たち学生の生活を根本から否定しているような記事があったり、記載されている使用人への給料の目安が、一般より2、3倍高かったりして時々悲しくなったが、それでもよくぞ調べたと感心するほどだ。おそらく日本人会のホームページは、これからインドに赴任する日本人駐在員が読むと一番役に立つと思う。

 なんか勝手に無機質なデザインにしてしまったので、賛否両論が来そうで怖い。今のところ待ち構えている状態である。以前のホームページは個人的に気に入っていなかったのだが、いざ消去してしまうと、やっぱり以前の方が手作りのぬくもりみたいなものが感じられてよかったかな・・・とも思い始めた。一応僕のPCにバックアップはしてあるので、いざ元に戻せといわれたら、戻すのは簡単なのだが。

 また、インド総合ポータル・サイト「Indo.to」に記事も連載し始めた。題名は「デリ焼きボリウッ丼」。ヒンディー語映画のレビュー記事だ。今頃になってこの題名が恥ずかしく思えて来ている。もっとマシな名前を付ければよかった、と。そういえばこのホームページの題名「これでインディア」も実はかなり恥ずかしい。いつか変えようと思いつつも、なんか妙な愛着が沸いてしまって変えられずにいる。第1回は「Devdas」のレビューを書いたが、今日早速第2回「Agni Varsha」の記事を送っておいた。

 という訳で、インドにいながら、最近パソコンに向かっている時間が長い。このままではコンピュータル・ワーラーになってしまう。だんだん気候もよくなってきているので、そろそろスケッチしに外に出掛けたり、小旅行したりしてみようと思っている。

9月3日(火) 本格的に授業開始

 今日からサンスターンの授業が本格的に始まった。今まで本格的じゃなかったのか、と問われると、そうだ、と答えるしかない。ずっと午前中で授業が終わっていたし、カリキュラムも決定してないし、どの先生がどの科目を教えるかも固まっていなかった。今年からいろいろ変わってしまったので、先生たちも状況を把握できておらず、右往左往していた状態だった。全てアーグラー本校と連動して授業が行われることになったため、デリー校の教師陣はひたすら本校からの指示を待つしかなかったのだ。

 授業は1日5時限。50分授業で、1限目10:30〜11:20、2限目11:20〜12:10、3限目12:10〜1:00、ランチ・タイム1:00〜1:30、4限目1:30〜2:20、5限目2:20〜3:10となっている。1週間で休みは土日だけだ。去年よりも大分授業数が増えた。

 最初は生徒も流動的で、自分のレベルに合ったクラスに移動したりしてたが、最近はもう固定したみたいだった。僕の300クラスはフランス人、香港人、ロシア人、韓国人、日本人がいる。

 フランス人の女の子は、いわゆる東洋趣味の白人で、インドに滞在してずっとヨーガを習っていたらしい。さらに本格的にヨーガを極めたいらしく、そのためにヒンディー語の知識も深めたいそうだ。香港人の青年は、ケニア、タンザニア、ペルー、日本、オーストラリア、フィジーなどを渡り歩いて建設関係の仕事をして来たという、まだ謎な経歴を持っている人だ。去年アラーハーバードのプライベート・スクールでヒンディー語を勉強したそうだ。僕もフィジーには思い入れがあるので、フィジー話で盛り上がったりした。ロシア人のおばさんはやたらとヒンディー語がうまい。どうしてそんなにうまいのかはまだ聞いていない。話しているときのジェスチャーまでインド人化してしまっている。でも読み書きが苦手だそうだ。あとの韓国人、日本人は去年からいた人たちだ。

 午後の授業が始まって一番心配されたのは、昼食のことだった。今まで向かいのナショナル・オープン・スクールの食堂からターリーを取り寄せていたのだが、時間通りに来ないわ、注文した通りに来ないわ、こっちが配達人に怒ると逆ギレするわで使い物にならなかった。外で食べるにしても、安くて手頃な食堂はカイラーシュ・コロニーにはないし、30分以内に行って注文して食べて帰ってくることができるようなところはなかった。しかし教頭のチャンドラプラバー先生が食堂長と直接話をつけたらしい。今日は朝、紙にターリーが欲しい人は名前を書き、1時前にちゃんとランチが届いた。値段も12ルピーのままだ。しかし集金方法がまだ曖昧で、生徒が好き勝手に払っていたので、後でちゃんと足りたかどうか心配だ。ていうか、集金してた小間使いのインド人が、もしかして計算できなかったかもしれない。僕が50ルピー札で払おうとしたら、「ぴったり払え」と言われて受け付けてもらえなかった。ますます心配になってきた。

9月4日(水) 清さん講演会

 最近1日1回は必ず雨が降る。今日も学校の帰り、バスに乗っているときに雨が降り出し、サウス・エクステンションで降りたら大雨になっていた。急いで店の軒先へ駆け込む。何も考えず駆け込んだ先は、Ebonyというデパートだった。

 僕は今までその店をただの大型衣料品店だと思っており、外から眺めたことは何度もあれど、中に足を踏み込んだことは皆無だった。駆け込んだついでに中を覗いてみると、日本のデパートの小型版のような感じだったので驚いた。雨宿りついでに全ての階を見て回った。1階は化粧品や時計などが売られており、2階は紳士服、3階は本屋、文房具屋、CD屋、4階は婦人服、地下1階はインテリア&玩具売り場だった。

 紳士服売り場ではちょうどジーンズが20%引きで、Leeのジーンズも売っていた。ちょうど新しいジーンズが欲しいと思っていたところだったので参考になった。その他、上流階級のインド人の若者がいかにも着てそうな服が売られていた。3階の本屋はけっこう使えそうだ。ほぼ英語の本オンリーだが、並べ方が合理的なので見て周りやすい。「Devdas」の英訳本も2種類売られていた。

 すぐ近くにBig Jo’sというデパートもあるようなので、そちらも近いうちに行って見てみようと思った。



 夕方からジャパン・ファウンデーションで、清好延氏講演会「日印関係の現状と展望」なる催し物があった。今年は日印国交樹立50周年記念ということで、日本とインドの文化交流イベントが盛んである。日本が一方的に祝っていて、インド側は別に気に掛けていないような印象もあるのだが、個人的にはいろいろイベントがあって楽しいからよい。

 清さんはインドに足掛け19年もいる人で、インド関係の日本人にはけっこう有名な人だ。会場には日系企業の駐在員が多く詰め掛けていたせいか、話はビジネスに関することが多かった。

 まずはインドと日本の人的交流は、奈良時代、東大寺の大仏の開眼式にインド人の僧が呼ばれて開眼を行ったのが始まりである、という話から始まった。その僧は日本にそのまま留まり、日本人に梵語や仏教を教えたそうだ。もちろん仏教自体、中国・朝鮮を通って伝えられたとは言え、インドの影響以外の何者でもない。それ以後、日本の文化にインドは多大な影響を与えてきた。もっと言えば、日本は文化の掃き溜めのような場所で、もともとオリジナルなものを持っていなかったので、日本人には外来の伝来物を崇拝し、大事に保存する習性があった。だから日本各地には断片的に外国の古い文化がポツンと残っていることが多いらしい。仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、ユダヤ教などなど・・・。

 日本文化の発展においてインドから多大な恩を得てきたので、日本もインドにそのお返しをしなければならないという論点からだんだんビジネスの話になっていった。しかし、決してインドでもっとうまく金を儲けてやろう、という話ではなかった。インドといい関係を保っていかないと将来危ないよ、という警鐘だった。もうすぐインドは世界最大の人口を擁する大国となる。しかも食料の自給自足を達成している国で、余剰さえあり、インドの人口の大半を占める農民たちも潤ってきている。マーケットとして魅力があるだけでなく、その内必要不可欠な市場となってくるだろう。経済成長率も高く、それでいて中国ほど急成長をしているわけでもないので、安定性がある。ソフトウェア開発の分野ではもはやインド人IT技術者の力を借りなくては優秀なソフトウェアができない時代になっており、アメリカもインドを非常に重要視している。はっきり言って、インドはもはや誰にも頭を下げる必要のない国になっているのだ。一方で日本は依然として国際社会の中でうまく舵取りしていかないと生きていけない弱小国のままだ。資源を輸入し、加工して輸出しなければ外貨が獲得できない。しかも食料自給率まで世界最低水準まで下がってしまったので、もし将来、「メイド・イン・ジャパン」のブランドが価値を失ったら、日本人は今日の食べ物にも困ることになる。おそらくそのときには他国でも人口爆発によって深刻な食糧難となっているだろう。そうなったら、いったいどこの国が日本に食料を売ってくれるだろうか?それがインドだろう、清さんは言っていた。

 インドに住む人の、インドに住む人々のための、インド贔屓の講演会、という感じで、インドを愛する僕にとっては聞き心地がよかった。それに彼の考えていることは僕の考えていることとそんなに違わなかったので、容易に理解できた。もしインドがもっと国際社会で認められるようになったら、周囲の「なぜ?」という声を振り切ってインド留学をした僕の魂も浮かばれることだろう。

 講演会の後、簡単な食事会があったのだが、僕は大家さんと話さなければならないことがあったのですぐに帰った。もしそのまま残っていたら、清さんと少しお話ができたと思うのだが、まあ仕方がない。

9月5日(木) 先生の日/サルサ・パーティー

 インドの第2代大統領サルヴァパッリ・ラーダークリシュナンはもともと教師だった。彼は自分の誕生日である9月5日を、教師たちが祝われる日であるティーチャーズ・デーに設定した。今日はインド各地の学校で、生徒たちが先生のために催し物をしたり、プレゼントをあげたりするそうだ。また大統領官邸では全国の優秀な教師が表彰されるそうだ。サンスターンでも当然のことながらそのイベントが開催され、せっかく一昨日本格的に授業が開始されたと思ったら、今日は会の準備のためにほとんど授業が行われなかった。

 僕はけっこう先生たちから信頼を勝ち得ているみたいで(?)、なぜか僕が司会進行役を務めることになった。しかも出し物として詩を読めと言われたので、昨日一生懸命考えてきた。会は1時頃から開始され、続々と先生がサンスターン3階にあるホールに入ってきた。サンスターンのデリー校を創立したジャガンナート先生という人や、教科書を作ったバフグナー先生、その他サンスターンの教師、または前教師がたくさん出席していた他、デリー大学やJNUの教師も来ていた。

 もともと司会進行の原稿は先生に書いてもらっていたので、それをただ読んでいけばよかった。まるで「Agni Varsha」のようなシュッド・ヒンディー(正しいヒンディー語、つまりサンスクリト語語彙をふんだんに使ったヒンディー語)で話した。気分は「Kaun Banega Crorepati(インド版ミリオネア)」のアミターブ・バッチャンの気分だ。

 相変わらずウクライナの女学生3人や韓国人は元気がいい。ウクライナの女の子は「ガーヤトリー・マントラ」を歌ったり、ウクライナの歌を歌ったりしていた。韓国人は集団で韓国語の歌を歌った。他に新入生のスリランカの女の子たちも張り切っており、彼女たちも歌を歌ったり詩を読んだりした。




サンスターンの教師揃い踏み


スリランカの学生たち


 僕は最初、「先生はまるで海のようだ」とかいう主旨の詩を作っていたのだが、韓国人の歌の内容が「先生はまるで空のようだ」という意味で酷似していたのでやめた。そこで必死で考えたところ、以下のような恥ずかしい詩になった。日本語にするとさらに恥ずかしい・・・。もちろんオリジナルはヒンディー語だ。

サンスターンの先生
サンスターンの先生はこんな感じだ。
まるで母のように、我々に命を与える。
まるで父のように、我々に説教を与える。
まるで兄弟姉妹のように、我々を助ける。
まるで友のように、我々に笑いを与える。
まるで子供のように、我々に仕事を与える。
まるで辞書のように、我々に単語を与える。
まるでTVのように、我々に話を与える。
まるで子守唄のように、我々に眠気を与える。


 僕は一番最後にこの詩を朗読したのだが、ギャグの詩だったこともあり、一番受けてた。なぜかスリランカ人から「いい詩だから写させてくれ」とまで頼まれた。一瞬で考え付いた割には我ながらいい詩が出て来たもんだ。その後サモーサーやミターイーを食べて会は終わった。



 今日の夜にサルサ・パーティーがあった。主催者が僕の友達であることから、昔もサルサ・パーティーに誘われて行きそうになったことがあっただが、サルサが何なのかも分かっていなかったため、腰が引けて行かずじまいだった。しかし今日は遂にいったいどんなパーティーなのか確かめるために行くことに決めた。依然としてサルサとはどんな踊りなのか分かっていなかったが。

 しかし着ていく服がない。僕の手元にはクルター・パージャーマーと穴あきジーンズしかない。「服装には厳しい」という話を聞いたので、急いで用意しなければならなかった。上着はなんとかなるので、ジーンズだけでも買おうと思い、昨日も行ったサウス・エクステンションのEbonyでLeeのジーンズを購入した。定価は1500ルピーだったが、2割引で1200ルピーで買えた。Leeにしてはなんかシルエットがださいような気もしたが、この際仕方ない。また、インドで売られているジーンズはインド人の体型向けに設計されているため、日本人の僕に合わない可能性も懸念されたが、ピッタリとはまった。足の長さもピッタリだった。一般的にインド人の方が日本人より足が長くて腰が小さいので、彼ら向けに作られたジーンズがピッタリはまると心なしか嬉しい。

 靴もピンチだ。1年以上前からずっと履き続けているオンボロの靴しかなかった。しかしインドは何でも末永く使いまわす国だ。サウス・エクステンションの外れにいた靴磨きの親父に靴を磨いてもらったら、まさに職人技としかいいようのない徹底したテクニックで僕のオンボロ靴をまるで新品のようなピカピカの靴に変身させてくれた。いや、新品の靴よりもさらにピカピカ、というぐらいだった。最近雨がよく降るので、道が慢性的にぬかるんでいてすぐに汚なくなってしまいそうだ。そのピカピカの靴を見た瞬間、家まで逆立ちして帰りたくなった。ちなみに僕は靴磨きに10ルピー払った。




靴磨きのおじさん


 サルサ・パーティーは9時からクトゥブ・ミーナール近くのRG’sという高級レストラン&バーで行われた。クトゥブ・ミーナールの近くにこんなところがあったのか、と驚いた。

 僕は今までヒンディー語映画に誤解をしていた。ヒンディー語映画にはよくディスコのような場所でヒーロー・ヒロインが踊り狂うシーンが登場するが、あれは全くの虚構で、インドには実在しないと思っていた。過去に一度、僕はバサント・ロークで行われたトランス・パーティーに参加したことがあった。しかしそこで踊っていたのはほとんど男だった。だからヒンディー語映画のようにインド人の男女が入り混じって踊るような場所は地球上に存在しないと思っていた。しかしそれが僕の眼前に繰り広げられていた。

 まず、外国人がやたら多かった。一説によるとこのサルサ・パーティーがデリーでもっともいろんな国籍の外国人の集まるパーティーらしい。確認しただけでもフランス、ドイツ、チェコ、ルーマニア、スペイン、オランダなどの人が来ていた。白人だけでなく、黒人も来ていた。

 問題なのはインド人だ。はっきり言って、本当にヒンディー語映画に登場するような際どい格好をした美女たちが大挙して押しかけていた。ていうか、インド人とは俄かに信じられなかった。ミニ・スカートのインド人もいたし、平気でビールを飲んだりタバコを吸ってるインド人の女の子もいた。男女の比率もほぼ5:5で、かつてのトランス・パーティーの二の舞ではなかった。




サルサ・パーティーの様子


これがインド人とは信じられん・・・


 一応初心者用にサルサ・ダンスのレクチャーもあって、僕も基本的なパターンは教えてもらったのだが、達人たちの踊る超絶ダンスの前では何も成す術がない。ダンスができるとかっこよぎぎる・・・。でもだんだんディスコみたいになってきて、サルサ・ダンスが踊れなくても踊れる雰囲気になった。

 このサルサ・パーティーは入場無料なのだが、食べ物や飲み物は一切用意されていなかった。自分で注文すると、ビール1杯150ルピー・・・。食べ物は当然もっと高い。フォスター・ビールを1杯飲んだだけでやめた。

 明日も学校があるので12時頃に帰った。クトゥブ・ミーナール周辺は真夜中になると何もないところだった。暗い道を歩いていたら、腕に注射を打ってる兄ちゃんに出会ってしまい、呼びかけられたので怖くなって猛ダッシュして逃げた。ちょうどリクシャーがいたので、それに乗って自宅までやっとのことで戻ったのだった・・・。

9月6日(金) Dil Hai Tumhaara

 今日は朝から夜までずっと雨が降っていた。デリーでこういう天候は珍しい。日本にいた頃を思い出してみると、毎朝天気予報を聞き、自分の勘を信じて、今日は傘を持って行くべきかどうか、一大決断をして外出していた。しかしデリーではどうだ、雨が降ったら「雨が止むまで外に出ない」と決め込んで家でネットしているか、小雨だったら傘を持たずに出掛けることが多い。なぜならデリーの雨はサッと降ってサッと止む、まるで桜のような雨だからだ。しかし今日は1日中降り続いていたので、自然と気持ちも憂鬱となった。

 それを吹き飛ばすため、夕方から映画を見にPVRアヌパム4へ繰り出した。なぜかネットがつながらなかったので、どんな映画が何時からやってるのか分からないまま行ったのだが、ほぼ当地に到着した時刻から上映される、今日封切られたばかりの新作映画「Dil Hai Tumhaara」のチケットを手に入れることができた。

 「Dil Hai Tumhara」、意味は「心は君のもの」。まあインドによくある陳腐で特徴のないタイトルだ。主演はアルジュン・ラームパール、プリーティ・ズィンター、マヒマー・チャウドリー、ジミー・シェールギルそしてレーカー。アルジュン・ラームパールは僕の現在のヒーローだし、プリーティ・ズィンターも大好きな女優なので見る気になった。とにかく暇潰しぐらいになってくれれば、とあまり期待せずに映画館の入り口をくぐったのだが・・・。




左からアルジュン・ラームパール、
マヒマー・チャウドリー、
プリーティ・ズィンター
ジミー・シェールギル


Dil Hai Tumhaara
 ヒマーチャル・プラデーシュ州パーラムプルの市長サリター(レーカー)の元には、2人の娘がいた。1人はニンミー(マヒマー・チャウドリー)。彼女の実の娘である。もう1人はシャールー(プレーティ・ズィンター)。実は彼女は夫の不倫相手の娘だった。夫とその愛人は交通事故で死んでしまい、息絶える前にサリターにシャールーを託したのだった。サリターは自分の人生を破壊した夫の愛人への憎しみをシャールーに転嫁しつつも育てていた。

 それから20年後、母親の愛を存分に受けて育ったニンミーは優等生タイプの女の子に育っており、一方で母親に憎まれて育ってきたシャールーは天真爛漫な不良少女になっていた。しかしニンミーとシャールーはとても仲の良い姉妹だった。仕事もせずブラブラしていたシャールーだったが、あるとき思い立って地元の農業を支える巨大食料品会社カンナー・インダストリーに就職する。

 同じ頃、カンナー・インダストリーの社長の息子であるデーヴは、パーラムプル工場の調査をするために、身分を偽って一社員として入社する。シャールーはデーヴに目をつけ、自分の運転手としてこき使う。そして彼が社長の息子であることが発覚するまでに、シャールーとデーヴはいつの間にか相思相愛の仲になっていた。その一方で、ニンミーもデーヴに思いを寄せていた。シャームーもニンミーも、同時にデーヴを愛していることに気が付かなかった。母親はニンミーの気持ちに気付き、デーヴとニンミーの結婚を考え始めていた。

 あるときデーヴはシャールーにプレゼントを贈った。「君のことを愛している」と書かれた大きな像だった。しかしそれを最初に見たのはニンミーだった。ニンミーはデーヴからプロポーズされたと思い込み有頂天になる。シャールーはデーヴが自分のためにそのプレゼントを贈ったことは分かっていたが、喜ぶニンミーを見て彼女もデーヴを愛していたことを知り、デーヴを譲ることを決意する。

 それからシャールーはデーヴを避け始めるが、デーヴは何でそうなったか理解できない。その内サリターにもデーヴとシャールーが実は恋仲であったことが分かってしまう。シャールーへの憎しみをさらに増大させたサリターは、絶対にニンミーをデーヴと結婚させることを決める。そして怒りのあまり2人の娘の前で、シャールーは夫の愛人の子供であることも暴露してしまう。ニンミーはシャールーに、例え母親は違っても自分たちは姉妹であることは変わりないと言い、そしてデーヴとシャールーが本当に愛し合っているなら、その2人が結婚するべきだと勧めるが、シャールーもニンミーを気遣い、実は自分には別の恋人もいたということを打ち明ける。それがサミール(ジミー・シェールギル)だった。

 サミールはシャールーの幼馴染みで、腹話術師をやっており、日本でも公演するほど有名になっていた。実はサミールはシャールーのことを愛していたが、シャールーは彼のことを愛していなかった。しかしシャールーはニンミーのために、サミールと結婚することを決めたのだった。そしてデーヴには全てを打ち明け、ニンミーと結婚するように頼む。デーヴもショックを受けるが、もしニンミーと結婚しなかったらシャールーの一家は滅茶苦茶になることを察知し、しぶしぶ彼女と結婚することを承諾したのだった。また、シャールーを愛していたサミールも苦しい状況に陥る。シャールーはサミールに全てを打ち明けて頼んだ。「ニンミーのために、偽の結婚をして欲しいの」シャールーは実は自分を愛していないことを知り愕然とするが、しかしサミールはその申し出を受け入れる。

 デーヴとニンミーの婚約式が着々と準備されていた。そんなとき、サリターの政敵が彼女のもとを尋ねてくる。シャールーは実は夫の愛人の娘である、という証拠を手に。もしそのことが世間に知れれば、デーヴの父は息子とニンミーの結婚をキャンセルするばかりか、サリターの市長の座も危うくなる。政敵はその証拠を使ってサリターを脅す。しかしそのやり取りを密かに聞いていたシャールーは、デーヴとニンミーの結婚を絶対に成就させるため、自分でデーヴの父の元へ行き、自分はサリターの実の娘でないことを打ち明ける。そして実の母親でなくても、サリターのことを愛していること、実の姉妹でなくてもニンミーのことを愛していることも訴える。それを密かに聞いていたサリターは、20年間憎み続けてきたシャールーが、実の母親のように自分をこれ程愛してくれていたことに感動する。デーヴの父も感動し、デーヴとニンミーの結婚を予定通り執り行うことを約束する。

 デーヴとニンミーの婚約式は無事終わる。そしてサリターもシャールーを愛するようになる。全てがうまく行こうとしていたときに、サミールは納得のいかない気持ちだった。そしてサミールはニンミーに、シャールーが彼女のために自分を犠牲にして今まで何をして来たかを全部打ち明ける。それに感動したニンミーは、デーヴと結婚すべきなのはシャールーであることを確信する。ニンミーは公衆の面前でシャールーとデーヴの手を合わさせ、サリターもデーヴの父もそれを祝福するのだった。

 それほど期待していなかったのだが、今年見たヒンディー語映画の中でもっとも感動した作品だった。特にプレーティ・ズィンターがいい。彼女は不良少女を演じることが多いような気がするのだが、彼女が演じると根っからの不良少女ではなく、心に傷を負った純粋な少女、という雰囲気になって非常にいい。よく言われることだが、彼女が笑ったときにできるエクボも本当に魅力的だ。この映画はまさにプリーティ・ズィンターのためにあるようなものだ。難しい役柄をエネルギッシュに演じていたと思う。もう個人的にはスタンディング・オヴェーションだ。もしかしたら今年度の主演女優賞を狙えるかもしれない。ただ、プリーティ・ズィンターはあまり化粧映えのしない顔のようだ。花嫁衣裳を着て厚化粧すると、なんかおかしな顔になるような気がするのだが・・・。




プリーティ・ズィンター
このエクボのファンは多い


 レーカーはさすがとしか言いようがない。こんな存在感のある母親役を演じれるのは彼女しかいない。レーカーが出てくると、もうそこにはレーカー・ワールドが広がる。観客をグッと惹き付けるあの眼力は老いた今も健在で、2人の若い女優にも負けないくらい輝きを放っていた。

 期待の星アルジュン・ラームパールは、今までそれほどヒット作に恵まれていなかった。「Aankhen」がまあまあだったらしいが、マルチ・スターの映画だったし、アルジュンはどちらかというと映画の足を引っ張ってる役柄だったので、「彼の作品」とは言いがたい。だから今のところ彼はヒット作に全く恵まれていないと言って差し支えないと思う。

 ところでこの映画だが、今日から封切られたばかりなので、これからどう興行的に展開していくか分からないけれども、僕は十分ヒットするに足る作品だと思っている。ヒットしなくてもフィルム・フェアの作品賞を狙える作品だと思う。遂にアルジュン・ラームパールもよい作品に出演できた、と言い切るのはまだ早いかもしれないが、そうなることを祈っている。今回の彼の演技は、前半は意外なコミカルさが個人的に受けてグッド、中盤から後半にかけては影が薄くなってしまったのでバッド、というところか。でも最初の頃と比べてだんだん演技がうまくなってるように思う。もともとアルジュン・ラームパールはトップ・モデルなのだが、この映画の中のミュージカル・シーンで、彼のモデル仲間のような際立った容姿の男女がバックに突っ立ってるようなシーンがあった。本当に彼のモデル仲間なのかもしれない・・・。ちょっと気になった。

 腹話術師のサミールはちょっと微妙な役柄だった。コメディーな役柄なのか、シリアスな役柄なのか、ちょっとはっきりしていなかった。下手すると映画に汚点を加えているかもしれないが、うまくすると映画の奥を深めているのかもしれない。これはそれぞれの観客の受け取り方次第だと思う。だが、これだけは書いておかなければならない。初めの方で彼の腹話術がそれを見ていた日本人夫婦に認められて、日本へ招待されるシーンがあるのだが、そのときに出て来た日本人役の東洋人は、どう見ても日本人には見えなかった。中国人か、下手するとチベット人辺りだろう。やたらとペコペコお辞儀をしていたのが、個人的に自嘲的な笑いを誘った・・・。日本人のイメージはいつの間にかペコペコお辞儀になってしまっているのか?

 マヒマー・チャウドリーは今回はあまり特徴のない役柄だった。プリーティ・ズィンターの引き立て役になってしまっていた。でもその目立なさが逆に映画を安定させていたかもしれない。

 前々から感じていたことで、この映画を見てさらに確信を強めたが、インド映画というのは、観客の心を一方向へ誘導してクライマックスを迎えさせるのにものすごい長けているようだ。観客が「こうなってほしい」と望むようにストーリーを構築していき、途中まではそういう方向に進んでいくが、途中でそれが何らかの理由で阻まれ、最後の手前まで観客の願うようにはならず、もどかしい思いになっているところへ、最後の最後でそれが土壇場で実現する、そしてハッピー・エンド、という流れだ。この映画で言えば、全ての観客の気持ちは「デーヴとシャールーが結婚するべきだ」となるはずだ。しかしそれとは裏腹にデーヴとニンミーの結婚式が進行していく。「このまま2人が結婚してしまうのか?」という不安が頂点に達した最後の最後で、デーヴとシャールーの結婚が滑り込みで成就する。そして観客はホッと胸をなでおろして映画館を去っていく、という形だ。一方、ハリウッド映画の最近の傾向として、最後の最後で観客の思いもよらなかった大どんでん返し、というのがもてはやされているように思う。だからハリウッド映画を見慣れてしまうと、ヒンディー語映画はなんとなく予想通りの結末、という感想になってしまうのだろう。しかし良質のヒンディー語映画をよく見てみれば、観客のマインド・コントロールをちゃんと計算して作られているように感じる。

 音楽はナディーム−シュラヴァン。1曲だけ心に残った曲があったが、それ以外は並程度か。でもその1曲のおかげで「Dil Hai Tumhaara」の音楽CDを買う気になった。最近よく街角で流れているので、歌もヒットしているみたいだ。



 映画を見終わっていい気分になり、さてサーケートから帰ろうとオート・リクシャー乗り場へ向かっていたら、一人のオート・ワーラーに呼びかけられた。「兄ちゃん、行き先はガウタム・ナガルだろ?」なぜこいつはそんなことを知ってるんだとギョッとしたが、どうやら以前に僕を乗せてガウタム・ナガルまで行ったことがあり、それを覚えていてくれたらしい。最近よくPVRアヌパム4の辺りを訪れているので、そこのオート・ワーラーにだんだん顔を覚えられつつあるみたいだ。もちろんその僕のことを覚えていてくれたオート・ワーラーの運転するリクシャーに乗って自宅まで戻った。その間ちょっといろいろ考えた――オート・リクシャー界にも当然縄張りがあり、自宅近くのオート乗り場だったら、自然と顔見知りのオート・ワーラーができたりするものだ。しかしそれ以外の場所で顔見知りのオート・ワーラーができるのは、嬉しいことなのか注意すべきことなのか・・・。僕は外国人だし、よくクルター・パージャーマーを着ているので目立ちやすいだけなのかもしれない。そういえば昨日ジーンズを買ったとき、店員からどういうわけか「いつもクルター・パージャーマー着てるよね?ジーンズなんて履くの?」と言われた。僕はそのときまだ2回しかその店に来ていなかった。それなのにどうして僕がいつもクルター・パージャーマーを着ていることが分かったのだろうか?そのときは特に気にしなかったのだが、後からだんだん不思議になって来た。一瞬、ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」という映画が思い起こされてきたりもしたが、多分僕は予想以上に目立っており、多くの人に顔を知られているのだろう。不気味というか、有名人になって嬉し恥ずかしというか、摩訶不思議というか、複雑な気分である。

9月7日(土) 大阪外語大生ヒンディー語劇

 最近デリーでは雨がよく降るせいか、かなり涼しい。夜はパンカーがいらないくらいだ。だんだん水シャワーを浴びるのに「ハッ!」という気合が必要になって来た。太陽が恋しい季節だ。

 夕方からマンディー・ハウス近くのアビマンチ劇場で大阪外語大ヒンディー語学科の学生たちによるヒンディー語劇があったので、同じヒンディー語を学ぶ者として見に行った。去年も行われたそうなのだが、僕は全く知らなかった。去年はあまり客入りがよくなかったそうで、今年は大々的に宣伝工作が行われ、おかげで300人程度収容できる会場はほぼ満席状態だった。

 このヒンディー語劇は、日印国交樹立50周年記念イベントの一貫であると同時に、JNUの日本語学科の人たちと共同の文化交流事業だった。だから観客には在印日本大使を初めとした政府関係者、大学の教授らしき人々、そしてJNUの学生らしき若者たち、そしてデリー在住の日本人などが多かった。

 劇はふたつ。「Ab Hum Aazad Hai!(もう自由だ!)」と「Dil Ki Dukan(心臓を売る店)」だった。12人の学生と1人の教授が、ヒンディー語で劇を行った。日本語字幕付きで、ヒンディー語の分からない日本人にも容易に理解できるように配慮されていた。演技力はまあ別問題として、彼らのしゃべるヒンディー語はかなりのものだった。相当練習したと思われる。また個人的に興味深かったのは、いろいろヒンディー語のスラングが入っていたことだ。実はそういうスラングを僕はまだあまり多く知らず、インド人の会話や映画のセリフを必死で聴いて収集しているような状態で、インド人もあまり進んで教えてくれない。だから是非劇の台本が欲しくなった。




ヒンディー語劇の様子


 映画を見ているときも時々感じていたのだが、インド人の笑うポイントというのは明らかに日本人のそれとギャップがある。また、何かかっこいい詩を口走ったりすると拍手が起こる。そういうインド人の反応のタイミングというのもなかなか身に付かない。まるで歌舞伎を見ているような感覚だ。みんなが笑って初めて、「あ、ここは笑うところなのか」と慌てて無理に笑ったりしなくてはならない。でも最近は映画ならインド人と同じタイミングで笑うことができるようになってきているかもしれない。

 会場にはサンスターンの教師であるガーンディー先生、マンジュ先生も来ていた。言われるかな、と思ったがやはり言われてしまった。マンジュ先生曰く「次のサンスターンの会では、あなたたちもヒンディー語劇をやりなさい。」冗談だといいのだが・・・。

9月8日(日) ウエストサイド・モール

 朝、アーナンド・ロークの路地を歩いていたら、道端で開業しているドービーに「How are you?」と笑顔で話しかけられた。まるで僕のことをよく知っているかのように。しかしその路地は生まれて初めて通ったし、そのドービーの顔も記憶になかった。僕は「前に会ったっけ?」と質問したが、彼は嬉しそうに笑ってるだけで答えてくれなかった。

 一昨日のPVRのオート・ワーラーと言い、その前のエボニーの店員と言い、なぜ僕のことを知っているのか。本当に不気味になった。ひとつの説として、僕にそっくりの人間が南デリーをあちこち歩き廻っている可能性がある。そういえば、けっこう前に、僕にそっくりの人がテレビCMに出てる、という報告を受けたことがあった。僕もそのCMを見てみたが、特に似ているとは思えなかった。謎は深まるばかりである。



 ラージパト・ナガルとカロール・バーグに新しくショッピング・センターができたという情報を得たので、ちょっと見に行って見ることにした。名前はウエストサイド・モール。そういえば最近よくPVRのCMでその店の宣伝がよく流れている。何の店なのかよく分からなかったが、どうやらアンサル・プラザのようなデパートのようだ。かなり期待して今日は近くのラージパト・ナガルを訪れた。

 ラージパト・ナガルにある、という情報しかなかったので、とりあえずリング・ロード沿いのラージパト・ナガルのバス停で降りて、サイクル・ワーラーに「ウエストサイド?」と聞いてみたが誰も知らなかった。仕方ないのでまずはセントラル・マーケットへ行って見ることにした。ラージパト・ナガルで一番の繁華街なので、そこに建っている可能性が高かった。

 読みは的中し、ウエストサイド・モールはセントラル・マーケットの南側にド〜ンと開店していた。3階建てのけっこう大きな建物で、1階にはマクドナルドがあった。とりあえずウエスト・サイドへ入ってみると、エボニーやビッグ・ジョーズに似た雰囲気のデパートだった。1階は化粧品、宝飾品、時計、女物の服が売られており、小さなカフェもあった。2階は男物の服とインテリアなどが売られていた。値段はショッパーズ・ストップと同じ程度か。




ウエストサイド・モール


 アンサル・プラザ、エボニー、ビッグ・ジョーズなど、デリーのデパートや、K’sマートのような衣料品専門店を見てきて思ったが、インドでは紳士服と婦人服が同じ程度の扱いを受けているみたいだ。日本の大手デパートを見てみると、婦人服売り場の大きさは紳士服売り場の数倍はある。一概には言えないが、これはインド人の男性は女性に勝るとも劣らないくらいファッションにうるさい、ということを暗示しているのだろうか?

 ウエストサイド・モールはまだ工事中の場所が多かった。その内バリスタもできるようだ。また、裏に廻ってみたら3C’s(Competent Cine Court)という映画館も建設中だった。もしやPVRのようなシネマ・コンプレックスかもしれない。

 デリーがどんどん変わっていっている。目に見えるスピードで急速に変化している。思っていたよりも遥かに早く、バンコクのような都市になってしまうかもしれない。それを見つめる僕の心境はまさに「Kabhi Khushi Kabhie Gham(時に嬉しく、時に悲しく)」である。



 「インドで一番おいしいモモが食べれるのはチャーナキャー・シネマ前の食堂である。」これはラダック旅行を終えて帰ってきた僕が最終的に辿り着いた結論だった。しかし、僕よりもデリー歴の長い人から、「ディッリー・ハートのモモもおいしいよ」と釘を刺された。ディッリー・ハートには2、3回行ったことはあるのだが、そこで食事をしたことは今までなかった。そこでその人の言葉を確かめるべく、ラージパト・ナガルからディッリー・ハートへ行った。

 ディッリー・ハートはインドの市場をそのままモダンにしたかのような構造で、インド各地の物産品が売られている。入場料10ルピーを払って入ると、今日は日曜日ということもあり、たくさんの買い物客が訪れていた。外国人の姿も目立つ。しかし物産品には目もくれず、僕は一目散に一番奥にある食堂街へ向かった。ディッリー・ハートには各州の物産品店だけでなく、各州が自州の名物料理を出す食堂もある。改めてよく見てみると、実にいろいろな州が食堂を出していた。パンジャーブ州、マハーラーシュトラ州、タミル・ナードゥ州などのメジャーな州から、スィッキム州、マニプル州、アルナーチャル・プラデーシュ州などのマイナーな州、そして超マイナーなラクシャードゥイープまで、ほぼインド全土を網羅している。僕はその中からアルナーチャル・プラデーシュ州経営の、その名も「Momo Mia」でチキン・スティームド・モモを食べてみることにした。値段は50ルピー。ディッリー・ハートの食堂は、格式ばったレストランではなく、露店に近い食堂なので全く気兼ねなく食べれる。しかしその割には客層はリッチな感じだ。しばらく待っているとモモが出て来た。おお、なかなかおいしいではないか!皿にモモがいくつ乗っていたかを数えるのも忘れて一気に食べてしまった。う〜む、チャーナキャーのモモに匹敵するくらいうまい。まだまだデリーは奥が深いようだ。安易に偉そうな結論を述べるべきではないと反省した。

9月9日(月) JNU日本語劇

 折に触れてインド人の精神世界はすごいと思う。マンジュ先生から教えてもらった小話の中で感動したものを2つ忘れないうちに書いておく。どちらも輪廻転生のコンセプトに密接に関係している。

輪廻転生1
 かわいがっていた息子に先立たれ泣いていた母親がいた。彼女は神様に向かって言った。「ああ神様、どうか私の息子をお返しください。」するとそこに神様が現れて言った。「一度死んでしまった人を生き返らすことはできない。」それでも母親は泣いて懇願した。「どうかお願いいたします。」そこで神様は言った。「じゃあワシと一緒に来なさい。」神様はその母親を天界へ連れて行った。母親は天界で、多くの魂が浮遊しているのを見た。神様は言った。「もし自分の息子の魂を見分けられるのなら、そこまで行って連れて行くがよい。」母親は歩き廻り、遂に自分の息子の魂らしきものを見つけた。母親は言った。「息子よ、さあ一緒に帰ろう。」しかしその魂は答えた。「あなたは誰ですか?」母親は言った。「お前の母さんだよ。忘れたのかい?」魂は答えた。「いつの生の話ですか?」母親は諦めて帰った。

 魂は不滅で、何度も何度も転生を繰り返すのだから、一時の生の血縁関係に従って親縁者の死を嘆くのは愚かなことだ。また、所有という概念も虚しいということが分かる。

輪廻転生2
 2人の男が一緒に歩いていた。1人は非常に信心深い男だった。もう1人は神様を全く信じていなかった。道を歩いていると、神様を信じていない男は大金の入った壺を拾った。一方で神様を信じている男は棘を踏んでしまった。信心深い男は神様を呼んで言った。「ああ、神様、私はあなたをこれほど信仰しているのに、どうして苦しみを与えるのですか?そしてどうしてあなたを信じていない者に喜びを与えるのですか?」神様が現れて言った。「何をバカなこと言っているのだ。私はお前たちを試しているのだ。苦しみの中でお前はどこまで信仰心を捨てないか、金を与えることにより、もう1人の男はどこまで罪深い行いをするのか、じっくり見ているのだ。現世の信仰心に従ってお前は来世で幸せを得ることができるし、もう1人の男は現世の罪によって来世で不幸な生活を送ることになるだろう。」

 こういう正直者が損をして、悪人が得するようなことは現実世界でもよくある。それで正直者は理不尽な思いをし、時には悪に走ってしまったりもするわけだが、インドではちゃんとそういう状況も輪廻転生の考え方に従って理論的に説明され、ただひたすら我慢して神様を信仰すべきであることが説かれている。



 今日はJNUで日本語学科の学生による日本語劇が行われた。4時からだったので、学校が終わってからJNUに駆けつけた。

 JNUの日本語劇の題名は「ボッコちゃん」。最初は夏目漱石の「坊ちゃん」のことだと思っていたが、全く別物の「ボッコちゃん」だった。どうもJNUの日本語のテキストに載ってた話らしい。人間そっくりだが脳と心のないボッコちゃんというロボットが主人公の話だった。ちなみに「ボッコ」とは「没交渉」から取ったらしい。難しすぎるぞ・・・。




JNU日本語劇の様子


ボッコちゃん役の女の子
着物を着たインド人というのも貴重かも


 先日行われた大阪外大の学生たちのヒンディー語劇に比べたら、日本語のレベルも演技のレベルも遥かに下だった。なんかみんな敬語をしゃべってるし、セリフとセリフの間に妙な間があって、やたらとシュールな空間を醸し出していた。ペコペコお辞儀をするところだけは日本人顔負けだった(泣)。しかもやたらと長い。1時間ぐらいあった。中だるみというか、最初から最後までだるかった。でも何人かは上手な日本語をしゃべっていたし、一生懸命やってる様子は伝わってきたので楽しかった。

 劇が終わった後、サモーサーやチャーイなど軽食を出してもらい、劇場の外で食べていた。やはり日本語学科の学生が多いので、日本人の僕は日本語ネイティブ・スピーカーとしてけっこう積極的に話しかけられた。今まで何度かJNUに来たことがあるので、知り合いも何人かいた。モンゴル人の女学生に会えたのが貴重な体験だった。

 その後、また大阪外語大の学生たちの劇もあったが、僕はもう見たので見ずに帰ってしまった。

9月10日(火) Ek Chhoti Si Love Story

 まるで今頃になって雨季が来たみたいだ。最近必ず1日1回は雨が降る。気温も下がっており、肌寒いくらいだ。部屋にいるときパンカーが必要ないし、冷蔵庫でギンギンに冷やした水があまり気持ちよくなくなった。このまま冬に突入しないでもらいたい。どうかもう一度、汗ビッショリの体に水シャワーをぶっかける快感を味合わせてもらいたいものだ。

 今日はすごい映画を見てしまった。マニーシャー・コーイラーラー主演の「Ek Chhoti Si Love Story(ある小さなラヴ・ストーリー)」という映画である。サンスターンの近く、イースト・オブ・カイラーシュにあるサプナー・シネマで見た。

 最近PVRやチャーナキャーなど、専ら高級映画館で映画を見ているので、サプナーのようないかにも庶民的な映画館で映画を見るのは久しぶりだった。それら高級映画館が高い料金を取る代わりにどれだけ快適さを提供してくれているか、サプナーで映画を見て何となく理解できた。チケット売り場は不親切だし、内部は汚ないし、イスもよくないし、音も画像もクリアじゃない。チケット売り場や内装はまあ許すとして、映像と音声が悪いのは映画館で映画を見る楽しみを半減させてしまう。一方で、やはり客層のレベルが下がるので、静かに映画を見ようという雰囲気ではなく、ところどころいちいち敏感に反応して歓声を上げたりする。こういうのは僕は好きだ。PVRの観客はあまりこういう行儀の悪い鑑賞の仕方はしないので、時々物足りなく思うときがある。

 映画館へ行ってみて初めて知ったのだが、実はこの映画は成人向け(俗に言う18禁)映画だった。確かに開場を待つ人々はどこか殺気立っている・・・。とはいえ、ピンク映画とかブルー・フィルムというわけでもなさそうだ。何か際どいシーンがあったため、成人向けにカテゴライズされてしまったのだろう。客に若い女の子たちもたくさん来ていたし、家族連れもいた。満席状態で、僕はけっこうギリギリでチケットを手に入れることができた。

 映画が始まると、これは普通のインド映画ではないことがすぐに分かった。映像のひとつひとつが長回しで、セリフではなくほとんど映像でストーリーが進んでいった。登場人物も非常に少ない。




Ek Chhoti Si Love Story


Ek Chhoti Si Love Story
 ムンバイーのある高層団地。祖母と2人っきりで住む15歳の少年は、向かいの棟に住む女性(マニーシャー・コーイラーラー)を望遠鏡で覗き見することが趣味だった。女性はプラネットMで働く26歳のキャリア・ウーマン&プレイ・ガールで、1人で暮らしており、毎晩恋人とセックスをしていた。少年は彼女のそんな生活を全て眺めつつ、彼女に恋心を抱いていた。少年は彼女の働くプラネットMへ用もなく行き、彼女にぼそっと話しかけるが、彼女は全然相手にしない。毎朝彼女の家に密かに牛乳配達もしていた。

 しかしある晩、恋人とケンカして1人泣いている彼女を見て、次の日少年は彼女に「昨日泣いてたね」と話しかける。そして毎日覗き見していることを打ち明ける。彼女は最初は気味悪がり、少年に罵声を浴びせる。しかしその夜、少年が彼女の部屋を覗いて見ると、彼女は外に向かって電話機を振っていた。少年が電話をすると、女性は「今夜は楽しみなさい」と言って切る。彼女は窓の前にベッドを持って行く。恋人がいつのように訪ねてくると、彼女は早速彼をベッドのところへ連れて行き、誘惑する。こうして少年の見ている前で2人は情事を始める。しかし途中で彼女は恋人に、誰かに覗かれていることを言う。恋人は激怒し、部屋を出て下に降りて、少年を呼ぶ。少年は下に降りていく。恋人は少年の顔をぶん殴る。

 次の日、少年は牛乳配達に行く。すると女性が出てくる。少年が「I love you」と告白すると、女性は「愛なんてこの世に存在しないの」とあしらい、、「あなたは何が欲しいの?」と聞く。少年はディナーに彼女を誘う。

 その夜、2人でディナーを食べ、その後少年は初めて今まで覗き続けていた彼女の部屋に入る。女性は少年に「私は恋人と何をしてた?」と聞くと、少年は「ラヴ・メイキングしてた。」と答える。彼女は「ただのセックスよ。愛なんてないの」と言い、「彼がしてたことをやって見せて」と少年を誘惑する。(この辺りはカットされたみたいで何が行われたか曖昧だった)少年が射精してしまうと、女性は「これが愛よ。」と冷たく言い放つ。ショックを受けた少年は自宅に走って帰り、バスルームで手首を切って自殺を図る。また、この様子を祖母が全部彼の望遠鏡で見ていたのだった。

 心配になった女性は少年の家を訪ねるが、既に少年は病院へ運ばれた後だった。祖母は彼女にどこへ入院したかも教えなかったので、彼女は街中の病院を探したのだが見つからなかった。数日後、少年は退院して戻ってくる。女性は再び彼の家を訪ねる。少年の手を取ろうとする彼女を、祖母は止めた。女性は少年の部屋へ行き、望遠鏡で自分の部屋を覗く。するとそこには机に突っ伏して泣いている自分が見えた。それを慰めているのは少年だった・・・。

 いったい最近のインド映画はどうしてしまったのか?昨年の「Lagaan」辺りから、インド映画は急激な変化を遂げていることを何度も痛感して来たが、この映画ほど衝撃的な映画はなかった。雰囲気はまるでフランス映画だ。インド人はこういう映画も作ることができたのか。本当に驚いた。

 成人向け映画だけあって、非常に際どい映像がたくさんあった。そもそもテーマそのものが多くのタブーを含んでいる。少年と女性の恋、覗き見&ストーカー行為、愛とセックスの関連性・・・。覗き見シーンでは、マニーシャーは素っ裸にはならないものの、下着姿は余裕で見せているし、シャワーを浴びた後のバスタオル姿や恋人との抱擁などが見られる。そしてセリフの中にはっきりと「セックス」という言葉が出てくる。ハリウッド映画を見ているときにこれらのシーンやセリフがあったとしても別に何も思わないが、インド映画だと思うと心臓に悪い。なんかこっちが冷や汗が出るくらいだ。

 マニーシャー・コーイラーラーのベッド・シーンは既に「Abhay」であったが、今回はかなり露骨だった。肌の露出度も極めて高く、太ももや胸元も見せまくりだった。特筆すべき(?)は彼女の半尻が見れることだ。インド映画でここまでやるか、というぐらい。演技派マニーシャーの体当たりの気合が伝わってきたが、あまりに生々しすぎて、「マニーシャーってこんなに肌の色黒かったっけ?」とか「こんなに太ってたっけ?」という印象の方が強かった。最初の頃のマニーシャーって、清純&色白&ほっそり、というイメージがあったのだが、今や悪女が似合う、ちょっとポッチャリ系女優になってしまった。

 際どいシーンでは、もちろん場内は拍手喝采雨あられだ。恋人の手がマニーシャーのパンツの中に伸びたときにボルテージは最高潮に達した。しかしこの映画を芸術映画だと思って見ることのできたインド人はどれだけいただろうか?疑問である。

 「Ek Chhoti Si Love Story」は先週から封切られたばかりの映画だが、明らかに多くの問題を孕んだ作品なので、すぐに公開打ち切りになってしまうかもしれない。今日見ておいてよかった、と思った。(実際は性的に際どいシーンは代役を使っていたらしい。)

9月11日(水) ペイング・ゲスト

 僕の住んでいるフラットの建物は5階建て+屋上&地階なのだが、その3、4、5階がペイング・ゲスト方式(食事付きの貸し部屋)の宿になった。大家さんが始めたのではなく、ある人が3、4、5階全ての部屋を借りて、それをまた人に貸すという面倒なことをしている。僕は5階に住んでいるので、その隣もペイング・ゲスト方式の部屋になったのだが、今のところ誰も住んでいない。

 僕は大家さんに直接家賃を払っているので、そのペイング・ゲストとは関係がない。また、3階にAIIMSで働いている医者(名前はマニーシュ)が住んでいるのだが、彼も前々から住んでいたのでペイング・ゲストとは関係ない。しかし2人ともキッチンがないので、自炊することができない。というわけで、ペイング・ゲストの大家さんが、僕たちにも食事を食べさせてくれるというので、今日はとりあえず朝食と夕食を試しに食べさせてもらった。

 ペイング・ゲストの大家さんはチャンディーガルから来たブラーフマンだった。夫婦とその父の3人で住んでおり、奥さんが料理を作ってくれた。朝はプーリー・バージー、夕食はアールー・マタルなどを食べさせてもらったが、やたらと油っぽかった。パンジャーブ州はギーの名産地なので、食事も油っこいのかもしれない。

 味はとりあえず確認したので、いちおう料金を聞いてみた。最初ははっきりと値段を言うのをしぶっていたが、やがて「1月1200ルピー」と言われた。高すぎる・・・!もしそのペイング・ゲストの食事を食べるのだったら、おそらく朝食は毎日食べると思うが、昼食はいらないし、夕食も毎日食べるわけではない。朝食を10ルピー、夕食を20ルピーとして計算すれば、一月900ルピー以下にはなるはずだ。すぐに1000ルピーまで値段は下がったが、僕は「JNUの寮の食堂は1ヶ月300ルピーだ」と逆襲し、とりあえず今日のところは値段交渉はまとまらずに終わった。今のところ500ルピーぐらいだったら利用してもいいと思っている。

9月12日(木) 2002:デリー水没

 朝から激しい雨が降り続いていた。デリーで傘が必要なほど雨が降ることは少ないのだが、今日は特別だった。雨の多い最近でさえ埃をかぶることの多かった傘を取り出し、学校へ出掛けた。

 雨の日は本当に交通機関が麻痺状態になる。まず、道が河になるので、歩行するのが非常に困難となる。うまく陸地を見つけて進んで行かなければならない。まるでゲームのようだ。場合によっては回り道をしたりする必要がある。もちろん、ズボンの裾をまくりあげて水溜りの中を強行突破すれば一番早いのだが、それは反則である。いかに足を濡らさずに目的地に辿り着くか、それを楽しまなければならない。地面ばかりに気を取られていてはいけない。時々自動車やバイクが水しぶきを飛ばして来るので、頭を使ってうまく避けなければならない。

 デリーで最も安価で便利な交通機関はバスである。バスは雨の日も比較的心強い味方だ。水没した道路を強引に突っ走ってくれるし、座席は高い位置にあるので、バスに乗っている限り水しぶきがかかることもない。しかしバスに乗るまで、降りた後は問題だ。バス停が湖の真ん中になっていることもあるし、バス停まで辿り着くまでに多大な労力を要することが多い。また、バスを待っている間は雨の中立ちすくんでいなければならない。また、雨の日の満員バスもつらい。

 オート・リクシャーは非常に使いづらくなる。まず、みんなオート・リクシャーに乗りたがるので、リクシャーを捕まえるのが困難となる。そして、運賃も当然のことながら値上がりする。普段は物欲しげな顔で道往く人々を眺めているオート・ワーラーたちだが、雨の日は態度がでかい。目的地によっては乗車拒否されることもある。今朝、僕はオート・リクシャーを探してガウタム・ナガルを一周する羽目に陥った。普段は25ルピーでカイラーシュ・コロニーまで行っているが、今日は30ルピー払った。

 オート・リクシャーに満足いく値段で乗れたとしても安心してはいけない。オート・リクシャーは左右が開いているので、隣の自動車の水しぶきがもろに中に入ってくることがある。なるべく周囲の状況に気を配り、座る位置をチェンジしなければならない。もし複数人で乗っている場合は、隅に座った人が被害を被るであろう。

 河となった道を渡る際、サイクル・リクシャーを使うという手もある。いわば陸地の船頭のようなものだ。近距離専用だが、時々道がまるで本当の河のようになっていることがあるので、どうしようもなくなって、近くにサイクル・リクシャーがいれば、利用価値はある。

 バイクや自転車は、雨の日は辛いだろう。水を切って走る喜びを感じる人ならいいかもしれないが。自動車があれば雨の日でもそんなに問題ないだろう。ただ、いつもより道路は渋滞していることが多い。

 授業が終わり、サンスターンを出るときにも雨は降り止まなかった。降り止まなかったばかりか、朝よりもひどくなっていた。やはりカイラーシュ・コロニー周辺は水はけが悪いようで、サンスターンの前の道は激流となっていた。屋上から排水されて地面に落ちる水は滝のようだし、公園は湖になってるし、まるでディズニー・ランドのアトラクションのようだ。一瞬リクシャーで帰宅しようと考えたが、ガウタム・ナガルは行ってもらえなかった。仕方なくバスでサウス・エクステンションまで行って、そこから歩いて帰った。とんだ1日だった・・・。

9月13日(金) SUR - The Melody of Life

 今日も朝からパラパラと雨が降っていた。ずっと雨が降り続いているせいで洗濯物が乾かない。今日はこのまま雨が上がるとヤマを張り、溜まっていた洗濯物を洗濯してベランダに干し、学校へ出掛けた。しかし学校が終わる頃には大雨。道は河となって下流へ押し寄せ、屋上から排水が滝となって流れ落ち、くぼんだ交差点や公園は湖と化していた。洗濯物も全滅・・・。

 最近以前にも増して映画を見に行っている。ヒンディー語映画を大方理解できるくらいの語学力が身に付き、存分に楽しめるようになったのも理由のひとつだが、最近良作っぽい雰囲気の映画が続々とリリースされているため、一時もインド映画から目が離せない状態になっているのが大きい。今日は雨の中PVRアヌパム4へ「SUR - The Melody of Life」という映画を見に行った。本日から封切られた新作で、主演はラッキー・アリーとガウリー・カルニク。ラッキー・アリーは俳優としては新人だが、もともと名の売れた歌手である。ガウリー・カルニクもミス・インディア出身のテレビ女優で、映画出演は初めてのようだ。




左がガウリー・カルニク、
右がラッキー・アリー


SUR - The Melody of Life
 ヴィクラマーディティヤ・スィン(ラッキー・アリー)はCDを何枚もヒットさせている有名な音楽家で、ウーティーに「SUR」という音楽学校を開いていた。彼は旅行中にたまたま立ち寄った教会で聖歌を歌っていた少女ティーナー(ガウリー・カルニク)を見て、自分の学校へ入学させる。「君は私のようなスーパースターになれる!」と彼女を励まして。

 ティーナーの才能はヴィクラムの見抜いた通りだった。彼女は楽譜も読めないくらい音楽の基礎知識がなかったが、天才的なスピードで演奏・作詞作曲・歌唱力を上達させた。彼女の作り出す音楽は一度聞くと頭に残るような印象的で斬新なものだった。しかも彼女は自分で音楽を作り出すだけでなく、周りにいる人にも音楽を沸き起こさせる天性の才能を持っていた。いつしか彼女の心には、ヴィクラムに対する尊敬の他に新たな感情が芽生え始めていた。ところが一方で、ヴィクラムはティーナーの自分を凌駕する才能に嫉妬しはじめ、スランプに陥って酒を飲み始める。

 レコード会社の人々もティーナーの才能を認め、ヴィクラムの次のCDにティーナーも一緒に歌わせることにする。しかし、レコーディングのときにヴィクラムが歌いだしたのは、ティーナーの作った歌だった。彼は彼女の歌を盗作したのだった。ティーナーはヴィクラムの背信行為にショックを受け、学校を飛び出す。

 ティーナーを失ったヴィクラムはさらに荒れ狂う。しかしやがて自分がティーナーの才能を破壊してしまったことに気付く。そして何より重要だったのは、ティーナーがヴィクラムに対して抱いていた愛情だった。彼はその感情までも壊してしまったのだ。

 ヴィクラムはティーナーを連れ戻すために実家を訪れる。しかしティーナーはそこにいなかった。彼女は音楽を捨て、修道女になってしまっていたのだ。ヴィクラムはティーナーに、もう一度学校へ戻り、歌を歌うように頼む。しかしティーナーはなかなか承諾しない。

 そのとき突然ヴィクラムはコンサートを行うことを決める。そしてヴィクラムは自分がしたことをティーナーに謝り、彼女の才能に嫉妬していたことを打ち明け、一緒にステージに立って歌うように頼む。ティーナーもヴィクラムのしたことを許し、もう一度歌うことに決める。

 コンサート当日になった。実はヴィクラマーディティヤ・スィンがコンサートで歌うのは初めてのことだった。そのため、多くの観客が会場に詰め掛けた。しかしその場にヴィクラムは現れなかった。仕方なくティーナーは1人で歌うことになった。ティーナーは鎖から解き放たれたように素晴らしい歌唱力と演奏力を披露し、観客の拍手喝采を浴びる。新たなスーパースターの誕生だった。そしてそのときヴィクラムはラジオで彼女の歌を聴いていたのだった。

 ティーナーはヴィクラムのために歌を歌っていたのだった。しかしヴィクラムは彼女に言った。「これからは1人で歌っていくんだ。」ティーナーはヴィクラムの元を巣立って行った。そして今日もヴィクラムは新たな音楽家の原石を磨き続けている・・・。

 音楽が題材のミュージカル映画なので、音楽の出来は映画の全てを決定すると言っても過言ではない。その点でこの映画は大成功を収めていると言っていい。「SUR」の音楽はどれも素晴らしい。既に予告編を見た時点でこの映画の音楽に一耳惚れしてしまい、CDを大分前に買って最近よく聴いている。ティーナーが作ったがヴィクラムが盗作したという曰くつきの名曲「Aa Bhi Ja」、アコースティック・ギターとヴァイオリンのコンビネーションが美しい「Jaane Kya Dhoondta Hai」、ティーナーが才能を開花させた「Dil Mein Jaagi Dhadkan Aise」、最後のコンサートでティーナーが歌う「Kabhi Sham Dhale」など、全くと言っていいほど死角がなかった。音楽監督はM.M.Kreemというあまり聞いたことのない人だ。

 主人公のヴィクラムを演じたラッキー・アリーは、当然のことながら歌も歌っている。彼の顔はボビー・デーオールに似た武骨な顔で、声は「にこにこぷん」のポロリに似ている。下手に二枚目俳優に演じさせるより、やはり本物の歌手に演じさせた方が味が出るに決まってる。この配役も見事だった。

 そういえば、先日見た映画「Chhal」にも歌手から俳優へ転向したK.K.が出ていた。最近の流行なのだろうか、プレイバック・シンガーが映画俳優になるというのは・・・。

 ヒロインのティーナーを演じたガウリー・カルニクは知念里奈にそっくり。表情豊かで、天性の歌の才能を持った無邪気な少女を全身を使って演じていた。この娘にも好印象を持った。既にテレビ・ドラマで顔は知られていると思われるので、これからの成長に期待がもてる。ただ残念ながら、女性のパートはプレイバック・シンガーが歌っていた。ヒロインも自分で歌っていればすごいことだったのだが。大昔のインド映画は俳優が歌も自分で歌っていたらしい。

 ストーリーは少しありきたりで一面的だったかもしれない。全くインド特有の文化に根ざしたものが見受けられず、そのまま場所をアメリカにし、俳優をアメリカ人にし、言語を英語にすれば、一瞬にして一般的なハリウッド映画になってしまう。インド映画の製作者には、インドとしてのプライドというか、少しでもインド特有の文化、歴史、思想、社会などに基づいた映画を作ってもらいたいと思っている。そうでなかったらインド映画は逆にハリウッド映画に呑み込まれてしまう恐れがある。また、この映画のラストは少し不満が残った。ヴィクラムはみんなの前で、ティーナーの作った曲を盗作したことを公表すべきだったと思う。それでもけっこう泣ける映画だった。音楽の勝利だと思った。

 映画館を出たら雨は止んでいた。雨だったので映画館で暇潰しをする、というのも、この映画を今日見た理由だったのだが、インドで雨の日って映画館空いてるか、混んでいるかを見てみたかった、というのも、しょうもないがひとつの理由だった。結果、客入りは70%ぐらいだった。やはり雨の日はインド人はあまり外出したがらないみたいだ。

9月14日(土) ラーダーシュトミー

 今日はクリシュナの愛人ラーダーの誕生日、ラーダーシュトミーだ。うちの近くの寺院で何かイベントが催されるらしい。3日前ぐらいから僕も来るように近所の人から誘われていた。

 寺院の周りは朝から装飾が成され始めた。そして朝っぱらからバジャンが大音量で流され、ガウタム・ナガル中にその音は届くくらいだった。日本でこんなことをしたら絶対に苦情が来るが、ここは懐の深い国インド。誰も文句を言う人なんていない。僕もそれに対抗して大音量でPCに入った音楽を聞いていた。それにしても、つい2週間前にクリシュナの誕生日、ジャナマーシュトミーがあったばかりだというのに、またもお祭りか。インドは本当に娯楽の多い国だ。ちなみに去年はラーダーシュトミーを見た記憶がない。

 夕方から寺院でイベントが始まった。大音響で流されていた音楽の雰囲気が変わったことから始まったことが分かった。外に出て寺院へ向かう。僕が行ったときには既に寺院は満員状態だった。中を覗いてみると、寺院の奥に舞台が設けられ、その上で数人の男女(全員男だったかもしれない)が踊りを踊っていた。しばらく見ていたら合点が行った。クリシュナ神話の劇だ。僕が見たときはちょうどプータナーがクリシュナに殺されるところだった。




クリシュナ・リーラー


 インドに住んでいると、いや、旅行していてもだが、ふと、「インドが好きだ!」と実感する瞬間がある。今日、このラーダーシュトミーに近所の寺院で行われたクリシュナ劇を見たときにも、その感情が鳥肌と共に僕の全身に沸き起こった。特に劇が素晴らしかったというわけでもないが、インド人の祭りへの愛情と気合の入れ方が僕を感動させた。寺院と観衆が一体となって祭りを祝っているという感じだった。去年のジャナマーシュトミーのときにもその感情が沸き起こった覚えがある。僕はあまり祭りの盛んでない地域、社会、家庭に育ってきたので、祭りのときにグワッと盛り上がれる人々を見ると、うらやましくなるし、感動する。そして自分もそうなりたいと思う。しかし僕の心には既に拠り所があまりなくなっていることにも気付く。仏教も神道も僕の心に根付いていない。かえってヒンドゥー教やインドの原始仏教の方が、僕にとって身近な存在になってしまっている。しかし僕はインド人に生まれたわけではないので、ヒンドゥー教徒にはなれないし、インドの原始仏教は既に死滅してしまった宗教だ。かと言って怪しい新興宗教に走るほど浅はかでもない。ただ、これだけは言える。インドの宗教よりももっと深い層にある、インドの文化と思想が僕の行動の規範となりつつある。そしてそれはアジアの文化と思想だと思うし、遠く日本にもつながっていると信じている。

 残念ながら夕方から友人の家に行く約束があったので、ラーダーシュトミーのクリシュナ・リーラーを全て見ることはできなかった。そもそも寺院内は満員状態で僕の入りこめる余地がなかったので、外から立ち見状態だった。十分信心深いインド人たちからエネルギーをもらったので、それで満足した。そのまま友人の家へ向かった。

 夜11時頃、友人の家から戻ってきて、寺院のそばを通った。ちょうど祭りが終わったところらしく、僕もチャーイとプラサードをもらえた。家にプラサードを持って帰って大家さんたちの家族に配ったら、「今から寺院へプラサードをもらいに行こうと思っていたんだよ」と喜んでもらえた。

9月15日(日) ないものはない

 突然思い立ってこのサイトのデザインをマイナー・チェンジした。上の方をインド・イスラーム建築風にしたのだ。最初はトップ・ページだけ変えて様子を見てみたが、特に問題もなく、評判も上々だったので、今日ほぼ全てのページを同じように変えた。今だから言えるが、実は以前のデザインは巻物をイメージしていた(2001年〜2002年前半の日記ページは以前のデザインを残してある)。しかし僕の力が及ばず、巻物に見えないばかりか、なんか変な形になってしまっていた。また、デザイン変更に伴って、長年メニューの上に居座っていたガネーシャにも引退してもらった。個人的に気に入っていたのだが、ミナレットにガネーシャというのはちょっと似つかわしくなかったので、泣く泣く消去した。おかげで、以前はヒンドゥー色が強かったこの「これでインディア」が、一転してムスリムっぽい雰囲気になってしまった。現在ヒンドゥー的要素をどこかに追加しようと考えている。

 また、トップページ他、サイトの各所にインダス文明の印章をかたどったイラストを置いた。これも突然思い立って行ったものだ。インダス文明は元から好きだったし、ヒンドゥーもムスリムもない時代で、真にインド的な雰囲気が漂っていてよい。それに、キャラクターに素朴な愛嬌がある。インダス文明を基にした素材でも作ろうか、と思ったくらいだ(面倒なので思っただけだが)。

 デーヴダースの日本語訳の方はのんびりと順調に進んでいる。現在16章中の第10章まで訳し終わった。パールヴァティーが結婚してしまい、デーヴダースが次第に壊れていくところだ。訳しているとやはり分からないところが時々出てくるのはもちろんのこと、日本語にしにくい部分もあったりして、あ〜だこ〜だ頭を悩ませつつ、ひとまず完訳を目指して頑張っている。



 昨日からずっと探しているものがある。それは、日本なら簡単に手に入るものだ。どういうものかというと、引き出しが3段くらいついている、プラスチック製の小型のタンスだ。衣類をしまうために欲しいのだが、インドではどうも手に入らないみたいだ。

 それを手に入れるために昨日と今日、2日をかけて南デリーの主要マーケットを梯子した。アンサル・プラザ、サロージニー・ナガル・マーケット、ディッリー・ハート、INAマーケット、ラージパト・ナガル・セントラル・マーケット、アマル・コロニー・マーケット、サウス・エクステンション、ムニルカー・マーケットなどなどだ。書いてるだけでも疲れてくる・・・。しかし僕の求めるようなものはなかった。

 全くなかったわけでもない。サロージニー・ナガルのマーケットに、金属製で引き出しだけプラスチック製の、ちょっと小さめのものがあった。しかし値札を見てビックリ。2500ルピーもした。また、ラージパト・ナガルのウエストサイド・モールに、藤細工の引き出し付き小棚が売られていた。こちらも値段は一人前で、小型のもので1500ルピー、中型のもので2500ルピーだった。以前僕はけっこう大きめの木製棚を、ムニルカーで1000ルピーで購入した。いくら引き出しが付いていようと、品質がよかろうと、それ以上お金を出すつもりはない。

 インドにはたくさんプラスチック製品は売られている。大体台所用品や洗濯用品が多い。しかしプラスチックで引き出し付きの棚を作ろうという考えはないみたいだ。あれって案外作るのに技術がいるのだろうか?

 昔は日本でしか手に入らなかったハイテク器具が、だんだんデリーでも簡単に手に入るようになっている。DVDプレーヤー、デジカメ、デジカメ付き携帯電話、デジカメ付き腕時計、ノートPCなどなど・・・。そんな中で、依然としてインドでは手に入らないローテク器具も存在するようだ。そういう穴場商品を見つけて、インドで作って売れば意外と儲かるかもしれない。



―炎雨編 終了―

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